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旗本退屈男(はたもとたいくつおとこ)01 第一話 旗本退屈男

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 10:17:10  点击:  切换到繁體中文


       四

 表は無論もう九ツすぎで、このあたり唯聞えるものは、深夜の空にびょうびょうと不気味に吠える野犬の唸り声のみでした。その深い闇の道を退屈男は影のみの男のように、足音も立てずすいすいと宮戸川べりに沿いながら行くこと七丁――。波も死んだようでしたが、そこの岸辺の一郭に、目ざした榊原大内記侯のお下屋敷を発見すると、俄然、爪先迄も鏘々(そうそう)として音を立てんばかりに、引締りました。緊張するのも無理はない。殆んど三年越し退屈しきっていたところへ、突如として今、腕力か智力か、少なくも何程か主水之介の力を必要とする事件が降って湧いたのです。無論まだ諸羽流(もろはりゅう)正眼崩(せいがんくず)しを要するか否かは計り知らない事でしたが、事の急は、それなる霧島京弥といった男の行方不明事件が、自発的のものであるか、他より誘拐されたものであるか、誘拐されたものとするなら、およそどういう原因のもとに、どういう方面の者の手が伸びているか、先ず第一にその事を嗅ぎ知る必要がありましたので、敵か味方かも分らぬ大内記の下屋敷を目ざしつつぬかりなく歩みよると、それとなく屋敷の構えを窺(うかが)いました。――そもそもがこのあたり隅田川べりのお下屋敷は、殆んど大半が別荘代りを目的のものでしたので、警固の工合なぞも割に簡単な構えでしたが、しかし簡単とは言うものの、榊原大内記侯はともかくもお禄高十二万石の封主です。留守を預かる番士の者も相当の数らしく、御門の厳重、お長屋の構え、なかなかに侮(あなど)りがたい厳しさでした。勿論正々堂々と押し入ったにしても、主水之介とて無役ながらも天下御直参のいち人とすれば、榊原十二万石ぐらい何のその恐るるところではなかったが、紊(みだ)りに事を荒立てて、正面切って押し入ったのでは、事件を隠蔽される懸念がありましたので、先ず事実の端緒(たんちょ)をつかむ迄はと、退屈男は影のように近よりながら、邸内の様子を窺いました。
 と――、御門前迄近よった時、ちかりと目に這入ったものはその武者窓囲(むしゃまどがこ)いにされている御門番詰所の中から、洩れるともなく洩れて来た灯りです。深夜の九ツ過ぎに御門番詰所の中から、なお灯りの見えていることは、未だに誰か外出している事を証明していましたので、何びとが門を預かっているか、そっと忍び寄りながら武者窓の隙から中をのぞいてみると、少しこれが不審でした。禄高十二万石の御門番ですから、屈強な御番士が門を預かっているのに不審はないが、余程退屈しているためにか、それとも目がない程に好きであったためにか、ひとりでしきりに将棋を差しているのです。それも何かむずかしい詰め手にでも打つかったものか、やや顔を青めながら、やけに腕を拱(こまぬ)いて考え込んでいる姿が目に映ったので、退屈男は急に何か素晴らしい奇計をでも思いついたもののごとく、にんめり微笑をもらすと、その武者窓下にぴたり身を平(ひら)みつけて、わざと声色をつくりながら、突然陰(いん)にこもった声で呼びました。
「ゴモンバン――こりゃ、ゴモンバン――」
 屋敷が隅田川へのぞんだ位置であったとこへその呼び方が並大抵な呼び方ではなく、さながら河童ガ淵の河童が人を淵の中へ呼び入れる時に呼んだ声は、こんな呼び声ではなかったろうかと思われるような、気味わるく陰にこもった声で御門番とやったので、番士は少々ぞっとしたらしく、恐々(こわごわ)やって来て恐々窓から表をのぞくと、きょろきょろあたりを見廻しながら呟きました。
「――変だな、たしかに今気味のわるい声で呼びやがったがな。気のせいだったかな」
 のぞいて、姿のないのに、いぶかりながらまた将棋盤に向ったらしいのを見すますと、退屈男の同じ不気味な声色が深夜の空気をふるわして陰々と聞えました。
「ゴモンバン――こりゃ、ゴモンバン――」
「畜生ッ、いやな声でまた呼びやがったな。どこのやつだッ」
 恐々(こわごわ)さしのぞいて、恐々探しましたが、丁度格子窓の出ッ張りの下に平(ひら)みついているのですから、分る筈はないのです。不気味そうに帰っていったのを見すますと、追いかけながらまた退屈男の言う声が聞えました。
「――ゴモンバン、こりゃ、ゴモンバン」
 とうとう癇にさわったに違いない。
「ふざけた真似をしやがって、どこの河童だ。化かそうと思ったって化かされないぞ!」
 白(せりふ)は勇ましいが慄え声で、恐々(こわごわ)くぐりをあけながら、恐る恐る顔をのぞかしたところを、武道鍛錬の冴えをもってぎゅっとつかみ押えたのは言う迄もなく退屈男です。
「痛え! うぬか! 河童の真似をしやがったのはうぬかッ」
 叫ぼうとしてもがいた口へ、手もなく平手の蓋を当てがっておきながら、軽々と小脇へ抱え込んで、悠々と門番詰所へ上がってゆくと、ぱらりと覆面をはねのけて、これを見よと言わぬばかりに番士の目の前へさしつけたものは、吉原仲之町で道場荒しの赤谷伝九郎とその一党をひと睨みに疾走させた、あの、三日月の傷痕鮮やかな、蒼白秀爽の顔ばせでした。
「よッ、御貴殿は!」
「みな迄言わないでもいい。この傷痕で誰と分らば、素直に致さぬと諸羽流正眼崩しが物を言うぞ。当下屋敷に勤番中と聞いた霧島京弥殿が行方知れずになった由承わったゆえ、取調べに参ったのじゃ、知れる限りの事をありていに申せ」
「はっ、申します……、申します。その代りこのねじあげている手をおほどき下さりませ」
「これしきの事がそんなにも痛いか」
「骨迄が折れそうにござります……」
「はてさて大名と言う者は酔狂なお道楽があるものじゃな。御門番と言えば番士の中でも手だれ者を配置いたすべきが定(じょう)なのに、そのそちですらこの柔弱さは何としたことじゃ。ウフフ、十二万石を喰う米の虫よ喃(のう)。ほら、ではこの通り自由に致してつかわしたゆえ、なにもかもありていに申せ。事の起きたのはいつ頃じゃ」
「かれこれ四ツ頃でござりました、宵のうち急ぎの用がござりまして、出先からお帰りなされましたところへ、どこからか京弥どのに慌ただしいお使いのお文が参ったらしゅうござりました。それゆえ、取り急いですぐさまお出かけなさりますると、その折も手前が御門を預かっていたのでござりまするが、出かけるとすぐのように、じきあそこの門を出た往来先で、不意になにやら格闘をでも始めたような物騒がしい叫び声が上りましたゆえ、不審に存じまして見調べに参りましたら、七八人の黒い影が早駕籠らしいものを一挺取り囲みまして、逃げるように立去ったそのあとに、ほら――ごらん下さりませ。この脇差とこんな手紙が落ちていたのでござります。他人の親書を犯してはならぬと存じましたゆえ、中味は改めずにござりまするが、手紙の方の上書には京弥どのの宛名があり、これなる脇差がまた平生京弥どののお腰にしていらっしゃる品でござりますゆえ、それこれを思い合せまして、もしや何か身辺に変事でもが湧いたのではあるまいかと存じ、日頃京弥どののお立廻りになられる個所を手前の記憶している限り、いちいち人を遣わして念のために問い合せましたのでござりますが、どこにもお出廻りなさった形跡がござりませぬゆえ、どうした事かと同役共々に心痛している次第にござります」
「ほほう、それゆえわしの留守宅にも、問い合せのお使いが参ったのじゃな。では、念のためにそれなる往来へおちていたとか言う二品を一見致そうぞ。みせい」
 手に取りあげて見調べていましたが、脇差はとにかくとして、不審を打たれたものは手紙の裏に小さく書かれてあった、菊――と言う女文字です。
「はてな――?」
 愛妹の菊路ではないかと思われましたので、ばらりと中味を押しひらいて見ると、取急いだらしい短い文言が次のごとくに書かれてありました。

「――大事出来(しゅったい)、この状御覧次第、至急御越し下され度、御待ちあげまいらせ候。―― 菊路」

 いぶかりながら、しげしげと見眺めていましたが、ふと不審の湧いたのはその筆蹟でした。妹菊路は彼自身も言葉を添えてたしかにお家流を習わした筈なのに、手紙の文字は似てもつかぬ金釘流の稚筆だったからです。のみならず展(の)べ紙の左端(はし)に、何やら、べっとりと油じみた汚(し)みのあとがありましたので、試みにその匂いを嗅いでみると、これが浅ましい事にはあまり上等でない梅花香の汚(し)みでした。菊路が好んで用いる髪の油は、もっと高貴な香を放つ白夢香の筈でしたから、退屈男の両眼がらんらんとして異様な輝きを帯びたかと見るまに、鋭い言葉が断ずるごとくに吐かれました。
「馬鹿者達めがッ。にせの手紙を使ったな」
 途端――。
「御門番どの、只今帰りましてござります。おあけ下されませい」
 言う声と共に、番士があたふたと駈け出していった容子でしたが、御門を開けられると同時に、不審な一挺の空駕籠が邸内に運び入れられたので、当然退屈男の鋭い眼が探るごとくに注がれました。
 と――、これがいかにも奇態なのです。金鋲(きんびょう)打った飾り駕籠に不審はなかったが、いぶかしいのは赤い提灯そのものです。焼けて骨ばかりになったのが、もう一つ棒鼻の先に掛かっているところを見ると、出先でその新しい方を借りてでも来たらしく思われますが、奇態なことにその提灯の紋所(もんどころ)が、大名屋敷や武家屋敷なぞに見られる紋とはあまりにも縁の遠い、丸に丁と言う文字を染めぬいた、ひどく艶(なま)めかしい紋でした。造りも亦朱骨造(しゅぼねづく)りのいとも粋な提灯でしたから、どうも見たような、と思って考えているその胸の中に、はしなくもちかりと閃めき上がったものは、退屈男が丸三年さ迷って、見覚えるともなく見覚えておいた曲輪(くるわ)五町街の、往来途上なぞでよく目にかけた太夫花魁(おいらん)共の紋提灯です。
「道理で粋(いき)じゃと思うたわい。暇があらば人間、色街(いろまち)にも出入りしておくものじゃな」
 呟いていたかと見えましたが、間をおかないで鋭い質問の矢が飛びました。
「その駕籠は、誰をどこへ連れ参った帰り駕籠じゃ」
「これは、その、何でござります……」
 陸尺(ろくしゃく)共が言いもよったのを御門番の番士が慌てながら引き取って言いました。
「お上屋敷へ急に御用が出来ましたゆえ、御愛妾のお杉の方様が今しがた御召しに成られての帰りでござります」
「なに? では、当下屋敷には御愛妾がいられたと申すか」
「はっ、少しく御所労の気味でござりましたゆえ、もう久しゅう前から御滞在でござります」
「ほほうのう、お大名というものは、なかなか意気なお妾をお飼いおきなさるものじゃな」
 皮肉交りに呟いていましたが、御愛妾が病気保養に長い事滞在していて、同じ屋敷に名前を聞いただけでも優男らしい霧島京弥というような若者が勤番していて、その上、御愛妾は上屋敷へ行ったと言うにも拘らず、駕籠のもってかえった提灯の紋様は曲輪仕立ての意気形でしたから、早くも何事か見透しがついたもののごとく、退屈男のずばりと言う声がありました。
「その駕籠、暫時借用するぞ」
「な。な、なりませぬ。これは下々(しもじも)の者などが、みだりに用いてはならぬ御上様(おかみさま)の御乗用駕籠でござりますゆえ、折角ながらお貸しすること成りませぬ」
「控えい、下々の者とは何事じゃ、榊原大内記(さかきばらだいないき)侯が十二万石の天下諸侯ならば、わしとて劣らぬ天下のお直参じゃ。直参旗本早乙女主水之介が借りると言うなら文句はあるまい――こりゃそこの陸尺共、苦しゅうないぞ、そのように慄えていずと、早う行けッ」
 威嚇するかのごとくに言いながら、ずいと垂れをあげて打ち乗ると、落ち着き払って命じました。
「さ、行けッ。行けッ。今そち達が行って帰ったばかりの曲輪(くるわ)へ参るのじゃ、威勢よく飛んで行けッ」

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