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山陰土産(さんいんみやげ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-8 11:13:36  点击:  切换到繁體中文


    十一 宍道湖の旅情

 備後びんご入道とは、松江市から見て東南の空に起る夏の雲のことをいふとか。宍道湖しんじこのほとりでは、毎日のやうにその白い雲を望んだ。東京から二百三十三里あまり。私達もかなり遠く來た。山陰道の果てまではとこゝろざして家を出た私も、松江まで來て見ると、こゝを今度の旅の終りとして東京の方へ歸らうかと思ふ心すら起つた。時には旅に疲れて、その中途に立ちすくんでしまひさうにもなつた。このまゝ元來た道を引返すか。海岸に多いトンネルのことを考へると二度と同じ道を通つて暑苦しい思ひをする氣にもなれない。私は米子から岡山へ出る道を取つて、すこしぐらゐ無理でもまだ鐵道の連絡してゐないと聞く山道を越えようかと考へたり、それとも、最初の豫定通り、遠く石見いはみの國の果まで行つて、山陽線を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて歸らうかとも考へたりして、そのいづれもが容易でなささうなのに迷つた。
 私は鷄二に戲れていつた。
「どうだらう。東京の方へ歸るのを止めて、いつそ松江の人にでもなつてしまはうか。」
 しかし、これは私の惡い洒落である。また私は勇氣を起して旅を續ける氣になつた。暑さをも厭はず宿まで來て呉れた太田、古川二君に頼んで、松江の市内にある二つの小學校を訪ねて見ると、折柄教室に並べてあつた兒童の製作もこの地方のことを語り顏であつた。白潟しらがた母衣ほろ、私達がしばらく時を送つたのもその二校だつた。母衣の方では學藝會の催しのある日で兒童の遊戲なぞも始まつてゐた。私も子供は好きだ。長い廊下を挨拶して通る少年でも呼び留めて、いろ/\と言葉をかはして見たく思つたが、時と場合がそれを許さなかつた。私達は連立つて、北堀といふところに小泉八雲の舊居をも訪ねた。舊くはあるがゆかしい家中かちゆう屋敷で、庭に咲く百日紅さるすべり、花はないまでも桔梗、芍藥なぞ、この地方の夏はそこにも深いものがあつた。主人も心ある人と見えて、質素な書齋の襖から櫛形の窓まで、明治初年の昔からあるものを何一つ置き換へることもなしに清潔に住みなしてある。故人が愛したと聞く池の蓮も、この記念の家を靜かに見せてゐた。
 千鳥城はこの山陰地方で天守閣を保存する唯一の城址である。そこへも訪ねて行つて見ると、寄せ木の太い柱を鐵の板で堅めてある天守閣の内部は、武裝を解かれて休息してゐる建物か何かのやうであつた。ところ/″\に蟲ばんだ柱を見るが、堅牢な感じを失はない。往昔、堀尾吉晴によつて築かれ、小瀬甫庵をぜほあんの繩張りによるといはれるのもこの城だ。五層ほどもある高い建物の位置からは松江の市街がよく見えた。天狗、星上ほしかみ、茶臼の山々から、伯耆の大山までが呼べば答へるやうな眺望のよい位置にある。あの大雅堂のやうな人がこの地方へ旅して來た昔に、宍道湖にひゞく古鐘の音に聞きほれて、半年も歸ることを忘れたといふ天倫寺の屋根も、そこから見渡される。その古鐘こそ朝鮮から渡來したものと聞くが、未だに古い響を湖水に傳へてゐるかどうかは知らない。
 千鳥城から見える星上山は私達の宿からも見える。この山陰の旅には私もいろ/\な望みをかけて、日本最古の地方の一つを踏んで見るといふだけでも樂しみにして來た。出來ることなら、海岸ばかりでなしにもつと山地の方まで入つて行つて、古代の人が、現世と黄泉よみの國との境であると想像したといふ出雲の伊賦夜坂いぶよさか比良坂ひらさか)のあたりを歩いて見たらばと思つて來た。比婆山ひばさんの位置もはつきりしないとは聞くが、もしそんなところまで行くことが出來て、あの伊邪那美の神の墳墓の地を見たらばとも思つて來た。眼にある星上山の向うには、その比婆山ひばさんも隱れてゐるといふことであつた。こゝは古代の大陸との交通を想像させるばかりでなく、もつと古い神話にまで遡るなら、天地創造の初發の光景にまで、人の空想を誘ふやうなところだ。こゝは豐かな傳説の苗代なはしろだ、おもしろい童話の作者でも生れて來さうなところだ。こゝは神祕なくらゐに美しい海が、その祕密をひらく若者を待つてゐる。新しい海の詩人でも生れて來さうなところだ。
 舊暦十八日ばかりの夏の月が射し入つた晩は、私達は宿の二階にゐてすゞんだ。松江中學の端艇競漕があつた日で、賑かな舟唄は湖上に滿ちてゐた。空氣は清く澄んで殊に水郷の感じが深い。青白い光を放つ夜の空もよく晴れた。星も稀ではあるが、あるものは紅くあるものは青く、天心に近づくほど暗いところに懸つてゐた。月あかりに鳴くかすかな蟲の聲さへ聞えて來るやうな、そんな良い晩だ。
「これで涼しい風があれば、申し分はないがなあ。」
 鷄二はそれを言つて、宿の若主人を相手に舟を出し、そこいらを一※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りして歸つて來た。晝より暑いくらゐで、夜遲く石垣の下に出て、そこに繋いである舟に乘りながら涼むものもあつた。さすがに水邊の宿だ。無數の蟲は部屋の電燈をめがけて群れ集まつて來た。それを見ただけでも、寢苦しい。その晩は私も縁先の籐椅子にもたれて、湖水に聲のなくなるほど遲くまで起きてゐた。

    十二 菅田庵を訪ふ

 松江の郊外にある菅田庵すがたあんは、不昧公が遺愛の茶室で知られてゐる。松江における不昧公の位置は、白河における樂翁公のそれを思ひ出させる。
 松江を去る前の日の午前に、私達は太田、古川二君に導かれて菅田庵を訪ねた。その時は私達の宿の親戚にあたる松影堂の主人とも同道した。柿谷といふところにある有澤氏の山莊がそれで、昔の人達が魂を休めに行くためにあつたやうな村里の片ほとりに隱れてゐた。
 山莊の入口にある小徑はかなり長かつた。私は曾てこんな樂しい小徑をふんだことがない。そこを踏むばかりでも、ひとりでに私達の心は澄んで行くのを覺える。古い池がある。竹の林がある。淺い谷間の地勢がその一方にひらけて、茄子畠の向うには遠く鷄の聲を聞く。その邊の土の色の赤さは驚くばかりだ。日のあたつた赤い茄子畠は繪にでもしたらと思ふばかりに美しい。苔蒸した坂道に添うて楓の樹の多い小山に出ると、さゝやかな枝折戸がある。今の主人はそこに草履などを用意して、私達を迎へてくれた。靴を草履にはきかへて、庭石を踏むといふだけでも、何となく私達の心は改まつた。
 私達の訪ねて行つたところは、この小山の上に立つ二棟の簡素な平屋を、庭もろとも一つの意匠に纏めたやうな場所であつた。客の休息所に宛てたお待屋の方には、雨傘ほどの大きさの笠が眼についた。雨に雪に、お待屋から茶の室の方へ通ふ客のためにあるものとみえて、細心な茶人の用意はそんなところにも窺はれる。茶室には二疊と四疊半との二部屋があつて、私達は先づ二疊の方の狹い窓のやうな入口から入つた。海邊の漁夫の寢るだけにあるような住居の入口から、こんな茶人の意匠が生れて來てゐるといふこともおもしろい。水屋を通つて、四疊半の方に出た。向月庵とした額の掛つた茶室がそこだ。私達は思ひ/\に、疊を敷いたえんのところにゐ、その外にある板敷の縁のところにもゐて、すゞしい蝉の聲に暑さを忘れた。庭に置いた石も省けるだけ省いて、庭先にある二本の古松と山々の眺めとを廣く取入れてある。山郭公やまほとゝぎすなども啼いて通りさうなところだ。こゝへ來て見ると、簡素を求めた昔の人の心が感じられる。私は不昧公のことをいふついでに、白河樂翁を引合に出したが、この比較は當つてゐないかも知れない。たゞ二人とも徳望のあつたといふ點でのみ、それがいへるかも知れない。藝術上の惠まれた天分にかけては、不昧公は遙に樂翁公の上にあらう。
 有澤氏の山莊には、別に不昧公の意匠になつたといふ明々庵が他から移されてあつた。山の横手のところには、山櫻の多い谷を前にした小茶屋もあつた。もみ、松、楓などの外に、椎の木の多いことも樹蔭の道を樂しく見せてゐた。
 松江の宿に歸つてからの私達はまた翌日の旅支度にいそがしかつた。松江には七月の十四日から十七日までゐた。旅の記念にと書き盡せないほどの色紙などを、この地方の人達からも持ち込まれ、宿の女中にまで何か書けとせがまれては、午後からも殆ど休むいとまがなかつた。成るべく手荷物も少くと思ふところから、白潟、母衣ほろの二校から貰ひ受けて來た兒童の製作品、圖畫、作文、手工の竹の箸、それに松江土産の箱枕などは留守宅宛の小包にした。そこいらには、ある人々へ贈りたいと思つて取寄せた不昧公好みの煙草盆が殘つてゐた。それもこゝから荷造りして出すことにした。こんなに取りちらしてゐるところへ宿の女中が客のあることを知らせに來た。ずつと以前の同じ學窓の縁故から、私なぞから見れば、先輩に當る人が、土地の話を持つてわざ/\逢ひに來てくれたといふこともなつかしい。その時は太田君も一緒で、湖水から吹き入る風の涼しいところで話した。四方山の話の末に、これから私達が向はうとする石見いはみ地方のことが出た。そこには人麿の遺蹟のあることなぞから、あの昔のすぐれた歌人も役目としては、せい/″\國守か郡守ぐらゐのところであつたらう、そんな話が出た。客もなか/\話ずきな人で、そのうちに鋭い鋒先を太田君の方にまで向けて、「太田君も商業會議所の書記長ぐらゐに止めて、それ以上の榮達は望まない方がようござんすぜ。昔から高位高官に登つたやうな人に、そんなにおもしろい人も見當りませんぜ。」
 こんな話も旅らしい。しばらく私の心は書生の昔に歸つて行つた。その晩は客で取り込んだ。古川君を送つた後には、その日東京から着いたといふ畫家の小山周次君を迎へた。この小山君は小諸出身で、私とは舊い馴染だ。同君は大社まで私達と同道しようといつて、翌日の朝を約束して別れて行つた。四日ばかりの滯在は短かつたけれども、しかし私達はこの松江の宿に來て、直入ちよくにふの蟹の額などの掛かつた氣持のよい部屋に旅寢することを樂しみにした。この五月あたりに東京から有島生馬君が見えて私達と同じ部屋に泊つて行つたと聞くこともうれしかつた。さういふ私達も、二度とかうした旅に來て見る機會があらうとは、ちよつと思はれない。この地方の木枯が吹いて、海蛇が岸に上るといふ「お忌荒いみあれ」の季節からは、そろ/\自然の活動が始まるといふが、さういふ山陰の特色の最もよくあらはれる頃などを選んで、わざ/\再遊を試みるやうな機會があらうとは猶々思はれない。
 七月の夜は明け易かつた。翌十八日の朝には私は早く起きて、古川君、太田君、その他の人達にも別れを告げて行く支度を始めてゐた。私は遠く紫色を帶びた星上山から、まだ朝靄に包まれてゐるやうな松江の町々までもよく見て行かうとした。

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