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畏友リンピイ・リンプの驚嘆に値する発明的企業能力は、これだけでも充分以上に合点が往ったろうと思う。加うるに、この出張売春婦のPIMPをつかさどるかたわら、第三にそして最後に、彼はほんとの「しっぷ・ちゃん」をも兼ねていた。ほんとのしっぷ・ちゃんてのも変だが、実はこれも、一つの準備行動として彼にとっては必要だったのだ。と言うのはつまり、いよいよ生きた商品を持ちこむに先立ち、まず斥候といった形で、無害でゆうもらすな海の人々の日用品――それも陸での概念とは大分違うが――を詰めた鞄と、何食わぬ顔とをぶら提げて、あたらしく入港して来た船へ、検疫が済むが早いか最初の敬意を払いにゆく。こうしてその船の徳規や乗組員の財布の大きさを白眼んでおいて、いわゆる「岸に無障害」と見ると、そこではじめて、夜中を待って本業の女肉しっぷ・ちゃん船を漕ぎ寄せる――とこういう手順だが、どうせこのほうは、まあ、小手調べのつもりだし、こっちでも幾らかの利を見たいなんてそんなリンピイでもないから、持ってく日用品なんかちっとも売れなくても困らないんだけれど、それが妙なことには飛ぶように売れて、リンピイはいつも空の鞄と、反比例に充満したぽけっととを伴れて陸へ帰るのがつねだった。じゃあどうしてそうリンピイの商品に限って捌けが早かったかというと、それは何も彼の小売的商才の致すところではなく、現在あとで僕がこの役目を受持つようになってからも、品物だけは何らの渋滞なくどんどん売れてった事実に徴しても判るとおりに、商品それ自体に、「これに羽が生えて売れなければベイブ・ルースは三振してカロル親王殿下がルウマニアの王位に就く」と言ったふうな、リンピイ一流の狙いと仕掛が潜ませてあったからだ。では、その手品の種は?――となると、これが本筋の「何か袖の奥に」の重要な一部なんだから、手法の教えるところに従い、僕としてはもうすこし取っておかなければならない。
じっさいリンピイは、ついこないだまで、この両方の「しっぷ・ちゃん」を一人で兼ねて来ていたんだが、比較的繊細――何と貴族的に!――な彼の体質と健康がその激労を許可しなかったし、それに、幾分財政的余裕も出来かけたので、誰か「鳩の英語」が話せて自分の片腕になるやつがあったら、はじめの日用品のしっぷ・ちゃんだけそいつに任せて船の探りを入れさせることにしてもいい――ちょうどこう考えてたリンピイの眼前へ、幸運にも僕という「夜の波止場の常習浮浪犯」が現れたのだ。
この、リンピイと僕――ジョウジ・タニイ――との最初の劇的面会はあとの頁に入れるつもりだが、一口には、彼が好機――僕にとって――を提出して、僕が即座にそれを把握したほど、それほど勇敢で利口だったというだけのことだ。じゃ、一たい何だってそんなことが「好機」かと言うと、これなしにはこの話も存在しなかったろうし、第一、僕としちゃあ得がたい冒険を実行したわけで、全くのところ、さんざ歩き廻った末やっと棒にぶつかったDOGのよろこびが僕の感情だった。
さきへ進むまえ、忘れるといけないからちょっとここで断っておきたいのは、リンピイと彼の周囲に、僕が支那人ロン・ウウとして知られていたことだ。これは何も、ことさら僕が国籍を誤魔化したわけではなく、全体、はじめて口を利いたとき、リンピイが頭からお前は支那公だろうと決めてかかって来たので、正誤するのも面倒くさかったし、その要もあるまいと思って黙っていたら、リンピイが勝手にそう信じこんで、同時に僕も、いい気になって出放題な名乗りを上げてしまったのだ。Long Woo ――支那にそんな名があるかどうか。なくたって僕は困らない。要するにリンピイのそそっかしいのが悪いのだ。で、このとおり、支那人なるアイデアは彼が思いついたことで、僕はただ、極力否定するかわりに、無言によってごく受働的にそれを採用したに過ぎないから――。
だからリスボンの波止場では、全的にそう受け入れられていた支那公ロン・ウウの僕だった。一つの社会を下から見るのに、これはかえって好都合だったかも知れない。と同時に、ある集団生活を知るためには、どうしてもいくぶん密偵的なこころもちでそこへ這入り込んで、現実に何かの役割を持たなければ駄目だ。この意味で、リンピイ・リンプと彼の仕事は、僕の上に、じつに歓迎すべきLUCKの微笑だったと言ってよかろう。
YES。港だから、毎日船がはいる。その入港船のどれもへ、間もなく支那人のしっぷちゃんロン・ウウが、商品鞄と無表情な顔を運び上げるようになった。支那人は恐ろしく無口だった。ものを言う必要がなかったのだ。いつも黙って鞄を拡げて、眠そうにハッチの端に腰かけていさえすればあとは品物自身が饒舌して面白いように売れて往った。ほんとに面白いように売れていった。海の住民――それは不具的に男だけだが――また、その男だけのために悦ばれる種々の他愛ない日用品――タオル・しゃぼん・歯みがき・小刀・靴下・その他・それぞれにリンピイの細工がほどこしてある――それから、好運のお守りTALISMANの数かず――すべていずれ後説――そして、このしっぷ・ちゃんの支那人の訪問した船へは、必ずその夜中にリンピイのおんな舟が出張して、これも帰りには海のむこうのお金でふな脚が重かった。
それがつづいて、何ごともなく日が滑って行った。
が、いつまで経っても何事もないんじゃ約束が違う気がするから、そこで物語のテンポのために手っ取り早くもうその「何事」が突発したことにして、ここへ、このりすぼんの水へ、問題の怪異船ガルシア・モレノ号を入港させる。
Mind you,「がるしあ・もれの」は、一見平凡な「海の通行人」よたよた貨物船のひとつだった。
しかし、もしあの時、運命がこの船をリスボンの沖で素通りさせたら?
そうしたら、リンピイはいまだにぽるとがるりすぼん港の満足せるリンピイだったろうし、ことによると僕も、今なお支那公ロン・ウウの嗜眠病的仮人格のままでいたかも知れない。
思えば、十字路的な現出であった―― That ガルシア・モレノ、
なぜって君、一つも売れないのだ。
何がって君、僕の「しっぷ・ちゃん」がさ。だって変じゃないか。あれだけ「羽が生えて」売れてた、そしてほかの船ではやはり立派に売れてる――その売れるわけはあとでわかるが――同じ品物が、このガルシア・モレノ号でだけはうそのようにちっとも売れないのだ。
すこしも売れない。奇体じゃないか。船乗りという船乗りが狂喜して手を出すことを、僕は経験によって知ってる。それだのに君、この船では、誰ひとり手に取って見ようとする者もない。振り向くものもない。船中てんで相手にしないのだ。ここをリンピイの好んで使用する表現で往くと、「がるしあ・もれの」でベイブは始めて三振し、カロルはようようルウマニアの王様になった。というところだが、売れないのは僕のほうばかりじゃなく、リンピイの「商品」なんか何度押しかけて征服しようとしても、その度にみんな綺麗に撃退されて、いつも完全な失敗におわった。お金を費おうとしない船員、女を失望させて帰す水夫や火夫なんて、これはとても信じられないお伽話だ。奇蹟? 不可能。道心堅固! べらぼうな! では何だ! At last 僕とリンピイのまえに投げ出された一大MYSTERY――これを満足にまで解くところに、この物語の使命があるのだ、BAH!
はじめて僕がガルシア・モレノ号を手がけようとして――一つの暗転。
SHIP・AHOY!
血だらけな晩め! God damn it!
船尾の綱板梯子に揺られてる僕の眼は、すぐ鼻っ先の大きな羅馬字を綴ってた。この船にはアマゾンのにおいがする。船名、がるしあ・もれの号。船籍、ブエノス・アイレスと白ぺいんとが赤錆で消えかかって、足の下の吃水線には、南あめりかからくっ附いて来た紫の海草が星と一しょに動いていた。
火夫の油服に、真黒なタオルで頭を結んだ僕だ。この、紙に革を張ったすうつけいすは「しっぷ・ちゃん」の商品を満腹して黒人の頭蓋のように重かった。片手にその鞄――手が切れそうに痛い――をぶら下げて、ほかの手で縄梯子を掴んで攀じ登るのだから、ビスケイ湾の貨物船みたいに身体が傾いて、ジャコップが足に絡んで、それを蹴ほどいて一歩々々踏み上るのが骨だった。梯子と僕と鞄が、すっかり仲よく船尾の凹みへへばりついて、ぜんたい斜めに宙乗りしていた。陸から漕いで来た僕のはしけは梯子の下に結び着けてある。それがテイジョ河口の三角波に擽られて忍び笑いしていた。
――God damn!
LO! 国際的涜神語がまた僕の嘴を歪めた。なぜって君、夜の港は一めんのインク――青・黒―― だろう。そこにぴちぴち跳ねてるのは鰯の散歩隊だろう。闇黒のなかの雪みたいに大きく群れてるのは恋の鴎たちだろう。むこうにちかちかするのは、羅馬七丘に擬えて七つの高台に建ってるリスボンの灯だろう。しっぷ・あほうい! と波止場のほうから声がするのは、きっとまた、急に責任と威厳を感じ出したどこかの酔っぱらい船長が女から船へ帰ろうとして艀舟を呼んでるのだろう。
Ship Ahoy! ――そして僕はいま、うす汚ない商品鞄をさげてこのガルシア・モレノ号へ這いあがるべく努力してる最中だ。何て「血だらけ」な! O! でいむ!
さっきから言うとおり、りすぼん港だった。葡萄牙の首府 LISBON ――土地の人は、何かしら異を立てなければ気の済まない、土地の人らしい一見識をもってLISBOAと書いて「リスボア」と読んでる―― anyhow, ふるい水に沿った古い開港場に、喚く人間と恐るべき言語と、日光と雨と売春と、疾病と夕陽の壁と水夫の唾と海の道徳とがごっちゃになって歴史的市場をひらいていた。そこへ、今日の夕方、この The Garcia Moreno が大西洋を撫でて入港して来たのだ。植民地の男が植民地の物産と何十日も同居して――だから、こうして植民地の船がはいると、港いっぱいに植民地的臭気が充満して、女達は昨夜の顔へまた紅をなすり、家々の窓へさわやかな異国の風が吹き込み、猶太人の両替屋に不思議な貨幣があふれ、船員の棄てた灰色猫を船員が拾ったり、三年前の海岸通りの赤ボイラのかげの女が、まだその同じ赤ボイラの陰に白く蹲踞んで待っていたりして、あはあ! いろいろな笑いごとに何と古めかしく派手な LISBOA !
この週期的活気・海と陸との呼応・みなとのざわめきによって早くからきょうガルシア・モレノの入船を感づいた僕は、仲間のリンピイから預ったしっぷ・ちゃん鞄をすっかり用意して、それでも、マストの先の青い星がともるまでぼんやり待っていた。それは、かねての契約どおりに、僕がひとりでリンピイの鞄を下げてその新入港の船へ乗りこみ、甲板に品物を拡げて、当番の乗組員相手に商売する。リンピイはリンピイで例のほかの種類の商品を積んで、僕が呼ぶと、あとから船へ上ってこようというのだ。そこで僕は、リンピイの鞄と暗黒と一しょにがるしあ・もれの号へ漕ぎ寄せてみると、長い大西洋を済ました船員達は、上陸番なんか無視して誰もかれも「七つの丘の灯」へ逃げてったあととみえて、船尾の綱梯子が公然の秘密のようにこんなにぶらぶらしていた。ボウテをつないで、僕と鞄がそのじゃこぷを上り出したのだ。がっでいむ!
はろう! せいの高い船だ。昇っても昇っても上へ届かないから、僕は、出張船商人としての僕の到来を宣言して、now, 潮風にひとつ唄った。誰か聞きつけて出て来るだろう。
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