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踊る地平線(おどるちへいせん)09Mrs.7 and Mr.23

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-27 7:01:08  点击:  切换到繁體中文


     2

 火曜日。モンテ・カアロ。Hotel de Paris の新着客。

エドマンド・モラン卿及びレディ・モラン。コンノウト殿下。ロイド・ジョウジ氏夫妻及びメガン・ロイド・ジョウジ嬢。フランシス・スワン夫人。ナックス・タウンセンド大佐。アンドレ・デニュウ氏夫妻。ヴィクトル・アリ氏。ジョウジ・タニイ氏夫妻。ジャルデノ・バルベニ氏夫妻。オルツィ男爵夫人。パデレウスキイ氏。以下略。

 私達が Monte Carlo へ着いた翌日あくるひ、水曜日の巴里パリー英字新聞だいり・まいる紙大陸版「リヴイラで何が起ってるか・起ってないか」欄の人事往来にこう出ていた。
 モラン卿は、物ごころついて以来理事長をしてきたマンチェスタア紡績同業組合に最近役員の改選があって、その結果、卿のいわゆる「仕方のない鬚だらけの無礼な急進派」のために居心地のいい椅子を追われた精神的負傷を家庭医師の忠告によってなおすために、そしてレディ・モランは、この機会にここから各方面の政友へ遊覧保証絵葉書を投函するために、モンテへ来たのだった。コンノウト殿下は病帝陛下がバグナア海岸へ御転地になったので、ようようキャプフェラの別荘へ出かけることが出来るのだった。その途中モンテ・カアロにとまって、カフェ・ドュ・パリの前で私の妻のレンズをじろりと白眼にらんでそれでも彼女がすなっぷするまで周囲の人々との会話を中止していられた。ロイド・ジョウジの一家族は土曜日のキャンヌのレディ・ブウトの晩餐会を振り出しに、舞踏と招待とリセプションとが十五分おきに全旅程を埋めつくしていた。ひそかにコンミュニズムを信奉する一青年記者が、部屋つきの給仕に化けてその貸切室へ出入し、十五分ごとに彼らの言動のすべてを倫敦ロンドン本社へ直通電話していた。しかし新聞には彼の言わないことばかり出るといって、召使用昇降機エレベーターのなかで非常に悄気しょげている記者を私は見たことがある。君も早く感想兼自叙伝の印税で家内じゅうで特別旅行をするがいいと私は彼を慰藉いしゃしておいた。が、このぶるじょあ的諧謔かいぎゃくは彼には通じないようだった。そしてロイド・ジョウジは依然としていつ万年筆と記念芳名録を突きつけられて署名を求められても困らないように右の手だけ手袋をせずにオテル・パリの廊下で杖をついて、それからあの有名な眼尻のしわと同伴でしじゅう外出していた。自動車の踏板へ片足をかけたところで「どうぞプリイズ!」と呼びかける写真班へは、彼は常に選挙民のために貯蔵してある微笑の幾らかを許した。この姿態ポウズが一ばん漫遊中の国民政治家らしくて彼の好みに適合したからだ。そのあいだ令嬢のメガンはウィイン法学雑誌の「羅馬ローマ私法における売買契約の責任範囲とその近代法理思想に及ぼせる必然的投影の価値・並びに以上の歴史的考察」の論文を大ジャズバンド演奏中のTEAルウムの椰子やしの鉢植えのかげで読みながら、誰かが話しかけるごとに、勿論すぐその運動帽子のようにまるい顔を上げて父のために笑った。しかし小指はウィイン法学雑誌のよみかけの頁へ挟まれているのを私は見落さなかった。そして相手がもし新しい招待を持ち込んで来たのだったら、彼女は早速胸の開きから小型記憶帳を取り出して日と時間と場処だけを書きつけていた。招待者の名前は決して書かなかった。たとえそれが未知の人であろうとも、彼女は名を訊こうとしないのである。大戦によって社交の習慣もこう変ったのであろうと私は思った。
 フランシス・スワン夫人は彼女がホテルの日光浴外廊のアペレテフの上で私と私の妻に告白したとおりに、セルビヤの将軍の娘だった。そこで私はその白鳥スワンという姓があんぐれかえたゆに系統のものであることを指摘して、夫人に満足な説明を求めたのだった。それに対して彼女は、二つの角砂糖のあいだへ食卓の花挿はなさしから薔薇ばらの花びらを一枚採って挟みながら、言いはじめたのである。『ムシュウ・エ・ダム。私はオデッサの大学を出ると直ぐ第三国際の宣伝員として黒海に沿うすべての都会の裏街で売春婦たちと一しょに人参にんじんと洗濯石鹸しゃぼんを食べて生活しました。彼女らに彼女らの社会の採用した新しい政治様式の哲理を根本的に知らせるためだったのです。が、間もなく私はその無駄なことに気がついたのでした。なぜって、彼女らはみんなコルセットに手製のポケットを縫いつけて、そこへ醜業でた三ルーブル七十カペイカと一緒に、兵隊達が旧家の客間から盗み出した聖像を押し込んでいるんですもの。経済と宗教を同居させるなんて、前者にとって何という冒涜でしょう! おまけに彼女らは、得態えたいの知れない蛮語しか話さない頸の黄色い一羽の鸚鵡おうむを貰うためには、最上等の無煙炭みたいに紫いろの熱気を吐くコンゴウ生れの火夫とでもその船の碇泊中同棲することを辞しないのです。そのうえ、毎朝早く市場へ人参と夜来の露と黒土のにおいを運んでくる近郊の農夫達へ、彼女らは窓から新聞に火をつけて振るのです。夜明けの闇黒あんこくは一そう暗いものですから、こうする必要があるのですけれど、彼女らは「赤い警鐘」紙も「労働と自由」新聞も火をつけて窓から振るために存在するのだと思ってるのです。そうするとそれを見ておいて、市場の帰りに百姓たちが彼女らの部屋を訪問します。そして彼らの馬鹿力の愛撫によって彼女たちの午後いっぱいの眠りがはじまるのです。歴史的にブルジョアのものと定義されている怠惰・信心・不潔と安逸への強い執着以外、そこには何もないのです。この女達は無産者のなかでの貴婦人であると私は結論しました。同時に私は、黒海地方特産の美容用れもんをしこたま鞄へ詰めて巴里パリーへ出ました。』
 ここでフランシス・スワン夫人は玩具おもちゃにしていた角砂糖と薔薇のサンドウィッチを口へ入れようとした。私が心配して注意した。
『小枝を切って絵具の溶液へ差しておくと、花がそれを吸い上げて自働的に着色されます。ニイスあたりでは、そういう薔薇をトルキスタンの花崗岩かこうがん帯で発見された珍らしい変種と称して町かどで売っています。おもに謝肉祭の花合戦に恋人同志が投げ合うのですが、首と手足の太い英吉利イギリス女なんかがそのまま故国くに従柿妹いとこへ郵送出来るように、一、二輪ずつ金粉煙草ゴウルド・フレイクスの空缶へはいって荷札までついていて、値段は五十フランです。なかには、物をめる習癖のある赤ん坊はこれで自殺出来るほど、着色液の性によっては有毒なのがあります。その一種かも知れませんから、お砂糖に挟んで食べるのは中止なすったほうがいいでしょう。』
 これが私の妻を噴き出させた。彼女はH・Pとロココ風に略字モノグラムのつながった銀のさじで私の手の甲の静脈を叩きながら、古代ヘブライ語で私をたしなめたのである。
『何を言ってらっしゃるの? 造花じゃありませんか、これ。』
 そして、自分でその花片の一つを※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしってむしゃむしゃ食べてしまった。もちろんこの時は既に薔薇のサンドウィッチはフランシス・スワン夫人の胃の腑のなかにあった。たとえそれが星のかけらであっても、食卓に出ている以上、この女達は※(「魚+是」、第4水準2-93-60)薬味汁アンチョビ・ソウスをつけてフォウクに刺して舌へ載せたことであろうと私は推測した。
 消化された薔薇がそのまま声になってフランシス・スワンの口を出はじめる。
巴里パリーへ行ったのはオウトバイ競争の選手になるためでした。そこで私は遠乗とおのり協会の会員章の色ネクタイで髪を結んで、フランチェスコ派の苦行僧のように跣足はだし皮草鞋サンダルをはいて三十六時間もぶっ続けにペダルを踏んだものです。が、それは私に一つの婚約を持って来るよりほか何の役にも立ちませんでした。男はバルセロナ出身の立体派画家で闘牛の心得もあったようです。「霧の中を往く馬車」というのと「虹の夢」という二つのカクテルを混ぜるのが彼の独特の技能でした。そして彼は、私の銀箔ぎんぱくの訪問服へサンエミリオンの葡萄酒でその頃理論的に評判のよかったサンジカリズムの絵を描いてくれました。鉄鎚てっついは鉄鎚で集まり、車輪は車輪であつまり、あちこちに調べ革と木靴の模様が散らばっていて、ちょうどお尻のところに聖書が一冊描いてありました。だからそれを着てグラン・ブルヴァウルを歩くことはどんなに私を楽しませたでしょう! キャフェ・ドュ・ラ・ペエ! あすこらの椅子に腰かけると、私はたちまち聖書をお尻に敷いてるのです! 彼はまた手の平に隠れる豆ヴァイオリンを持っていて、夜はそれでTOSCAの愁嘆を弾いて私の涙を誘うのでした。そうして彼は私をれて亜米利加アメリカへ渡りました。あめりかでは、私たちは私たちの智的さを秘密にして帰化することに成功しました。スワンという名はこうして出来上ったのです。彼は、忙しがって衝突して首の附け根を折るウォウル街の株屋や、地下鉄で自ら進んで「春の鶏スプリング・チキン」に足を踏まれたがる「神呪された胡桃くるみ」の多いのを目的めあてに、紐育ニューヨークで接骨医を開業しました。が、まずその電気広告費を稼ぐために、彼は毎日違法倶楽部の酒台の向側でカクテルびんを振らなければならなかったのです。彼が急死したのは、この選挙演説のように激しい振子運動がふだんからあんまり丈夫でなかった彼の心臓へ致命的に影響したのだと、倶楽部の医者がくわえ葉巻で走り書きした死亡診断書にありました。あとの私のことは多分あなた方のほうが詳しいくらいでしょう。』
 私はあわててこういう言葉を挿入する必要を感じた。
『言うまでもなく、近代の新聞はすこし五月蠅うるさくなりかけています。あなたなども随分個人的に立ち入った報道をされて御迷惑なすったことでしょう。』
 夫人は指を鳴らして、この私のお世辞に対する喜ばしき受領証の笑いに換えた。
『事実は私は女秘書聯盟の書記になって午飯ランチの休憩時間を一時間増すための全国的運動を起してそのかげに隠れて加奈陀カナダ総同盟の最左翼と結託しようか、それともハリウッドへ行って映画女優になろうかとずいぶん考えたのです。で、結局、ハリウッドへ出かけてメトロ・ゴウルドウィンの配役監督に面会したのですが、海水着に日傘をさして腰で調子を取って歩く試験にも、出来るだけ情熱的に接吻する試験――相手はその監督でした――にも、階段をころがり落ちる試験にもすっかり及第したのですけれど、最後の乗馬試験ではねられてしまいました。私にはどんなに好意ある男をさえも恐怖させるところがあるのです。そのために女優になることは断念しなければなりませんでしたが、あなたが私の名を新聞で御覧になったとすれば、それは映画事業に関聯してではなく、遺産相続という恥ずべき、けれど甘い法律手続の客体としてではなかったでしょうか。全く現在の私は、先月亡くなった父将軍の預金通帳によってこうしているのですからね。つまり良人おっとと父と、私はいま二重の喪に服していて重いのです。しかし私は正規の喪服を着ることはどこまでも拒絶します。黒は私に似合ったことありませんもの。』
 そしてその申訳のように、彼女は父の分と良人のぶんと二インチ四方ほどの黒の絹はんけちを二枚、靴下のもものところからつまみ出して、別々のハンケチで左右の眼から桃色のろうのしたたりのような涙を拭くのである。私はそのハンケチが西班牙スペイン旧教葬の寝棺にかける黒レイスの切れはしであることを認めて、その通り彼女に告げた。
 彼女は父の方のはんけちで鼻をかんでから私の妻に言った。
『奥さま。お茶へは何をお入れになります? 檸檬レモンよりも「彼の主人の声ヒズ・マスタアス・ヴォイス」の蓄音機レコードのほうが宜しう御座いますわ。お茶のなかへあれをすこし爪鑢つめやすりで削り落していただきますと、どんなにスチイムの利いてる応接間サロンで何時間他所行よそゆきの言葉を使っていても、決して小鼻の横に脂肪の浮くということはございません。さ、庭園ジャルダンに出て馬車屋の挨拶と夕陽の色を吸いましょうね。おお・※(濁点付き平仮名う、1-4-84)・おあある、ムシュウ!』
 そして立ちがけに、通りかかった給仕を指先で押さえてフランシス・スワン夫人がささやいたのだ。
『ピイタア、この紳士にあの「あたしの記憶のために」のカクテルを一つ混ぜて上げて頂戴。』

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