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踊る地平線(おどるちへいせん)09Mrs.7 and Mr.23

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-27 7:01:08  点击:  切换到繁體中文


     6

 五時間後。
 深夜の Le Caf※(アキュートアクセント付きE小文字) de Paris, Monte Carlo.
 そこは音楽よりも会話を愛する人々のために出来るだけ交響団から離れた、光りと影の多い「一部落」だった。そこでは酒杯グラスと煙草と煙草の灰と、写真現像液で手の赤い独逸ドイツ人、フロウレンスの歯科医、ウィインの毛皮商、グラスゴウのニュウス・ビイ紙特派員、フランシス・スワン夫人、ヴィクトル・アリ氏、それから私と私の妻とが、みんな一時にしゃべり出そうとしてはぶつかり合って、急にみんな控えて黙って、すると暫らく誰も何も言わないものだから今度はみんなで大笑いをしていた。そんなことばかり繰り返していた。それぞれ国際的に面白い顔をしているというような理由から、一しょにキャジノを出ると直ぐいつからともなくこれだけの人が集まったのだった。私たちはソルボンヌ附近の下宿の大学生のように快活と卓子テーブルと経済を持ち寄って誰の壜からでも飲んでいいことに決議した。が、給仕人の注意を捉えて、何か証文するのは多くウィインの毛皮商だった。彼は今夜好運の女神が自分のうえに微笑ほほえんだから、その祭典を挙げるのだと説明した。しかし、そうでなくても彼はしじゅう祭典をあげているらしかった。彼の鼻は隣りの食卓の酒までぎ分けたし、手は秋の夕方の電線のようにふるえていた。フロウレンスの歯科医は自分に話しかけられた場合にだけは決して答えなかった。そして彼は誰のとも知れない一本の脱毛に興味の全部を集中していた。彼はそれを卓子テーブル琺瑯ほうろう板の上に押さえて、ペン・ナイフで端から細かく刻む仕事に没頭していた。彼はまたタキシイドの胸のポケットへ革命的な襟飾えりかざりを押し込んで、それを素晴らしい変り色の絹ハンケチであるかのごとく見せる術にも成功していた。じっさい、もし一度彼がそのネクタイであることを忘れて、ぽけっとから引き出して口の周囲を拭きさえしなかったら、私たちはみんないつまでもそれをハンケチであると信じ込んでいたろう。
 報知蜂ニュウス・ビイ紙の特派員は水蜜桃のような少年だった。彼は手の平に金いろの細毛を生やしていた。そして去年の暮れマドリッドの古い劇場が焼けたとき、そこに居あわせたと言ってしきりにその時のことを話した。
『火よりも煙りが恐ろしいのです。それはまるで古帽子からくすぶる反動思想のように――。』
 しかし彼の聴手はフランシス・スワン夫人だけだった。夫人は仮装舞踏会に出る士官学校生徒のような、身体からだの輪廓に喰い込んだ水色の男装をしていた。それはあの護謨ごむ糸で自動的に中箱の引っ込む仕掛けの、ミラノ製の Italianissima 燐寸マッチのような、非常に役立つ、寸分のすきもない効果だった。夫人によれば、近代社会の大きな間違いは、男女の性別を不可侵の事実として、これにだけは手をつけようとしないところにあった。なぜか? われわれは生理学を矯正して優生学を案出したではないか。そのほか大学の講座はあらゆる反逆の科学で重いのだ。研究室の窓からは既に手のつけられないほど増長してしまった人造人間が二十三世紀の言語で通行の女にからかっている! うんぬん・うんぬん・うんぬん。
 ヴィクトル・アリ氏は鳩撃ち大会が済むまでは禁酒していると言ってグラスを無視した。そして必ず一度灯にすかして見てから水を飲んでいた。
 キャフェは博奕場のこぼれで溢れていた。私達の隣のテエブルには、地図で見ると上の端のほうに当る国から来たらしい二人の青年が、皮肉な眼をして「金髪ブロンド」を飲んでいた。スウプのなかへ麺麭パン千切ちぎって浮かすことの好きなミドルエセックス州の代言人ソリシタアや、絶えず来年度の鉄道延長線の計画を確かな筋から聞き込んだと吹聴しているプラハの土地利権屋や、コルセットの留金とめがねが引き釣ってきっと靴下の上部に筋切れがしてるに相違ない巴里パリー下りのマドモアゼル――でみ・もんでん――や、南仏蘭西フランスの汽車中に英語の掲示がある・ないで今大議論を戦わしている亜米利加アメリカの老嬢たちや、こういう夜と昼をはき違えた群集がめいめい他人の言葉を押し返してそれに勝つ必要上ほとんど絶叫に近い大声を出しあっていた。そこにはまた交通巡査のように冷静な猶太ユダヤ人の給仕長があった。通路に屯営とんえいして卓子テーブルくのを狙っている伊太利イタリー人の家族れがあった。そのなかの娘は待ってる時間を利用して立ちながら絵葉書を書いていた。銀盆に電報を載せたボウイが「いつものテエブルにいるいつものムッシュウ」のところへ走っていた。伊太利イタリー人の娘と衝突して両方が笑った。ここから一つの恋が噴出すべきはずだと私は観察した。這入って来る人ばかりで誰も出て行く人はなかった。ちょうど今日から明日になろうとしていることを私は歯科医の腕時計で読んだ。
 そして独逸ドイツ人に言った。
『僕はオテル・エルミタアジュのあなたの部屋の番号を知っています。三十六号でしょう? 自分は妻と別々の部屋を取る習慣だなどとは仰言おっしゃらないでしょうね。』
 ところが彼の驚愕が私を驚愕させたのである。しかも彼のは覚えのない罪を責められる人が不思議そうに示す種類の驚愕だった。
『妻ですって? あなたは人違いをしている。悲しいことだ。私は結婚するほど旧式でもないし、オテル・エルミタアジュはちょっと外部から見たことがあるだけです。』
 私はじぶんが単なる即席の思いつきでこの個人的な会話を切り出したのではないという立場を守護するために、すこしばかり顔を赤くして粘着パアシストした。
『あなたに関する僕の知識はそれだけではないのです。僕はあなたがコロンの製鋲せいびょう会社の社長であることも、亜米利加アメリカから妻楊子つまようじを輸入した本人であることも、そしてそのために何艘の英吉利イギリス貨物船を傭船チャアタアしなければならなかったか――すっかり知っているつもりです。』
『じつに恐るべき独断だ!』
 独逸ドイツ人は卓子テーブルを叩いて酒杯グラスにシミイを踊らせた。
『私は単なる正直な映画技師です。』
 私は黙った。これ以上主張をつづけることはこの肥大漢と私とのあいだの決闘に終りそうだったから。しかし、それにもかかわらず私は、自分のほうが正しいことを確信していた。なぜなら、現に今夜の若い時間に、彼の妻のいが栗頭の波斯ペルシャ猫がわざわざ私に指示してこの男が良人おっとであると証言したではないか。
 ヴィクトル・アリ氏の大笑いが一同の注意を要求した。
『解ってる、わかっている!』
 彼は眼と眼の中間で両手を泳がせていた。それは明かに可笑おかしさのあまり駈け出して来ようとするなみだ睫毛まつげの境いで追い返すための努力を示していた。ばらばらの言葉でアリ氏は唱え出したのである。
『――あの人はハンブルグの荷上にあげ人夫ではないのです――あの人は毎朝熱湯の風呂へ這入って自分の身体と一しょにで上った玉子をそのお湯のなかで食べるのです――それから、あの人のそばへ寄るとリンボルグ、じゃなかった、ラックフォルト乾酪チイズのにおいがする、と言いましたね。それから、それから――あの人の足の小指は赤い蘇国毛糸の靴下のなかで下へ曲っている――こうでしたね?』
『それはどういうお話しでしょう!』
 フランシス・スワン夫人が将校のようにずぼんのポケットへ手を入れて訊いた。

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