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弘法大師の文芸(こうぼうだいしのぶんげい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-13 16:20:58  点击:  切换到繁體中文


 それでは私にどう云ふ間違があるか、と云ふと、私が本を粗末に讀んだ御詫を致しますのでありますが、段々支那には王羲之など昔の書の旨い人から書の規則に就いて議論があります。さう云ふものを一通り見るに、書史會要などと云ふ本がありまして、書家の有名な人の傳記もあり、又書家の筆法のことも書いてありますが、それに韓方明の授筆要説が載つて居ります。凡そ書家が申します筆法には術語がありまして、例へば永字八法とか云つて、點を打つ所を側とか、撥ねる所を啄とか、上げる所を勒とか云ふ、それ/″\術語があります。其の術語は誰れでも一定して居るのではありませぬ。王羲之の術語は王羲之の術語、歐陽詢の術語は歐陽詢の術語、顏眞卿の術語は顏眞卿の術語と云ふやうに、各々違つた術語を以て説明して居ります。どう云ふ人がどう云ふ事を言つたかと云ふこと、他の人のどれに當るかと云ふことを調べるのは、骨の折れることでありますが、兎に角各々勝手な語を用ひて居ります。所が支那では韓方明の用ひました術語と能く合ふのがもう一つあります。それは南唐の李後主と云ふ人で、五代の末に今の南京に國を建てゝ居つた人がありました。其の人は書の上手な人でありましたが、其の筆法の術語が韓方明の術語に似て居る。韓方明の術語は四字しかありませぬ。李後主の術語は七字あります。兎に角類似した語を使つて居ります。即ち韓方明の術語は、一は『鉤』と云ふ字を使つて居る。それから『※[#「てへん+厭」、85-17]』と云ふ、『訐』と云ふ字、それから『送』の字を使つて居る。南唐の李後主は撥鐙法と云ふものを用ひる。撥鐙法と云ふのは燈心を掻立てる手つきを謂ふのだと云ふ説もあり、又鐙を蹈張る姿勢を謂ふのだと云ふ説もあり、隨分面倒なことでありますが、かういふ事は眞言宗の大學の教授をして居られる畠山八洲先生などがよく御承知でありますが、やかましい議論のある者であるが、要するに此の撥鐙法を七字で説明して居ります。其の中に※[#「てへん+厭」、86-3]の字もあり鉤の字もあり送の字もありますが、訐の字だけありませぬ。所で此の訐の字を筆法の術語として使つて居る人が其の外にあるかと云ふと、一人もありませぬ。所が妙なことには弘法大師だけが使つて居られるから不思議です。弘法大師の書訣、即ち執筆法使筆法と云ふ者の中に、斯う云ふことがあります。※[#「乙」の白抜き、86-6]斯う云ふものを書く時に、頭指で句し、大指で助けて末は停めて訐すとある。又※[#「弋」の第二画の白抜き、86-6]を書く時に大指、頭指(母指、人差指)の二つを掛けて、力のかぎり、引つ張つて勢を十分にして、留めて、而して後訐す。訐すと云ふのは詰り之を彈く。さうして機發の状の如くす。詰り機と云ふのは弩の機の外れる状のことであります。その外れるやうな勢ひでパツと撥ねるのだと云ふことを説明する所に『訐』の字を使つて居る。支那で書法をいろ/\説明した中には、この訐字を使つたのが、韓方明一人である。李後主はそれに代ふるに『掲』の字を使つて居る。即ち掲の字は同じ意味だからと云ふので使つて居る。けれども『訐』の字を書いたのは支那には韓方明の外ありませぬ。所が大師は同じ字を使つて居る。さうして見ると今日の所では『訐』の字一字で證明するのでありますが、大師の筆法は韓方明の筆法を受け繼がれたのであると云ふことは、是れで證據立てることが出來ます。それから單苞とか雙苞とか云ふことは、重んじないことはないのですが、蘇東坡のやうな普通の人の使はない筆法で、隨分立派な字を書くのでありますから、其の人の考へ次第で、いろ/\なやり方をしたもので、大師の方では執筆法使筆法と云つて持ち方使ひ方と云うて、韓方明から傳へられたのは、筆を使ふ法に遺つて居ると思ふのであります。それから今申しました※[#「てへん+厭」、86-17]、鉤、送と云ふ三つの韓方明が使つた術語を大師が使つて居られるか、又は『訐』の字だけを使つて居つて、其の外のものを使つて居られぬでは疑ひを存せねばならぬのでありますが、それはどうかと云ふと、皆明かに此等の術語を使つて居られます。『※[#「てへん+厭」、87-1]』の字は眞先に使筆法の一箇條に使つて居る。それから『鉤』の字は今申しました『訐』の字を使つてある前の箇條に使つて居る。さう云ふやうな譯であつて『送』と云ふ字は其代りになるやうな字を使つてある。『送』と云ふ字を明かに使つては居らぬが、兎に角韓方明の使つた四つの術語の中三つまでは明かに使つて居りますから、もう一つだけを使はないにしても、韓方明の法を大師が受けて居られると云ふことは、明かに分るのであります。斯う云ふ譯で、大師は韓方明の筆法を受繼がれて來たと云ふことは明かで、古來の傳説は貴いものであつて、私が本を能く讀まぬで彼是れ言つたのは分に過ぎたことで、申譯がないと思ひます。それであの『空海』と云ふ本を再版でもするならば、あの箇條を抹殺して、今日申上げたやうに書き直す積りであります。さう云ふ點は私の從來の研究の誤りでありますから、今日此の機會に其の事を發表いたして置きます。
 この書法の事に就いては隨分研究された方があります。近頃では東京の『書苑』と云ふ雜誌に『入木道に於ける大師』と云ふ題で、友人の黒板博士がいろ/\載せて居ります。是は私の贊成する所もあり、贊成されぬ所もあります。併し書のことは筆もなしに空に私が御話をした所で、十分に分るものではありませぬから、是は今日唯だ韓方明と云ふ人の筆法を傳へられたと云ふ古來の傳説が確かであると云ふことだけを申上げて、其の他の書法に關することは、茲に申上げぬ積りであります。隨分宗内の御方でも斯う云ふ事に注意をされる方があると見えまして、蓮生觀善さんは高祖の書道について研究になつて居ります。私が遠慮なく申すと、贊成を致す所と贊成を致さぬ所とあります。それは此處で申上げることは御預かりと致します。それから殊に面白いのは、この長谷寶秀さんの『高祖の遺墨』と申しますもので、是は大師が書かれまして今日まで遺つて居る者の中で、どれだけが確かで、どれだけが不確かだと云ふ批評を載せてあります。是等は餘程宗内の御方の研究としては、えらいことであると思ひます。宗内の御方と云ふものは、隨分其の宗内で寶物とせられてあるものなどに對しては、十分に自由の研究と云ふものは出來にくいものでありますのに、此の長谷さんの研究は遠慮なく批評をされてあります。さうして其の批評は殆ど一々適中して居ると謂つても宜からうと思ふ次第で、是は僅かの短篇ではありますけれども、私は餘程此の研究には敬服いたして居ります。今は仁和寺に御所藏になつて居る『三十帖策子』と云ふ有名なものに就いても、黒板博士が意見を書いて居りますが、實はあの書の研究の始まつたのは、私と黒板君とが同時に仁和寺で拜見した時に、どれだけが大師の眞蹟であり、どれだけが外の人の書いたものであると云ふことを、假りに定めて見たのであります。黒板君の意見には、古くから策子の中に、橘逸勢の書いたものがあると傳へられて居るので、どれだけがそれであると云ふことを書いて居られる。それで黒板博士が逸勢の書いたものと極められたのは、私は矢張り大師の書であると見たのであります。かういふ風に一致しない所があるであらうと思ひます。是は實際のものに就いて當つて見ると面白い研究であつて、黒板君が書苑に書かれました議論に就いて、私は何時か自分の意見を發表する時機があると思ひますが、單に此處で愚見を申上げた所が餘り面白味のないものでありますから、さう云ふ事は他日私がさう云ふ事を申します機會がありました時に、御覽を願ひたいと思ひます。
 今日は前申上げた通り極めて一部分の事を申上げたに過ぎぬので、定めて御退屈のことであつたと思ひます。併し前にも申上げる通り、既に弘法大師に對する總論では、谷本博士の講演以來、段々研究が出來て居るのでありまして、私共の申上げるのはさう云ふ一部分の事しかありませぬから、已むを得ず斯樣な事を申上げた次第であります。御暑いにも拘はらず長い時間御辛抱なすつて御聽き下さつたことを感謝いたします。

(明治四十五年六月十五日弘法大師降誕會講演)





底本:「内藤湖南全集 第九卷」筑摩書房
   1969(昭和44)年4月10日発行
   1976(昭和51)年10月10日第3刷
底本の親本:「増訂日本文化史研究」弘文堂
   1930(昭和5)年11月発行
初出:弘法大師降誕会講演
   1912(明治45)年6月15日
入力:はまなかひとし
校正:菅野朋子
2001年10月17日公開
2006年1月16日修正
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●表記について
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  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
  • この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。

    「てへん+厭」    85-17、86-3、86-17、87-1
    「乙」の白抜き    86-6
    「弋」の第二画の白抜き    86-6

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