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悟浄出世(ごじょうしゅっせ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-17 11:29:57  点击:  切换到繁體中文



       四

 流沙河と墨水と赤水との落合う所を目指して、悟浄ごじょうは北へ旅をした。夜は葦間あしま仮寝かりねの夢を結び、朝になれば、また、はて知らぬ水底の砂原を北へ向かって歩み続けた。楽しげに銀鱗ぎんりんひるがえす魚族いろくずどもを見ては、何故なにゆえに我一人かくは心たのしまぬぞと思いびつつ、かれは毎日歩いた。途中でも、目ぼしい道人どうじん修験者しゅげんしゃの類は、あまさずその門をたたくことにしていた。

 貪食どんしょくと強力とをもって聞こえる※(「虫+糾のつくり」、第4水準2-87-27)髯鮎子きゅうぜんねんしを訪ねたとき、色あくまで黒く、たくましげな、このなまず妖怪ばけものは、長髯ちょうぜんをしごきながら「遠きおもんばかりのみすれば、必ず近きうれいあり。達人たつじんは大観せぬものじゃ。」と教えた。「たとえばこの魚じゃ。」と、鮎子ねんしは眼前を泳ぎ過ぎる一尾のこいつかみ取ったかと思うと、それをムシャムシャかじりながら、説くのである。「この魚だが、この魚が、なぜ、わしの眼の前を通り、しかして、わしとならねばならぬ因縁いんねんをもっているか、をつくづくと考えてみることは、いかにも仙哲せんてつにふさわしき振舞いじゃが、鯉を捕える前に、そんなことをくどくどと考えておった日には、獲物は逃げて行くばっかりじゃ。まずすばやく鯉を捕え、これにむしゃぶりついてから、それを考えても遅うはない。鯉は何故なにゆえに鯉なりや、鯉とふなとの相異についての形而上けいじじょう学的考察、等々の、ばかばかしく高尚こうしょうな問題にひっかかって、いつも鯉を捕えそこなう男じゃろう、おまえは。おまえの物憂ものうげなの光が、それをはっきり告げとるぞ。どうじゃ。」確かにそれに違いないと、悟浄は頭を垂れた。妖怪はそのときすでに鯉を平げてしまい、なお貪婪どんらんそうな眼つきを悟浄のうなだれた頸筋くびすじそそいでおったが、急に、その眼が光り、咽喉のどがゴクリと鳴った。ふと首を上げた悟浄は、咄嗟とっさに、危険なものを感じて身を引いた。妖怪の刃のような鋭いつめが、恐ろしい速さで悟浄の咽喉をかすめた。最初の一撃にしくじった妖怪の怒りに燃えた貪食どんしょく的な顔が大きく迫ってきた。悟浄は強く水をって、泥煙を立てるとともに、愴惶そうこうと洞穴を逃れ出た。苛刻かこくな現実精神をかの獰猛どうもうな妖怪から、身をもって学んだわけだ、と、悟浄はふるえながら考えた。

 隣人愛の教説者として有名な無腸公子むちょうこうし講筵こうえんに列したときは、説教半ばにしてこの聖僧が突然えに駆られて、自分の実の子(もっとも彼はかに妖精ようせいゆえ、一度に無数の子供を卵からかえすのだが)を二、三人、むしゃむしゃべてしまったのを見て、仰天ぎょうてんした。
 慈悲忍辱じひにんにくを説く聖者が、今、衆人環視の中で自分の子を捕えて食った。そして、食い終わってから、その事実をも忘れたるがごとくに、ふたたび慈悲の説を述べはじめた。忘れたのではなくて、先刻の飢えをたすための行為は、てんで彼の意識に上っていなかったに相違ない。ここにこそおれの学ぶべきところがあるのかもしれないぞ、と、悟浄ごじょうへん理窟りくつをつけて考えた。俺の生活のどこに、ああした本能的な没我的な瞬間があるか。かれは、とうとおしえを得たと思い、ひざまずいて拝んだ。いや、こんなふうにして、いちいち概念的な解釈をつけてみなければ気の済まないところに、俺の弱点があるのだ、と、渠は、もう一度思い直した。教訓を、罐詰かんづめにしないでなまのままに身につけること、そうだ、そうだ、と悟浄は今一遍、はいをしてから、うやうやしく立去った。

 蒲衣子ほいし庵室あんしつは、変わった道場である。わずか四、五人しか弟子はいないが、彼らはいずれも師の歩みになろうて、自然の秘鑰ひやくを探究する者どもであった。探求者というより、陶酔者と言ったほうがいいかもしれない。彼らの勤めるのは、ただ、自然をて、しみじみとその美しい調和の中に透過することである。
「まず感じることです。感覚を、最も美しく賢く洗煉せんれんすることです。自然美の直接の感受から離れた思考などとは、灰色の夢ですよ。」と弟子の一人が言った。
「心を深く潜ませて自然をごらんなさい。雲、空、風、雪、うすあおい氷、紅藻べにもの揺れ、夜水中でこまかくきらめく珪藻けいそう類の光、鸚鵡貝おうむがい螺旋らせん紫水晶むらさきすいしょうの結晶、柘榴石ざくろいしの紅、螢石ほたるいしの青。なんと美しくそれらが自然の秘密を語っているように見えることでしょう。」彼の言うことは、まるで詩人の言葉のようだった。
「それだのに、自然の暗号文字を解くのも今一歩というところで、突然、幸福な予感は消去り、私どもは、またしても、美しいけれども冷たい自然の横顔を見なければならないのです。」と、また、別の弟子が続けた。「これも、まだ私どもの感覚の鍛錬が足りないからであり、心が深く潜んでいないからなのです。私どもはまだまだ努めなければなりません。やがては、師のいわれるように『観ることが愛することであり、愛することが創造つくることである』ような瞬間をもつことができるでしょうから。」
 その間も、師の蒲衣子ほいしは一言も口をきかず、鮮緑の孔雀石くじゃくいしを一つてのひらにのせて、深いよろこびをたたえた穏やかな眼差まなざしで、じっとそれを見つめていた。
 悟浄は、この庵室にひと月ばかり滞在した。その間、かれも彼らとともに自然詩人となって宇宙の調和をたたえ、その最奥さいおうの生命に同化することを願うた。自分にとって場違いであるとは感じながらも、彼らの静かな幸福にかれたためである。
 弟子の中に、一人、異常に美しい少年がいた。はだは白魚のようにきとおり、黒瞳こくとうは夢見るように大きく見開かれ、額にかかる捲毛まきげはとの胸毛のように柔らかであった。心に少しの憂いがあるときは、月の前を横ぎる薄雲ほどのかすかな陰翳かげが美しい顔にかかり、よろこびのあるときは静かに澄んだひとみの奥が夜の宝石のように輝いた。師も朋輩ほうばいもこの少年を愛した。素直で、純粋で、この少年の心は疑うことを知らないのである。ただあまりに美しく、あまりにかぼそく、まるで何か貴い気体ででもできているようで、それがみんなに不安なものを感じさせていた。少年は、ひまさえあれば、白い石の上に淡飴色うすあめいろ蜂蜜はちみつを垂らして、それでひるがおの花をいていた。
 悟浄ごじょうがこの庵室あんしつを去る四、五日前のこと、少年は朝、いおりを出たっきりでもどって来なかった。彼といっしょに出ていった一人の弟子は不思議な報告をした。自分が油断をしているひまに、少年はひょいと水に溶けてしまったのだ、自分は確かにそれを見た、と。他の弟子たちはそんなばかなことがと笑ったが、師の蒲衣子ほいしはまじめにそれをうべなった。そうかもしれぬ、あのならそんなことも起こるかもしれぬ、あまりに純粋だったから、と。
 悟浄は、自分を取っておうとしたなまず妖怪ばけものたくましさと、水に溶け去った少年の美しさとを、並べて考えながら、蒲衣子のもとを辞した。

 蒲衣子の次に、かれ斑衣※婆はんいけつば[#「魚+厥」、148-15]の所へ行った。すでに五百余歳を経ている女怪じょかいだったが、はだのしなやかさは少しも処女と異なるところがなく、婀娜あだたるその姿態は鉄石てっせきの心をもとろかすといわれていた。肉の楽しみをきわめることをもって唯一の生活信条としていたこの老女怪は、後庭に房を連ねること数十、容姿端正たんせいな若者を集めて、この中にたし、その楽しみにけるにあたっては、親昵しんじつをもしりぞけ、交遊をも絶ち、後庭に隠れて、昼をもって夜に継ぎ、月に一度しか外に顔を出さないのである。悟浄の訪ねたのはちょうどこの三月に一度のときに当たったので、幸いに老女怪を見ることができた。道を求める者と聞いて、※婆けつば[#「魚+厥」、149-3]は悟浄に説き聞かせた。ものういつかれのかげを、嬋娟せんけんたる容姿のどこかに見せながら。
「この道ですよ。この道ですよ。聖賢の教えも仙哲せんてつの修業も、つまりはこうした無上法悦むじょうほうえつの瞬間を持続させることにその目的があるのですよ。考えてもごらんなさい。この世に生をけるということは、実に、百千万億恒河沙ごうがしゃ劫無限こうむげんの時間の中でもまこといがたく、ありがたきことです。しかも一方、死はあきれるほど速やかに私たちの上に襲いかかってくるものです。遇いがたきの生をもって、及びやすきの死を待っている私たちとして、いったい、この道のほかに何を考えることができるでしょう。ああ、あのしびれるような歓喜! 常に新しいあの陶酔!」と女怪は酔ったように※(「豐+盍」、第4水準2-88-94)妖淫靡えんよういんびな眼を細くして叫んだ。
貴方あなたはお気の毒ながらたいへん醜いおかたゆえ、私のところにとどまっていただこうとは思いませぬから、ほんとうのことを申しますが、実は、私の後房では毎年百人ずつの若い男が困憊つかれのために死んでいきます。しかしね、断わっておきますが、その人たちはみんな喜んで、自分の一生に満足して死んでいくのですよ。誰一人、私のところへ留まったことをうらんで死んだ者はありませなんだ。今死ぬために、この楽しみがこれ以上続けられないことを悔やんだ者はありましたが。」
 悟浄の醜さをあわれむようなつきをしながら、最後に※婆けつば[#「魚+厥」、149-18]はこうつけ加えた。
「徳とはね、楽しむことのできる能力のことですよ。」
 醜いがゆえに、毎年死んでいく百人の仲間に加わらないで済んだことを感謝しつつ、悟浄はなおも旅を続けた。

 賢人けんじんたちの説くところはあまりにもまちまちで、かれはまったく何を信じていいやら解らなかった。
「我とはなんですか?」という渠の問いに対して、一人の賢者はこういった。「まずえてみろ。ブウと鳴くようならお前は豚じゃ。ギャアと鳴くようなら鵝鳥がちょうじゃ」と。他の賢者はこう教えた。「自己とはなんぞやとむりに言い表わそうとさえしなければ、自己を知るのは比較的困難ではない」と。また、いわく「眼は一切を見るが、みずからを見ることができない。我とは所詮しょせん、我の知るあたわざるものだ」と。
 別の賢者は説いた、「我はいつも我だ。我の現在の意識の生ずる以前の・無限の時を通じて我といっていたものがあった。(それを誰も今は、記憶していないが)それがつまり今の我になったのだ。現在の我の意識がほろびたのちの無限の時を通じて、また、我というものがあるだろう。それを今、誰も予見することができず、またそのときになれば、現在の我の意識のことを全然忘れているに違いないが」と。
 次のように言った男もあった。「一つの継続した我とはなんだ? それは記憶の影の堆積たいせきだよ」と。この男はまた悟浄にこう教えてくれた。「記憶の喪失ということが、おれたちの毎日していることの全部だ。忘れてしまっていることを忘れてしまっているゆえ、いろんなことが新しく感じられるんだが、実は、あれは、俺たちが何もかも徹底的に忘れちまうからのことなんだ。昨日のことどころか、一瞬間前のことをも、つまりそのときの知覚、そのときの感情をも何もかも次の瞬間には忘れちまってるんだ。それらの、ほんのわずか一部の、おぼろげな複製があとに残るにすぎないんだ。だから、悟浄よ、現在の瞬間てやつは、なんと、たいしたものじゃないか」と。

 さて、五年に近い遍歴へんれきの間、同じ容態に違った処方をする多くの医者たちの間を往復するような愚かさを繰返したのち、悟浄ごじょうは結局自分が少しも賢くなっていないことを見いだした。賢くなるどころか、なにかしら自分がフワフワした(自分でないような)訳の分からないものに成り果てたような気がした。昔の自分は愚かではあっても、少なくとも今よりは、しっかりとした――それはほとんど肉体的な感じで、とにかく自分の重量をっていたように思う。それが今は、まるで重量のない・吹けば飛ぶようなものになってしまった。そとからいろんな模様を塗り付けられはしたが、中味のまるでないものに。こいつは、いけないぞ、と悟浄は思った。思索による意味の探索以外に、もっと直接的な解答こたえがあるのではないか、という予感もした。こうした事柄に、計算の答えのような解答を求めようとしたおのれの愚かさ。そういうことに気がつきだしたころ、行く手の水が赤黒く濁ってきて、かれは目指す女※じょう[#「人べん+禹」、151-17]氏のもとに着いた。

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