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隣室の客(りんしつのきゃく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 7:26:09  点击:  切换到繁體中文

   一

 私は品行方正な人間として周囲から待遇されて居る。私が此所にいふやうな秘密を打ち明けても私を知つて居る人の幾分は容易に信じないであらうと思はれる。秘密には罪悪が附随して居る。私がなぜそれを何時までも匿して居ないかといふのに、人は他人の秘密を発くことを痛快とすると同時に自分の隠事をもむき出して見たいやうな心持になることがある。そこには又微かな興味が伴ふのである。
 私は山に遠い平野の一部で、利根川の北に僻在して居る小さな村に成長した。村は静かな空気の底に沈んで櫟林に包まれて居る。私の村は瘠地であつたので自然櫟林が造られたのである。丈夫な櫟の木は伐つても/\古い株から幹が立つて忽ちに林相を形つて行く、百姓は皆ひどい貧乏である。だが櫟がずん/\と瘠地に繁茂して行くやうに村には丈夫な子供が殖えて行く。或時は其聚つて騒ぐ声が夕焼の冴えた空に響いて遠く聞えることがある。私は自分の村を好んで居る。さうして櫟林を懐しいものに思つて居る。櫟林は薪に伐るのが目的なので団栗のなるまで捨てゝ置くのは一つもない。それで冬になつて木枯が吹きまくつても梢には赭い枯葉がぴつしりとついて居る。春の日が錯綜した竹の葉の間を透して地上に暖か相な小さな玉を描くやうに成つてすべての草木がけしきばんで来ても、櫟の枯葉は決して落ちまいとしがみついて居る。「ぢい」と細い声を引いて松雀がそこに鳴くやうになれば地上には幾らかの青味を帯びて来る。然し櫟林は依然として居る。四月になつて、春がもう過ぎて畢ふと喚び挂けるやうに窮屈な皮の間から手を出して棕櫚の花が招いても只凝然として死んだやうである。諦めたやうに棕櫚の花がだらけて、春はもうこぼれたやうに残つて居る菜の花にのみ俤を留めて来た時其赭い枯葉を咄嗟に振ひ落して蘇生つたやうになる。さうして僅か四五日のうちに新樹の林になるのである。いつて見れば春といふ季節は櫟林と何等の交渉もない。私は此の植物に同化されたといつていゝのであらうか、私の一身は極めて櫟林の生態に似て居る処がある。さう自覚した時私は櫟林が懐かしくなつた。随つて櫟林に向つていつも注目を怠らない。春雨が浸み透つた梢の赭い葉が、頭を擡げ出した麦の青さと相映じて居るのに見惚れることすらあるのである。然しこんな下等な樹木を好んで居るといふものは恐らく他にはないであらう。
 私は櫟林が春と交渉がないといつた。然しながら長い春の間には櫟も他の樹木の如く皮と幹との間から水分を吸収する生理作用を怠らない。私の一身も春といふ期間に於て索莫たる境涯に在つたのである。それでも櫟が窃に水分を吸収して居るやうに、私にも亦隠れた果敢ない事柄がある。私がはじめて此の世の空気を吸うて泣いた声は私の家では四十八年目に聞かれた声であつた。其時母の乳が乏しかつたので普通ならば「さと子」といつて他の家へ託される筈なのであるが、私の為めには特に乳母が抱へられた。どういふものか私の家へ来る乳母の乳が止つて畢つたので前後十一人の乳母が交代された。其頃はそんなことの出来る程私の家には余裕があつたのである。十一人目の乳母が虚弱な私を育てた。乳母は田舎には滅多に無いといはれた位縹緻のいゝ女だといつた。私も幼い時には非常な綺麗な子であつたので、後には女に好かれるといふやうなことを能く見る人がいつた相である。此はずつと後になつてから聞いたのであるが有繋にそれを聞くことは不快ではなかつた。私には又かういふことがあつた。私はふと一人の女を見るのが好になつた。女は私よりも五つ六つ年嵩で、私は十一二であつた。私は其頃近い町の姻戚の家から学校へ通つて居た。稍暑い日に女は蝙蝠傘を翳していつでも同じ時刻に学校の前を往復するのであつた。女は何かの稽古にでも通つて居るらしかつた。私は暇があれば学校の門に立つて見た。唯其女を見るのが好きであつたまでゝある。私が其時少年の身でさうした心持で立つて居ようとは人の知る筈はないのである。其癖私は其頃はまだ他人が女を批評していゝとか悪いとかいふのを聞いても、どんなのがいゝのか悪いのか分らなくてさういふのを不審に思つて居た位なのであつた。それで其女のことは其後久しく忘れて居た。ふと思ひ出してからは屡記憶から喚び返す。すらりとした矢絣の単衣姿で緑の蝙蝠傘をさして居る。日光が仄かに蝙蝠傘を透して化粧した顔が薄らに青く匂ふ。私が最初に思ひ出した時には女の姿はそれ程に明瞭ではなかつた。それがだん/\記憶を反復して居るうちに女の姿がはつきりとかう極つて畢つたのである。私は兎に角こんなことであつたから性情が何等の抑制もなく発達して行つたならば曠野のうちに彷徨ふやうな索莫たるものではなかつたであらう。私は病気の為めに断然廃学せねば成らぬやうになつた。其時私はまだ廿にもならなかつた。私は復た櫟林に没却して此の静かな村の空気を吸はねばならぬことになつた。全く孤独の境涯に移つた。日さへ明ければ田畑に出る百姓は私の相手ではなかつた。心身共に疲労した私と何時までゝも相対して居てくれるものは樹木の外にはないのである。それからといふものは厭だと思つて居た櫟の木もだん/\に好きになつた。私は健康の恢復しかゝるまで数年間徒然として過した。其間女といふ念慮の往来したことはあるが自分ながら明かにどうといつて述べて見る程のこともない。私に妻帯を勧める人もあつたが其噺を運ぶのには私の心は余りに沈んで居た。私が周囲から品行方正な人間として待遇されて居たのも当然である。私が斯ういふ状態を持続して居たのは病気といふ肉体の欠陥と私を挑発する機会が一度も与へられなかつたからとでなければならぬ。私の村に相手になつてくれるものがないといふのは私と百姓との間には生活状態から自然著しい隔てを生じて疏通し難い点が多い為めである。百姓の子でも麦の臭に満ちた畑の中に働いて居る時や、熊手を持つて櫟林の間を落葉掻に行く処をちらりと見た時や其姿が有繋に目を惹くことがないではないが、それは只一瞥した感じに過ぎないので、暫くも私の心を動かすには足らぬのである。私の生涯の春もこんなであつたけれど赭い枯葉を振ひ落したやうに時期が来つて忽ちに変化した。さうして人一倍の陋劣な行為を敢てしたのである。それは私の家に一人の女が来たからであつた。

     二

 私の村の学校の教師に溝口といふ老人があつた。彼はみじめな残骸をそつちへこつちへ逐ひやられて到頭辺鄙な私の村へ逐ひつめられたのであつた。自ら士族だといつて居たがさういふ俤もあつた。撃剣をしたしるしだといふて皺だらけの手の甲を見せることがあつた。目もどうかするとぎろりと光ることもあつたが生活の圧迫からいつとはなしにさもしい心が出たと見えて酒でもやるとへこ/\と頭を下るのであつた。遅くまで子があつたと見えて夫婦共に七人の家族だといふことを聞いて居た。老朽の教師の俸給で七人の糊口は容易なことでないのだから到底好な酒までには及ばないのである。然し性来の子煩悩と見えて能く生徒の世話をするといふので父兄とは懇意にして居た。そつちこつちと訪ねては酒にありついて居た。さうして其帰りには茄子でも芋でも其季節のものを貰つて提げて行く。自分の小さな風呂敷包を首へ括つて両脇へ大きな南瓜を抱へて行くこともあつた。よろ/\として行く処を見ると遊戯に耽つて居る村の子供が騒ぎながら先生の後に跟いて部落の境まで行く。風呂敷が解けて茄子でも芋でも転げ出すと教師は慌てゝ拾つては袂へ入れる。生徒はわあと先を争うてそれを拾ふ。先生は更に慌てる。生徒は各手柄でもしたやうにそれを先生へ返すのである。斯ういふ教師が其頃まだ世間に存在して居たといふのは不審に思はれるやうであるが、それを馘つて畢ふことが忽ち其一族に悲惨な目を見せなければならないので情実といふものが幸に余命を繋がしめて居たのである。庭に散つた木の葉がそつちこつちと掃き寄せられるやうに自己の運命の終局までには幾多の学校を移つて歩かねばならぬ。然しかういふ教師の役に立たぬ割合には父兄の間には気受がいゝ。それといふのは子煩悩で能く生徒の世話をするのと応対が砕けて居て他の教師のやうなツンとした所がないからである。百姓の目には袴を穿いてる教師の地位は立派なものである。だからさういふ人間から親しい言葉を挂けられるといふことが彼等には満足なのである。私は此の教師を憫むべきものと思つて居た。私の家は父母と私と只三人のみの家族であつたから此の教師の私の家を訪問すべき機会は少なかつた。それでも時々来ることは来た。如何にも控目にして居る容子を見ると私の母は不取敢酒を出さぬ訳には行かなかつた。其帰る時には又野菜の一包が彼の手に在つたのである。或時彼はまた非常に恐縮した容子で私の家へ来た。酒が其元気を恢復した時に私の母へ嘆願があるといひ出した。それはかうであつた。彼の長女で、彼の妻の郷里の知合の人が媒酌で其近村へ娵に行つたのがあつた。それが一年ばかりになるのだがどうしても亭主が厭だといふので遁げて来て畢つた。それが遂近頃のことである。仮令下女奉公をしても酌婦に売られても亭主の側へもどるのが厭だといつて聴かぬ。厭だといふものを無理に逐ひ帰して間違があつたら取り返しのつかぬことである。酌婦に落ちぶれさせることも忍びられない。さうかといつて自分の家へ置いたのでは其の日/\に困つて畢ふ。どうかあなたの家に暫く預つて下女代にでも使つておいて貰ひたい。針仕事は一人前のことは差支がないからといふのであつた。私の母も気の毒に思つたし、僅に三人の家族のうちでそれも私の父は大概他出して居るので家に在るものは母と私と二人のみで、傭人が寂しい夜をやつと賑はして居たに過ぎない不自由だらけな生活であつたのだから、針仕事の出来るといふのを幸に一時預つてやらうといふことにも成つたのである。私も其時どういふものか私の家に女が一人殖えるといふことが決して悪い心持はしなかつた。それで私は其次の日の夕方それがどんな女か見たいやうな気もしたので行つたこともない教師の寓居へ用をかこつけて行つて見た。ひどい穢い住居であつたがそれでも厭な心持も起さずに帰つて来た。学校は私の家からでは大分隔つて居たので教師の寓居も遠かつた。二三日して母といふのが其女を連れて来た。女の弟といふ小さな子も一緒に手を引かれて来た。母といふのは教師とは大分年齢が違ふやうに見えた。さうして教師の無頓着なのと違つて仲々一癖あり相な容貌であつた。女は其夜から私の家の人になつた。私の情史の第一頁が此れから染められるのである。女は既に男といふものゝ間に築かれてある一重の垣が除かれた身であつたのである。女はおいよさんといつた。二十一だとかいつたが少し大柄であつたので二つ三つは隠して居るかと思はれた。おいよさんにはくつきりと色の白い所が第一の長所であつた。夜になると能く吊しランプの側で髪を束ねた。以前熱病に罹つたことがあつて其後髪の毛が恢復しないのだといつて夜束ねた髪も朝になると耳のあたりへ短い毛が少しこけて居るのであつた。おいよさんには何処といつて格別にいゝ所はなかつたが人の心を惹くのは其涼し相な目であつた。然しぢろりと横を見た時には意地の張つた女であるといふことを思はしめた。それは窮乏な家庭に成長した丈に野卑なさもしい処もありはあつたが、それは極めて冷静に見ていつたことで母も私も同情して居たのであるからそんな欠点を見付けよう抔といふ念慮は其時ちつとも持たなかつたのである。教師の子だけに手紙を書くことが女としては達者であつたのも母の心に投じたのであつた。おいよさんは毎日針仕事と炊事の手伝とをして居た。只時々その大柄なのには似合はず加減が悪いといつては臥せることがあつた。教師はおいよさんが来てから遠い処を能くおとづれた。好きな酒も非常に遠慮して時には遁げるやうにして飲まずに帰ることもあつた。さうしておいよさんが平生から虚弱であつたことをいつて母へ哀訴するやうに頼んで行くのであつた。教師の腰の低い割合においよさんにはツンとした所があつた。我儘に育てられた女であつたのだ。尤も此は私がおいよさんと別れてから母も私も思つたことである。私の病気のために心配した母はおいよさんにも深く同情したのである。障子の蔭で針仕事をしながら
「おいよさんもお弱くて困りますね。それに何だか思はしくないんですつてお父さんも大抵の苦労ぢやないんでせうね。あなたも我慢することは出来ないんですかね」
 私の母がいつたことがあつた。
「どうしても私厭なんでございますから」
 暫くたつてからおいよさんの声でかういつた。
「それでもあちらでは戻したいといふんぢやありませんか」
「どうでございますか」
「此間あちらから人が来た相でしたね」
「そんなことを父が申して居りましたが」
「籍はまだ送つてないんだつてましたね」
「まだこちらにございますから私さへ戻らなければそれまでなんでございます」
「そんなことを聞いては何ですがそれには訳もあるんでせうがね」
「私どうしても厭なんでございます」
 私は襖を隔てゝかういふことを聞いたことがある。私は耳を欹てた。おいよさんは戸籍は送つてないといつたけれど夫のある女である。夫のある女といふものは決して善い感じを与へるものではないのである。然し私に近くおいよさんの居ることは私に少しも不快の感を起させない。おいよさんが私の家に少し落ち付いた頃私は其涼し相な目を見てふと何処かで見たことがありはしないかと思つた。追求の念が絶えず私をそゝつておいよさんの顔を見させたのである。おいよさんは此を何と思つたか、私がおいよさんを見る度においよさんも私を見返すのであつた。

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