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隣室の客(りんしつのきゃく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 7:26:09  点击:  切换到繁體中文


     八

 次の日女は一日座敷を出なかつた。尤も朝の内私の座敷の外へ来て昨日の義理を述べた。白地の絣の上に帯はきりゝと締めて居た。大抵の女はかういふ場合には笑顔を作つて挨拶をするのであるが、女はいつものやうに沈んで居る。もとより慌てた態度はなくしつとりと落付いて居る。私は却て此の女に対して心がおづ/\として居た。さうして私は別に何にもいはなかつた。何とか女に重い口を開かせるだけのことが出来たのだと後には思はれるのであるが其時は只堅くなつて居た。其日散歩に出て見た時浜で搗布かちめを焼いて居る煙が重相に靡いて居た。穢い漁師の女房等は海から搗布を刈つて来てはぶつ/\と火で焼く。其灰が沃度の原料である。空の模様が幾らか変になつたやうに思はれた。夜に成つたら入江のうちには船が一杯に詰つた。宵の口どの船からも小さな松明の火がともされた。舳に立つた漁師が手に翳してぐる/\と廻転させてやがて其火を水に投じた。其夜は闇かつた。空には幾らか雲が飛ぶやうに見えた。沖は「シケ」であるといつていつもよりどう/\と騒がしい響をおくつて来る。入江の口に打ちつける波が只白く見えた。私はランプの下にごろりと成つた儘大地の底からゆすつて鳴る様な濤の響を聞いて居た。ふと表にがや/\と人声がしてやがて遠くなつて畢ふのを聞いた。帳場へおりて見ると主人は居なかつた。何でも難船があつたといふのである。店先を人が忙しく走せ違つて居る。どこがどうして居るのか私にはちつとも分らなかつた。暫く店先を出て立つて居ると港の磯にどつと篝が燃えあがつた。然し篝は其光の及ぶ範囲内に動いて居る人々を明かに見せる丈で一向にあてどもない。篝に近く行つて見た時船が一艘おろされるやうであつた。私は漁師町の方へ駈けて行つて見た。行き止りが闇くなつて居るばかりでそこには何の容子もない。引つ返して駈けて来ると提灯が洞門の方へ向つて走せる。洞門からも提灯が走つて来る。提灯と提灯と何か罵るやうにいつて走せ違つた。私も洞門に向つて進んだ。下駄の音が洞門の内側に響いてこん/\と鳴るのを聞いた。九面の漁村へ出た。白い波が窮屈な入江の口から押し込んで来るのが見えた。がや/\と人声が騒がしい。ほつかりと火の光が空へぬけて居る。私は凸凹の道を曲折しつゝ漁師の家の間を過ぎて行つた。闇のなかに人とぶつからうとする。行つて見ると庭に篝が焚いてあつて人が一杯に其火を取り捲いてがや/\と騒いで居る。人越しに見ると裸になつて居る四五人が筵の上に腰をおろして慄へ乍ら焚火に手を翳して居る。難破船の漁師が此所へ救はれたのだといつた。其なかに十三四の男の子が交つて居る。焚火に手を翳しながら哀れな顔をして周囲の人だかりを見まはして居る。他の漁師共はさまで驚いた容子もない。皆茜の褌をしめて居る。私は意外に感じた。私の側に立つて居る漁師の女房らしい女が噺をして居る。土地に特有な荒い言葉で罵るやうに語つて居る。私もそこへ口を出して聞いて見た。これは小名浜から今朝船を出した漁師であつた。平潟の港にはひらうとしたのであつたが夕方から波が荒かつたしそれに闇かつたので遂船底が暗礁へさはつた。船は暗礁へ障つたらもうすぐにばら/\に成つて畢ふ。漁師はそれでも皆板子を持つて波に突きのめされつゝ泳いだ。一人やつと上陸したので此村からも救ひの船が出た。声をたよつて救ひ上げた。皆救はれたが只一人見えぬ。十三四の子でさへ命を拾つたのに其漁師はどうしても此処へ上陸せぬ。平潟へも上陸せぬといふ。波を避け損つて深く捲き込まれたものであるかも知れぬ。其漁師は此の子の父であつた。救はれた時少年は口が聞けなかつた。庭へ焚火をして漸く温めてやつた時彼は頻りに其父のことばかり聞いて居たといふのであつた。焚火には薪が投げられた。焔がばつと燃えあがる。ぼう/\と音をたてゝ燃えあがる。焔の光は周囲に人が描いて居る丸い輪の内側を明かに照して居る。人々の顔が赤く恐ろしげである。私は後に居てさへ顔の熱いのを感じた。私が戻つて来た時平潟の篝は既になくなつて只どう/\と濤の響を聞くのみであつた。主人はまだ帰らぬと見えて宿の帳場も寂しかつた。
 座敷へもどつた時女は一枚細目にあけた雨戸の隙間から暗い入江を見て居る所であつた。女は私を振り向いて今夜の模様を聞いた。女はこれまで私と口を聞いたことが一度しかないのであつた。私は其時女に近づいた。さうして悉皆私の見たことを語つた。閾に近いランプの光が浴衣姿の女を美しく見せた。今夜も女はきりゝと帯を締めて居た。
「可哀想な人もあるものでございますね」
 女はいつた。女の※(「目+爭」、第3水準1-88-85)つた目には涙の漲るのを見た。さうして女は暫く横を向いてしまつた儘であつた。難破船の噺ばかりでそんなに悲しくなる筈はないと私は不審に思はれた。私は立つて雨戸の隙間から外を見た。一杯につまつた松魚船が暗の底にぼんやりと眠つて居る外何にも目に入るものがない。私は気がついて自分の座敷へもどらうとした時ふと女の座敷を見た。蒲団の上に枕の倒れて居るのがちらりと見えた。私は此の宿へ来てから一度も女の座敷を覗いたことがなかつたのである。私は何となく心に不安を感じた。夜中にうと/\として居ると一しきりどこともなく人声が騒がしく聞えたやうに思つたが私はそれつきり眠つて畢つた。
 明くる朝起きて見ると空は拭つたやうに晴れて居た。港の松魚船はもう一艘も居ない。みんな夜中に漕ぎ出したと見える。がや/\と遠く私の耳にはひつたのは其時の騒ぎであつた。私は洞門をくゞつて又九面まで行つて見た。今朝はもうひつそりとして只干したコマセの臭ひが鼻を衝くばかりであつた。波もさら/\とゆるやかである。散歩からもどつて来ると隣の座敷には客が一人殖えたやうである。聞いたやうな女の声で威勢よく語つては時々笑声も交る。女の声といふのは此の間のお婆さんであつた。女が階子段をおりて行つた時お婆さんは私の座敷の方へ来て
「先日はどうもまあ、あれが飛んだ御厄介になりました相でございまして、どうもねえあなた独りでそんな所迄本当に私もびつくり致しましたよ。どうかするとまあそんな事を致すんでございますから」
 お婆さんはかういつて
「あのお立て換へがあります相ですが」
 と帯の間から巾着を出さうとする。
「いゝえ決してそんなこと、そりやいけません」
 私は無理に押し留めた。
「それぢやどうも相済みませんでございますね」
 お婆さんはすぐに
「ですがね、あれも漸く片がつきましてね」
 と分らぬことをいうて独で悦んで居るやうである。これまでとは違つてそわ/\して居る。女は階子段を昇つて来た。気がついて見ると今日はきりつと晴衣に着換へて居る。髪にも櫛の目が通されてある。
「車はもう来たかい」
 お婆さんは聞いた。
「まだのやうでございますが」
 低い声であるがはつきりと女はいつた。がら/\と表に空車の音がして女中はやがて知らせに来た。
「それではどうもなが/\御厄介になりましたが……」
 お婆さんは私へ挨拶をする。女も後から挨拶する。女は衣物を着換へたせゐか何となくはき/\していつもより美しく見えた。私が店まで送らうとするとお婆さんはたつてとめる。私は態と遠慮して勾欄に近く立つて居た。翳した二つの蝙蝠傘が軒の下から現れて忽ち他の軒へ隠れて畢つた。私は隣の座敷を覗いて見た。火鉢も茶器もちやんと隅にくつゝけてあつて只からりとして居る。番頭はすぐに塵払と箒とを持つて来て隣の座敷を掃除した。
「旦那、こちらはゆるつとして居ますからこちらのお座敷になすつたらどうでござんす。此からもう海水浴のお客さんがそろ/\参りますから、今のうちいゝ座敷をおとんなすつた方がようござんすぜ」
 と番頭は注意してくれた。然し私はそこへ移る気にはなれなかつた。私は女に対して非常に遠慮して居た。座敷にも私は遠慮がない訳には行かなかつた。ひつそりとして居るので隣の座敷は却てまだ女が居るやうな心持がしてならぬ。私は其夜もひどく寂しい隣の座敷を控へてつく/″\と思案した。お婆さんは女の身は片がついたといつて悦んで居た。恐らくもう心配がなくなつたのであらう。女がはき/\として見えたのも其為めではあるまいか。それにしてもおいよさんの方は母がどう運びをつけて居るのであらうか少しも分らないのである。隣の座敷の女に逢つてから私はひどく心が弱くなつておいよさんに対する心配も増して来た。私が遥々此の港まで身を避けて居るのに女は私に苦悶させようとして待つて居たものゝやうであつた。私には他の理由は少しも分らないのに只片がついたといつて悦んで見せて行つて畢つた。私はどこかへ打棄つてしまはれたやうな心持になつた。私は怏々として居た。一日間を隔てゝ母から手紙が届いた。私は心もとなく封を切つた。手紙にはかうあつた。あのことは窃に極りをつけた。帰つて来ても誰に義理をいふ必要もない。只知らぬ顔をして居ればいゝのである。帰りたければ帰るがいゝ、逗留して居たければいつまでゝも居るがいゝといふのであつた。私は此の時つく/″\母の慈愛といふことを感じた。私はすぐに宿を立つことに決心した。其日のうちに上りの列車に乗つたのである。隣の座敷にはまだあとの客は這入らなかつた。
 其後おいよさんはどうなつたか知らぬ。私が帰つた時母は私に何も知らないで居れといつた。私は母に強ひて聞く勇気もなかつた。それでも一年許りの間はおいよさんから何とか六かしいことでもいつて来やしないかと懸念がないではなかつた。私はずつと後になつてふと村の内外に当時おいよさんとの噂が立つて居たことを聞いた。実際あつたことでなければ其噂はいつか消滅して畢ふから後になれば分るといふことを人が一般にいつて居る。私の陋劣な手段は私の噂を葬つてしまつた。さうして今では村の内外に私を疑つて居るものがなくなつた。私はおいよさんとの間の行為を罪悪だと知つて居る。然し私はそれを羞ぢるよりも先づうまく匿しおほせて私の身を保ち得たことを心窃に悦ばぬ訳には行かぬ。私は僅に危い刃の先を免れたのであつた。世上を顧みても自分の非行を衷心から悔悟し得るものが果して幾人あるであらう。私はもうおいよさんに未練はない。今日まで思ひ出させては私をぢれつたくさせるのはおいよさんではなくて隣座敷の女である。女はいつまで経つても私には了解が出来ぬ。女は到底解けない謎である。私はうつかり女に手を出すことはもう一度で懲りた。私の心をいつまでもぢらすのはその隣室の客である。





底本:「ふるさと文学館 第九巻【茨城】」ぎょうせい
   1995(平成7)年3月15日初版発行
底本の親本:「長塚節全集 増補版2」春陽堂書店
   1977(昭和52)年発行
初出:「ホトトギス」
   1910(明治43)年9月号
※「一ケ月」「二三ケ月」の「ケ」を小書きしない扱いは、底本通りにしました。
入力:林 幸雄
校正:小林繁雄
2002年12月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。

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