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隣室の客(りんしつのきゃく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 7:26:09  点击:  切换到繁體中文


     七

 次の朝私は疲れたやうになつて起きられなかつた。漸く眼が醒めた頃女は障子の外を通るやうであつたがそれからはひつそりとして居るか居ないか分らぬやうであつた。私が起きた時女中は隣の座敷へ来て女の容子を聞いて居る様であつた。軈て女中は階子段から番頭を喚ぶと番頭は小綺麗な蒲団を抱えて上つて来た。隣の座敷では番頭と女中とが其蒲団を敷き換へて居る様であつた。私が障子の外へ出て見た時女は座敷を出て勾欄に近く入江を見て立つて居た。寝くたれた浴衣に肉色の扱帯をしどけなく垂れて居る。髪もさらりと耳のあたりへこけていつもより顔が蒼味を帯びて見えた。私を見て慌てゝ座敷へもどつて障子の蔭へあちら向に立つた。しどけない姿が少し障子の外へ出て見えて居た。番頭はお世辞をいうて居る。
「昨日はあの臭ひで大分お困りでござんしたらう。酷いものでござんすからね。それでも夜のうちに片付けて畢ひましたからもう臭いやうなことはありません。今日は海も凪がようござんすから誠にせい/\致して居ります。此分では後に又松魚船が参ります」
 女はそれに対して何とかいうて居るがそれが極めて低い声である。私は耳を峙てゝ聞くのであるが、いつでも女のいふことが能く分つたことはない。丁度私は磁石に吸はれたやうに隔ての襖へ耳をつけ聞いても聞きとれぬ程女は静にものいふのである。私はいつでもぢれつたい心持になるのであつた。番頭は威勢よくものをいふ。蔭で聞いて居ても女の気を引き立てゝやらうといふのらしかつた。
「先頃こゝへ鯨があがりましてね。それが鯱に攻められたんですがね、此時は大騒ぎでした」
 女中は私の座敷の前で柱へつかまりながら勾欄へ腰を挂けた。
「港の船は残らず出払ひです。この沖で見つけたんですから私も乗つて行つて見ました、が其時は鯨はまだ死にきりませんでした。鯨といふ奴はあれでみじめなもので何も防ぎ道具といふ物がないんですから、鯱に攻められた日にやどうすることも出来ないんですね。只まあ遁げる丈けなんですね。鯱の方は何百匹だか分りやしません。斯う背中に角のやうな鰭があるんですがそいつを水の上に出して一杯に鯨を取巻いて居るんです。あれを見ちや鯱もなか/\大きなもんです。鯱鉾とは丸つきり違ひまさあね。其内に潜水器をかぶつてむぐつて見た奴があるんですが、鯱はみんな鯨の頭の方へばかり聚つて居て鯨の肉を食ひ取るんだ相です。それで尻尾の方へは決して行かないんですからね。尻尾で一つ弾かれたら何でもまた堪りませんから鯱もそれは知つてるんですね。そこは漁師ですからね、到頭鯨へ綱を挂けて、そいつを船へ継いで曳いて来たんです。鯱も人間には構はなかつたさうです。もう此の港の口へ近づいて来たとなつたらそれでも鯱はすうつと沖へ引つ返して行きました。さうかと思つて居ると其中の一番大きなのが二三匹角を立てゝ戻つて来ましてね、残念だといふんでせう、鯨を一食ひ食ひ取つて行きました。此にはみんな驚きましたね。何しろ鯨といふ奴は大きいものですから、港へはひらないので其儘置いたのですが、それがあなた明日の朝見ると夜鯱が来たと見えて鯨の肉がしたゝか噛じられて居るんです。一口に百五六十貫づゝも食ひ取るんですからね。さうかといつてそこらに其肉が浮いてるんですから食つて畢ふ訳でもないんです。一体鯱といふのは酷い奴ですね。そこら一杯水は赤くなりましてね。その時の騒ぎはお目に挂けたいやうでしたな」
 障子の外へ膝をついて番頭は語つた。私も閾の所までずり出して其噺を聞いた。
「番頭さん見たやうなことをいつてどうしたもんだ」
 女中はすぐにかういつた。
「何だい私行つたぢやないか交ぜつ返しちやいけないよ」
「それだつて番頭さんは船に弱いんだつて帰つた時は真蒼でしたよ。ようく御覧になつたのはうちの旦那さんでさね。おゝ厭な番頭さんだ」
 女中はかういつて笑ひながら遁げて行つた。
「本当に口の悪いおきんどんでしやうがない」
 番頭も笑ひながら
「まあどうぞ御ゆつくり」
 といつて立つた。
「大分お暑くなつて参りましたな」
 私へもお世辞をいうて去つた。それから隣の座敷には別に変つた事もなく女は矢張り滅多に座敷の外へ出ないのであつた。尤も空がすつかり切上つて夏の日が急に暑く照すやうに成つてからは女の座敷も障子が開けてあつた。私は女の座敷を一目見たいと思つたが遂に一足も境の柱を越した事がない。まして障子が開け放しになつてからは私は自分の座敷の前の勾欄から海を見て居る時僅に其座敷を振り返つて見る事にさへ恐怖心を抱いて居た。女は日に幾度も私の座敷の前を通る。女の前には私の座敷は少しの隠す所もない。隣の座敷は私の為めには全く秘密である。私はしをらしい其女が心憎かつた。私は宿の女中にも戯談すらいはなかつた。私は隣の座敷へひどく気兼があつたからである。私にそれだけの慎んだ態度がなかつたならば女は隣の座敷を移したかも知れぬ。私は其時に人目を避けたがる女を他へ追はなかつた程静粛な客であつた。私は隣の女が余りにひつそりとして居るので却つて私の心が刺戟された。私は夜になつて眼を瞑るといろいろと雑念が起つておいよさんのことを考へ出さずには居られなかつた。私はおいよさんに就いては困つては居たのだけれど此の宿へ来て、ひそりとした隣の座敷が私をそゝるやうになつてから一層恐怖心が増して来た。私の心はひどく弱くなつたのである。
 或日の午後であつた。私は麦藁帽子一つで散歩に出た。宿の店先から左へとつて行くと後の丘の続きが崖を造つて立ち塞つて居る。そこには洞門があつて街道が通じてある。洞門をくゞつて行くと平潟の入江に似て更に小さな入江がある。小さな入江のほとりには漁師が小さな村を形つて居る。街道の端には「コマセ」といふ微細な蝦のやうなものが干してある。「コマセ」の臭気が鼻を衝いた。此の漁村は九面こくづらといつてもう国が異つて居る。短い洞門をくゞれば直ぐに磐城の国であるといふことが散歩の度に私の興味を湧かせるのであつた。又洞門が暗い口を向けて居る。そこを出るとからりと海が見渡される。此から私は坂路を勿来の関の跡へ行つたことがある。此の日は街道に従つて海岸を行つた。関田の浜が弓なりに私の前に展開して来た。小さな溝のやうな流が浜豌豆の花が簇がつて咲いて居る砂にしみ込んで末のなくなつて居るあたりから下駄を手にして汀を歩いた。ばしやりと砕ける波の白い泡が幾らか勾配をなして居る砂浜の上をさら/\と軽く走りのぼる。土地の人は此所を「ウタレ」というて居る。足が時々冷たい泡にひたる。私がぶら/\と歩いて居ると私の後から「ウタレ」を伝うて来るものがある。此は白い泡に従つて行つたり来たりしつゝこちらへ走つて来る。私は立つて待つて居た。竹を弓のやうに曲げて弦を張つたやうに網が張つてある。其異様な網で泡立つた浅い水をすくつて其水と共に走る。右の手ですくつて左の手の笊のやうなものへ叩く。私は近かよつて笊の中を覗いて見たら小さな蝦のやうなものが跳ねて居た。此もコマセといつて此は人間が喰べるのである。あの船で捕るのが沖コマセといつて糠のやうにこまかなさうしてそれが肥料に成るコマセだといつた。汀に近く五六艘の小舟が平らな波に乗つて白帆を張つて居る。見ると「ウタレ」に近い暗礁の上に一人釣をして居るものがある。波が其巌を越えてざらりと白い糸を懸ける。それが落ち切らぬ内に又あとの波が越える。釣する人は波の越える度に片足を揚げると波は其足の下を越える。巌越す波に攫はれぬ様にかうするのだらうと思ひつゝ絶えず然かもゆつたりと波を避けつゝある其様子を見乍ら暫く立つて居た。波はゆら/\とゆるく私の眼の前に膨れて更にそれが低くなつて汀にばしやりと白い泡を砕く。膨れあがつた波の面には更に幾つもの小さな波が動いて一度必ずきら/\と暑い日光を反射する。弓なりの網を持つた人はもう遥かに「ウタレ」を走りつゝ小さくなつて居る。其先には平潟の入江の口から遥かに遠く横はつて見える小名浜あたり一帯の土地が手を出したやうに突出して居る。私は磯を伝うて尚ほ進んだ。だん/\行くと「ウタレ」に近く大きな棚があつた。それが此の空闊な浜にたつた一つぽつりと立つて居る。以前塩をとつたことがあつたと見えて棚には麁朶が載せてある。此の浜を往来する人が盗むこともないと見えて麁朶はそつくりとしてあるやうに見える。雀が棚に聚つて騒がしく囀つて居る。雀がどうしてこんな所に鳴いて居るのであらうか、雀は蛇が乾いた砂を渡らぬことを知つてさうして此の棚に其子を育てやうと云ふのであらうか。雀は便利な人の檐端を恐ろしい蛇の為めに追はれたのである。それにしてもどうして此の棚が棄て去られたのであらうか。恐らく失敗のなごりであらう。私は砂を攫んで投げて見た。雀は一斉にばあと飛んで松原を越えて行つた。此の空闊な浜を控へて後には一帯の松原が濃い緑を染めて居る。日がいつかぼんやりとなつて薄い雲を透して見えながら雨がはら/\と落ちて来た。私はざくり/\と踏み止りのない砂の上を松原へ駈け込んだ。さうして私は松の根方に一人の女の俯伏して居るのを見て喫驚した。只凝然として見て居たが服装もしやんとしたどうも見たことがあると思つたら慥に私の隣座敷の客であつた。女はどうしてこんな所に来たものであつたかと狐につままれたやうに思つた。女は大儀相である。私はそれを見棄て去ることが出来なかつた。
「どうかしましたか」
 と私は聞いた。暫くたつて女は私の声を聞いて顔をあげた。いつもより蒼白い女も、喫驚したやうであるがそれでもしをらしく落付いて居つた。
「いゝえ、どうも致しませんが、少し……」
 と云ひ淀んで居る。
「それでもどうかなすつたんでせう」
 私は下手な聞き様をしたものである。
「少し気分が悪るうございまして」
 女はいつものやうに低い声である。
「脳貧血でも起したんぢやないか」
 私は独でかう呟いた。
「胸が少しいけませんでしたが、もう落付きました」
「どうです少し背中でも叩きませうか」
「いゝえもう決して」
 女はかういつてそつと首を擡げた。どうしたものか女の眼は涙でうるんで居る。女が固辞するので私は只立つて見て居た。私は女が更にひどく悶えて居ても実際は女の体へ手を触れることが出来ないで只はら/\して居たかも知れぬ。私は此の女にひどく恐怖心を持つて居たからである。女は起ちあがつた。単衣の砂を叩いて前を合せた。さうしてほつれた髪を両手で掻き上げた。雨はいつか晴れて居た。雨の粒ははら/\と乾いた砂の上にまぶれて畢つた位に過ぎなかつた。あたりにはみやこ草の花が砂にひつゝいて黄色にさいて居る。こぼれ松葉がみやこ草にもぱらりと散つて居る。女は立つて蝙蝠傘を杖づいて歩き出した。私も無言の儘女の先に立つて歩いた。私は漸く小径を求めて松原から街道へ出た。小径の雑草が衣物の裾にさはる。月見草が私等二人を見て居るやうにところ/″\雑草の中から首を擡げて居た。私は車夫が空車を曳いて来るのがあつたら女を乗せて帰さうと思つたが街道の途中に車はなかつた。少し行くうちに幸藁屋の小さな茶店があつたので私はそこへ女を休ませた。私は茶店の婆さんから清心丹を貰つて女へやつた。暫くたつ内に女の顔色も恢復して来た。私は婆さんへ少しばかりの心づけをして茶店を立つた。女は有繋に帯の間から銭入を出したのであつたが私は無理にもどさせた。やつとのことで勿来の停車場へついた。上りの列車を待つ間私は態と女と離れて居た。女も凝然と腰挂けた儘いつまでも俯伏して居た。列車の窓から見ると日は青草の茂つた丘のあなたに隠れて其光を沖一杯に投げて居る。海の水は深い碧である。沖の小さい白帆が目に眩きばかり夕日の光を反射して居る。列車に乗つたかと思つたらもう関本の停車場である。私は人力車を呼んで女を乗せた。此の時女はもう余程恢復して居た。私は女の後から徒歩で急いだ。女の車が田甫を遥かに越えて丘の間に隠れるまで私は速い歩調を止めなかつた。

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