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隣室の客(りんしつのきゃく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 7:26:09  点击:  切换到繁體中文


     六

 其頃は時候も梅雨期の終に属して居たので世間が鬱陶しかつた。障子の紙がゆるんで雨がしと/\と降つて居た。転地した二三日はひどく落付かなかつた。それでも変つた土地の状況がだん/\私を紛らせた。平坦な土地のみを見て居た私にはすべてが目を惹いた。海岸は皆一帯の丘阜である。其丘阜を丸鑿で刳りとつたやうな小さな入江が穿たれてある。入江に添うて港の人家が建てられてあるのである。人工を加へた一筋の街道が此港と丘の後の村々との間を僅に継いで居る。港の町の大部分は其窮屈な海岸から遁げ出したやうに延び出して其街道を挟んで居る。宿は此小さな入江を一目にした三階建であつた。私の案内されたのは二階の中の間である。座敷の障子を開けておけば雨の入江が勾欄から見える。然し小さな入江は窮屈に見えた。入江を抱へた丘の一端は拳のやうに一段高い。其処に立つて居る一簇の老松の梢には夕方になれば鴉が四方から聚つて鬱陶しい雨に打たれながら騒ぐ。梢に棲みつくまでは飛び交し/\騒いで居る。二三日の間は此の鴉の騒ぎが私の心を引き立てた位であつた。一日空の模様がよくなり挂けたので私はすぐに散歩に出た。入江の岸を伝うて臭い漁師町を越して丘の間を小径の導くまゝに行つた。小径は貝殻の白く散らばつた畑の間の窪みである。ぽつ/\と穴が明いたやうに空には青い所が見えて来た。丘の間からところ/″\行手に青い煙の立つて居るのが見える。其煙は空へ明いた穴に吸はれるやうに真直に立ち騰つて行く。空の穴は心持よくずん/\と拡がつて行く。煙がすぐ近くに見えて小径がめぐつたと思つたら丘の上へ出た。畑がひろ/″\と見渡される。目の前には穢い衣物を着た女が其火を燃やして居るのを見た。それは麦の束であつた。穂先へ火のついた麦束を片手に翳して燃やしながら、片手に別の束をとつて其燃やして居る穂先から火を移す。めろ/\と燃えはじめたかと思ふと焦げた麦の穂がぼろ/\と落ちる。短くなつた燃えさしの麦束はぽつと傍へ投げ棄てる。そこにも煙はうすく立つ。女は燃やしては棄て/\非常に忙しげに手を動かして居る。私はふと燃えさしの麦束の散らばつたあたりに地にひつゝいて白い花の簇がつて居るのを見た。それは野茨の花であつた。軟かな長い枝がつやゝかな緑の葉をつけてすつと偃ひ出して居る。燃えさしの火が白い花を焦して居た。高低のある丘にはそこにもこゝにも麦を焼く煙が穏かな空気に浮んで行く。畑の女はたま/\の晴を見定めて麦の仕納をして畢はうといふのらしい。私はかういふ農事の仕方を此時はじめて見た。私は珍らしさに暫く立つて見て居た。空は一杯に晴れた。有繋に日は暑く照つて来た。私は爽快な丘の上を歩いた。海が丘の先に見え出した。海は一足毎に前に拡がつて来る。蟠屈した松が断崖に臨んで居る。私は好奇心から松の枝を攀ぢて見た。瞰おろすと波は唯白い泡である。岸に立つて見る波は大きいのも小さいのも必ず立ちあがつて来る。瞰おろす波は唯白い泡がざわ/\と動いて四方へ拡がるのみである。私は暫く其綺麗な白い泡の変化を見て居た。遠くを見ると褐色の断崖が連つて沖に相対して居る。打ちつける波が描く白い一線が水陸を画して居る。そこを去る時私はふと枝の間から近くに船の泛いてるのを見た。麦を焼いてる女に聞いて見たらそれは松魚船だといつた。こんな所で松魚が釣れるのかといつたら、そこでは松魚を釣る餌にする鰯を網ですくつて居るのだといつた。此から松魚が運ばれるのだと私は心に勇んだ。浜はこれまで不漁であつた。私は此の日はすべてが快かつた。さうしてもう帰らうと思つて見ると一段低い畑に婀娜な女が立つて居た。此の女が沖を遠く見て居たのである。私が小径へおりた時女も畑からおりて来た。私は此の女が私の隣座敷の客であつたことに気がついた。さうして女がどうしてこんな所へ来たものかと不審に思つた。だが私が窮屈な宿の座敷を出て散歩したことの愉快であつたことを思つた時その不審は晴れた。女も退屈まぎれに出たのだらうと思つた。女は私に近よつた時急に両手の袖を重ねて胸を掩うた。さうして余所を向いた。私は其日から隣座敷に心をおいて見るやうになつた。私の座敷は前にもいつたやうに二階の中の間で女の座敷は突き止りであつた。襖一枚が二つの座敷を隔てゝ居る。私は宿へついた時から隣座敷に女の客があることを知つて居た。只婀娜な女だと思つて居た。丘の畑で逢つてから急に私の注意が促されたのである。
 其次の日から空がまた六かしくなつた。私は湿つぽい室にばかり籠つて居た。身体がだるくなつて半日位うと/\と横になつて居ることもあつた。隣座敷の女も滅多に障子の外へさへ出ない。それでふつゝりと音沙汰もない。大方此も臥せつて居るのだらうと思はれるが私には女の座敷を覗く機会がない。一つの柱が両方の座敷を境してどちらの障子も其柱に建てつけてある。私は其柱から先へ理由もないのに一歩でも越えることは出来ない。越えて行つて見たとしても隣の座敷はひつそりと障子が閉てゝあるのであつた。それでも女が二階をおりて用達しに行くのには私の座敷の前を通らねばならぬ。其の時女は屹度袖で胸を掩うて居る。隣の障子がそつと開いた時いつでも私は目を欹てる。どうかすると女は障子を開けた儘私の座敷の前を通らぬことがある。私が障子の外へ出て見ると勾欄に両手をついて入江を見て居たのが障子をはたと締めて引つ込んで畢ふ。其時でも屹度衣物で胸を掩ふのである。散歩から帰つて見ると女は帳場の脇で新聞紙を見て居ることがある。女は隣座敷に只一人である。女一人で居るといふことがどうも私の腑に落ちぬ所であつた。さうかといつて女は決して厭らしい点はなくしをらしい容子であつた。或日隣の座敷では何かさら/\と巻紙でも巻いて居るやうな音が微かに聞えた。やがてばちりと筆を擱く音がしてそれからかたりと硯箱の蓋を落す音がした。ひつそりとした隣の座敷からは茶碗へ湯を汲む音さへはつきりと私の耳に響くのであつた。私の懐疑心は隣の座敷に対して神経を鋭敏にして居たのであつた。やがて女は一封の手紙らしいものを持つて、衣物で胸を掩ひながら私の座敷の前を通つて二階をおりて行つた。二三日たつてから私は少しの雨間を見て散歩に出た。復た此の間の畑へ行つて見た。青い煙も立つて居らなければ百姓の女も見えぬ。燃やして棄てた麦束は此の間の儘ぐつしよりと湿つて居る。僅かの間に白い野茨の花もなくなつた。懶げな海と相接して空がどんよりと低く垂れて居る。私は寂しさに堪へなかつた。宿へもどつたのは正午少し過ぎであつた。隣の座敷には草履が二足脱いであつてひそ/\と噺をして居るのが聞えた。私が自分の座敷の障子を開けてはひつた時噺は少し途切れたやうであつた。軈て又以前よりもひそ/\と語りはじめたやうである。女中が私へ昼餐を持つて来た時、隣の障子が開いて女は一人のお婆さんと階子段をおりて行つた。お婆さんは私の座敷をちらりと見て会釈して行つた。田舎の人としては品のいゝ怜悧相な人であつた。髪は油が乗つて居たが半分程は白いやうであつた。私はあのお婆さんは今日はじめて来た客かと女中に聞いて見た。女中はもう二三度来たことがあるので、隣の女もあのお婆さんが連れて来たのである。女はもう三週間ばかり隣の座敷に居るのである。さうしてお婆さんが来るといつでも此所の主人とお婆さんとで頻りに相談をして居るのだといつた。まだ海水浴といふ時節でもないから客も少ない此の港の宿に保養であるとしてもあの女は不思議である。私は箸をとりながら尚女中に聞いて見た。唯手持無沙汰にして聞くよりもかうして膳に向いて聞くのは私には張合があつた。
「私もよくは知りませんがね、あの方はお気の毒なんですと」
 女中は丸盆を膝に立てゝかういつた。
「お前知つてるかいそれを」
 私は聞かないわけには行かなかつた。
「本当はね、私知らないんですがね、さういふこといつてますんですよ」
「誰がいつてるんだい」
「此所の且那さんが他人でないんですつて、旦那さんがねあのお婆さんと噺しちや困つたなんていつていますよ、それだけですよ」
 私は土瓶から注いだ茶を一杯に飲み干した。
「あの方あれで廿四ですつて、別嬪でさあね」
 女中は盆を立てた儘いつた。其噺は要領を得なかつたが此の宿が女と姻戚の間柄であるといふのを聞いて私は女が一人で身を託すことの出来る理由を知つた。隣の座敷へは其夜お婆さんが泊つた。其次の日もお婆さんは帰らなかつた。隣の座敷ではよくひそ/\と噺をした。私はお婆さんが帳場で主人と噺をして居るのも見た。其時お婆さんも主人も只煙草の烟を吹いて居るものゝ如くであつた。私は鬱陶しい宿の退屈に堪へないので思ひ切つて雨の中をそこからでは遠くもないといふ炭坑を見に出挂けた。二日ばかりで雨は晴れた。私は山の途中から光る海を見た。山を出て宿へついたのは日が後の丘に傾きつゝある時であつた。小さな入江には松魚船が五六艘泛んで居る。船は皆帆を張つたやうに建てた檣へ網を干してある。入江を抱へた岡の松にはもう鴉が塒を求めて騒いで居る。岡の出鼻から突然船が現れた。裸の漁師が挂声をしながら艪を押して居る。船は船と船との間を矢の如く入江にはひる。艪の手が止ると船は惰力を以てずうつと汀まで進む。汀には港の人が集つて居る。浜の子供が幾十人となく人々に交つて居る。私は暑いので荷物にして来た衣物を宿の店先へ投げて浜へ駆けつけた。やがて船からは松魚をぽん/\と浅い水に投げる。船からおりた漁師が裸のまゝ松魚の尻尾を攫んで砂の上へ運ぶ。幾十人の浜の子は水にひたりながら先を争うて松魚を運ぶ。松魚は十づゝ其頭を揃へて砂の上にならべられる。人々が騒々しく其松魚を囲んで立ち塞がる。幾十人の子供は裸のまゝ一斉に声を立てゝ叫びはじめた。「くなんしよ/\」と叫ぶ。後には只「なんしよ/\」と声を限りに叫ぶ。手伝つた賃銭に松魚を呉れと叫ぶのである。立ち塞つた人々は其叫声には頓着なしに松魚の処分をしてずん/\外へ運んで行く。やがて一尾の松魚が子供の一人の手へ渡された。子供は直ちに走つていつてしまつた。私が宿へもどる時彼等は松魚を銭に換へたと見えて各一文二文と分配しつゝある所であつた。数日前とは異なつて港は何となく活々として来た。私は再び宿へもどつて来た時、宿の前には何かの肉であらうと思はれる綿のやうな黄色な然かも大きなものゝ浮んで居るのを見た。半ば岸へ揚げられて波にゆられて居る。それが酷い臭気を放つて居た。
「どちらの方へ、はあ炭坑へお出でになりましたか」
 主人は私へ挨拶する。私は帳場の前へ一寸坐る。此の間のお婆さんはまだ帰らなかつたと見えて帳場の側に坐つて居た。お婆さんは自分の前の煙草盆を私の方へ移して軽く時儀をした。
「大分浜らしくなつて来ましたね」
 私も主人へ挨拶した。
「えゝこの塩梅ぢや此からよからうと思ふんですがね、これで少し続いてくれなくちや困りますからね」
「馬鹿に臭いですな」
 と私がいつた時主人は机の上に披いてあつた帳簿をはたと閉ぢて
「今も其噺をした所ですが、此は鯨の肉ですがね、どうも日数がたつて居ますからすつかり腐つて居るんです。そこらに浮いて居たのを引つ張つて来たんですが肥料ですな」
 主人はかういつて更に
「どうぞまあ、お二階で御ゆつくり」
 といつた。又た威勢のいゝ挂声がして松魚船がはひつて来た。私はつと店先へ立つて松魚の人だかりを見た。
「此の臭が厭だつていふんだからね」
 お婆さんが主人に向つていつてるのを聞いた。
 隣座敷はひつそりとして居る。女中が茶を持つて来たので、私は黙つて隣の座敷を指して肘を頭へあてゝ、女は寝て居るかと聞いた。
「しよつちふなんですよ、それに今日はね、此の臭が厭だつてね、吐いたんですよ。本当に此の臭は厭ですわね」
 女中はこつそりとかういつた。私はふと女が懐胎して居るんぢやないかと思つた。さう思ふと酷く人に身を避けて居るやうなのが思ひ合される。
「此ぢやないか」
 と私は手で腹を描いて女中に聞いた。女中は冷かに微笑しながら
「そんなこといふと旦那に叱られますがね、本当にをかしんですよ、それだがまだ見た処ぢや分りませんわね」
 私へすりよつて小声でいつた。
 お婆さんが階子段を昇つて来たので女中は慌てゝ行つて畢つた。
「只今はどうも」
 とお婆さんは私に挨拶した。隣の座敷ではお婆さんの低い声が聞えた。
「どうだね、お前まだいけないかい。それぢやあつちの都合もあるから私は行くからね……」
 あとの方は能く聞えなかつた。更に低く女の声がしたやうであつたがそれはちつとも分らなかつた。やがてお婆さんは小さな包を持つて出た。
「またお目にかゝります」
 とお婆さんは私に挨拶して行つた。私は障子を開けて入江を見て居るとやがてお婆さんの車が威勢よくがら/\と走つて行つた。
 其夜私は目が冴えてまぢ/\と雑念に駆られたのであつた。隣座敷の女が懐胎して居ると気がついた時私はおいよさんに対する心配が募つて来た。手紙にあるのが本当であればおいよさんの身体にはもう変化が起りかける時期である。おいよさんも隣座敷の女のやうに陰気にならねばならぬであらう。平生から虚弱な身体ではましてさうなければなるまい。おいよさんは正月に行つた時も懐胎して居た。さうして人知れず恐ろしい罪を犯して身軽になつた。ほつと息をつく間もなく又懐胎して畢つたのである。私等はよく/\運も悪いのであつた。おいよさんはもう此度は身体が恐ろしくてそんなことは出来ないというて独で苦しんで居るのである。隣座敷の女はどんな事情が纏綿して居るであらうか。おいよさんのやうな境遇に在るのではなからうかと私には思はれてならぬ。さうしておいよさんのしたやうな罪を犯す念慮もなく又さういふ方法も知らず只沈んで居るのであらう。それを思ふと私は窃に愧ぢ入らねばならぬ。然しおいよさんの心持になつて見ると私は一概においよさんを貶して畢ふ気にはなれぬ。おいよさんは夫を嫌つて遁げて来たのである。それが一家の事情から今では其夫の村に近く住まねばならなくなつた。懐胎してはもう私の家には居られないのである。そこはどういふことにしても体面上私の家ではおいよさんを置く訳に行かないからである。さうかといつておいよさんは耻を曝して嫌つた夫の近くに居ることが出来ようか。さうして思案の末に嘗て自分が知合であつたといふ女を訪ねる気になつたのである。おいよさんはそれつ切り私の家に来なかつたならばもう心配を招くことはなかつたのである。然し私も喚んで見たかつたし、おいよさんも来ることが厭でなかつたばかりに更に又苦労の種が播かれたのである。おいよさんは私の冷かな情に弄ばれたのである。私は到底陋劣である。私の母は能く穿鑿して見ねば容易な判断は下せないといつたが私はどうしてもおいよさんを信じて私も亦十分に苦んでやらなければおいよさんに済まぬ。私はいつそおいよさんが逢ひたいといつた場所で逢つてやればよかつたとかういふ塩梅に私は此の夜いつになくおいよさんに同情が湧いた。私は港へ来てからもおいよさんとの交渉がどうなつたか思案しない日はなかつた。私の鬱して居た心は余計に雨を厭うたのであつた。私はおいよさんの身の始末に思ひ到ると隣座敷の女に対してどういふものか微かな恐怖心を抱くやうになつた。

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