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趣味の遺伝(しゅみのいでん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 8:53:25  点击:  切换到繁體中文

         一

 陽気のせいで神も気違(きちがい)になる。「人を屠(ほふ)りて餓(う)えたる犬を救え」と雲の裡(うち)より叫ぶ声が、逆(さか)しまに日本海を撼(うご)かして満洲の果まで響き渡った時、日人と露人ははっと応(こた)えて百里に余る一大屠場(とじょう)を朔北(さくほく)の野(や)に開いた。すると渺々(びょうびょう)たる平原の尽くる下より、眼にあまる※(「螯」の「虫」に代えて「犬」、第4水準2-80-47)狗(ごうく)の群(むれ)が、腥(なまぐさ)き風を横に截(き)り縦に裂いて、四つ足の銃丸を一度に打ち出したように飛んで来た。狂える神が小躍(こおど)りして「血を啜(すす)れ」と云うを合図に、ぺらぺらと吐く※(「(諂-言)+炎」、第3水準1-87-64)(ほのお)の舌は暗き大地を照らして咽喉(のど)を越す血潮の湧(わ)き返る音が聞えた。今度は黒雲の端(はじ)を踏み鳴らして「肉を食(くら)え」と神が号(さけ)ぶと「肉を食え! 肉を食え!」と犬共も一度に咆(ほ)え立てる。やがてめりめりと腕を食い切る、深い口をあけて耳の根まで胴にかぶりつく。一つの脛(すね)を啣(くわ)えて左右から引き合う。ようやくの事肉は大半平げたと思うと、また羃々(べきべき)たる雲を貫(つら)ぬいて恐しい神の声がした。「肉の後には骨をしゃぶれ」と云う。すわこそ骨だ。犬の歯は肉よりも骨を噛(か)むに適している。狂う神の作った犬には狂った道具が具(そな)わっている。今日の振舞を予期して工夫してくれた歯じゃ。鳴らせ鳴らせと牙(きば)を鳴らして骨にかかる。ある者は摧(くじ)いて髄(ずい)を吸い、ある者は砕いて地に塗(まみ)る。歯の立たぬ者は横にこいて牙(きば)を磨(と)ぐ。
 怖(こわ)い事だと例の通り空想に耽(ふけ)りながらいつしか新橋へ来た。見ると停車場前の広場はいっぱいの人で凱旋門(がいせんもん)を通して二間ばかりの路を開いたまま、左右には割り込む事も出来ないほど行列している。何だろう?
 行列の中には怪(あや)し気(げ)な絹帽(シルクハット)を阿弥陀(あみだ)に被(かぶ)って、耳の御蔭で目隠しの難を喰(く)い止(と)めているのもある。仙台平(せんだいひら)を窮屈そうに穿(は)いて七子(ななこ)の紋付を人の着物のようにいじろじろ眺(なが)めているのもある。フロック・コートは承知したがズックの白い運動靴をはいて同じく白の手袋をちょっと見たまえと云わぬばかりに振り廻しているのは奇観だ。そうして二十人に一本ずつくらいの割合で手頃な旗を押し立てている。大抵は紫(むらさき)に字を白く染め抜いたものだが、中には白地に黒々と達筆を振(ふる)ったのも見える。この旗さえ見たらこの群集の意味も大概(たいがい)分るだろうと思って一番近いのを注意して読むと木村六之助君の凱旋(がいせん)を祝す連雀町(れんじゃくちょう)有志者とあった。ははあ歓迎だと始めて気がついて見ると、先刻(さっき)の異装紳士も何となく立派に見えるような気がする。のみならず戦争を狂神のせいのように考えたり、軍人を犬に食われに戦地へ行くように想像したのが急に気の毒になって来た。実は待ち合す人があって停車場まで行くのであるが、停車場へ達するには是非共この群集を左右に見て誰も通らない真中をただ一人歩かなくってはならん。よもやこの人々が余の詩想を洞見(どうけん)しはしまいが、たださえ人の注視をわれ一人に集めて往来を練(ね)って行くのはきまりが悪(わ)るいのに、犬に喰い残された者の家族と聞いたら定めし怒(おこ)る事であろうと思うと、一層調子が狂うところを何でもない顔をして、急ぎ足に停車場の石段の上まで漕(こ)ぎつけたのは少し苦しかった。
 場内へ這入って見るとここも歓迎の諸君で容易に思う所へ行けぬ。ようやくの事一等の待合へ来て見ると約束をした人は未(ま)だ来ておらぬらしい。暖炉の横に赤い帽子を被った士官が何かしきりに話しながら折々佩剣(はいけん)をがちゃつかせている。その傍(そば)に絹帽(シルクハット)が二つ並んで、その一つには葉巻の煙(けむ)りが輪になってたなびいている。向うの隅に白襟(しろえり)の細君が品(ひん)のよい五十恰好(かっこう)の婦人と、傍(わ)きの人には聞えぬほどな低い声で何事か耳語(ささや)いている。ところへ唐桟(とうざん)の羽織を着て鳥打帽を斜めに戴(いただ)いた男が来て、入場券は貰えません改札場の中はもういっぱいですと注進する。大方(おおかた)出入(でいり)の者であろう。室の中央に備え付けたテーブルの周囲には待(ま)ち草臥(くたび)れの連中が寄ってたかって新聞や雑誌をひねくっている。真面目に読んでるものは極(きわ)めて少ないのだから、ひねくっていると云うのが適当だろう。
 約束をした人はなかなか来(こ)ん。少々退屈になったから、少し外へ出て見ようかと室の戸口をまたぐ途端に、背広(せびろ)を着た髯(ひげ)のある男が擦(す)れ違いながら「もう直(じき)です二時四十五分ですから」と云った。時計を見ると二時三十分だ、もう十五分すれば凱旋(がいせん)の将士が見られる。こんな機会は容易にない、ついでだからと云っては失礼かも知れんが実際余のように図書館以外の空気をあまり吸った事のない人間はわざわざ歓迎のために新橋までくる折もあるまい、ちょうど幸(さいわい)だ見て行こうと了見(りょうけん)を定めた。
 室を出て見ると場内もまた往来のように行列を作って、中にはわざわざ見物に来た西洋人も交っている。西洋人ですらくるくらいなら帝国臣民たる吾輩(わがはい)は無論歓迎しなくてはならん、万歳の一つくらいは義務にも申して行こうとようやくの事で行列の中へ割り込んだ。
「あなたも御親戚を御迎いに御出(おいで)になったので……」
「ええ。どうも気が急(せ)くものですから、つい昼飯を食わずに来て、……もう二時間半ばかり待ちます」と腹は減ってもなかなか元気である。ところへ三十前後の婦人が来て
「凱旋の兵士はみんな、ここを通りましょうか」と心配そうに聞く。大切の人を見はぐっては一大事ですと云わぬばかりの決心を示している。腹の減った男はすぐ引き受けて
「ええ、みんな通るんです、一人残らず通るんだから、二時間でも三時間でもここにさえ立っていれば間違いっこありません」と答えたのはなかなか自信家と見える。しかし昼飯も食わずに待っていろとまでは云わなかった。
 汽車の笛(ふえ)の音を形容して喘息(ぜんそく)病(や)みの鯨(くじら)のようだと云った仏蘭西(フランス)の小説家があるが、なるほど旨(うま)い言葉だと思う間もなく、長蛇のごとく蜿蜒(のた)くって来た列車は、五百人余の健児を一度にプラットフォームの上に吐き出した。
「ついたようですぜ」と一人が領(くび)を延(のば)すと
「なあに、ここに立ってさえいれば大丈夫」と腹の減った男は泰然として動(どう)ずる景色(けしき)もない。この男から云うと着いても着かなくても大丈夫なのだろう。それにしても腹の減った割には落ちついたものである。
 やがて一二丁向うのプラットフォームの上で万歳! と云う声が聞える。その声が波動のように順送りに近づいてくる。例の男が「なあに、まだ大丈……」と云(い)い懸(か)けた尻尾(しっぽ)を埋(うず)めて余の左右に並んだ同勢は一度に万―歳! と叫んだ。その声の切れるか切れぬうちに一人の将軍が挙手の礼を施しながら余の前を通り過ぎた。色の焦(や)けた、胡麻塩髯(ごましおひげ)の小作(こづく)りな人である。左右の人は将軍の後(あと)を見送りながらまた万歳を唱(とな)える。余も――妙な話しだが実は万歳を唱えた事は生れてから今日(こんにち)に至るまで一度もないのである。万歳を唱えてはならんと誰からも申しつけられた覚(おぼえ)は毛頭ない。また万歳を唱えては悪(わ)るいと云う主義でも無論ない。しかしその場に臨んでいざ大声(たいせい)を発しようとすると、いけない。小石で気管を塞(ふさ)がれたようでどうしても万歳が咽喉笛(のどぶえ)へこびりついたぎり動かない。どんなに奮発しても出てくれない。――しかし今日は出してやろうと先刻(さっき)から決心していた。実は早くその機がくればよいがと待ち構えたくらいである。隣りの先生じゃないが、なあに大丈夫と安心していたのである。喘息病みの鯨が吼(ほ)えた当時からそら来たなとまで覚悟をしていたくらいだから周囲のものがワーと云うや否や尻馬(しりうま)についてすぐやろうと実は舌の根まで出しかけたのである。出しかけた途端に将軍が通った。将軍の日に焦(や)けた色が見えた。将軍の髯(ひげ)の胡麻塩(ごましお)なのが見えた。その瞬間に出しかけた万歳がぴたりと中止してしまった。なぜ?
 なぜか分るものか。なにゆえとかこのゆえとか云うのは事件が過ぎてから冷静な頭脳に復したとき当時を回想して始めて分解し得た智識に過ぎん。なにゆえが分るくらいなら始めから用心をして万歳の逆戻りを防いだはずである。予期出来ん咄嗟(とっさ)の働きに分別が出るものなら人間の歴史は無事なものである。余の万歳は余の支配権以外に超然として止(と)まったと云わねばならぬ。万歳がとまると共に胸の中(うち)に名状しがたい波動が込み上げて来て、両眼から二雫(ふたしずく)ばかり涙が落ちた。
 将軍は生れ落ちてから色の黒い男かも知れぬ。しかし遼東(りょうとう)の風に吹かれ、奉天の雨に打たれ、沙河(しゃか)の日に射(い)り付けられれば大抵なものは黒くなる。地体(じたい)黒いものはなお黒くなる。髯(ひげ)もその通りである。出征してから白銀(しろがね)の筋は幾本も殖(ふ)えたであろう。今日始めて見る我らの眼には、昔の将軍と今の将軍を比較する材料がない。しかし指を折って日夜に待(まち)佗(わ)びた夫人令嬢が見たならば定めし驚くだろう。戦(いくさ)は人を殺すかさなくば人を老いしむるものである。将軍はすこぶる瘠(や)せていた。これも苦労のためかも知れん。して見ると将軍の身体中(からだじゅう)で出征前(ぜん)と変らぬのは身の丈(たけ)くらいなものであろう。余のごときは黄巻青帙(こうかんせいちつ)の間(あいだ)に起臥(きが)して書斎以外にいかなる出来事が起るか知らんでも済む天下の逸民(いつみん)である。平生戦争の事は新聞で読まんでもない、またその状況は詩的に想像せんでもない。しかし想像はどこまでも想像で新聞は横から見ても縦から見ても紙片(しへん)に過ぎぬ。だからいくら戦争が続いても戦争らしい感じがしない。その気楽な人間がふと停車場に紛(まぎ)れ込んで第一に眼に映じたのが日に焦けた顔と霜(しも)に染った髯である。戦争はまのあたりに見えぬけれど戦争の結果――たしかに結果の一片(いっぺん)、しかも活動する結果の一片が眸底(ぼうてい)を掠(かす)めて去った時は、この一片に誘われて満洲の大野(たいや)を蔽(おお)う大戦争の光景がありありと脳裏(のうり)に描出(びょうしゅつ)せられた。
 しかもこの戦争の影とも見るべき一片の周囲を繞(めぐ)る者は万歳と云う歓呼の声である。この声がすなわち満洲の野(や)に起った咄喊(とっかん)の反響である。万歳の意義は字のごとく読んで万歳に過ぎんが咄喊となるとだいぶ趣(おもむき)が違う。咄喊はワーと云うだけで万歳のように意味も何もない。しかしその意味のないところに大変な深い情(じょう)が籠(こも)っている。人間の音声には黄色いのも濁ったのも澄んだのも太いのも色々あって、その言語調子もまた分類の出来んくらい区々(まちまち)であるが一日二十四時間のうち二十三時間五十五分までは皆意味のある言葉を使っている。着衣の件、喫飯(きっぱん)の件、談判の件、懸引(かけひき)の件、挨拶(あいさつ)の件、雑話の件、すべて件と名のつくものは皆口から出る。しまいには件がなければ口から出るものは無いとまで思う。そこへもって来て、件のないのに意味の分らぬ音声を出すのは尋常ではない。出しても用の足りぬ声を使うのは経済主義から云うても功利主義から云っても割に合わぬにきまっている。その割に合わぬ声を不作法に他人様の御聞(おきき)に入れて何らの理由もないのに罪もない鼓膜(こまく)に迷惑を懸(か)けるのはよくせきの事でなければならぬ。咄喊(とっかん)はこのよくせきを煎(せん)じ詰めて、煮詰めて、缶詰(かんづ)めにした声である。死ぬか生きるか娑婆(しゃば)か地獄かと云う際(きわ)どい針線(はりがね)の上に立って身(み)震(ぶる)いをするとき自然と横膈膜(おうかくまく)の底から湧(わ)き上がる至誠の声である。助けてくれと云ううちに誠はあろう、殺すぞと叫ぶうちにも誠はない事もあるまい。しかし意味の通ずるだけそれだけ誠の度は少ない。意味の通ずる言葉を使うだけの余裕分別のあるうちは一心不乱の至境に達したとは申されぬ。咄喊にはこんな人間的な分子は交っておらん。ワーと云うのである。このワーには厭味(いやみ)もなければ思慮もない。理もなければ非もない。詐(いつわ)りもなければ懸引(かけひき)もない。徹頭徹尾ワーである。結晶した精神が一度に破裂して上下四囲の空気を震盪(しんとう)さしてワーと鳴る。万歳の助けてくれの殺すぞのとそんなけちな意味を有してはおらぬ。ワーその物が直(ただ)ちに精神である。霊である。人間である。誠である。しかして人界崇高の感は耳を傾けてこの誠を聴き得たる時に始めて享受し得ると思う。耳を傾けて数十人、数百人、数千数万人の誠を一度に聴き得たる時にこの崇高の感は始めて無上絶大の玄境(げんきょう)に入る。――余が将軍を見て流した涼しい涙はこの玄境の反応だろう。
 将軍のあとに続いてオリーヴ色の新式の軍服を着けた士官が二三人通る。これは出迎と見えてその表情が将軍とはだいぶ違う。居(きょ)は気を移すと云う孟子(もうし)の語は小供の時分から聞いていたが戦争から帰った者と内地に暮らした人とはかほどに顔つきが変って見えるかと思うと一層感慨が深い。どうかもう一遍将軍の顔が見たいものだと延び上ったが駄目だ。ただ場外に群(むら)がる数万の市民が有らん限りの鬨(とき)を作って停車場の硝子窓(ガラスまど)が破(わ)れるほどに響くのみである。余の左右前後の人々はようやくに列を乱して入口の方へなだれかかる。見たいのは余と同感と見える。余も黒い波に押されて一二間石段の方へ流れたが、それぎり先へは進めぬ。こんな時には余の性分(しょうぶん)としていつでも損をする。寄席(よせ)がはねて木戸を出る時、待ち合せて電車に乗る時、人込みに切符を買う時、何でも多人数競争の折には大抵最後に取り残される、この場合にも先例に洩(も)れず首尾よく人後(じんご)に落ちた。しかも普通の落ち方ではない。遥(はる)かこなたの人後(じんご)だから心細い。葬式の赤飯に手を出し損(そくな)った時なら何とも思わないが、帝国の運命を決する活動力の断片を見損(みそこな)うのは残念である。どうにかして見てやりたい。広場を包む万歳の声はこの時四方から大濤(おおなみ)の岸に崩(くず)れるような勢で余の鼓膜(こまく)に響き渡った。もうたまらない。どうしても見なければならん。
 ふと思いついた事がある。去年の春麻布(あざぶ)のさる町を通行したら高い練塀(ねりべい)のある広い屋敷の内で何か多人数打ち寄って遊んででもいるのか面白そうに笑う声が聞えた。余はこの時どう云う腹工合かちょっとこの邸内を覗(のぞ)いて見たくなった。全く腹工合のせいに相違ない。腹工合でなければ、そんな馬鹿気た了見の起る訳(わけ)がない。源因はとにかく、見たいものは見たいので源因のいかんに因(よ)って変化出没する訳には行かぬ。しかし今云う通り高い土塀の向う側で笑っているのだから壁に穴のあいておらぬ限りはとうてい思い通り志望を満足する事は何人(なんびと)の手際(てぎわ)でも出来かねる。とうてい見る事が叶(かな)わないと四囲の状況から宣告を下されるとなお見てやりたくなる。愚(ぐ)な話だが余は一目でも邸内を見なければ誓ってこの町を去らずと決心した。しかし案内も乞(こ)わずに人の屋敷内に這入り込むのは盗賊の仕業(しわざ)だ。と云って案内を乞うて這入るのはなおいやだ。この邸内の者共の御世話にならず、しかもわが人格を傷(きずつ)けず正々堂々と見なくては心持ちがわるい。そうするには高い山から見下(みおろ)すか、風船の上から眺(なが)めるよりほかに名案もない。しかし双方共当座の間に合うような手軽なものとは云えぬ。よし、その儀ならこっちにも覚悟がある。高等学校時代で練習した高飛の術を応用して、飛び上がった時にちょっと見てやろう。これは妙策だ、幸い人通りもなし、あったところが自分で自分が飛び上るに文句をつけられる因縁(いんねん)はない。やるべしと云うので、突然双脚に精一杯の力を込めて飛び上がった。すると熟練の結果は恐ろしい者で、かの土塀の上へ首が――首どころではない肩までが思うように出た。この機をはずすととうてい目的は達せられぬと、ちらつく両眼を無理に据(す)えて、ここぞと思うあたりを瞥見(べっけん)すると女が四人でテニスをしていた。余が飛び上がるのを相図に四人が申し合せたようにホホホと癇(かん)の高い声で笑った。おやと思ううちにどたりと元のごとく地面の上に立った。
 これは誰が聞いても滑稽(こっけい)である。冒険の主人公たる当人ですらあまり馬鹿気ているので今日(こんにち)まで何人(なんびと)にも話さなかったくらい自(みずか)ら滑稽と心得ている。しかし滑稽とか真面目(まじめ)とか云うのは相手と場合によって変化する事で、高飛びその物が滑稽とは理由のない言草(いいぐさ)である。女がテニスをしているところへこっちが飛び上がったから滑稽にもなるが、ロメオがジュリエットを見るために飛び上ったって滑稽にはならない。ロメオくらいなところでは未(ま)だ滑稽を脱せぬと云うなら余はなお一歩を進める。この凱旋(がいせん)の将軍、英名嚇々(かくかく)たる偉人を拝見するために飛び上がるのは滑稽ではあるまい。それでも滑稽か知らん? 滑稽だって構うものか。見たいものは、誰が何と云っても見たいのだ。飛び上がろう、それがいい、飛び上がるにしくなしだと、とうとうまた先例によって一蹴(いっしゅう)を試むる事に決着した。先(ま)ず帽子をとって小脇に抱(か)い込む。この前は経験が足りなかったので足が引力作用で地面へ引き着けられた勢に、買いたての中折帽(なかおれぼう)が挨拶(あいさつ)もなく宙返りをして、一間ばかり向(むこう)へ転(ころ)がった。それをから車を引いて通り掛った車夫が拾って笑いながらえへへと差し出した事を記憶している。こんどはその手は喰(く)わぬ。これなら大丈夫と帽子を確(しか)と抑えながら爪先で敷石を弾(はじ)く心持で暗に姿勢を整える。人後に落ちた仕合せには邪魔になるほど近くに人もおらぬ。しばし衰えた、歓声は盛り返す潮(うしお)の岩に砕けたようにあたり一面に湧(わ)き上がる。ここだと思い切って、両足が胴のなかに飛び込みはしまいかと疑うほど脚力をふるって跳(は)ね上った。
 幌(ほろ)を開いたランドウが横向に凱旋門(がいせんもん)を通り抜けようとする中に――いた――いた。例の黒い顔が湧(わ)き返る声に囲まれて過去の紀念のごとく華(はな)やかなる群衆の中に点じ出されていた。将軍を迎えた儀仗兵(ぎじょうへい)の馬が万歳の声に驚ろいて前足を高くあげて人込の中にそれようとするのが見えた。将軍の馬車の上に紫の旗が一流れ颯(さっ)となびくのが見えた。新橋へ曲る角の三階の宿屋の窓から藤鼠(ふじねずみ)の着物をきた女が白いハンケチを振るのが見えた。
 見えたと思うより早く余が足はまた停車場の床(ゆか)の上に着いた。すべてが一瞬間の作用である。ぱっと射る稲妻の飽(あ)くまで明るく物を照らした後(あと)が常よりは暗く見えるように余は茫然(ぼうぜん)として地に下りた。
 将軍の去ったあとは群衆も自(おのず)から乱れて今までのように静粛ではない。列を作った同勢の一角(いっかく)が崩(くず)れると、堅い黒山が一度に動き出して濃い所がだんだん薄くなる。気早(きばや)な連中はもう引き揚げると見える。ところへ将軍と共に汽車を下りた兵士が三々五々隊を組んで場内から出てくる。服地の色は褪(さ)めて、ゲートルの代りには黄な羅紗(らしゃ)を畳んでぐるぐると脛(すね)へ巻きつけている。いずれもあらん限りの髯(ひげ)を生(は)やして、出来るだけ色を黒くしている。これらも戦争の片破(かたわ)れである。大和魂(やまとだましい)を鋳(い)固(かた)めた製作品である。実業家も入(い)らぬ、新聞屋も入らぬ、芸妓(げいしゃ)も入らぬ、余のごとき書物と睨(にら)めくらをしているものは無論入らぬ。ただこの髯茫々(ぼうぼう)として、むさくるしき事乞食(こつじき)を去る遠からざる紀念物のみはなくて叶(かな)わぬ。彼らは日本の精神を代表するのみならず、広く人類一般の精神を代表している。人類の精神は算盤(そろばん)で弾(はじ)けず、三味線に乗らず、三頁(ページ)にも書けず、百科全書中にも見当らぬ。ただこの兵士らの色の黒い、みすぼらしいところに髣髴(ほうふつ)として揺曳(ようえい)している。出山(しゅっせん)の釈迦(しゃか)はコスメチックを塗ってはおらん。金の指輪も穿(は)めておらん。芥溜(ごみだめ)から拾い上げた雑巾(ぞうきん)をつぎ合せたようなもの一枚を羽織っているばかりじゃ。それすら全身を掩(おお)うには足らん。胸のあたりは北風の吹き抜けで、肋骨(ろっこつ)の枚数は自由に読めるくらいだ。この釈迦が尊(たっと)ければこの兵士も尊(たっ)といと云わねばならぬ。昔(むか)し元寇(げんこう)の役(えき)に時宗(ときむね)が仏光国師(ぶっこうこくし)に謁(えっ)した時、国師は何と云うた。威(い)を振(ふる)って驀地(ばくち)に進めと吼(ほ)えたのみである。このむさくろしき兵士らは仏光国師の熱喝(ねっかつ)を喫(きっ)した訳でもなかろうが驀地に進むと云う禅機(ぜんき)において時宗と古今(ここん)その揆(き)を一(いつ)にしている。彼らは驀地に進み了して曠如(こうじょ)と吾家(わがや)に帰り来りたる英霊漢である。天上を行き天下(てんげ)を行き、行き尽してやまざる底(てい)の気魄(きはく)が吾人の尊敬に価(あたい)せざる以上は八荒(はっこう)の中(うち)に尊敬すべきものは微塵(みじん)ほどもない。黒い顔! 中には日本に籍があるのかと怪まれるくらい黒いのがいる。――刈り込まざる髯! 棕櫚箒(しゅろぼうき)を砧(きぬた)で打ったような髯――この気魄(きはく)は這裏(しゃり)に磅※(「石+薄」、第3水準1-89-18)(ほうはく)として蟠(わだか)まり※(「さんずい+亢」、第3水準1-86-55)瀁(こうよう)として漲(みなぎ)っている。
 兵士の一隊が出てくるたびに公衆は万歳を唱(とな)えてやる。彼らのあるものは例の黒い顔に笑(えみ)を湛(たた)えて嬉(うれ)し気(げ)に通り過ぎる。あるものは傍目(わきめ)もふらずのそのそと行く。歓迎とはいかなる者ぞと不審気に見える顔もたまには見える。またある者は自己の歓迎旗の下に立って揚々(ようよう)と後(おく)れて出る同輩を眺(なが)めている。あるいは石段を下(くだ)るや否(いな)や迎(むかえ)のものに擁(よう)せられて、あまりの不意撃(ふいうち)に挨拶さえも忘れて誰彼の容赦なく握手の礼を施こしている。出征中に満洲で覚えたのであろう。
 その中に――これがはからずもこの話をかく動機になったのであるが――年の頃二十八九の軍曹が一人いた。顔は他の先生方と異(こと)なるところなく黒い、髯(ひげ)も延びるだけ延ばしておそらくは去年から持ち越したものと思われるが目鼻立ちはほかの連中とは比較にならぬほど立派である。のみならず亡友浩(こう)さんと兄弟と見違えるまでよく似ている。実はこの男がただ一人石段を下りて出た時ははっと思って馳(か)け寄ろうとしたくらいであった。しかし浩さんは下士官ではない。志願兵から出身した歩兵中尉である。しかも故歩兵中尉で今では白山の御寺に一年余(よ)も厄介(やっかい)になっている。だからいくら浩さんだと思いたくっても思えるはずがない。ただ人情は妙なものでこの軍曹が浩さんの代りに旅順で戦死して、浩さんがこの軍曹の代りに無事で還(かえ)って来たらさぞ結構であろう。御母(おっか)さんも定めし喜ばれるであろうと、露見(ろけん)する気づかいがないものだから勝手な事を考えながら眺(なが)めていた。軍曹も何か物足らぬと見えてしきりにあたりを見廻している。ほかのもののように足早に新橋の方へ立ち去る景色(けしき)もない。何を探(さ)がしているのだろう、もしや東京のものでなくて様子が分らんのなら教えて遣(や)りたいと思ってなお目を放さずに打ち守っていると、どこをどう潜(くぐ)り抜けたものやら、六十ばかりの婆さんが飛んで出て、いきなり軍曹の袖(そで)にぶら下がった。軍曹は中肉ではあるが背(せい)は普通よりたしかに二寸は高い。これに反して婆さんは人並はずれて丈(たけ)が低い上に年のせいで腰が少々曲っているから、抱き着いたとも寄り添うたとも形容は出来ぬ。もし余が脳中にある和漢の字句を傾けて、その中(うち)からこのありさまを叙するに最も適当なる詞(ことば)を探したなら必ずぶら下がるが当選するにきまっている。この時軍曹は紛失物が見当ったと云う風で上から婆さんを見下(みおろ)す。婆さんはやっと迷児(まいご)を見つけたと云う体(てい)で下から軍曹を見上げる。やがて軍曹はあるき出す。婆さんもあるき出す。やはりぶらさがったままである。近辺(きんぺん)に立つ見物人は万歳万歳と両人(ふたり)を囃(はや)したてる。婆さんは万歳などには毫(ごう)も耳を借す景色はない。ぶら下がったぎり軍曹の顔を下から見上げたまま吾が子に引き摺(ず)られて行く。冷飯草履(ひやめしぞうり)と鋲(びょう)を打った兵隊靴が入り乱れ、もつれ合って、うねりくねって新橋の方へ遠(とおざ)かって行く。余は浩さんの事を思い出して悵然(ちょうぜん)と草履(ぞうり)と靴の影を見送った。

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