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趣味の遺伝(しゅみのいでん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 8:53:25  点击:  切换到繁體中文

         一

 陽気のせいで神も気違きちがいになる。「人をほふりてえたる犬を救え」と雲のうちより叫ぶ声が、さかしまに日本海をうごかして満洲の果まで響き渡った時、日人と露人ははっとこたえて百里に余る一大屠場とじょう朔北さくほくに開いた。すると渺々びょうびょうたる平原の尽くる下より、眼にあまる※(「螯」の「虫」に代えて「犬」、第4水準2-80-47)ごうくむれが、なまぐさき風を横にり縦に裂いて、四つ足の銃丸を一度に打ち出したように飛んで来た。狂える神が小躍こおどりして「血をすすれ」と云うを合図に、ぺらぺらと吐く※(「(諂-言)+炎」、第3水準1-87-64)ほのおの舌は暗き大地を照らして咽喉のどを越す血潮のき返る音が聞えた。今度は黒雲のはじを踏み鳴らして「肉をくらえ」と神がさけぶと「肉を食え! 肉を食え!」と犬共も一度にえ立てる。やがてめりめりと腕を食い切る、深い口をあけて耳の根まで胴にかぶりつく。一つのすねくわえて左右から引き合う。ようやくの事肉は大半平げたと思うと、また羃々べきべきたる雲をつらぬいて恐しい神の声がした。「肉の後には骨をしゃぶれ」と云う。すわこそ骨だ。犬の歯は肉よりも骨をむに適している。狂う神の作った犬には狂った道具がそなわっている。今日の振舞を予期して工夫してくれた歯じゃ。鳴らせ鳴らせときばを鳴らして骨にかかる。ある者はくじいてずいを吸い、ある者は砕いて地にまみる。歯の立たぬ者は横にこいてきばぐ。
 こわい事だと例の通り空想にふけりながらいつしか新橋へ来た。見ると停車場前の広場はいっぱいの人で凱旋門がいせんもんを通して二間ばかりの路を開いたまま、左右には割り込む事も出来ないほど行列している。何だろう?
 行列の中にはあや絹帽シルクハット阿弥陀あみだかぶって、耳の御蔭で目隠しの難をめているのもある。仙台平せんだいひらを窮屈そうに穿いて七子ななこの紋付を人の着物のようにいじろじろながめているのもある。フロック・コートは承知したがズックの白い運動靴をはいて同じく白の手袋をちょっと見たまえと云わぬばかりに振り廻しているのは奇観だ。そうして二十人に一本ずつくらいの割合で手頃な旗を押し立てている。大抵はむらさきに字を白く染め抜いたものだが、中には白地に黒々と達筆をふるったのも見える。この旗さえ見たらこの群集の意味も大概たいがい分るだろうと思って一番近いのを注意して読むと木村六之助君の凱旋がいせんを祝す連雀町れんじゃくちょう有志者とあった。ははあ歓迎だと始めて気がついて見ると、先刻さっきの異装紳士も何となく立派に見えるような気がする。のみならず戦争を狂神のせいのように考えたり、軍人を犬に食われに戦地へ行くように想像したのが急に気の毒になって来た。実は待ち合す人があって停車場まで行くのであるが、停車場へ達するには是非共この群集を左右に見て誰も通らない真中をただ一人歩かなくってはならん。よもやこの人々が余の詩想を洞見どうけんしはしまいが、たださえ人の注視をわれ一人に集めて往来をって行くのはきまりがるいのに、犬に喰い残された者の家族と聞いたら定めしおこる事であろうと思うと、一層調子が狂うところを何でもない顔をして、急ぎ足に停車場の石段の上までぎつけたのは少し苦しかった。
 場内へ這入って見るとここも歓迎の諸君で容易に思う所へ行けぬ。ようやくの事一等の待合へ来て見ると約束をした人はだ来ておらぬらしい。暖炉の横に赤い帽子を被った士官が何かしきりに話しながら折々佩剣はいけんをがちゃつかせている。そのそば絹帽シルクハットが二つ並んで、その一つには葉巻のけむりが輪になってたなびいている。向うの隅に白襟しろえりの細君がひんのよい五十恰好かっこうの婦人と、きの人には聞えぬほどな低い声で何事か耳語ささやいている。ところへ唐桟とうざんの羽織を着て鳥打帽を斜めにいただいた男が来て、入場券は貰えません改札場の中はもういっぱいですと注進する。大方おおかた出入でいりの者であろう。室の中央に備え付けたテーブルの周囲には草臥くたびれの連中が寄ってたかって新聞や雑誌をひねくっている。真面目に読んでるものはきわめて少ないのだから、ひねくっていると云うのが適当だろう。
 約束をした人はなかなかん。少々退屈になったから、少し外へ出て見ようかと室の戸口をまたぐ途端に、背広せびろを着たひげのある男がれ違いながら「もうじきです二時四十五分ですから」と云った。時計を見ると二時三十分だ、もう十五分すれば凱旋がいせんの将士が見られる。こんな機会は容易にない、ついでだからと云っては失礼かも知れんが実際余のように図書館以外の空気をあまり吸った事のない人間はわざわざ歓迎のために新橋までくる折もあるまい、ちょうどさいわいだ見て行こうと了見りょうけんを定めた。
 室を出て見ると場内もまた往来のように行列を作って、中にはわざわざ見物に来た西洋人も交っている。西洋人ですらくるくらいなら帝国臣民たる吾輩わがはいは無論歓迎しなくてはならん、万歳の一つくらいは義務にも申して行こうとようやくの事で行列の中へ割り込んだ。
「あなたも御親戚を御迎いに御出おいでになったので……」
「ええ。どうも気がくものですから、つい昼飯を食わずに来て、……もう二時間半ばかり待ちます」と腹は減ってもなかなか元気である。ところへ三十前後の婦人が来て
「凱旋の兵士はみんな、ここを通りましょうか」と心配そうに聞く。大切の人を見はぐっては一大事ですと云わぬばかりの決心を示している。腹の減った男はすぐ引き受けて
「ええ、みんな通るんです、一人残らず通るんだから、二時間でも三時間でもここにさえ立っていれば間違いっこありません」と答えたのはなかなか自信家と見える。しかし昼飯も食わずに待っていろとまでは云わなかった。
 汽車のふえの音を形容して喘息ぜんそくみのくじらのようだと云った仏蘭西フランスの小説家があるが、なるほどうまい言葉だと思う間もなく、長蛇のごとく蜿蜒のたくって来た列車は、五百人余の健児を一度にプラットフォームの上に吐き出した。
「ついたようですぜ」と一人がくびのばすと
「なあに、ここに立ってさえいれば大丈夫」と腹の減った男は泰然としてどうずる景色けしきもない。この男から云うと着いても着かなくても大丈夫なのだろう。それにしても腹の減った割には落ちついたものである。
 やがて一二丁向うのプラットフォームの上で万歳! と云う声が聞える。その声が波動のように順送りに近づいてくる。例の男が「なあに、まだ大丈……」とけた尻尾しっぽうずめて余の左右に並んだ同勢は一度に万―歳! と叫んだ。その声の切れるか切れぬうちに一人の将軍が挙手の礼を施しながら余の前を通り過ぎた。色のけた、胡麻塩髯ごましおひげ小作こづくりな人である。左右の人は将軍のあとを見送りながらまた万歳をとなえる。余も――妙な話しだが実は万歳を唱えた事は生れてから今日こんにちに至るまで一度もないのである。万歳を唱えてはならんと誰からも申しつけられたおぼえは毛頭ない。また万歳を唱えてはるいと云う主義でも無論ない。しかしその場に臨んでいざ大声たいせいを発しようとすると、いけない。小石で気管をふさがれたようでどうしても万歳が咽喉笛のどぶえへこびりついたぎり動かない。どんなに奮発しても出てくれない。――しかし今日は出してやろうと先刻さっきから決心していた。実は早くその機がくればよいがと待ち構えたくらいである。隣りの先生じゃないが、なあに大丈夫と安心していたのである。喘息病みの鯨がえた当時からそら来たなとまで覚悟をしていたくらいだから周囲のものがワーと云うや否や尻馬しりうまについてすぐやろうと実は舌の根まで出しかけたのである。出しかけた途端に将軍が通った。将軍の日にけた色が見えた。将軍のひげ胡麻塩ごましおなのが見えた。その瞬間に出しかけた万歳がぴたりと中止してしまった。なぜ?
 なぜか分るものか。なにゆえとかこのゆえとか云うのは事件が過ぎてから冷静な頭脳に復したとき当時を回想して始めて分解し得た智識に過ぎん。なにゆえが分るくらいなら始めから用心をして万歳の逆戻りを防いだはずである。予期出来ん咄嗟とっさの働きに分別が出るものなら人間の歴史は無事なものである。余の万歳は余の支配権以外に超然としてまったと云わねばならぬ。万歳がとまると共に胸のうちに名状しがたい波動が込み上げて来て、両眼から二雫ふたしずくばかり涙が落ちた。
 将軍は生れ落ちてから色の黒い男かも知れぬ。しかし遼東りょうとうの風に吹かれ、奉天の雨に打たれ、沙河しゃかの日にり付けられれば大抵なものは黒くなる。地体じたい黒いものはなお黒くなる。ひげもその通りである。出征してから白銀しろがねの筋は幾本もえたであろう。今日始めて見る我らの眼には、昔の将軍と今の将軍を比較する材料がない。しかし指を折って日夜にまちびた夫人令嬢が見たならば定めし驚くだろう。いくさは人を殺すかさなくば人を老いしむるものである。将軍はすこぶるせていた。これも苦労のためかも知れん。して見ると将軍の身体中からだじゅうで出征ぜんと変らぬのは身のたけくらいなものであろう。余のごときは黄巻青帙こうかんせいちつあいだ起臥きがして書斎以外にいかなる出来事が起るか知らんでも済む天下の逸民いつみんである。平生戦争の事は新聞で読まんでもない、またその状況は詩的に想像せんでもない。しかし想像はどこまでも想像で新聞は横から見ても縦から見ても紙片しへんに過ぎぬ。だからいくら戦争が続いても戦争らしい感じがしない。その気楽な人間がふと停車場にまぎれ込んで第一に眼に映じたのが日に焦けた顔としもに染った髯である。戦争はまのあたりに見えぬけれど戦争の結果――たしかに結果の一片いっぺん、しかも活動する結果の一片が眸底ぼうていかすめて去った時は、この一片に誘われて満洲の大野たいやおおう大戦争の光景がありありと脳裏のうり描出びょうしゅつせられた。
 しかもこの戦争の影とも見るべき一片の周囲をめぐる者は万歳と云う歓呼の声である。この声がすなわち満洲のに起った咄喊とっかんの反響である。万歳の意義は字のごとく読んで万歳に過ぎんが咄喊となるとだいぶおもむきが違う。咄喊はワーと云うだけで万歳のように意味も何もない。しかしその意味のないところに大変な深いじょうこもっている。人間の音声には黄色いのも濁ったのも澄んだのも太いのも色々あって、その言語調子もまた分類の出来んくらい区々まちまちであるが一日二十四時間のうち二十三時間五十五分までは皆意味のある言葉を使っている。着衣の件、喫飯きっぱんの件、談判の件、懸引かけひきの件、挨拶あいさつの件、雑話の件、すべて件と名のつくものは皆口から出る。しまいには件がなければ口から出るものは無いとまで思う。そこへもって来て、件のないのに意味の分らぬ音声を出すのは尋常ではない。出しても用の足りぬ声を使うのは経済主義から云うても功利主義から云っても割に合わぬにきまっている。その割に合わぬ声を不作法に他人様の御聞おききに入れて何らの理由もないのに罪もない鼓膜こまくに迷惑をけるのはよくせきの事でなければならぬ。咄喊とっかんはこのよくせきせんじ詰めて、煮詰めて、缶詰かんづめにした声である。死ぬか生きるか娑婆しゃばか地獄かと云うきわどい針線はりがねの上に立ってぶるいをするとき自然と横膈膜おうかくまくの底からき上がる至誠の声である。助けてくれと云ううちに誠はあろう、殺すぞと叫ぶうちにも誠はない事もあるまい。しかし意味の通ずるだけそれだけ誠の度は少ない。意味の通ずる言葉を使うだけの余裕分別のあるうちは一心不乱の至境に達したとは申されぬ。咄喊にはこんな人間的な分子は交っておらん。ワーと云うのである。このワーには厭味いやみもなければ思慮もない。理もなければ非もない。いつわりもなければ懸引かけひきもない。徹頭徹尾ワーである。結晶した精神が一度に破裂して上下四囲の空気を震盪しんとうさしてワーと鳴る。万歳助けてくれ殺すぞのとそんなけちな意味を有してはおらぬ。ワーその物がただちに精神である。霊である。人間である。誠である。しかして人界崇高の感は耳を傾けてこの誠を聴き得たる時に始めて享受し得ると思う。耳を傾けて数十人、数百人、数千数万人の誠を一度に聴き得たる時にこの崇高の感は始めて無上絶大の玄境げんきょうに入る。――余が将軍を見て流した涼しい涙はこの玄境の反応だろう。
 将軍のあとに続いてオリーヴ色の新式の軍服を着けた士官が二三人通る。これは出迎と見えてその表情が将軍とはだいぶ違う。きょは気を移すと云う孟子もうしの語は小供の時分から聞いていたが戦争から帰った者と内地に暮らした人とはかほどに顔つきが変って見えるかと思うと一層感慨が深い。どうかもう一遍将軍の顔が見たいものだと延び上ったが駄目だ。ただ場外にむらがる数万の市民が有らん限りのときを作って停車場の硝子窓ガラスまどれるほどに響くのみである。余の左右前後の人々はようやくに列を乱して入口の方へなだれかかる。見たいのは余と同感と見える。余も黒い波に押されて一二間石段の方へ流れたが、それぎり先へは進めぬ。こんな時には余の性分しょうぶんとしていつでも損をする。寄席よせがはねて木戸を出る時、待ち合せて電車に乗る時、人込みに切符を買う時、何でも多人数競争の折には大抵最後に取り残される、この場合にも先例にれず首尾よく人後じんごに落ちた。しかも普通の落ち方ではない。はるかこなたの人後じんごだから心細い。葬式の赤飯に手を出しそくなった時なら何とも思わないが、帝国の運命を決する活動力の断片を見損みそこなうのは残念である。どうにかして見てやりたい。広場を包む万歳の声はこの時四方から大濤おおなみの岸にくずれるような勢で余の鼓膜こまくに響き渡った。もうたまらない。どうしても見なければならん。
 ふと思いついた事がある。去年の春麻布あざぶのさる町を通行したら高い練塀ねりべいのある広い屋敷の内で何か多人数打ち寄って遊んででもいるのか面白そうに笑う声が聞えた。余はこの時どう云う腹工合かちょっとこの邸内をのぞいて見たくなった。全く腹工合のせいに相違ない。腹工合でなければ、そんな馬鹿気た了見の起るわけがない。源因はとにかく、見たいものは見たいので源因のいかんにって変化出没する訳には行かぬ。しかし今云う通り高い土塀の向う側で笑っているのだから壁に穴のあいておらぬ限りはとうてい思い通り志望を満足する事は何人なんびと手際てぎわでも出来かねる。とうてい見る事がかなわないと四囲の状況から宣告を下されるとなお見てやりたくなる。な話だが余は一目でも邸内を見なければ誓ってこの町を去らずと決心した。しかし案内もわずに人の屋敷内に這入り込むのは盗賊の仕業しわざだ。と云って案内を乞うて這入るのはなおいやだ。この邸内の者共の御世話にならず、しかもわが人格をきずつけず正々堂々と見なくては心持ちがわるい。そうするには高い山から見下みおろすか、風船の上からながめるよりほかに名案もない。しかし双方共当座の間に合うような手軽なものとは云えぬ。よし、その儀ならこっちにも覚悟がある。高等学校時代で練習した高飛の術を応用して、飛び上がった時にちょっと見てやろう。これは妙策だ、幸い人通りもなし、あったところが自分で自分が飛び上るに文句をつけられる因縁いんねんはない。やるべしと云うので、突然双脚に精一杯の力を込めて飛び上がった。すると熟練の結果は恐ろしい者で、かの土塀の上へ首が――首どころではない肩までが思うように出た。この機をはずすととうてい目的は達せられぬと、ちらつく両眼を無理にえて、ここぞと思うあたりを瞥見べっけんすると女が四人でテニスをしていた。余が飛び上がるのを相図に四人が申し合せたようにホホホとかんの高い声で笑った。おやと思ううちにどたりと元のごとく地面の上に立った。
 これは誰が聞いても滑稽こっけいである。冒険の主人公たる当人ですらあまり馬鹿気ているので今日こんにちまで何人なんびとにも話さなかったくらいみずから滑稽と心得ている。しかし滑稽とか真面目まじめとか云うのは相手と場合によって変化する事で、高飛びその物が滑稽とは理由のない言草いいぐさである。女がテニスをしているところへこっちが飛び上がったから滑稽にもなるが、ロメオがジュリエットを見るために飛び上ったって滑稽にはならない。ロメオくらいなところではだ滑稽を脱せぬと云うなら余はなお一歩を進める。この凱旋がいせんの将軍、英名嚇々かくかくたる偉人を拝見するために飛び上がるのは滑稽ではあるまい。それでも滑稽か知らん? 滑稽だって構うものか。見たいものは、誰が何と云っても見たいのだ。飛び上がろう、それがいい、飛び上がるにしくなしだと、とうとうまた先例によって一蹴いっしゅうを試むる事に決着した。ず帽子をとって小脇にい込む。この前は経験が足りなかったので足が引力作用で地面へ引き着けられた勢に、買いたての中折帽なかおれぼう挨拶あいさつもなく宙返りをして、一間ばかりむこうころがった。それをから車を引いて通り掛った車夫が拾って笑いながらえへへと差し出した事を記憶している。こんどはその手はわぬ。これなら大丈夫と帽子をしかと抑えながら爪先で敷石をはじく心持で暗に姿勢を整える。人後に落ちた仕合せには邪魔になるほど近くに人もおらぬ。しばし衰えた、歓声は盛り返すうしおの岩に砕けたようにあたり一面にき上がる。ここだと思い切って、両足が胴のなかに飛び込みはしまいかと疑うほど脚力をふるってね上った。
 ほろを開いたランドウが横向に凱旋門がいせんもんを通り抜けようとする中に――いた――いた。例の黒い顔がき返る声に囲まれて過去の紀念のごとくはなやかなる群衆の中に点じ出されていた。将軍を迎えた儀仗兵ぎじょうへいの馬が万歳の声に驚ろいて前足を高くあげて人込の中にそれようとするのが見えた。将軍の馬車の上に紫の旗が一流れさっとなびくのが見えた。新橋へ曲る角の三階の宿屋の窓から藤鼠ふじねずみの着物をきた女が白いハンケチを振るのが見えた。
 見えたと思うより早く余が足はまた停車場のゆかの上に着いた。すべてが一瞬間の作用である。ぱっと射る稲妻のくまで明るく物を照らしたあとが常よりは暗く見えるように余は茫然ぼうぜんとして地に下りた。
 将軍の去ったあとは群衆もおのずから乱れて今までのように静粛ではない。列を作った同勢の一角いっかくくずれると、堅い黒山が一度に動き出して濃い所がだんだん薄くなる。気早きばやな連中はもう引き揚げると見える。ところへ将軍と共に汽車を下りた兵士が三々五々隊を組んで場内から出てくる。服地の色はめて、ゲートルの代りには黄な羅紗らしゃを畳んでぐるぐるとすねへ巻きつけている。いずれもあらん限りのひげやして、出来るだけ色を黒くしている。これらも戦争の片破かたわれである。大和魂やまとだましいかためた製作品である。実業家もらぬ、新聞屋も入らぬ、芸妓げいしゃも入らぬ、余のごとき書物とにらめくらをしているものは無論入らぬ。ただこの髯茫々ぼうぼうとして、むさくるしき事乞食こつじきを去る遠からざる紀念物のみはなくてかなわぬ。彼らは日本の精神を代表するのみならず、広く人類一般の精神を代表している。人類の精神は算盤そろばんはじけず、三味線に乗らず、三ページにも書けず、百科全書中にも見当らぬ。ただこの兵士らの色の黒い、みすぼらしいところに髣髴ほうふつとして揺曳ようえいしている。出山しゅっせん釈迦しゃかはコスメチックを塗ってはおらん。金の指輪も穿めておらん。芥溜ごみだめから拾い上げた雑巾ぞうきんをつぎ合せたようなもの一枚を羽織っているばかりじゃ。それすら全身をおおうには足らん。胸のあたりは北風の吹き抜けで、肋骨ろっこつの枚数は自由に読めるくらいだ。この釈迦がたっとければこの兵士もたっといと云わねばならぬ。むか元寇げんこうえき時宗ときむね仏光国師ぶっこうこくしえっした時、国師は何と云うた。ふるって驀地ばくちに進めとえたのみである。このむさくろしき兵士らは仏光国師の熱喝ねっかつきっした訳でもなかろうが驀地に進むと云う禅機ぜんきにおいて時宗と古今ここんそのいつにしている。彼らは驀地に進み了して曠如こうじょ吾家わがやに帰り来りたる英霊漢である。天上を行き天下てんげを行き、行き尽してやまざるてい気魄きはくが吾人の尊敬にあたいせざる以上は八荒はっこううちに尊敬すべきものは微塵みじんほどもない。黒い顔! 中には日本に籍があるのかと怪まれるくらい黒いのがいる。――刈り込まざる髯! 棕櫚箒しゅろぼうききぬたで打ったような髯――この気魄きはく這裏しゃり※(「石+薄」、第3水準1-89-18)ほうはくとしてわだかまり※(「さんずい+亢」、第3水準1-86-55)こうようとしてみなぎっている。
 兵士の一隊が出てくるたびに公衆は万歳をとなえてやる。彼らのあるものは例の黒い顔にえみたたえてうれに通り過ぎる。あるものは傍目わきめもふらずのそのそと行く。歓迎とはいかなる者ぞと不審気に見える顔もたまには見える。またある者は自己の歓迎旗の下に立って揚々ようようおくれて出る同輩をながめている。あるいは石段をくだるやいなむかえのものにようせられて、あまりの不意撃ふいうちに挨拶さえも忘れて誰彼の容赦なく握手の礼を施こしている。出征中に満洲で覚えたのであろう。
 その中に――これがはからずもこの話をかく動機になったのであるが――年の頃二十八九の軍曹が一人いた。顔は他の先生方とことなるところなく黒い、ひげも延びるだけ延ばしておそらくは去年から持ち越したものと思われるが目鼻立ちはほかの連中とは比較にならぬほど立派である。のみならず亡友こうさんと兄弟と見違えるまでよく似ている。実はこの男がただ一人石段を下りて出た時ははっと思ってけ寄ろうとしたくらいであった。しかし浩さんは下士官ではない。志願兵から出身した歩兵中尉である。しかも故歩兵中尉で今では白山の御寺に一年厄介やっかいになっている。だからいくら浩さんだと思いたくっても思えるはずがない。ただ人情は妙なものでこの軍曹が浩さんの代りに旅順で戦死して、浩さんがこの軍曹の代りに無事でかえって来たらさぞ結構であろう。御母おっかさんも定めし喜ばれるであろうと、露見ろけんする気づかいがないものだから勝手な事を考えながらながめていた。軍曹も何か物足らぬと見えてしきりにあたりを見廻している。ほかのもののように足早に新橋の方へ立ち去る景色けしきもない。何をがしているのだろう、もしや東京のものでなくて様子が分らんのなら教えてりたいと思ってなお目を放さずに打ち守っていると、どこをどうくぐり抜けたものやら、六十ばかりの婆さんが飛んで出て、いきなり軍曹のそでにぶら下がった。軍曹は中肉ではあるがせいは普通よりたしかに二寸は高い。これに反して婆さんは人並はずれてたけが低い上に年のせいで腰が少々曲っているから、抱き着いたとも寄り添うたとも形容は出来ぬ。もし余が脳中にある和漢の字句を傾けて、そのうちからこのありさまを叙するに最も適当なることばを探したなら必ずぶら下がるが当選するにきまっている。この時軍曹は紛失物が見当ったと云う風で上から婆さんを見下みおろす。婆さんはやっと迷児まいごを見つけたと云うていで下から軍曹を見上げる。やがて軍曹はあるき出す。婆さんもあるき出す。やはりぶらさがったままである。近辺きんぺんに立つ見物人は万歳万歳と両人ふたりはやしたてる。婆さんは万歳などにはごうも耳を借す景色はない。ぶら下がったぎり軍曹の顔を下から見上げたまま吾が子に引きられて行く。冷飯草履ひやめしぞうりびょうを打った兵隊靴が入り乱れ、もつれ合って、うねりくねって新橋の方へとおざかって行く。余は浩さんの事を思い出して悵然ちょうぜん草履ぞうりと靴の影を見送った。

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