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趣味の遺伝(しゅみのいでん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 8:53:25  点击:  切换到繁體中文


 こんな無理を聞かせられる読者は定めて承知すまい。これは文士の嘘言きょげんだと笑う者さえあろう。しかし事実はうそでも事実である。文士だろうが不文士だろうが書いた事は書いた通り懸価かけねのないところをかいたのである。もし文士がわるければことわって置く。余は文士ではない、西片町にしかたまちに住む学者だ。もし疑うならこの問題をとって学者的に説明してやろう。読者は沙翁さおうの悲劇マクベスを知っているだろう。マクベス夫婦が共謀して主君のダンカンを寝室の中で殺す。殺してしまうやいなや門の戸を続けざまたたくものがある。すると門番が敲くは敲くはと云いながら出て来て酔漢のくだくようなたわいもない事を呂律ろれつの廻らぬ調子で述べ立てる。これが対照だ。対照も対照も一通りの対照ではない。人殺しのわき都々逸どどいつを歌うくらいの対照だ。ところが妙な事はこの滑稽こっけいはさんだために今までの凄愴せいそうたる光景が多少やわらげられて、ここに至って一段とくつろぎがついた感じもなければ、また滑稽が事件の排列の具合から平生より一倍のおかしみを与えると云う訳でもない。それでは何らの功果こうかもないかと云うと大変ある。劇全体を通じての物凄ものすごさ、おそろしさはこの一段の諧謔かいぎゃくのために白熱度に引き上げらるるのである。なお拡大して云えばこの場合においては諧謔その物が畏怖いふである。恐懼きょうくである、悚然しょうぜんとしてあわはだえに吹く要素になる。その訳を云えばずこうだ。
 吾人が事物に対する観察点が従来の経験で支配せらるるのはげんを待たずして明瞭な事実である。経験の勢力は度数と、単独な場合に受けた感動の量にって高下増減するのも争われぬ事実であろう。絹布団きぬぶとんに生れ落ちて御意ぎょいだ仰せだと持ち上げられる経験がたびかさなると人間は余に頭を下げるために生れたのじゃなと御意ぎょい遊ばすようになる。金で酒を買い、金でめかけを買い、金で邸宅、朋友ほうゆう従五位じゅごいまで買った連中れんじゅうは金さえあれば何でも出来るさと金庫を横目ににらんでたかくくった鼻先を虚空こくうはるかにえす。一度の経験でも御多分ごたぶんにはれん。箔屋町はくやちょうの大火事に身代しんだいつぶした旦那は板橋の一つ半でもあおくなるかも知れない。濃尾のうびの震災にかわらの中から掘り出されたぼとけはドンが鳴っても念仏をとなえるだろう。正直な者が生涯しょうがいに一ぺん万引を働いてもうたがいを掛ける知人もないし、冗談じょうだんを商売にする男が十年に半日真面目まじめな事件をかつぎ込んでも誰も相手にするものはない。つまるところ吾々の観察点と云うものは従来の惰性で解決せられるのである。吾々の生活は千差万別であるから、吾々の惰性も商売により職業により、年齢により、気質により、両性によりておのおの異なるであろう。がその通り。劇を見るときにも小説を読むときにも全篇を通じた調子があって、この調子が読者、観客の心に反応するとやはり一種の惰性になる。もしこの惰性を構成する分子が猛烈であればあるほど、惰性その物もろうとして動かすべからず抜くべからざる傾向を生ずるにきまっている。マクベスは妖婆ようば、毒婦、兇漢きょうかんの行為動作を刻意こくいに描写した悲劇である。読んで冒頭より門番の滑稽こっけいに至って冥々めいめいの際読者の心に生ずる唯一の惰性はと云う一字に帰着してしまう。過去がすでにである、未来もまた怖なるべしとの予期は、自然とおのれを放射して次に出現すべきいかなる出来事をもこのに関連して解釈しようと試みるのは当然の事と云わねばならぬ。船に酔ったものがおかあがったあとまでも大地を動くものと思い、臆病に生れついたすずめ案山子かがしを例のじいさんかと疑うごとく、マクベスを読む者もまたの一字をどこまでも引張って、を冠すべからざるへんにまで持って行こうとつとむるは怪しむに足らぬ。何事をもせんとあせる矢先に現わるる門番の狂言は、普通の狂言諧謔かいぎゃくとは受け取れまい。
 世間には諷語ふうごと云うがある。諷語は皆表裏ひょうり二面の意義を有している。先生を馬鹿の別号に用い、大将を匹夫ひっぷ渾名あだなに使うのは誰も心得ていよう。この筆法で行くと人に謙遜けんそんするのはますます人をにした待遇法で、他を称揚するのはさかんに他を罵倒ばとうした事になる。表面の意味が強ければ強いほど、裏側の含蓄もようやく深くなる。御辞儀おじぎ一つで人を愚弄ぐろうするよりは、履物はきものそろえて人を揶揄やゆする方が深刻ではないか。この心理を一歩開拓して考えて見る。吾々が使用する大抵の命題は反対の意味に解釈が出来る事となろう。さあどっちの意味にしたものだろうと云うときに例の惰性が出て苦もなく判断してくれる。滑稽の解釈においてもその通りと思う。滑稽の裏には真面目まじめがくっついている。大笑たいしょうの奥には熱涙がひそんでいる。雑談じょうだんの底には啾々しゅうしゅうたる鬼哭きこくが聞える。とすればと云う惰性を養成した眼をもって門番の諧謔を読む者は、その諧謔を正面から解釈したものであろうか、裏側から観察したものであろうか。裏面から観察するとすれば酔漢の妄語もうごのうちに身の毛もよだつほどの畏懼いくの念はあるはずだ。元来諷語ふうご正語せいごよりも皮肉なるだけ正語よりも深刻で猛烈なものである。虫さえいとう美人の根性こんじょう透見とうけんして、毒蛇の化身けしんすなわちこれ天女てんにょなりと判断し得たる刹那せつなに、その罪悪は同程度の他の罪悪よりも一層おそるべき感じを引き起す。全く人間の諷語であるからだ。白昼の化物ばけものの方が定石じょうせきの幽霊よりも或る場合には恐ろしい。諷語であるからだ。廃寺に一夜いちやをあかした時、庭前の一本杉の下でカッポレをおどるものがあったらこのカッポレは非常に物凄ものすごかろう。これも一種の諷語ふうごであるからだ。マクベスの門番は山寺のカッポレと全然同格である。マクベスの門番が解けたら寂光院じゃっこういんの美人も解けるはずだ。
 百花の王をもって許す牡丹ぼたんさえくずれるときは、富貴の色もただ好事家こうずかの憐れを買うに足らぬほどもろいものだ。美人薄命と云うことわざもあるくらいだからこの女の寿命も容易に保険はつけられない。しかし妙齢の娘は概して活気にちている。前途の希望に照らされて、見るからに陽気な心持のするものだ。のみならず友染ゆうぜんとか、繻珍しゅちんとか、ぱっとした色気のものに包まっているから、横から見ても縦から見ても派出はでである立派である、春景色はるげしきである。その一人が――最も美くしきその一人が寂光院の墓場の中に立った。浮かない、古臭い、沈静な四顧の景物の中に立った。するとその愛らしき眼、そのはなやかなそで忽然こつぜんと本来の面目を変じて蕭条しょうじょうたる周囲に流れ込んで、境内寂寞けいだいじゃくまくの感を一層深からしめた。天下に墓ほど落ついたものはない。しかしこの女が墓の前に延び上がった時は墓よりも落ちついていた。銀杏いちょう黄葉こうようさみしい。ましてけるとあるからなおさみしい。しかしこの女が化銀杏ばけいちょうの下に横顔を向けてたたずんだときは、銀杏の精が幹から抜け出したと思われるくらい淋しかった。上野の音楽会でなければ釣り合わぬ服装をして、帝国ホテルの夜会にでも招待されそうなこの女が、なぜかくのごとく四辺の光景と映帯えいたいして索寞さくばくの観を添えるのか。これも諷語ふうごだからだ。マクベスの門番がおそろしければ寂光院のこの女も淋しくなくてはならん。
 御墓を見ると花筒に菊がさしてある。垣根に咲く豆菊の色は白いものばかりである。これも今の女のせいに相違ない。うちから折って来たものか、途中で買って来たものか分らん。もしや名刺でもくくりつけてはないかと葉裏までのぞいて見たが何もない。全体何物だろう。余は高等学校時代から浩さんとは親しい付き合いの一人であった。うちへはよく泊りに行って浩さんの親類は大抵知っている。しかし指を折ってあれこれと順々に勘定して見ても、こんな女は思い出せない。すると他人か知らん。浩さんは人好きのする性質で、交際もだいぶ広かったが、女に朋友がある事はついに聞いた事がない。もっとも交際をしたからと云って、必らず余に告げるとは限っておらん。が浩さんはそんな事を隠すような性質ではないし、よしほかの人に隠したからと云って余に隠す事はないはずだ。こう云うとおかしいが余は河上家の内情は相続人たる浩さんに劣らんくらいくわしく知っている。そうしてそれは皆浩さんが余に話したのである。だから女との交際だって、もし実際あったとすればとくに余に告げるに相違ない。告げぬところをもって見ると知らぬ女だ。しかし知らぬ女が花までげて浩さんの墓参りにくる訳がない。これは怪しい。少し変だが追懸おいかけて名前だけでも聞いてようか、それも妙だ。いっその事黙ってあとを付けて行く先を見届けようか、それではまるで探偵だ。そんな下等な事はしたくない。どうしたらかろうと墓の前で考えた。浩さんは去年の十一月塹壕ざんごうに飛び込んだぎり、今日きょうまで上がって来ない。河上家代々の墓をつえたたいても、手でり動かしても浩さんはやはり塹壕の底にているだろう。こんな美人が、こんな美しい花をげて御詣おまいりに来るのも知らずに寝ているだろう。だから浩さんはあの女の素性すじょうも名前も聞く必要もあるまい。浩さんが聞く必要もないものを余が探究する必要はなおさらない。いやこれはいかぬ。こう云う論理ではあの女の身元を調べてはならんと云う事になる。しかしそれは間違っている。なぜ? なぜは追って考えてから説明するとして、ただ今の場合是非共聞きたださなくてはならん。何でもでも聞かないと気が済まん。いきなり石段を一股ひとまたに飛び下りて化銀杏ばけいちょうの落葉を蹴散けちらして寂光院の門を出てず左の方を見た。いない。右を向いた。右にも見えない。足早に四つ角まで来て目の届く限り東西南北を見渡した。やはり見えない。とうとう取り逃がした。仕方がない、御母おっかさんに逢って話をしてよう、ことによったら容子ようすが分るかも知れない。

          三

 六畳の座敷は南向みなみむきで、拭き込んだ椽側えんがわはじ神代杉じんだいすぎ手拭懸てぬぐいかけが置いてある。軒下のきしたから丸い手水桶ちょうずおけを鉄のくさりで釣るしたのは洒落しゃれているが、その下に一叢ひとむら木賊とくさをあしらった所が一段のおもむきを添える。四つ目垣の向うは二三十坪の茶畠ちゃばたけでその間に梅の木が三四本見える。垣にうた竹の先に洗濯した白足袋しろたびが裏返しにしてあってその隣りには如露じょろさかさまにかぶせてある。その根元に豆菊がかたまって咲いて累々るいるい白玉はくぎょくつづっているのを見て「奇麗ですな」と御母さんに話しかけた。
「今年はあったかだもんですからよく持ちます。あれもあなた、浩一の大好きな菊で……」
「へえ、白いのが好きでしたかな」
「白い、小さい豆のようなのが一番面白いと申して自分で根を貰って来て、わざわざ植えたので御座います」
「なるほどそんな事がありましたな」と云ったが、内心は少々気味が悪かった。寂光院じゃっこういんの花筒にはさんであるのは正にこの種のこの色の菊である。
御叔母おばさん近頃は御寺参りをなさいますか」
「いえ、せんだってじゅうから風邪かぜの気味で五六日伏せっておりましたものですから、ついつい仏へ無沙汰を致しまして。――うちにおっても忘れるはないのですけれども――年をとりますと、御湯に行くのも退儀たいぎになりましてね」
「時々は少し表をあるく方が薬ですよ。近頃はいい時候ですから……」
「御親切にありがとう存じます。親戚のものなども心配して色々云ってくれますが、どうもあなた何分なにぶん元気がないものですから、それにこんな婆さんを態々わざわざ連れてあるいてくれるものもありませず」
 こうなると余はいつでも言句に窮する。どう云って切り抜けていいか見当がつかない。仕方がないから「はああ」と長く引っ張ったが、御母おっかさんは少々不平の気味である。さあしまったと思ったが別に片附けようもないから、梅の木をあちらこちら飛び歩るいている四十雀しじゅうからながめていた。御母さんも話の腰を折られて無言である。
「御親類の若い御嬢さんでもあると、こんな時には御相手にいいですがね」と云いながら不調法ぶちょうほうなる余にしては天晴あっぱれな出来だと自分で感心して見せた。
生憎あいにくそんな娘もおりませず。それに人の子にはやはり遠慮勝ちで……せがれに嫁でも貰って置いたら、こんな時にはさぞ心丈夫だろうと思います。ほんに残念な事をしました」
 そらよめが出た。くるたびによめが出ない事はない。年頃の息子むすこに嫁を持たせたいと云うのは親のじょうとしてさもあるべき事だが、死んだ子に娶を迎えて置かなかったのをも残念がるのは少々平仄ひょうそくが合わない。人情はこんなものか知らん。まだ年寄になって見ないから分らないがどうも一般の常識から云うと少し間違っているようだ。それは一人でわびしく暮らすより気に入った嫁の世話になる方が誰だってたよりが多かろう。しかし嫁の身になっても見るがいい。結婚して半年はんとしも立たないうちにおっとは出征する。ようやく戦争が済んだと思うと、いつのにか戦死している。二十はたちを越すか越さないのに、しゅうとと二人暮しで一生を終る。こんな残酷な事があるものか。御母さんの云うところは老人の立場から云えば無理もないうったえだが、しかし随分我儘わがままな願だ。年寄はこれだからいかぬと、内心はすこぶる不平であったが、滅多めったな抗議を申し込むとまた気色きしょくるくさせる危険がある。せっかく慰めに来ていつも失策をやるのは余り器量のない話だ。まあまあだまっているにくはなしと覚悟をきめて、かえって反対の方角へとかじをとった。余は正直に生れた男である。しかし社会に存在してうらまれずに世の中を渡ろうとすると、どうもうそがつきたくなる。正直と社会生活が両立するに至れば嘘は直ちにやめるつもりでいる。
「実際残念な事をしましたね。全体浩さんはなぜ嫁をもらわなかったんですか」
「いえ、あなた色々探しておりますうちに、旅順へ参るようになったもので御座んすから」
「それじゃ当人も貰うつもりでいたんでしょう」
「それは……」と云ったが、それぎり黙っている。少々様子が変だ。あるいは寂光院事件の手懸てがかりが潜伏していそうだ。白状して云うと、余はその時浩さんの事も、御母さんの事も考えていなかった。ただあの不思議な女の素性すじょうと浩さんとの関係が知りたいので頭の中はいっぱいになっている。この日における余は平生のような同情的動物ではない。全く冷静な好奇獣こうきじゅうとも称すべき代物しろものに化していた。人間もその日その日で色々になる。悪人になった翌日は善男に変じ、小人の昼ののちに君子の夜がくる。あの男の性格はなどと手にとったように吹聴ふいちょうする先生があるがあれは利口の馬鹿と云うものでその日その日の自己を研究する能力さえないから、こんな傍若無人ぼうじゃくぶじん囈語げいごを吐いてひとりで恐悦きょうえつがるのである。探偵ほど劣等な家業はまたとあるまいと自分にも思い、人にも宣言してはばからなかった自分が、純然たる探偵的態度をもって事物に対するに至ったのは、すこぶるあきれ返った現象である。ちょっと言いよどんだ御母おっかさんは、思い切った口調で
「その事について浩一は何かあなたに御話をした事は御座いませんか」
「嫁の事ですか」
「ええ、誰か自分の好いたものがあるような事を」
「いいえ」と答えたが、実はこの問こそ、こっちから御母さんに向って聞いて見なければならん問題であった。
御叔母おばさんには何か話しましたろう」
「いいえ」
 望の綱はこれぎり切れた。仕方がないからまた眼を庭の方へ転ずると、四十雀しじゅうからはすでにどこかへ飛び去って、例の白菊の色が、水気みずけを含んだ黒土に映じて見事に見える。その時ふと思い出したのは先日の日記の事である。御母さんも知らず、余も知らぬ、あの女の事があるいは書いてあるかも知れぬ。よしあからさまに記してなくても一応目を通したら何か手懸てがかりがあろう。御母さんは女の事だから理解出来んかも知れんが、余が見ればこうだろうくらいの見当はつくわけだ。これは催促さいそくして日記を見るにくはない。
「あの先日御話しの日記ですね。あの中に何かかいてはありませんか」
「ええ、あれを見ないうちは何とも思わなかったのですが、つい見たものですから……」と御母さんは急に涙声になる。また泣かした。これだから困る。困りはしたものの、何か書いてある事はたしかだ。こうなっては泣こうが泣くまいがそんな事は構っておられん。
「日記に何か書いてありますか? それは是非拝見しましょう」と勢よく云ったのは今から考えて赤面の次第である。御母さんはって奥へ這入はいる。
 やがてふすまをあけてポッケット入れの手帳を持って出てくる。表紙は茶のかわでちょっと見ると紙入のような体裁である。朝夕うちがくしに入れたものと見えて茶色の所が黒ずんで、手垢てあかでぴかぴか光っている。無言のまま日記を受取って中をようとすると表の戸がからからといて、頼みますと云う声がする。生憎あいにく来客だ。御母さんは手真似てまねで早く隠せと云うから、余は手帳を内懐うちぶところに入れて「宅へ帰ってもいいですか」と聞いた。御母さんは玄関の方を見ながら「どうぞ」と答える。やがて下女が何とかさまがらっしゃいましたと注進にくる。何とかさまに用はない。日記さえあれば大丈夫早く帰って読まなくってはならない。それではと挨拶をして久堅町ひさかたまち往来おうらいへ出る。
 伝通院でんずういんの裏を抜けて表町の坂をりながら路々考えた。どうしても小説だ。ただ小説に近いだけ何だか不自然である。しかしこれから事件の真相をきわめて、全体の成行が明瞭めいりょうになりさえすればこの不自然もおのずと消滅する訳だ。とにかく面白い。是非探索――探索と云うと何だか不愉快だ――探究として置こう。是非探究して見なければならん。それにしても昨日きのうあの女のあとを付けなかったのは残念だ。もし向後こうごあの女に逢う事が出来ないとするとこの事件は判然はんぜんと分りそうにもない。らぬ遠慮をして流星光底りゅうせいこうていじゃないが逃がしたのは惜しい事だ。元来品位を重んじ過ぎたり、あまり高尚にすると、てこんな事になるものだ。人間はどこかに泥棒的分子がないと成功はしない。紳士も結構には相違ないが、紳士の体面をきずつけざる範囲内において泥棒根性を発揮せんとせっかくの紳士が紳士として通用しなくなる。泥棒気のない純粋の紳士は大抵行き倒れになるそうだ。よしこれからはもう少し下品になってやろう。とくだらぬ事を考えながら柳町の橋の上まで来ると、水道橋の方から一りょうの人力車が勇ましく白山はくさんの方へけ抜ける。車が自分の前を通り過ぎる時間は何秒と云うわずかのあいだであるから、余が冥想めいそうの眼をふとあげて車の上を見た時は、乗っている客はすでに眼界から消えかかっていた。がその人の顔は? ああ寂光院だと気が着いた頃はもう五六間先へ行っている。ここだ下品になるのはここだ。何でも構わんから追い懸けろと、下駄の歯をそちらに向けたが、徒歩で車のあとを追い懸けるのは余り下品すぎる。気狂きちがいでなくってはそんな馬鹿な事をするものはない。車、車、車はおらんかなと四方を見廻したが生憎あいにく一輌もおらん。そのうちに寂光院は姿も見えないくらいはるかあなたに馳け抜ける。もう駄目だ。気狂と思われるまで下品にならなければ世の中は成功せんものかなと惘然ぼうぜんとして西片町へ帰って来た。
 とりあえず、書斎に立てこもって懐中から例の手帳を出したが、何分夕景ゆうけいではっきりせん。実は途上でもあちこちと拾い読みに読んで来たのだが、鉛筆でなぐりがきに書いたものだから明るい所でも容易に分らない。ランプをける。下女が御飯はと云って来たから、めしはあとで食うと追い返す。さて一ページから順々に見て行くと皆陣中の出来事のみである。しかも倥偬こうそうの際に分陰ふんいんぬすんで記しつけたものと見えて大概の事は一句二句で弁じている。「風、坑道内にて食事。握り飯二個。泥まぶれ」と云うのがある。「夜来風邪ふうじゃの気味、発熱。診察を受けず、例のごとく勤務」と云うのがある。「テント外の歩哨ほしょう散弾にあたる。テントにたおれかかる。血痕けっこんを印す」「五時大突撃。中隊全滅、不成功に終る。残念※[#感嘆符三つ、231-5]」残念の下に!が三本引いてある。無論記憶を助けるための手控てびかえであるから、ごうも文章らしいところはない。字句を修飾したり、彫琢ちょうたくしたりした痕跡は薬にしたくも見当らぬ。しかしそれが非常に面白い。ただありのままをありのままに写しているところがおおいに気に入った。ことに俗人の使用する壮士的口吻がないのが嬉しい。怒気天をくだの、暴慢なる露人だの、醜虜しゅうりょたんを寒からしむだの、すべてえらそうで安っぽい辞句はどこにも使ってない。文体ははなはだ気に入った、さすがに浩さんだと感心したが、肝心かんじんの寂光院事件はまだ出て来ない。だんだん読んで行くうちに四行ばかり書いて上から棒を引いて消した所が出て来た。こんな所が怪しいものだ。これを読みこなさなければ気が済まん。手帳をランプのホヤに押しつけてかして見る。二行目の棒の下からある字が三分の二ばかりみ出している。の字らしい。それから骨を折ってようよう郵便局の三字だけ片づけた。郵便局の上の字は大※[#「郷-即のへん」、232-1]だけ見えている。これは何だろうと三分ほどランプと相談をしてやっと分った。本郷郵便局である。ここまではようやくぎつけたがそのほかは裏から見てもさかさまに見てもどうしても読めない。とうとう断念する。それから二三頁進むと突然一大発見に遭遇した。「二三日にさんち一睡もせんので勤務中坑内仮寝かしん。郵便局で逢った女の夢を見る」
 余は覚えずどきりとした。「ただ二三分の間、顔を見たばかりの女を、ほどて夢に見るのは不思議である」この句から急に言文一致になっている。「よほど衰弱している証拠であろう、しかし衰弱せんでもあの女の夢なら見るかも知れん。旅順へ来てからこれで三度見た」
 余は日記をぴしゃりとたたいてこれだ! と叫んだ。御母おっかさんが嫁々と口癖のように云うのは無理はない。これを読んでいるからだ。それを知らずに我儘わがままだの残酷だのと心中で評したのは、こっちがるいのだ。なるほどこんな女がいるなら、親の身として一日でも添わしてやりたいだろう。御母さんが嫁がいたらいたらと云うのを今まで誤解して全く自分の淋しいのをまぎらすためとばかり解釈していたのは余の眼識の足らなかったところだ。あれは自分の我儘で云う言葉ではない。可愛い息子を戦死する前に、半月でも思い通りにさせてやりたかったと云うなぞなのだ。なるほど男は呑気のんきなものだ。しかし知らん事なら仕方がない。それはずよしとして元来寂光院じゃっこういんがこの女なのか、あるいはあれは全く別物で、浩さんの郵便局で逢ったと云うのはほかの女なのか、これが疑問である。この疑問はまだ断定出来ない。これだけの材料でそう早く結論に高飛びはやりかねる。やりかねるが少しは想像をれる余地もなくては、すべての判断はやれるものではない。浩さんが郵便局であの女に逢ったとする。郵便局へ遊びに行く訳はないから、切手を買うか、為替かわせを出すか取るかしたに相違ない。浩さんが切手を手紙へる時にそばにいたあの女が、どう云う拍子ひょうしかで差出人の宿所姓名を見ないとは限らない。あの女が浩さんの宿所姓名をその時に覚え込んだとして、これに小説的分子を五ばかり加味すれば寂光院事件は全く起らんとも云えぬ。女の方はそれでかいせたとして浩さんの方が不思議だ。どうしてちょっと逢ったものをそう何度も夢に見るかしらん。どうも今少したしかな土台が欲しいがとなお読んで行くと、こんな事が書いてある。「近世の軍略において、攻城は至難なるものの一として数えらる。我が攻囲軍の死傷多きは怪しむに足らず。この二三ヶ月間に余が知れる将校の城下にたおれたる者は枚挙まいきょいとまあらず。死は早晩余を襲い来らん。余は日夜に両軍の砲撃を聞きて、今か今かと順番の至るを待つ」なるほど死を決していたものと見える。十一月二十五日の条にはこうある。「余の運命もいよいよ明日にせまった」今度は言文一致である。「軍人がいくさで死ぬのは当然の事である。死ぬのは名誉である。ある点から云えば生きて本国に帰るのは死ぬべきところを死にそくなったようなものだ」戦死の当日の所を見ると「今日限りの命だ。二竜山をくずす大砲の声がしきりに響く。死んだらあの音も聞えぬだろう。耳は聞えなくなっても、誰か来て墓参りをしてくれるだろう。そうして白い小さい菊でもあげてくれるだろう。寂光院は閑静な所だ」とある。その次に「強い風だ。いよいよこれから死にに行く。たまあたってたおれるまで旗を振って進むつもりだ。御母おっかさんは、寒いだろう」日記はここで、ぶつりと切れている。切れているはずだ。
 余はぞっとして日記を閉じたが、いよいよあの女の事が気にかかってたまらない。あの車は白山の方へ向いてけて行ったから、何でも白山方面のものに相違ない。白山方面とすれば本郷の郵便局へ来んとも限らん。しかし白山だって広い。名前も分らんものをたずねて歩いたって、そう急に知れる訳がない。とにかく今夜の間に合うような簡略な問題ではない。仕方がないから晩食ばんめしを済ましてその晩はそれぎり寝る事にした。実は書物を読んでも何が書いてあるか茫々ぼうぼうとして海に対するような感があるから、やむをえず床へ這入はいったのだが、さて夜具の中でも思う通りにはならんもので、終夜安眠が出来なかった。
 翌日学校へ出て平常の通り講義はしたが、例の事件が気になっていつものように授業に身がらない。控所へ来ても他の職員と話しをする気にならん。学校の退けるのを待ちかねて、その足で寂光院へ来て見たが、女の姿は見えない。昨日きのうの菊が鮮やかに竹藪たけやぶの緑に映じて雪の団子だんごのように見えるばかりだ。それから白山から原町、林町のへんをぐるぐる廻って歩いたがやはり何らの手懸てがかりもない。その晩は疲労のため寝る事だけはよく寝た。しかし朝になって授業が面白く出来ないのは昨日と変る事はなかった。三日目に教員の一人をつらまえて君白山方面に美人がいるかなと尋ねて見たら、うむ沢山いる、あっちへ引越したまえと云った。帰りがけに学生の一人に追いついて君は白山の方にいるかと聞いたら、いいえ森川町ですと答えた。こんな馬鹿な騒ぎ方をしていたって始まる訳のものではない。やはり平生のごとく落ちついて、るりと探究するにくなしと決心を定めた。それでその晩は煩悶はんもん焦慮もせず、例の通り静かに書斎に入って、せんだってじゅうからの取調物を引き続いてやる事にした。
 近頃余の調べている事項は遺伝と云う大問題である。元来余は医者でもない、生物学者でもない。だから遺伝と云う問題に関して専門上の智識は無論有しておらぬ。有しておらぬところが余の好奇心を挑撥ちょうはつする訳で、近頃ふとした事からこの問題に関してその起原発達の歴史やら最近の学説やらを一通り承知したいと云う希望を起して、それからこの研究を始めたのである。遺伝と一口に云うとすこぶる単純なようであるがだんだん調べて見ると複雑な問題で、これだけ研究していても充分生涯しょうがいの仕事はある。メンデリズムだの、ワイスマンの理論だの、ヘッケルの議論だの、その弟子のヘルトウィッヒの研究だの、スペンサーの進化心理説だのと色々の人が色々の事を云うている。そこで今夜は例のごとく書斎のうちで近頃出版になった英吉利イギリスのリードと云う人の著述を読むつもりで、二三枚だけは何気なくはぐってしまった。するとどう云う拍子ひょうしか、かの日記の中の事柄が、書物を読ませまいと頭の中へ割り込んでくる。そうはさせぬとまた一枚ほどけると、今度は寂光院が襲って来る。ようやくそれを追払って五六枚無難に通過したかと思うと、御母おっかさんの切り下げの被布ひふ姿がページの上にあらわれる。読むつもりで決心してかかった仕事だから読めん事はない。読めん事はないがページとページの間に狂言が這入はいる。それでも構わずどしどし進んで行くと、この狂言と本文の間が次第次第に接近して来る。しまいにはどこからが狂言でどこまでが本文か分らないようにぼうっとして来た。この夢のようなありさまで五六分続けたと思ううち、たちまち頭の中に電流を通じた感じがしてはっと我に帰った。「そうだ、この問題は遺伝で解ける問題だ。遺伝で解けばきっと解ける」とは同時に吾口を突いて飛び出した言語である。今まではただ不思議である小説的である。何となく落ちつかない、何か疑惑を晴らす工夫はあるまいか、それには当人を捕えて聞きただすよりほかに方法はあるまいとのみ速断して、その結果は朋友に冷かされたり、屑屋くずや流に駒込近傍を徘徊はいかいしたのである。しかしこんな問題は当人の支配権以外に立つ問題だから、よし当人を尋ねあてて事実を明らかにしたところで不思議は解けるものでない。当人から聞き得る事実その物が不思議である以上は余の疑惑は落ちつきようがない。昔はこんな現象を因果いんがとなえていた。因果はあきらめる者、泣く子と地頭には勝たれぬ者と相場がきまっていた。なるほど因果と言い放てば因果で済むかも知れない。しかし二十世紀の文明はこのいんきわめなければ承知しない。しかもこんな芝居的夢幻的現象の因を極めるのは遺伝によるよりほかにしようはなかろうと思う。本来ならあの女をつらまえて日記中の女と同人か別物かをあきらかにした上で遺伝の研究を初めるのが順当であるが、本人の居所さえたしかならぬただいまでは、この順序を逆にして、彼らの血統から吟味して、下から上へさかのぼる代りに、昔から今にりさげて来るよりほかに道はあるまい。いずれにしても同じ結果に帰着する訳だから構わない。
 そんならどうして両人の血統を調べたものだろう。女の方は何者だか分らないから、ず男の方から調べてかかる。浩さんは東京で生れたから東京っ子である。聞くところによれば浩さんの御父おとっさんも江戸で生れて江戸で死んだそうだ。するとこれも江戸っ子である。御爺おじいさんも御爺さんの御父おとっさんも江戸っ子である。すると浩さんの一家は代々東京で暮らしたようであるがその実町人でもなければ幕臣でもない。聞くところによると浩さんの家は紀州の藩士であったが江戸詰で代々こちらで暮らしたのだそうだ。紀州の家来と云う事だけ分ればそれで充分手懸てがかりはある。紀州の藩士は何百人あるか知らないが現今東京に出ている者はそんなに沢山あるはずがない。ことにあの女のように立派な服装をしている身分なら藩主の家へ出入りをするにきまっている。藩主の家に出入するとすればその姓名はすぐに分る。これが余の仮定である。もしあの女が浩さんと同藩でないとするとこの事件は当分らちがあかない。ほうって置いて自然天然寂光院に往来で邂逅かいこうするのを待つよりほかに仕方がない。しかし余の仮定があたるとすると、あとは大抵余の考え通りに発展して来るに相違ない。余の考によると何でも浩さんの先祖と、あの女の先祖の間に何事かあって、その因果でこんな現象を生じたに違いない。これが第二の仮定である。こうこしらえてくるとだんだん面白くなってくる。単に自分の好奇心を満足させるばかりではない。目下研究の学問に対してもっとも興味ある材料を給与する貢献こうけん的事業になる。こう態度が変化すると、精神が急に爽快そうかいになる。今までは犬だか、探偵だかよほど下等なものに零落したような感じで、それがため脳中不愉快の度をだいぶ高めていたが、この仮定から出立すれば正々堂々たる者だ。学問上の研究の領分に属すべき事柄である。少しもましい事はないと思い返した。どんな事でも思い返すと相当のジャスチフィケーションはある者だ。悪るかったと気がついたら黙坐して思い返すに限る。
 あくる日学校で和歌山県出の同僚某に向って、君の国に老人で藩の歴史に詳しい人はいないかと尋ねたら、この同僚首をひねってあるさと云う。ってその人物をうけたまわると、もとは家老かろうだったが今では家令かれいと改名して依然として生きていると何だか妙な事を答える。家令ならなお都合がいい、平常ふだん藩邸に出入しゅつにゅうする人物の姓名職業は無論承知しているに違ない。
「その老人は色々昔の事を記憶しているだろうな」

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