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趣味の遺伝(しゅみのいでん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 8:53:25  点击:  切换到繁體中文


「うん何でも知っている。維新の時なぞはだいぶ働いたそうだ。やりの名人でね」
 槍などは下手へたでも構わん。むかし藩中に起った異聞奇譚いぶんきだんを、老耄ろうもうせずに覚えていてくれればいいのである。だまって聞いていると話が横道へそれそうだ。
「まだ家令をつとめているくらいなら記憶はたしかだろうな」
「たしか過ぎて困るね。屋敷のものがみんな弱っている。もう八十近いのだが、人間も随分丈夫に製造する事が出来るもんだね。当人に聞くと全く槍術そうじゅつの御蔭だと云ってる。それで毎朝起きるが早いか槍をしごくんだ……」
「槍はいいが、その老人に紹介して貰えまいか」
「いつでもして上げる」と云うとそばに聞いていた同僚が、君は白山の美人をがしたり、記憶のいい爺さんを探したり、随分多忙だねと笑った。こっちはそれどころではない。この老人に逢いさえすれば、自分の鑑定があたるかはずれるか大抵の見当がつく。一刻も早く面会しなければならん。同僚から手紙で先方の都合を聞き合せてもらう事にする。
 二三日にさんちは何の音沙汰おとさたもなく過ぎたが、御面会をするから明日みょうにち三時頃来て貰いたいと云う返事がようやくの事来たよと同僚が告げてくれた時はおおいうれしかった。その晩は勝手次第に色々と事件の発展を予想して見て、ず七分までは思い通りの事実が暗中から白日のもとに引き出されるだろうと考えた。そう考えるにつけて、余のこの事件に対する行動が――行動と云わんよりむしろ思いつきが、なかなか巧みである、無学なものならとうていこんな点に考えの及ぶ気遣きづかいはない、学問のあるものでも才気のない人にはこのような働きのある応用が出来る訳がないと、寝ながら大得意であった。ダーウィンが進化論を公けにした時も、ハミルトンがクォーターニオンを発明した時も大方おおかたこんなものだろうとひとりでいい加減にきめて見る。自宅うちの渋柿は八百屋やおやから買った林檎りんごよりうまいものだ。
 翌日あくるひは学校がひるぎりだから例刻を待ちかねて麻布あざぶまで車代二十五銭を奮発して老人に逢って見る。老人の名前はわざと云わない。見るからに頑丈がんじょうな爺さんだ。白いひげを細長く垂れて、黒紋付に八王子平はちおうじひらで控えている。「やあ、あなたが、何の御友達で」と同僚の名を云う。まるで小供扱だ。これから大発明をして学界に貢献しようと云う余に対してはやや横柄おうへいである。今から考えて見ると先方が横柄なのではない、こっちの気位きぐらいが高過ぎたから普通の応接ぶりが横柄に見えたのかも知れない。
 それから二三件世間なみの応答を済まして、いよいよ本題に入った。
「妙な事を伺いますが、もと御藩ごはんに河上と云うのが御座いましたろう」余は学問はするが応対の辞にはなれておらん。藩というのが普通だが先方の事だから尊敬して御藩ごはんと云って見た。こんな場合に何と云うものかいまだに分らない。老人はちょっと笑ったようだ。
「河上――河上と云うのはあります。河上才三と云うて留守居をつとめておった。その子が貢五郎と云うてやはり江戸詰で――せんだって旅順で戦死した浩一の親じゃて。――あなた浩一の御つき合いか。それはそれは。いや気の毒な事で――母はまだあるはずじゃが……」と一人で弁ずる
 河上一家いっけの事を聞くつもりなら、わざわざ麻布あざぶくんだりまで出張する必要はない。河上を持ち出したのは河上対某との関係が知りたいからである。しかしこの某なるものの姓名が分らんから話しの切り出しようがない。
「その河上について何か面白い御話はないでしょうか」
 老人は妙な顔をして余を見詰めていたが、やがて重苦しく口を切った。
「河上? 河上にも今御話しする通り何人もある。どの河上の事を御尋ねか」
「どの河上でも構わんです」
「面白い事と云うて、どんな事を?」
「どんな事でも構いません。ちと材料が欲しいので」
「材料? 何になさる」厄介やっかいな爺さんだ。
「ちと取調べたい事がありまして」
「なある。貢五郎と云うのはだいぶ慷慨家こうがいかで、維新の時などはだいぶばれたものだ――或る時あなた長い刀をげてわしの所へ議論に来て、……」
「いえ、そう云う方面でなく。もう少し家庭内に起った事柄で、面白いと今でも人が記憶しているような事件はないでしょうか」老人は黙然もくねんと考えている。
「貢五郎という人の親はどんな性質でしたろう」
「才三かな。これはまた至って優しい、――あなたの知っておらるる浩一に生き写しじゃ、よく似ている」
「似ていますか?」と余は思わず大きな声を出した。
「ああ、実によく似ている。それでその頃は維新にはもある事で、世の中もおだやかであったのみならず、役が御留守居だから、だいぶ金を使って風流ふうりゅうをやったそうだ」
「その人の事について何か艶聞えんぶんが――艶聞と云うと妙ですが――ないでしょうか」
「いや才三については憐れな話がある。その頃家中に小野田帯刀おのだたてわきと云うて、二百石取りのさむらいがいて、ちょうど河上と向い合って屋敷を持っておった。この帯刀に一人の娘があって、それがまた藩中第一の美人であったがな、あなた」
「なるほど」うまいだんだん手懸てがかりが出来る。
「それで両家は向う同志だから、朝夕あさゆう往来をする。往来をするうちにその娘が才三に懸想けそうをする。何でも才三方へ嫁に行かねば死んでしまうと騒いだのだて――いや女と云うものは始末に行かぬもので――是非行かして下されと泣くじゃ」
「ふん、それで思う通りに行きましたか」成蹟せいせきは良好だ。
「で帯刀から人をもって才三の親に懸合かけあうと、才三も実は大変貰いたかったのだからそのむねを返事する。結婚の日取りまできめるくらいに事がはかどったて」
「結構な事で」と申したがこれで結婚をしてくれては少々困ると内心ではひやひやして聞いている。
「そこまでは結構だったが、――飛んだ故障が出来たじゃ」
「へええ」そう来なくってはと思う。
「その頃国家老くにがろうにやはり才三くらいな年恰好としかっこうなせがれが有って、このせがれがまた帯刀の娘に恋慕れんぼして、是非貰いたいと聞き合せて見るともう才三方へ約束が出来たあとだ。いかに家老の勢でもこればかりはどうもならん。ところがこのせがれが幼少の頃から殿様の御相手をして成長したもので、非常に御上おかみの御気に入りでの、あなた。――どこをどう運動したものか殿様の御意ぎょいでそのほうの娘をあれにつかわせと云う御意が帯刀にりたのだて」
「気の毒ですな」と云ったが自分の見込が着々あたるので実に愉快でたまらん。これで見ると朋友の死ぬような凶事でも、自分の予言が的中するのは嬉しいかも知れない。着物を重ねないと風邪かぜを引くぞと忠告をした時に、忠告をされた当人が吾が言を用いないでしかもぴんぴんしていると心持ちがるい。どうか風邪が引かしてやりたくなる。人間はかようにわがままなものだから、余一人を責めてはいかん。
「実に気の毒な事だて、御上の仰せだから内約があるの何のと申し上げても仕方がない。それで帯刀が娘に因果いんがを含めて、とうとう河上方を破談にしたな。両家が従来の通り向う合せでは、何かにつけて妙でないと云うので、帯刀は国詰になる、河上は江戸に残ると云うはからいをわしのおやじがやったのじゃ。河上が江戸で金を使ったのも全くそんなこんなで残念を晴らすためだろう。それでこの事がな、今だから御話しするようなものの、当時はぱっとすると両家の面目にかかわると云うので、内々にして置いたから、割合に人が知らずにいる」
「その美人の顔は覚えて御出おいでですか」と余に取ってはすこぶる重大な質問をかけて見た。
「覚えているとも、わしもその頃は若かったからな。若い者には美人が一番よく眼につくようだて」としわだらけの顔を皺ばかりにしてからからと笑った。
「どんな顔ですか」
「どんなと云うて別に形容しようもない。しかし血統と云うは争われんもので、今の小野田の妹がよく似ている。――御存知はないかな、やはり大学出だが――工学博士の小野田を」
白山はくさんの方にいるでしょう」ともう大丈夫と思ったから言い放って、老人の気色けしきを伺うと
「やはり御承知か、原町にいる。あの娘もまだ嫁に行かんようだが。――御屋敷の御姫様おひいさまの御相手に時々来ます」
 占めた占めたこれだけ聞けば充分だ。一から十まで余が鑑定の通りだ。こんな愉快な事はない。寂光院はこの小野田の令嬢に違ない。自分ながらかくまで機敏な才子とは今まで思わなかった。余が平生主張する趣味の遺伝と云う理論を証拠立てるに完全な例が出て来た。ロメオがジュリエットを一目見る、そうしてこの女に相違ないと先祖の経験を数十年ののちに認識する。エレーンがランスロットに始めて逢う、この男だぞと思い詰める、やはり父母未生ふもみしょう以前に受けた記憶と情緒じょうしょが、長い時間をへだてて脳中に再現する。二十世紀の人間は散文的である。ちょっと見てすぐれるような男女を捕えて軽薄と云う、小説だと云う、そんな馬鹿があるものかと云う。馬鹿でも何でも事実は曲げる訳には行かぬ、かさにする訳にもならん。不思議な現象にわぬ前ならとにかく、うたのちにも、そんな事があるものかと冷淡に看過するのは、看過するものの方が馬鹿だ。かように学問的に研究的に調べて見れば、ある程度までは二十世紀を満足せしむるに足るくらいの説明はつくのである。とここまでは調子づいて考えて来たが、ふと思いついて見ると少し困る事がある。この老人の話しによると、この男は小野田の令嬢も知っている、浩さんの戦死した事も覚えている。するとこの両人は同藩の縁故でこの屋敷へ平生出入しゅつにゅうして互に顔くらいは見合っているかも知れん。ことによると話をした事があるかも分らん。そうすると余の標榜ひょうぼうする趣味の遺伝と云う新説もその論拠が少々薄弱になる。これは両人がただ一度本郷の郵便局で出合った事にして置かんと不都合だ。浩さんは徳川家へ出入する話をついにした事がないから大丈夫だろう、ことに日記にああ書いてあるから間違はないはずだ。しかし念のため不用心だから尋ねて置こうと心を定めた。
「さっき浩一の名前をおっしゃったようですが、浩一は存生中ぞんじょうちゅう御屋敷へよく上がりましたか」
「いいえ、ただ名前だけ聞いているばかりで、――おやじは先刻せんこく御話をした通り、わしと終夜激論をしたくらいな間柄じゃが、せがれは五六歳のときに見たぎりで――実は貢五郎が早く死んだものだから、屋敷へ出入でいりする機会もそれぎり絶えてしもうて、――そのとんうた事がありません」
 そうだろう、そう来なくっては辻褄つじつまが合わん。第一余の理論の証明に関係してくる。ずこれなら安心。御蔭様でと挨拶あいさつをして帰りかけると、老人はこんな妙な客は生れて始めてだとでも思ったものか、余を送り出して玄関に立ったまま、余が門を出て振り返るまで見送っていた。
 これからの話は端折はしょって簡略に述べる。余は前にも断わった通り文士ではない。文士ならこれからがおおいに腕前を見せるところだが、余は学問読書を専一にする身分だから、こんな小説めいた事を長々しくかいているひまがない。新橋で軍隊の歓迎を見て、その感慨から浩さんの事を追想して、それから寂光院の不思議な現象に逢ってその現象が学問上から考えて相当の説明がつくと云う道行きが読者の心に合点がてん出来ればこの一篇の主意は済んだのである。実は書き出す時は、あまりの嬉しさに勢い込んで出来るだけ精密に叙述して来たが、慣れぬ事とて余計な叙述をしたり、不用な感想を挿入そうにゅうしたり、読み返して見ると自分でもおかしいと思うくらいくわしい。その代りここまで書いて来たらもういやになった。今までの筆法でこれから先を描写するとまた五六十枚もかかねばならん。追々学期試験も近づくし、それに例の遺伝説を研究しなくてはならんから、そんな筆を舞わす時日は無論ない。のみならず、元来が寂光院じゃっこういん事件の説明がこの篇の骨子だから、ようやくの事ここまで筆が運んで来て、もういいと安心したら、急にがっかりして書き続ける元気がなくなった。
 老人と面会をしたのちには事件の順序として小野田と云う工学博士に逢わなければならん。これは困難な事でもない。例の同僚からの紹介を持って行ったら快よく談話をしてくれた。二三度訪問するうちに、何かの機会で博士の妹に逢わせてもらった。妹は余の推量にたがわず例の寂光院であった。妹に逢った時顔でも赤らめるかと思ったら存外淡泊たんぱくごうも平生とことなる様子のなかったのはいささか妙な感じがした。ここまではすらすら事が運んで来たが、ただ一つ困難なのは、どうして浩さんの事を言い出したものか、その方法である。無論デリケートな問題であるから滅多めったに聞けるものではない。と云って聞かなければ何だか物足らない。余一人から云えばすでに学問上の好奇心を満足せしめたる今日こんにち、これ以上立ち入ってくだらぬ詮議せんぎをする必要を認めておらん。けれども御母おっかさんは女だけに底まで知りたいのである。日本は西洋と違って男女の交際が発達しておらんから、独身の余と未婚のこの妹と対座して話す機会はとてもない。よし有ったとしたところで、むやみに切り出せばいたずらに処女を赤面させるか、あるいは知りませぬとねつけられるまでの事である。と云って兄のいる前ではなおさら言いにくい。言いにくいと申すより言うをあえてすべからざる事かも知れない。墓参り事件を博士が知っているならばだけれど、もし知らんとすれば、余は好んで人の秘事を暴露ばくろする不作法を働いた事になる。こうなるといくら遺伝学を振り廻してもらちはあかん。みずから才子だと飛び廻って得意がった余もここに至っておおいに進退に窮した。とどのつまり事情を逐一ちくいち打ち明けて御母さんに相談した。ところが女はなかなか智慧ちえがある。
 御母さんのおおせには「近頃一人の息子を旅順でくして朝、夕さみしがって暮らしている女がいる。慰めてやろうと思っても男ではうまく行かんから、おひまな時に御嬢さんを時々遊びにやって上げて下さいとあなたから博士に頼んで見て頂きたい」とある。早速博士方へまかり出て鸚鵡おうむ口吻こうふんろうしてむねを伝えると博士は一も二もなく承諾してくれた。これが元で御母おっかさんと御嬢さんとは時々会見をする。会見をするたびに仲がよくなる。いっしょに散歩をする、御饌ごぜんをたべる、まるで御嫁さんのようになった。とうとう御母さんが浩さんの日記を出して見せた。その時に御嬢さんが何と云ったかと思ったら、それだから私は御寺参おてらまいりをしておりましたと答えたそうだ。なぜ白菊を御墓へ手向たむけたのかと問い返したら、白菊が一番好きだからと云う挨拶であった。
 余は色の黒い将軍を見た。婆さんがぶら下がる軍曹を見た。ワーと云う歓迎の声を聞いた。そうして涙を流した。浩さんは塹壕ざんごうへ飛び込んだきりあがって来ない。誰も浩さんをむかえに出たものはない。天下に浩さんの事を思っているものはこの御母さんとこの御嬢さんばかりであろう。余はこの両人のむつまじきさまを目撃するたびに、将軍を見た時よりも、軍曹を見た時よりも、清き涼しき涙を流す。博士は何も知らぬらしい。





底本:「夏目漱石全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年10月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:LUNA CAT
2000年9月11日公開
2004年2月26日修正
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