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趣味の遺伝(しゅみのいでん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 8:53:25  点击:  切换到繁體中文


          二

 こうさん! 浩さんは去年の十一月旅順で戦死した。二十六日は風の強く吹く日であったそうだ。遼東りょうとう大野たいやを吹きめぐって、黒い日を海に吹き落そうとする野分のわきの中に、松樹山しょうじゅざんの突撃は予定のごとく行われた。時は午後一時である。掩護えんごのために味方の打ち出した大砲が敵塁の左突角ひだりとっかくあたって五丈ほどの砂煙すなけむりをき上げたのを相図に、散兵壕さんぺいごうから飛び出した兵士の数は幾百か知らぬ。ありの穴を蹴返けかえしたごとくに散り散りに乱れて前面の傾斜をじ登る。見渡す山腹は敵の敷いた鉄条網で足をるる余地もない。ところを梯子はしごにな土嚢どのう背負しょって区々まちまちに通り抜ける。工兵の切り開いた二間に足らぬ路は、先を争う者のために奪われて、あとより詰めかくる人の勢に波を打つ。こちらからながめるとただ一筋の黒い河が山を裂いて流れるように見える。その黒い中に敵の弾丸は容赦なく落ちかかって、すべてが消え失せたと思うくらいい煙が立ちあがる。いかる野分は横さまに煙りを千切ちぎってはるかの空にさらって行く。あとには依然として黒い者が簇然そうぜんうごめいている。この蠢めいているもののうちに浩さんがいる。
 火桶ひおけを中に浩さんと話をするときには浩さんは大きな男である。色の浅黒いひげの濃い立派な男である。浩さんが口を開いて興に乗った話をするときは、相手の頭の中には浩さんのほか何もない。今日きょうの事も忘れ明日あすの事も忘れれている自分の事も忘れて浩さんだけになってしまう。浩さんはかように偉大な男である。どこへ出しても浩さんなら大丈夫、人の目に着くにきまっていると思っていた。だから蠢めいているなどと云う下等な動詞は浩さんに対して用いたくない。ないが仕方がない。現に蠢めいている。くわの先にくずされた蟻群ぎぐんの一匹のごとく蠢めいている。ひしゃくの水をくらった蜘蛛くもの子のごとく蠢めいている。いかなる人間もこうなると駄目だ。大いなる山、大いなる空、千里をけ抜ける野分、八方を包む煙り、鋳鉄しゅてつ咽喉のんどからえて飛ぶたま――これらの前にはいかなる偉人も偉人として認められぬ。俵に詰めた大豆だいずの一粒のごとく無意味に見える。嗚呼ああ浩さん! 一体どこで何をしているのだ? 早く平生の浩さんになって一番露助ろすけを驚かしたらよかろう。
 黒くむらがる者はたまを浴びるたびにぱっと消える。消えたかと思うと吹き散る煙の中に動いている。消えたり動いたりしているうちに、へびへいをわたるように頭から尾まで波を打ってしかも全体が全体としてだんだん上へ上へと登って行く、もう敵塁だ。浩さん真先に乗り込まなければいけない。煙の絶間から見ると黒い頭の上に旗らしいものがなびいている。風の強いためか、押し返されるせいか、真直ぐに立ったと思うと寝る。落ちたのかと驚ろくとまた高くあがる。するとまたななめにたおれかかる。浩さんだ、浩さんだ。浩さんに相違ない。多人数たにんず集まってみに揉んで騒いでいる中にもし一人でも人の目につくものがあれば浩さんに違ない。自分の妻は天下の美人である。この天下の美人が晴れの席へ出て隣りの奥様とえらぶところなくいっこう目立たぬのは不平な者だ。おのれの子が己れの家庭にのさばっている間は天にも地にも懸替かけがえのない若旦那である。この若旦那が制服を着けて学校へ出ると、向うの小間物屋のせがれと席をならべて、しかもその間に少しも懸隔のないように見えるのはちょっと物足らぬ感じがするだろう。余の浩さんにおけるもその通り。浩さんはどこへ出しても平生の浩さんらしくなければ気が済まん。擂鉢すりばちの中にき廻される里芋さといものごとく紛然雑然とゴロゴロしていてはどうしても浩さんらしくない。だから、何でも構わん、旗を振ろうが、剣をかざそうが、とにかくこの混乱のうちに少しなりとも人の注意をくに足るはたらきをするものを浩さんにしたい。したい段ではない。必ず浩さんにきまっている。どう間違ったって浩さんが碌々ろくろくとして頭角をあらわさないなどと云う不見識な事は予期出来んのである。――それだからあの旗持は浩さんだ。
 黒いかたまりが敵塁の下まで来たから、もう塁壁をのぼるだろうと思ううち、たちまち長いへびの頭はぽつりと二三寸切れてなくなった。これは不思議だ。たまくらってたおれたとも見えない。狙撃そげきを避けるため地に寝たとも見えない。どうしたのだろう。すると頭の切れた蛇がまた二三寸ぷつりと消えてなくなった。これは妙だとながめていると、順繰じゅんぐりに下から押しあがる同勢が同じ所へ来るやいなやたちまちなくなる。しかもとりでの壁には誰一人としてとりついたものがない。塹壕ざんごうだ。敵塁と我兵の間にはこの邪魔物があって、この邪魔物を越さぬ間は一人も敵にちかづく事は出来んのである。彼らはえいえいと鉄条網を切り開いた急坂きゅうはんを登りつめた揚句あげく、このほりはたまで来て一も二もなくこの深いみぞの中に飛び込んだのである。になっている梯子はしごは壁に懸けるため、背負しょっている土嚢どのうは壕をうずめるためと見えた。壕はどのくらいうまったか分らないが、先の方から順々に飛び込んではなくなり、飛び込んではなくなってとうとう浩さんの番に来た。いよいよ浩さんだ。しっかりしなくてはいけない。
 高く差し上げた旗が横になびいて寸断寸断ずたずたに散るかと思うほど強く風を受けたのち旗竿はたざおが急に傾いて折れたなと疑う途端とたんに浩さんの影はたちまち見えなくなった。いよいよ飛び込んだ! 折から二竜山にりゅうざんの方面より打ち出した大砲が五六発、大空に鳴る烈風をつんざいて一度に山腹にあたって山の根を吹き切るばかりとどろき渡る。ほとばしる砂煙すなけむりさびしき初冬はつふゆの日蔭をめつくして、見渡す限りに有りとある物を封じおわる。浩さんはどうなったか分らない。気が気でない。あの煙の吹いている底だと見当をつけて一心に見守る。夕立を遠くから望むように密におおい重なる濃き者は、はげしき風の捲返まきかえしてすくい去ろうとあせる中に依然としてり固って動かぬ。約二分間は眼をいくらこすっても盲目めくら同然どうする事も出来ない。しかしこの煙りが晴れたら――もしこの煙りが散り尽したら、きっと見えるに違ない。浩さんの旗が壕の向側むこうがわに日を射返して耀かがやき渡って見えるに違ない。いな向側を登りつくしてあの高く見える※(「土へん+楪のつくり」、第4水準2-4-94)ひめがきの上に翩々へんぺんひるがえっているに違ない。ほかの人ならとにかく浩さんだから、そのくらいの事は必ずあるにきまっている。早く煙が晴れればいい。なぜ晴れんだろう。
 めた。敵塁の右のはじの突角の所が朧気おぼろげに見え出した。中央の厚く築き上げた石壁せきへきも見え出した。しかし人影はない。はてな、もうあすこらに旗が動いているはずだが、どうしたのだろう。それでは壁の下の土手の中頃にいるに相違ない。煙はぬぐうがごとく一掃ひとはきに上から下まで漸次ぜんじに晴れ渡る。浩さんはどこにも見えない。これはいけない。田螺たにしのようにうごめいていたほかの連中もどこにも出現せぬ様子だ。いよいよいけない。もう出るか知らん、五秒過ぎた。まだか知らん、十秒立った。五秒は十秒と変じ、十秒は二十、三十と重なっても誰一人いちにん塹壕ざんごうから向うへあがる者はない。ないはずである。塹壕に飛び込んだ者はむこうへ渡すために飛び込んだのではない。死ぬために飛び込んだのである。彼らの足が壕底ごうていに着くやいな穹窖きゅうこうよりねらいを定めて打ち出す機関砲は、つえを引いて竹垣の側面を走らす時の音がしてまたたに彼らを射殺した。殺されたものが這い上がれるはずがない。石を置いた沢庵たくあんのごとく積み重なって、人の眼に触れぬ坑内によこたわる者に、むこうへ上がれと望むのは、望むものの無理である。横わる者だって上がりたいだろう、上りたければこそ飛び込んだのである。いくら上がりたくても、手足がかなくては上がれぬ。眼がくらんでは上がれぬ。胴に穴がいては上がれぬ。血が通わなくなっても、脳味噌がつぶれても、肩が飛んでも身体からだが棒のように鯱張しゃちこばっても上がる事は出来ん。二竜山にりゅうざんから打出した砲煙が散じ尽した時に上がれぬばかりではない。寒い日が旅順の海に落ちて、寒いしもが旅順の山に降っても上がる事は出来ん。ステッセルが開城して二十の砲砦ほうさいがことごとく日本の手に帰しても上る事は出来ん。日露の講和が成就じょうじゅして乃木将軍がめでたく凱旋がいせんしても上がる事は出来ん。百年三万六千日乾坤けんこんひっさげて迎に来ても上がる事はついにできぬ。これがこの塹壕に飛び込んだものの運命である。しかしてまた浩さんの運命である。蠢々しゅんしゅんとして御玉杓子おたまじゃくしのごとく動いていたものは突然とこの底のないあなのうちに落ちて、浮世の表面からやみうちに消えてしまった。旗を振ろうが振るまいが、人の目につこうがつくまいがこうなって見ると変りはない。浩さんがしきりに旗を振ったところはよかったが、ほりの底では、ほかの兵士と同じように冷たくなって死んでいたそうだ。
 ステッセルはくだった。講和は成立した。将軍は凱旋した。兵隊も歓迎された。しかし浩さんはまだ坑から上って来ない。はからず新橋へ行って色の黒い将軍を見、色の黒い軍曹を見、の低い軍曹の御母おっかさんを見て涙まで流して愉快に感じた。同時に浩さんはなぜ壕から上がってんのだろうと思った。浩さんにも御母さんがある。この軍曹のそれのように背は低くない、また冷飯草履ひやめしぞうり穿いた事はあるまいが、もし浩さんが無事に戦地から帰ってきて御母さんが新橋へ出迎えに来られたとすれば、やはりあの婆さんのようにぶら下がるかも知れない。浩さんもプラットフォームの上で物足らぬ顔をして御母さんの群集の中から出てくるのを待つだろう。それを思うと可哀そうなのは坑を出て来ない浩さんよりも、浮世の風にあたっている御母おっかさんだ。塹壕ざんごうに飛び込むまではとにかく、飛び込んでしまえばそれまでである。娑婆しゃばの天気は晴であろうとも曇であろうとも頓着とんじゃくはなかろう。しかし取り残された御母さんはそうは行かぬ。そら雨が降る、めて浩さんの事を思い出す。そら晴れた、表へ出て浩さんの友達にう。歓迎で国旗を出す、あれが生きていたらと愚痴ぐちっぽくなる。洗湯せんとうで年頃の娘が湯をんでくれる、あんな嫁がいたらと昔をしのぶ。これでは生きているのが苦痛である。それも子福者であるなら一人なくなっても、あとに慰めてくれるものもある。しかし親一人子一人の家族が半分欠けたら、瓢箪ひょうたんの中から折れたと同じようなものでしめくくりがつかぬ。軍曹の婆さんではないが年寄りのぶら下がるものがない。御母さんは今に浩一こういちが帰って来たらばと、しわだらけの指を日夜にちやに折り尽してぶら下がる日を待ちがれたのである。そのぶら下がる当人は旗を持って思い切りよく塹壕の中へ飛び込んで、今に至るまで上がって来ない。白髪しらがは増したかも知れぬが将軍は歓呼かんこうち帰来きらいした。色は黒くなっても軍曹は得意にプラットフォームの上に飛び下りた。白髪になろうと日に焼けようと帰りさえすればぶら下がるにつかえはない。右の腕を繃帯ほうたいで釣るして左の足が義足と変化しても帰りさえすれば構わん。構わんと云うのに浩さんは依然としてあなから上がって来ない。これでも上がって来ないなら御母さんの方からあとを追いかけて坑の中へ飛び込むより仕方がない。
 幸い今日はひまだから浩さんのうちへ行って、久し振りに御母さんを慰めてやろう? 慰めに行くのはいいがあすこへ行くと、行くたびに泣かれるので困る。せんだってなどは一時間半ばかり泣き続けに泣かれて、しまいには大抵な挨拶あいさつはし尽して、おおいに応対に窮したくらいだ。その時御母さんはせめて気立ての優しい嫁でもおりましたら、こんな時には力になりますのにとしきりに嫁々と繰り返して大に余を困らせた。それも一段落告げたからもうかろうと御免ごめんこうむりかけると、あなたに是非見て頂くものがあると云うから、何ですと聴いたら浩一の日記ですと云う。なるほど亡友の日記は面白かろう。元来日記と云うものはその日その日の出来事を書きるすのみならず、また時々刻々じじこっこくの心ゆきを遠慮なく吐き出すものだから、いかに親友の手帳でも断りなしに目を通す訳には行かぬが、御母さんが承諾する――いな先方から依頼する以上は無論興味のある仕事に相違ない。だから御母さんに読んでくれと云われたときは大に乗気になってそれは是非見せてちょうだいとまで云おうと思ったが、この上また日記で泣かれるような事があっては大変だ。とうてい余の手際てぎわでは切り抜ける訳には行かぬ。ことに時刻を限ってある人と面会の約束をした刻限もせまっているから、これは追って改めて上がって緩々ゆるゆる拝見を致す事に願いましょうと逃げ出したくらいである。以上の理由で訪問はちと辟易へきえきていである。もっとも日記は読みたくない事もない。泣かれるのも少しならいやとは云わない。元々木や石で出来上ったと云う訳ではないから人の不幸に対して一滴の同情くらいはゆうに表し得る男であるがいかんせん性来しょうらい余り口の製造に念がっておらんので応対に窮する。御母さんがまああなた聞いて下さいましとすすり上げてくると、何と受けていいか分らない。それを無理矢理に体裁ていさいつくろって半間はんまに調子を合せようとするとせっかくの慰藉いしゃ的好意が水泡と変化するのみならず、時には思いも寄らぬ結果を呈出して熱湯とまで沸騰ふっとうする事がある。これでは慰めに行ったのか怒らせに行ったのか先方でも了解に苦しむだろう。行きさえしなければ薬も盛らん代りに毒も進めぬ訳だから危険はない。訪問はいずれその内として、まず今日は見合せよう。
 訪問は見合せる事にしたが、昨日きのうの新橋事件を思い出すと、どうも浩さんの事が気に掛ってならない。何らかの手段で親友をとむらってやらねばならん。悼亡とうぼうの句などは出来るがらでない。文才があれば平生の交際をそのまま記述して雑誌にでも投書するがこの筆ではそれも駄目と。何かないかな? うむあるある寺参りだ。浩さんは松樹山しょうじゅざん塹壕ざんごうからまだあがって来ないがその紀念の遺髪ははるかの海を渡って駒込の寂光院じゃっこういんに埋葬された。ここへ行って御参りをしてきようと西片町にしかたまち吾家わがやを出る。
 冬のきである。小春こはると云えば名前を聞いてさえ熟柿じゅくしのようないい心持になる。ことに今年ことしはいつになく暖かなので袷羽織あわせばおり綿入わたいれ一枚のちさえ軽々かろがろとした快い感じを添える。先のななめに減ったつえを振り廻しながら寂光院と大師流だいしりゅうに古い紺青こんじょうで彫りつけた額をながめて門を這入はいると、精舎しょうじゃは格別なもので門内は蕭条しょうじょうとして一塵のあとめぬほど掃除が行き届いている。これはうれしい。はだの細かな赤土が泥濘ぬかりもせず干乾ひからびもせず、ねっとりとして日の色を含んだ景色けしきほどありがたいものはない。西片町は学者町か知らないがな家は無論の事、落ちついた土の色さえ見られないくらい近頃は住宅が多くなった。学者がそれだけえたのか、あるいは学者がそれだけ不風流なのか、まだ研究して見ないから分らないが、こうやって広々とした境内けいだいへ来ると、平生は学者町で満足を表していた眼にも何となく坊主の生活がうらやましくなる。門の左右には周囲二尺ほどな赤松が泰然として控えている。大方おおかた百年くらい前からかくのごとく控えているのだろう。鷹揚おうようなところが頼母たのもしい。神無月かんなづきの松の落葉とか昔はとなえたものだそうだが葉をふるった景色けしきは少しも見えない。ただわだかまった根が奇麗な土の中からこぶだらけの骨を一二寸あらわしているばかりだ。老僧か、小坊主か納所なっしょかあるいは門番が凝性こりしょう大方おおかた日に三度くらいくのだろう。松を左右に見て半町ほど行くとつき当りが本堂で、その右が庫裏くりである。本堂の正面にも金泥きんでいがくかかって、鳥のふんか、紙をんでたたきつけたのか点々と筆者の神聖をがしている。八寸角の欅柱けやきばしらには、のたくった草書のれんが読めるなら読んで見ろとすましてかかっている。なるほど読めない。読めないところをもって見るとよほど名家の書いたものに違いない。ことによると王羲之おうぎしかも知れない。えらそうで読めない字を見ると余は必ず王羲之にしたくなる。王羲之にしないと古い妙な感じが起らない。本堂を右手に左へ廻ると墓場である。墓場の入口には化銀杏ばけいちょうがある。ただしばけの字は余のつけたのではない。聞くところによるとこの界隈かいわいで寂光院のばけ銀杏と云えば誰も知らぬ者はないそうだ。しかし何がけたって、こんなに高くはなりそうもない。三抱みかかえもあろうと云う大木だ。例年なら今頃はとくに葉をふるって、から坊主になって、野分のわきのなかにうなっているのだが、今年ことしは全く破格な時候なので、高い枝がことごとく美しい葉をつけている。下から仰ぐと目に余る黄金こがねの雲が、おだやかな日光を浴びて、ところどころ鼈甲べっこうのように輝くからまぼしいくらい見事である。その雲のかたまりが風もないのにはらはらと落ちてくる。無論薄い葉の事だから落ちても音はしない、落ちる間もまたすこぶる長い。枝を離れて地に着くまでの間にあるいは日に向いあるいは日にそむいて色々な光を放つ。色々に変りはするものの急ぐ景色けしきもなく、至って豊かに、至ってしとやかに降って来る。だから見ていると落つるのではない。空中を揺曳ようえいして遊んでいるように思われる。閑静である。――すべてのものの動かぬのが一番閑静だと思うのは間違っている。動かない大面積の中に一点が動くから一点以外の静さが理解できる。しかもその一点が動くと云う感じを過重かちょうならしめぬくらい、いなその一点の動く事それみずからが定寂じょうじゃくの姿を帯びて、しかも他の部分の静粛なありさまを反思はんしせしむるに足るほどになびいたなら――その時が一番閑寂かんじゃくの感を与える者だ。銀杏いちょうの葉の一陣の風なきに散る風情ふぜいは正にこれである。限りもない葉があしたゆうべいとわず降ってくるのだから、木の下は、黒い地の見えぬほど扇形の小さい葉で敷きつめられている。さすがの寺僧じそうもここまでは手が届かぬと見えて、当座は掃除のはんを避けたものか、またはうずたかき落葉を興ある者とながめて、打ち棄てて置くのか。とにかく美しい。
 しばらく化銀杏ばけいちょうの下に立って、上を見たり下を見たりたたずんでいたが、ようやくの事幹のもとを離れていよいよ墓地の中へ這入はいり込んだ。この寺は由緒ゆいしょのある寺だそうでところどころに大きな蓮台れんだいの上にえつけられた石塔が見える。右手のかたさくを控えたのには梅花院殿ばいかいんでん瘠鶴大居士せきかくだいこじとあるから大方おおかた大名か旗本の墓だろう。中には至極しごく簡略で尺たらずのもある。慈雲童子と楷書かいしょで彫ってある。小供だから小さいわけだ。このほか石塔も沢山ある、戒名も飽きるほど彫りつけてあるが、申し合わせたように古いのばかりである。近頃になって人間が死ななくなった訳でもあるまい、やはり従前のごとく相応の亡者もうじゃは、年々御客様となって、あのげかかった額の下をくぐるに違ない。しかし彼らがひとたび化銀杏の下を通り越すやいなや急にぼとけとなってしまう。何も銀杏のせいと云う訳でもなかろうが、大方の檀家だんかは寺僧の懇請で、余り広くない墓地の空所くうしょせばめずに、先祖代々の墓の中に新仏しんぼとけを祭り込むからであろう。浩さんも祭り込まれた一人ひとりである。
 浩さんの墓は古いと云う点においてこの古い卵塔婆らんとうば内でだいぶ幅のく方である。墓はいつ頃出来たものかしかとは知らぬが、何でも浩さんの御父おとっさんが這入り、御爺おじいさんも這入り、そのまた御爺さんも這入ったとあるからけっして新らしい墓とは申されない。古い代りには形勝けいしょうの地を占めている。隣り寺を境に一段高くなった土手の上に三坪ほどな平地へいちがあって石段を二つ踏んであたりの真中にあるのが、御爺さんも御父さんも浩さんも同居して眠っている河上家代々之墓である。きわめてわかりやすい。化銀杏を通り越して一筋道を北へ二十間歩けばよい。余は馴れた所だから例のごとく例のみちをたどって半分ほど来て、ふと何の気なしに眼をあげて自分のまいるべき墓の方を見た。
 見ると! もう来ている。誰だか分らないがうしむきになってしきりに合掌している様子だ。はてな。誰だろう。誰だか分りようはないが、遠くから見ても男でないだけは分る。恰好かっこうから云ってもたしかに女だ。女なら御母おっかさんか知らん。余は無頓着むとんじゃくの性質で女の服装などはいっこう不案内だが、御母さんは大抵黒繻子くろじゅすの帯をしめている。ところがこの女の帯は――後から見ると最も人の注意をく、女の背中いっぱいに広がっている帯は決して黒っぽいものでもない。光彩陸離こうさいりくりたるやたらに奇麗きれいなものだ。若い女だ! と余は覚えず口の中で叫んだ。こうなると余は少々ばつがわるい。進むべきものか退しりぞくべきものかちょっと留って考えて見た。女はそれとも知らないから、しゃがんだまま熱心に河上家代々の墓を礼拝している。どうも近寄りにくい。さればと云って逃げるほど悪事を働いたおぼえはない。どうしようと迷っていると女はすっくら立ち上がった。後ろは隣りの寺の孟宗藪もうそうやぶで寒いほど緑りの色が茂っている。そのしたたるばかり深い竹の前にすっくりと立った。背景が北側の日影で、黒い中に女の顔が浮き出したように白く映る。眼の大きな頬のしまったえりの長い女である。右の手をぶらりと垂れて、指の先でハンケチのはじをつかんでいる。そのハンケチの雪のように白いのが、暗い竹の中にあざやかに見える。顔とハンケチの清く染め抜かれたほかは、あっと思った瞬間に余の眼には何物も映らなかった。
 余がこのとしになるまでに見た女の数はおびただしいものである。往来の中、電車の上、公園の内、音楽会、劇場、縁日、随分見たと云ってよろしい。しかしこの時ほど驚ろいた事はない。この時ほど美しいと思った事はない。余は浩さんの事も忘れ、墓詣はかまいりに来た事も忘れ、きまりがるいと云う事さえ忘れて白い顔と白いハンケチばかりながめていた。今までは人が後ろにいようとは夢にも知らなかった女も、帰ろうとして歩き出す途端に、茫然ぼうぜんとしてたたずんでいる余の姿が眼にったものと見えて、石段の上にちょっと立ち留まった。下から眺めた余の眼と上から見下みおろす女の視線が五間をへだてて互に行き当った時、女はすぐ下を向いた。するとくまで白い頬に裏から朱をいて流したような濃い色がむらむらと煮染にじみ出した。見るうちにそれが顔一面に広がって耳の付根まで真赤に見えた。これは気の毒な事をした。化銀杏ばけいちょうの方へ逆戻りをしよう。いやそうすればかえって忍び足にあとでもつけて来たように思われる。と云って茫然と見とれていてはなお失礼だ。死地に活を求むと云う兵法もあると云う話しだからこれは勢よく前進するにしくはない。墓場へ墓詣りをしに来たのだから別に不思議はあるまい。ただ躊躇ちゅうちょするから怪しまれるのだ。と決心して例のステッキを取り直して、つかつかと女の方にあるき出した。すると女も俯向うつむいたまま歩を移して石段の下で逃げるように余のそでそばりぬける。ヘリオトロープらしいかおりがぷんとする。香が高いので、小春日に照りつけられた袷羽織あわせばおり背中せなかからしみ込んだような気がした。女が通り過ぎたあとは、やっと安心して何だか我に帰った風に落ちついたので、元来何者だろうとまた振り向いて見る。すると運悪くまた眼と眼が行き合った。こんどは余は石段の上に立ってステッキを突いている。女は化銀杏ばけいちょうの下で、行きかけたたいななめにねじってこっちを見上げている。銀杏は風なきになおひらひらと女の髪の上、そでの上、帯の上へ舞いさがる。時刻は一時か一時半頃である。ちょうど去年の冬浩さんが大風の中を旗を持って散兵壕から飛び出した時である。空はぎ上げたつるぎけつらねたごとく澄んでいる。秋の空の冬に変る間際まぎわほど高く見える事はない。うすものに似た雲の、かすかに飛ぶ影もひとみうちには落ちぬ。羽根があって飛び登ればどこまでも飛び登れるに相違ない。しかしどこまで昇っても昇り尽せはしまいと思われるのがこの空である。無限と云う感じはこんな空を望んだ時に最もよく起る。この無限に遠く、無限にはるかに、無限に静かな空を会釈えしゃくもなく裂いて、化銀杏が黄金こがねの雲をらしている。その隣には寂光院の屋根瓦やねがわらが同じくこの蒼穹そうきゅうの一部を横にかくして、何十万枚重なったものか黒々とうろこのごとく、暖かき日影を射返している。――古き空、古き銀杏、古き伽藍がらんと古き墳墓が寂寞じゃくまくとして存在する間に、美くしい若い女が立っている。非常な対照である。竹藪をうしろに背負しょって立った時はただ顔の白いのとハンケチの白いのばかり目に着いたが、今度はすらりと着こなしたきぬの色と、その衣を真中から輪にった帯の色がいちじるしく目立つ。縞柄しまがらだの品物などは余のような無風流漢には残念ながら記述出来んが、色合だけはたしかにはなやかな者だ。こんな物寂ものさびた境内けいだいに一分たりともいるべき性質のものでない。いるとすればどこからか戸迷とまどいをしてまぎれ込んで来たに相違ない。三越陳列場の断片を切り抜いて落柿舎らくししゃ物干竿ものほしざおへかけたようなものだ。対照の極とはこれであろう。――女は化銀杏の下から斜めに振り返って余がまいる墓のありかを確かめて行きたいと云う風に見えたが、生憎あいにく余の方でも女に不審があるので石段の上からながめ返したから、思い切って本堂の方へ曲った。銀杏はひらひらと降って、黒い地を隠す。
 余は女の後姿を見送って不思議な対照だと考えた。むかし住吉のやしろで芸者を見た事がある。その時は時雨しぐれの中に立ち尽す島田姿が常よりはあでやかに余がひとみを照らした。箱根の大地獄で二八余にはちあまりの西洋人にった事がある。その折は十丈も煮えあがる湯煙りのすさまじき光景が、しばらくはやわらいで安慰の念を余が頭に与えた。すべての対照は大抵この二つの結果よりほかには何も生ぜぬ者である。在来の鋭どき感じをけずって鈍くするか、または新たに視界に現わるる物象を平時よりは明瞭めいりょう脳裏のうりに印し去るか、これが普通吾人の予期する対照である。ところが今た対象はごうもそんな感じを引き起さなかった。相除そうじょの対照でもなければ相乗そうじょうの対照でもない。古い、さびしい、消極的な心の状態が減じた景色けしきはさらにない、と云ってこの美くしい綺羅きらを飾った女の容姿が、音楽会や、園遊会でうよりはきわ目立って見えたと云う訳でもない。余が寂光院じゃっこういんの門をくぐって得た情緒じょうしょは、浮世を歩む年齢が逆行して父母未生ふもみしょう以前にさかのぼったと思うくらい、古い、物寂ものさびた、憐れの多い、捕えるほどしかとした痕迹こんせきもなきまで、淡く消極的な情緒である。この情緒はやぶうしろにすっくりと立った女の上に、余の眼がそそがれた時にごうも矛盾の感を与えなかったのみならず、落葉の中に振り返る姿を眺めた瞬間において、かえって一層の深きを加えた。古伽藍ふるがらんげた額、化銀杏ばけいちょうと動かぬ松、錯落さくらくならぶ石塔――死したる人の名をきざむ死したる石塔と、花のような佳人とが融和して一団の気と流れて円熟無礙むげの一種の感動を余の神経に伝えたのである。

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