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安重根(あんじゅうこん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 9:36:16  点击:  切换到繁體中文

時。一九〇九年八月、十月。

所。小王嶺、ウラジオストック、ボグラニチナヤ、蔡家溝、ハルビン。

人。安重根あんじゅうこん禹徳淳うとくじゅん曹道先そうどうせん劉東夏りゅうとうか劉任瞻りゅうにんせん柳麗玉りゅうれいぎょく李剛りごう李春華りしゅんか朴鳳錫ぼくほうしゃく白基竜はっきりゅう鄭吉炳ていきつへい卓連俊たくれんしゅん張首明ちょうしゅめい、お光、金学甫きんがくほ黄成鎬こうせいこう黄瑞露こうずいろ金成白きんせいはく、クラシノフ、伊藤公、満鉄総裁中村是公以下その随員、ニイナ・ラファロヴナ、日本人のスパイ、売薬行商人、古着屋の老婆、ロシア人の売春婦、各地の同士多勢、青年独立党員。

 蔡家溝駅長オグネフ、同駅駐在中隊長オルダコフ大尉、同隊付セミン軍曹、チチハル・ホテル主人ヤアフネンコ、露国蔵相ココフツォフ、随行員、東清鉄道関係者、露支顕官、各国新聞記者団、写真班、ボウイ、日本人警部、日露支出迎人、露支両国儀仗兵、軍楽隊、露国憲兵、駅員。

(朝鮮人たちはルバシカ、背広、詰襟、朝鮮服、蒙古服等、長髪もあり、ぐりぐり坊主もあり、帽子なども雑然と、思い思いの不潔な服装。日清露三国の勢力下にある明治四十二年の露領から北満へかけての場面だから、風物空気、万事初期の殖民地らしく、猥雑混沌をきわめている。多分に開化風を加味しても面白いと思う)

       1

一九〇九年――明治四十二年――八月下旬の暑い日。
ウラジオストックの田舎、小王嶺の朝鮮人部落。

部落の街路。乾割れのした土塀。土で固めた低い屋根。陽がかんかん照って、樹の影が濃い。蝉の声がしている。牛や鶏の鳴く声もする。蝉はこの場をつうじて片時も止まずに啼きつづける。

安重根、三十一歳。国士風の放浪者。ウラジオの韓字新聞「大東共報」の寄稿家。常に読みかけの新聞雑誌の類を小脇に抱えている。左手の食指が半ばからない。ほかにこの場の人物は、老人、青年、女房、娘、子供等、部落民の朝鮮人の群集と、売薬行商人など。

樹の下でルバシカ姿の安重根が演説している。男女の朝鮮人の農民が、ぼんやり集まって、倦怠ものうそうに路上に立ったりしゃがんだりしている。みな朝鮮服で、長煙管ながぎせるをふかしている者、洋傘こうもりをさしているものもある。

安重根 (前からの続き)そういうわけで、百姓は農業にいそしみ、商人は算盤そろばん大事に、学生は勉強をして、めいめい本分とする稼業に精を出すことが第一です。この、韓国民の教育をはかるといる大目的のために、また一つには、私は本国の義兵参謀中将ですから、こうしてこの三年間、国事に奔走ほんそうしているのであります。私の国家思想は、数年前から持っておりましたが、非常に感じましたのは、四年前、日露戦争の当時からであります。それから以後になって五カ条の日韓条約が成立し、なお続いて七カ条の条約が締結されました。これを機会に私は故国くにを出て、この露領の各村落を遊説して来たのであります。
聴衆の大部分は聞いていない。あちこちにグルウプを作って、世間話をしたり、ささやき合ったりしている。一隅で欠伸あくびする者がある。
安重根 そうすると、韓国の前途について、どういう風にしなければならないか。私の考えを申しますれば、千八百九十五年の日露開戦に際して、日本皇帝陛下の宣戦の詔勅しょうちょくによれば、東洋の平和を維持し、かつ韓国の独立を鞏固きょうこならしむるという御趣旨であったから、その当時韓国人は非常に感激いたしまして、とにかく日本人のつもりで日露戦争に働いた人も尠からざることで、日露の媾和が成立して日本軍が凱旋がいせんすることになりました時のごときは、韓国人は自国の凱旋のごとくに喜んで、いよいよこれから韓国の独立が鞏固になると言っておりましたところが、その後伊藤公爵が韓国の統監として赴任して以来、前に申しました五カ条の協約を締結しましたが、それはまったく先に宣言せられた韓国の独立を鞏固ならしむるという意に反しておりましたために、尠からず韓国上下の感情を害して、それに対し不服を唱えておりました。のみならず、千八百九十七年にいたりまして、またもや七カ条の協約というものが締結されましたが、これも先の五カ条と同様、韓国皇帝陛下が親ら玉璽ぎょくじ※(「金+今」、第3水準1-93-5)せられたのではなく、また韓国の総理大臣が同意したものでもない。じつに伊藤統監がいて圧迫をもって締結されたのであります。
聴衆は無関心に、じっとしている。眠っている者もある。
安重根 でありますから、この条約に対して、韓国人はことごとくこれを否認し、ついには憤激のあまり――。
若い女が頭に水甕みずがめを載せて出て来る。地面に胡座あぐらをかいている青年一が呼び停める。
青年一 水か。待ってた。飲ましてくれ。
女 冗談じゃないよ。お炊事に使うんだから。
青年一 咽喉が乾いて焼けつきそうなんだ。
女 勝手に井戸へ行って飲んで来たらいいじゃないの。
青年一 ちっ! 面倒くせえや。わざわざ起って行くくらいなら我慢すらあ。
傍らから青年二が女の甕を奪って飲みはじめる。女は争う。
女 いけないったら、いけないよ、あらあら! こぼして――。
青年二 因業いんごうなこと言うなよ。新しいの汲んで来てやったら文句はないだろう。
飲みつづける。青年一をはじめ、二三人集まって、甕を廻して飲む。笑声が起る。この間も安重根は続けている。
安重根 (一段大声に)憤激のあまり、この事情を世界に発表しようとするくらいにまで覚悟しておりました。もともとわが韓国は四千年来武の国ではなく、文筆によって立ってきた国です。
子供が出て来て安重根の前に進む。
子供 (手を出して)小父ちゃん! 仁丹ある? ひとふくろ。
安重根 (子供を無視して)この国家的思想を鼓吹こすいするために――。
子供 小父ちゃん! おっかちゃんがね、仁丹おくれって。おぜぜ持って来たよ、これ。
安重根 (子供に)小父ちゃんは薬売りじゃないよ。さ、あっちへおいで――私はこの国家的思想を鼓吹するために煙秋エンチュウ、水青、許発浦、サムワクウ、アジミイなどこの近在の各地を遊説しているものでありますが、国権を回復するまでは、農業にまれ商業にまれ、おのおのその天賦の職業に精励して、いかなる労働も忍んで国家のために尽さなければならない。また場合によっては、戦争もしなければならないのであります。
遠くから声がする。
声 貞露! 貞露!――しようがないねえ。どこ行ったんだろう、洗濯物を持ったまんま。
群集の中から、濡れた洗濯ものを持った女が逃げるように、塀にそって急ぎ足に去る。男の一人が見送る。
男 おい。貞さん、今夜行くぜ。
女 馬鹿お言いでないよ。
笑声。眠っている者はびっくりして眼を覚ます。
安重根 伊藤統監の施政方針はどうしても破壊しなければならない。そのためにはどういうことでもしなければならぬ。若い者は戦争に出て、老人は自分の職業に従事して兵粮や何かの補助をし、子供に対しては相当の教育を授けて第二の国民たる素養を造らねばならぬということを、私は力説したいのであります。
売薬の名を大きく墨書した白洋傘こうもりをさして、学童の鞄を下げた朝鮮服の男が、安重根と反対側に立って大声に言いはじめる。
薬売り (鞄から蛇の頭を覗かせて)そうら! 蛇だぞ! ははははは、驚いてはいけない。蛇というとすぐ顔色を変える人がある。ところが、この蛇というやつはまことに可愛いもので、おまけにただ可愛いだけではない。人間さまにとってこれほどありがたい生き物はないんだが、どういうものか毛嫌いする人が多いようです。もっとも、こいつ、あんまり感心した恰好ではないからね。
群集はかすかに興味を示して、薬売りの周囲へ集まって行く。安重根は手持ち不沙汰に立っている。
薬売り なに、蛇なんざあ珍しくねえ? そこらの藪っぺたを突っつけばいくらでも飛び出す? だだ誰だ、そんなこと言うのは――ちぇっ! そりゃあ夏の蛇だ。夏の蛇ですよ。そんな蛇とは蛇が違う。ねえ、夏の蛇は薬にはならないよ。私がこう言ったら、そんならお前の蛇は何かの薬になるのかと訊いた人がある。なあ、これから九月、十月、十一月もなかばになると、満洲の冬は早いです。名物の空っ風が、ぴゅうっ、ぴゅうっ、ねえ、朝起きてみると、白いものが地面に下りて、霜だ。おお寒い寒い! 皆さん手に息を吹っかけて、家ん中へはいってオンドルの上にちぢこまる。へへん、笑いごっちゃあねえ。蛇だって寒いから、穴籠あなごもりだ。山の奥へと持って行って穴を掘って、蛇の先生、飲まず食わずでじいっ――冬眠してやがる。ね、そこを、私らみてえな蛇屋さんが、へん、商売商売だね、竹の棒で起こして廻るんだが、どっこい、どの山の蛇でもいいかと言うと、そうではない。これから北へ行って金崔浩きんさいこうさんの所有山もちやま、南では車錫山、まず大した蛇山だねえ。蛇追いと言って、これから蛇を追い出して油を取る。御存じの支那の竜門からると言われていた視力若返りの霊剤、あれなんかもじつはこの満洲蛇の油だということが、最近偉い博士先生方の御研究によって判明をいたしました。何にきくかと言うと――眼の悪い人はいないかね? 眼の悪い人は前へ出なさい。老眼、近眼、あるいは乱視といって物がいくつにも見える。捨てて置いてはいけない。それから脳病一般、リュウマチス、それに喘息ぜんそくだ。この喘息という病は、今日の医学界ではまだその病源についていろいろと説があって、したがって治療法も発見されておりません。学者先生が多勢お集まりになって、腕をんで首を捻っていなさる。はて、わからねえ――。
薬売りは腕を組んで、首を捻って考え込む態をする。群集はすっかり安重根に背中を向けて、薬売りを取りまいて熱心に聴き入っている。低い塀の上にも、中から覗いている顔がいくつも並んでいる。安重根は憮然として群集を凝視めている。

       2

同年十月十七日、午前十時ごろ。

ウラジオストック、朝鮮人街、鶏林理髪店の土間。罅のはいった大鏡二つ。粗末な椅子器具等、すべて裏町の床屋らしき造り。入口に近く、卓子腰掛けなどあって、順番を待つ場所になっている。正面に住いへ通ずるドア。日本郵船のポスタア、新聞の付録の朝鮮美人の石版画、暦など飾ってある。
禹徳淳うとくじゅん――煙草行商人。安重根の同志。四十歳。
張首明――鶏林理髪店主。日本のスパイ。
お光――張首明の妻。若い日本婦人。
他に、安重根、下剃り金学甫、客、近所の朝鮮人の男、ロシアの売春婦二人、日本人のスパイ。

椅子の一つに安重根が張首明に顔を剃らしている。もう一つの椅子にも客がいて、金学甫が髪を刈りて終ろうとしている。入口に近い腰掛けにロシア女二人と近所の男が掛けている。

女一 (髪を束ね直しながら)さ、お神輿みこしを上げようかね、朝っぱらから据わり込んでいても、いい話もなさそうだし――。
女二 あああ、ゆうべは羽目を外しちゃった。
近所の男 (女一へ)この人の旦那ってのは、まだあの、鬚をぴんと生やして、拍車のついた長靴を引きずってる、露助ろすけの憲兵さんかい。
女一 やあだ。そうじゃないわよ。あんなのもう何でもないわねえ。今度の人は――言ってもいいわね。日本人の荒物屋さんよ。
男 へっ、日本人ヤポンスキイか。
女二 あ、そうそう。今日か明日、また日本の軍艦が入港はいるんですって。港務部へ出てる、あたしの知ってる人がそ言ってたわ。
女一 あら、ほんと? 大変大変!
男 そら始まった。大変はよかったね。日本の水兵が来ると言うと、すぐあれだ。眼の色を変えて騒ぎやがる。
張首明 (安重根の顔を剃りながら)情夫いろおとこでも乗ってるというのかい。
奥へ通ずる正面のドアから張首明妻お光が出て来る。
お光 情夫ですって? 面白そうなお話しね。(一同へ)あら、いらっしゃい――日本の水兵さんは、みんなロシア娘の情夫いろおとこなんですとさ。
近所の男 どこがよくてそう日本人なんかに血道を上げるんだろう。気が知れねえ。
お光 おや、ここにも一人日本人がいますよ、ははは。
髪を刈っている客 (金学甫の椅子から)そうだ。日本人と言えば、ハルビンは騒ぎのようだね。ロシアの大蔵大臣のココフツォフとかいう人が来て、日本の伊藤公爵を待ち合わせるんだそうだ。
張首明 伊藤公爵って、この六月まで韓国統監をしていた伊藤さんかね。
女一 さよなら。
女二 あたしも行こう。油を売っちゃいられないわ。
近所の男 張さん、じゃまた、後で来るぜ。
張首明 そうかい。もうすぐだがね。
女三人と近所の男は、張首明夫婦に挨拶して去る。入れ違いに、よごれた朝鮮服に鳥打帽をかぶり、煙草の木箱を抱えた禹徳淳がはいって来て、安重根とちらと顔を見合って腰掛けに坐る。張首明は素早く二人を見較べる。
お光 (張首明へ)あら、煙草まだあったわね。
禹徳淳 煙草じゃありませんよ。髪刈りに来たんですよ。
髪を刈っている客 伊藤さんは今度帰ると、満洲太守という位につくんだという評判だよ。
張首明 そうですかね。豪勢なもんさね。それで、なんですかい、ハルビンへおいでになるのは、その瀬踏みってわけでしょうかね。なんだか満鉄の整理に見えるとかって聞きましたが――。
客 そんなこともあるかもしれない。中村とかいう満鉄の総裁が一緒に来るそうだから。
金学甫 (客を済まして)一服おつけなさいまし。
張首明は安重根と禹徳淳へそれとなく注意している。
お光 金ちゃん、お前、朝御飯まだだったね。(張首明へ)あんたも、ちょっと待っていただいてすましちまったらどう?
客 ここへ置きますよ。
代を残して去る。張首明は安重根と禹徳淳に会釈えしゃくし、お光、金学甫とともに、三人正面のドアから奥へはいる。禹徳淳は、安重根と並んで空き椅子に腰掛けて、しばらく双方ともじっと動かず黙っている。
安重根 (低声に)手紙見たな。
禹徳淳 言って来たとおり調べてある。二十四日の晩の汽車らしい。
安重根 今もここにいた客がその話をしていたが、(考えて)夜か――。
禹徳淳 二十三日に寛城子を出発するそうだ。ハルビンのほうは、情報を集めるように曹道先に電報を打っておいた。遼東報にも大東共報にもかなり詳しく報道されているが、まちまちでねえ。李剛さんに会ったか。
安重根 まださ。いま着いたばかりだよ。君と打ち合わしておいたとおりに、すぐここへやって来たんだが――しかし、なあ徳淳、おれは考えたよ。じつは、すこし考えたことがあるんだ。
禹徳淳 夜着くというのが心配なんだろう。それはおれも、全然考えないじゃない。まったく、夜はいっそう警戒が厳重だろうから――だが、それだけまたこっちにしてみれば、昼よりは紛れ込むに都合がいいわけだからねえ。
安重根 そんなことじゃあないんだ。会って話さなけりゃわからないことだから、手紙には書かなかったが、(笑って)会って話したところで、君は人の細かい気持ちなど解る人間じゃあなかったね。
禹徳淳 (熱心に)君は何を考えているか知らないが、君がウラジオへ出て来ると決ってから、同志の熱狂ぶりは大変なものだ。まるで救世主の再臨を待つように騒いでいる。どこから聞き出したか、下宿の連中まで知っていてねえ、今日来るそうだがどこで僕と落ち合うことになっているかとうるさく訊くじゃあないか。(戸外を見て)ひょっとすると、探しに来るかもしれないぜ。
安重根 救世主だ? 馬鹿な! 君までそんなことを言う。だから君には、僕の心持ちは解らないというんだ。
禹徳淳 じゃあ、考えているって何を考えているんだ。
安重根 (半ば独り言のように)ハルビンへ行くよ。なあ、ハルビンへ行こう――。
禹徳淳 もちろんだとも。今になって計画を中止するなんて、そんなことは考えられない。期待に燃えている同志をはじめ、ここまで突き詰めているおれのことも考えてくれ。
安重根 (気軽な調子で)だからさ、行くよハルビンへ。行くと言ってるじゃないか。(急に述懐的に)三年間――長い三年だったなあ。
禹徳淳 そうだ。長い三年だった。
安重根 三年の間、おれは故郷くにの家族に一度も会わずに来た。
禹徳淳 (吐き出すように)何だ、そんなことを言ってるのか。
安重根 話したかしら――おれが十六の時、十七の家内を貰ったんだよ。もう三十二のお婆さんだ。子供が三人あってねえ、女一人男の児が二人さ。
禹徳淳 (うるさそうに)聞いたよ。みんな達者にきまってるよ。それより、黄成鎬のところへは、今日行くと報せてあるのか。
安重根 徳淳、君あ趙康英ちょうこうえいという人を知っているかね?
禹徳淳 趙康英? 聞いたことがある。煙秋エンチュウの田舎の下里で戸籍係をしている男だろう?
安重根 今じゃあ出世してねえ、ポグラニチナヤの税関の主事をしているよ。
禹徳淳 君、早く李剛主筆に会ったほうがいいぜ。一緒に行こう。
安重根 (しんみりと)やはり故里くにの人間でねえ、僕んところから三里ほどしか離れてないんだが、今度休暇を取って、ちょっと帰国かえるんだそうだ。それで、手紙を出して頼んであるけれど、僕あポグラニチナヤへ行って、よく相談しようと思っている。故里くにのほうに都合がついたら、趙君に面倒を見てもらって、帰りに、ハルビンまで家族うちのやつらを伴れて来てもらうつもりだ。旅券の関係で、ウラジオへ呼ぶということは厄介だからねえ。
禹徳淳 (驚いて)ほんとに君は、その用でハルビンへ行くのか。
安重根 そうさ。僕はハルビンで、三年振りに妻や子供に会うんだ。
禹徳淳 何を言ってるんだ――。
安重根 (希望に満ちた様子で)金成白ねえ、君も知ってるだろう? あの金成白の店から、品物を融通してもらって雑貨商でもはじめて、多分、ハルビンに落ち着くことになるだろう。
禹徳淳 (考えたのち笑い出して)ははははは、おれにまで、ははははは、おれにまでそんな用心をしなくてもいい。
安重根 まったく、考えてみると、お互い下らないことに向気むきになってたもんさ。こうして外国に出て不自由をしながら、国事だとか言ってみたって始まらないからねえ。同じ苦労するなら、女房や子供を呼んで、すこしでもうまい飯を食わせるように苦労してみる気になったよ――。(笑う)
間が続く、禹徳淳は沈思している。急に憤然と椅子を起つ。
禹徳淳 安君――。
奥に大きな話し声とともに正面のドアがあいて、楊子をくわえた張首明が出て来る。立っている禹徳淳を見て驚く。
張首明 おや、お帰りですか。
禹徳淳 (狼狽して)急な用事を思い出したんです。後で来ます。
張首明 そうですか。どうもすみません。お急ぎじゃないと思って、ちょっと飯をやってたもんだから――。
禹徳淳はじろりと安重根を見て、考えながら出て行く。張首明は再び安重根を刈りはじめる。長い間。
張首明 ははは、飯を食っててお客を逃がしちゃった。しかし、腹が減っちゃあ軍はできませんからね。
安重根 まったく。
張首明 旦那は鎮南浦の方ですね。
安重根 (ぎょっとして)どうしてわかる。
張首明 どうしてって、言葉の調子でわかりまさあ。
安重根 そうですよ。鎮南浦の安重根というんです。
張首明 ここの新聞社の社長さんも鎮南浦の方ですね。李剛先生っていう、御存じですか。
と表てに気を配る。戸外に、そっと金学甫が案内して、日本人のスパイが来ている。背広服、紳士体の男。安重根は張首明の様子でそれと気づき、何気なく装う。お光が正面の戸を細目に開けて覗いている。
スパイ (はいって来る)こんちわ。いてるかね?
安重根 (大声に)そうだ。その李先生に伝言ことづけを頼もう――。
スパイ ここへ坐るかな。
空き椅子に腰を下ろす。
張首明 どうぞ――。(奥へどなる)金公! 何してやがるんだろうな。お客さまだぞ。
金学甫が裏から廻って出て来る。安重根は続けている。
安重根 (なかばスパイに)たいした用じゃあないよ。ただ李って人はよく知らないでね、一つ僕を君の友達ということにして、紹介する意味で言っておいてもらいたいんだが――。
スパイは金学甫と談笑しながら、安重根の言葉に聞耳を立てている。

       3

同じくウラジオストック。鶏林理髪店付近の場末の民家屋根裏、朝鮮字新聞「大東共報」社。編輯局兼印刷工場。同時に主筆李剛夫妻の住居でもある、大東共報社のみすぼらしい全部だ。

片隅に壊れかかった寝台。傍らの壁には衣類など雑然とかかり、床は、食器炊事道具など散乱し、おびただしい洋書、新聞紙の類が山積している。反対側にささやかな植字台、旧式の手刷りの印刷機、その他の器具必要品など乱雑に置かれて、中央に李主筆の大机、それを取りまいて古びた椅子四五脚。

正面に小窓二つ。下手に耳戸くぐりのようなドア。ドアを開けると急傾斜の階段の上り口が見える。窓を通して、人家の屋根、ニコライ堂、禿山などのウラジオ風景。遠くに一線の海。

壁は、露語と朝鮮語の宣伝びらや、切抜きや楽書でいっぱいだ。漢字で「八道義兵」、「大韓独立」、「民族自決」と方々に大書してある。正面の窓の間に旧韓国の国旗を飾って、下に西洋の革命家の写真など懸っている。天井は低く傾き、壁は落ちかかり、すべてが塵埃と貧窮と潜行運動によごれきった、歪んだ屋根裏の景色。

前場と同日、十月十七日の夕刻。二つの窓から夕焼けが射し込んで、室内は赤あかと照り映えている。

李剛――五十歳。大東共報主筆。露領の朝鮮人間に勢力ある独立運動の首領。親分肌の学者で、跛者びっこだ。すっかり露化していて、ルバシカに、室内でも山高帽をかぶっている。
李春華――李剛の若い妻。
柳麗玉――ミッション上りの同志で安重根の情婦。ロシアの売春婦のような鄙びた洋装。二十七歳ぐらい。
卓連俊――老人の売卜乞食。
朴鳳錫――大東共報記者、青年独立党員。
鄭吉炳――安重根の同志。独立運動の遊説家。
クラシノフ――亡命中の露西亜革命党員。李剛の食客。他同志一、二。

李春華は一隅で、石油の古罐に炭火をおこして粥を煮て、ねぎの皮をむいている。傍で卓連俊がその手伝いをしながら、生葱を食べている。クラシノフは、中央の机に腰かけて露語新聞を読み、鄭吉炳は箒でそこらを掃き、その間を李剛は、何か呟きながら探し物の態で、部屋じゅう跛足を引いて歩き廻っている。隅の卓子で、柳麗玉が手紙を書いているのを、朴鳳錫は印刷機を掃除しながら、ちらちらとその手許を覗く。

柳麗玉 (手で、書いている紙片を覆って)お止しなさいよ、覗くの――人の書いてるものや読んでるものを覗くのは、失礼よ。
朴鳳錫 おや! まるで公爵家の家庭教師の言い草だ。ははあ、恋愛は昔から多くの惜しい同志を反動家にして来た。してみると、それは安さんへ書いているんですね。しかし、安さんなら、もうこのウラジオへ来てるはずですよ。
鄭吉炳 (箒をとめて)十七日にはそっちへ行くという、煙秋エンチュウから出した安さんの手紙が先生んとこへ届いたのは、いつだったっけな。一昨日おとといでしたね、先生。
李剛 (歩きながら)そうだ。
朴鳳錫 (誰にともなく大声に)おい! 白基竜はどうしたんだ。安さんは、今朝早くやって来る予定なのに、こう夕方になっても顔を見せないから、おおいに歓迎しようと待ち構えていた同志たちは拍子抜けがして、ああやってたびたび訊き合わせに来るし、今度は、李先生まで心配して、さっき黄成鎬の家へ白基竜のやつを様子見にやったんだが――。
柳麗玉 ええ。安さんはウラジオへ出て来れば、黄成鎬さんとこへ泊るにきまっていますけれど、今度だけはあたし、まっすぐここへ来るはずだと思うわ。先生はじめ同志の方が、皆こんなに待っていることは、安さんだって知っているんですもの。
卓連俊 待ってるのあ、仲間や先生だけじゃああるまいってね。
李春華 お爺さん、しょうがないね。そうやってく傍から葱を食べちまって。それより、水をいっぱい汲んで来ておくれよ。
卓連俊はバケツを提げてドアの階段口から降りる。
李春華 (李剛へ)あなた、何をさっきからうろうろ歩き廻っているんです。また探し物ですか。
李剛 うむ。君は知らないかな。今朝衛生局から廻って来た通知書なんだが、あれに、この辺の種痘は何日から始めるとあったか覚えていないか。
李春華 さあ。私はよく見もしませんでしたけれど、あれなら、今し方鄭さんが読んでいたようですよ。ねえ鄭さん、ほら、市庁から来た青い紙。どこへやって?
鄭吉炳 どこだったか、そこらへ置きましたよ。ありませんか。
李剛 見つからなくて弱ってるんだ。明日の新聞にちょいと書いといてやろうと思うんだが――。
クラシノフ ねえ。李さん。ハルビンのノウワヤ・ジイズニ新聞がこんなことを言ってる。(読み上げる)「今回当地における伊藤公とわが北京公使ならびに大蔵大臣ココフツォフとの会見につき、本社は確かなる筋より左のごとき説話を聴けり。今回の会見は、満洲における日露両国の地位に関し、過般来日清露間に継続したる談判の結果にして、決して偶然の出来事にあらず。ポウツマス条約は単に紙上に締結せられたるのみ。これが実行の場合、全局の政策と衝突するの点尠しとせず。ことに北満における日露の商工的利害に関し最も然りとなす。しこうして清国はこの間に立ちて独り漁夫の利を占めつつあるなり。」――とこう言うんだが、この新聞は社会党の機関紙だ。社会党のやつらまで、急にこんなに関心を持ち出したところを見ると、やっぱり噂どおり、伊藤とココフツォフはハルビンで会うことに確定してるんだな。
李剛 (まだ探しながら)そんなことより、こっちは植え疱瘡ぼうそうの通知書だ。近いうちに、市の医者がこの近所へ出張して来て、種痘をすると言って来たから、その期日をだしておかなくちゃあ――未来の労働者と兵隊がみんな疱瘡にかかって死んでしまったら、プリンス伊藤もココフツォフも困るだろう。
柳麗玉 あ、これじゃありませんか。何だろうと思って、今も見ていたんですけれど、気がつきませんでした。
と自分の卓子の上から青い紙片を取って李剛に渡す。李剛は中央の大机に帰って、通知書を参考しながら原稿を書き出す。同志一と二があわただしく駈け上って来てドアから顔を出す。
同志一 安重根さんは来ていませんか。
同志二 たしかに今朝ウラジオへ着いたらしいんですが――。
鄭吉炳 (むっとして)何度来たって、いないものはいませんよ。こっちでも、あちこち心当りのところへ人をやって探してる最中なんです。
朴鳳錫 (戸口へ進みながら)君らは、今朝からそうやって入りかわり立ちかわり安君を探しに来るが、僕らが安君を隠しているとでも思ってるのか。
同志一 (鄭吉炳へ)そうですか。(独言のように)変だなあ――けさ着いたまではわかってるんだが、すると、それからどこへ廻ったんだろう?
同志二 (朴鳳錫へ)いや、そういうわけじゃあありません。あんまり皆が待ってるもんだから、じっとしていられなくて、ことによると、もうここへ来てるかもしれないと思って来てみたんですが――そうですか。じゃあ、また――。
二人は急いで降りて行く。
朴鳳錫 変だなあ実際。安君はいったいどうしたんだろう?
李剛 (気がついたように)白基竜はまだ帰らないか。朴君、窓から見てごらん。
朴鳳錫 自転車で行ったんですし、それに、そんなに遠いところじゃなし、もうとうに帰ってなくちゃならないんですが、(正面の窓に立って下の往来を覗き、すぐ背伸びして遠くの港を見る)船が入港はいって来た。軍艦らしい――そうだ。日本の軍艦だ。
クラシノフ (舌打ちして)またか。今にぞろぞろ日本の水兵が上陸して来る。そうすると、ここらの露路うらから、化物のように白粉を塗りまくったロシアの女房たちが、まるで革命のように繰り出して行って、桟橋通りを埋めつくすのだ。そして、街全体は瞬く間に、唄と笑いと火酒ウオッカの暴動だ。ははははは、女たちの仕事は、実行の上で、僕らよりずっと国境を越えているんだからかなわないよ。
李春華 ロシアの女ばかりじゃあありませんわ。このごろでは、この辺の朝鮮の女まで、日本の水兵と聞くと、眼の色を変えて騒いでいますわ。
李剛は、これらの話し声をよそに、机上に頬仗をついてパイプをふかしながら、凝然と考えこんでいる。窓の残光徐々に薄らいで、この時は室内に半暗が漂っている。
柳麗玉 (書き物を続けながら)いいじゃあありませんか。何もできない人は、そんなことでもして、日本人からうんとお金をしぼってやるといいんだわ。
卓連俊が、水のはいっているバケツを提げて、あわただしく上って来る。
卓連俊 (戸口に立ち停って階下を見下ろす)どうもいけ図々しい野郎だ! 角の床屋です。いけねえって言うのに、どんどん上って来やあがる――。
朴鳳錫 (ドアへ走って)角の床屋? 角の床屋って、あの、スパイの張首明か。
卓連俊 先生に用があると言ってかねえのだ。いま都合を訊いて来てやるから待っていろと言っても、あん畜生、おれを突き退けるようにして上って来ようとする――や! 来た、来た! 上って来やあがった!
鄭吉炳 あいつ、俺たちに白眼にらまれてることを知らないわけじゃあるまい。承知の上で押し掛けて来たとすると、スパイめ、何か魂胆があるかもしれないぞ。
李春華 燈火あかりをつけましょうか。
クラシノフ (不安げに立って)いやいや、暗いほうがいいです。
朴鳳錫 上げちゃあまずい。よし。どんな用か、僕が行って会ってやる。
鄭吉炳 (李剛へ)僕も行ってみましょうか。
李剛 (苦笑して)そうしてくれたまえ。朴君は喧嘩っ早いから、ひとりじゃあ心配だよ。
朴鳳錫と鄭吉炳は、ドアを出て階段を駈け降りて行く。一同じっと聞耳を立てている。「何だ、何だ。」「何の用だ。ここは貴様の来るところじゃない!」などと二人の大声や跫音に混って、張首明の低い声が聞えて来る。

 

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