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安重根(あんじゅうこん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 9:36:16  点击:  切换到繁體中文


       6

その真夜中。博徒黄成鎬の家。

往来に面した部屋。正面いっぱいの横に長い硝子窓に、よごれた白木綿のカアテンがかかっている。中央に戸外に開くドアあり。左右にも扉があって閉まっている。左は台所、右は別室へ通ずるところ。真ん中に、火のはいっていないストウブを取り巻いて毀れかかった椅子数脚。あちこちに粗末な卓子、腰掛けなど数多ありて、集会所に当ててある。腰掛けの一つは逆さまに倒れ、紙屑、煙草の吸殻など散らばり、乱雑不潔なるさま。赤い紙片で包んだ電燈が低く垂れ下っている。

黄成鎬――博徒。独立党の同情者、五十前後。ほかに禹徳淳、朴鳳錫、白基竜、安重根、柳麗玉、第三場の同志一、二および青年独立党員四五十人。

朝鮮服、ルバシカ、破れたる背広等を著たる青年独立党員が、舞台を埋めて立ったり掛けたりしながら、安重根を待って、激越な調子で議論をし合っている。同志一、二の一団はストウブを取り巻き、黄成鎬は離れた卓子に腰かけて他の青年らと話し込んでいる。青年らはテンポの速い会話で、がやがや言っているように聞こえる。

青年A (一隅から)韓国を踏台にして満洲へ伸びようとする日本の野心は、誰に指摘されなくたってわかっているんだ。
青年B (他の側から)おい、そう言えば、今度伊藤が来るのも、ハルビン寛城子間の東清鉄道を買収するためだと言うじゃないか。
青年C (起ち上って)今でさえ日本は、満洲から露領へかけてのさばり返っている。そんなことになろうものなら、俺たちの運動はいったいどうなるというんだ。
黄成鎬 (前からのつづきで周囲の青年達へ)なるほど私は学問はない。が、こうして独立党の方々にお近づきを願って、八道義兵総指揮官金斗星先生にまで、黄さん黄さんと友達づきあいにされている身だし、お前さん方をはじめ党の若い人たちも、なあにウラジオへ行きゃあ黄成鎬のおやじがいるというんで、皆さんここで草鞋を脱いで下さるから、まあ、そんなこんなでこの数年、だいぶ独立党員の面倒を見て来たつもりだが、私はいつも言っていますよ。見てろ、あの安重根という人は今に何かでっかいことをやっつけるぞ――。
青年らはしきりに首肯く。
同志一 (ストウブの前から青年Aへ言っている)それは君、噂だけだよ。実際前にも一度そんな話があったけれど、条件が折合わないで廃棄されたんだ。
青年D (他の隅から)が、今度蔵相のココフツォフは、全権として重大な使命を帯びて来るというから、伊藤と会えば、あるいはその問題が再燃するかもしれない。
青年C (大声に)そんなことはどうでもいい。おれはたった一つのことだけ知っている!
青年E (腰掛けに仰臥していたのがむっくり起き上って)そうだ! ぐずぐずしていると、おれたちの運動は眼も当てられないことになるんだ――。
これに和して、激した声が騒然と起る時、遠くから「コレア・ウラア! コレア・ウラア!」と二三人の叫び声が近づいて来る。一同は瞬間しんとして聞耳を立てる。
青年E 安重根だ!
とドアへ走る。青年四五人が「安重根だ。安重根が来た!」と叫びながら続いて、青年Fを先頭に戸外へ駈け出る。
声 コレア・ウラア! コレア・ウラア!
家の前へ来かかる。室内でも皆足踏みに合わして、「コレア・ウラア」の合唱になる。同志一、二をはじめ多勢窓へ駈け寄って硝子戸を開ける。
同志一 安君! 安重根君!
いま出て行った青年Fらとともに禹徳淳と白基竜が下手の窓外を通り、すぐにドアからはいって来る。
同志二 (失望して)何だ、案重根じゃないのか。
禹徳淳 (昂然と)コレア・ウラア! やあ、みんな揃ってるな。
一同はがやがやはいって来て元の位置に戻る。白基竜は悄然と隅の腰掛けにつき、卓子に俯伏す。
同志一 (禹徳淳へ)いったい安重根さんはどうしたんです。どこにいるんです。
禹徳淳 (ストウブへ進んで)もうストウブが出ているのか。こりゃあ気がきいてる。まったく、夜そとを歩いていると、海から吹いて来る風で頬っぺたが切れそうだからなあ。(気がついて)だが、火のないストウブじゃあしようがない。
黄成鎬 徳淳さん、安さんはまだっかりませんかね。皆さんこうしてお待ちかねだが――。
上手、別室のドアがあいて、「ちょいと。」と黄成鎬を呼ぶ妻黄瑞露の声がする。
ドアの前の青年 (振り返って)おやじさんかい。(黄成鎬へ)おい、おかみさんが呼んでるぞ。
黄成鎬は起って別室へ入り、間もなく、何事か聞き取って承知したる顔で、そっと帰って来て、もとの卓子に腰かけている。
禹徳淳 (今の黄成鎬の問いを笑いに紛らして)ははははは、君たちはこの、火のないストウブを囲んでどうしようというんだ。
青年G (壁にもたれて、懐疑的に)火のないストウブか。ほんとだ。火のないストウブに当って、いくらか煖かいつもりでいる。気力のない同胞を激励してどうにかなる気でいる。運動の将来も楽じゃないなあ。
同志一 (ストウブのふたをあけて黄成鎬へ)おやじ! 火を入れろ。
同志二 石炭はどこにある。
黄成鎬 (独語)火のねえストウブに当ってあったけえ気でいる。(手真似で考える)こいつあうめえことを言った。大きにそんなものかも知れねえ。
同志二 (黄成鎬へ)何を感心しているんだ。夜が更けて来たら急に寒くなった。ストウブを焚くんだ。石炭奢おごれよ。
黄成鎬 火はありませんよ。石炭もありませんよ。火種もなし石炭もなしで火を燃やすのが、あんた方の仕事だ。
青年H はっはっは、あんなことを言う。
青年Eは倒れていた腰掛けを起して馬乗りになっている。
青年E しかし、さっきの話ですがねえ、僕あ伊藤がハルビンへやって来る真の目的は、鉄道買収などとそんなちっぽけなことではあるまいと思うんだ――。
禹徳淳 何の話だ。例の一件かい。
同志一 (青年Eへ)無論さ。韓国の問題を解決するために、ロシアと清国の諒解を求める必要があるんだ。だから、ハルビンでココフツォフと会見した上で、場合によっては北京を訪問する意思らしいぞ。
青年I (一隅から)おい、昨日のジャパン・タイムス見たか。社説に出てるぞ。日本とロシアが満洲を分割するんだそうだ。それで、満洲へ来ることが決ってから、伊藤は桂首相と頻繁ひんぱんに往来しているし、日本皇帝にもたびたび拝謁している。そして、連日長時間にわたる閣議が開かれているというんだ。
この以前より禹徳淳は、電燈を覆っている赤い紙片を※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)り取って、青年たちの騒然たる会話の中で、声高に読み上げている。
禹徳淳 何だ、こりゃあ――うむ、こないだ配った歌だな。おい、君らみんな知ってるだろう。よし、一緒にやろう。読むぞ。(慷慨の調にて大声に)
敵の汝に逢わんとて
水陸幾万里
千辛万苦を尽しつつ
輪船火車を乗り代えて
露清両地を過ぐるとき
行装のたびごとに
天道様に祈りをなし
イエス氏にも敬拝すらく
平常一度び逢うことの何ぞ遅きや
心し給え心し給え
東半島大韓帝国に心したまえ
一同はじっと聴き入っている。

       7

時間的にさかのぼって、この場の前半は前場と同時刻を繰り返す。

黄成鎬方台所。前の場の左側につづく部屋。舞台正面、下手寄りに廊下へ開くドア。右側に前場の集会所に通ずる扉あり。固く締まっている。反対側に裏口。窓はない。

片隅に土のかまど、流し場、水桶ありて、鍋、釜、野菜の籠など土間に置いてある。壁にはフライ・パンなどかかり、棚に茶碗、皿小鉢類。他の隅に薪を積み、中央に低い粗雑な卓子と椅子二脚。暗い電燈。

黄瑞露――黄成鎬妻、五十歳ぐらい。ほかに安重根、柳麗玉、禹徳淳、朴鳳錫、白基竜、黄成鎬、同志一、二および前場の青年多勢と露国憲兵数名。近所の人々。

前場の初めと同じ時刻。壁を通して隣室の青年らの話し声が間断なく聞えている。李剛と別れたままの朝鮮服の安重根が、隣室を気にしながら神経質に、足早に歩き廻っている。テエブルの上に古行李が置いてある。安重根は細目に正面下手の扉をあけて廊下の様子を窺ったのち、卓子へ帰り、焦慮に駆られる態にて行李を開けようとし、逡巡する。椅子の一つに柳麗玉が腰かけて、尊敬と愛着の眼で見守っている。

長い間。隣室の話声が高まる。廊下の戸があいて、寝台代りの藁蒲団と毛布を担いだ黄瑞露が顔を出す。

黄瑞露 柳さん、ちょっと手を貸して下さいよ。これ――。
安重根は病的に愕く。
黄瑞露 (びっくりして)何ですよ。何をあわててるんです。
安重根 ああ、びっくりした。考えごとをしているところへ不意に開けるもんだから――ああ驚いた。何です。
黄瑞露 ははははは、お前さんどうかしているよ。こっちこそびっくりするじゃないか、ねえ柳さん。床をとって上げようと思って――。
柳麗玉 あら、もうおやすみになったんだろうと思っていましたわ。すみません。
と起って戸口ドアへ行き、黄瑞露に手伝って藁蒲団と毛布を室内に持ち込む。遠くから「コレア・ウラア!」の叫び声が近づいて来る。同時に隣室にもその合唱と足踏みがはじまる。黄瑞露と柳麗玉は一隅の薪の積んである前に寝床を設えている。
黄瑞露 (隣室の騒ぎに眉をひそめて)何でしょうねえ、夜中だというのに――。(柳麗玉へ)今夜は此室ここで我慢して下さいね。
柳麗玉 どこだって構いませんわ。
黄瑞露 (笑う)そんなどころじゃないんでしょう? 久しぶりですものね。
二人は床を敷き終る。安重根は疲れた態でぼんやり椅子に掛けている。
柳麗玉 (嬉し気に)嫌な小母さん! ちょっとお話しにならない?
黄瑞露 もう晩いからね。(出ようとして安重根を見る)まあ、安さんの顔いろったらないよ。病気が悪いんじゃないだろうかねえ。
柳麗玉は心配そうに安重根を凝視める。「安重根ウラア!」の声が隣室に起る。
黄瑞露 (しんみりと)ねえ、柳さん。去年の春でしたかしら。一度安さんが煙秋から出て来たことがあったっけねえ。あの時分の安さんから見ると、このごろは相変そうがわりがしていますよ。さっきそこの裏口からはいって来た時、わたしゃ誰かと思った。(柳麗玉へ)どこで会ったの?
柳麗玉 (得意げに)先生の奥さまと一緒に、洪沢信さんのとこへお湯へはいりに行って、あたしだけ一足先に出て来ると、洪さんの横丁でばったり――。
黄瑞露 でも、よござんしたねえ。
柳麗玉 (たのもしそうに安重根を見ながら)ええ、疲れていて、皆さんが待っていて下さるのにすまないけれど、今夜は誰にも会いたくない。何ですか、静かに考えたいことがあるって言うんですの。あたしも、皆さんに悪いようにも思いましたけれど、でも、なにしろ、大事な身体でしょう? それに、本人がそういってかないもんですから、ここなら、みんな集まっているだけに、かえって見つかりっこないと思って、ああして裏からそっとお伴れしましたのよ。
黄瑞露 ほんとに柳さんは気がつきますよ。今うちの人にだけこっそり耳打ちしておきましたからね。大丈夫心得ていますよ。知らん顔して、追っつけみんなを帰すでしょうから、安心してゆっくりおやすみなさいよ。
黄瑞露去る。長い間。
安重根 (苦笑)そいつあありがたい。そんなに人相が変ったんなら、誰に会ってもわかるまい。
隣室では禹徳淳の歌の音読がはじまっている。柳麗玉は忍び笑いする。
安重根 (歌声に聞き入って微笑)元気にやってるなあ。(柳麗玉の様子に気づいて)莫迦によろこんでいるねえ。君もおれにあいつを殺させたい一人なんだろう。みんなのように、ああしておれの志を壮として、行をさかんにしてくれるというわけか。
柳麗玉の笑いは涕泣すすりなきに変っている。
安重根 (憮然と)何だ、泣いているのか。
柳麗玉 (眼を拭いて)もうじき世界中に有名になる安さんと、こうしているなんて、あんまり嬉しいんで、つい――。同志の方があんなに大騒ぎしている安さんを、あたし、一人占めにしているんだわね。なんだかすまないような気がするわ。
安重根 (自嘲的に)ふん、おれは家族を迎えにハルビンへ行くんだ。
柳麗玉 (わざとらしく)ええ、そうよ。よく解ってますわ。そして、独立党煙秋支部長の安重根――特派活動隊参謀中将の安重根が、すぐ世界の安重根、歴史の安重根になるのね。(感激に耐えかねて)ああ、あたし――あたし、ほんとに幸福だわ。
安重根は聞いていないように、手早く卓上の行李をあけて、つぎつぎに古着類を取り出す。茶の背広服、同じ色のルバシカ、円い運動帽子など。その動作は急に別人のように活気づいている。
安重根 (陽気に独語)ハルビンは寒いからな。
最後に露人の羊皮外套パルナウルカを取り出す。
安重根 これだ。
柳麗玉がいそいそと外套を着せる。引きずるように長い。運動帽子をかぶる。考え込んで室内を歩きはじめる。柳麗玉は信頼と誇りの面持ちで、うっとりと安重根を見上げている。

       8

元の隣室、集会所。

第六場の終りのままで、禹徳淳が、電燈から取った赤い紙片を読みつづけている。

禹徳淳 (大声に)
かの奸悪なる老賊め
われわれ民族二千万人
滅種の後に三千里の錦綾江山を
無声の裡に奪わんと
青年らは凝然と聞き入っている。
青年J (突然叫ぶ)何でもいいや。やっつけりゃあいいんじゃねえか。(禹徳淳へ)なあ、小父さん!
黄成鎬 静かにしてもらいてえね。もう何時だと思う。
青年K 何時だってかまうもんか。安重根さんが来るまではけえらねえぞ。
青年L そうだ、そうだ! みんな安さんを待って夜明かしするんだ。なあ、おい。
青年M 誰が安さんのほかに、生命を投げ出して決行しようという者がある。(叫ぶ)コレア・ウラア! 安重根ウラア!
禹徳淳 (手の赤紙を読み続ける)
究凶究悪惨たる手段
十強国を欺きて
内臓を皆抜き取りながら
青年N それは誰の作だ。
同志一 知らないのか。安さんさ。安重根が作ったんだよ。
これより先、黄成鎬は右側の別室へ行って、禹徳淳が手にせると同じ赤い紙片を数多持って来て同志一、二に渡す。同志一、二はそれを青年らの間に配っている。
同志二 (配り歩きながら)みんな持ってるだろうが――。
青年O いつ出したんだ。おれはもらわなかったぞ。
青年P 一枚下さい。
青年Q 長いんで、お終いのほう忘れちゃった。
禹徳淳 三節からだ。一緒に読もう。
黄成鎬 大きな声は困りますよ。ここいら露助の憲兵がちょいちょい廻って来てやかましいんでね。
青年R 何でえ。びくびくするねえ、おやじ。
禹徳淳 (つづけて)
十強国を欺きて
内臓を皆抜き取りながら
合唱 (はじめは低く、おいおい高く、後半は各人憤激の大声で統一を欠く)
何を不足に我慾を満たさんとて
鼠の子のごとくにここかしこを駈け歩き
誰をまた欺き何れの地を奪わんとするや
されど至仁至愛のわが上主は
大韓民族二千万口を
ひとしく愛憐せられなば
かの老賊に逢わしめ給え
逢いたりな逢いたりな
ついに伊藤に逢いたりな
汝の手段の奸猾は
世界に有名なるものを
わが同胞五六の後は
われらの江山は奪われて
行楽ともになし得ざりしを
甲午年の独立と
乙巳年の新条約後
ようよう自得下行の時に
今日あるを知らざりしか
犯すものは罪せられ
徳を磨けば徳到る
汝かくなるものと思いしや
ああ我等の同胞よ
一心団結したる上
外仇を皆滅して
わが国権を恢復し
富国強民図りなば
世界のうちに誰ありて
われらの自由を圧迫し
下等の冷遇なすべきや
いでいざ早く合心し
彼らの輩も伊藤の如く
ただ速かに誅せんのみ
立て勇敢の力持て
左側の台所へ通ずる扉に青年Gがりかかって、先ほどからドアの向うへ注意を凝らしている。
青年G (手を上げて一同を制する)しっ! 静かにしろ。話し声が聞える――。
ぴたりと音読が止む。
黄成鎬 (呆けながら不安げに)誰もいねえはずだが――。
青年G (ドアの隙間に耳を当てて)安さんだ。たしかに安さんの声だ。(台所を指さして、一同へ)おい、安重根が来ているぞ!
青年J なに? 安さんが来てる! 台所へか。こっそり裏からはいったんだろう。引っ張り出して演説させろ!
青年L 怪しからん。おれたちがこんなに待っているのに、裏から忍び込んで知らん顔しているなんて――。
青年M 馬鹿! そこが安さんの好いところじゃないか。
禹徳淳 (冷然と読みつづけて)
国民たる義務を尽さずして
無為平安に坐せんには
青年たちは一斉に起ち上って「われらの安重根! 安重根ウラア!」と口ぐちに歓呼している。
黄成鎬 (知らぬふりで台所のドアへ歩き出す)安さんが裏から来た? どれ見て来ましょう。
白基竜 (卓子から顔を上げて呼び停める)おやじ、待て!(禹徳淳へ)言ったほうがいい。ほんとのことを――安が迷っているということを言うべきだ。
しんとして一同禹徳淳を凝視める。
禹徳淳 (読み終る)国本確立は自ら成ることなかるべし。
(白基竜へ、悲痛に)僕にはその勇気がないんだ。今になって、この熱烈な同志たちに、安が――言えない。僕には言えない。(台所のドアに向って大声に繰り返す)
国民たる義務を尽さずして
無為平安に坐せんには
国本確立は自ら成ることなかるべし
一同呆然と、台所のドアと禹徳淳を交互に見守る時、硝子窓を荒々しく開けて朴鳳錫が顔を出す。
朴鳳錫 (大声に)スパイは来ていないか。(同志一、二ら多勢窓際に駈け寄る)
同志一 スパイ――?
朴鳳錫 安のやつだ。安重根はスパイなんだ。
とドアから駈け込んで来る。一同は罵り噪いで取り巻く。
朴鳳錫 張首明と通じているんだ。あの床屋の張よ。先刻あいつがやって来てれたんだが、おれは前から知っていた。安重根のやつ、伊藤公暗殺などと与太を放送しときゃがって、それを種に、おれたちの機密に食い込もうとしていたんだ。だから、いよいよというこの土壇場に、伊藤を殺っつける気なんかこれっぽっちもありゃあしない。(禹徳淳を見て)なあ徳淳、そうだろう? おれは今まで、李先生の命令で張の店を見張っていたが、白基竜は――。(白基竜を認めて)お! 白! 野郎いたか、停車場に。
白基竜は無言で閉めきった台所の扉を指さす。
朴鳳錫 台所にいるのか。何故みんな――畜生!
一同激昂のうちに朴鳳錫はドアへ突進する。禹徳淳が抱き停める。
禹徳淳 こら、早まったことをするな。安君の真意を突き留めてから――おい、朴を抑えろ!
制しようとする者と、朴鳳錫とともに台所へ侵入しようとする者とで舞台一面に争う。禹徳淳、白基竜、黄成鎬ら台所のドアを守る。ついにドアが開かれて、電燈の暗い台所、ドアのすぐ向側に、安重根を庇って柳麗玉が立っているのがちらと見える。朴鳳錫を先頭に同志一、二、青年C、E、J、K、L等一団に雪崩れ込んで行く。

       9

もとの台所。
第七場の続き。安重根は外套を着て歩き廻り、柳麗玉は尊敬をめて見惚れている。多勢の合唱が隣室から聞えている。
安重根 (快活に)ルバシカの上から背広を着て、おまけにこのロシア人の大きな外套――とくると、考えものだぞ。日本人には見られないかもしれない。
柳麗玉 (一緒に考えて)今日お買いになったのね。この洋服や何か――でも、変装のことなんか、李剛先生は何ておっしゃって?
「国民たる義務を尽さずして、無為平安に坐せんには――。」禹徳淳の繰返しがはっきり聞えてくる。
安重根 (それを耳に傾けながら)日本人に見られないとすると、時節柄、怪しまれるにきまっている――。李剛先生?(苦笑)先生か。先生は、無論、暗殺そのものに反対さ。
跫音人声など突如隣室の騒ぎが激しくなり、境の扉へぶつかる音がする。
柳麗玉 (隣室に注意して不安げに起つ)安さん! 何でしょう――。
安重根 (熱して)正直のところ、僕は李剛さんを恨んでいる! 憎んでいる! いつだって、ああやって冷静に構えて反対しながら、その反対することによって僕を煽って、僕を使ってあいつを殺させようとしているんだ。解っている。ははは、わかっているよ。
隣室の騒擾が高まって、ドアが開かれそうになる。柳麗玉はドアへ走って背中で押し止めようとする。
柳麗玉 安さん!
安重根 (無関心に)あの人にとって、僕という存在は一個の暗殺用凶器にすぎない。僕にはそれがよくわかる。(力なく)わかっていてどうすることもできないのが、僕は、この自分が、自分であって自分でないような――。(狂的に叫ぶ)あの人に会うと、いつもそうだ。口では極力止めながら、眼では、伊藤を殺せ! 伊藤を殺せ! と僕を――(爆笑)はっはっはっは、なるようになるさ。
柳麗玉 (必死にドアを押えながら)早く外套を脱いで、行李を――。
安重根が気がついて帽子と外套をとり、卓上の衣類を行李に入れ終った時、ドアがあく。柳麗玉は安重根をかばって立つ。朴鳳錫を先頭に同志一、二、青年ら一団になだれ込んでくる。正面の廊下から黄瑞露がはいって来ておろおろしている。
朴鳳錫 (柳麗玉を押し退けて)安重根! 貴様は――。
腕を振り上げて迫る。「燈を消せ!」と誰かが叫んで素早く電燈を消す。隣室から、開け放したドアの幅に光線が流れ込んでいるきり、舞台は暗黒。一同「スパイの畜生!」、「弁解を聞く必要はないっ!」、「今日の行動で明かだ。」、「さんざん俺たちを翻弄したな。」、「やっつけちまえ!」喚声を上げて包囲し、揉み合う。青年らは続々隣室から走り込んで来る。禹徳淳、白基竜、黄成鎬は渦中に割りこんで大声に怒鳴り、手を振り、鎮撫しようと努める。
柳麗玉 (朴鳳錫を止めて)何をするの? 静かに話してわからないことなの?
背年C その女も食わせ物だぞ。一緒にっちまえ。
口ぐちに呼ぶ。すべてが瞬間だ――。混雑のうちに朴鳳錫が安重根を殴る。続いて多勢で罵りながら、ゆかに倒れた安重根を袋叩きにする。柳麗玉は下手の裏口を開けて戸外へ駈け出る。禹徳淳、白基竜、黄成鎬、黄瑞露らは安重根を助けようとして八方停める、押し合う。椅子卓子が倒れ、皿小鉢は落ち、舞台一面に乱闘の観を呈する。
柳麗玉 (出て行って間もなく裏口から慌しく駈け込んでくる)憲兵ですよ! 憲兵ですよ!
露国憲兵五六人、佩剣を鳴らして裏口から走りこんでくる。
憲兵一 (大喝)何かあ、夜中に。
憲兵二 静かにしろっ! 騒ぐとぶっ放すぞ!
天井へ向けて二三発拳銃の空砲を放つ。一同は安重根、禹徳淳、白基竜、黄成鎬夫妻、柳麗玉を残し先を争って戸外へ逃げ去る。憲兵出現と同時に、黄成鎬は逸早く懐中からトランプを取り出して床に撒き散らしている。
憲兵二 空砲だ。空砲だ。あわてるな。
憲兵三 けろ、燈を!
点燈。青年らすべて退散したる明るい舞台に、家具食器など散乱し、格闘の跡。中央に安重根が俯臥して、柳麗玉はひざまずいて労わり、他はあるいは安重根の傍に、あるいは壁ぎわに狼狽して立っている。床一面にトランプが散らばり、裏口に寝巻姿の近所の男女数名が驚いた顔を覗かせている。
憲兵上官 (黄成鎬へ進んで)貴様か、ここの主人は。何だこの騒ぎは。どうしたんだ。
黄成鎬 はい。まことにどうも申訳ございません。いんちき札を使ったとか使わねえとか、下らねえことから、何分その、気の早え野郎が揃っておりますんで、へえ。
上官 何? 博奕の喧嘩か。
黄成鎬 へへへへ、なに、ちょいと悪戯わるさをしておりましたんで。お手数をかけまして、なんとも早や――。
憲兵四 (上官へ)自分は知っておるであります。ここは有名な朝鮮人の博奕宿であります。
上官 ほほう、君もちょいちょい来ると見えるね。
憲兵四 違うであります。自分は――。
上官 黙っておれ! (倒れている安重根を軽く蹴りながら)こいつは死んでいるのか。
と黄成鎬を見て、ひそかに右手の拇指と人指指を擦り合わせて示す。眼こぼし料を要求する意。黄成鎬は手早く紙幣を取り出して、近づく。
黄成鎬 (安重根を覗いて)へへへへへ、なに、ちょいと眠ってるだけでございますよ、眠ってるだけで。
自然らしく上官の傍を通る拍子に、そっとそのポケットへ紙幣を押し込む、憲兵ら一斉に咳払いをする。
憲兵上官 うう、そうか。眠っているのか。眼が覚めたら介抱してやれ。(部下へ)引上げだ。
禹徳淳、白基竜ら一同博徒らしく装い小腰を屈めるなかを、憲兵裏口より退場。近所の人々は逃げて道を開き、すぐまた覗きに集まる。柳麗玉は安重根を抱き起している。
安重根 (泪に濡れた笑顔)ははははは、大丈夫、起てるよ。(禹徳淳を認めて)おう! 徳淳――!
よろめいて禹徳淳の手を握る。一同呆然と見守っている。
安重根 (力強く)夜が明けたな。(裏口のそとに空が白んで、暁の色が流れ込んでいる)汽車の時間は、調べてあるのか。
禹徳淳 (手を握り返してき込む)行ってくれるか。ハルビンへ行ってくれるか。
安重根 (哄笑)はっはっは、心配するな。(柳麗玉に支えられながら)旅費はあるぞ旅費は。はっはっは、たんまりあるぞ。
黄瑞露は裏口の人を追って戸を閉めている。

 

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