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安重根(あんじゅうこん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 9:36:16  点击:  切换到繁體中文


       4

大東共報社の階下。民家の物置きにて、古家具、新聞雑誌、穀物の袋等積み重なり、手車なども引き込んである。そこここの床に食客たちが寝泊りするマトレスが敷いてある。下手寄りに、出入口のドアが開け放されて、街路の灯りがかすかに流れ込んでいる。正面中央に、階上の大東共報社へ昇る階段が、下から三分の二ほど見える。舞台はほとんど闇黒。

前の場の続き。前場の人々全部と、理髪師張首明、白基竜、安重根。白基竜は朴鳳錫と同じ若い独立党員で、大東共報記者。

正面の階段を、理髪師の白衣を着た張首明が、突き落されるように降りて来る。朴鳳錫と鄭吉炳は、階段の中途に立ち停まって足だけ見えている。

張首明 (階段の根に身を支えて)何をするんです。乱暴な! 李先生に用があるんですよ。
朴鳳錫の声 何だ。だから、何の用だと訊いてるじゃないか。
鄭吉炳の声 張さん、ここは君の来るところじゃないぜ。用があるなら、僕らに言いたまえ。先生に取り次ぐから――。
張首明 私も来たかありませんがね、伝言ことづけを頼まれたから、仕方なしに来たんです。
朴鳳錫 (駈け降りて来る)こいつ! 貴様が先生に用のあるはずはない。おい、鄭君、こんなやつと真向まともに口利くことないんだ。抛り出しちまおう。
鄭吉炳 (続いて駈け降りて朴鳳錫を制する)待てよ。いいから待てよ。(張首明へ)君も強情だな。僕らが取り次ぐと言ったら、ともかくその用というのを話したらいいじゃないか。
張首明 (朴鳳錫へせせら笑って)おれの身体にさわると、大変なことになるのを知らねえか。おれは、ただの床屋の張さんじゃあねえぞ。
朴鳳錫 (鄭吉炳を押し退けようとしながら)なにを! 貴様、日本のスパイだと言いたいんだろう。同じ朝鮮人のくせに、日本人から女房と金を貰って、金斗星先生や安――。
鄭吉炳 朴君!
朴鳳錫 金斗星先生の独立運動をスパイしてやがる。こっちだって、そんなことはちゃんと知ってるんだ。てめえのような裏切者は――(鄭吉炳へ)放せ。放せよ。畜生! 張の野郎を殴り殺してやるんだ。
と鄭吉炳を振り払って掴みかかろうとする時、階段の上に薄い灯りがさして李剛の声がする。
李剛の声 (静かに)張さんですか。
張首明 (階段の上を覗いて)おや、先生。李先生ですね。へへへ、どうも、真っ暗で――。
李剛の声 張さんですね。
張首明 ちょっとお話ししたいことがあるんですが――。
李剛の声 何です。
朴鳳錫 (開け放しのドアを指して、張首明へ)二階へ上るなら、戸を閉めて来い。
張首明 いえ、こちらで結構ですよ。なにも、あなた方のように、年中秘密の相談があるというわけではなし――。
朴鳳錫 (再び掴みかかろうしして鄭吉炳に停められる)嫌なやつだなあ、こいつ。
鄭吉炳 まあ朴君、そう君のように――とにかく、先生に話しがあるといって来ているんだから、言うことだけ言わして、早く帰そうじゃないか。
張首明 安重根という人に頼まれて来たんです。
裸か蝋燭を持って、李剛が跛足びっこを引きながら降りて来ている。
李剛 (呆けて)安重根?――さあ、聞いたような名だが、よく知りません。どういう話です。
鄭吉炳 (急き込む)張さん、君はその安という人と以前から識り合いなのか。
李春華と柳麗玉が降りて来る。柳麗玉は蝋燭を持っていて、李剛のと二本で舞台すこしく明るくなる。
張首明 以前から識りあいというわけでもありませんが、まあ、そうです。安重根さんは私たちの仲間です。
鄭吉炳 君たちの仲間――と言うと、その人も床屋なんだね?
張首明 いえ。安さんは床屋じゃあありません。
鄭吉炳 同業ではないけれど、仲間だと言うのかい。すると――。
朴鳳錫 (激昂して)解ってるじゃあないか。やっぱり安のやつ、張の一味なんだ。あいつも密偵いぬだったんのだ。道理で、何だか変だと思っていたよ。第一、今日なんか、ウラジオへ着いたらすぐ、先生のところへ顔出しすべきじゃないか。それが――。
柳麗玉 (鋭く)朴さん、何を言うんです。
張首明 そのことですよ。今朝早く店へ安重根という人が見えて、髪を刈ったり鬚を剃ったりして、お正午ひるごろまで遊んでいましたが、午後ちょっと買物をして来ると言って町へ出て行きました。その時、出がけに、今夜晩くなってからこちらの先生をお訪ねするからそう伝えておいてくれ、と私に頼んで行ったから、ちょっとそれを言いに来たんです。
李剛は空箱に腰かけ、一同は張首明と李剛を取りまいて立っている。顔を見合って、しばらく間がつづく。
朴鳳錫 (李剛へ駈け寄って)それごらんなさい、先生。僕は前から、安重根は怪しいと白眼にらんでいたんです。今朝、太陽と一しょにウラジオへ来ているくせに、正午までこんなやつのところにごろごろしていて、何を話したんだか知れたもんじゃあない。暗くなってから来るとか何とか、いい加減なことを言って、見ていらっしゃい。きっと来ませんから――でたらめな計画を吹聴しといて、自分はスパイを稼いでやがる。来られた義理じゃあないんだ。もし来たら、この長靴のように伸ばしやる!
李剛 (沈思の態にて、静かに張首明へ)なるほど。その安重根という人は、あなたの店でいろいろ話し込んだ上、あなたに伝言を頼んで、午後町へ出て行ったというんですね。
張首明 そうです。なんだか皆さんのお話しの模様では、御存じの方らしいじゃありませんか。
朴鳳錫 そんなことは余計だ。用が済んだらさっさと帰れ。
張首明 帰れと言わなくたって帰りますよ。(独言のように)なんだか知らねえが、まるで支那祭りの爆竹みてえにぽんぽんしてやがる!
と帰りかけて、戸口からそとを覗く。
張首明 誰か来ましたよ、自転車で――あ、白さんだ。白基竜さんだ。
言いながら出て行く。この間に李春華が二階へ上って、羊燈に灯を入れて持って来て傍らの古家具の上に置く。張首明と入れ違いに白基竜がはいって来る。
白基竜 (戸口に自転車を立て掛けながら外を振り返って)今のは床屋の張ですね。不思議なお客だな。何しに来たんです。
李剛 遅かったじゃないか。安重根君はどうした。
白基竜 それが、どうも変なんです。黄成鎬さんのところへも、今日早く着くからという報せがあったそうで、あちらへもわいわい詰めかけて待っていますし、僕も、いま来るか今くるかと思って、こんなに晩くまで待ってみましたが――。
階段の上にクラシノフが現れて下を覗く。
クラシノフ どうしたい。だいぶ大きな声がしてたようだが、床屋のやつ、もう帰ったのか。
降りて来る。
白基竜 何かの都合で一日延びたんじゃないでしょうか。
朴鳳錫 なあに、こっちにはすっかりわかっているんだ。君のいないあいだに、今の床屋の口から大変なことがれたのだ。
白基竜 安さんのことでか? 何だ。どんなことだ。
李剛 (決定的に)朴君、私はあの張首明という人間が気になってならない。君、すぐ出かけて行って、あいつの家を見張ってみたらどうだろう、出て来たら、無論、後を尾けるのだ。
李春華 (階段を上りながら)いま熱いお粥ができましたから、皆さんでちょっとすましてから――。
李剛 (激しく)いかん、いかん! 急ぐんだ。それから白基竜君、君は停車場の待合室へ行って、腰掛けにごろ寝している連中のなかに安重根がいないか見て来てくれたまえ。
白基竜 僕にはさっぱり解らないが、安さんがどうかしたんですか。いったい何があったんです。
朴鳳錫が促して、二人は急いで出ていく。
李春華 では、あとの人だけで御飯にしましょうか。
李剛 (いらいらして)いや。二人が帰ってから、みんな一緒に食おう。
鄭吉炳 (ばつの悪い空気を感じて)今日は十七日でしたね。
誰も答えない。開け放したドアの外を行李を抱えた安重根が通って、すぐ物蔭に隠れる。
鄭吉炳 ワデルフスキイまちに七の日の縁日がありますから、それでは私は、その間にちょっと××運動のアジ演説をやって来ようかな。あすこのいちには、朝鮮人の人出が多いから、わりに効果があるんです。
クラシノフ 僕も弥次りに行こう。飯にならないんじゃあ、いま家にいたってしようがない。ははははは。
李剛 (ぼんやりと)そうだ。そうしてくれたまえ。
クラシノフ 救世軍の前でやろうじゃないか。やつらの楽隊を人寄せに利用するのだ。
鄭吉炳 しかし、咽喉が耐りませんよ。あの太鼓とタンバリンに勝とうとすると、いい加減声が潰れてしまう――おや! 卓さんは? あの人を引っ張って行ってうらないの夜店を出させると、うまく往きゃあ煙草銭ぐらいにはなるんだがな。
クラシノフ 名案だ。卓さんはどこにいる。
李春華 二階に寝ていますわ。
鄭吉炳 相変らず要領がいいな。
駈け上って行く。間もなく寝呆けている卓連俊を引き立てて降りて来る。
鄭吉炳 お爺さんしっかり頼むぜ。ワデルフスキイの縁日へ商売に行くんだ。眼をぱっちり開けなよ。
卓連俊 (よろよろしながら)卜い者に自分の運命がわからねえように、あんたにゃあ民族の運命がわからねえ、皮肉ひにくだね。お互いに無駄なこった。
クラシノフ はっはっは、洒落たことをかしたね。商売道具を持ってついて来たまえ。一緒にやろうじゃないか。
卓連俊は自分の寝床のそばへ売卜の道具のはいった小鞄を取りに行こうとして、上着の下から火酒の壜が転がり出る。
鄭吉炳 なんだ、臭いと思ったら、爺さん、早いとこってやあがら。さ、出かけよう。すこしパンフレットを持って行こう。
鄭吉炳とクラシノフは小冊子の束を抱えて出て行く。古ぼけた手鞄を提げて卓連俊が続く。李剛はパイプを吹かして、じっと洋燈の灯に見入っている。間。
李春華 (静かに李剛へ近づいて)あなた、みんな外へお出しになったのね。何かお考えがあるんでしょう?
李剛 (気がついたように)うむ。考えがあるのだ、君も、今のうちに柳さんを伴れて、いつものように洪沢信のところへ貰い湯に行って来たらどうだ。
李春華 そうね。そうしましょう――では、柳さん、このひまに一風呂浴びて来ましょうか。
柳麗玉 (物思いから呼び覚まされて快活を装い)え? ええ。お供しますわ。
と李剛の様子に眼を配りながら、柳麗玉は李春華とともに入浴の道具をまとめて去る。李剛はそそくさと起って、いま女たちが閉めて出た表のドアを開けて来る。そして、階段のほどよい段に洋燈ランプを移し、第一段に腰かけて人待ち顔に洋燈の下でパイプの掃除にかかる。遠くで汽笛が転がる。朝鮮服の安重根がちょっと室内を覗いたのち、足早やにはいって来る。革紐で縛った古行李を引きずるように提げている。すぐ李剛と向い合って行李に腰かける。
安重根 (微笑して)しばらくでした。
不安らしく階段の上に耳を澄ます。
李剛 (パイプの掃除に熱中を装い、無愛想に)大丈夫です。誰もいない。君の伝言ことづけどおりにみんな出してやった。が、そこらでうちのやつに会わなかったですか。
安重根 すぐ前の往来で奥さんと柳に会いましたが、二人とも気がつかないようでしたから、黙って擦れ違って来ました。
李剛は無言でうなずいて、起ってドアのほうへ歩き出しながら、そっとルバシカの下へ手を入れて財布に触ってみる。安重根も行李を抱えて続こうとする。
李剛 (戸口で振り返って)君、洋燈ランプを――。
消す手真似をして出て行く。安重根は引っ返して洋燈を吹き消し、急ぎ足に李剛のあとを追って出る。

       5

港の見える丘。前の場のすぐ後。

砂に雑草が生えている。暗黒。崖縁の立樹を通して、はるか眼下に港が見える。碇泊船の灯。かすかに起重機の音。星明り。

安重根と李剛が話しながら出て来る。安重根は行李を抱え、李剛は跛足びっこを引き、パイプをふかしている。

李剛 朝鮮の着物には個性がないからねえ、忍術には持ってこいだよ。
安重根 何と言いましたっけね、あの角の床屋、来ましたか。
李剛 張首明か。(港に向って草の上に腰を下ろす)歩くのは降参だ。うむ。来たよ。あの男の言葉から、僕は君の意思を察したつもりで、ああして皆を外出させて待っていたのだ。
安重根 (並んで坐る)今朝着いて、あの床屋の店で徳淳に会ったきり、どこへも顔出しせずに、午後いっぱい買物をしていました。ちょっと旅行に出るもんですから、着物や何か――。(行李を叩いて)今夜一晩、黄成鎬さんのところへ泊って、明日あしたちます。
李剛 あしたつ? それはまた急だねえ。だが、日本の客は予定よりすこし早く着くことになった様子だから、なるほど。
安重根 (弁解的に)先生、私は家族を迎えにハルビンへ行くんです。
李剛 (笑う)それもいいだろう。
安重根 (懸命に)ほんとに家族を迎えに行くんです。
李剛 (いっそう哄笑わらって)まあ、いいですよ。解っている。あのスパイの張首明に、仲間であるようなことを言わせて、うちへ使いに寄こした君の心持ちもわかるような気がする。が、もう今ごろは、ウラジオ中の同志のあいだに、君が密偵いぬ臭いという評判が往き渡っていることだろう。
安重根 すると張首明は、頼んでとおりに、私と親しくしているような口振りだったんですね。
李剛 (心配そうに)朴鳳錫だの白基竜だの、言うなといっても言わずにはいられない人間だからねえ。
安重根 ははははは、そう思ってしたことです。朴君なり白君なりの口を出る時は、「あいつ臭いぞ。用心しろ」ぐらいのところでしょうが、それが、人から人と伝わっていくうちに、「安重根は日本に買われている」となり、「彼奴きゃつはその金でさかんに女房の名で故郷くにに土地を買っているそうだ」などと、まことしやかな話が出て来るに決まっています。ははははは、私も昨今運動に入ったのではありませんから、そういうゴシップの製造過程はまるで眼に見るようにわかります。
李剛 まさかそんなことも言うまいが、しかし、若い連中の失望と恐慌は、相当大きなものだろう。なにしろ、今度の計画が知れてからというものは、安重根という名は彼らのあいだに一つの神聖な偶像になっているからねえ。
安重根 (不愉快げに)そんなこと言わないで下さい。だからこそ今日、わざわざあの日向臭い床屋の店で、張首明とかいう人に調子を合わせて、小半日も油を売ったのですが、すると、それも、私の期待したとおりの結果を生みそうですね。(淋しく笑う)裏口から使いが走って、日本人のスパイを呼んで来ましたよ。
李剛 (皮肉に)君も偉くなったねえ――。(鋭く)安君! 君は、あとで、同志の人たちに迷惑を及ぼしたくないと考えて、そうやってわざとグルウプから除外されようとしているのだろうが、僕は、そのちっぽけな心遣いが気に食わないのだ。
安重根 (独り言のように)そう見えますかねえ。ふん、先生らしい考え方だ。私はただ、みんなに会いたくないんです。会いたくない――と言うより、会うのが恐しいのです。
李剛 なぜです。僕にはよくわかっている。いよいよ決行に近づいて、君は同志の信を裏切ったように見せかけて一人になろうとしている。なるほど、愚かな同志は、君の狙い通りに君を排斥するだろうさ。しかし、それはほんのしばらくの間だということは、誰よりも君自信が一番よく知っている。後になって君の挙を聞いて、一同はじめてその真意を覚る――。(苦笑)昔から君のすることは万事芝居がかりだった。
安重根 (苦しそうに)同志? 先生は、何かと言うと同志です。僕は、同志などというものから解放されて、自分の意思で行動することはできないのか――。
李剛 (冷淡に)それもいいさ。だが、自分の名を美化するためには、人の純情を翻弄してもかまわないものかね。
安重根 (淋しく)そんなことより、僕はいま、僕自身を持て余しているんです。(起ち上る)この気持が解ってもらえると思って来たんですが――僕は、ここへも来るのじゃあなかった。
李剛 君も知っているだろう。今日は煙秋エンチュウから安重根が出て来るというので、ウラジオじゅうの同志が、まるで国民的英雄を迎えるように興奮して、泪ぐましいほど大騒ぎをしていた。
安重根 (憤然と)止して下さい! 馬鹿馬鹿しい。(歩き廻る)あなたは人が悪いですね。何もかも御承知のくせに、じつに人が悪い。
李剛 (笑い出して)それはどういう論理かね?
安重根 そうじゃありませんか。先生はさっきからしきりに同志同志と言いますが、僕はこのごろ、その同志というやつが重荷のように不愉快なんです。(突然、叫ぶように)いったい同志とは何です! 同志なんて決して、実現しない空想の下に、めいめい、その決して実現しないことを百も知り抜いていればこそ、すっかり安心しきって集っている卑怯者の一団に過ぎません! お互いに感激を装って、しじゅう他人の費用で面白い眼にありつこうとしている――。
李剛 (微笑)まったくそのとおりだ――。(間)おお、君、飯はまだだろう?
安重根 この私の場合がそうです。なるほど私は、この計画を二、三のいわゆる同志に打ち明けて相談したことがあります。(李剛の傍に坐る)ええ、まだです。じつは、朝から何も食べずに、今まで考えながら歩いていたのです。
李剛 自宅うちへ行くと何かあるようだが――。(とルバシカの懐中から紙入れを引き出して、そっと紙幣を数えながら)しかし、それは君、君自身の心持ちに、外部から突っかえ棒を与えて、いっそう決行を期そうとしたのじゃないかな!
安重根 そういう気持ちも、あるにはありました。ところがです、それがいつの間にかこの辺一帯の同志のあいだに拡まってしまって、このごろでは、私が伊藤を殺すことは、まるで既定の事実か何ぞのように言われているのです。
李剛 (冷く)それほど期待されていれば、結構じゃないですか。僕個人としては、前にもたびたび言ったように、この計画には絶対に不賛成なのだが――。
安重根 先生、私も嫌になりました。上っ面な賞讃と激励で玩具にされているような気がして、同志という連中の無責任さに反撥を感じているんです。私はさっき、同志に会いたくない、会うのが恐しくて、今朝ウラジオへ出て来ても一日逃げ隠れていたと言いましたね。国士めかした、重要ぶったやつらの顔が癪なんです。それに、どういうものか私はあの連中に会うと、不思議な圧迫を感じて、是が非でも伊藤を殺さなければならない気持ちにさせられる。それが恐しいのです。(笑って)この私は、皆から、あの一人の人間を殺すためにだけ生れて来たものと頭から決められているんですからねえ。なかには、もう決行したかのように、私を、あなたの言葉でいえば「国民的英雄」扱いして喜んでいる者もあります。何と言っていいか、じつにやりきれない気持ちです。
李剛 (低声に)人気者は気骨が折れると諦めるさ。
安重根 先生は冷淡です。僕がこんなに苦しんでいるのに、すこしも同情を持とうとしない。誰も僕のことなんかこれっぽっちも考えてはいないんです。なんでもいいから、一日も早く僕が伊藤を殺しさえすれば、それでみんな満足するんでしょう。だから、やれ決死の士だの、やれ、韓国独立の犠牲だのと、さんざん空虚な美名で僕を祭り上げて、寄ってたかって僕を押し出して、この手で伊藤を殺させようとしているんです。(独語)誰がその手に乗るもんか。
李剛 (不思議そうに)君は何を苦しんでいるのかね。
安重根 (仰向けに寝転ぶ)人間なんて滑稽なもんですねえ。以前は私なんかにはなも引っかけなかった連中まで、一度今度の計画が知れると、まるで手の平を返すように、どこへ行っても別扱いです。みんな十年の知己のように馴々しく手を差し伸べて来るか、さもなければ、まるで仏像でも見るような眼をします。それが私には、死者に対する冷い尊敬と、一種の憐愍の情のようにしか打って来ないんです――たまりません!
李剛 (平静に)はっはっは、君の言うことを聞いていると、まるで他人ひとの命令で、今度のことを思いついたように聞えるが、すくなくとも僕だけは、はじめから反対だったのだからねえ。今だって反対です。一プリンス伊藤を斃したところで、日本のジンゴイズムはどうなるものでもない。韓国の独立という大目的のためにも、何ら貢献するところはないと思う。単なるデモとしたって、計画的に後が続かなくちゃあ、一つだけでは何の効果もないのだ。
安重根 (低く笑って)しかし先生、私はどういうものか、この計画は、何らかの形で最初あなたから暗示を受けたような気がしてならないんですがねえ。
李剛はぎょっとして起ち上る。安重根は草に寝たまま、感情を抑えた声で続けている。
安重根 解っていますよ。それは、言葉の表面では、先生は初めから反対でした。ははははは。
李剛 (狼狽を隠して)言葉の表面? 何のことです。僕は今も明白にその反対の理由を話したばかりだが――第一、そういう内面的な経過は、僕の知ったことではない。
安重根 (起き上る)先生ばかりじゃあありません。同志と称する連中は、私が伊藤を殺すのを面白がって待っているんです。(ぼんやり草を※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)りながら)みんな何よりの、秘密な楽しみにしているんです。だからこのごろ、あの連中に会うと、「まだこいつは決行しないな。何をぐずぐずしているのだ。機会がないなんて、東京へ行って伊藤公の邸へ押しかけたらいいじゃないか」と、そんな顔をしています。まるで何か約束の履行を迫られているような気がします。(興奮して)しかし私は、誰とも、必ずあいつを殺すと約束した覚えはないんです。それでも私は、この、同志たちに課せられた不当な負債を生命いのちを的にして払わなければならないものでしょうか。
李剛 (凝然と立っている)驚いた。君という人間は、実に女性的だねえ。負債? 何が負債です。君はどうかしている。何もそんな考え方をする必要はないのだ。(なかば独り言のように)やはり病気のせいかも知れない――このごろ、胸のほうはどうです。
安重根 (激昂して起ち上る)負債じゃあありませんか。僕は自由人を標榜ひょうぼうして伊藤公暗殺――。
李剛 安君! 君、そんなことを大きな声で言っていいのか。
安重根 (声を落して)自由人を標榜して伊藤公暗殺を計画したんです。ところが、滑稽なことには、その計画が知れると同時に、その瞬間から、僕は同志によって自由人でなくされてしまった。みんなの共有の奴隷になってしまったんです。(激して)嫌です! 断じて嫌です。こうなったら、同志を相手にあくまでも戦うだけです。戦って、この束縛から※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)き出るんです。
李剛 (笑いながら)いったい君はどうしようというのだ。
安重根 同志が聞いて呆れる。あいつらはただ、私を追い詰めて騒いでいれば幸福なんです――。
李剛 君、飯はまだだと言ったね? (手の紙幣さつ束を突き出して)これで何かそこらでやってくれたまえ。僕もつきあえるといいんだが、社にちょっと用があるから、失敬する。(歩きかける)
安重根 (機械的に受取って)御免です! 同志なんかというおめでたい集団力に動かされて――嫌なこってす。誰が他人ひとのお先棒になるもんか! 僕はそんなお人好しじゃあないんだ。
と手の札束に気がついて愕く。
安重根 (追いかけて)先生、これ、どうしたんです。こんなにたくさん――。
李剛 飯を食って、余ったら旅費のたしにするさ。
安重根 (警戒的に)旅費――?
李剛 (声を潜めて)安君、金は充分か。
安重根 (ぎょっとして飛び退く)金?――何の金です。
李剛 (迫るように寄る)君はさっき、今夜一晩黄成鎬のところへ泊って、明日発つと言ったね。旅費さ。旅費だよ。(意味あり気に)旅に出ると、金が要るからねえ。
安重根 (熱心に)先生、ほんとに僕は途中ちょっとポグラニチナヤへ寄って、それから、家族を迎えに(ハルビンへ)行くんです。それだけなんです。
李剛 (強く)よろしい! 家族を迎えにハルビンへ行きたまえ。
二人は探るように顔を見合って立っている。長い間。
李剛 (低声で)今となっては同志が黙っていまいよ。こんなに知れていることだからねえ。
間。
安重根 今日一日それを考えたんです――仕方がありません。ハルビン行きは止めます。止めて、自首します。
李剛 (冷く)自首! それもいいだろう。いまさかんに日本の御機嫌を取っているロシアのことだから、警察は大よろこびだ。
安重根 (間)こんなに苦しむより、いっそ自首して出たほうがどんなにましだかしれやしません。(泪ぐんで)自首します。自首すれば、とにかく問題は解決して、先生も安心でしょう。僕も安心です。謀殺未遂というやつですねえ。結構です。
安重根は革紐で行李を引きずり、俯向いて歩き出しながら、ゆっくり自分に言い続ける。
安重根 そうだ。自首してやれ。何でもいい。自首して、あいつらに鼻を明かしてやりさえすれば、それでいいのだ。自首だ。今まできいたふうな口を叩いていた見物人は驚くだろうなあ。今度は生やさしい間諜の噂ぐらいではないぞ。(決然と)腹の底から引っくり返るようにやつらに、背負い投げを食わしてやるのだ――。
と急ぎ去る。李剛は微笑を含んで見送っている。

 

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