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災厄の日(さいやくのひ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 13:50:52  点击:  切换到繁體中文

自分の部屋でもないその部屋を自分の部屋のやうに、古びた襖や朽ちかかつた柱や雨漏のあとをとどめた壁を、自分の心の内部か何かのやうに安らかな気持で僕は眺めてゐる。湿気と樹木の多い日蔭の露路にこの下宿屋の玄関はあつて、暗い階段をのぼつた突当りの六畳が僕の部屋なのだが、焼け残つたこの一角だけは今、焼跡に発生してゐるギラギラの世界に対して、静かに身を躱してゐるやうだ。
 窓の外の建物の向ふにギラギラ燃えてゐた太陽が没して、この部屋の裸電球が古びた襖や柱を照らす頃、僕は漸く人心地がついたやうに古畳の上に横はつたまま、自分の部屋でもないその部屋を自分の部屋か何かのやうに眺めまはしてゐるのだ。これは僕が学生の頃下宿してゐた六畳の部屋に似てゐて、何となしに、この世のはてのやうな孤独の澱みが感じられる。僕は久振りに昔の古巣に戻つたやうな親しみをおぼへる。(古巣へ? ほんたうに僕が戻つて行かれたら!)僕はいま晩年のことを考へてゐるのだ。せめて僕の晩年には身を落着けることのできる一つの部屋が欲しい。この世のすべてから見捨てられてもいいから、誰からも迷惑がられず、足蹴にされたり呪詛されることのない場所で、安らかに息をひきとりたい。そしてその時、自分のしてきた、ささやかな仕事に対して、とにかく、かすかに肯くことができたら、そんなことを考へてゐると僕は何か恍惚とさされる。
 遠方の友よ、君はもうあの家には戻つて来ないのであらうか。君が旅に出掛ける頃、僕たちは同じ軒の下にゐながら、もうお互に打とけて話しあふこともできなかつた。前から僕は君の細君とは口をきくのもひどく怕かつたが、君が旅に出てからは、なほさら、あの家の空気は暗澹としてしまつた。転居の費用とあてさへあれば、僕はもつと早くあそこを飛出してゐただらうに。その家の無言の表示のなかには僕に早く立退いてほしいといふことが、いたるところに読みとれるのだつたが、僕はおどおどしながら窒息するばかりの窮屈な状態をつづけてゐた。
 だが、……ある日、僕は君が阿佐ケ谷の友人にあてた手紙を見せて貰つて、僕は根底から震駭された。さうかなあ、さうだつたのか……さうなつたのなら……もう、かうしてはゐられない、と僕は君の手紙の告白を読んだ瞬間から絶えず呟きつづけてゐたが、その友の家を出て省線の駅まで歩いて来ると、夜が急に深まつてゐた。さうか、さうなのか、と僕は電車の軌道や青いシグナルをじつと眺めてゐた。その冷んやりした夜のレールや電柱は、すべて何ごとも答へてはくれなかつたが、僕には何かの手応へのやうにおもへた。電車は容易にやつて来なかつた。静かな駅の上にかぶさる夜空は大きな吐息に満ちてゐるやうだつた。この夜空のはて、軌道の彼方に、僕のまだ知らない土地で、その遠隔の地で、君は新しい愛人と生活をともにしてゐたのか。さうして、僕がいつもの如くおづおづと帰つて行かうとする方角には、君が既に見捨て、断じて再び戻らないと宣言してゐる君の家があるのだ。さうして、今もその家には君の決意をまだ少しも知らない君の細君がゐるのだ。君は僕あてに手紙を出すと細君が怒るのを考慮して、長らく僕には手紙をくれなかつたのか。漠然とそんな心づかひも分つてゐたやうだが、悲しい友よ、君のお蔭で僕には人生が二倍の深さに見えてくる。友よ、人間とはこんなに悲しいものなのか。突然、僕の穿いてゐるゴム靴の底は、僕の体を宙に浮上らせるやうな感覚がした。僕は大きく息を吸つて、両脚を突張らねばならなかつた。
 君はその愛人のなかに神を見出し、この地上で被つた魂のかずかずの痛手をこの地上で、こんどこそほんとに医やすのだといふ。そして、そのためには君が建てた東京の家と家財一切は金輪際、捨てて顧みないといふのか。君がこれまで人間のできうる限りの忍耐力で堪へてゐたものも僕にはわかるやうな気がする。だから君にとつては、こんどのことも……だが、それにしても、そしてこれは……これらはすべて容易ならぬことに違ひないのだ。不思議な友よ、悲しい友よ、僕は君をよく知つてゐるはずなのに、ほんたうはまるで知つてゐないとも云へるのだ。そのくせ君の存在は遠くから僕をゆさぶり、僕に何ものかを放射してくる。戦時中、君が牢獄から出ていきなり鋭い詩を書きだした時も、ハツと僕を驚かした。終戦後、一刻も早く東京へ出て来いと云つてくれた君の葉書は忽ち僕を弾いた。そして今度も、何か容易ならぬものが、僕の胸を締めつける。……殆ど絶え間なしに、こんな独白を繰返しながら、僕はその夜もいつもの如くおづおづとあの家に帰つて行つた。何ごとも知らないその家の細君は、その家の奧にひつそりと存在してゐたやうだし、その家の模様は僕がそのことを知らなかつた前とちよつとも違つてはゐなかつた。だが、僕はどうしても、もう直ちにその家を引揚げねばならぬ男だつた。
 それから間もなく僕は甥の下宿へ一時、身を置くことになつた。彼は郷里から先輩の宿を頼つて受験に来て、その先輩が卒業したのと入替りに簡単にあとの部屋を譲り受けてゐた。この未成年の甥は僕のやうな窮迫をとても理解するのではなかつたが、ただ休暇中だけといふ約束で渋々と承知してくれた。もう甥の学校は夏になるかならないうちに休暇になつてゐた。僕は甥が帰郷すると入れ違ひに、この部屋に移つて来た。それから、ここでの仮りの生活がはじまつた。
 この下宿屋の階下の薄暗い部屋は、ここの主人とその母親だけの棲居になつてゐるのだが、品のいい老女とその若い息子は、まだ昔ながらの静かな澱みのなかに生き残つてゐるやうだ。二人が話しあつてゐる声まで、しつくりと穏やかに潤ひがあつて、まるでここへは災厄の季節も侵入しなかつたのかとおもへる。僕はある夕方、台所でその婆さんと身上話をしてゐた。
「原子爆弾……大変な目にあはれたのですね」
 静かな緊迫した調子だつたが、それだけの言葉で僕はふと深いところに触られたやうな不思議な気持がした。ある日、僕は知人から貰つた五合の米を甥の置いて行つた鍋で少し炊いてみようとおもつた。下宿の狭い薄暗い台所には小さな流場があつたが、鍋に水道の水を満たし指で白米を掻きまぜた瞬間、僕はこの流場が昔の僕の家の流場とそつくりのやうな錯覚がした。僕が妻と死別れた夏、その頃はもう女中も傭へなかつたので、僕はよく台所で炊事をしたものだ。炊事も洗濯も縫ものもとにかく不器用ながら出来るやうになつたとき僕の妻は死んだ。その後、僕は旅先の住居を畳んで広島の兄の家に移つた。(まるで広島の惨劇に遭ふために移つたやうなものだつたが、)それからも絶えず他所の家で厄介になりつづけてゐたので僕はもう台所のことを忘れかけてゐた。いま僕は自分の指を鍋の水に浸すと、急に自分の指がふと歓びに甦つたやうにおもへた。すぐ向ふの部屋には病妻が寝てゐて、僕は台所でごそごそ用事をした。長らく病床にゐながら妻は台所のこまごました模様を僕よりはつきり憶えてゐた。あれはつひ昨日のことのやうで、あの片隅はまだそこにあるやうに思へるのだが、実際はもう涯てしもない遠い世界のことがらになつてしまつた。だが、生活とは多分あのやうな、ひつそりした片隅にしかないものなのだらう。
 ひつそりとしたこの宿の雰囲気を絶えず掻き乱してゐるのは、僕のすぐ向ふの部屋なのだ。障子と狭い廊下で隔てられてゐるその部屋は殆ど絶え間なく僕の方へ響いてくる。障子の向ふの若い男は日に二三度は烈しい咳の発作に襲はれる。その咳だけきいてゐると、もう余り余命は長いことなささうなのだ。だが、咳が鎮まれば、すぐ興奮した声で彼は喋りつづける。その障子の向ふで細君を相手に喋つたり身動きしてゐる調子は、まるで何か危険な物質の上を爪立ちながら飛歩いてゐるやうだ。僕はその男の身うごきから、ふと向ふの部屋に無数の爆弾が飛散つてゐるやうな幻想をおぼへる。箸を持つ間も畳の上を忙しげに、あの男は逃廻つてゐるのではないか。その部屋には日に何度も相棒らしい人がやつて来るが、すると彼は相棒らしい声でひどく調子づいてゐる。忙しげに早朝から出かけるかとおもへば、一日中寝そべつて細君と喋りあつてゐることもある。それから、軍人あがりらしい間抜け声の揉み医者がやつて来ると、二人はすぐ世間話に夢中になる。終戦のどさくさに、らくらくと荒稼ぎした連中のことを彼は自分のことのやうに熱狂して話しだす。間抜け声の医者はねつとりと落着払つて「さうしたものですかなあ」と感心してゐる。そのうちに話はきつと戦争のことになる。すると彼等の間にはもう今にもすぐ世界戦争が始まりさうなことになつてゐるのだ。「さうしたものですかなあ」と揉み医者はいつまでも坐り込んでゐる。
 どうしても、絶えず、あの部屋には騒擾がなくてはならないのだらう。男が留守の時は、小柄な細君がひとりで何かぶつぶつ呟いてゐる。「ああ、米が欲しい、米が。いつになつたら米の心配しないで暮せる世の中になるのやら」と嘆息のやうに喚いてゐることもある。僕はある朝その細君が男にむかつて、「それでもあなたは元気になつたわね」と囁いてゐるのを聞いて吃驚した。あの二人もこの地上から追詰められて、今、六枚の畳の上で佗しく寄り添つてゐるのだが、ほんとに寄り添つてゐるのだらうか、そのことさへ、もう気づかないし、はつきりはしてゐないに違ひない。
 三度、三度の外食食堂では玉蜀黍の団子がつきものなのだが、あの日まはりの花のやうに真黄な団子は嚥下するのに困難であつても、とにかく空腹感を満たしてくれる。僕にとつて二年間もつづいた飢餓感覚は今もまだ僕を脅かしてゐるのだが、僕はその黄色なものの存在に対して子供らしい安心感を抱くやうになつた。ところが、僕の周囲で忙しげに食事をしてゐる人たちは、どうかすると、その団子だけをテーブルの上に放り出して行く。(さうだ、彼等はとにかく僕よりはましな暮しをしてゐるのだな)と僕は時々その見捨てられた団子の数に驚かされる。ここへ集まつて来る人々は細つそりと生気ない顔をした仲間と、てらてら卑しげな表情の連中とが水と油のやうに、しかし、まぜごちやになつて並んでゐる。僕は朝夕の行列の中で、ふと淋しげな眼の色の婦人を見かけたことがある。大きな通勤カバンを抱へたその婦人は朝の食堂で昼の食糧を弁当箱に詰め込んでゐた。だが、ここへ集まつて来る婦人は大概、爪さきを真紅に染めた若い女たちだ。さうした女たちはもう放縦なポーズが身についてゐるのか、壁とテーブルの間の狭い通路は席のあくのを待つ人々で一杯なのに、椅子を壁に凭掛けて脚をテーブルの上にやり何かを嘲けるやうに身を反りかへしてゐる。
 僕は食堂を出てアスフアルトの道路の方へ歩いて行く。軒の密集した小路から、そこへ出ると、暑い陽光が一杯あふれ、風はしきりに吹いて来る。この道路は駅のガードの方へ通じる路で、時間も空間もすべて一つの方向から他の方向へ流されてゐるやうだ。僕はたしかに、はつきりとそれを感じる。だが、僕の現実の視覚のすぐ裏側には、今この道路が忽ちバラバラに粉砕されてしまふ。破片だ、――結局ここも何か惨劇の跡の破片なのだ。……だが、僕の踏んでゐる惨劇の破片の道路と道路の上の空は今、ピンと胸を張つて駅のガードの方へ一つの意欲の如くつづいてゐるではないか。結局、僕の方がここへ迷ひ込んで来た破片なのだ。……だが、もう一度、僕はピンと張つた青空の向ふに眼をやると、この道路のはるか向ふに、何か小さなものがピカリと閃く。と、一ふきの風に散りうせてしまふ奇怪な地球壊滅の全景が見えてくるのだ。
 かうして僕のうちには絶えず窈かに静かな惨劇が繰返されてゐるのだが、僕はいつのまにか駅のあたりまで来てゐる。道路が駅のところへ来ると、急に焼跡の新世界が展がり、人々の流れは戦災者の渦のやうに息苦しくなる。流れてゐる、流れてゐる、人々はまだ的もなく押流されてゐる。と、ガード下のトラツクに袋を抱へたどす黒い男女が警官たちに包囲されて無理矢理に一人づつ車上に積込まれて行く。が、たちまち人々の流れはそんな光景を黙殺して露路から露路へ入込んで行く。露路から露路へ、僕も乞食のやうな足どりで歩いてゐる。戦災と飢ゑと宿なしがいたるところに流れてゐる。ぞろぞろと人波は向ふの方からもやつて来る。
 しかし、どうかすると、僕は何かはつとする。たしかに、ダイヤモンドのやうなものが、樹木の多い露路の人混みのなかから、たしかに、こちらを射てゐる。あれは一たい何なのだらうか。なにものが僕を射るというのであらうか。それは何か思ひちがひのやうにも思へるのだが、だが、たしかに今も地上にはそんな美しいものが存在してゐるのかもしれない。
 僕は甥から部屋を早く立退いてくれと催促されてゐた。近いうちに彼は友人を一人連れて帰るので、どうしてもそれ迄に僕にここを出てくれと云ふのだつた。初めの約束もあつたし、僕はこの部屋に移つた時からも絶えず貸間はさがしてゐた。週に二度出掛けて仕事を貰つて来る出版社の人々にも極力頼んでみた。できるかぎり僕の数少ない知人から知人をめぐつて部屋のことを哀願してはゐた。が結局、金を持つてゐない僕にとつて、殆どそれは絶望的といふよりほかなかつた。どうかすると、僕は自分の部屋でもないこの部屋に(もつとも、さうでもするより他はなかつたのだが……)うつかり安定感を抱きかけてゐた。しかし、甥の要求の手紙は度重なり、その調子もだんだん激越になつてゐた。僕はそろそろ逃亡の準備をしておかねばならなかつた。
 ある日、たうとう甥はこの部屋に戻つて来た。学生服の甥は部屋の障子をあけると、黙つて廊下の外に立ちどまつてゐた。僕はその顔を見た瞬間はつとして、あ、これはもう駄目だな、と思つた。それはもう顔とも云へない位、怒りにはち切れさうな顔だつた。こんな風な顔なら、僕にはいくつも思ひあたることがあるのだ。甥は廊下の外に立つてゐるもう一人の学生服を顧みて、「はいれよ」と云つた。友人らしいその男は部屋に入つて来ると、僕に軽く会釈した。僕は甥に何とか言葉を掛けようと思つてもぢもぢした。だが、甥の顔の筋肉は硬直してピリピリ痙攣してゐた。
「もう二三日待つてくれないか、とにかくもう二三日」僕は漸くこれだけ云ふと、やがてその部屋を出て行つた。いや、僕が部屋を出たといふより、痙攣が僕をあの部屋から押出したのだ。僕は密集した軒の小路を抜けて、広いアスフアルトの道路へ出た。道路の上の空はピンと胸を張つて駅のガードの方へ一つの意志の如くつづいてゐる。ふらふらと僕はいつのまにか駅の前の雑沓を歩いてゐた。前から二三度僕の意識に浮んだことのある土地会社の方へ足は向いてゐた。袋路を入つて、その扉の前に僕は立つた。僕が扉を押して入ると、狭い土間に老婆が一人腰掛けてゐた。
「部屋ですか、この付近にあるのですよ、アパートの二階の四畳半ですが、今日も一人見に行かれて流場が少し暗いといつて断られましたが……」
「その流場には水道もあるのですか」僕は妙なことを訊ねたが老婆が頷いたので何か吻として、権利金のことを訊ねた。
「一万といふことですが、係の人が今留守ですから明日もう一度おいでになりませんか」
 一万円ときいて、僕はかねて勤先の出版屋へ交渉中の前借の金額を思つた。それは恰度、一万円であつた。それだけの金が借れると、それだけが僕にとつて使ふことのできる最後の金に違ひなかつた。
 部屋に戻つてみると、そこら中が甥の荷でごつた返しになつてゐたが、今、部屋には甥も友人もゐなかつた。机の上の紙片を見て僕ははつとした。
〈三日ほど待ちます 僕たちは三日間友人のところへ行つてゐます必ず立退いて下さい 以上〉
 圧力はやはり僕をここから弾き出さうとしてゐるのだ。これは僕にとつて、単なる甥の拒否ではなかつた。……翌日は嵐にでもなりさうな、奇妙にねつとりした、だらだら雨の日だつた。僕が土地会社を訪れると、係の人はゐた。そのブローカーらしい男は、すぐに貸間の条件についてごたごた話しだした。それから、とにかく一度ごらんになつては、と僕にすすめた。そこの小僧に案内してもらふことになつた。僕と一緒に外へ出た小僧は傘もささないで雨のなかをすたすた歩いて行つた。彼は僕を甥の下宿のある露路の方へ連れて行く。が、その一つ手前の角まで来ると、横へ曲つて助産婦の看板の出てゐるところまで来た。そこがアパートだつたのだ。僕はその時までそこにアパートがあるとは気がつかなかつた。だが、それは僕の迂濶さばかりからではない、その古びた木造二階建の家屋は殆ど芥箱か何かのやうに引込んだところに目だたなく存在してゐたのだから。僕たちは大きな薄暗い芥箱のなかに這入つて行つた。朽ちかかつた木の階段にはところどころ穴があいてゐて、短い階段をのぼると、低い天井に薄暗い電燈が一つ佗しげに灯つてゐる。そこから一米幅の廊下の筈なのだが、薪やらバケツが通路一杯塞いでゐた。障害物を避けながら二三歩進むと、すぐ目の前の扉が開放しになつてゐる部屋の入口に小僧は立留まつた。が、つづいて僕がその入口に立つた時、何か気味悪い濁つた塊りがもぢやもぢやと暗いなかに蠢めいてゐる姿に僕は圧倒されさうだつた。小僧はその部屋に上つて行くと、何かひそひそと話してゐた。

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