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文学方法論(ぶんがくほうほうろん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-25 15:03:30  点击:  切换到繁體中文

       はしがき

 学としての文学、即ち、文学の理論が可能であるとすれば、従来多くの学者によりてなされたやうに、文学とか、芸術とか、乃至は美とかいふものゝ形式的定義から出発する代りに、先づ第一に、さういふ試みを抛擲して、純粋に経験的なもの、具体的なものから出発しなほさねばならぬ。
 このことは、従来の文学理論がもつてゐた一種の美しさ、深遠味、神秘的な色彩を奪つて、これに甚だしく粗笨な相貌を与へるかも知れないが、それにもかゝはらず、このことは、学としての文学を建設するために、是非通過しなければならぬ一過程であり、一段階であり、どれほどそれが粗笨な理論であつても、それは明かに進歩であるとさへいはねばならぬ。占星術や錬金術から独立したときの天文学や化学が如何ほど幼稚で粗笨であらうとも、依然として、それらは、最も精巧な占星術や錬金術よりも、理論的には遙かに進歩したものであると同じである。
 一切の理論は経験から出発しなければならぬ。単に経験から出発するだけでなく、経験に帰つて来なければならぬ。凡ゆる科学のうちで、最も抽象的な科学は天体力学として発達した。そして天体力学は、抽象的な理論からではなくて、星の運動の観測からはじまつたのである。そして、どんな小さな経験的事実、たとへば水星の近日点の移動の如き事実でも万有引力の理論全体の変革を迫るに十分だつたのである。何故かなら理論は経験にはじまると同時に、経験の検証に堪へるものでなければならぬからである。
 然らば、文学に於ける経験的事実とは何か? 言ふまでもなく、それは、個々の文学作品である。この文学作品なるものは、色々な研究の対象となり得る。即ち、色々な視点から研究することができる。けれども、これに最も包括的な説明を与へ得るためにこれを社会学的視点から研究するより外に道はない。即ち、個々の文学作品が生み出された心理的過程だとか、作品にあらはれた技術上の諸問題だとか、さういふ事柄は一時抽象し去つて、専ら、文学作品を社会的事実として取り扱ふよりほかに道はないのである。尤もこれ等の心理的過程や技術的問題も亦その説明を社会学的方法のうちに見出されるのであるが。

         上編  方法論

         一

 一つの文学作品――それが詩であつても小説であつても戯曲であつてもよい――が製作されるにあたつては、それが全くの気紛れ、全くの任意の所産でない限り、何等かの条件に制約される。若し、文学作品が何物の制約をも受けないならば、文学作品は理論的研究の対象にはなり得ない。吾々はたゞこれを気紛れに鑑賞することしかできないわけである。今日も、ごく稀れにはかやうな考へを抱いてゐる人もあるが、多くの方面に於て、見事な成果をあげた近代科学の方法は、かやうな懐疑論を生ずる余地を殆んど奪つてしまつたと言つてよい。学としての文学の可能なることは、従つて、こゝで疑問とする必要はないのである。
 文学作品に課せられる第一の条件は作者である。作者の天分、気質、性格、境遇、趣味、思想、年齢、一言にして言へば作者の個人性は、文学作品を決定する第一の条件である。これは何人も否む能はざる事実である。シエーキスピアの作品には、どれを見ても、シエーキスピアの個人性が深くきざまれてゐて、注意深い観察者には、それがはつきりと感知できるであらう。スタイルの上に、手法の上に、表現の上に、思想の上に、用語の上に、まぎれもない個人性の刻印を看取することができるであらう。この個人性、独創性を没却して文学作品を論ずることは不可能である。ところが、信ずべからざることであるが、文学作品に於ける個人性を認めないやうな文学論が、最近には稀にある。文学活動を、すつかり、社会的環境によつて直接に決定されるものであるとする、ラヂカルな決定論の如きがそれである。しかし、かくの如き決定論が最近にあらはれたことは、別に不思議ではない。それは、従来の文学論に於て、此の個人性が、分析することのできない不可侵なものとして文学作品を決定する唯一絶対の条件であると見做されてゐたのに対する反動だからである。
 言ふまでもなく、個人性は、文学作品を決定する、最も直接な、そして恐らく最も力強い条件であるが、文学作品を決定する条件は、決してそれだけではない。第二の条件として、吾々は、文学上の流派を挙げることができる。即ち一定の文学上の主義、主張のもとにあつまつた個々の文学者が、その集団の影響を受けるといふことである。たとへば、未来派の作品には、いづれにも共通した特徴があり、表現派の作品には、矢張り他の流派の作と区別された共通の特色がある如くである。吾々は、シエーキスピアの周囲に、歴史によつて抹殺された多くの小シエーキスピアが存在してゐたこと、ダンテの周囲に、彼と同じやうな文学的信条によつて、彼の作品と同じやうな作品を製作してゐた多くの小ダンテが存在してゐたことを知つてゐる。明治の文学を見ても、硯友社派と文学界派、或は民友社派との間に判然たる区別を吾々は認める。自然派と高踏派或はスバル派、早稲田派と三田派等の間にも可なり鮮明な境界を画することができる。種々の名称をもつた色々な流派が文学界に並存してゐることそのことが、既に、流派といふものが、文学作品を決定する重要な条件の一つであることを明瞭に語つてゐる。
 しかし、吾々は、一層間接的ではあるが、その代り一層広汎な第三の条件を忘れてはならぬ。それは作者をとりまいてゐる一般公衆である。一般公衆の思想、観念、感情、一言で言へば、イデオロギイは、文学の流派そのものを決定し文学作品の作者の思想傾向を決定し、それによつて作品そのものを決定する最後の条件である。たとへば、ヴイクトル・ユゴオの『レ・ミゼラブル』を例にとらう。私たちは、先づこの作品にユゴオの個人性の強い現はれを見る。次にユゴオがその指導者の最も輝ける一人であつたロマンチツク派の特色をそこに見る。そして最後に、ロマンチスムの文学がその中で生育したところの当時の一般公衆のイデオロギイ即ちブルジヨアジーの勃興期のイデオロギイをそこに見るのである。
 一の文学作品を、社会学的に考察せんとするならば、吾々は、その前に、まづ、以上の如き分析と概括との過程を経なければならぬ。かやうな、分析と概括との過程を経て、はじめて、文学作品は、一の社会事実としてあらはれて来るのであつて、これ等の過程を経ずして、いきなり、ある文学作品を社会的に意味づけようとしても、それは、せい/″\気のきいた感想とはなるかもしれぬが、決して科学とも理論ともならぬのである。

         二

 併しながら、以上で分析が終つたわけでは決してない。以上に述べたところは、たゞ、文学作品を社会的事実として、社会と連関せしめたゞけである。文学を、社会学的研究の対象となし得るやうに整理したゞけである。これから先に、なほ一連の分析と概括との過程が残されてゐるのであり、しかも、真に重要なのは、これから先の過程であると言はねばならぬ。
 吾々は、今、文学作品が、作者の個人性、作者の属する流派、それから最後に一般公衆のイデオロギイによつて決定されることを説明した。ところが、この一般公衆のイデオロギイなるものが、独立して存在し、進化し、発展してゆくものではない。これを条件づける、より根本的な要素がそこにあるのである。 
 まづ第一に自然的条件を挙げるのが順序である。人間は一定の自然的環境の中に生れる。たとへば或る人は日本人として生れ、或る人はロシア人として生れる。日本人として生れたものは、生れながらにして黄色人である。日本の気候は大体温帯の気候であるが、寒暑の変化ははげしい。冬は空気が乾燥してをり、夏は湿度が高くて蒸し熱い。日本人の骨格は大体ヨーロツパ人よりも小さく、従つて体力も弱い。日本には火山が多く地震が頻々と起る。四面海にかこまれてをり、内地には山が多い。これ等の自然的条件は、日本の制度、文物、日本民族の気質、性格、思想等に直接間接に何等かの影響を及ぼさずにはおかない。否、これ等の自然条件は、それを舞台として営まれる人間の社会生活そのもの、社会そのものを決定するのである。そこで、吾々は、社会の最も基礎的条件として自然を挙げなければならぬのである。与へられた自然に適応しなければ、社会はつくれないのである。而して、自然条件の差異は、その上にできる社会に差異をもたらすのである。北極に近い氷原に於て農耕民族の社会ができることも不可能だし、アフリカの砂漠の中に工業文明が栄えるといふことも等しく不可能であるが如くである。
 この自然的条件が、人間の社会に何等の影響をも及ぼさぬと考へるのは勿論皮相な見解である。今日の科学が、この影響を精密に分析し得るか否かは別として、自然の影響が存在するといふことは、最近の人文地理学や人種学や、土俗学等が十分に立証してゐることである。併しながら、この影響を過大視することも、ひとしく間違ひである。バツクルの文明史や、テエヌの芸術学に対して、私は十分の敬意を払ふものであるが、これ等はいづれも、社会に及ぼす自然力の影響を過大視してゐるものと見做さねばならぬ。そこには必要欠くべからざる分析が省略されて、自然力と社会との間に、粗笨な、不精密な、直接な方程式が設けられてゐる。テエヌがフラマンの絵画とその地質との関係を論じてゐるが如き、一見実に科学的な見方のやうであるが、その実、極めて都合のよい独断によつて議論が進められてゐることを吾々は発見するのである。又、彼が、イギリスの文学史を叙述するにあたつて、種族、時代、地理的環境等を過度に重要視してゐるのも、甚だ独断的であつて、文学の変遷は、左様な僅かばかりの条件によつて直接に決定されるものでは決してないのである。
 しかも自然的条件は、一定の社会の特色を決定するものではあるけれども、自然的条件そのものは、極めて徐々にしか変化しないものである。地質発達史は、数万年、数十万年乃至数百万年の時間を包含することによりはじめて成立するのであつて、数百年、数千年位の短時日の間に、一定の自然条件が甚だしく変化することは殆んどないといつてよい。大正十五年と神武天皇の時代とを比べて見ても日本の気候には殆んど変化は認められぬであらう。古代ギリシヤ人と二十世紀のヨーロツパ人との間には殆んど骨格の相違は認められぬであらう。楊子江の沿岸の土地が肥沃であり、西蔵が不毛の地であるのは、秦の始皇の時代も現代も殆んど変りないであらう。
 然るに、文学の全歴史は、せい/″\数千年の間にひろがつてゐるに過ぎぬ。さうして、その間に甚だ顕著なる変化をしてゐるのである。若し、自然的条件が、文学の変遷を決定する唯一の原因であるとするならば、原因は殆んど変らないのに結果だけが目まぐるしく変つてゐるといふことになり、因果の原理は廃棄されねばならぬことになる。且つ又、人間は自然を征服する、たゞ自然に条件を強制されたまゝになつてゐるのではない。このことは近代の科学、及び工業の驚くべき進歩が立証してゐる。そこで、一社会のイデオロギイ、そしてそれを通じて文学をさま/″\に変化させるには、自然的条件以外に、もつと直接的な、もつと短い時間に作用する条件がなければならぬといふことになる。

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