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文学方法論(ぶんがくほうほうろん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-25 15:03:30  点击:  切换到繁體中文


         三

 私たちは、一定の自然環境の中に生れて、私たちの意志と独立した自然条件を課せられることは前述のとほりである。併しながら、私たちの意志と独立に、私たちの生れない先から存在してゐるものは、たゞ自然的条件だけではない。そのほかに一定の経済関係がある。私たちは、生れおちると、否応なしに、一定の経済関係の中に入り込み、是が非でもそれに適応して住まねばならぬ。たとへば、元禄時代に江戸に生れた者と大正時代に東京に生れた者とは、同じ自然的環境に生れながら、まるで異つた経済関係の中に生活しなければならぬが如くである。
 かくの如く、経済関係を時代によりて変化せしめる根本の力は社会の生産力であると解せられてゐる。生産力が一定限度まで進むと、従来の経済関係が維持せられなくなり、より高度な生産力に適応する経済関係が生じて来るのである。例へば人類が狩猟によりて生活してゐた原始時代には生産力は極めて幼稚であり、且つ狩猟の獲物は極めて不定であつた。かういふ時代には、各人がめい/\規則的に自己の衣食住に責任をもつわけにはいかない。そこで一部落の住民が共産体をつくつて、所謂原始共産制が出現する。又機械や工場ができて、社会の生産力が非常に進んで来ると、かくの如き機械や工場は、凡ての生産者がめい/\所有することは不可能でもあり不必要でもあるやうになつて来る。そこで、これ等の生産機関は一部少数の人の手に握られ、これに反して大多数の生産者は自己の生産機関をもたないで、生産機関の所有者に労働力を提供し、その代りに、賃銀を受けとつて生活するやうになる。これが即ち資本主義である。
 かくの如き経済関係の変化は、必然的にその社会の政治形態の変化を決定する。即ち、ある社会の政治形態は、どうしてもその社会の経済関係に適応したものとならざるを得なくなつて来るのである。たとへば中世時代の手工業と幼稚な交通機関と土地の生産力、農業を基礎とする経済関係とは必然的に封建政治を生み、工業の[#「工業の」は底本では「工業と」]発達と交通機関の進歩と、資本の抬頭と商業の拡大とは漸次国家の統一、ついではデモクラシイの政治を必要として来る。更に進んで、国際商業の発達、資本の集中と国際化とは、一方に於て帝国主義を生み、他方に於て政治の国際化を必要として来る。そして後者はおそらく社会主義の時代になつて、はじめて完全に実現されるであらう。
 経済関係と政治形態との変化は、更に法制の変化を強制することは明白である。たとへば、資本主義経済がデモクラシイの政治を樹立すると、集会や結社を禁止する法律、政治的不平等を支持する法律などが、根拠を失つて、新しい民主的法律にかはられるが如くである。
 経済、政治、法制の変化は、更に、その社会の道徳、習慣、思想、感情等の変化を条件づけることは争はれない。道徳は法制の恒久化したものに他ならぬ。たとへば、奴隷制度の時代には、奴隷を道具としてつかふことは何等道徳に反しなかつた。アリストテレスの如き大哲さへも奴隷に人格を認めなかつた。ところが、政治がデモクラチツクになり、奴隷の売買が禁止される時代になつて来ると、奴隷も一人前の人格を要求することが道徳的となる。又、封建時代には、町人百姓は生れながらにして貴族僧侶に比べると卑賎なものであると誰しも信じてゐたが、ブルジヨア社会になるとかゝる社会観は一変して、特権階級の地位は著しく低められる。一言で言へば、一時代の経済関係、政治形態、法制等は、その時代の社会生活、社会の百般の文化を条件づけると言へるのである。
 こゝで注意しなければならぬことは、私が上に述べたことを機械的に、杓子定規的に解してはならぬといふことである。即ち、先づ生産力が生産関係に影響し、生産関係がその他の経済条件に影響し、経済条件が政治形態に、政治形態が法制に、法制が道徳習慣思想感情等に、次々に目白押しに影響して来るものであるなどゝ考へてはならぬ。社会現象はそれ程簡単ではない。私はたゞ、比較的根本的な要素を先に挙げたゞけに過ぎぬのであつて、以上の条件は互に他に作用を及ぼすと同時に他から反作用を受けてゐるのである。これ等の条件の及ぼす力は一方的でなくて相関的なのである。たとへば政治組織がその時代の政治思想を条件づけることは事実であるが、それと同時に、その時代の政治思想も亦、政治組織に対して活発に作用してゐるのである。ブハリンはこのことを社会の諸要素間の平衡と名づけてゐる。

         四

 以上で、私は、文学作品に及ぼす各種の力を大体分析し終つた。私が以上に挙げたゞけでも、それは甚だ複雑であるが、実際はこれよりも遙かに複雑であることを理解しなければならぬ。ある文学作品を生んだ地理的環境のみからその作品を論じたり、その社会の経済条件だけから、直接にその作品を論じたりするのが間違ひであると同様に、作者の天分のみから作品の価値を論じようとするのも無暴であることは、以上述べたところによりてわかるであらう。
 ある文学作品の意義、価値を、科学的に決定するためには、作者の研究、作者の属する流派の研究、その時代の一般的イデオロギイの研究が必要であることになり、更にこのイデオロギイを十分に理解するためには、その時代の社会の、法制、政治、経済等の条件を審かにし、更にその社会のよつて立つ自然的環境をも探らねばならぬ。かくして吾々は、一の文学作品の科学的認識に到達したと言へるであらう。
 理解の便のために、これを図式であらはすと上の如くなる。
 社会生活が単純であつた時代には、この関係も単純である。たとへば、太古の狩猟民族にあつては、狩猟といふ生産様式が、直接に芸術の内容を条件づけてゐるが如くである。
 ロシヤのマルクス主義の碩学プレハノフは、此の[#「此の」は底本では「比の」]問題について興味あるワラツシエツクの説を引用してゐる。
「ワラツシエツクは原始民族の演劇の起源に関する自己の見解を次の如く要約してゐる。『此の演技の対象は次の如くである。(1)狩猟、戦争、漁撈、漕舟(狩猟民族、遊牧者)、動物の生活及び習慣。動物黙戯、仮面舞戯(やはり動物を表出するところの。プレハノフ)。(2)家畜の生活及び習慣(牧畜者)。(3)労働(農耕者)、米搗き、粉磨き、打禾、収穫、葡萄摘み』『……演出されるのは生存競争上絶対に必要な日常生活の事実である』」(恒藤恭氏訳『マルクス主義の根本問題』増補版九二―九三頁)
 併しながら、社会生活が複雑になつて来ると、この関係も複雑して来る。私たちは現代のさまざまな文学作品を、現代社会の経済関係から簡単に説明することは不可能である。そこには文学作品の生産される条件を決定する無数の要素があり、それらの間に複雑な作用と反作用との網が構成されてゐるからである。この点についても私は、プレハノフの見解をそのまゝ引証するであらう。彼は次の如く言つてゐる。

「階級の区別のなかつた原始社会に於ては、人間の生産的労働は、彼の世界観及び審美心に直接に影響したのであつた。装飾術の動機は技術に存し、舞踏は――此の社会に於いて最要の芸術であるが――多く労働過程の芸術的再現に制限されてゐた。此の事は吾々の知り得る最近の発達段階に立つ狩猟民族に於いて特に顕著である。正にその故に吾々は原始人の心理がその経済的活動に倚憑することを証明するに当つて、主として狩猟民族を引例したのであつた。之に反して階級に分裂せる社会に於いては、此の活動の直接の作用は、前の場合ほど顕著でない。その理由も明白である。例へばオーストラリヤの土人の婦女にあつては、舞踊は草根採取の運動の再現たるのであるが、さりとて十八世紀のフランスの貴婦人たちの優美な舞踏の一つが、何等かの生産的活動を表現するものと推定することは勿論できない。此の種の婦人は一般に全然生産的労働に従事することなく、専ら『やさしき恋愛の学問』に耽つてゐたのであつた。オーストラリヤの土人の舞踏を理解するためには、婦人による草根採取が、この種族の生活に於いて如何なる役割をつとめるかを知れば足りるのである。けれども、ムニユエを理解するためには、十八世紀のフランスの経済を知つてゐるだけでは不十分である。此の場合には、非生産階級の心理を表白するところの舞踏が問題たるのである。此の種の心理によつて謂はゆる上流社会の『慣例や礼儀』の大部分は説明し得られるであらう。さればこゝでは、経済的因素と並んで心理的因素がその地位を認められるわけである。但し非生産階級そのものは社会の経済的発達の産物たることを忘れては不可ない。即ち経済的因素は、その地位を心理的因素にゆづる場合にも、尚ほその卓越せる重要さを失はないことに留意しなければならぬ。此の場合には、それは他の諸因素の影響の可能性及び限界を規定する点において感知し得られるのである。」(「前掲書」一一三―一一四頁)

 プレハノフが、こゝで舞踏について言つてゐることは、完全に文学にもあてはまる(但し狩猟民族は文学をもつてゐないと考へねばならぬが)。しかしながら、プレハノフがこゝで述べてゐることだけは、複雑な社会に於ける文学と社会との相関関係を説明するには勿論不十分である。今日の文学は、否、古代の文学でさへも、少くも文学を有するほど発達した社会に於ける芸術作品は、たゞに直接に生産活動を再現してゐないのみならず、一般に、極めて高度にレフアインされた形に於いてしか経済関係或はその他の単一な条件の影響を受けてゐないのである。そこには無数の因素が存するのである。
 私が以上に述べた文学研究の方法論は、大部分テエヌの祖述である。たゞ私は、テエヌの芸術論のもつてゐる自然科学的面貌にかふるに、社会科学的相貌をもつてした。これは、主として、史的唯物論の方法に負ふのである。そしてこの方法は今日までのところではプレハノフに最も多く負ふのであるが、今はプレハノフの方法論には深く触れないことにしておく。

         下編 其の適用

         一

 近代の文学を最も大づかみにわけるならば、古典主義、浪漫主義、自然主義の三つに分けることができるであらう。私はこの短かい論稿に於ては、この三つの文学が、如何なる社会的条件に制約されて発生し、発達し、衰頽していつたかを辿ることで満足しなければならぬ。自然主義以後にも、重要な文学の諸流派が起つたことは事実であるが、それらは、あまりに雑多性と複雑性とに富んでをり、且つ、それらの起つた時代が、あまりに現代に接近し過ぎてゐるために、科学的研究の素材とするには不適当でもあるし、私の現在の企画は、たゞ、私の研究方法の例証を示すことにあるのであつて近代文学の諸相を残る隈なく研究することではないからでもある。

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