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大塩平八郎(おおしおへいはちろう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-6 18:00:24  点击:  切换到繁體中文

   一、西町奉行所

 天保てんぱう八年丁酉ひのととりとし二月十九日の暁方あけがた七つどきに、大阪西町奉行所にしまちぶぎやうしよの門をたゝくものがある。西町奉行所と云ふのは、大阪城の大手おほての方角から、内本町通うちほんまちどほりを西へ行つて、本町橋ほんまちばしに掛からうとする北側にあつた。此頃はもう四年前から引き続いての飢饉ききんで、やれ盗人ぬすびと、やれ行倒ゆきだふれと、夜中やちゆうも用事がえない。それにきのふの御用日ごようびに、月番つきばん東町ひがしまち奉行所へ立会たちあひつて帰つてからは、奉行堀伊賀守利堅ほりいがのかみとしかたは何かひどく心せはしい様子で、急に西組与力にしぐみよりき吉田勝右衛門かつゑもんを呼び寄せて、長い間密談をした。それから東町奉行所との間に往反わうへんして、けふ十九日にあるはずであつた堀の初入式しよにふしきの巡見が取止とりやめになつた。それから家老中泉撰司なかいづみせんしもつて、奉行所詰ぶぎやうしよづめのもの一同に、夜中やちゆういへども、格別に用心するやうにと云ふたつしがあつた。そこで門をたゝかれた時、門番がすぐに立つて出て、外に来たものの姓名と用事とを聞き取つた。
 門外に来てゐるのは二にんの少年であつた。一にんは東組町同心どうしん吉見九郎右衛門よしみくらうゑもんせがれ英太郎えいたらう、今一人は同組同心河合郷左衛門かはひがうざゑもんの倅八十次郎やそじらう名告なのつた。用向ようむきは一大事があつて吉見九郎右衛門の訴状そじやうを持参したのを、ぢきにお奉行様ぶぎやうさまに差し出したいと云ふことである。
 上下共じやうげとも何か事がありさうに思つてゐた時、一大事と云つたので、それが門番の耳にも相応に強く響いた。門番は猶予いうよなく潜門くゞりもんをあけて二人の少年を入れた。まだあかつきしらけた光が夜闇よやみきぬわづか穿うがつてゐる時で、薄曇うすぐもりの空の下、風の無い、沈んだ空気の中に、二人は寒げに立つてゐる。英太郎えいたらうは十六歳、八十次郎やそじらうは十八歳である。
「お奉行様にぢきに差し上げる書付かきつけがあるのだな。」門番は念を押した。
「はい。ここに持つてをります。」英太郎がふところゆびさした。
「お前がその吉見九郎右衛門のせがれか。なぜ九郎右衛門が自分で持つて来ぬのか。」
「父は病気で寝てをります。」
一体いつたい東のお奉行所づきのものの書付かきつけなら、なぜそれを西のお奉行所へ持つて来たのだい。」
「西のお奉行様にでなくては申し上げられぬと、父が申しました。」
「ふん。さうか。」門番は八十次郎やそじらうの方に向いた。「お前はなぜ附いて来たのか。」
「大切な事だから、間違まちがひの無いやうに二人ふたりけと、吉見のをぢさんが言ひ附けました。」
「ふん。お前は河合と言つたな。お前の親父様おやぢさまは承知してお前をよこしたのかい。」
「父は正月の二十七日に出たきり、帰つて来ません。」
「さうか。」
 門番は二人の若者に対して、こんな問答をした。吉見の父が少年二人を密訴みつそに出したので、門番も猜疑心さいぎしんを起さずに応対して、かへつて運びが好かつた。門番の聞き取つた所を、当番のものが中泉なかいづみに届ける。中泉が堀に申し上げる。間もなく堀の指図で、中泉が二人を長屋に呼び入れて、一応取り調べた上訴状そじやうを受け取つた。
 堀は前役ぜんやく矢部駿河守定謙やべするがのかみさだかたのちいで、去年十一月に西町奉行になつて、やう/\今月二日に到着した。東西の町奉行は月番交代つきばんかうたいをして職務をおこなつてゐて、今月は堀が非番ひばんである。東町奉行跡部山城守良弼あとべやましろのかみよしすけも去年四月に現職に任ぜられて、七月に到着したのだから、まだ大阪には半年しかをらぬが、かくじつちやうがあるので、堀はまはしてもらふと云ふ風になつてゐる。町奉行になつて大阪に来たものは、初入式しよにふしきと云つて、前からゐる町奉行と一しよに三度に分けて市中を巡見する。初度しよど北組きたぐみ、二度目が南組、三度目が天満組てんまぐみである。北組、南組とは大手前おほてまへ本町通ほんまちどほり北側、船場せんば安土町通あづちまちどほり西横堀にしよこぼり以西は神田町通かんだまちどほりさかひにして、市中を二分してあるのである。天満組てんまぐみとは北組の北界きたざかひになつてゐる大川おほかはより更に北方に当る地域で、東は材木蔵ざいもくぐらから西は堂島だうじま米市場こめいちばまでの間、天満てんま青物市場あをものいちば天満宮てんまんぐう総会所そうくわいしよ等を含んでゐる。北組が二百五十町、南組が二百六十一町、天満組が百九町ある。予定通にすると、けふは天満組を巡見して、最後に東照宮とうせうぐう附近の与力町よりきまちに出て、ゆふ七つどきには天満橋筋長柄町ながらまちを東にる北側の、迎方むかへかた東組与力朝岡助之丞あさをかすけのじようが屋敷で休息するのであつた。迎方むかへかたとは新任の奉行を迎へに江戸に往つて、町与力まちよりき同心どうしんの総代として祝詞しゆくしを述べ、引き続いて其奉行の在勤中、手許てもとの用をす与力一にん同心二にんで、朝岡は其与力である。しかるにきのふの御用日の朝、月番跡部あとべの東町奉行所へ立会たちあひに往くと、其前日十七日の夜東組同心平山助次郎ひらやますけじらうと云ふものの密訴みつその事を聞せられた。一大事と云ふことばが堀の耳を打つたのは此時このときはじめであつた。それからはどんな事が起つて来るかと、前晩ぜんばんほとんど寝ずに心配してゐる。今中泉なかいづみが一大事の訴状を持つて二人の少年が来たと云ふのを聞くと、堀はすぐにあの事だなと思つた。堀のためには、中泉が英太郎の手から受け取つて出した書付かきつけの内容は、未知みちの事の発明ではなくて、既知きちの事の証験しようけんとして期待せられてゐるのである。
 堀は訴状を披見ひけんした。胸ををどらせながら最初から読んで行くと、はたしてきのふ跡部あとべに聞いた、あの事である。陰謀いんぼう首領しゆりやう、その与党よたうなどの事は、前に聞いた所と格別の相違は無い。長文の訴状の末三分の二程は筆者九郎右衛門の身囲みがこひである。堀が今少しくくはしく知りたいと思ふやうな事は書いてなくて、読んでも読んでも、陰謀に対する九郎右衛門の立場、疑懼ぎく愁訴しうそである。きのふから気に掛かつてゐる所謂いはゆる一大事がこれからどう発展して行くだらうか、それが堀自身にどう影響するだらうかと、とつおいつ考へながら読むので、やゝもすれば二行も三行も読んでから、書いてある意味が少しも分かつてをらぬのに気が附く。はつと思つては又読み返す。やう/\読んでしまつて、堀の心の内には、きのふから知つてゐる事の外に、これだけの事が残つた。陰謀の与党の中で、筆者と東組与力渡辺良左衛門わたなべりやうざゑもん、同組同心河合郷左衛門かはひがうざゑもんとの三人は首領をいさめて陰謀をめさせようとした。しかし首領が聴かぬ。そこで河合は逐電ちくてんした。筆者は正月三日に風を引いて持病が起つて寝てゐるので、渡辺をもつて首領にことわらせた。此体このていでは事を挙げられる日になつても所詮しよせん働く事は出来ぬから、切腹してびようと云つたのである。渡辺は首領の返事を伝へた。そんならゆる/\保養しろ。場合によつては退けと云ふことである。これを伝へると同時に、渡辺は自分が是非なく首領と進退を共にすると決心したことを話した。次いで首領はせがれと渡辺とを見舞によこした。筆者は病中やう/\の事で訴状を書いた。それを支配を受けてゐる東町奉行に出さうには、取次とりつぎを頼むべき人が無い。そこで隔所かくしよ見計みはからつて托訴たくそをする。筆者は自分と倅英太郎以下の血族との赦免しやめんを願ひたい。もつとも自分は与党よたうられる時には、矢張やはり召し捕つてもらひたい。或は其間そのあひだに自殺するかも知れない。留置とめおきあづけなどゝ云ふことにせられては、病体でしのねるから、それはやめにして貰ひたい。倅英太郎は首領の立てゝゐる塾で、人質ひとじちのやうになつてゐて帰つて来ない。かく自分と一族とを赦免しやめんして貰ひたい。それから西組与力見習よりきみならひ内山彦次郎うちやまひこじらうと云ふものがある。これは首領ににくまれてゐるから、保護を加へて貰ひたいと云ふのである。
 読んでしまつて、堀は前からいだいてゐた憂慮は別として、此訴状の筆者に対する一種の侮蔑ぶべつの念を起さずにはゐられなかつた。形式にからまれた役人生涯に慣れてはゐても、成立してゐる秩序を維持するために、賞讃すべきものにしてある返忠かへりちゆうを、まことの忠誠だとることは、うまれ附いた人間の感情が許さない。その上自分の心中のわたくしを去ることをかたんずる人程かへつて他人の意中のわたくしあばくにびんなるものである。九郎右衛門は一しよにられたいと云ふ。それはせめを引くいさぎよい心ではなくて、与党をおそれ、世間をはゞかる臆病である。又自殺するかも知れぬと云ふ。それは覚束おぼつかない。自殺することが出来るなら、なぜづ自殺して後に訴状をのこさうとはしない。又牢に入れてくれるなと云ふ。大阪の牢屋から生きてかへるものゝ少いのは公然の秘密だから、病体でなくても、らずにめばるまいとする筈である。横着者わうちやくものだなとは思つたが、役馴やくなれた堀は、公儀こうぎのお役に立つ返忠かへりちゆうのものを周章しうしやうの間にも非難しようとはしない。家老に言ひ付けて、少年二人を目通めどほりへ出させた。
「吉見英太郎と云ふのはお前か。」
「はい。」怜悧れいりらしい目を見張つて、存外おくれた様子もなく堀をあふた。
「父九郎右衛門は病気で寝てをるのぢやな。」
風邪ふうじやあとで持病の疝痛せんつう痔疾ぢしつが起りまして、行歩ぎやうほ※(「りっしんべん+(匚<夾)」、第3水準1-84-56)かなひませぬ。」
書付かきつけにはお前は内へ帰られぬと書いてあるが、どうして帰られた。」
「父は帰られぬかも知れぬが、大変になるまでけて出られるなら、出て来いと申し付けてをりました。さう申したのは十三日に見舞に参つた時の事でございます。それから一しよに塾にゐる河合八十次郎やそじらうと相談いたしまして、昨晩どきに抜けて帰りました。先生の所にはお客が大勢おほぜいありまして、混雑いたしてゐましたので、出られたのでございます。それから。」英太郎は何か言ひさして口をつぐんだ。
 堀はしばらく待つてゐたが、英太郎は黙つてゐる。「それからどういたした」と、堀が問うた。
「それから父が申しました。東の奉行所には瀬田と小泉とが当番で出てをりますから、それを申し上げいと申しました。」
「さうか。」東組与力瀬田済之助せいのすけ、同小泉淵次郎えんじらうの二人が連判れんぱんに加はつてゐると云ふことは、平山の口上こうじやうにもあつたのである。
 堀は八十次郎の方に向いた。「お前が河合八十次郎か。」
「はい。」ほゝまるい英太郎と違つて、これは面長おもながな少年であるが、同じやうに小気こきいてゐて、おくする気色けしきは無い。
「お前の父はどういたしたのぢや。」
「母が申しました。先月の二十六日の晩であつたさうでございます。父は先生の所から帰つて、火箸ひばし打擲ちやうちやくせられて残念だと申したさうでございます。あくる朝父は弟の謹之助きんのすけを連れて、天満宮てんまんぐうへ参ると云つて出ましたが、それきりどちらへ参つたか、帰りません。」
「さうか。もうよろしい。」かう云つて堀は中泉を顧みた。
「いかが取り計らひませう」と、中泉が主人の気色けしきを伺つた。
「番人を附けてめ置け。」かう云つて置いて、堀は座を立つた。
 堀は居間に帰つて不安らしい様子をしてゐたが、いそがしげに手紙を書き出した。これは東町奉行に宛てて、当方にも訴人そにんがあつた、当番の瀬田、小泉に油断せられるな、追附おつつけ参上すると書いたのである。堀はそれを持たせて使つかひを出したあとで、暫く腕組うでぐみをしてひて気を落ち着けようとしてゐた。
 堀はきのふ跡部あとべに陰謀者の方略はうりやくを聞いた。けふの巡見を取り止めたのはそのためである。しかるにたゞ三月と書いて日附をせぬ吉見の訴状には、その方略は書いてない。吉見が未明にせがれ托訴たくそに出したのを見ると方略を知らぬのではない。書き入れるひまがなかつたのだらう。東町奉行所へ訴へた平山は、今月十五日に渡辺良左衛門が来て、十九日の手筈てはずを話し、翌十六日に同志一同が集まつた席で、首領が方略を打ち明けたと云つたさうである。それは跡部と自分とが与力朝岡の役宅やくたくに休息してゐる所へおそつてようと云ふのである。一体吉見の訴状にはなんと云つてあつたか、それに添へてある檄文げきぶんにはどう書いてあるか、好く見て置かうと堀は考へて、書類をそでの中から出した。
 堀は不安らしい目附めつきをして、二つの文書ぶんしよをあちこち見競みくらべた。陰謀に対してどう云ふ手段を取らうと云ふ成案がないので、すぐに跡部あとべの所へ往かずに書面をつたが、安座して考へても、思案がまとまらない。しかし何かせずにはゐられぬので、文書を調べ始めたのである。
 訴状には「御城おんしろ御役所おんやくしよ其外そのほか組屋敷等くみやしきとう火攻ひぜめはかりごと」と書いてある。檄文げきぶんには無道むだうの役人をちゆうし、次に金持の町人共をこらすと云つてある。かく恐ろしい陰謀である。昨晩跡部からの書状には、たしかな与力共の言分いひぶんによれば、さ程の事でないかも知れぬから、かねて打ち合せたやうに捕方とりかたを出すことは見合みあはせてくれと云つてあつた。それで少し安心して、こつちから吉田を出すことも控へて置いた。併し数人すにん申分まをしぶんがかう符合して見れば、容易な事ではあるまい。跡部はどうするつもりだらうか。手紙をつたのだから、なんとか云つて来さうなものだ。こんな事を考へて、堀は時の移るのをも知らずにゐた。

   二、東町奉行所

 東町奉行所で、奉行跡部山城守良弼あとべやましろのかみよしすけが堀の手紙を受け取つたのは、あけ六つどき頃であつた。
 大阪の東町奉行所は城の京橋口きやうばしぐちの外、京橋どほり谷町たにまちとの角屋敷かどやしきで、天満橋てんまばし南詰みなみづめ東側にあつた。東は城、西は谷町の通である。南の島町通しままちどほりには街を隔てて籾蔵もみぐらがある。北は京橋通の河岸かしで、書院の庭から見れば、対岸天満組の人家が一目に見える。たゞ庭の外囲ぐわいゐに梅の立木たちきがあつて、少し展望をさへぎるだけである。
 跡部もきのふから堀と同じやうな心配をしてゐる。きのふの御用日にわざと落ち着いて、平常の事務を片附けて、それから平山の密訴みつそした陰謀に対する処置を、堀と相談して別れた後、堀が吉田を呼んだやうに、跡部あとべは東組与力の中で、あれかこれかとたしかなものをり抜いて、とう/\荻野勘左衛門をぎのかんざゑもん同人どうにんせがれ四郎助しろすけ磯矢頼母いそやたのもの三人を呼び出した。頼母たのもと四郎助とは陰謀の首領を師と仰いでゐるものではあるが、半年以上使つてゐるうちに、その師弟の関係は読書の上ばかりで、師の家とは疎遠にしてゐるのが分かつた。「あの先生は学問はえらいが、肝積持かんしやくもちで困ります」などと、四郎助が云つたこともある。「そんな男か」と跡部が聞くと、「矢部様の前でお話をしてゐるうちにげきして来て、六寸もある金頭かながしらを頭からめり/\とん食べたさうでございます」と云つた。それに此三人は半年の間跡部の言ひ付けた用事を、人一倍念入ねんいりにしてゐる。そこを見込んで跡部が呼び出したのである。
 さて捕方とりかたの事を言ひ付けると、三人共思ひも掛けぬ様子で、やゝ久しく顔を見合せて考へた上で云つた。平山がうつたへはいかにも実事じつじとは信ぜられない。例の肝積持かんしやくもちの放言をに受けたのではあるまいか。おうけはいたすが、余所よそながら様子を見て、いよ/\実正じつしやうと知れてから手を着けたいと、折り入つて申し出た。後に跡部の手紙で此事を聞いた堀よりは、三人の態度をのあたり見た跡部は、一層切実に忌々いま/\しい陰謀事件が※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)うそかも知れぬと云ふ想像に伴ふ、一種の安心を感じた。そこで逮捕を見合せた。
 跡部は荻野をぎの等の話を聞いてから考へて見て、平山に今一度一大事を聞いた前後の事をくはしく聞いて置けば好かつたと後悔した。をとつひの夜平山が来て、用人ようにん野々村次平に取り次いでもらつて、所謂いはゆる一大事のうつたへをした時、跡部は急に思案して、突飛とつぴな手段を取つた。尋常なら平山をいて、陰謀を鎮圧する手段を取るべきであるのに、跡部はその決心が出来なかつた。若し平山を留め置いたら、陰謀者が露顕を悟つて、急に事を挙げはすまいかとおそれ、さりとて平山を手放して此土地に置くのも心許こゝろもとないと思つたのである。そこで江戸で勘定奉行になつてゐる前任西町奉行矢部駿河守するがのかみ定謙に当てた私信を書いて、平山にそれを持たせて、急に江戸へ立たせたのである。平山はきのふあけ七つどきに、小者こもの多助たすけ雇人やとひにん弥助やすけを連れて大阪を立つた。そしてのち十二日目の二月二十九日に、江戸の矢部がやしきに着いた。
 意志の確かでない跡部は、荻野等三人のことばをたやすくれて、逮捕の事を見合みあはせたが、既にそれを見合せて置いて見ると、その見合せが自分の責任に帰すると云ふ所から、疑懼ぎくが生じて来た。延期は自分がめて堀に言つてつた。し手遅れと云ふ問題が起ると、堀はまぬかれて自分は免れぬのである。跡部が丁度このあらたに生じた疑懼ぎくに悩まされてゐる所へ、堀の使つかひが手紙を持つて来た。同じ陰謀に就いて西奉行所へも訴人そにんが出た、今日当番の瀬田、小泉に油断をするなと云ふ手紙である。
 跡部は此手紙を読んで突然決心して、当番の瀬田、小泉に手を着けることにした。此決心には少し不思議な処がある。堀の手紙には何一つ前に平山が訴へたより以上の事実を書いては無い。瀬田、小泉が陰謀の与党だと云ふことは、既に平山が云つたので、荻野等三人に内命を下すにも、跡部は綿密な警戒をした。さうして見れば、堀の手紙によつて得た所は、今まで平山一人のうつたへで聞いてゐた事が、更に吉見と云ふものの訴で繰り返されたと云ふに過ぎない。これには決心をうながす動機としての価値はほとんど無い。しかるにその決心が跡部には出来て、前には腫物はれものさはるやうにして平山を江戸へ立たせて置きながら、今は目前の瀬田、小泉に手を着けようとする。これは一昨日の夜平山の密訴みつそを聞いた時にすべき決心を、今偶然の機縁に触れてしたやうなものである。
 跡部は荻野等を呼んで、二にんとらへることを命じた。その手筈てはずはかうである。奉行所に詰めるものは、づ刀をだつして詰所つめしよ刀架かたなかけける。そこで脇差わきざしばかりしてゐて、奉行に呼ばれると、脇差をも畳廊下たゝみらうかに抜いて置いて、無腰むこし御用談ごようだんに出る。この御用談の間に呼んで捕へようと云ふのが手筈である。しかし万一の事があつたら切り棄てるほかないと云ふので、奉行所に居合ゐあはせた剣術の師一条一いちでうはじめ切棄きりすての役を引き受けた。
 さて跡部は瀬田、小泉の二人を呼ばせた。それを聞いた時、瀬田は「暫時ざんじ御猶予ごいうよを」と云つて便所につた。小泉は一人いつもの畳廊下たゝみらうかまで来て、脇差を抜いて下に置かうとした。此畳廊下の横手に奉行の近習きんじゆ部屋がある。小泉が脇差を下に置くやいなや、その近習部屋から一人の男が飛び出して、脇差に手を掛けた。「はつ」と思つた小泉は、一旦手を放した脇差を又つかんだ。引き合ふはずみに鞘走さやはしつて、とう/\、小泉が手に白刃しらはが残つた。様子を見てゐた跡部が、「それ、切り棄てい」と云ふと、弓のまで踏み出した小泉の背後うしろから、一条が百会ひやくゑの下へ二寸程切り附けた。次に右の肩尖かたさきを四寸程切り込んだ。小泉がよろめく所を、右の脇腹わきはらつきを一本食はせた。東組与力小泉淵次郎えんじらうは十八歳を一期いちごとして、陰謀第一の犠牲としていのちおとした。花のやうな許嫁いひなづけの妻があつたさうである。
 便所にゐた瀬田は素足すあしで庭へ飛び出して、一本の梅の木を足場にして、奉行所の北側のへいを乗り越した。そして天満橋てんまばしを北へ渡つて、陰謀の首領大塩平八郎おほしほへいはちらうの家へはしつた。

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