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運命論者(うんめいろんしゃ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-26 8:51:03  点击:  切换到繁體中文


      五

 井上博士は横浜にも一ヶ所事務所をもって居ましたが、僕は二十五の春、この事務所に詰めることとなり、名は井上の部下であってもその実は僕が独立でやるのと同じことでした。年齢としの割合には早い立身とってもいだろうと思います。
 ところが横浜に高橋という雑貨商があって、随分盛大にやって居ましたが、其主人あるじは女で名はうめ所天つれあい[#「所天」は底本では「所夫」]は二三年前になくなって一人娘ひとりむすめ里子さとこというを相手に、贅沢ぜいたくくらして居たのです。
 訴訟用から僕は此家に出入することとなり、僕と里子は恋仲になりました、手短に言いますが、半年たたぬうちに二人ふたりは離れることの出来ないほど、のぼせ上げたのです。
 そしてその結果は井上博士が媒酌ばいしゃくとなり、ついに僕は大塚の家を隠居し高橋の養子となりました。
 僕の口から言うも変ですが、里子は美人というほどでなくとも随分人目を引く程の容色きりょうで、丸顔の愛嬌あいきょうのある女です。そして遠慮なくいいますが全く僕を愛してれます、けれどもこの愛はかえって今では僕を苦しめる一大要素になって居るので、し里子がくまでに僕を愛し、僕が又たうまで里子を愛しないならば、僕はこれほどまでに苦しみは仕ないのです。
 養母の梅は今五十歳ですが、見たところ、四十位にしか見えず、小柄の女で美人の相をそなえ、なか/\立派な婦人です。そして情のはげしい正直な人柄といえば、智慧ちえの方はやゝ薄いということはわかるでしょう。快活でく笑いく語りますが、如何どうかすると恐しい程沈欝な顔をして、半日何人なんびととも口をまじえないことがあります。僕は養子とならぬ以前からこの人柄に気をつけてましたが、里子と結婚して高橋のうちに寝起することとなりて間もなく、妙なことを発見したのです。
 それは夜の九時頃になると、養母はその居間にこもってしまい、不動明王を一心不乱に拝むことで、口に何ごとか念じつゝ床の間にかけた火炎の像の前に礼拝して十時となり十一時となり、時には夜半過よなかすぎに及ぶのです、居間のうち沈欝ふさいで居た晩はことにこれが激しいようでした。
 僕も始めは黙って居ましたが、余り妙なので或日あるひこのことを里子にたずねると、里子は手を振って声をひそめ、『黙って居らっしゃいよ。あれは二年前から初めたので、あのことを母に話すと母は大変気嫌きげんを悪くしますから、成るべく知らん顔して居たほうがいんですよ。御覧なさい全然まるで狂気きちがいでしょう。』と別に気にもかけぬ様なので、僕もしいては問いもしなかったのです。
 けれどもその一月もして或日あるひ、僕は事務所から帰り、夜食を終て雑談してると、養母は突然、
怨霊おんりょうというものは何年たっても消えないものだろうか。』と問いました。すると里子は平気で、
『怨霊なんて有るもんじゃアないわ。』と一言で打消そうとすると、母はむきになって、
『生意気を言いなさんな。お前見たことはあるまい。だからそんなことを言うのだ。』
『そんなら母上おっかさんは見て?』
『見ましたとも。』
『オヤそう、如何どんな顔をして居て? 私も見たいものだ。』と里子は何処どこまでも冷かしてかゝった。すると母はすごいほど顔色を変えて、
『お前怨霊おんりょうが見たいの、怨霊が見たいの。真実ほんとに生意気なこというよこのひとは!』と言い放ち、つッとたって自分の部屋に引込ひっこんでしまった。僕は思わず、
母上おっかさん如何どうか仕て居なさるよ、気を附けんと……』
 里子は不安心な顔をして、
『私真実ほんとに気味が悪いわ。母上おっかさん必定きっと何にか妙なことを思って居るのですよ。』
『ちっと神経を痛めて居なさるようだね。』と僕も言いましたが、さて翌日になると別に変ったことはないのです。変って居るのは唯々ただ何時いつもの通り夜になると不動様を拝むことだけで、僕等ぼくらもこれは最早もはや見慣れて居るからしいて気にもかゝりませんでした。
 ところ今歳ことしの五月です、僕は何時いつもよりか二時間も早く事務所を退ひいて家へ帰りますと、そのは曇って居たので家の中は薄暗いうちにも母のへやことに暗いのです。母に少し用事があったので別に案内もせずふすまけて中に入ると母は火鉢ひばちそばにぽつねんと座ってましたが、僕の顔を見るや、
『ア、ア、アッ、アッ!』と叫んで突起つったったかと思うと、又尻餅しりもちついじっと僕を見た時の顔色! 僕は母が気絶したのかと喫驚びっくりしてそば駈寄かけよりました。
如何どうしました、如何しました』とけんだ僕の声を聞いて母はわずかに座り直し、
『お前だったか、私は、私は……』と胸をすって居ましたが、そのあいだも不思議そうに僕の顔を見て居たのです。僕は驚ろいて、
母上おっかさん如何どうなさいました。』と聞くと、
『お前が出抜だしぬけに入って来たので、私はだれかと思った。おゝ喫驚びっくりした。』とぐ床をしかして休んでしまいました。
 このことの有った後は母の神経に益々ますます異常を起し、不動明王を拝むばかりでなく、僕などは名も知らぬ神符おふだを幾枚となく何処どこからかもらって来て、自分の居間の所々しょしょはりつけたものです。そして更に妙なのは、これまで自分だけで勝手に信じて居たのが、僕を見て驚ろいた後は、僕に向っても不動を信じろというので、僕が何故なぜ信じなければならぬかと聞くと、
『たゞ黙って信じておれ。それでないと私が心細い。』
母上おっかさんの気が安まるのなら信仰も仕ましょうが、それなら私よりもお里の方がいでしょう。』
『お里では不可いけません。あれには関係のないことだから。』
『それでは私には関係があるのですか。』
『まアそんなことを言わないで信仰してお呉れ、後生だから。』という母の言葉を里子もそばで聞て居ましたが、あきれて、
『妙ねえ母上おっかさん、不動様が如何どうして母上おっかさんと信造さんとには関係があって私には無いのでしょう。』
『だから私が頼むのじゃアありませんか、理由わけが言われる位ならたのみはしません。』
『だって無理だわ、信造さんに不動様を信仰しろなんて、今時の人にそんなことをすすめたって……』
『そんなら頼みません!』と母は怒ってしまったので、僕は言葉を柔げ、
『イヤ私だって不動様を信じないとは限りません。だから母上おっかさんまアその理由いわれを話て下さいな。如何どんなことか知りませんが、親子の間だからすこしあかされないようなことは無いでしょう。』と求めました。これは母の言うところよって迷信をおさえ神経を静める方法もあろうかと思ったからです。すると母はしばらく考えてましたが、吐息といきをして声をひそめ、
『これりの話だよ、たれにもしらしてはなりませんよ。私がだ若い時分、お里の父上おとうさまえんづかない前にある男に言い寄られて執着しゅうねく追いまわされたのだよ。けれども私は如何どうしても其男の心に従わなかったの。そうすると其男が病気になって死ぬ間際に大変私をうらんで色々なことを言ったそうです。それで私も心持こころもちなかったが、此処ここへ縁づいてからは別に気にもせんで暮して居ました。ところが所天つれあい[#「所天」は底本では「所夫」]くなってからというものは、その男の怨霊おんりょう如何どうかすると現われて、可怖こわい顔をして私をにらみ、今にも私を取殺とりころそうとするのです。それで私が不動様を一心に念ずると其怨霊がだん/\きえなくなります。それにね、』と、母は一増ひとしお声を潜め『このごろは其怨霊が信造に取ついたらしいよ。』
『まアいやな!』里子はまゆひそめました。
『だってね、如何どうかすると信造の顔が私には怨霊そっくりに見えるのよ。』
 それで僕に不動様を信じろと勧めるのです。けれども僕にはそんな真似まねは出来ないから、里子と共に色々と怨霊などいうものの有るべきでないことを説いたけれど無益でした。母は堅く信じて疑がわないので、僕等も持余もてあまし、の鎌倉へでも来て居て精神を静めたらと、無理に勧めてつい此処ここの別荘にいれたのは今年の五月のことです。」

      六

 高橋信造は此処ここまで話して来てたちまかしらをあげ、西に傾く日影を愁然しゅうぜんと見送って苦悩にえぬ様であったが、手早くさかずきをあげて一杯飲み干し、
「この先を詳しく話す勇気は僕にありません。事実を露骨に手短に話しますから、それ以上は貴様あなたの推察を願うだけです。
 高橋梅たかはしうめすなわち僕の養母は僕の真実の母、うみの母であったのです。さい里子さとこは父をことにした僕の妹であったのです。如何どうです、これがあやしい運命でなくて何としましょう。かくごときをも源因結果の理法といえばそれまでです。けれども、かゝる理法の下に知らず/\このおかれた僕から言えば、此天地間にかゝる惨刻ざんこくなる理法すら行なわるゝを恨みます。
 如何どうして此等これらの事実が僕に知れたか、その手続を簡単に言えば、母が鎌倉に来てから一月後ひとつきのち、僕は訴訟用で長崎にゆくこととなり、其途中山口、広島などへ立寄る心組でましたから、見舞かた/″\鎌倉へ来て母にこの事を話しますと、母はの色をかえて、山口などへ寄るなと言います。けれども僕の心にはうみの父母の墓に参るつもりがありますから、母にはい加減に言って置いて、ついに山口に寄ったのです。
 かねて大塚の父から聞いて居たから寺はぐ分りました。けれども僕は馬場金之助ばばきんのすけの墓のみ見出して、しんだときいた母の墓を見ないので、不審に思って老僧にい、右の事をたずねました。もっと所縁ゆかりのものとのみ、僕の身の上は打明けないのです。
 すると老僧は馬場金之助の妻おのぶの墓のあるべきはずはない。の女は金之助の病中に、碁の弟子で、町の豪商なにがしの弟と怪しい仲になり、金之助の病気はそのため更に重くなったのを気の毒とも思ず、つい乳飲児ちのみご[#「乳飲児」は底本では「飲乳児」]を置去りにして駈落かけおちしてしまったのだと話しました。
 老僧はなおも父が病中母をののしったこと、死際しにぎわに大塚剛蔵に其一子いっしを托したことまで語りました。
 其お信が高橋梅であるということは、だれも知らないのです。僕も証拠はもっません。けれども老僧がお信のことを語る中に早くも僕は今の養母がすなわちそれであることを確信したのです。
 僕は山口でぐ死んで了おうかと思いました。の時、実に彼の時、僕が思いきって自殺して了ったら、むしろ僕はさいわいであったのです。
 けれども僕は帰って来ました。ひとつは何とかしてたしかな証拠を得たいため、一は里子に引寄せられたのです。里子はかくも妹ですから、僕の結婚の不倫であることは言うまでもないが、僕は妹として里子を考えることは如何どうしても出来ないのです。
 人の心ほど不思議なものはありません。不倫という言葉は愛という事実には勝てないのです。僕と里子の愛がかえって僕を苦しめると先程言ったのはこの事です。
 僕は里子をようして泣きました。幾度も泣きました。僕もた母と同じく物狂ものぐるおしくなりました、あわれなるは里子です。すべての事が里子には怪しきなぞで、彼はたゞまどいに惑うばかり、ついには母と同じく怨霊おんりょうを信ずるようになり、今も横浜の宅で母と共に不動明王に祈念をこらして居るのです。里子は怨霊の本体を知らず、たゞ母も僕も此怨霊に苦しめられて居るものと信じ、祈念の誠をもって母と所天おっと[#「所天」は底本では「所夫」]すくおうとして居るのです。

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