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我が人生観(わがじんせいかん)01 (一)生れなかった子供

底本: 坂口安吾全集 09
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1998(平成10)年10月20日
入力に使用: 1998(平成10)年10月20日

底本の親本: 新潮 第四七巻第五号
初版発行日: 1950(昭和25)年5月1日

 

女房がニンシンしたが、子宮後屈ということで、生むことができなかった。
 女房からニンシンの話をきいて、うそ寒い気持になった。年若い夫婦たちが未来の設計を胸にえがいて、生れてくる子供を指折り算えて待つような気持は、私にはなかった。
 私の半生は身を持ちくずした半生だから、いろいろ病毒があるかも知れぬという怖れもあった。先般、東大神経科へ入院中、精密な病毒検査をうけたが、全部マイナスであった。医学の心得がないから確かなことは知らないが、スピロヘータにしても、ゲノコッケンにしても、潜伏期にはマイナスでしか現れないのだろう。
 私はそう思ったから担当の先生に談判して、念のため、私にも、亦、女房にも一千万単位ぐらいずつペニシリンを注射してもらいたいと頼んだ。せっかく二三ヶ月入院するのだから、この機会に、悪いところを全部治したいと慾を起したのである。歯も、鼻も、みんな治すつもりであった。担当の先生はいくらか淋しそうに笑って、
「厳密に云えば、プロスチチュートと遊んだ人は、みんなその危険があるものと考えてよいかも知れません。戦地へでたものは、みんな身に覚えのあることですから、医者だって例外ではありませんよ。ですが、厳密に云ってはキリがないから、マア、マアという程度で、一応安心しているのですね。あなたの年齢では、もう生涯危険がないものと考えてさしつかえないでしょう」
 ここは神経科だから、担当の先生は、もっぱらその方面を念頭に物を言ってらッしゃる。現在マイナスの私は、生存中に病菌が頭を犯すまでには至らないだろう、という意味のようであった。
 私もそれを怖れていた。この病院へ入院すると、誰しもそれを怖れるだろう。分裂病や、鬱病には、智能を犯されないが、スピロヘータにやられると、昔日の智能に恢復することができないという。
 同じ病棟に、スピロヘータに頭をやられた三十ぐらいの婦人患者がいた。毎日狂って、暴れていたが、暴れるスサマジサにも拘らず、意外に早くポックリ死ぬものだそうで、二三日うちに死ぬだろうと云われながら、生きつづけていた。
 どういうわけだか、この患者は、スリッパや草履にウラミを結んでおり、同室の患者たちのスリッパや草履を全部盗みとり、胸にだきしめて、フラフラと便所へ捨てに行く。また、一日に何回かは、廊下に見張って、通る人に、
「スリッパ、よこせえ! コラ! よこせと云うに!」
 と、影のように追ってくる。人工栄養で余命を支えているのだから、狂人の馬力によっても、フラフラとよろめく程度にしか歩かれない。しかし、私自身も心もとない足どりで、医者や看護婦には、便器でとるように言われていたが、便器がキライで、ムリに便所へフラついて行く。その往復に、この女に呼びとめられたり、追っかけられたりするのが、苦痛であった。彼女に病毒をうつした夫の方は健在で、時々見舞いに来ているという。
 私は自分の女房を考えて、この患者のことを思うたびに、暗い思いに落ちた。
「ボクは大丈夫かも知れませんが、女房が他日発病すると気の毒ですから、この機会に、やっていただきたいのです」
「ですが、本当に、その危険があるのでしょうか」
「あると思っています。それに、慢性のトリッペルは確実ですから、これから持続睡眠療法をやって衰弱すると、でてくる怖れがあるのですが」
 先生は困った顔で、うなずいて、
「ではお気に召すようにしますが、ペニシリンのことは、泌尿科にきいてみないと分量がわかりませんから、きいた上で、適当にやりましょう」
 泌尿科の話では五六十万単位で充分だとのことであったが、ムリにたのんで、三百万単位ずつうってもらった。
 あの時は奇妙であった。私は二六時中、焦躁や不安にみちた幻覚に苦しめられたが、その一つが女房の血液のことだ。女房が南雲さんで血液検査をうけて陽性だったという幻覚なのである。幻覚というよりも、催眠薬で昏睡中にみた夢なのだ。夢で見てきたことが現実に経てきた事として自覚され、目がさめて、その続きを行う。夢と現実の区別を失っていたのである。
 その幻覚は、罪の意識と悔恨が主要なものであった。なぜだか、分らない。酒場へ、いくらでもない借金を払いに行っていたりした。文人らしい趣きがどこにも見当らないミミッチイ幻覚である。その一つが女房の血液のことだ。
 酒場の借金については過去に払いに行ってやりたいと思うことがあったが、女房の血液を病毒で濁らせたという悔恨で、それまで苦しんだことがあったか、どうか、どうも疑問だ。時々苦しんだことがあった気もする。しかし、ふと目がさめて、今の夢は前に何回も見たことがあった、ような気がする場合と同じ程度に茫漠として、捉えどころがない。
 私の女房は前夫との間に二人の子供がある。又、前夫と私との中間には、幾人かの男と交渉があった。それを女房はある程度までは(と私は思うが)打ち開けていたが、私もそれを気にしなかったし、女房も前夫と結婚中は浮気をしなかった、私と一緒のうちも浮気をしない、浮気をする時は、別れる時だ、ということを、かなりハッキリ覚悟している女であった。
 私は心理の表現に、カナリだとか、イクラカだとか、数量的にこだわるタチがあるのだが、持って生れた根性で、どうしても、そうなる。心理の数量上の微妙さが頭にからみついているのである。時々、それを全部払い落したくなる。そうすると、全部の説明を省く以外に手がなくなる。この方法で、気持の一端を満足させるが、他の気持をギセイにした不満によって、苦しむ。これは私の職業上の秘密の一つだ。
 女房は、私からでなく、他の誰かしらから病毒をうけたかも知れないという可能性はあるのだが、それによって、私自身の罪の意識を安心させるワケにもいかない。
 私は女房のニンシンの話をきいて、まず病毒のことを考えて、暗くなった。
 それからニンシン日時をかぞえてみて、その期間に(正月前後だが)酒も過度に飲んでいるし、催眠薬も、覚醒剤も、のんでいる。どれ一つとして、生れてくる子供に遺伝して健全なものはない。
 私はちかごろ再びかなり過度の仕事をしはじめた。時にはやむを得ず覚醒剤や催眠薬のヤッカイにもなるが、その用法には注意をはらっているし、過労に対処する方法として、ムリの限度をこさぬよう、そして、過労後の休養についても考慮を忘れたことはない。私自身としては、生活は健全で、仕事に対する緊張は爽快でもあり、毎日がかなり明るい。私自身としてはそうであるが、座右の品々が生れてくる子供に健全だとは云われない。
 けれども、それらの遺伝を怖れて、ダタイするだけの決断もない。ニンシンの前後に、クリスマスの前夜であったが、女房の貞操を疑ってもいいような事件があった。女房の父母と男が謝罪にきて話はすんでいたが、生れる子供が私の子供ではないかも知れぬという理窟をつけてダタイするだけの気持はない。
 私は女房の貞操を信じていたし、過去は忘れるというのが私の心構えの一つでもあったが、この考えが、女房のニンシンで、ちょッとばかしグラついたのも事実であった。
 どうしても私の子供のようには思われない。なぜなら、私に子供が生れるなら、とッくに生れていなければならないはずだ。女房の場合だけでなく、ほかの女の場合にも。その機会は過去に幾度かあったが、女がニンシンしたということがなかった。
 淋病を患ったり、腰を冷やしたりすると、精子を失って、ニンシンに無能力になるという。二つながら、私には思い当るところがある。
 私は戦争中から一昨年まで、七ヶ年にわたって、冷水浴の習慣があった。真冬はやれないが、春から秋まで、時には初冬まで、やる。
 事の起りは、戦争中、燃料が不足して風呂がわかせなかったことと、銭湯が休業がちであったことが原因だが、元来が、夏になると、日に何回となく水風呂をあびて暑気を払う習慣があったのを、風呂代りに冬まで延長したのである。
 その家は水道がなくて井戸水だったから、夏ですら水につかった瞬間にはドキリとするが、秋から冬には同じ瞬間に失心状態となる。意識が冷感の彼方に距てられ、霞んでしまう。一分二分と失われた意識が次第に霞を払いながら戻ってくると、一時はいくらかの爽快感にひたる何分何秒かがあるのである。そのうちに、骨にまで寒気が徹して、たえがたくなって、とびだす。とびだしたとたんに今度は完全に気を失って、ボーとかすみ、ヘタヘタくずれて膝をつき、背中をまるめて、前方へのめっていたことがある。どれぐらい気を失っていたか知らないが、何年かの十二月六日だった。それ以来、冬はやらないことにして、だいたい十月一ぱいぐらいで打ちきることにした。
 七ヶ年もこんな荒っぽいことをしていたから、腰を冷やす段ではない。全身を冷やしつづけたワケで、精子というものが冷気で死ぬなら、とっくに死んだであろう。水風呂以前にも、私は七ツ八ツの頃からの海水浴狂で、東京に住みはじめて、何が切なかったかというと、夏に思うように海水浴のできないことなどが、その一つであった。毎年、ふるさとの海で、秋がふけると、海辺に立つ人の姿は私一人だけになる。秋になると、日本海は連日の荒天だ。浜には人の姿もなく、人の歩いた跡もない。波にクルクルまかれているのは、言うまでもなく、私だけだ。海も愛したが、孤独も愛したのだ。それがいつの年も秋の荒天まで私を海へひきとめたのである。
 しかし、秋の海は、日本海に於てすら、十月になっても、そう冷めたくはない。真夏に熱せられた海の水というものは、なかなかさめないものだ。たぶん、日本海に於ては、十月の海は六月の海よりも、時には七月はじめの海よりも、あたたかい。温度がなかなかさめない代りには、いったんさめると、なかなか温まらないのじゃないかと思われる。八月の中ごろに海水の温かさは頂点に達し、ゆっくり冷えて行くのである。私はこういうバカげたことを、経験によって知るようになった。天性冷えていたのである。
 去年から伊東の温泉地へ住みついたので、旅館はとにかく、家庭風呂は、湯はあれども、水なし。かくて水風呂は終りである。
 水風呂が終りをつげたので、女房がニンシンするという事態を生ずるに至ったのかな、とも考えた。しかし、いったん失われたものが、再び生じうるであろうか。疑問。
 こういう年来の事情があるところへ、疑えば疑うこともできるようなイキサツなどもあったから、私の子供ではないような気がした。三日間ぐらい、そのことで、思いふけった夜があった。たしか、三日間ぐらい、である。それ以上ではなかったようだ。
 その疑いつづけた三日間ですら、私はダタイさせようという気持にはならなかった。
 そして、私は、一度だけ、女房に云った。
「オレの子供じゃないだろうと疑っているのだ」
「疑ってるの、知ってたわ。疑るなら、生まないから。ダタイするわ」
「ダタイするには及ばないさ。生れてくるものは、育てるさ」
「誰の子かってこと、証明する方法がある?」
「生れた後なら判るだろう。血液型の検査をすればね」
 私はこう云い残して、催眠薬をのんで眠ってしまったから、女房が泣いたか怒ったか、一切知らない。
 そして、この問題は、それで打ちきってしまった。
 しかし、その翌日からの女房はケロリとして、落着きはらっていた。誰の子か科学的に証明する方法があると知って安心したのかも知れないし、誰の子にしろ、自分の家で生れたからには、若干うちこんで育てる気持もあるらしい私の思いを見ぬいて安心しているのかも知れなかった。
 私は半年ほど前にも、女房の前夫の子供をひきとるか否か、一週間ぐらい考えたことがあった。その子供は女房の母のもとに育っていた。五ツぐらいだろう。別に女房がひきとってくれと頼んだワケではないが、折にふれ子供を忘れかねている様子がフビンであったからである。
 しかし、一日、遊びにきた子供を観察して、愛す自信がなかったので、やめることにした。
「愛す自信があれば育てるつもりだったが、自信がないから、やめた」
「頼みもしないのに。何を云うのよ」
「人手に加工された跡が歴然としていて、なじめないし、可愛げが感じられないのだ。コマッチャクレているよ」
「そんなこと云うのは、可哀そうよ。あの子の罪じゃなくってよ」
 女房は、いささか、色をなして叫んだ。
 過去に起ったそれらの事どもを通観して、私のもとで生れた子供なら、私が案外喜んで育てるだろうことを女房は見ていたのかも知れない。私自身はどうかと云えば、万事生れてみなければ分らない。目下の状態としては、生れるものは仕方がないというアキラメだけであった。ごくワズカに、自分の子供ならうれしいかも知れない、という気持が、探してみれば突きとめることが出来る程度に、存在するだけであった。
 そして、もしも自分の子供であるとすれば、私の怖れたことは、子供に遺伝するかも知れぬクサグサの事どもであった。
 私は昨年から、毎日、天城先生に健康診断していただき、ブドウ糖とビタミンBの注射をうっていただいていた。
 私は天城さんに相談した。
「女房がニンシンしたようですが、生れてくる子供を、生れぬ先に、病毒から救う方法がありますか」
「ええ、ありますとも。婦人科の先生にレンラクしておきますから、さッそくお出かけになったがよろしいでしょう」
 そこで女房は出かけて行ったが、血液検査は例によってマイナスである。しかし、子宮後屈で、お産がむつかしいと云う。私と一しょになってのち、盲腸で手術した結果だそうだ。
「子供を生みたいと思いますか」
 婦人科の先生は、女房にこうきいた。

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