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私は海をだきしめてゐたい(わたしはうみをだきしめていたい)

底本: 坂口安吾全集 04
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1998(平成10)年5月22日
入力に使用: 1998(平成10)年5月22日初版第1刷
校正に使用: 1998(平成10)年5月22日初版第1刷

底本の親本: 文芸 第四巻第一号
出版社:  
初版発行日: 1947(昭和22)年1月1日

 

     一

 私はいつも神様の国へ行かうとしながら地獄の門を潜つてしまふ人間だ。ともかく私は始めから地獄の門をめざして出掛ける時でも、神様の国へ行かうといふことを忘れたことのない甘つたるい人間だつた。私は結局地獄といふものに戦慄したためしはなく、馬鹿のやうにたわいもなく落付いてゐられるくせに、神様の国を忘れることが出来ないといふ人間だ。私は必ず、今に何かにひどい目にヤッツケられて、叩きのめされて、甘つたるいウヌボレのグウの音も出なくなるまで、そしてほんとに足すべらして真逆様まつさかさまに落されてしまふ時があると考へてゐた。
 私はずるいのだ。悪魔の裏側に神様を忘れず、神様の陰で悪魔と住んでゐるのだから。今に、悪魔にも神様にも復讐されると信じてゐた。けれども、私だつて、馬鹿は馬鹿なりに、ここまで何十年か生きてきたのだから、ただは負けない。そのときこそ刀折れ、矢尽きるまで、悪魔と神様を相手に組打ちもするし、蹴とばしもするし、めつたやたらに乱戦乱闘してやらうと悲愴な覚悟をかためて、生きつづけてきたのだ。ずゐぶん甘つたれてゐるけれども、ともかく、いつか、化の皮がはげて、裸にされ、毛をむしられて、突き落される時を忘れたことだけはなかつたのだ。
 利巧な人は、それもお前のずるさのせいだと言ふだらう。私は悪人です、と言ふのは、私は善人ですと、言ふことよりもずるい。私もさう思ふ。でも、何とでも言ふがいいや。私は、私自身の考へることも一向に信用してはゐないのだから。

       二

 私は然し、ちかごろ妙に安心するやうになつてきた。うつかりすると、私は悪魔にも神様にも蹴とばされず、裸にされず、毛をむしられず、無事安穏にすむのぢやないかと変に思ひつく時があるやうになつた。
 さういふ安心を私に与へるのは、一人の女であつた。この女はうぬぼれの強い女で頭が悪くて、貞操の観念がないのである。私はこの女の外のどこも好きではない。ただ肉体が好きなだけだ。
 全然貞操の観念が欠けてゐた。苛々いらいらすると自転車に乗つて飛びだして、帰りには膝小僧だの腕のあたりから血を流してくることがあつた。ガサツな慌て者だから、衝突したり、ひつくり返つたりするのである。そのことは血を見れば分るけれども、然し血の流れぬやうなイタヅラを誰とどこでしてきたかは、私には分らない。分らぬけれども、想像はできるし、又、事実なのだ。
 この女は昔は女郎であつた。それから酒場のマダムとなつて、やがて私と生活するやうになつたが、私自身も貞操の念は稀薄なので、始めから、一定の期間だけの遊びのつもりであつた。この女は娼婦の生活のために、不感症であつた。肉体の感動といふものが、ないのである。
 肉体の感動を知らない女が、肉体的に遊ばずにゐられぬといふのが、私には分らなかつた。精神的に遊ばずにゐられぬといふなら、話は大いに分る。ところが、この女ときては、てんで精神的な恋愛などは考へてをらぬので、この女の浮気といふのは、不感症の肉体をオモチャにするだけのことなのである。
「どうして君はカラダをオモチャにするのだらうね」
「女郎だつたせいよ」
 女はさすがに暗然としてさう言つた。しばらくして私の唇をもとめるので、女の頬にふれると、泣いてゐるのだ。私は女の涙などはうるさいばかりで一向に感動しないたちであるから
「だつて、君、変ぢやないか、不感症のくせに……」
 私が言ひかけると、女は私の言葉を奪ふやうに激しく私にかぢりついて
「苦しめないでよ。ねえ、許してちやうだい。私の過去が悪いのよ」
 女は狂気のやうに私の唇をもとめ、私の愛撫をもとめた。女は鳴咽し、すがりつき、身をもだへたが、然し、それは激情の亢奮だけで、肉体の真実の喜びは、そのときもなかつたのである。
 私の冷めたい心が、女の虚しい激情を冷然と見すくめてゐた。すると女が突然目を見開いた。その目は憎しみにみちてゐた。火のやうな憎しみだつた。

       三

 私は然し、この女の不具な肉体が変に好きになつてきた。真実といふものから見捨てられた肉体はなまじひ真実なものよりも、冷めたい愛情を反映することができるやうな、幻想的な執着を持ちだしたのである。私は女の肉体をだきしめてゐるのでなしに、女の肉体の形をした水をだきしめてゐるやうな気持になることがあつた。
「私なんか、どうせ変チクリンな出来損ひよ。私の一生なんか、どうにでも、勝手になるがいいや」
 女は遊びのあとには、特別自嘲的になることが多かつた。
 女のからだは、美しいからだであつた。腕も脚も、胸も腰も、痩せてゐるやうで肉づきの豊かな、そして肉づきの水々しくやはらかな、見あきない美しさがこもつてゐた。私の愛してゐるのは、ただその肉体だけだといふことを女は知つてゐた。
 女は時々私の愛撫をうるさがつたが、私はそんなことは顧慮しなかつた。私は女の腕や脚をオモチャにしてその美しさをボンヤリ眺めてゐることが多かつた。女もボンヤリしてゐたり、笑ひだしたり、怒つたり憎んだりした。
「怒ることと憎むことをやめてくれないか。ボンヤリしてゐられないのか」
「だつて、うるさいのだもの」
「さうかな。やつぱり君は人間か」
「ぢやア、なによ」
 私は女をおだてるとつけあがることを知つてゐたから黙つてゐた。山の奥底の森にかこまれた静かな沼のやうな、私はそんななつかしい気がすることがあつた。ただ冷めたい、美しい、虚しいものを抱きしめてゐることは、肉慾の不満は別に、せつない悲しさがあるのであつた。女の虚しい肉体は、不満であつても、不思議に、むしろ、清潔を覚えた。私は私のみだらな魂がそれによつて静かに許されてゐるやうな幼いなつかしさを覚えることができた。
 ただ私の苦痛は、こんな虚しい清潔な肉体が、どうして、ケダモノのやうな憑かれた浮気をせずにゐられないのだらうか、といふことだけだつた。私は女の淫蕩の血を憎んだが、その血すらも、時には清潔に思はれてくる時があつた。

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