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邪宗門(じゃしゅうもん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 9:03:37  点击:  切换到繁體中文


        二

 御親子(ごしんし)の間がらでありながら、大殿様と若殿様との間くらい、御容子(ごようす)から御性質まで、うらうえなのも稀(まれ)でございましょう。大殿様は御承知の通り、大兵肥満(だいひょうひまん)でいらっしゃいますが、若殿様は中背(ちゅうぜい)の、どちらかと申せば痩ぎすな御生れ立ちで、御容貌(ごきりょう)も大殿様のどこまでも男らしい、神将のような俤(おもかげ)とは、似もつかない御優しさでございます。これはあの御美しい北の方(かた)に、瓜二(うりふた)つとでも申しましょうか。眉の迫った、眼の涼しい、心もち口もとに癖のある、女のような御顔立ちでございましたが、どこかそこにうす暗い、沈んだ影がひそんでいて、殊に御装束でも召しますと、御立派と申しますより、ほとんど神寂(かみさび)ているとでも申し上げたいくらい、いかにももの静な御威光がございました。
 が、大殿様と若殿様とが、取り分け違っていらしったのは、どちらかと云えば、御気象の方で、大殿様のなさる事は、すべてが豪放(ごうほう)で、雄大で、何でも人目(ひとめ)を驚かさなければ止まないと云う御勢いでございましたが、若殿様の御好みは、どこまでも繊細で、またどこまでも優雅な趣がございましたように存じて居ります。たとえば大殿様の御心もちが、あの堀川の御所(ごしょ)に窺(うかが)われます通り、若殿様が若王子(にゃくおうじ)に御造りになった竜田(たつた)の院は、御規模こそ小そうございますが、菅相丞(かんしょうじょう)の御歌をそのままな、紅葉(もみじ)ばかりの御庭と申し、その御庭を縫っている、清らかな一すじの流れと申し、あるいはまたその流れへ御放しになった、何羽とも知れない白鷺(しらさぎ)と申し、一つとして若殿様の奥床しい御思召(おおぼしめ)しのほどが、現れていないものはございません。
 そう云う次第でございますから、大殿様は何かにつけて、武張(ぶば)った事を御好みになりましたが、若殿様はまた詩歌管絃(しいかかんげん)を何よりも御喜びなさいまして、その道々の名人上手とは、御身分の上下も御忘れになったような、隔てない御つき合いがございました。いや、それもただ、そう云うものが御好きだったと申すばかりでなく、御自分も永年御心を諸芸の奥秘(おうひ)に御潜めになったので、笙(しょう)こそ御吹きになりませんでしたが、あの名高い帥民部卿(そちのみんぶきょう)以来、三舟(さんしゅう)に乗るものは、若殿様御一人(おひとり)であろうなどと、噂のあったほどでございます。でございますから、御家の集(しゅう)にも、若殿様の秀句や名歌が、今に沢山残って居りますが、中でも世上に評判が高かったのは、あの良秀(よしひで)が五趣生死(ごしゅしょうじ)の図を描(か)いた竜蓋寺(りゅうがいじ)の仏事の節、二人の唐人(からびと)の問答を御聞きになって、御詠(およ)みになった歌でございましょう。これはその時磬(うちならし)の模様に、八葉(はちよう)の蓮華(れんげ)を挟(はさ)んで二羽の孔雀(くじゃく)が鋳(い)つけてあったのを、その唐人たちが眺めながら、「捨身惜花思(しゃしんしゃっかし)」と云う一人の声の下から、もう一人が「打不立有鳥(だふりゅううちょう)」と答えました――その意味合いが解(げ)せないので、そこに居合わせた人々が、とかくの詮議立てをして居りますと、それを御聞きになった若殿様が、御持ちになった扇の裏へさらさらと美しく書き流して、その人々のいる中へ御遣(おつかわ)しになった歌でございます。

身をすてて花を惜しやと思ふらむ打てども
立たぬ鳥もありけり

 

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