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邪宗門(じゃしゅうもん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 9:03:37  点击:  切换到繁體中文


        三

 大殿様と若殿様とは、かように万事がかけ離れていらっしゃいましたから、それだけまた御二方(おふたかた)の御仲(おんなか)にも、そぐわない所があったようでございます。これにも世間にはとかくの噂がございまして、中には御親子(ごしんし)で、同じ宮腹(みやばら)の女房を御争いになったからだなどと、申すものもございますが、元よりそのような莫迦(ばか)げた事があろう筈はございません。何でも私(わたくし)の覚えて居ります限りでは、若殿様が十五六の御年に、もう御二方の間には、御不和の芽がふいていたように御見受け申しました。これが前にもちょいと申し上げて置きました、若殿様が笙(しょう)だけを御吹きにならないと云う、その謂(い)われに縁のある事なのでございます。
 その頃、若殿様は大そう笙を御好みで、遠縁の従兄(いとこ)に御当りなさる中御門(なかみかど)の少納言(しょうなごん)に、御弟子入(おでしいり)をなすっていらっしゃいました。この少納言は、伽陵(がりょう)と云う名高い笙と、大食調入食調(だいじきちょうにゅうじきちょう)の譜とを、代々御家に御伝えになっていらっしゃる、その道でも稀代(きだい)の名人だったのでございます。
 若殿様はこの少納言の御手許で、長らく切磋琢磨(せっさたくま)の功を御積みになりましたが、さてその大食調入食調(だいじきちょうにゅうじきちょう)の伝授を御望みになりますと、少納言はどう思召したのか、この仰せばかりは御聞き入れになりません。それが再三押して御頼みになっても、やはり御満足の行くような御返事がなかったので、御年若な若殿様は、一方ならず残念に思召したのでございましょう。ある日大殿様の双六(すごろく)の御相手をなすっていらっしゃる時に、ふとその御不満を御洩しになりました。すると大殿様はいつものように鷹揚(おうよう)に御笑いになりながら、「そう不平は云わぬものじゃ。やがてはその譜も手にはいる時節があるであろう。」と、やさしく御慰めになったそうでございます。ところがそれから半月とたたないある日の事、中御門の少納言は、堀川の御屋形(おやかた)の饗(さかもり)へ御出になった帰りに、俄(にわか)に血を吐いて御歿(おなくな)りになってしまいました。が、それは先ず、よろしいと致しましても、その明くる日、若殿様が何気なく御居間へ御出でになると、螺鈿(らでん)を鏤(ちりば)めた御机の上に、あの伽陵(がりょう)の笙と大食調入食調の譜とが、誰が持って来たともなく、ちゃんと載っていたと申すではございませんか。
 その後(のち)また大殿様が若殿様を御相手に双六(すごろく)を御打ちになった時、
「この頃は笙も一段と上達致したであろうな。」と、念を押すように仰有(おっしゃ)ると、若殿様は静に盤面(ばんめん)を御眺めになったまま、
「いや笙はもう一生、吹かない事に致しました。」と、冷かに御答えになりました。
「何としてまた、吹かぬ事に致したな。」
「聊(いささ)かながら、少納言の菩提(ぼだい)を弔(とむら)おうと存じますから。」
 こう仰有(おっしゃ)って若殿様は、じっと父上の御顔を御見つめになりました。が、大殿様はまるでその御声が聞えないように勢いよく筒(とう)を振りながら、
「今度もこの方が無地勝(むじがち)らしいぞ。」とさりげない容子(ようす)で勝負を御続けになりました。でございますからこの御問答は、それぎり立ち消えになってしまいましたが、御親子の御仲には、この時からある面白くない心もちが、挟まるようになったかと存ぜられます。

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