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忠義(ちゅうぎ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 14:12:24  点击:  切换到繁體中文



 病弱な修理は、第一に、林右衛門の頑健な体を憎んだ。それから、本家ほんけ附人つけびととして、彼がいんに持っている権柄けんぺいを憎んだ。最後に、彼の「家」を中心とする忠義を憎んだ。「しゅうしゅうとも思わぬ奴じゃ。」――こう云う修理の語のうちには、これらの憎しみが、くすぶりながら燃える火のように、暗い焔を蔵していたのである。
 そこへ、突然、思いがけない非謀ひぼうが、内室ないしつの口によって伝えられた。林右衛門は修理を押込め隠居にして、板倉佐渡守の子息を養子に迎えようとする。それが、偶然、内室の耳へれた。――これを聞いた修理が、まなじりを裂いて憤ったのは無理もない。
 成程、林右衛門は、板倉家を大事に思うかも知れない。が、忠義と云うものは現在つかえている主人をないがしろにしてまでも、「家」のためを計るべきものであろうか。しかも、林右衛門の「家」をうれえるのは、杞憂きゆうと云えば杞憂である。彼はその杞憂のために、自分を押込め隠居にしようとした。あるいはその物々しい忠義よばわりの後に、あわよくば、家を横領しようとする野心でもあるのかも知れない。――そう思うと修理は、どんな酷刑こっけいでも、この不臣のおこないを罰するには、軽すぎるように思われた。
 彼は、内室からこの話を聞くと、すぐに、以前彼の乳人めのとを勤めていた、田中宇左衛門という老人を呼んで、こう言った。
「林右衛門めをしばり首にせい。」
 宇左衛門は、半白の頭を傾けた。年よりもふけた、彼の顔は、この頃の心労で一層しわを増している。――林右衛門のくわだては、彼も快くは思っていない。が、何と云っても相手は本家からの附人つけびとである。
「縛り首は穏便おんびんでございますまい。武士らしく切腹でも申しつけまするならば、格別でございますが。」
 修理はこれを聞くと、嘲笑あざわらうような眼で、宇左衛門を見た。そうして、二三度強く頭を振った。
「いや人でなしに、切腹を申しつけるかどはない。縛り首にせい。縛り首にじゃ。」
 が、そう云いながら、どうしたのか、彼は、血の色のないほおへ、はらはらと涙を落した。そうして、それから――いつものように両手で、びんの毛をかきむしり始めた。

       ―――――――――――――――――――――――――

 縛り首にしろと云う命が出た事は、ただちに腹心の近習きんじゅから、林右衛門に伝えられた。
「よいわ。この上は、林右衛門も意地ずくじゃ。手をこまぬいて縛り首もうたれまい。」
 彼は昂然として、こう云った。そうして、今まで彼につきまとっていた得体えたいの知れない不安が、この沙汰を聞くと同時に、跡方なく消えてしまうのを意識した。今の彼の心にあるものは、修理に対するあからさまな憎しみである。もう修理は、彼にとって、主人ではない。その修理を憎むのに、何のはばかる所があろう。――彼の心の明るくなったのは、無意識ながら、全く彼がこう云う論理を、刹那せつなの間に認めたからである。
 そこで、彼は、妻子家来を引き具して、白昼、修理の屋敷を立ち退いた。作法さほう通り、立ち退き先の所書きは、座敷の壁にってある。やりも、林右衛門自ら、小腋こわきにして、先に立った。武具をになったり、足弱をたすけたりしている若党草履ぞうり取を加えても、一行の人数にんずは、漸く十人にすぎない。それが、とり乱した気色もなく、つれ立って、門を出た。
 延享えんきょう四年三月の末である。門の外では、生暖なまあたたかい風が、桜の花と砂埃すなほこりとを、一つに武者窓へふきつけている。林右衛門は、その風の中に立って、もう一応、往来の右左を見廻した。そうして、それから槍で、一同に左へ行けと相図をした。

     二 田中宇左衛門

 林右衛門りんえもんの立ち退いた後は、田中宇左衛門が代って、家老を勤めた。彼は乳人めのとをしていた関係上、修理しゅりを見る眼が、おのずからほかの家来とはちがっている。彼は親のような心もちで、修理の逆上ぎゃくじょうをいたわった。修理もまた、彼にだけは、比較的従順に振舞ったらしい。そこで、主従の関係は、林右衛門のいた時から見ると、遥になめらかになって来た。
 宇左衛門は、修理の発作ほっさが、夏が来ると共に、漸くおこたり出したのを喜んだ。彼も万一修理が殿中で無礼を働きはしないかと云う事を、おそれない訳ではない。が、林右衛門は、それを「家」にかかわる大事として、惧れた。併し、彼は、それを「しゅう」に関る大事として惧れたのである。
 勿論、「家」と云う事も、彼の念頭にはのぼっていた。が、変があるにしてもそれは単に、「家」を亡すが故に、大事なのではない。「しゅう」をして、「家」を亡さしむるが故に――「しゅう」をして、不孝の名を負わしむるが故に、大事なのである。では、その大事を未然みぜんに防ぐには、どうしたら、いいであろうか。この点になると、宇左衛門は林右衛門ほど明瞭な、意見を持っていないようであった。恐らく彼は、神明の加護と自分の赤誠とで、修理の逆上の鎮まるように祈るよりほかは、なかったのであろう。
 その年の八月一日、徳川幕府では、所謂いわゆる八朔はっさくの儀式を行う日に、修理は病後初めての出仕しゅっしをした。そうして、そのついでに、当時西丸にしまるにいた、若年寄の板倉佐渡守を訪うて、帰宅した。が、別に殿中では、何も※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)そそうをしなかったらしい。宇左衛門は、始めて、愁眉しゅうびを開く事が出来るような心もちがした。
 しかし、彼の悦びは、その日一日だけも、続かなかった。よるになると間もなく、板倉佐渡守から急な使があって、早速来るようにと云う沙汰が、凶兆きょうちょうのように彼をおびやかしたからである。夜陰に及んで、突然召しを受ける。――そう云う事は、林右衛門の代から、まだ一度も聞いた事がない。しかも今日は、初めて修理が登城をした日である。――宇左衛門は、不吉ふきつな予感に襲われながら、あわただしく佐渡守の屋敷へ参候した。
 すると、果して、修理が佐渡守に無礼の振舞があったと云う話である。――今日出仕を終ってから、修理は、白帷子しろかたびら長上下ながかみしものままで、西丸の佐渡守を訪れた。見た所、顔色かおいろもすぐれないようだから、あるいはまだ快癒がはかばかしくないのかと思ったが、話して見ると、格別、病人らしい容子ようすもない。そこで安心して、暫く世間話をしている中に、偶然、佐渡守が、いつものように前島林右衛門の安否を訊ねた。すると、修理は急に額を暗くして、「林右衛門めは、先頃さきごろ、手前屋敷を駈落かけおち致してござる。」と云う。林右衛門が、どう云う人間かと云う事は、佐渡守もよく知っている。何か仔細しさいがなくては、みだり主家しゅかを駈落ちなどする男ではない。こう思ったから、佐渡守は、その仔細を尋ねると同時に、本家からの附人つけびとにどう云う間違いが起っても、親類中へ相談なり、知らせなりしないのは、おだやかでない旨を忠告した。ところが、修理は、これを聞くと、眼の色を変えながら、刀のつかへ手をかけて、「佐渡守殿は、別して、林右衛門めを贔屓ひいきにせられるようでござるが、手前家来の仕置は、不肖ながら手前一存で取計らい申す。如何に当時出頭しゅっとうの若年寄でも、いらぬ世話はお置きなされい。」と云う口上である。そこでさすがの佐渡守も、あまりの事にあきれ返って、御用繁多を幸に、早速その場をはずしてしまった。――
「よいか。」ここまで話して来て、佐渡守は、今更のように、苦い顔をした。
 ――第一に、林右衛門の立ち退いた趣を、一門衆へ通達しないのは、宇左衛門の罪である。第二に、まだ逆上の気味のある修理を、登城させたのも、やはり彼の責を免れない。佐渡守だったから、いいが、もし今日のような雑言ぞうごんを、列座の大名衆にでも云ったとしたら、板倉家七千石は、たちまち、改易かいえきになってしまう。――
「そこでじゃ。今後は必ずとも、他出無用に致すように、別して、出仕登城の儀は、その方より、堅くさし止むるがよい。」
 佐渡守は、こう云って、じろりと宇左衛門を見た。
しゅうにつれて、その方まで逆上しそうなのが、心配じゃ。よいか。きっと申しつけたぞ。」
 宇左衛門は眉をひそめながら、思切った声で答えた。
「よろしゅうござりまする、しかと向後こうごは慎むでございましょう。」
「おお、二度とあやまちをせぬのが、何よりじゃ。」
 佐渡守は、吐き出すように、こう云った。
「その儀は、宇左衛門、一命にかけて、承知仕りました。」
 彼は、眼に涙をためながら懇願するように、佐渡守を見た。が、その眼の中には、哀憐あいれんを請う情と共に、犯し難い決心の色が、浮んでいる。――必ず修理の他出を、禁ずる事が出来ると云う決心ではない。禁ずる事が出来なかったら、どうすると云う、決心である。
 佐渡守は、これを見ると、また顔をしかめながら、面倒臭そうに、横を向いた。

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