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偸盗(ちゅうとう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 14:13:53  点击:  切换到繁體中文



       三

 猪熊(いのくま)のばばに別れた太郎は、時々扇で風を入れながら、日陰も選ばず、朱雀(すざく)の大路(おおじ)を北へ、進まない歩みをはこんだ。――
 日中の往来は、人通りもきわめて少ない。栗毛(くりげ)の馬に平文(ひらもん)の鞍(くら)を置いてまたがった武士が一人、鎧櫃(よろいびつ)を荷なった調度掛(ちょうどが)けを従えながら、綾藺笠(あやいがさ)に日をよけて、悠々(ゆうゆう)と通ったあとには、ただ、せわしない燕(つばくら)が、白い腹をひらめかせて、時々、往来の砂をかすめるばかり、板葺(いたぶき)、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根の向こうに、むらがっているひでり雲(ぐも)も、さっきから、凝然と、金銀銅鉄を熔(と)かしたまま、小ゆるぎをするけしきはない。まして、両側に建て続いた家々は、いずれもしんと静まり返って、その板蔀(いたじとみ)や蒲簾(かますだれ)の後ろでは、町じゅうの人がことごとく、死に絶えてしまったかとさえ疑われる。――

 猪熊(いのくま)のばばの言ったように、沙金(しゃきん)を次郎に奪われるという恐れは、ようやく目の前に迫って来た。あの女が、――現在養父にさえ、身を任せたあの女が、あばたのある、片目の、醜いおれを、日にこそ焼けているが目鼻立ちの整った、若い弟に見かえるのは、もとよりなんの不思議もない。おれは、ただ、次郎が、――子供の時から、おれを慕ってくれたあの次郎が、おれの心もちを察してくれて、よしや沙金のほうから手を出してもその誘惑に乗らないだけの、慎みを持ってくれる事と、いちずに信じ切っていた。が、今になって考えれば、それは、弟を買いかぶった、虫のいい量見(りょうけん)に過ぎなかった。いや、弟を見上げすぎたというよりも、沙金のみだらな媚(こ)びのたくみを、見下げすぎた誤りだった。ひとり次郎ばかりではない。あの女のまなざし一つで、身を滅ぼした男の数は、この炎天にひるがえる燕(つばくら)の数(かず)よりも、たくさんある。現にこう言うおれでさえ、ただ一度、あの女を見たばかりで、とうとう今のように、身をおとした。……

 すると四条坊門(しじょうぼうもん)の辻(つじ)を、南へやる赤糸毛(あかいとげ)の女車(おんなぐるま)が、静かに太郎の行く手を通りすぎる。車の中の人は見えないが、紅(べに)の裾濃(すそご)に染めた、すずしの下簾(したすだれ)が、町すじの荒涼としているだけに、ひときわ目に立ってなまめかしい。それにつき添った牛飼いの童(わらべ)と雑色(ぞうしき)とは、うさんらしく太郎のほうへ目をやったが、牛だけは、角(つの)をたれて、漆のように黒い背を鷹揚(おうよう)にうねらしながら、わき見もせずに、のっそりと歩いてゆく。しかしとりとめのない考えに沈んでいる太郎には、車の金具の、まばゆく日に光ったのが、わずかに目にはいっただけである。
 彼は、しばらく足をとめて、車を通りこさせてから、また片目を地に伏せて、黙々と歩きはじめた。――

(おれが右の獄(ひとや)の放免(ほうめん)をしていた時の事を思えば、今では、遠い昔のような、心もちがする。あの時のおれと今のおれとを比べれば、おれ自身にさえ、同じ人間のような気はしない。あのころのおれは、三宝を敬う事も忘れなければ、王法にしたがう事も怠らなかった。それが、今では、盗みもする。時によっては、火つけもする。人を殺した事も、二度や三度ではない。ああ、昔のおれは――仲間の放免といっしょになって、いつもの七半(しちはん)を打ちながら、笑い興じていた、あの昔のおれは、今のおれの目から見ると、どのくらいしあわせだったかわからない。
 考えれば、まだきのうのように思われるが、実はもう一年前(まえ)になった。――あの女が、盗みの咎(とが)で、検非違使(けびいし)の手から、右の獄(ひとや)へ送られる。おれがそれと、ふとした事から、牢格子(ろうごうし)を隔てて、話し合うような仲になる。それから、その話が、だんだんたび重なって、いつか互いに身の上の事まで、打ち明け始める。とうとう、しまいには、猪熊(いのくま)のばばや同類の盗人が、牢(ろう)を破ってあの女を救い出すのを、見ないふりをして、通してやった。
 その晩から、おれは何度となく、猪熊のばばの家へ出はいりをした。沙金(しゃきん)は、おれの行(ゆ)く時刻を見はからって、あの半蔀(はじとみ)の間から、雀色時(すずめいろどき)の往来をのぞいている。そうしておれの姿が見えると、鼠鳴(ねずみな)きをして、はいれと言う。家の中には、下衆女(げすおんな)の阿濃(あこぎ)のほかに、たれもいない。やがて、蔀(しとみ)をおろす。結び燈台へ火をつける。そうして、あの何畳かの畳の上に、折敷(おしき)や高坏(たかつき)を、所狭く置きならべて、二人ぎりの小酒盛(こざかもり)をする。そのあげくが、笑ったり、泣いたり、けんかをしたり、仲直りをしたり――言わば、世間並みの恋人どうしが、するような事をして、いつでも夜を明かした。
 日の暮れに来て、夜(よ)のひき明け方に帰る。――あれが、それでも一月(ひとつき)は続いたろう。そのうちに、おれには沙金が猪熊のばばのつれ子である事、今では二十何人かの盗人の頭(かしら)になって、時々洛中(らくちゅう)をさわがせている事、そうしてまた、日ごろは容色を売って、傀儡(くぐつ)同様な暮らしをしている事――そういう事が、だんだんわかって来た。が、それは、かえってあの女に、双紙の中の人間めいた、不思議な円光をかけるばかりで、少しも卑しいなどという気は起こさせない。無論、あの女は、時々おれに、いっそ仲間へはいれと言う。が、おれはいつも、承知しない。すると、あの女は、おれの事を臆病(おくびょう)だと言って、ばかにする。おれはよくそれで、腹を立てた。………)

「はい、はい」と馬をしかる声がする。太郎は、あわてて、道をよけた。
 米俵を二俵ずつ、左右へ積んだ馬をひいて、汗衫(かざみ)一つの下衆(げす)が、三条坊門の辻(つじ)を曲がりながら、汗もふかずに、炎天の大路(おおじ)を南へ下って来る。その馬の影が、黒く地面に焼きついた上を、燕(つばくら)が一羽、ひらり羽根を光らせて、すじかいに、空(そら)へ舞い上がった。と思うと、それがまた礫(つぶて)を投げるように、落として来て、太郎の鼻の先を一文字に、向こうの板庇(いたびさし)の下へはいる。
 太郎は、歩きながら、思い出したように、はたはたと、黄紙(きがみ)の扇を使った。――

(そういう月日が、続くともなく続くうちに、おれは、偶然あの女と養父との関係に、気がついた。もっともおれ一人が、沙金(しゃきん)を自由にする男でないという事も、知っていなかったわけではない。沙金自身さえ、関係した公卿(くげ)の名や法師の名を、何度も自慢らしくおれに話した事がある。が、おれはこう思った。あの女の肌(はだ)は、おおぜいの男を知っているかもしれない。けれども、あの女の心は、おれだけが占有している。そうだ、女の操(みさお)は、からだにはない。――おれは、こう信じて、おれの嫉妬(しっと)をおさえていた。もちろんこれも、あの女から、知らず知らずおれが教わった、考え方にすぎないかもしれない。が、ともかくもそう思うと、おれの苦しい心はいくぶんか楽(らく)になった。しかし、あの女と養父との関係は、それとちがう。
 おれは、それを感づいた時に、なんとも言えず、不快だった。そういう事をする親子なら、殺して飽きたらない。それを黙って見る実の母の、猪熊(いのくま)のばばもまた、畜生より、無残なやつだ。こう思ったおれは、あの酔いどれのおやじの顔を見るたびに、何度太刀(たち)へ手をかけたか、わからない。が、沙金はそのたびに、おれの前で、ことさら、手ひどく養父をばかにした。そうしてその見え透いた手くだがまた、不思議におれの心を鈍らせた。「わたしはおとうさんがいやでいやでしかたがないんです」と言われれば、養父をにくむ気にはなっても、沙金をにくむ気には、どうしてもなれない。そこで、おれと養父とは、きょうがきょうまで、互いににらみ合いながら、何事もなくすぎて来た。もしあのおじじにもう少し、勇気があったなら、――いや、おれにもう少し、勇気があったなら、おれたちはとうの昔、どちらか死んでいた事であろう。……)

 頭を上げると、太郎はいつか二条を折れて、耳敏川(みみとがわ)にまたがっている、小さい橋にかかっていた。水のかれた川は、細いながらも、焼(や)き太刀(だち)のように、日を反射して、絶えてはつづく葉柳(はやなぎ)と家々との間に、かすかなせせらぎの音を立てている。その川のはるか下に、黒いものが二つ三つ、鵜(う)の鳥かと思うように、流れの光を乱しているのは、おおかた町の子供たちが、水でも浴びているのであろう。
 太郎の心には、一瞬の間、幼かった昔の記憶が、――弟といっしょに、五条の橋の下で、鮠(はえ)を釣(つ)った昔の記憶が、この炎天に通う微風のように、かなしく、なつかしく、返って来た。が、彼も弟も、今は昔の彼らではない。
 太郎は、橋を渡りながら、うすいあばたのある顔に、また険しい色をひらめかせた。――

(すると、突然ある日、そのころ筑後(ちくご)の前司(ぜんじ)の小舎人(ことねり)になっていた弟が、盗人の疑いをかけられて、左の獄(ひとや)へ入れられたという知らせが来た。放免(ほうめん)をしているおれには、獄中の苦しさが、たれよりもよく、わかっている。おれは、まだ筋骨のかたまらない弟の身の上を、自分の事のように、心配した。そこで、沙金(しゃきん)に相談すると、あの女はさもわけがなさそうに、「牢(ろう)を破ればいいじゃないの」と言う。かたわらにいた猪熊(いのくま)のばばも、しきりにそれをすすめてくれる。おれは、とうとう覚悟をきめて、沙金といっしょに、五六人の盗人を語り集めた。そうして、その夜のうちに、獄(ひとや)をさわがして、難なく弟を救い出した。その時、受けた傷の跡は、今でもおれの胸に残っている。が、それよりも忘れられないのは、おれがその時始めて、放免(ほうめん)の一人を切り殺した事であった。あの男の鋭い叫び声と、それから、あの血のにおいとは、いまだにおれの記憶を離れない。こう言う今でも、おれはそれを、この蒸し暑い空気の中に、感じるような心もちがする。
 その翌日から、おれと弟とは、猪熊の沙金の家で、人目を忍ぶ身になった。一度罪を犯したからは、正直に暮らすのも、あぶない世渡りをしてゆくのも、検非違使(けびいし)の目には、変わりがない。どうせ死ぬくらいなら、一日も長く生きていよう。そう思ったおれは、とうとう沙金の言うなりになって、弟といっしょに盗人の仲間入りをした。それからのおれは、火もつける。人も殺す。悪事という悪事で、なに一つしなかったものはない。もちろん、それも始めは、いやいやした。が、してみると、意外に造作(ぞうさ)がない。おれはいつのまにか、悪事を働くのが、人間の自然かもしれないと思いだした。……)

 太郎は、半ば無意識に辻(つじ)をまがった。辻には、石でまわりを積んだ一囲いの土饅頭(どまんじゅう)があって、その上に石塔婆(せきとうば)が二本、並んで、午後の日にかっと、照りつけられている。その根元にはまた、何匹かのとかげが、煤(すす)のように黒いからだを、気味悪くへばりつかせていたが、太郎の足音に驚いたのであろう、彼の影の落ちるよりも早く、一度にざわめきながら、四方へ散った。が、太郎は、それに目をやるけしきもない。――
「おれは、悪事をつむに従って、ますます沙金(しゃきん)に愛着(あいじゃく)を感じて来た。人を殺すのも、盗みをするのも、みんなあの女ゆえである。――現に牢(ろう)を破ったのさえ、次郎を助けようと思うほかに、一人の弟を見殺しにすると、沙金にわらわれるのを、おそれたからであった。――そう思うと、なおさらおれは、何に換えても、あの女を失いたくない。
 その沙金を、おれは今、肉身の弟に奪われようとしている。おれが命を賭(か)けて助けてやった、あの次郎に奪われようとしている。奪われようとしているのか、あるいは、もう奪われているのか、それさえも、はっきりはわからない。沙金(しゃきん)の心を疑わなかったおれは、あの女がほかの男をひっぱりこむのも、よくない仕事の方便として、許していた。それから、養父との関係も、あのおじじが親の威光で、何も知らないうちに、誘惑したと思えば、目をつぶって、すごせない事はない。が、次郎との仲は、別である。
 おれと弟とは、気だてが変わっているようで、実は見かけほど、変わっていない。もっとも顔かたちは、七八年前(まえ)の痘瘡(もがさ)が、おれには重く、弟には軽かったので、次郎は、生まれついた眉目(みめ)をそのままに、うつくしい男になったが、おれはそのために片目つぶれた、生まれもつかない不具になった。その醜い、片目のおれが、今まで沙金の心を捕えていたとすれば、(これも、おれのうぬぼれだろうか。)それはおれの魂の力に相違ない。そうして、その魂は、同じ親から生まれた弟も、おれに変わりなく持っている。しかも、弟は、たれの目にもおれよりはうつくしい。そういう次郎に、沙金が心をひかれるのは、もとより理の当然である。その上また、次郎のほうでも、おれにひきくらべて考えれば、到底あの女の誘惑に、勝てようとは思われない。いや、おれは、始終おれの醜い顔を恥じている。そうして、たいていの情事には、おのずからひかえ目になっている。それでさえ、沙金には、気違いのように、恋をした。まして、自分の美しさを知っている次郎が、どうして、あの女の見せる媚(こ)びを、返さずにいられよう。――
 こう思えば、次郎と沙金(しゃきん)とが、近づくようになるのは、無理もない。が、無理がないだけ、それだけ、おれには苦痛である。弟は、沙金をおれから奪おうとする。――それも、沙金の全部を、おれから奪おうとする。いつかは、そうして必ず。ああ、おれの失うのは、ひとり沙金ばかりではない。弟もいっしょに失うのだ。そうして、そのかわりに、次郎と言う名の敵(かたき)ができる。――おれは、敵(かたき)には用捨しない。敵(かたき)も、おれに用捨はしないだろう。そうなれば、落ち着くところは、今からあらかじめわかっている。弟を殺すか、おれが殺されるか。……)

 太郎は、死人(しびと)のにおいが、鋭く鼻を打ったのに、驚いた。が、彼の心の中の死が、におったというわけではない。見ると、猪熊(いのくま)の小路のあたり、とある網代(あじろ)の塀(へい)の下に腐爛(ふらん)した子供の死骸(しがい)が二つ、裸のまま、積み重ねて捨ててある。はげしい天日(てんぴ)に、照りつけられたせいか、変色した皮膚のところどころが、べっとりと紫がかった肉を出して、その上にはまた青蝿(あおばえ)が、何匹となく止まっている。そればかりではない。一人の子供のうつむけた顔の下には、もう足の早い蟻(あり)がついた。――
 太郎は、まのあたりに、自分の行く末を見せつけられたような心もちがした。そうして、思わず下くちびるを堅くかんだ。――
「ことに、このごろは、沙金(しゃきん)もおれを避けている。たまに会っても、いい顔をした事は、一度もない。時々はおれに面(めん)と向かって、悪口(あっこう)さえきく事がある。おれはそのたびに腹を立てた。打った事もある。蹴(け)った事もある。が、打っているうちに、蹴っているうちに、おれはいつでも、おれ自身を折檻(せっかん)しているような心もちがした。それも無理はない。おれの二十年の生涯(しょうがい)は、沙金のあの目の中に宿っている。だから沙金を失うのは、今までのおれを失うのと、変わりはない。
 沙金を失い、弟を失い、そうしてそれとともにおれ自身を失ってしまう。おれはすべてを失う時が来たのかもしれない。……)

 そう思ううちに、彼は、もう猪熊(いのくま)のばばの家の、白い布をぶら下げた戸口へ来た。まだここまでも、死人(しびと)のにおいは、伝わって来るが、戸口のかたわらに、暗い緑の葉をたれた枇杷(びわ)があって、その影がわずかながら、涼しく窓に落ちている。この木の下を、この戸口へはいった事は、何度あるかわからない。が、これからは?
 太郎は、急にある気づかれを感じて、一味の感傷にひたりながら、その目に涙をうかべて、そっと戸口へ立ちよった。すると、その時である。家の中から、たちまちけたたましい女の声が、猪熊(いのくま)の爺(おじ)の声に交じって、彼の耳を貫ぬいた。沙金(しゃきん)なら、捨ててはおけない。
 彼は、入り口の布をあげて、うすぐらい家の中へ、せわしく一足ふみ入れた。

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