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報恩記(ほうおんき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-17 15:01:06  点击:  切换到繁體中文


 弥三右衛門はこう云ったなり、驚いたようにわたしを眺めました。これは驚いたのも無理はありません。わたしはその時声もかけずに、さかいふすまを明けたのですから。――しかもわたしの身なりと云えば、雲水うんすいに姿をやつした上、網代あじろの笠を脱いだ代りに、南蛮頭巾なんばんずきんをかぶっていたのですから。
「誰だ、おぬしは?」
 弥三右衛門は年はとっていても、咄嗟とっさに膝を起しました。
「いや、御驚きになるには及びません。わたしは阿媽港甚内と云うものです。――まあ、御静かになすって下さい。阿媽港甚内は盗人ぬすびとですが、今夜突然参上したのは、少しほかにもわけがあるのです。――」
 わたしは頭巾ずきんを脱ぎながら、弥三右衛門の前に坐りました。
 そののちの事は話さずとも、あなたには推察出来るでしょう。わたしは北条屋ほうじょうや危急ききゅうを救うために、三日と云う日限にちげんを一日も違えず、六千貫のかねを調達する、恩返しの約束を結んだのです。――おや、誰か戸の外に、足音が聞えるではありませんか? では今夜は御免下さい。いずれ明日あす明後日あさってよる、もう一度ここへしのんで来ます。あの大十字架おおくるすの星の光は阿媽港あまかわの空には輝いていても、日本にっぽんの空には見られません。わたしもちょうどああ云うように日本では姿をくらませていないと、今夜「みさ」を願いに来た、「ぽうろ」の魂のためにもすまないのです。
 何、わたしの逃げみちですか? そんな事は心配に及びません。この高い天窓てんまどからでも、あの大きい暖炉だんろからでも、自由自在に出て行かれます。ついてはどうか呉々くれぐれも、恩人「ぽうろ」の魂のために、一切他言たごんつつしんで下さい。

     北条屋弥三右衛門の話

 伴天連ばてれん様。どうかわたしの懺悔ざんげを御聞き下さい。御承知でも御座いましょうが、この頃世上に噂の高い、阿媽港甚内あまかわじんないと云う盗人ぬすびとがございます。根来寺ねごろでらの塔に住んでいたのも、殺生関白せっしょうかんぱく太刀たちを盗んだのも、また遠い海のそとでは、呂宋るそんの太守を襲ったのも、皆あの男だとか聞き及びました。それがとうとうからめとられた上、今度一条もどばしのほとりに、さらくびになったと云う事も、あるいは御耳にはいって居りましょう。わたしはあの阿媽港甚内に一方ひとかたならぬ大恩をこうむりました。が、また大恩を蒙っただけに、ただ今では何とも申しようのない、悲しい目にもったのでございます。どうかその仔細しさいを御聞きの上、罪びと北条屋弥三右衛門ほうじょうややそうえもんにも、天帝の御愛憐を御祈り下さい。
 ちょうど今から二年ばかり以前の、冬の事でございます。ずっとしけばかり続いたために、持ち船の北条丸ほうじょうまるは沈みますし、げ銀は皆倒れますし、――それやこれやの重なった揚句あげく、北条屋一家は分散のほかに、仕方のない羽目はめになってしまいました。御承知の通り町人には取引き先はございましても、友だちと申すものはございません。こうなればもう我々の家業は、うず潮に吸われた大船おおぶねも同様、まっさかさまに奈落ならくの底へ、落ちこむばかりなのでございます。するとある夜、――今でもこのの事は忘れません。あるこがらしの烈しいよるでございましたが、わたし共夫婦は御存知のかこいに、夜のけるのも知らず話して居りました。そこへ突然はいって参ったのは、雲水うんすいの姿に南蛮頭巾なんばんずきんをかぶった、あの阿媽港甚内あまかわじんないでございます。わたしは勿論驚きもすれば、またいかりも致しました。が、甚内の話を聞いて見ますと、あの男はやはり盗みを働きに、わたしの宅へ忍びこみましたが、茶室にはいまだ火影ほかげばかりか、人の話し声が聞えている、そこで襖越ふすまごしに、のぞいて見ると、この北条屋弥三右衛門は、甚内の命を助けた事のある、二十年以前の恩人だったと、こう云う次第ではございませんか?
 なるほどそう云われて見れば、かれこれ二十年にもなりましょうか、まだわたしが阿媽港あまかわ通いの「ふすた」船の船頭を致していた頃、あそこへ船がかりをしている内に、ひげさえろくにない日本人を一人、助けてやった事がございます。何でもその時の話では、ふとした酒の上の喧嘩けんかから、唐人とうじんを一人殺したために、追手おってがかかったとか申して居りました。して見ればそれが今日こんにちでは、あの阿媽港甚内と云う、名代なだい盗人ぬすびとになったのでございましょう。わたしはとにかく甚内の言葉も嘘ではない事がわかりましたから、一家のものの寝ているのを幸い、まずその用向きを尋ねて見ました。
 すると甚内の申しますには、あの男の力に及ぶ事なら、二十年以前の恩返しに、北条屋の危急を救ってやりたい、差当さしあた入用いりよう金子きんすの高は、どのくらいだと尋ねるのでございます。わたしは思わず苦笑くしょう致しました。盗人に金を調達して貰う、――それが可笑おかしいばかりではございません。いかに阿媽港甚内でも、そう云う金があるくらいならば、何もわざわざわたしの宅へ、盗みにはいるにも当りますまい。しかしその金高きんだかを申しますと、甚内は小首こくびを傾けながら、今夜の内にはむずかしいが、三日も待てば調達しようと、無造作むぞうさに引き受けたのでございます。が、何しろ入用なのは、六千貫と云う大金でございますから、きっと調達出来るかどうか、てになるものではございません。いや、わたしの量見りょうけんでは、まずさいの目をたのむよりも、覚束おぼつかないと覚悟をきめていました。
 甚内はそのわたしの家内に、悠々と茶なぞ立てさせた上、こがらしの中を帰って行きました。が、その翌日になって見ても、約束の金は届きません。二日目も同様でございました。三日目は、――この日は雪になりましたが、やはりに入ってしまったのちも、何一つ便りはありません。わたしは前に甚内の約束は、当にして居らぬと申し上げました。が、店のものにもひまを出さず、成行きにまかせていた所を見ると、それでも幾分か心待ちには、待っていたのでございましょう。また実際三日目のには、囲いの行燈あんどんに向っていても、雪折れの音のする度毎に、聞き耳ばかり立てて居りました。
 所が三更さんこうも過ぎた時分、突然茶室のそとの庭に、何か人の組み合うらしい物音が聞えるではございませんか? わたしの心にひらめいたのは、勿論もちろん甚内の身の上でございます。もしやでもかかったのではないか?――わたしは咄嗟とっさにこう思いましたから、庭に向いた障子しょうじを明けるが早いか、行燈あんどんの火をかかげて見ました。雪の深い茶室の前には、大明竹だいみんちくの垂れ伏したあたりに、誰か二人つかみ合っている――と思うとその一人は、飛びかかる相手を突き放したなり、庭木のかげをくぐるように、たちまち塀の方へ逃げ出しました。雪のはだれる音、塀にじ登る音、――それぎりひっそりしてしまったのは、もうどこかへいの外へ、無事に落ち延びたのでございましょう。が、突き放された相手の一人は、格別跡を追おうともせず、体の雪を払いながら、静かにわたしの前へ歩み寄りました。
「わたしです。阿媽港甚内あまかわじんないですよ。」
 わたしは呆気あっけにとられたまま、甚内の姿を見守りました。甚内は今夜も南蛮頭巾なんばんずきんに、袈裟法衣けさころもを着ているのでございます。
「いや、とんださわぎをしました。誰もあの組打ちの音に、眼を覚さねば仕合せですが。」
 甚内はかこいへはいると同時に、ちらりと苦笑くしょうらしました。
「何、わたしがしのんで来ると、ちょうど誰かこのゆかの下へ、いこもうとするものがあるのです。そこで一つ手捕てどりにした上、顔を見てやろうと思ったのですが、とうとう逃げられてしまいました。」
 わたしはまださっきの通り、捕り手の心配がございましたから、役人ではないかとたずねて見ました。が、甚内は役人どころか、盗人だと申すのでございます。盗人が盗人をとらえようとした、――このくらい珍しい事はございますまい。今度は甚内よりもわたしの顔に、自然と苦笑が浮びました。しかしそれはともかくも、調達の成否せいひを聞かない内は、わたしの心も安まりません。すると甚内は云わない先に、わたしの心を読んだのでございましょう、悠々と胴巻どうまきをほどきながら、の前へ金包かねづつみを並べました。
「御安心なさい、六千貫の工面くめんはつきましたから。――実はもう昨日きのうの内に、大抵たいてい調達したのですが、まだ二百貫ほど不足でしたから、今夜はそれを持って来ました。どうかこの包みを受け取って下さい。また昨日きのうまでに集めた金は、あなた方御夫婦も知らない内に、この茶室の床下ゆかしたへ隠して置きました。大方おおかた今夜の盗人のやつも、その金をぎつけて来たのでしょう。」

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