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報恩記(ほうおんき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-17 15:01:06  点击:  切换到繁體中文


 わたしは夢でも見ているように、そう云う言葉を聞いていました。盗人に金をほどこして貰う、――それはあなたに伺わないでも、確かに善い事ではございますまい。しかし調達が出来るかどうか、半信半疑のさかいにいた時は、善悪も考えずに居りましたし、また今となって見れば、むげに受け取らぬとも申されません。しかもその金を受け取らないとなれば、わたしばかりか一家のものも、路頭ろとうに迷うのでございます。どうかこの心もちに、せめては御憐憫ごれんびんを御加え下さい。わたしはいつか甚内の前に、うやうやしく両手をついたまま、何も申さずに泣いて居りました。……
 そののちわたしは二年のあいだ、甚内のうわさを聞かずに居りました。が、とうとう分散もせずにつつがないその日を送られるのは、皆甚内の御蔭でございますから、いつでもあの男の仕合せのために、人知れずおん母「まりや」様へも、祈願きがんをこめていたのでございます。ところがどうでございましょう、この頃往来おうらいの話を聞けば、阿媽港甚内あまかわじんない御召捕おめしとりの上、もどばしに首をさらしていると、こう申すではございませんか? わたくしは驚きも致しました。人知れず涙も落しました。しかし積悪のむくいと思えば、これも致し方はございますまい。いや、むしろこの永年、天罰も受けずに居りましたのは、不思議だったくらいでございます。が、せめてもの恩返しに、かげながら回向えこうをしてやりたい。――こう思ったものでございますから、わたしは今日きょうとももつれずに、早速一条戻り橋へ、その曝し首を見に参りました。
 戻り橋のほとりへ参りますと、もうその首を曝した前には、大勢おおぜい人がたかって居ります。罪状をしるした白木しらきふだ、首の番をする下役人したやくにん――それはいつもと変りません。が、三本組み合せた、青竹の上に載せてある首は、――ああ、そのむごたらしい血まみれの首は、どうしたと云うのでございましょう? わたしは騒々そうぞうしい人だかりの中に、あおざめた首を見るが早いか、思わず立ちすくんでしまいました。この首はあの男ではございません。阿媽港甚内の首ではございません。この太いまゆ、この突き出たほお、この眉間みけん刀創かたなきず、――何一つ甚内には似て居りません。しかし、――わたしは突然日の光も、わたしのまわりの人だかりも、竹の上に載せたさらし首も、皆どこか遠い世界へ、流れてしまったかと思うくらい、烈しい驚きに襲われました。この首は甚内ではございません。わたしの首でございます。二十年以前のわたし、――ちょうど甚内の命を助けた、その頃のわたしでございます。「弥三郎やさぶろう!」――わたしは舌さえ動かせたなら、こう叫んでいたかも知れません。が、声を揚げるどころかわたしの体はおこりを病んだように、ふるえているばかりでございました。
 弥三郎! わたしはただ幻のように、せがれの曝し首を眺めました。首はやや仰向あおむいたまま半ばひらいた※(「目+匡」、第3水準1-88-81)まぶたの下から、じっとわたしを見守って居ります。これはどうしたわけでございましょう? 倅は何かの間違いから、甚内と思われたのでございましょうか? しかし御吟味ごぎんみも受けたとすれば、そう云う間違いは起りますまい。それとも阿媽港甚内というのは、倅だったのでございましょうか? わたしの宅へ来た贋雲水にせうんすいは、誰か甚内の名前を仮りた、別人だったのでございましょうか? いや、そんな筈はございません。三日と云う日限にちげんを一日もたがえず、六千貫の金を工面くめんするものは、この広い日本の国にも、甚内のほかに誰が居りましょう? して見ると、――その時わたしの心の中には、二年以前雪の降った、甚内と庭に争っていた、誰とも知らぬ男の姿が、急にはっきり浮んで参りました。あの男は誰だったのでございましょう? もしや倅ではございますまいか? そう云えばあの男の姿かたちは、ちらりと一目見ただけでも、どうやら倅の弥三郎に、似ていたようでもございます。しかしこれはわたし一人の、心の迷いでございましょうか? もし倅だったとすれば、――わたしは夢の覚めたように、しけじけ首を眺めました。するとその紫ばんだ、妙にしまりのないくちびるには、何か微笑ほほえみに近い物が、ほんのり残っているのでございます。
 さらし首に微笑が残っている、――あなたはそんな事を御聞きになると、御哂おわらいになるかも知れません。わたしさえそれに気のついた時には、眼のせいかとも思いました。が、何度見直しても、そのからびた唇には、確かに微笑らしいあかるみが、ただよっているのでございます。わたしはこの不思議な微笑に、永いあいだ見入って居りました。と、いつかわたしの顔にも、やはり微笑が浮んで参りました。しかし微笑が浮ぶと同時に、眼には自然と熱い涙も、にじみ出して来たのでございます。
「おとうさん、勘忍かんにんして下さい。――」
 その微笑は無言の内に、こう申していたのでございます。
「お父さん。不孝の罪は勘忍して下さい。わたしは二年以前の雪のよる勘当かんどう御詫おわびがしたいばかりに、そっとうちしのんで行きました。昼間は店のものに見られるのさえ、はずかしいなりをしていましたから、わざわざけるのを待った上、お父さんの寝間ねまの戸をたたいても、御眼にかかるつもりでいたのです。ところがふとかこいの障子に、火影ほかげのさしているのを幸い、そこへず行きかけると、いきなり誰かうしろから、言葉もかけずに組つきました。
「お父さん。それから先はどうなったか、あなたの知っている通りです。わたしは余り不意だったため、お父さんの姿を見るが早いか、相手の曲者くせものを突き放したなり、高塀たかべいの外へ逃げてしまいました。が、雪明ゆきあかりに見た相手の姿は、不思議にも雲水うんすいのようでしたから、誰も追う者のないのを確かめたのち、もう一度あの茶室の外へ、大胆だいたんにも忍んで行ったのです。わたしは囲いの障子越しに、一切いっさいの話を立ち聞きました。
「お父さん。北条屋ほうじょうやを救った甚内じんないは、わたしたち一家の恩人です。わたしは甚内の身に危急ききゅうがあれば、たとえ命はなげうっても、恩に報いたいと決心しました。またこの恩を返す事は、勘当を受けた浮浪人ふろうにんのわたしでなければ出来ますまい。わたしはこの二年間、そう云う機会を待っていました。そうして、――その機会が来たのです。どうか不孝の罪は勘忍して下さい。わたしは極道ごくどうに生れましたが、一家の大恩だけは返しました。それがせめてもの心やりです。……」
 わたしは宅へ帰る途中も、同時に泣いたり笑ったりしながら、せがれのけなげさをめてやりました。あなたは御存知になりますまいが、倅の弥三郎やさぶろうもわたしと同様、御宗門ごしゅうもん帰依きえして居りましたから、もとは「ぽうろ」と云う名前さえも、頂いて居ったものでございます。しかし、――しかし倅も不運なやつでございました。いや、倅ばかりではございません。わたしもあの阿媽港甚内あまかわじんないに一家の没落さえ救われなければ、こんな嘆きは致しますまいに。いくら未練みれんだと思いましても、こればかりはせつのうございます。分散せずにいた方がいか、倅を殺さずに置いた方が好いか、――(突然苦しそうに)どうかわたしを御救い下さい。わたしはこのまま生きていれば、大恩人の甚内を憎むようになるかも知れません。………(永いあいだ歔欷すすりなき

     「ぽうろ」弥三郎の話

 ああ、おん母「まりや」様! わたしはが明け次第、首を打たれる事になっています。わたしの首は地に落ちても、わたしのたましいは小鳥のように、あなたの御側へ飛んで行くでしょう。いや、悪事ばかり働いたわたしは、「はらいそ」(天国)の荘厳しょうごんを拝する代りに、恐しい「いんへるの」(地獄)の猛火の底へ、逆落さかおとしになるかも知れません。しかしわたしは満足です。わたしの心には二十年来、このくらい嬉しい心もちは、宿った事がないのです。
 わたしは北条屋弥三郎ほうじょうややさぶろうです。が、わたしのさらくびは、阿媽港甚内あまかわじんないと呼ばれるでしょう。わたしがあの阿媽港甚内、――これほど愉快ゆかいな事があるでしょうか? 阿媽港甚内、――どうです? い名前ではありませんか? わたしはその名前を口にするだけでも、この暗いろうの中さえ、天上の薔薇ばら百合ゆりの花に、満ち渡るような心もちがします。
 忘れもしない二年ぜんの冬、ちょうどある大雪のよるです。わたしは博奕ばくち元手もとでが欲しさに、父の本宅へ忍びこみました。ところがまだ囲いの障子しょうじに、火影ほかげがさしていましたから、そっとそこをうかがおうとすると、いきなり誰か言葉もかけず、わたしの襟上えりがみとらえたものがあります。振り払う、またつかみかかる、――相手は誰だか知らないのですが、その力のたくましい事は、到底ただものとは思われません。のみならず二三度み合う内に、茶室の障子がいたと思うと、庭へ行燈あんどんをさし出したのは、まぎれもない父の弥三右衛門やそうえもんです。わたしは一生懸命に、つかまれた胸倉むなぐらを振り切りながら、高塀の外へ逃げ出しました。
 しかし半町はんちょうほど逃げ延びると、わたしはある軒下のきしたに隠れながら、往来の前後を見廻しました。往来には夜目にも白々しろじろと、時々雪煙りがあがるほかには、どこにも動いているものは見えません。相手はあきらめてしまったのか、もう追いかけても来ないようです。が、あの男は何ものでしょう? 咄嗟とっさあいだに見た所では、確かに僧形そうぎょうをしていました。が、さっきの腕の強さを見れば、――殊に兵法にもくわしいのを見れば、世の常の坊主ではありますまい。第一こう云う大雪のに、庭先へ誰か坊主ぼうずが来ている、――それが不思議ではありませんか? わたしはしばらく思案したのち、たといあぶない芸当にしても、とにかくもう一度茶室の外へ、忍び寄る事に決心しました。
 それから一時いっときばかりたったころです。あの怪しい行脚あんぎゃ坊主ぼうずは、ちょうど雪の止んだのを幸い、小川通おがわどおりをくだって行きました。これが阿媽港甚内あまかわじんないなのです。さむらい連歌師れんがし、町人、虚無僧こむそう、――何にでも姿を変えると云う、洛中らくちゅうに名高い盗人ぬすびとなのです。わたしはあとから見え隠れに甚内の跡をつけて行きました。その時ほど妙に嬉しかった事は、一度もなかったのに違いありません。阿媽港甚内! 阿媽港甚内! わたしはどのくらい夢のうちにも、あの男の姿を慕っていたでしょう。殺生関白せっしょうかんぱく太刀たちを盗んだのも甚内です。沙室屋しゃむろや珊瑚樹さんごじゅかたったのも甚内です。備前宰相びぜんさいしょう伽羅きゃらを切ったのも、甲比丹カピタン「ぺれいら」の時計を奪ったのも、一夜いちやに五つの土蔵を破ったのも、八人の参河侍みかわざむらいを斬り倒したのも、――そのほか末代にも伝わるような、稀有けうの悪事を働いたのは、いつでも阿媽港甚内あまかわじんないです。その甚内は今わたしの前に、網代あじろの笠を傾けながら、薄明るい雪路を歩いている。――こう云う姿を眺められるのは、それだけでも仕合せではありませんか? が、わたしはこの上にも、もっと仕合せになりたかったのです。

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