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悲しき玩具(かなしきがんぐ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-21 15:56:27  点击:  切换到繁體中文



『石川はふびんな奴(やつ)だ。』
ときにかう自分で言ひて、
かなしみてみる。

ドア推(お)してひと足(あし)出(で)れば、
病人の目にはてもなき
長廊下(らうか)かな。

重い荷を下(おろ)したやうな、
気持なりき、
この寝台(ねだい)の上に来(き)ていねしとき。

そんならば生命(いのち)が欲しくないのかと、
医者に言はれて、
だまりし心!

真夜中にふと目がさめて、
わけもなく泣きたくなりて、
蒲団(ふとん)をかぶれる。

話しかけて返事のなきに
よく見れば、
泣いてゐたりき、隣の患者(くわんじや)。

病室の窓にもたれて、
久しぶりに巡査を見たりと、
よろこべるかな。

晴れし日のかなしみの一つ!
病室の窓にもたれて
煙草(たばこ)を味(あじは)ふ。

夜おそく何処(どこ)やらの室(へや)の騒がしきは
人や死にたらむと、
息をひそむる。

脉(みやく)をとる看護婦の手の、
あたたかき日あり、
つめたく堅(かた)き日もあり。

病院に入(い)りて初めての夜(よ)といふに、
すぐ寝入りしが、
物足らぬかな。

何(なに)となく自分をえらい人のやうに
思ひてゐたりき。
子供なりしかな。

ふくれたる腹を撫(な)でつつ、
病院の寝台(ねだい)に、ひとり、
かなしみてあり。

目さませば、からだ痛くて
動かれず。
泣きたくなりて、夜明くるを待つ。

びっしょりと寝汗(ねあせ)出(で)てゐる
あけがたの
まだ覚(さ)めやらぬ重きかなしみ。

ぼんやりとした悲しみが、
夜(よ)となれば、
寝台(ねだい)の上にそっと来て乗る。

病院の窓によりつつ、
いろいろの人の
元気に歩くを眺(なが)む。

もうお前(まへ)の心底(しんてい)をよく見届(みとど)けたと、
夢に母来て
泣いてゆきしかな。

思ふこと盗みきかるる如(ごと)くにて、
つと胸を引きぬ――
聴診器(ちやうしんき)より。

看護婦の徹夜するまで、
わが病(やま)ひ、
わるくなれとも、ひそかに願へる。

病院に来て、
妻や子をいつくしむ
まことの我にかへりけるかな。

もう嘘(うそ)をいはじと思ひき――
それは今朝(けさ)――
今また一つ嘘をいへるかな。

何となく、
自分を嘘のかたまりの如(ごと)く思ひて、
目をばつぶれる。

今までのことを
みな嘘にしてみれど、
心すこしも慰(なぐさ)まざりき。

軍人になると言ひ出して、
父母(ちちはは)に
苦労させたる昔の我かな。

うっとりとなりて、
剣をさげ、馬にのれる己(おの)が姿を
胸に描ける。

藤沢といふ代議士を
弟のごとく思ひて、
泣いてやりしかな。

何か一つ
大いなる悪事しておいて、
知らぬ顔してゐたき気持かな。

ぢっとして寝ていらっしゃいと
 子供にでもいふがごとくに
 医者のいふ日かな。

氷嚢の下より
まなこ光らせて、
 寝られぬ夜(よる)は人をにくめる。

春の雪みだれて降るを
 熱のある目に
 かなしくも眺め入(い)りたる。

人間のその最大のかなしみが
 これかと
ふっと目をばつぶれる。

廻診(くわいしん)の医者の遅(おそ)さよ!
痛みある胸に手をおきて
 かたく眼をとづ。

医者の顔色をぢっと見し外(ほか)に
何も見ざりき――
 胸の痛み募(つの)る日。

 病(や)みてあれば心も弱るらむ!
さまざまの
泣きたきことが胸にあつまる。

寝つつ読む本の重さに
 つかれたる
手を休めては、物を思へり。

今日はなぜか、
 二度も、三度も、
 金側(きんかは)の時計を一つ欲しと思へり。

いつか是非(ぜひ)、出(だ)さんと思ふ本のこと、
表紙のことなど、
 妻に語れる。

胸いたみ、
春の霙(みぞれ)の降る日なり。
 薬に噎(む)せて、伏(ふ)して眼をとづ。

あたらしきサラドの色の
 うれしさに、
箸(はし)をとりあげて見は見つれども――

子を叱(しか)る、あはれ、この心よ。
 熱高き日の癖(くせ)とのみ
 妻よ、思ふな。

運命の来て乗れるかと
 うたがひぬ――
蒲団(ふとん)の重き夜半(よは)の寝覚(ねざ)めに。

たへがたき渇(かわ)き覚(おぼ)ゆれど、
 手をのべて
 林檎(りんご)とるだにものうき日かな。

氷嚢のとけて温(ぬく)めば、
おのづから目がさめ来(きた)り、
 からだ痛める。

いま、夢に閑古鳥(かんこどり)を聞けり。
 閑古鳥を忘れざりしが
 かなしくあるかな。

ふるさとを出(い)でて五年(いつとせ)、
 病(やまひ)をえて、
かの閑古鳥を夢にきけるかな。

閑古鳥――
 渋民村(しぶたみむら)の山荘(さんさう)をめぐる林の
 あかつきなつかし。

ふるさとの寺の畔(ほとり)の
 ひばの木の
いただきに来て啼(な)きし閑古鳥!

脈をとる手のふるひこそ
かなしけれ――
 医者に叱られし若き看護婦!

いつとなく記憶(きおく)に残りぬ――
Fといふ看護婦の手の
 つめたさなども。

はづれまで一度ゆきたしと
 思ひゐし
かの病院の長廊下かな。

起きてみて、
また直(す)ぐ寝たくなる時の
 力なき眼に愛(め)でしチュリップ!

堅(かた)く握(にぎ)るだけの力も無くなりし
やせし我が手の
 いとほしさかな。

わが病(やまひ)の
 その因(よ)るところ深く且(か)つ遠きを思ふ。
 目をとぢて思ふ。

かなしくも、
 病(やまひ)いゆるを願はざる心我に在(あ)り。
何(なん)の心ぞ。

新しきからだを欲しと思ひけり、
 手術の傷(きず)の
 痕(あと)を撫(な)でつつ。

薬のむことを忘るるを、
 それとなく、
たのしみに思ふ長病(ながやまひ)かな。

ボロオヂンといふ露西亜名(ロシアな)が、
 何故(なぜ)ともなく、
幾度も思ひ出さるる日なり。

いつとなく我にあゆみ寄り、
 手を握り、
またいつとなく去りゆく人人(ひとびと)!

友も妻もかなしと思ふらし――
 病(や)みても猶(なほ)、
 革命のこと口に絶(た)たねば。

やや遠きものに思ひし
テロリストの悲しき心も――
 近づく日のあり。

かかる目に
 すでに幾度(いくたび)会へることぞ!
成(な)るがままに成れと今は思ふなり。

月に三十円もあれば、田舎(ゐなか)にては、
楽に暮せると――
 ひょっと思へる。

今日もまた胸に痛みあり。
 死ぬならば、
 ふるさとに行(ゆ)きて死なむと思ふ。

いつしかに夏となれりけり。
 やみあがりの目にこころよき
 雨の明るさ!

病(や)みて四月(しぐわつ)――
 そのときどきに変りたる
 くすりの味もなつかしきかな。

病みて四月(ぐわつ)――
 その間(ま)にも、猶(なほ)、目に見えて、
 わが子の背丈(せたけ)のびしかなしみ。

すこやかに、
背丈(せたけ)のびゆく子を見つつ、
 われの日毎(ひごと)にさびしきは何(な)ぞ。

まくら辺(べ)に子を坐らせて、
まじまじとその顔を見れば、
 逃げてゆきしかな。

いつも子を
 うるさきものに思ひゐし間(あひだ)に、
その子、五歳(さい)になれり。

その親にも、
 親の親にも似るなかれ――
かく汝(な)が父は思へるぞ、子よ。

かなしきは、
 (われもしかりき)
 叱(しか)れども、打てども泣かぬ児の心なる。

「労働者」「革命」などといふ言葉を
 聞きおぼえたる
 五歳の子かな。

時として、
 あらん限りの声を出し、
唱歌をうたふ子をほめてみる。

 何思ひけむ――
玩具(おもちや)をすてておとなしく、
わが側(そば)に来て子の坐りたる。

お菓子貰ふ時も忘れて、
 二階より、
 町の往来(ゆきき)を眺むる子かな。

新しきインクの匂(にほ)ひ、
目に沁(し)むもかなしや。
 いつか庭の青めり。

ひとところ、畳(たたみ)を見つめてありし間(ま)の
 その思ひを、
妻よ、語れといふか。

あの年のゆく春のころ、
眼をやみてかけし黒眼鏡(くろめがね)――
 こはしやしにけむ。

薬のむことを忘れて、
 ひさしぶりに、
母に叱られしをうれしと思へる。

枕辺(まくらべ)の障子(しやうじ)あけさせて、
空を見る癖(くせ)もつけるかな――
 長き病に。

おとなしき家畜のごとき
 心となる、
熱やや高き日のたよりなさ。

何か、かう、書いてみたくなりて、
 ペンを取りぬ――
花活(はないけ)の花あたらしき朝。

放(はな)たれし女のごとく、
わが妻の振舞(ふるま)ふ日なり。
 ダリヤを見入る。

あてもなき金(かね)などを待つ思ひかな。
 寝つ起きつして、
 今日も暮したり。

何もかもいやになりゆく
この気持よ。
 思ひ出しては煙草(たばこ)を吸ふなり。

或(あ)る市(まち)にゐし頃の事として、
 友の語る
恋がたりに嘘(うそ)の交(まじ)るかなしさ。

ひさしぶりに、
 ふと声を出して笑ひてみぬ――
蝿(はひ)の両手を揉(も)むが可笑(をか)しさに。

胸いたむ日のかなしみも、
 かをりよき煙草の如(ごと)く、
 棄(す)てがたきかな。

何か一つ騒ぎを起してみたかりし、
 先刻(さっき)の我を
 いとしと思へる。

五歳になる子に、何故(なぜ)ともなく、
ソニヤといふ露西亜名(ロシアな)をつけて、
 呼びてはよろこぶ。


   *


解(と)けがたき
不和(ふわ)のあひだに身を処(しょ)して、
 ひとりかなしく今日も怒(いか)れり。

猫を飼(か)はば、
その猫がまた争(あらそ)ひの種となるらむ、
 かなしきわが家(いへ)。

俺(おれ)ひとり下宿屋にやりてくれぬかと、
 今日もあやふく、
 いひ出(い)でしかな。

ある日、ふと、やまひを忘れ、
牛の啼(な)く真似をしてみぬ、――
 妻子(つまこ)の留守に。

かなしきは我が父!
 今日も新聞を読みあきて、
 庭に小蟻(こあり)と遊べり。

ただ一人の
をとこの子なる我はかく育てり。
 父母もかなしかるらむ。

茶まで断(た)ちて、
わが平復(へいふく)を祈りたまふ
 母の今日また何か怒(いか)れる。

今日ひょっと近所の子等(こら)と遊びたくなり、
呼べど来らず。
 こころむづかし。

やまひ癒(い)えず、
死なず、
 日毎(ひごと)にこころのみ険(けは)しくなれる七八月(ななやつき)かな。

買ひおきし
薬つきたる朝に来し
 友のなさけの為替(かはせ)のかなしさ。

児を叱れば、
泣いて、寝入りぬ。
 口すこしあけし寝顔にさはりてみるかな。

何がなしに
肺が小さくなれる如(ごと)く思ひて起きぬ――
 秋近き朝。

秋近し!
 電燈の球(たま)のぬくもりの
 さはれば指の皮膚(ひふ)に親しき。

ひる寝せし児の枕辺(まくらべ)に
人形を買ひ来てかざり、
 ひとり楽しむ。

クリストを人なりといへば、
 妹の眼がかなしくも、
 われをあはれむ。

縁先(えんさき)にまくら出させて、
 ひさしぶりに、
 ゆふべの空にしたしめるかな。

庭のそとを白き犬ゆけり。
 ふりむきて、
 犬を飼はむと妻にはかれる。





底本:「日本文学全集12 国木田独歩・石川啄木集」集英社
   1967(昭和42)年9月7日初版発行
   1972(昭和47)年9月10日9版発行
入力:j.utiyama
校正:浜野智
1998年8月3日公開
2005年11月23日修正
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