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時代閉塞の現状(じだいへいそくのげんじょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-21 16:08:40  点击:  切换到繁體中文

底本: 日本文学全集 12 国木田独歩 石川啄木集
出版社: 集英社
初版発行日: 1967(昭和42)年9月7日
入力に使用: 1972(昭和47)年9月10日第9版
校正に使用: 1972(昭和47)年10月7日


底本の親本: 初版本

 


     一

 数日前本欄(東京朝日新聞の文芸欄)に出た「自己主張の思想としての自然主義」と題する魚住氏の論文は、今日における我々日本の青年の思索しさく的生活の半面――閑却かんきゃくされている半面を比較的明瞭めいりょうに指摘した点において、注意にあたいするものであった。けだし我々がいちがいに自然主義という名の下に呼んできたところの思潮には、最初からしていくたの矛盾むじゅんが雑然として混在していたにかかわらず、今日までまだ何らの厳密なる検覈けんかくがそれに対して加えられずにいるのである。彼らの両方――いわゆる自然主義者もまたいわゆる非自然主義者も、早くからこの矛盾をある程度までは感知していたにかかわらず、ともにその「自然主義」という名を最初からあまりにオオソライズして考えていたために、この矛盾を根柢まで深く解剖かいぼうし、検覈けんかくすることを、そうしてそれが彼らの確執かくしつを最も早く解決するものなることを忘れていたのである。かくてこの「主義」はすでに五年の間間断かんだんなき論争を続けられてきたにかかわらず、今日なおその最も一般的なる定義をさえ与えられずにいるのみならず、事実においてすでに純粋自然主義がその理論上の最後を告げているにかかわらず、同じ名の下に繰返さるるまったくべつな主張と、それに対する無用の反駁はんばくとが、その熱心を失った状態をもっていつまでも継続されている。そうしてすべてこれらの混乱の渦中かちゅうにあって、今や我々の多くはその心内において自己分裂のいたましき悲劇に際会しているのである。思想の中心を失っているのである。
 自己主張的傾向が、数年前我々がその新しき思索的生活を始めた当初からして、一方それと矛盾する科学的、運命論的、自己否定的傾向(純粋自然主義)と結合していたことは事実である。そうしてこれはしばしば後者の一つの属性のごとく取扱われてきたにかかわらず、近来(純粋自然主義が彼の観照かんしょう論において実人生に対する態度を一決して以来)の傾向は、ようやく両者の間の溝渠こうきょのついに越ゆべからざるを示している。この意味において、魚住氏の指摘はよくその時を得たものというべきである。しかし我々は、それとともにある重大なる誤謬ごびゅうが彼の論文に含まれているのを看過することができない。それは、論者がその指摘を一の議論として発表するために――「自己主張の思想としての自然主義」を説くために、我々に向って一の虚偽きょぎを強要していることである。相矛盾せる両傾向の不思議なる五年間の共棲きょうせいを我々に理解させるために、そこに論者が自分勝手に一つの動機を捏造ねつぞうしていることである。すなわち、その共棲がまったく両者共通の怨敵おんてきたるオオソリテイ――国家というものに対抗するために政略的に行われた結婚であるとしていることである。
 それが明白なる誤謬、むしろ明白なる虚偽であることは、ここにくわしく述べるまでもない。我々日本の青年はいまだかつてかの強権に対して何らの確執をもかもしたことがないのである。したがって国家が我々にとって怨敵となるべき機会もいまだかつてなかったのである。そうしてここに我々が論者の不注意に対して是正ぜせいを試みるのは、けだし、今日の我々にとって一つの新しい悲しみでなければならぬ。なぜなれば、それはじつに、我々自身が現在においてもっている理解のなおきわめて不徹底の状態にあること、および我々の今日および今日までの境遇がかの強権を敵としうる境遇の不幸よりもさらにいっそう不幸なものであることをみずから承認するゆえんであるからである。
 今日我々のうち誰でもまず心をしずめて、かの強権と我々自身との関係を考えてみるならば、かならずそこに予想外に大きい疎隔そかく(不和ではない)の横たわっていることを発見して驚くに違いない。じつにかの日本のすべての女子が、明治新社会の形成をまったく男子の手にゆだねた結果として、過去四十年の間一に男子の奴隷どれいとして規定、訓練され(法規の上にも、教育の上にも、はたまた実際の家庭の上にも)、しかもそれに満足――すくなくともそれに抗弁する理由を知らずにいるごとく、我々青年もまた同じ理由によって、すべて国家についての問題においては(それが今日の問題であろうと、我々自身の時代たる明日の問題であろうと)、まったく父兄の手に一任しているのである。これ我々自身の希望、もしくは便宜べんぎによるか、父兄の希望、便宜によるか、あるいはまた両者のともに意識せざる他の原因によるかはべつとして、ともかくも以上の状態は事実である。国家ちょう問題が我々の脳裡のうりに入ってくるのは、ただそれが我々の個人的利害に関係する時だけである。そうしてそれが過ぎてしまえば、ふたたび他人同志になるのである。

     二

 むろん思想上の事は、かならずしも特殊の接触、特殊の機会によってのみ発生するものではない。我々青年は誰しもそのある時期において徴兵検査のために非常な危惧きぐを感じている。またすべての青年の権利たる教育がその一部分――富有ふゆうなる父兄をもった一部分だけの特権となり、さらにそれが無法なる試験制度のためにさらにまた約三分の一だけに限られている事実や、国民の最大多数の食事を制限している高率の租税そぜい費途ひとなども目撃している。およそこれらのごく普通な現象も、我々をしてかの強権に対する自由討究とうきゅうを始めしむる動機たる性質はもっているに違いない。しかり、むしろ本来においては我々はすでにすでにその自由討究を始めているべきはずなのである。にもかかわらず実際においては、幸か不幸か我々の理解はまだそこまで進んでいない。そうしてそこには日本人特有のある論理がつねに働いている。
 しかも今日我々が父兄に対して注意せねばならぬ点がそこに存するのである。けだしその論理は我々の父兄の手にある間はその国家を保護し、発達さする最重要の武器なるにかかわらず、一度我々青年の手に移されるに及んで、まったく何人も予期しなかった結論に到達しているのである。「国家は強大でなければならぬ。我々はそれを阻害そがいすべき何らの理由ももっていない。ただし我々だけはそれにお手伝いするのはごめんだ!」これじつに今日比較的教養あるほとんどすべての青年が国家と他人たる境遇においてもちうる愛国心の全体ではないか。そうしてこの結論は、特に実業界などに志す一部の青年の間には、さらにいっそう明晰めいせきになっている。いわく、「国家は帝国主義でもって日に増し強大になっていく。誠にけっこうなことだ。だから我々もよろしくその真似をしなければならぬ。正義だの、人道だのということにはおかまいなしに一生懸命もうけなければならぬ。国のためなんて考える暇があるものか!」
 かの早くから我々の間に竄入ざんにゅうしている哲学的虚無主義のごときも、またこの愛国心の一歩だけ進歩したものであることはいうまでもない。それは一見かの強権を敵としているようであるけれども、そうではない。むしろ当然敵とすべき者に服従した結果なのである。彼らはじつにいっさいの人間の活動を白眼をもって見るごとく、強権の存在に対してもまたまったく没交渉なのである――それだけ絶望的なのである。
 かくて魚住氏のいわゆる共通の怨敵おんてきが実際において存在しないことは明らかになった。むろんそれは、かの敵が敵たる性質をもっていないということでない。我々がそれを敵にしていないということである。そうしてこの結合(矛盾せる両思想の)は、むしろそういう外部的原因からではなく、じつにこの両思想の対立が認められた最初から今日に至るまでの間、両者がともに敵をもたなかったということに原因しているのである。(後段参照)
 魚住氏はさらに同じ誤謬ごびゅうから、自然主義者のある人々がかつてその主義と国家主義との間にある妥協を試みたのを見て、「不徹底」だととがめている。私は今論者の心持だけは充分了解することができる。しかしすでに国家が今日まで我々の敵ではなかった以上、また自然主義という言葉の内容たる思想の中心がどこにあるか解らない状態にある以上、何を標準として我々はしかく軽々しく不徹底呼ばわりをすることができよう。そうしてまたその不徹底が、たとい論者のいわゆる自己主張の思想からいっては不徹底であるにしても、自然主義としての不徹底ではかならずしもないのである。
 すべてこれらの誤謬は、論者がすでに自然主義という名に含まるる相矛盾する傾向を指摘しておきながら、なおかつそれに対して厳密なる検覈けんかくを加えずにいるところから来ているのである。いっさいの近代的傾向を自然主義という名によって呼ぼうとする笑うべき「ローマ帝国」的妄想もうそうから来ているのである。そうしてこの無定見は、じつは、今日自然主義という名を口にするほとんどすべての人の無定見なのである。

     三

 むろん自然主義の定義は、すくなくとも日本においては、まだきまっていない。したがって我々はおのおのその欲する時、欲するところに勝手にこの名を使用しても、どこからもとがめられる心配はない。しかしそれにしても思慮ある人はそういうことはしないはずである。同じ町内に同じ名の人が五人も十人もあった時、それによって我々の感ずる不便はどれだけであるか。その不便からだけでも、我々は今我々の思想そのものを統一するとともに、またその名にも整理を加える必要があるのである。
 見よ、花袋氏、藤村氏、天渓氏、抱月氏、泡鳴氏、白鳥氏、今は忘られているが風葉氏、青果氏、その他――すべてこれらの人は皆ひとしく自然主義者なのである。そうしてそのおのおのの間には、今日すでにその肩書以外にはほとんどまったく共通した点が見いだしがたいのである。むろん同主義者だからといって、かならずしも同じことを書き、同じことを論じなければならぬという理由はない。それならば我々は、白鳥氏対藤村氏、泡鳴氏対抱月氏のごとく、人生に対する態度までがまったく相違している事実をいかに説明すればよいのであるか。もっともこれらの人の名はすでになかば歴史的に固定しているのであるからしかたがないとしても、我々はさらに、現実暴露ばくろ、無解決、平面描写、劃一かくいつ線の態度等の言葉によって表わされた科学的、運命論的、静止的、自己否定的の内容が、その後ようやく、第一義慾とか、人生批評とか、主観の権威とか、自然主義中の浪漫的分子とかいう言葉によって表さるる活動的、自己主張的の内容に変ってきたことや、荷風氏が自然主義者によって推讃すいさんの辞を贈られたことや、今度また「自己主張の思想としての自然主義」という論文を読まされたことなどを、どういう手続をもって承認すればいいのであるか。それらの矛盾は、ただに一見して矛盾に見えるばかりでなく、見れば見るほどどこまでも矛盾しているのである。かくて今や「自然主義」という言葉は、刻一刻こくいっこくに身体も顔も変ってきて、まったく一個のスフィンクスになっている。「自然主義とは何ぞや? その中心はどこにありや?」かく我々が問を発する時、彼らのうち一人でもってそれに答えうる者があるか。否、彼らはいちように起って答えるに違いない、まったくべつべつな答を。
 さらにこの混雑は彼らの間のみに止まらないのである。今日の文壇には彼らのほかにべつに、自然主義者という名をがえんじない人たちがある。しかしそれらの人たちと彼らとの間にはそもそもどれだけの相違があるのか。一例を挙げるならば、近き過去において自然主義者から攻撃をけた享楽主義と観照論当時の自然主義との間に、一方がやや贅沢ぜいたくで他方がややつつましやかだという以外に、どれだけの間隔があるだろうか。新浪漫主義をとなえる人と主観の苦悶くもんを説く自然主義者との心境にどれだけの扞格かんかくがあるだろうか。淫売屋いんばいやから出てくる自然主義者の顔と女郎屋じょろうやから出てくる芸術至上主義者の顔とその表れている醜悪しゅうあくの表情に何らかの高下があるだろうか。すこし例は違うが、小説「放浪」に描かれたる肉霊合致の全我的活動なるものは、その論理と表象の方法が新しくなったほかに、かつて本能満足主義という名の下に考量されたものとどれだけ違っているだろうか。

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