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時代閉塞の現状(じだいへいそくのげんじょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-21 16:08:40  点击:  切换到繁體中文


 魚住氏はこの一見収攬しゅうらんしがたき混乱の状態に対して、きわめて都合のよい解釈を与えている。いわく、「この奇なる結合(自己主張の思想とデターミニスチックの思想の)名が自然主義である」と。けだしこれこの状態に対する最も都合のよい、かつ最も気のいた解釈である。しかし我々は覚悟しなければならぬ。この解釈を承認する上は、さらにある驚くべき大罪をおかさねばならぬということを。なぜなれば、人間の思想は、それが人間自体に関するものなるかぎり、かならず何らかの意味において自己主張的、自己否定的の二者を出ずることができないのである。すなわち、もし我々が今論者の言を承認すれば、今後永久にいっさいの人間の思想に対して、「自然主義」という冠詞かんしをつけて呼ばねばならなくなるのである。
 この論者の誤謬ごびゅうは、自然主義発生当時に立帰って考えればいっそう明瞭である。自然主義ととなえらるる自己否定的の傾向は、誰も知るごとく日露戦争以後において初めて徐々に起ってきたものであるにかかわらず、一方はそれよりもずっと以前――十年以前からあったのである。新しき名は新しく起った者に与えらるべきであろうか、はたまたそれと前からあった者との結合に与えらるべきであろうか。そうしてこの結合は、前にもいったごとく、両者とも敵をもたなかった(一方は敵をもつべき性質のものでなく、一方は敵をもっていなかった)ことに起因きいんしていたのである。べつの見方をすれば、両者の経済的状態の一時的共通(一方は理想をもつべき性質のものではなく、一方は理想を失っていた)に起因しているのである。そうしてさらにくわしくいえば、純粋自然主義はじつに反省の形において他の一方から分化したものであったのである。
 かくてこの結合の結果は我々の今日まで見てきたごとくである。初めは両者とも仲よく暮していた。それが、純粋自然主義にあってはたんに見、そして承認するだけの事を、その同棲者どうせいしゃが無遠慮にも、行い、かつ主張せんとするようになって、そこにこの不思議なる夫婦は最初の、そして最終の夫婦喧嘩を始めたのである。実行と観照との問題がそれである。そうしてその論争によって、純粋自然主義がその最初から限定されている劃一線の態度を正確に決定し、その理論上の最後を告げて、ここにこの結合はまったく内部において断絶してしまっているのである。

     四

 かくて今や我々には、自己主張の強烈な欲求が残っているのみである。自然主義発生当時と同じく、今なお理想を失い、方向を失い、出口を失った状態において、長い間鬱積うっせきしてきたその自身の力を独りで持余もてあましているのである。すでに断絶している純粋自然主義との結合を今なお意識しかねていることや、その他すべて今日の我々青年がもっている内訌ないこう的、自滅的傾向は、この理想喪失そうしつの悲しむべき状態をきわめて明瞭に語っている。――そうしてこれはじつに「時代閉塞じだいへいそく」の結果なのである。
 見よ、我々は今どこに我々の進むべき路を見いだしうるか。ここに一人の青年があって教育家たらむとしているとする。彼は教育とは、時代がそのいっさいの所有を提供して次の時代のためにする犠牲だということを知っている。しかも今日においては教育はただその「今日」に必要なる人物を養成するゆえんにすぎない。そうして彼が教育家としてなしうる仕事は、リーダーの一から五までを一生繰返すか、あるいはその他の学科のどれもごく初歩のところを毎日毎日死ぬまで講義するだけの事である。もしそれ以外の事をなさむとすれば、彼はもう教育界にいることができないのである。また一人の青年があって何らか重要なる発明をなさむとしているとする。しかも今日においては、いっさいの発明はじつにいっさいの労力とともにまったく無価値である――資本という不思議な勢力の援助を得ないかぎりは。
 時代閉塞の現状はただにそれら個々の問題に止まらないのである。今日我々の父兄は、だいたいにおいて一般学生の気風が着実になったといって喜んでいる。しかもその着実とはたんに今日の学生のすべてがその在学時代から奉職口ほうしょくぐちの心配をしなければならなくなったということではないか。そうしてそう着実になっているにかわらず、毎年何百という官私大学卒業生が、その半分は職を得かねて下宿屋にごろごろしているではないか。しかも彼らはまだまだ幸福なほうである。前にもいったごとく、彼らに何十倍、何百倍する多数の青年は、その教育をける権利を中途半端で奪われてしまうではないか。中途半端の教育はその人の一生を中途半端にする。彼らはじつにその生涯の勤勉努力をもってしてもなおかつ三十円以上の月給を取ることが許されないのである。むろん彼らはそれに満足するはずがない。かくて日本には今「遊民」という不思議な階級が漸次ぜんじその数を増しつつある。今やどんな僻村へきそんへ行っても三人か五人の中学卒業者がいる。そうして彼らの事業は、じつに、父兄の財産を食い減すこととむだ話をすることだけである。
 我々青年を囲繞いぎょうする空気は、今やもうすこしも流動しなくなった。強権の勢力はあまねく国内に行わたっている。現代社会組織はその隅々すみずみまで発達している。――そうしてその発達がもはや完成に近い程度まで進んでいることは、その制度の有する欠陥けっかんの日一日明白になっていることによって知ることができる。戦争とか豊作とか饑饉ききんとか、すべてある偶然の出来事の発生するでなければ振興する見込のない一般経済界の状態は何を語るか。財産とともに道徳心をも失った貧民と売淫婦ばいいんふとの急激なる増加は何を語るか。はたまた今日我邦わがくににおいて、その法律の規定している罪人の数が驚くべき勢いをもって増してきた結果、ついにみすみすその国法の適用を一部において中止せねばならなくなっている事実(微罪不検挙の事実、東京並びに各都市における無数の売淫婦が拘禁こうきんする場所がないために半公認の状態にある事実)は何を語るか。
 かくのごとき時代閉塞の現状において、我々のうち最も急進的な人たちが、いかなる方面にその「自己」を主張しているかはすでに読者の知るごとくである。じつに彼らは、抑えても抑えても抑えきれぬ自己その者の圧迫にえかねて、彼らの入れられている箱の最も板の薄い処、もしくは空隙(現代社会組織の欠陥)に向ってまったく盲目的に突進している。今日の小説や詩や歌のほとんどすべてが女郎買じょろうがい、淫売買、ないし野合やごう姦通かんつうの記録であるのはけっして偶然ではない。しかも我々の父兄にはこれを攻撃する権利はないのである。なぜなれば、すべてこれらは国法によって公認、もしくはなかば公認されているところではないか。
 そうしてまた我々の一部は、「未来」を奪われたる現状に対して、不思議なる方法によってその敬意と服従とを表している。元禄時代に対する回顧かいこがそれである。見よ、彼らの亡国的感情が、その祖先が一度遭遇そうぐうした時代閉塞の状態に対する同感と思慕とによって、いかに遺憾いかんなくその美しさを発揮しているかを。
 かくて今や我々青年は、この自滅の状態から脱出するために、ついにその「敵」の存在を意識しなければならぬ時期に到達しているのである。それは我々の希望やないしその他の理由によるのではない、じつに必至である。我々はいっせいに起ってまずこの時代閉塞へいそくの現状に宣戦しなければならぬ。自然主義を捨て、盲目的反抗と元禄の回顧とをめて全精神を明日の考察――我々自身の時代に対する組織的考察に傾注けいちゅうしなければならぬのである。

     五

 明日の考察! これじつに我々が今日においてなすべき唯一である、そうしてまたすべてである。
 その考察が、いかなる方面にいかにして始めらるべきであるか。それはむろん人々各自の自由である。しかしこの際において、我々青年が過去においていかにその「自己」を主張し、いかにそれを失敗してきたかを考えてみれば、だいたいにおいて我々の今後の方向が予測されぬでもない。
 けだし、我々明治の青年が、まったくその父兄の手によって造りだされた明治新社会の完成のために有用な人物となるべく教育されてきた間に、べつに青年自体の権利を認識し、自発的に自己を主張し始めたのは、誰も知るごとく、日清戦争の結果によって国民全体がその国民的自覚の勃興ぼっこうを示してから間もなくの事であった。すでに自然主義運動の先蹤せんしょうとして一部の間に認められているごとく、樗牛ちょぎゅうの個人主義がすなわちその第一声であった。(そうしてその際においても、我々はまだかの既成強権に対して第二者たる意識を持ちえなかった。樗牛は後年彼の友人が自然主義と国家的観念との間に妥協を試みたごとく、その日蓮論の中に彼の主義対既成強権の圧制結婚を企てている)
 樗牛の個人主義の破滅の原因は、かの思想それ自身の中にあったことはいうまでもない。すなわち彼には、人間の偉大に関する伝習的迷信がきわめて多量に含まれていたとともに、いっさいの「既成」と青年との間の関係に対する理解がはるかに局限的(日露戦争以前における日本人の精神的活動があらゆる方面において局限的であったごとく)であった。そうしてその思想が魔語のごとく(彼がニイチェを評した言葉を借りていえば)当時の青年を動かしたにもかかわらず、彼が未来の一設計者たるニイチェから分れて、その迷信の偶像を日蓮という過去の人間に発見した時、「未来の権利」たる青年の心は、彼の永眠を待つまでもなく、早くすでに彼を離れ始めたのである。
 この失敗は何を我々に語っているか。いっさいの「既成」をそのままにしておいて、その中に自力をもって我々が我々の天地をあらたに建設するということはまったく不可能だということである。かくて我々は期せずして第二の経験――宗教的欲求の時代に移った。それはその当時においては前者の反動として認められた。個人意識の勃興がおのずからその跳梁ちょうりょうに堪えられなくなったのだと批評された。しかしそれは正鵠せいこくを得ていない。なぜなればそこにはただ方法と目的の場所との差違があるのみである。自力によって既成の中に自己を主張せんとしたのが、他力によって既成のほかに同じことをなさんとしたまでである。そうしてこの第二の経験もみごとに失敗した。我々は彼の純粋にてかつ美しき感情をもって語られた梁川の異常なる宗教的実験の報告を読んで、その遠神清浄なる心境に対してかぎりなき希求憧憬ききゅうどうけいの情を走らせながらも、またつねに、彼が一個の肺病患者であるという事実を忘れなかった。いつからとなく我々の心にまぎれこんでいた「科学」の石の重みは、ついに我々をして九皐きゅうこうの天に飛翔ひしょうすることを許さなかったのである。
 第三の経験はいうまでもなく純粋自然主義との結合時代である。この時代には、前の時代において我々の敵であった科学はかえって我々の味方であった。そうしてこの経験は、前の二つの経験にも増して重大なる教訓を我々に与えている。それはほかではない。「いっさいの美しき理想は皆虚偽きょぎである!」
 かくて我々の今後の方針は、以上三次の経験によってほぼ限定されているのである。すなわち我々の理想はもはや「善」や「美」に対する空想であるわけはない。いっさいの空想を峻拒しゅんきょして、そこに残るただ一つの真実――「必要」! これじつに我々が未来に向って求むべきいっさいである。我々は今最も厳密に、大胆に、自由に「今日」を研究して、そこに我々自身にとっての「明日」の必要を発見しなければならぬ。必要は最も確実なる理想である。
 さらに、すでに我々が我々の理想を発見した時において、それをいかにしていかなるところに求むべきか。「既成」の内にか。外にか。「既成」をそのままにしてか、しないでか。あるいはまた自力によってか、他力によってか、それはもういうまでもない。今日の我々は過去の我々ではないのである。したがって過去における失敗をふたたびするはずはないのである。
 文学――かの自然主義運動の前半、彼らの「真実」の発見と承認とが、「批評」として刺戟をもっていた時代が過ぎて以来、ようやくただの記述、ただの説話に傾いてきている文学も、かくてまたその眠れる精神が目をさましてくるのではあるまいか。なぜなれば、我々全青年の心が「明日」を占領した時、その時「今日」のいっさいが初めて最も適切なる批評をくるからである。時代に没頭ぼっとうしていては時代を批評することができない。私の文学に求むるところは批評である。





底本:「日本文学全集 12 国木田独歩 石川啄木集」集英社
   1967(昭和42)年9月7日初版発行
   1972(昭和47)年9月10日9版発行
入力:j.utiyama
校正:浜野智
1998年8月1日公開
2005年11月27日修正
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