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いろ扱ひ(いろあつかい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 12:04:45  点击:  切换到繁體中文

底本: 現代日本文學大系 5 樋口一葉・明治女流文學・泉鏡花集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1972(昭和47)年5月15日
入力に使用: 1987(昭和62)年2月10日初版第13刷
校正に使用: 1987(昭和62)年2月10日初版第13刷

 

これは作者の閲歴談と云ふやうなことに聞えますと、はなはだ恐縮、ほんの子供の内に読んだ本についてお話をするのでございますよ。此頃このごろは皆さんに読んで戴いて誠に御迷惑をかけますが、私はうして、皆さんのお書きなすつた物を拝見して、迷惑処か、こんな結構なものはないと思ふんです。それですが、江戸時代の文学だの、明治の文学だのと云ふ六ヶ敷むつかしいことになると、言ひにくうございますから、たゞね、小説、草双紙くさざうし京伝本きやうでんぼん洒落本しやれぼんと云ふ其積そのつもりで申しませう。母が貴下あなた、東京から持つて参りましたんで、雛の箱でささせたといふ本箱の中に『白縫物語』だの『大和文庫やまとぶんこ』『時代かゞみ』大部なものは其位ですが、十冊五冊八冊といろ/\な草双紙の小口がそろつてあるのです。母はそれを大切にして綺麗きれいに持つて居るのを、すきを見ちやあ引張り出して――但し読むのではない。三歳四歳ではだ表紙の美しい絵を土用干のやうにならべて、この武士は立派だの、此娘は可愛いなんて……お待ちなさい、少し可笑をかしくなるけれど、悪く取りつこなし。さあ段々絵を見ると其理解わけが聴きたくなつて、母が裁縫しごとなんかして居ると、其処そこへ行つては聞きましたが、面倒くさがつてナカ/\教へない。れを無理につかまへて、ねだつては話してもらひましたが、うるさかつたらうと思つて、今考へると気の毒です。なるほど脚色すぢだけは口でいつても言はれますが、読んだおもしろ味は話されません。又知識のないものに、脚色すぢだけ話をするとなると、こんな煩さい事はないのですから、自分もまた其様そんな物を読むと云ふ智慧はない時分で、始終絵ばかりを見て居たものですから、薄葉うすえふを買つて貰つて、口絵だの、※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)絵だのを写し始めたんです。それから鎧武者よろひむしやが大変すきになりました。それに親父おやぢが金属の彫刻師ほりしだものですから、さかづき、香炉、目貫縁頭めぬきふちがしらなどはありませんが、其仕事をさせる積りだつたので、絵を習へと云ふので少しばかりネ、すゝきらん、竹などの手本を描いて貰ひましたが、何、座敷を取散かしたのが、落で。其中に何なんです。近所の女だの、年上の従姉妹いとこだのに、母が絵解をするのを何時いつか聞きかじつて、草双紙の中にある人物の来歴が分つたものだから、鳥山秋作照忠、大伴おほともの若菜姫なんといふのが殊の外贔屓ひいきなんです。処が秋作、豊後之助の贔屓なのは分つて居るが、若菜姫がくツてならない、甚だ怪しからん、これは悪党の方だから、と思つて居たんです。のみならず、一体どう云ふものだか、小説の中にある主人公などは、善人の方よりは悪党がてきはきして居て可い、善人とさへや、愚図々々しやあがつて、うかしたらよささうなもんだ。泣いたり、口説いたり、何のこツたらう。浄瑠璃じやうるりのさはりとなると頭痛がします。しかし、敵役かたきやくの中でも石川五右衛門は甚だ嫌ひですな。熊坂長範の方が好い。此頃また白縫の後の方を見ると、口絵に若菜姫を描いて、其上へ持つて来て、(皆様御贔屓の若菜姫)と書いてある。して見ると一般の読者にも、彼のねえさんは人気があつたものと見えますね。
 母はからだが弱くつて……大層若くつてなくなりましたが……亡なつた時分に、私は十歳とをだつたと思ひます。其の前から小学校へ行くやうになつて、本当の字を少しばかり覚えたりなにかした。それからしばらくさう云ふものに遠ざかつて居た、石盤をはふり出して、いきなり針箱の上へ耶須多羅女やすたらによの泣いて居る処を出されて御覧なさい。悉達しつた太子を慕つて居るのと絵解をするものは話さねばならないでせう。さて其の(慕ふ)といふことを子供に説明をして、聞かせるものは、こりやよほど面倒だから、母もなりたけ読ませないやうにしたんです。それに親父が八釜敷やかましい、論語とか孟子とか云ふものでなくつては読ませなかつた。処が少しイロハが読めるやうになつて来ると、家にある本が読みたくなつたでせう。読んでると目付めつかつて恐ろしくしかられたんです。そこで考へて、机の上にう掛つて居る、机掛ね、これを膝の上へかぶさるやうに、手前を長く、向うを一杯にして置くので、二階に閉籠つて人の跫音あしおとがするとヒヨイと其の下へ隠すといふ、うまいものでせう。時々見付かつて、本より、私の方が押入へしまはれました。かういふのはいくらもある。一葉女史なんざ草双紙を読んだ時、この人は僕と違つて土蔵があつたさうで、土蔵の二階に本があるので、わざ悪戯いたづらをして、剣突けんつくを食つて、叱られては土蔵へはふり込まれるのです。窓に金網が張つてあるのでせう。其網の目をもるあかりで細かい仮名を読んだ。其の所為せゐで、恐ろしい近視眼ちかめ、これは立女形たてをやまの美を傷つけて済みません。話が色々になりますが、僕が活版本を始めて見たのは結城合戦花鍬形ゆふきがつせんはなくはがたといふのと、難波戦記なにはせんき、左様です、大阪の戦のことを書いたのです。厚い表紙で赤い絵具をつけた活版本なんです。友達が持つて居たので、其時初めて活版になつた本を見ました。殊にあゝ云ふ百里余も隔つた田舎ゐなかですから、それまではだ活版と云ふものを知らなかつたので、さあ読んで見ると又面白くつて仕様がない。無論前に柔い、「でござんすわいナー」と書いてある草双紙を見た挙句に、親父がね、其癖大好なんで、但し硬派の方なんだから、私に内々で借りて来たあつた呉越軍談、あの、伍子胥ごししよの伝の所が十冊ばかり。其の第一冊目でせう。しんの哀公が会を設けて、覇を図る処があつて、せい国の夜明珠やめいしゆ国の雌雄剣、しん国の水晶簾すゐしやうれんなどとならぶ中に、子胥先生、わが楚国もつて宝とするなし、唯善を以て宝とすとタンカを切つて、大気焔を吐く所がある。それから呉越軍談が贔屓になる。従つて堅いものが好きになつて来た。それで水滸伝すゐこでん、三国志、関羽の青龍刀、張飛の蛇矛などが嬉しくつて堪らない。勿論もちろん其時分、雑誌は知らず新聞には小説があるものか無いものか分らぬ位。処が其中に何んですネ。英語を教はらうと、宣教師のやつて居る学校へ入つたのです。さうするとその学校では郵便報知新聞を取つて居た。それに思軒さんの瞽使者こししやが毎日々々出て居ます。是はまた飛放れて面白いので、こゝで、新聞の小説を読むことを覚えました。また病つきで課業はそつちのけの大怠惰おほなまけ、後で余所よその塾へ入りましたが、又この先生と来た日にや決して、う云ふものを読ませない。処が、例の難波戦記を貸してれた友人ね、其お友人ともだちに智慧を付けられて貸本屋へ借りに行くことを覚えたのです。併し塾に居るんですから、ナカ/\きびしくつて外出をさせません。それをひそかに脱出しては借りに行くので、はじめは一冊づゝ借りて来たのが、今度読馴れて来ると読方が早くなつて、一冊や二冊持つて帰つた所が直に読んで仕舞ふから、一度に五冊、六冊、一晩にやツつける。其時ザラにアヽ云ふ新版物から、昔の本を活版に直したものを無暗に読んだ。どんな物を読んだかく覚えて居ませんが、其中に遺恨骨髄に徹して居る本が一冊あります。矢張難波戦記流の作なんですが、借りて来て隠して置いたのを見付かつたんで、御取上げとなつて仕舞つた。処で其時分は見料がやすいのだけれども、此本に限つて三十銭となつた。

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