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絵本の春(えほんのはる)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 12:09:23  点击:  切换到繁體中文

底本: 泉鏡花集成8
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1996(平成8)年5月23日
入力に使用: 1996(平成8)年5月23日第1刷


底本の親本: 泉鏡花全集
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1942(昭和17)年

 

もとの邸町やしきまちの、荒果てた土塀が今もそのままになっている。……雪が消えて、まだ間もない、乾いたばかりの――山国で――石のごつごつした狭い小路が、霞みながら一条ひとすじ煙のように、ぼっと黄昏たそがれてく。
 弥生やよいの末から、ちっとずつの遅速はあっても、花は一時いっときに咲くので、その一ならびの塀の内に、桃、紅梅、椿つばきも桜も、あるいは満開に、あるいは初々しい花に、色香を装っている。石垣の草には、ふきとうえていよう。特に桃の花を真先まっさきに挙げたのは、むかしこの一廓は桃の組といった組屋敷だった、と聞くからである。その樹の名木も、まだそっちこちに残っていてうららかに咲いたのが……こう目に見えるようで、それがまたいかにも寂しい。
 二条ばかりもかさなって、美しいおんなしいたげられた――旧藩の頃にはどこでもありきたりだが――伝説があるからで。
 通道とおりみちというでもなし、花はこの近処きんじょに名所さえあるから、わざとこんな裏小路をさぐるものはない。日中ひなかもほとんど人通りはない。妙齢としごろの娘でも見えようものなら、白昼といえども、それは崩れた土塀から影をあらわしたと、人を驚かすであろう。
 その癖、妙な事は、いま頃の日の暮方は、その名所の山へ、絡繹らくえきとして、花見、遊山に出掛けるのが、この前通りの、優しい大川の小橋を渡って、ぞろぞろと帰って来る、男は膚脱はだぬぎになって、手をぐたりとのめり、女がなまめかしい友染ゆうぜん褄端折つまばしょりで、啣楊枝くわえようじをした酔払よっぱらいまじりの、浮かれ浮かれた人数が、前後に揃って、この小路をぞろぞろ通るように思われる……まだその上に、小橋を渡る跫音あしおとが、左右の土塀へ、そこをむように、とろとろと響いて、しかもそれが手に取るように聞こえるのである。
 ――このお話をすると、いまでも私は、まざまざとその景色が目に浮ぶ。――
 ところで、いま言った古小路は、私の家から十町余りも離れていて、縁でながめても、二階から伸上っても、それに……地方の事だから、板葺いたぶき屋根へ上って※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまわしても、実は建連たてつらなったにぎやか町家まちやに隔てられて、その方角には、橋はもとよりの事、川のながれも見えないし、小路などは、たとい見えても、松杉の立木一本にもかくれてしまう。……第一見えそうな位置でもないのに――いま言った黄昏たそがれになる頃は、いつも、窓にも縁にも一杯の、川向うの山ばかりか、我が家の町も、かども、欄干てすりも、ふすまも、居る畳も、ああああ我が影も、朦朧もうろうと見えなくなって、国中、町中にただ一条ひとすじ、その桃の古小路ばかりが、漫々として波のしずか蒼海そうかいに、船脚をいたように見える。見えつつ、面白そうな花見がえりが、ぞろぞろ橋を渡る跫音が、約束通り、とととと、どど、ごろごろと、且つ乱れてそこへ響く。……かすかに人声――女らしいのも、ほほほ、と聞こえると、緋桃ひももがぱッと色に乱れて、夕暮の桜もはらはらと散りかかる。……

 直接じかに、そぞろにそこへき、小路へ入ると、寂しがって、気味を悪がって、たれも通らぬ、更に人影はないのであった。
 気勢けはいはしつつ、……橋を渡る音も、へだたって、聞こえはしない。……

 桃も桜も、真紅まっかな椿も、濃い霞に包まれた、おぼろも暗いほどの土塀の一処ひとところに、石垣を攀上よじのぼるかと附着くッついて、……つつじ、藤にはまだ早い、――荒庭の中をのぞいている――かすりの筒袖を着た、頭の円い小柄な小僧の十余りなのがぽつんと見える。
 そいつは、……私だ。
 夢中でぽかんとしているから、もう、とっぷり日が暮れて塀越の花のこずえに、朧月おぼろづきのややななめなのが、湯上りのように、薄くほんのりとしてのぞくのも、そいつは知らないらしい。
 ちょうど吹倒れた雨戸を一枚、拾って立掛けたような破れた木戸が、きれめだらけにとざしてある。そこを覗いているのだが、枝ごし葉ごしの月が、ぼうとなどった白紙しらかみで、木戸の肩に、「貸本」と、かなで染めた、それがほのかに読まれる――紙が樹のくまを分けた月の影なら、字もただ花とつぼみを持った、桃の一枝ひとえだであろうも知れないのである。
 そこへ……小路の奥の、森のおおった中から、葉をざわざわと鳴らすばかり、脊の高い、色の真白まっしろな、大柄なおんなが、横町の湯の帰途かえりと見える、……化粧道具と、手拭てぬぐいを絞ったのを手にして、陽気はこれだし、のぼせもした、……微酔ほろよいもそのままで、ふらふらと花をみまわしつつ近づいた。
 巣から落ちた木菟みみずくひよッ子のような小僧に対して、一種の大なる化鳥けちょうである。大女の、わけて櫛巻くしまきに無雑作に引束ひったばねた黒髪の房々とした濡色と、色の白さは目覚ましい。
「おやおや……新坊。」
 小僧はやっぱり夢中でいた。
「おい、新坊。」
 と、手拭で頬辺ほっぺたを、つるりとでる。
「あッ。」
と、肝を消して、
「まあ、小母おばさん。」
 ベソをいて、顔を見て、
「御免なさい。御免なさい。おとっさんに言っては可厭いやだよ。」
 と、あわれみを乞いつつ言った。
 不気味にすごい、魔の小路だというのに、おんなが一人で、湯帰りの捷径ちかみちあやしんでは不可いけない。……実はこの小母さんだから通ったのである。
 つい、(乙)の字なりにうねった小路の、大川へ出口の小さな二階家に、独身ですまって、かどに周易の看板を出している、小母さんが既に魔に近い。おんなでトうらないをするのが怪しいのではない。小僧は、もの心ついた四つ五つ時分から、親たちに聞いて知っている。大女の小母さんは、娘の時に一度死んで、通夜の三日の真夜中に蘇生よみがえった。その時分から酒を飲んだから酔って転寝うたたねでもした気でいたろう。力はあるし、棺桶かんおけをめりめりと鳴らした。それが高島田だったというからなお稀有けぶである。地獄も見て来たよ――極楽は、お手のものだ、とトうらないごときはたなごころである。且つ寺子屋仕込みで、本が読める。五経、文選もんぜんすらすらで、書がまたい。一度冥途めいど※(「彳+淌のつくり」、第3水準1-84-33)※(「彳+羊」、第3水準1-84-32)さまよってからは、仏教にしたしんで参禅もしたと聞く。――小母さんは寺子屋時代から、小僧の父親とは手習傍輩てならいほうばいで、そう毎々でもないが、時々は往来ゆききをする。何ぞの用で、小僧も使いにられて、煎餅せんべいもらえば、小母さんの易をる七星を刺繍ししゅうした黒い幕を張った部屋も知っている、その往戻ゆきもどりから、フトこのかくれた小路をも覚えたのであった。
 この魔のような小母さんが、出口に控えているから、あやし可恐おそろしいものがあらわれようとも、それが、小母さんのお夥間なかまの気がするために、何となく心易こころやすくって、いつの間にか、小児こどもの癖に、場所柄を、さしてはばからないでいたのである。が、学校をなまけて、不思議な木戸に、「かしほん」の庭を覗くのを、父親の傍輩に見つかったのは、天狗てんぐったほど可恐しい。
「内へお寄り。……さあ、一緒に。」
 優しくせなを押したのだけれども、小僧には襟首をつまんで引立てられる気がして、手足をすくめて、宙を歩行あるいた。
ふとっていても、湯ざめがするよ。――もう春だがなあ、夜はまだ寒い。」
 と、納戸で被布ひふを着て、朱の長煙管ながぎせるを片手に、
「新坊、――あんな処に、一人で何をしていた?……小母さんが易を立てて見てあげよう。二階へおいで。」
 月、星を左右の幕に、祭壇を背にして、詩経、史記、二十一史、十三経注疏ちゅうそなんど本箱がずらりと並んだ、手習机を前に、ずしりと一杯に、座蒲団ざぶとんすわって、おいのかかった火桶を引寄せ、顔を見て、ふとった頬でニタニタと笑いながら、長閑のどか煙草たばこを吸ったあとで、円いひじを白くついて、あの天眼鏡というのを取って、ぴたりと額に当てられた時は、小僧は悚然ぞっとして震上ふるいあがった。
 大川の瀬がさっと聞こえて、片側町の、岸の松並木に風が渡った。

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