您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 泉 鏡花 >> 正文

小春の狐(こはるのきつね)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-22 13:29:56  点击:  切换到繁體中文

底本: 泉鏡花集成7
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1995(平成7)年12月4日
入力に使用: 1995(平成7)年12月4日第1刷


底本の親本: 鏡花全集 第二十二巻
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1940(昭和15)年11月20日

 

    一

 朝――この湖の名ぶつと聞く、しじみの汁で。……かんをさせるのも面倒だから、バスケットの中へ持参のウイスキイを一口。蜆汁にウイスキイでは、ちと取合せが妙だが、それも旅らしい。……
 いい天気で、暖かかったけれども、北国ほっこくの事だから、厚い外套がいとうにくるまって、そして温泉宿を出た。
 戸外の広場の一廓ひとくるわ、総湯の前には、火の見の階子はしごが、高く初冬の空をいて、そこに、うら枯れつつも、大樹の柳の、しっとりとしずか枝垂しだれたのは、「火事なんかありません。」と言いそうである。
 横路地から、すぐに見渡さるる、みぎわあしの中にみよしが見え、ともが隠れて、葉越葉末に、船頭の形が穂をそよがして、その船の胴に動いている。が、あの鉄鎚てっついの音を聞け。印半纏しるしばんてんの威勢のいいのでなく、田船をぐお百姓らしい、もっさりとした布子ぬのこのなりだけれども、船大工かも知れない、カーンカーンと打つつちが、一面の湖の北のそらなる、雪の山の頂に響いて、その間々に、

「これは三保の松原に、伯良はくりょうと申す漁夫にて候。万里の好山に雲たちまちに起り、一楼の明月に雨始めて晴れたり……」

 と謡うのが、遠いが手に取るように聞えた。――船大工が謡を唄う――ちょっと余所よそにはない気色けしきだ。……あまつさえ、地震の都から、とぼんとして落ちて来たものの目には、まるで別なる乾坤てんちである。
 脊の伸びたのが枯交かれまじり、まばらになって、蘆が続く……かたわら木納屋きなや苫屋とまやの袖には、しおらしく嫁菜の花が咲残る。……あの戸口には、羽衣を奪われた素裸の天女が、手鍋てなべを提げて、その男のために苦労しそうにさえ思われた。

「これなる松にうつくしきころもかかれり、寄りて見れば色香たえにして……」

 と謡っている。木納屋のわきは菜畑で、真中まんなかに朱を輝かした柿の樹がのどかに立つ。枝に渡して、ほした大根のかけひもに青貝ほどの小朝顔がすがって咲いて、つるの下に朝霜の焚火たきびの残ったような鶏頭がかすかに燃えている。その陽だまりは、山霊に心あって、一封のもみじの音信たよりを投げた、玉章たまずさのように見えた。
 里はもみじにまだ早い。
 露地が、遠目鏡とおめがねのぞさま扇形おうぎなりひらけてながめられる。湖と、船大工と、幻の天女と、描ける玉章を掻乱かきみだすようで、近くあゆみを入るるにはおしいほどだったから……
 私は――
(これは城崎関弥きざきせきやと言う、筆者の友だちが話したのである。)
 ――道をかえて、たとえば、宿の座敷から湖の向うにほんのりと、薄い霧に包まれた、白砂の小松山の方に向ったのである。
 小店の障子に貼紙はりがみして、
 (今日より昆布こぶまきあり候。)
 ……のんびりとしたものだ。口上が嬉しかったが、これから漫歩そぞろあるきというのに、こぶ巻は困る。張出しの駄菓子に並んで、ざるに柿が並べてある。これならたもとにも入ろう。「あり候」に挨拶あいさつの心得で、
「おかみさん、この柿は……」
 天井裏の蕃椒とうがらし真赤まっかだが、薄暗い納戸から、いぼ尻まきの顔を出して、
「その柿かね。へい、食べられましない。」
「はあ?」
「まだ渋が抜けねえだでね。」
「はあ、ではいつ頃食べられます。」
 きくやつも、聞く奴だが、
「早うて、……来月の今頃だあねえ。」
「成程。」
 まったく山家やまがはのん気だ。つい目と鼻のさきには、化粧煉瓦けしょうれんがで、露台バルコニイと言うのが建っている。別館、あるいは新築と称して、湯宿一軒に西洋づくりの一部は、なくてはならないようにしている盛場でありながら。
「お邪魔をしました。」
「よう、おいで。」
 また、おかしな事がある。……くどいと不可いけない。道具だてはしないが、硝子戸がらすどを引きめぐらした、いいかげんハイカラな雑貨店が、細道にかかる取着とッつきの角にあった。私は靴だ。宿の貸下駄で出て来たが、あお桐の二本歯で緒がゆるんで、がたくり、がたくりと歩行あるきにくい。此店ここで草履を見着けたから入ったが、小児こどものうち覚えた、こんな店で売っている竹の皮、わらの草履などは一足もない。極く雑なのでも裏つきで、鼻緒が流行のいちまつと洒落しゃれている。いやどうも……柿の渋は一月半おくれても、草履は駈足かけあしで時流に追着く。
「これをもらいますよ。」
 店には、ちょうど適齢前の次男坊といった若いのが、もこもこの羽織を着て、のっそりと立っていた。
「貰って穿きますよ。」
 と断って……早速ながら穿替えた、――誰も、背負しょってく奴もないものだが、手一つ出すでもなし、口を利くでもなし、ただにやにやと笑って見ているから、勢い念を入れなければならなかったので。……
「お幾干いくら。」
「分りませんなあ。」
「誰かに聞いてくれませんか。」
 若いのは、依然としてにやにやで、
「誰も今らんのでね……」
「じゃあ帰途かえりに上げましょう。じきそこの宿に泊ったものです。」
「へい、大きに――」
 まったくどうものんびりとしたものだ。私は何かの道中記の挿絵に、土手のすすき野茨のばらの実がこぼれた中に、折敷おしきに栗を塩尻に積んで三つばかり。細竹に筒をさして、もんと、四つ、銭の形を描き入れて、そば草鞋わらじまで並べた、山路の景色を思出した。

       二

「このきのこは何と言います。」
 山沿やまぞいの根笹に小流こながれが走る。一方は、日当ひあたりの背戸を横手に取って、次第まばら藁屋わらやがある、中に半農――このかたすなどって活計たつきとするものは、三百人を越すと聞くから、あるいは半漁師――少しばかり商いもする――藁屋草履は、ふかし芋とこの店に並べてあった――村はずれの軒を道へ出て、そそけ髪で、紺の筒袖を上被うわっぱりにした古女房が立って、小さな笊に、真黄色まっきいろな蕈をったのを、こうのぞいている。と笊を手にして、服装なりは見すぼらしく、顔もやつれ、髪は銀杏返いちょうがえしが乱れているが、毛のつやは濡れたような、姿のやさしい、色の白い二十はたちあまりの女がたたずむ。
 蕈は軸を上にして、うつむけに、ちょぼちょぼと並べてあった。
 
 実は――前年一度この温泉に宿った時、やっぱり朝のうち、……その時は町の方を歩行あるいて、通りの煮染屋にしめやの戸口に、手拭てぬぐいくび菅笠すげがさかぶった……このあたり浜から出る女の魚売が、天秤てんびんおろした処にきかかって、あたらしい雑魚に添えて、つまといった形で、おなじこの蕈を笊に装ったのを見た事があったのである。
 銀杏の葉ばかりのかれいが、黒い尾でぴちぴちと跳ねる。車蝦くるまえびの小蝦は、飴色あめいろかさなって萌葱もえぎの脚をぴんと跳ねる。※(「魚+弗」、第3水準1-94-37)ほうぼうひれにじを刻み、飯鮹いいだこの紫は五つばかり、ちぎれた雲のようにふらふらする……こち、めばる、青、鼠、樺色かばいろのその小魚こうおの色に照映てりはえて、黄なる蕈は美しかった。
 山国に育ったから、学問の上の知識はないが……蕈の名のとおやら十五は知っている。が、それはまだ見た事がなかった。……それに、私は妙に蕈が好きである。……覗込んで何と言いますかと聞くと「霜こしや。」と言った。「ははあ、霜こし。」――十一月初旬で――松蕈まつたけはもとより、しめじの類にも時節はちと寒過ぎる。……そこへ出盛る蕈らしいから、霜を越すという意味か、それともこの蕈が生えると霜が降る……霜を起すと言うのかと、その時、考うるひまもあらせず、「旦那だんなさんどうですね。」とその魚売が笊をひょいと突きつけると、煮染屋の女房が、ずんぐり横肥りに肥った癖に、口の軽い剽軽ひょうきんもので、
「買うてやらさい。旦那さん、酒のさかなに……はははは、そりゃおいしい、ししの味や。」と大口を開けて笑った。――紳士淑女の方々に高い声では申兼もうしかねるが、猪はこのあたりの方言で、……お察しに任せたい。
 唄で覚えた。

[1] [2] [3] [4] 下一页  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告