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眉かくしの霊(まゆかくしのれい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 10:39:57  点击:  切换到繁體中文

    一

 木曾街道きそかいどう奈良井ならいの駅は、中央線起点、飯田町いいだまちより一五八マイル二、海抜三二〇〇尺、と言い出すより、膝栗毛ひざくりげを思う方が手っ取り早く行旅の情を催させる。
 ここは弥次郎兵衛やじろべえ喜多八きだはちが、とぼとぼと鳥居峠とりいとうげを越すと、日も西の山のに傾きければ、両側の旅籠屋はたごやより、女ども立ちでて、もしもしお泊まりじゃござんしないか、お風呂ふろいていずに、お泊まりなお泊まりな――喜多八が、まだ少し早いけれど……弥次郎、もう泊まってもよかろう、のうねえさん――女、お泊まりなさんし、お夜食はおまんまでも、蕎麦そばでも、お蕎麦でよかあ、おはたご安くして上げませず。弥次郎、いかさま、安い方がいい、蕎麦でいくらだ。女、はい、お蕎麦なら百十六もんでござんさあ。二人は旅銀の乏しさに、そんならそうときめて泊まって、湯から上がると、その約束の蕎麦が出る。さっそくにくいかかって、喜多八、こっちの方では蕎麦はいいが、したじが悪いにはあやまる。弥次郎、そのかわりにお給仕がうつくしいからいい、のう姐さん、と洒落しゃれかかって、もう一杯くんねえ。女、もうお蕎麦はそれぎりでござんさあ。弥次郎、なに、もうねえのか、たった二ぜんずつ食ったものを、つまらねえ、これじゃあ食いたりねえ。喜多八、はたごが安いもすさまじい。二はいばかり食っていられるものか。弥次郎……馬鹿なつらな、銭は出すから飯をくんねえ。……無慙むざんや、なけなしの懐中ふところを、けっく蕎麦だけ余計につかわされて悄気しょげ返る。その夜、故郷の江戸お箪笥町たんすまち引出し横町、取手屋とってや鐶兵衛かんべえとて、工面のいい馴染なじみって、ふもとの山寺にもうでて鹿しかの鳴き声を聞いたところ……
 ……と思うと、ふとここで泊まりたくなった。停車場ステエションを、もう汽車が出ようとする間際まぎわだったと言うのである。
 この、筆者の友、境賛吉さかいさんきちは、実はつたかずら木曾きそ桟橋かけはし寝覚ねざめとこなどを見物のつもりで、上松あげまつまでの切符を持っていた。霜月の半ばであった。
「……しかも、その(蕎麦二ぜん)には不思議な縁がありましたよ……」
 と、境が話した。
 昨夜は松本で一泊した。御存じの通り、この線の汽車は塩尻しおじりから分岐点のりかえで、東京から上松へ行くものが松本で泊まったのは妙である。もっとも、松本へ用があって立ち寄ったのだと言えば、それまででざっと済む。が、それだと、しめくくりがゆるんでちと辻褄つじつまが合わない。何も穿鑿せんさくをするのではないけれど、実は日数の少ないのに、汽車の遊びをむさぼった旅行たびで、行途ゆきは上野から高崎、妙義山を見つつ、横川、くまたいら、浅間を眺め、軽井沢、追分をすぎ、しの線に乗り替えて、姨捨おばすて田毎たごとを窓からのぞいて、泊りはそこで松本が予定であった。その松本には「いい娘の居る旅館があります。懇意ですから御紹介をしましょう」と、名のきこえた画家が添え手紙をしてくれた。……よせばいいのに、昨夜その旅館につくと、なるほど、帳場にはそれらしい束髪の女が一人見えたが、座敷へ案内したのは無論女中で。……さてその紹介状を渡したけれども、娘なんぞ寄っても着かない、……ばかりでない。この霜夜に、出しがらの生温なまぬるい渋茶一杯んだきりで、お夜食ともおまんまとも言い出さぬ。座敷は立派で卓は紫檀したんだ。火鉢ひばちは大きい。が火の気はぽっちり。で、灰の白いのにしがみついて、何しろ暖かいものでお銚子ちょうしをとうと、板前で火を引いてしまいました、なんにも出来ませんと、女中ねえさん素気そっけなさ。寒さは寒し、なるほど、火を引いたような、家中寂寞ひっそりとはしていたが、まだ十一時前である……酒だけなりと、頼むと、おあいにく。酒はないのか、ござりません。――じゃ、麦酒ビイルでも。それもお気の毒様だと言う。ねえさん……、境は少々居直って、どこか近所から取り寄せてもらえまいか。へいもう遅うござりますで、飲食店は寝ましたでな……飲食店だと言やあがる。はてな、停車場ステエションから、震えながらくるまでくる途中、ついこの近まわりに、冷たい音して、川が流れて、橋がかかって、両側に遊廓ゆうかくらしい家が並んで、茶めしの赤い行燈あんどんもふわりと目の前にちらつくのに――ああ、こうと知ったら軽井沢で買った二合びんを、次郎どののいぬではないが、皆なめてしまうのではなかったものを。大歎息おおためいきとともにばらをぐうと鳴らして可哀あわれな声で、姐さん、そうすると、酒もなし、麦酒もなし、さかなもなし……おまんまは。いえさ、今晩の旅籠はたごの飯は。へい、それが間に合いませんので……火を引いたあとなもんでなあ――何のうらみか知らないが、こうなると冷遇を通り越して奇怪きっかいである。なまじ紹介状があるだけに、喧嘩面けんかづらで、宿を替えるとも言われない。前世ぜんせごう断念あきらめて、せめて近所で、蕎麦そば饂飩うどんの御都合はなるまいか、と恐る恐る申し出ると、饂飩なら聞いてみましょう。ああ、それを二ぜん頼みます。女中はごしのもったてじりで、敷居へ半分だけ突き込んでいたひざを、ぬいと引っこ抜いて不精ぶしょうに出て行く。
 待つことしばらくして、盆で突き出したやつを見ると、どんぶりがたった一つ。腹のいた悲しさに、姐さん二ぜんと頼んだのだが。となじるように言うと、へい、二ぜん分、り込んでございますで。いや、相わかりました。どうぞおかまいなく、お引き取りを、と言うまでもなし……ついと尻を見せて、すたすたと廊下を行くのを、継児ままっこのような目つきで見ながら、抱き込むばかりにふたを取ると、なるほど、二ぜんもり込みだけにしたじがぽっちり、饂飩は白く乾いていた。
 この旅館が、秋葉山あきばさん三尺坊が、飯綱いいづな権現へ、客を、たちものにしたところへ打撞ぶつかったのであろう、泣くより笑いだ。
 その……饂飩二ぜんの昨夜ゆうべを、むかし弥次郎、喜多八が、夕旅籠ゆうはたごの蕎麦二ぜんに思いくらべた。いささか仰山だが、不思議の縁というのはこれで――急に奈良井へ泊まってみたくなったのである。
 日あしも木曾の山のに傾いた。宿しゅくには一時雨ひとしぐれさっとかかった。
 雨ぐらいの用意はしている。駅前の俥は便たよらないで、洋傘かさで寂しくしのいで、鴨居かもいの暗いのきづたいに、石ころみち辿たどりながら、度胸はえたぞ。――持って来い、蕎麦二ぜん。で、昨夜の饂飩は暗討やみうちだ――今宵こよいの蕎麦は望むところだ。――旅のあわれを味わおうと、硝子ガラス張りの旅館一二軒を、わざと避けて、軒に山駕籠やまかご干菜ひばるし、土間のかまどで、割木わりぎの火をく、わびしそうな旅籠屋をからすのようにのぞき込み、黒き外套がいとうで、御免と、入ると、頬冠ほおかぶりをした親父おやじがその竈の下を焚いている。かまちがだだ広く、炉が大きく、すすけた天井に八間行燈はちけんの掛かったのは、山駕籠とつい註文ちゅうもん通り。階子下はしごしたの暗い帳場に、坊主頭の番頭は面白い。
「いらっせえ。」
 蕎麦二膳、蕎麦二膳と、境が覚悟の目の前へ、身軽にひょいと出て、慇懃いんぎん会釈えしゃくをされたのは、焼麸やきふだと思う(しっぽく)の加料かやく蒲鉾かまぼこだったような気がした。
「お客様だよ――つるの三番。」
 女中も、服装みなり木綿もめんだが、前垂まえだれがけのさっぱりした、年紀としわかい色白なのが、窓、欄干を覗く、松の中を、じ上るように三階へ案内した。――十畳敷。……柱も天井も丈夫造りで、床の間のあつらえにもいささかの厭味いやみがない、玄関つきとは似もつかない、しっかりした屋台である。
 敷蒲団しきぶとんの綿も暖かに、くまの皮の見事なのが敷いてあるは。ははあ、膝栗毛時代に、峠路とうげじで売っていた、さるの腹ごもり、大蛇おろちの肝、獣の皮というのはこれだ、と滑稽おどけた殿様になってくだんの熊の皮に着座に及ぶと、すぐに台十能だいじゅうへ火を入れて女中ねえさんが上がって来て、惜し気もなくあか大火鉢おおひばちちまけたが、またおびただしい。青い火さきが、堅炭をからんで、真赤に※(「火+共」、第3水準1-87-42)おこって、窓にみ入る山颪やまおろしはさっとえる。三階にこの火の勢いは、大地震のあとでは、ちと申すのもはばかりあるばかりである。
 湯にも入った。
 さて膳だが、――蝶脚ちょうあしの上を見ると、蕎麦扱いにしたは気恥ずかしい。わらさの照焼はとにかくとして、ふっと煙の立つ厚焼の玉子に、わんが真白な半ぺんのくずかけ。さらについたのは、このあたりで佳品かひんと聞く、つぐみを、何と、かしら猪口ちょくに、またをふっくり、胸を開いて、五羽、ほとんど丸焼にしてかんばしくつけてあった。
「ありがたい、……実にありがたい。」
 境は、その女中にれない手つきの、それもうれしい……しゃくをしてもらいながら、熊に乗って、仙人せんにん御馳走ごちそうになるように、慇懃いんぎんに礼を言った。
「これは大した御馳走ですな。……実にありがたい……全く礼を言いたいなあ。」
 心底しんそこのことである。はぐらかすとは様子にも見えないから、若い女中もかけ引きなしに、
旦那だんなさん、お気に入りまして嬉しゅうございますわ。さあ、もうお一つ。」
頂戴ちょうだいしよう。なお重ねて頂戴しよう。――時にねえさん、この上のお願いだがね、……どうだろう、このつぐみを別にもらって、ここへなべに掛けて、煮ながら食べるというわけには行くまいか。――鶫はまだいくらもあるかい。」
「ええ、ざるに三杯もございます。まだ台所の柱にも束にしてかかっております。」
「そいつは豪気ごうぎだ。――少し余分に貰いたい、ここで煮るように……いいかい。」
「はい、そう申します。」
「ついでにお銚子ちょうしを。火がいいからそばへ置くだけでも冷めはしない。……通いが遠くって気の毒だ。三本ばかり一時いちどきに持っておいで。……どうだい。岩見重太郎が註文ちゅうもんをするようだろう。」
「おほほ。」
 今朝、松本で、顔を洗った水瓶みずがめの水とともに、胸が氷にとざされたから、何の考えもつかなかった。ここで暖かに心が解けると、……分かった、饂飩うどんで虐待した理由わけというのが――紹介状をつけた画伯は、近頃でこそ一家をなしたが、若くて放浪した時代に信州路しんしゅうじ経歴へめぐって、その旅館には五月いつつきあまりも閉じもった。とどこお旅籠代はたごだいの催促もせず、帰途かえりには草鞋銭わらじせんまで心着けた深切なうちだと言った。が、ああ、それだ。……おなじ人の紹介だから旅籠代を滞らして、草鞋銭を貰うのだと思ったに違いない。……
「ええ、これは、お客様、お麁末そまつなことでして。」
 と紺の鯉口こいぐちに、おなじ幅広の前掛けした、せた、色のやや青黒い、陰気だが律儀りちぎらしい、まだ三十六七ぐらいな、五分刈りの男が丁寧に襖際ふすまぎわかしこまった。
「どういたして、……まことに御馳走様。……番頭さんですか。」
「いえ、当家の料理人にございますが、至って不束ふつつかでございまして。……それに、かような山家辺鄙やまがへんぴで、一向お口に合いますものもございませんで。」
「とんでもないこと。」
「つきまして、……ただいま、女どもまでおっしゃりつけでございましたが、鶫を、貴方様あなたさま、何か鍋でめしあがりたいというおことばで、いかようにいたして差し上げましょうやら、右、女どももやっぱり田舎いなかもののことでございますで、よくお言がのみ込めかねます。ゆえに失礼ではございますが、ちょいとお伺いに出ましてございますが。」
 境は少なからず面くらった。
「そいつはどうも恐縮です。――遠方のところを。」
 とうっかり言った。……
串戯じょうだんのようですが、全く三階まで。」
「どうつかまつりまして。」
「まあ、こちらへ――お忙しいんですか。」
「いえ、おぜんは、もう差し上げました。それが、お客様も、貴方様のほか、お二組ぐらいよりございません。」
「では、まあこちらへ。――さあ、ずっと。」
「はッ、どうも。」
「失礼をするかも知れないが、まあ、一杯ひとつ。ああ、――ちょうどお銚子が来た。女中ねえさん、お酌をしてあげて下さい。」
「は、いえ、手前不調法で。」
「まあまあ一杯ひとつ。――弱ったな、どうも、つぐみを鍋でと言って、……その何ですよ。」
「旦那様、帳場でも、あの、そう申しておりますの。鶫は焼いてめしあがるのが一番おいしいんでございますって。」
「お膳にもつけて差し上げましたが、これを頭から、その脳味噌のうみそをするりとな、ひとかじりにめしあがりますのが、おいしいんでございまして、ええとんだ田舎流儀ではございますがな。」
「お料理番さん……私は決して、料理をとやこう言うたのではないのですよ。……弱ったな、どうも。実はね、あるその宴会の席で、その席に居た芸妓げいしゃが、木曾の鶫の話をしたんです――大分酒が乱れて来て、何とか節というのが、あっちこっちではじまると、木曾節というのがこの時あらわれて、――きいても可懐なつかしい土地だから、うろ覚えに覚えているが、(木曾へ木曾へと積み出す米は)何とかっていうのでね……」
「さようで。」
 と真四角に猪口ちょくをおくと、二つげの煙草たばこ入れから、吸いかけた煙管きせるを、かね火鉢ひばちだ、遠慮なくコッツンとたたいて、
「……(伊那いな高遠たかとの余り米)……と言うでございます、米、この女中の名でございます、およね。」
「あら、何だよ、伊作いさくさん。」
 と女中が横にらみに笑ってにらんで、
「旦那さん、――この人は、うちが伊那だもんでございますから。」
「はあ、勝頼かつより様と同国ですな。」
「まあ、勝頼様は、こんな男ぶりじゃありませんが。」
「当り前よ。」
 とむッつりした料理番は、苦笑いもせず、またコッツンと煙管をはたく。
「それだもんですから、伊那の贔屓ひいきをしますの――木曾でうたうのは違いますが。――(伊那や高遠へ積み出す米は、みんな木曾路きそじの余り米)――と言いますの。」
「さあ……それはどっちにしろ……その木曾へ、木曾へのきっかけに出た話なんですから、私たちも酔ってはいるし、それがあとの贄川にえがわだか、峠を越した先の藪原やぶはら、福島、上松あげまつのあたりだか、よくはかなかったけれども、その芸妓げいしゃが、客と一所に、鶫あみを掛けに木曾へ行ったという話をしたんです。……まだの暗いうちに山道をずんずん上って、案内者の指揮さしずの場所で、かすみを張っておとりを揚げると、夜明け前、霧のしらじらに、向うの尾上おのえを、ぱっとこちらの山のへ渡る鶫の群れが、むらむらと来て、羽ばたきをして、かすみに掛かる。じわじわととって占めて、すぐに焚火たきびで附け焼きにして、あぶらの熱いところを、ちゅッと吸って食べるんだが、そのおいしいこと、……と言って、話をしてね……」
「はあ、まったくで。」
「……ぶるぶる寒いから、煮燗にえかんで、一杯のみながら、息もつかずに、幾口か鶫をかじって、ああ、おいしいと一息して、焚火にしがみついたのが、すっと立つと、案内についた土地の猟師が二人、きゃッと言った――その何なんですよ、芸妓の口が血だらけになっていたんだとさ。生々なまなまとした半熟の小鳥の血です。……とこの話をしながら、うっかりしたようにその芸妓は手巾ハンケチで口をおさえたんですがね……たらたらと赤いやつがみそうで、私は顔を見ましたよ。さわるとしないそうなせぎすな、すらりとした、若い女で。……聞いてもうまそうだが、これはすごかったろう、その時、東京で想像しても、けわしいとも、高いとも、深いとも、峰谷の重なり合った木曾山中のしらしらあけです……暗いすそに焚火をからめて、すっくりと立ち上がったという、自然、目の下の峰よりも高いところで、霧の中から綺麗きれいな首が。」
「いや、旦那だんなさん。」
「話はまずくっても、何となく不気味だね。その口が血だらけなんだ。」
「いや、いかにも。」
「ああ、よく無事だったな、と私が言うと、どうして? と訊くから、そういうのが、あわてる銃猟家だの、魔のさした猟師に、峰越しの笹原ささはらからねらい撃ちに二つ弾丸だまを食らうんです。……場所と言い……時刻と言い……昔から、夜待ち、あけ方の鳥あみには、魔がさして、怪しいことがあると言うが、まったくそれは魔がさしたんだ。だって、覿面てきめんに綺麗な鬼になったじゃあないか。……どうせそうよ、……私は鬼よ。――でも人に食われる方の……なぞと言いながら、でも可恐こわいわね、ぞっとする。と、また口を手巾で圧えていたのさ。」
「ふーん。」と料理番は、我を忘れて沈んだ声して、
「ええ。旦那、へい、どうも、いや、全く。――実際、危のうございますな。――そういう場合には、きっと怪我けががあるんでして……よく、そのねえさんは御無事でした。この贄川の川上、御嶽口おんたけぐち美濃みの寄りのかいは、よけいに取れますが、そのかたの場所はどこでございますか存じません――芸妓衆げいしゃしゅうは東京のどちらのかたで。」
「なに、下町の方ですがね。」
「柳橋……」
 と言って、のぞくように、じっと見た。
「……あるいはその新橋とか申します……」
「いや、その真中ほどです……日本橋の方だけれど、宴会の席ばかりでの話ですよ。」
「お処が分かって差支さしつかえがございませんければ、参考のために、その場所を伺っておきたいくらいでございまして。……この、深山幽谷のことは、人間の智慧ちえには及びません――」
 女中も俯向うつむいて暗い顔した。
 境は、この場合だれもしよう、乗り出しながら、
「何か、この辺に変わったことでも。」
「……別にその、と云ってございません。しかし、流れに瀬がございますように、山にもふちがございますで、気をつけなければなりません。――ただいまさしあげましたつぐみは、これは、つい一両日続きまして、珍しく上の峠口とうげぐちで猟があったのでございます。」
「さあ、それなんですよ。」
 境はあらためて猪口ちょくをうけつつ、
「料理番さん。きみのお手際てぎわぜんにつけておくんなすったのが、見てもうまそうに、かんばしく、あぶらの垂れそうなので、ふと思い出したのは、今の芸妓げいしゃの口が血の一件でね。しかし私は坊さんでも、精進でも、何でもありません。望んでも結構なんだけれど、見たまえ。――窓の外は雨と、もみじで、霧が山を織っている。峰の中には、雪を頂いて、雲を貫いてそびえたのが見えるんです。――どんな拍子かで、ひょいと立ちでもした時口が血になって首が上へ出ると……野郎でこのつらだから、その芸妓のような、すごく美しく、山の神の化身けしんのようには見えまいがね。落ち残ったかきだと思って、窓の外からからすが突つかないとも限らない、……ふと変な気がしたものだから。」
「お米さん――電燈でんきがなぜか、遅いでないか。」
 料理番が沈んだ声で言った。
 時雨しぐれは晴れつつ、木曾の山々に暮が迫った。奈良井川ならいがわの瀬が響く。

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