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バー・カナリヤで一時間半も待ったろうか。随分永いこと待たされたものだが、私にとってはそう退屈ではなかった。それはミチ子を傍にひきよせて飽くことを知らぬ楽しい物語をくりひろげていたせいであった。出来るなら辻永が永遠にこのバー・カナリヤに現われないことを冀った。辻永が探偵に夢中になっている間にこの女を誘い出してどこかへ隠れてやろうかという謀叛気も出た。それほど私は、辻永のキビキビした探偵ぶりにどういうものか気が滅入ってくるのであった。
そこへ辻永がシェパァードのように勢いよく飛びこんで来た。
「大勝利。大勝利」
彼は躍り出したいのを強いて怺えているらしく見えた。
「おいミチ子。今夜は奢ってやるぞ。さア祝杯だ。山野には何かうまいカクテルを作ってやれ。僕は珍酒コンコドスを一つ盛り合わせてコンコドス・カクテルとゆくかな」
「コンコドス? およしなさい。アレ飲むとよくないことよ。それに辻永さん、今夜は顔色がたいへん悪いわよ。どうかして?」
なるほど辻永の顔色のわるいことは前から気がついていた。変に黄色っぽいのである。
「ナーニ、今日は疲れたのと、喜びと一緒に来たせいなんだよ。――早くもって来い」
「じゃ辻永さんはコンコドス。山野さんはクィーン・ノブ・ナイルがよかない」ミチ子が向うへ行ってしまうと、辻永は待ちかねたように、懐中から手帖を出した。それには小さい文字で、いくつもの項目わけにして書き並べてあった。
「君。ちょっとこのところを読んで見給え」辻永は鉛筆のお尻で、そこに書き並べられた標題を指した。
そこには次のようなことが書いてあった。
――○ガールの家(夜中に客が居なくなってしまったという不思議な事件が三度あったという)
「これは?」と私は訊ねた。
「さっきの女のうちに、箱詰になった青年が三人とも泊ったことが判った。三人とも夜中にいなくなったので覚えているそうだ。遺留品も出て来た」
「ほほう」
「ところがその青年たちは、申し合わせたように近所の薬屋で、かゆみ止めの薬を買って身体に塗ったそうだ」
「三人が三人ともかい」
「そうなのだ。三人が三人ともだ。それがこの薬屋でかゆみ止めの薬を買って、身体に塗るしさ。女の話では、なんでもその前は全身かゆがって死ぬように藻がいていたそうだ」
「どうしてそんなにかゆがる客をわざわざ取ったのだ」
「イヤそれは、○かゆい(家につくちょっと前から始まる)――なんで、始めからかゆがっていた訳じゃないのだ」
「じゃどこかで拾ってきた客なのだネ」
「これだ。○ストリート・ガール(銀座で引っぱられる)――つまり銀座から、あの場所まで引張ってゆくうちに、かゆくなったのだ」
「どうして、かゆくなったのだ」
「それは後から話すよ」
ミチ子がグラスを載せてやってきた。
「オイ煙草を買って来て呉れ。それからシャンパンの盃をあげるから、冷して用意しといて呉れ」
辻永はミチ子に向ってたてつづけに用を云いつけた。
「まア景気がいいのネ」
とミチ子はグラスを二人にすすめると向うへいった。
「さア一杯やろうよ」
「ウン」
「どーだ、これを飲んでみないか。君の口にはよく合うと思うがな」
と彼は自分のところへ置かれた盃をこっちへ薦めようとして、又別の声をあげた。
「オヤオヤ。ミチ子の先生、今夜はどうかしているぞ。コンコドスを僕のところへ置かないで君の前へちゃんと置いているじゃないか。莫迦に手廻しがいいなア」
そういって辻永は二つのグラスを横から眺めた。私の眼にうつったものは、辻永のグラスの黄色い液体、私のグラスの透明な液体であった。
「コンコドスって無色透明なのかい」
私は変な酒を飲まされてはかなわんと思って念のために訊ねた。
「ちがうよちがうよ。コンコドスは黄色いレモン水のようなやつさ。それ、そのとおり……」と彼は私の前の無色透明の酒を指した。
「その方のじゃないか」と私は彼のグラスに入っている黄色い酒を指した。
「イヤ、こんなに褐色がかってはいないよ」と彼は打ち消して、
「さア乾杯だ」
彼はキュッとグラスから黄色い液体を飲み乾した。私は狐に鼻をつままれているような気がしたが、アルコールときては目がないので、目の前の無色のカクテルを(彼は黄色だというのを)ググッと一と息に飲んだ。
「それでいい。それでいい。大いに愉快だ」
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