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蠅(はえ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-25 15:56:18  点击:  切换到繁體中文


   第四話 宇宙線


 宇宙線という恐ろしい放射線が発見されてから、まだいくばくも経(た)たないが、人間は恐ろしい生物だ、はや人造(じんぞう)宇宙線というものを作ることに成功した。あのX光線でさえ一ミリの鉛板(えんばん)を貫(つらぬ)きかねるのに、人造宇宙線は三十センチの鉛板も楽に貫く。だから鉄の扉(ドア)やコンクリートの厚い壁を貫くことなんか何でもない。人間の身体なんかお茶の子サイサイである。
 どこから飛んでくるか判らない宇宙線は、その強烈な力を発揮して、人間の知らぬ大昔から、人体を絶え間なくプスリプスリと刺(さ)し貫いているのだ。或るものは、心臓の真中を刺し貫いてゆく。また或るものは卵巣(らんそう)の中を刺し透し、或るものはまた、精虫(せいちゅう)の頭を掠(かす)めてゆく。こう言っている間も、私たちの全身は夥(おびただ)しい宇宙線でもってプスリプスリと縫われているのだ。
 一体、そんなにプスリと縫われていて差支(さしつか)えないものか。差支えないとは云えない、たとえば、精虫が卵子といま結合しようというときに、突然数万の宇宙線に刺し透(とお)されたとしたらどうであろう。お盆(ぼん)のように丸くなるべきだった顔が、俄然(がぜん)馬のように長い顔に歪(ゆが)められはしまいか。
 私はこの頃人造宇宙線の実験に没頭(ぼっとう)しているが、いつもこの種の不安を忘れかねている次第(しだい)である。人造が出来るようになってからは宇宙線の流れる数は急激に増加した。ことに私どもの研究室の中では、宇宙線が霞(かすみ)のように棚曳(たなび)いている。恐らく街頭で検出できる宇宙線の何百倍何千倍に達していることだろうと思う。私はこうして実験を続けていながらも、何か駭(おどろ)くべき異変がこの室内に現われはしまいかと思って、ときどき背中から水を浴びせられたように感ずるのだ。そんなことが度重(たびかさ)なったせいか、今日などは朝からなんだか胸がムカムカしてたまらないのである。
 読者は、私が科学者である癖(くせ)に、何の術策(じゅつさく)を施(ほどこ)すこともなく、ただ意味なく狼狽(ろうばい)と恐怖とに襲(おそ)われているように思うであろうが、私とても科学者である。愚(おろ)かしき狼狽のみに止(とど)まっているわけではない。すなわち、ここにある硝子壜(ガラスびん)の中をちょっと覗(のぞ)いてみるがいい。この中に入っているものは何であるか御存知であろう。これは蠅である。
 この蠅は、最初壜に入れたときは二匹であったが、特別の装置に入れて置くために、だんだん子を孵(かえ)して、いまではこのとおり二十四五匹にも達している。この蠅の一群を、私は毎日毎日、丹念に検べているのだ。しかし私はいつも失望と安堵(あんど)とを迎えるのが例だった。なぜならば、蠅どもは別に一向異変をあらわさなかったから……。
 だが、今日という今日は、待ちに待った戦慄(せんりつ)に迎えられたのだ。それは、この壜の中に一匹の怪しい子蠅を発見したからである。その子蠅は、なんという恐ろしい恰好をしていたことであろうか。それははじめは気がつかなかったが、すこし丈夫になって、壜の上の方に匍(は)いあがってきたところを見付けたのであるが、一つの胴体に、二つの頭をもっていたのだ! 言わば双つ頭の蠅である。こんな不思議な蠅が、いまだかつて私共の目に止まったことがあろうか。いやいやそんな怪しげなものは見たことがなかった。おそらく、どこの国の標本室へいっても、二つ頭の蠅などは発見されないであろう。ことに目の前に蠅の入った壜を置いてあって、その中にこのような怪しい畸形の子蠅を発見出来るなどいうことは、著(いちじる)しい特別の原因がなくては起り得るものではない。――その原因を、わが研究室の宇宙線に帰(き)することは、極(きわ)めて自然であると思う。無論読者においても賛成せられることであろう。……
     *
 ――さて、前段の文章は、途中で切れてしまったが、まったく申訳がない。実は急に胸元(むなもと)が悪くなって、嘔吐(おうと)を催(もよお)したのだ。そして軽い脳貧血にさえ襲われた。私は皆の薦(すす)めで室を後にし、別室のベッドに寝ていたのだ。それからかれこれ三時間は経った。やっと気分もすこし直って来たので、起き上ろうかと思っていると、其所(そこ)へ友人が呼んでくれた医師が診察に来てくれた。
 その診察の結果をこれからお話しようと思うのであるが、読者は信じてくれるかどうか。多分信じて貰えまいと思う。といってこれが話さずにいられようか。
 いま私は起き上って、蠅の入った壜を手にとって見ている。あれから三四時間のちのことであるが、二つ頭の蠅が、俄然(がぜん)五匹に殖えている。異変は続々と起っているのだ。そして生物学的にみて、何という繁殖(はんしょく)の凄(すさま)じさであろうか。何という怪奇な新生児であろうか。
 私がもし生物学者であったとしたら、蠅が卵を生み始めた頃直ぐに、重大なる事柄に気がつかねばならなかったのである。随(したが)って、近頃の私自身の気分の悪さについても、早速(さっそく)思いあたらねばならなかったのであるが、幸か不幸か、私には蠅の雌雄(しゆう)を識別(しきべつ)する知識がなかったのである。
 実は私は――理学博士加宮久夫(かのみやひさお)は、本日医師の診察をうけたところによると、奇怪にも妊娠しているというのである。男性が妊娠する――なんて、誰も本当にしないであろうが、これは偽(いつわ)りのない事実である。ああなんという忌(いま)わしき、また恐ろしいことではないか。男性にして妊娠したというのは、私が最初だったであろう。なぜ妊娠したか。その答えは簡単である。――この研究室に棚曳(たなび)いている宇宙線が私の生理状態を変えてしまって、そして妊娠という現象が男性の上に来たのだ。
 私が生物学者だったら、この壜の中の蠅が卵を生んでいるときに、既に怪異に気がつくべきだった。何となれば、その卵を生んでいる蠅は、いずれも皆雌(めす)ではなく、実に雄(おす)だったのである。そしてその雄から、あの畸形な子蠅が生れてきたのだ。
 ああ、私は果して、五体が満足に揃った嬰児(えいじ)を生むであろうか。それとも……。

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