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葛の葉狐(くずのはぎつね)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-1 12:05:16  点击:  切换到繁體中文


     三

 きつねのふしぎな宝物たからものさずかったせいでしょうか、きつね子供こども阿倍あべ童子どうじは、なみ子供こどもちがって、まれつきたいそうかしこくて、八つになると、ずんずんむずかしいほんみはじめ、阿倍あべいえむかしからつたわって、だれももののなかった天文てんもん数学すうがくものから、うらないや医学いがくほんまで、なんということなしにみなんでしまって、もう十三のとしには、日本中にっぽんじゅうでだれもかなうもののないほどの学者がくしゃになってしまいました。
 するとある日のことでした。童子どうじはいつものとおり一間ひとまはいって、天文てんもんほんをしきりにんでいますと、すぐまえにわかきの木に、からすが二、かあかあいってんでました。そしてなにかがちゃがちゃおしゃべりをはじめました。なにをからすはいっているのからんとおもって、童子どうじれいのふしぎなたまみみてますと、このからすはひがしほうから関東かんとうのからすと、西にしほうから京都きょうとのからすでした。京都きょうとのからすは関東かんとうのからすにかって、このごろみやこはなしをしました。
みやこ御所ごしょでは、天子てんしさまが大病たいびょうで、たいそうなさわぎをしているよ。お医者いしゃというお医者いしゃ行者ぎょうじゃという行者ぎょうじゃあつめて、いろいろ手をつくして療治りょうじをしたり、祈祷きとうをしたりしているが、一向いっこうにしるしがえない。それはそのはずさ、あれは病気びょうきではないんだからなあ。だがわたしはっている。」
「じゃあどういうわけなんだね。」
 と関東かんとうのからすはたずねました。
「それはこういうわけさ。このごろ御所ごしょえをやって、天子てんしさまのおやすみになる御殿ごてんはしらてたときに、大工だいくがそそっかしく、東北うしとらすみはしらの下にへびかえるめにしてしまったのだ。それが土台石どだいいしの下で、いまだにきていて、よるひるもにらみってたたかっている。へびかえるがおこっていきほのおになって、そらまでちのぼると、こんどはてんみだれる。そのいきおいで天子てんしさまのからだにおやまいがおこるのだ。だからあのへびかえるしてしまわないうちは、御病気ごびょうきなおりっこないのだよ。」
「ふん、それじゃあ人間にんげんになんかからないはずだなあ。」
 そこで京都きょうとのからすは、関東かんとうのからすとかお見合みあわせて、あざけるように、かあかあとわらいました。そしてまた関東かんとうのからすはひがしへ、京都きょうとのからすは西にしへ、わかれてんでいってしまいました。
 からすの言葉ことばいて、童子どうじ早速さっそくうらないをててみると、なるほどからすのいったとおりにちがいありませんでしたから、おとうさんのまえへ出て、そのはなしをして、
「どうか、わたしを京都きょうとれて行ってください。天子てんしさまの御病気ごびょうきなおしてげとうございます。」
 といいました。
 保名やすなもこれをしおに京都きょうとって、阿倍あべいえおこときたと、たいそうよろこんで、童子どうじれて京都きょうとのぼりました。そして天子てんしさまの御所ごしょがって、おねがいのすじもうげました。天子てんしさまも阿倍あべ仲麻呂なかまろ子孫しそんだということをおきになって、およろこびになり、保名親子やすなおやこねがいをおとどけになりました。そこで童子どうじはからすにいたとおりうらないをててもうげました。御所ごしょ役人やくにんたちはふしぎにおもって、なかなか信用しんようしませんでしたが、なにしろこまりきっているところでしたから、ためしに御寝所ごしんじょ東北うしとらはしらの下をらしてみますと、なるほど童子どうじのいったとおり、のようないきをはきかけはきかけたたかっているへびかえるつけて、して、てました。するとまもなく天子てんしさまの御病気ごびょうき薄紙うすがみをへぐように、きれいになおってしまいました。
 天子てんしさまはたいそう阿倍あべ童子どうじ手柄てがらをおほめになって、ちょうど三がつ清明せいめい季節きせつなので、名前なまえ阿倍あべ清明せいめいとおつけになり、五くらいさずけて、陰陽頭おんみょうのかみというやくにおとりたてになりました。のち清明せいめいせいをかえて、阿倍あべ晴明せいめいといった名高なだかうらないの名人めいじんはこの童子どうじのことです。

     四

 たった十三にしかならない阿倍あべ童子どうじが、天子てんしさまの御病気ごびょうきなおしてえらい役人やくにんにとりたてられたといて、いちばんくやしがったのは、あの石川悪右衛門いしかわあくうえもんのにいさんの芦屋あしや道満どうまんでした。道満どうまんはそのときまで日本にっぽん一の学者がくしゃで、天文てんもんうらないの名人めいじんという評判ひょうばんでしたが、こんどは天子てんしさまの御病気ごびょうきなおすことができないで、その手柄てがら子供こどもられてしまったのですから、くやしがるのも無理むりはありません。そこで御所ごしょがって天子てんしさまに讒言ざんげんをしました。
御用心ごようじんあそばさないといけません。あの童子どうじ詐欺師さぎしでございます。おそれながら、陛下へいかのおやまい侍医じい方々かたがたや、わたくしども丹誠たんせいで、もうそろそろ御平癒ごへいゆになるときになっておりました。そこへおりよく童子どうじめが来合きあわせて、横合よこあいから手柄てがらうばっていったのでございます。御寝所ごしんじょの下のへびかえるのふしぎも、あれら親子おやこ御所ごしょ役人やくにんのだれかとしめしわせて、わざわざれていたものかもれません。どうか軽々かるがるしくおしんじなさらずに、一わたくしと法術ほうじゅつくらべをさせていただきとうございます。もしあの童子どうじけましたらば、それこそ詐欺師さぎし証拠しょうこでございますから、さっそくくらいげて、かえしていただきとうございます。」
 ともうげました。
「でもおまえがもし童子どうじけたらどうするか。」
 と天子てんしさまはすこしおこって、おたずねになりました。
「はい、万々一まんまんいちわたくしがけるようなことがございましたら、それこそわたくしのいただいておりますおやくくらいのこらずおかえもうげて、わたくしは童子どうじ弟子でしになって、修業しゅぎょうをいたします。」
 と、高慢こうまんかおをしておこたもうげました。
 そこで天子てんしさまは阿倍あべ晴明親子せいめいおやこをおしになり、御前ごぜんじゅつくらべさせてごらんになることになりました。道満どうまん晴明せいめい右左みぎひだりわかれてせきにつきますと、やがて役人やくにんが四五にんかかって、おもそうに大きな長持ながもちかついでて、そこへすえました。
道満どうまん晴明せいめい、この長持ながもちの中にはなにはいっているか、ててみよ、という陛下へいかおおせです。」
 とお役人やくにんかしらがいいました。
 すると道満どうまんは、さもとくいらしいかおをして、
晴明せいめい、まずおまえからいうがいい。子供こどものことだ、さきゆずってやる。」
 といいました。晴明せいめいはそのとき丁寧ていねいあたまげて、
「では失礼しつれいですが、わたくしからもうげましょう。長持ながもちの中におれになったのはねこひきです。」
 といいました。
 晴明せいめいがうまくいいあてたので、道満どうまんはぎょっとしました。
「ふん、まぐれたりにたったな。いかにも二ひきねこ相違そういありません。それで一ぴき赤猫あかねこ、一ぴき白猫しろねこです。」
 長持ながもちのふたをあけると、なるほどあかと白のねこが二ひきしました。天子てんしさまも役人やくにんたちもしたをまいておどろきました。
 いまのは勝負しょうぶなしにすんだので、また、四五にんのお役人やくにんが、大きなお三方さんぽうなにせて、その上にあつぬのをかけてはこんでました。道満どうまんはそれをると、こんどこそ晴明せいめいせんをこされまいというので、いきりって、
「ではわたくしからもうげます。お三方さんぽうの上におせになったのは、みかん十五です。」
 といいました。
 晴明せいめいはそれをいて、「ふん。」とこころの中であざわらいました。そしてすこしいたずらをして、高慢こうまんらしい道満どうまんはなをあかせてやりたいとおもいました。そこでそっとものえるじゅつ使つかって、お三方さんぽうの中の品物しなもの素早すばやえてしまいました。そしてすましたかおをしながら、
「これはみかん十五ではございません。ねずみ十五ひきをおれになったとぞんじます。」
 といいました。天子てんしさまはじめお役人やくにんたちはびっくりしました。こんどこそは晴明せいめいがしくじったとおもいました。そばについていたおとうさんの保名やすなさおになって、息子むすこのそでをきました。けれども晴明せいめいはあくまで平気へいきかおをしていました。道満どうまんになって、
「さあ、詐欺師さぎし証拠しょうこあらわれましたぞ。中をはやくおあけなさい、はやく。」
 とさけびました。
 お役人やくにんはお三方さんぽうおおいをとりました。するとどうでしょう。お三方さんぽうの上にせたのはみかんではなくって、いまいままで晴明せいめいのほかだれ一人ひとりおもいもかけなかったねずみが十五ひき、ちょろちょろして、御殿ごてんゆかの上をあるきました。すると長持ながもちの上にていた二ひきねこ目早めばやつけて、いきなりりて、ねずみをまわしました。みんなは「あれあれ。」とさけんで、総立そうだちになって、やがて御殿中ごてんじゅうおおさわぎになりました。
 これで勝負しょうぶはつきました。芦屋あしや道満どうまんくらいげられて、御殿ごてんからされました。そして阿倍あべ晴明せいめいのお弟子でしになりました。





底本:「日本の諸国物語」講談社学術文庫、講談社
   1983(昭和58)年4月10日第1刷発行
入力:鈴木厚司
校正:大久保ゆう
2003年9月29日作成
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