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前記天満焼(ぜんきてんまやけ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-2 7:45:26  点击:  切换到繁體中文




 事件はここで江戸へ移る。
 ここは深川の霊岸島。そこに一軒の屋敷があった。特色は表門の一所に、桐の木の立っていることであった。その奥まった一室である。
 一人の着流しの武士が、頬杖をついて寝そべっている。年の頃は三十七八、色蒼黒く気味が悪い。ドロンと濁ってはいるけれど、油断も隙もならないような、妙な底光を漂わした眼、しかも左の一眼には、星さえ一つ入っている。顎の真中まんなかに溝があって、剣難の相を現わしている。小鼻の小さい高い鼻、――いやという程高いので、益々人相を険悪に見せる。いつも皮肉な揶揄的の微笑が、唇の辺りにチラツイている。だが一種の好男子とは云える。
 この家の主人鮫島大学で、無禄の浪人でありながら、非常に豪奢な生活くらしをしている。――と云う噂のある人物である。
 その鮫島大学の前に、膝を崩して坐っているのは、ちょっと言葉に云い表わせないような、濃艶さを持った女であった。薄紫の単衣ひとえもの鞘形寺屋緞子さやがたてらやどんすの帯、ベッタリ食っ付けガックリ落とした髷の結振りから推察おしはかると、この女どうやら女役者らしい。よい肉附き、高い身長せい。力のある立派な顔、女役者としても立て物らしい。大きなハッキリした二重瞼眼、それには情熱があふれている。全体が非常に明るくて、いつも愉快な冗談ばかりを、云いたそうな様子を見せている。人生の俗悪そのもののような、興行界に居りながら、それに負けずに打ち勝って行く――と云ったような女である。
 小屋掛けではあるが大変な人気の、両国広小路にこの頃出来た、吉沢一座の女歌舞伎、その座頭の扇女せんじょなのであった。年は二十二三らしい。
 明るく燈火ともしびもってい、食べ散らし飲み散らした盃盤が、その燈火に照らされて乱雑に見え、二人ながらいい加減酔っているらしい。
「どうだどうだ、え、扇女、ソロソロおっこちてもいいだろう」
 扇女の胸の辺りへ視線を送り、大学はこんなことを云い出した。
「御贔屓様は御贔屓様、旦那様は旦那様、可愛いお方は可愛いお方、ちゃあんと分けて居りますのでね」
 扇女は早速蹴飛ばしてしまった。ビクともしない態度である。
「久しいものさ、そのせりふも」
 大学はニヤニヤ笑っている。決して急かない態度である。
 二人ながらちょっとここで黙った。
 やがて、大学は云い出した。
「ところで有るのかい、可愛い人が?」
「こんな商売、情夫いろがなくては、立ち行くものじゃアありませんよ」
「一体どいつだ、果報者は」
 勿論大学怒ったのではない。語気を強めて云ったまでである。
 怒るような大学ならいいのであって、いつも冷静、いつも策略、そうでなければ世は渡れぬ――と考えている彼なのであった。
あやかりたいの、果報者に」
「なかなかむずかしゅうございますよ、果報者にあやかるということわね」
「ひどく勿体をつけるじゃアないか」
 ツト手を延ばすと盃を取り上げ、
「まず注いだり。……冷めたかな」
 銚子を取り上げた吉沢扇女は、盛り溢れるほど酒を注いだ。
「注ぎっぷりだけはいい気前だ」
他人ひとのお酒でございますもの」
「御意、まさしく。拙者の酒で……」
 するとその時どこからともなく――と云って勿論屋敷内からではあったが、罵り合う声が聞こえてきた。
 ガラガラと物を投げる音もした。




「おや」と扇女は聞きとがめた。
「何をしたのでございましょう?」
 だが大学は黙っていた。とはいえ顔の表情の中には、困ったことをしやアがる、こんな肝心な大事な場合に――と云ったような気振りが見える。
 物を投げる音に引きつづき、罵り合う声が聞こえてきた。それも二人や三人ではなく、たくさんの人達が大声で、罵り合っているようである。
「静かなお屋敷だと思っていましたのに、どうやら大勢の人達が、おいでなさるようでございますね」
 こう云った扇女の言葉には皮肉の調子がこもっていた。
「女中三人に下僕が二人、閑静な生活くらしをしているよ、だから遊びに来るがよい。――などと仰有おっしゃったお言葉も、あてにならないようでございますね」
 大学は顔を顰めている。神経質らしいところさえ見せ、不機嫌に盃を嘗めている。
 物を投げる音は直ぐ止んだが、罵り声はまだ止まない。
「気味の悪いお屋敷でございますこと。……どれわたしは帰りましょう。気味のよくないお屋敷などで、気味の悪い旦那様を相手にし、いつ迄お酒盛りをしたところで、面白くも可笑おかしくもございません」
「待てよ」とはじめて鮫島大学は、チラリと凄味を現わしたが、
「帰しはしないよ、遊んで行け。屋敷が不気味であろうとも、この俺が不気味であろうとも、それに怖気を揮うような、初心うぶなお前ではないはずだ」
 ここでニタリと笑ったが、干した盃を突き出した。
「まず一杯、飲むがいい」
「はい」と云うと穏しく、扇女せんじょは盃を手で受けたが、
「酔わせてグタグタにして置いて……などというような厭らしい、野暮なお方でもありますまい」
「またお前にしてからが、男の前で酔っ払い、不様に姿を崩すような、あたじけない女でもないはずだ」
 この時、バタバタと足音がして、隣部屋へ人が来たらしく、
「お頭!」と呼ぶ声が聞こえてきた。
「馬鹿!」と一喝した鮫島大学は、
「これこれ何だ、言葉を謹め! 客の居るのを知らないのか!」
「あッ、なるほど、これは粗相……」
 恐縮したらしい声音こわねである。
「あの、旦那様に申し上げます」
「何か用か? 用なら云え」
「少し間違いが起こりまして……」
「何を馬鹿な! 間違いとは何だ!」
「へい加賀屋の野良のら息子が、贋物いかさまのネタを割ったんで……」
「行け!」と怒鳴どなったもののギョッとしたらしく、扇女の顔色を窺った。
「へい!」と云ったが、バタバタバタと、隣部屋の人間は立ち去ったらしい。
 すると、鮫島大学であるが、もうどうにも仕方がない――こう云ったような酸味ある笑いを、チラリと顔へ浮かべたが、弁解するように云い出した。
「何の、実はこういう訳だ。屋敷は広く俺は浪人、そこでわる共が集まって来て、手慰みをやっているというものさ。これも交際つきあい仕方もない。とはいえ俺は手を出さない。屋敷を貸しているばかりさ。だからよ、何も、この俺をだ、悪漢わるものあつかいにしないがいい。だが」と云うとヒョイと立った。
「どうやら間違いが起こったらしい。黙ってうっちゃっても置かれまい。ちょっくら行ってあつかって来よう。何さ何さ帰るには及ばぬ。ゆっくり遊んで行くがいい。すぐさま帰って来るからな」
 刀を下げて部屋を出た。
「態ア見やがれ、尻尾を出したよ」
 一人残ったは扇女である。
繁々しげしげお茶屋へは呼んでくれる、パッパッと御祝儀は切ってくれる。派手にお金を使うので贔屓筋としては大事な人、こうは思っていたものの、万事の様子が腑に落ちず、迂散者らしく思われたが、やっぱりニラミは狂わなかったよ。不頼漢ならずものの頭、賭博宿の主人、どうやらそんな塩梅あんばいらしい。……何だか気味が悪いねえ、どれソロソロ帰るとしよう」
 ひょいと立ち上ったが考えた。
「何も好奇ものずき、屋敷の様子を、こっそり探ってみてやろう。うまく賭博場でも目つかったら、とんだ面白いことになる」
 それで、ソロリと襖を開けた。




 一つの部屋で、一人の若者が、匕首あいくちなどを振り廻し、大声で喚きちらしていた。
「なんだなんだ飛んでもねえ奴等だ! うまうま俺をだましゃアがった。これでわかった、これで解った! 幾度勝負を争っても、一度も勝ったためしがねえ、おかしいおかしいと思ったが、こんな仕掛けのある以上、負けつづけるのは当然あたりめえだ! ……飛んでもねえ奴等だ、承知出来ねえ! ……さあ叩っ斬るぞ叩っ斬るぞ!」
 年の頃は二十一二、非常に上品な若者である。否々いやいやむしろ坊ちゃんなのである。色が白く血色がよい。栄養の行き渡っている証拠である。丸味を帯びた細い眉、切長で涼しくて軟らか味のある眼、少し間延びをしているほど、長くて細くて高い鼻、ただしまげだけは刷毛先はけさきを散らし、豪勢いなせに作ってはいるが、それがちっとも似合わない。着ている物も立派であって、腰につけている煙草入の、根締の珊瑚は古渡りらしく、これ一つだけで数十金はしよう。秘蔵がられている豪商の息子が、悪友のために惑わされ、いい気になって不頼漢を気取り、悪所通いをしているという、一見そういう風態であった。
 で、匕首あいくちは振り上げたが、敵を切る前に自分の手を、切りそうで切りそうで見ていられない。――と云ったようなあぶなさがある。
 加賀家百万石の御用商人、加賀屋と云って大金持、その主人を源右衛門と云ったが、その息子の源三郎なのであった。
「キ、切るゾ――ッ! キ、切るゾ――ッ!」
 源三郎は匕首を振り廻すのであったが、しかし誰一人相手にしない。ニヤニヤみんな笑っている。
 源三郎を取り巻いて、十五六人の男がいたが、この連中が大変物で、浪人風の者、ゴロン棒風の者、商人風の者、鳶風の者、そうかと思うと僧形の者、そうかと思うと大名方の、お留守居風の人物もいるのであった。
 しかしいずれも変装らしく、どうやらみんな仲間らしい。
 それらの人数を抱いている、部屋のこしらえというものが、また大変なものであった。だがそれとて一口に云えば、上海シャンハイ風ということが出来る。壁の一方に扉がある。双龍そうりゅうたまを争うところの図案を描いた扉である。一方の壁に窓がある。龕燈形の窓である。そのくせ窓には真鍮の棒が、無数に厳重に穿めてある。そうして窓のあるその壁にも、双龍珠を争う図が、黄色い色彩いろで描かれてある。いやいや双龍珠を争う、そういう図面は二ヶ所ばかりでなく、青く塗られた天井にも、板敷になっている床の上にも、他の二方の壁の面にも、ベタベタ描かれてあるのであった。それにしても双龍の争っている、珠の形の大きいことは! 直径二尺はあるだろう。そうして一体どうしたのだろう、時々その珠が忽然と、鏡のように光るのは? いやいや鏡のように光るのではなく、事実鏡に変わるのであった。誰がどうして変えるのだろう? もし誰か龕燈形の窓へ行きそこから外を覗いたなら、そこに真暗な部屋があり、そこに一人の人間がいて、絶えずこの部屋を覗きながら、その真暗な部屋の壁に、突起している幾個いくつかのボタンを、時々押すのを見ることが出来よう。その男の押すボタンに連れて、珠が鏡に変わるのである。部屋の広さ三十畳敷ぐらいそこに幾個か円卓があり、円卓の周囲まわりとうがある。そこで勝負をするのだろう、この時代には珍らしい、トランプが幾組か置いてある。
 だがもう一つこの部屋に続き、異様かわった部屋のあることを、ここへ来るほどの人間は、決して決して見落とすまい。寝椅子、垂幕、酒を載せた棚、そうして支那風の化粧をし、又支那風に扮装みづくろった幾人かの若い娘達、そういうもので飾られている、いわゆる酒場――安息所が、そこに作られているのだから。
 だがそれにしてもその部屋へは、どうしてどこから入って行くのだろう? 双龍の描いてある一つの扉、そこから入って行くのだろうか? いやいやそうではなさそうである。扉の外は廊下なのだから。……ではどこから行くのだろう? どこかに隠された扉でもあって、それを開けると行けるのらしい。
 勝負に勝った連中が、その部屋へ行って飲むのである。
 これも充分支那風の、南京玉でちりばめた、切子型の燈籠が、天井から一基下っていて、すみれ色の光を落としているので、この部屋は朦朧と、何となく他界的に煙っている。
 それにしてもこんな天保時代に、こんな支那風の不思議な部屋が、中央ではないにしても江戸の中に、出来ているとは何ということだろう? いずれこれの経営者は、鮫島大学に相違あるまいが、ではその鮫島大学なる武士は、どんな素性の者なのだろう? 支那と関係のある人間だろうか?

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