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前記天満焼(ぜんきてんまやけ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-2 7:45:26  点击:  切换到繁體中文



22

 組んだその腕をパラリと解くと、
「素性を明かしておくんなせえ」
 丁寧な語調で問いかけた。だが、態度には隙がない。
「さればさ」と云ったが沈痛であった。
「上州産れの乞食だと、こうもう私が云ったところで、合点をしては下さるまいねえ。……永らく私の住んでいた、その土地の名でも申しましょう。……遠い他国なのでございますよ」
「と云って唐でもありますめえ」
「いやその唐だよ、上海シャンハイだ!」
「上海?」
「左様」
「そうでしたかねえ」
「この国へ帰ったのは一年前」
 いよいよ沈痛の顔をしたが、
「追っかけて来たのでございますよ」
「何をね?」と松吉は突っ込んだ。
「大事なものを!」とただ一句だ。
「で、眼星は?」
「まず大体。……」
「付いた? 結構! 方角は?」
「あの方角で! 霊岸島!」
「うむ」と云うと岡引の松吉は、十手と取縄とを懐中へしまい、
「霊岸島には用がある。おいお菰さん、一緒に行こう」
「へい」と云ったが空を見た。
「夏は日永で暮れませんねえ」
「ホイ、ホイ、ホイ、そうでしたねえ、日のある中は何にも出来ねえ」
 だがその日もとうとう暮れ、夜が大江戸を領した時、いう所の、「ぶちこわし」――掠奪、放火、米騒動の、恐ろしい事件が勃発した。

 最初に暴動の起こったのは、霊岸島だということである。
 ここはその霊岸島で……
 今、一団の群集が、柏屋の裏口から走り出した。
 五十人余りの人数である。
 真先に立ったのは巫女姿のお久美で、点火した龕を捧げてい、御弊を片手に持っている。懐刀仕込みの御弊である。
 白衣、高足駄、垂らした髪、ユラユラユラユラと歩いて行く。
 傍に添ったのは市郎右衛門で、脇差を腰にさしている。
 それを囲繞した五十余人が、東北の方へ走って行く。
 大音に叫ぶはお久美の声で……
「おお信者らよ、教法を守れ! 破壊しようとするものがある! おお信者らよ、教法を守れ! ……有司の驕慢、幕府の横暴、加うるに天災、世は飢饉! 天父がお怒りなされたのだ! 恐れよ、慎め、おお人々よ! 天父をお宥め申し上げろ! ……続け、続け、我に続け! 浄土が見えよう、我に続け! 飢えたる者よ、我に来よ! 死したる者よ、甦るだろう! 病める者よ、癒されるであろう! ……食を見付けよ! 到る所にあろうぞ! 我に来る者よ、幸福であろうぞ! ……」
 東北の方へ進んで行く。次第に人が馳せ集まり、百人、百五十人、二百人となった。
「世の建て直しだ!」と誰か叫んだ。
「焼打ち! 焼打ち! 焼打ちにかけろ!」
 ボーッと一所から火が上った。
「浮世を照らせ! 浮世を照らせ!」
 火事が見る見る燃え拡がる。
 群集を掻き分け狂信者の一団は、東北へ東北へと走って行く。
 火事の凄じい紅の光! 青い火が一点縫って行く。お久美の捧げた龕の火だ!
 叫声! 悲鳴! 鬨の声! ドンドンドンと破壊の音! それが一つに集まって、ゴーッと巨大な交響楽となる。
 一瞬の間に霊岸島は、修羅の巷と一変した。
 と、その時、鮫島大学の、屋敷の門がひらかれて、
「さあ方々、出動なされ! 面白い芝居が打てましょうぞ!」
 こう叫んだ男がある。他ならぬ鮫島大学であった。
 と、ムラムラと出て来たは、大学一味の無頼漢であった。
「火の手は上った! 燃え上った! 役目をしようぞ、風の役目を!」
 同じく鮫島大学である。
 一団となって東北の方へ、走って行こうとした折柄、漲る暴徒を掻き分けて、こっちへ走って来る人影があった。
 岡引の松吉と「上州」である。


23

 岡引の松吉と上州と、そうしてお久美の一団とは、当然衝突しなければならない。
「上州、お前は自由ままにするがいい、俺は逃げるぜ。相手が悪い!」
 云いすてると岡引の松吉は、露地へ一散に駈け込んでしまった。
「いやはやまたも逃げ出しの番か、今日は朝からげんが悪い。……こいつがあたりまえの連中なら、何の俺だって逃げるものか。……ところが相手は大変者だ。のみならず今夜は大勢で、しかも狂人きちがいになっている。取り囲まれたら助からない」
 そこで、一散に走るのであったが、お久美を頭に狂信者の群が、その後を追って走って来た。
「今朝方秘密の道場を、看破った人間にございます。連雀町の松吉だと、自分から宣って居りました。岡引に相違ございません」
 こう云ったのは市郎右衛門で、脇差を抜いてひっ下げている。
「岡引といえば、官の犬、犬に嗅ぎ出された上からは、手入れをされると思わなければならない。手入れをされないその前に、是非とも命を取ってしまえ!」
 龕を捧げたお久美である。
「今朝方仰せをかしこみまして、追いかけましてございますが、とうとうとり逃がしてしまいました。懲りずにまたも近寄りましたは、何より幸いにございます。今度こそ逃がさず追い詰めて、息の根を止めるでございましょう」
 狂信者の群を見廻したが、
「向こうへ逃げて行くあの男こそ、我々にとっては無二の敵、教法を妨げる法敵でござる。追い付いて討っておとりなされ」
 狂信者の群が後を追う。
 背後うしろを振り返った岡引の松吉は、
「いけないいけない追っかけて来る。いよいよ今朝方と同じだ。さあてどっちへ逃げたものだ。まさかにもう一度扇女せんじょさんの家へ、ころがり込むことも出来ないだろう。一体ここはどこなんだろう?」
 霊岸島の一ノ橋附近で、穢い小家が塊まっている。火事の光でポッと明るく、立騒いでいる人の姿が、影絵のように明暗して見える。
「火事だ火事だ!」
「ぶちこわしだ!」
「さあ押し出せ!」
「ぶったくれ!」
 などという声々が聞こえてくる。
 軒に倒れている人間がある。飢えた行路人ゆきだおれに相違ない。家の中からけたたましい、赤子の泣き声が聞こえてくる。乳の足りない赤子なのであろう。
 そこを走って行く松吉である。
 と、右へ曲がろうとした。するとそっちから叫び声がした。
「こっちへ来るぞ打って取れ!」
 即ち狂信者の連中が、三方四方に組を分け、包囲するように追って来たが、その一組がその方角から、こっちへ走って来るのであった。
「いけない!」と喚くと岡引の松吉は、身を飜えすと左へ曲がった。
 なおも、ひた走るひた走る。
 するとその行手からこっちを目掛け、狂信者の群が走って来た。
「いけない」と露路へ走り込んだ。
「どうぞお助け下さいまし」
 露路に倒れていた一人の老婆が、腕を延ばすと縋り付こうとした。
「お粥なと一口下さりませ」
「こっちこそ助けて貰いたいよ」
 振り切って松吉はひた走る。
 出た所が川口町で、群集が飛び廻り馳せ廻っている。
 大火になると思ったのだろう家財を運んでいる者がある。
 ぶちこわしが恐ろしい連中なのであろう雨戸を閉ざす者もある。
 露路に向かって駈け込む者、露路から往来へ駈け出る者……それで、往来はごった返している。
「うむ、これなら大丈夫だ。身を隠すことも出来るだろう」
 松吉は背後うしろを振り返って見た。薄紅い火事の遠照を縫って、青い火が一点ゆらめいて来る。
「どうもいけない、目つかりそうだ」
 また走らなければならなかった。
 出た所が富島町で、それを突っ切ると亀島橋、それを渡れば日本橋の区域、霊岸島から出ることが出来る。
「よし」と云うと岡引の松吉は、亀島橋をトッ走った。
 中与力なかよりき町が眼の前にあって、組屋敷が厳しく並んでいる。
「しめたしめた」とそっちへ走った。
 組屋敷の一画へ出られたら、松吉は安全に保護されるだろう。
 だが運悪く出られなかった。ぶちこわしの一団が大濤のように、その方角から蜒って来て、すぐに松吉を溺らせて、東北へ東北へと走ったからである。
 掻き分けて出ようと焦ったが、人の渦から出られそうもない。
 で、東北へ東北へと走る。
 日本橋の区域も霊岸島と負けずに、修羅の巷を現わしていた。


24

 しかしさすがに蔵前へ迄は、ぶちこわしの手が届かないと見え、寧ろひっそりと寂れていた。
 と云うのはぶちこわしの噂を聞き込み、ここらに住んでいる大商人達が、店々の戸を厳重にとざし、静まり返っているからである。
 ふと現われた人影がある。
「とうとう大事になってしまった」
 他でもない宇和島鉄之進であった。
「江戸中騒乱の巣となろう。死人も怪我人も出来るだろう。霊岸島の方は火の海だ。八百八町へ飛火がしよう。と、日本中へ押し広がる。京都、大阪、名古屋などへも、火の手が上るに相違ない。幕府の有司のやり方が、不親切だからこんなことになる。金持のやり方もよくないよ」
 呟いたがフッと笑い出した。
「いやその金持の加賀屋の主人だが、もう帰ってはいないかしら。どうにも渡すものを渡さなければ苦になって心が落ちつかない」
 扇女せんじょのために危難を救われ、扇女の部屋でしばらく憩い、もうよかろうという時になって、芝居小屋から旅籠へ戻り、今まで休んでいたのであったが、預った物が心にかかる。そこで加賀屋をもう一度訪ねて、主人が帰っているようなら、早速渡そうと出て来たのであった。
 本多中務大輔なかつかさたいふの屋敷の前を通り、書替御役所の前を過ぎ、北の方へ歩いて行く。
 鮫島大学の一味に追われ、日中早足に歩いたところを、逆に歩いて行くのである。
 急に鉄之進は足を止めた。
 眼の前に加賀屋が立っている。しかし表戸は厳重に下ろされ、静まり返って人声もしない。
 しばらく見ていたが苦笑いをした。
「そうでなくてさえこんな大家は、点火ひともし前には戸を立てるものだ。ましてやこんな物騒な晩には、閉じ込めてしまうのが当然だ。――と云うことも知ってはいたが、やはりうかうか出て来たところを見ると、利口な俺とは云われないな」
 ここでちょっと考えたが、
「戸を叩くのは止めにしよう。怯えさせるのはよくないからなあ」
 そこでクルリと方向を変え、元来た方へ引っ返そうとしたが、
「待てよ」と呟くと足を止めた。
「今日長吉という若い手代が気になることを云ったっけ、『……裏木戸から出たのでもございましょうか、錠がこわれて居りました』と……その裏木戸を見てやろう」
 勿論単なる好奇心からではあったが、加賀屋の大伽藍の壁に添い、宇和島鉄之進は裏へ廻った。
 裏木戸の前まで来た時である、木戸の内側から女の声が、物狂わしそうに聞こえてきた。
「出しておくれよ、出しておくれよ!」
戸外そとは物騒でございます、今夜だけは止めなさりませ」
「出しておくれよ。出しておくれよ!」
「明日の昼にでも参りましょう。さあさあ、お嬢様、お休みなさりませ」
「ねえ乳母ばあや、献金しておくれよ。……お久美様へねえ。どっさりお金を」
「はいはい献金致しますとも。……今夜はお休みなさりませ」
「眼の前にお父様がおでなさる。……ああそうしてお兄様も。血だらけになってお在でなさる。……でもお二人とも呼吸いきはある。……助けてお上げよ! 助けてお上げよ!」
「ね、お嬢様、お休みなさりませ。……どなたか参るといけません。……ね、お嬢様、お嬢様。……」
「すぐ眼の前にいなさるのだよ。……ほんのちょっとした物の陰に。……わたしにはわかる! 妾には解る!」
「……どうでもお気が狂われた。……あれ誰やら参ります。……お部屋へお入りなさいまし。……オヤ、お前東三さんか」
 すると男の声がした。
「ああ蔵番の東三さ。……お繁さんお前何をしている」
「お嬢さんが出なさろうというのだよ。……それで妾は止めてるのさ」
「ふん」と東三の声がした。
「お前から勧めているのじゃアないか。……ただの乳母おんばさんとはちがうようだなあ」
「何だよ」とお繁の声がした。
「そういうお前さんだっていい加減変さ」

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