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敵討札所の霊験(かたきうちふだしょのれいげん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-12 9:22:13  点击:  切换到繁體中文


        九

 引続(ひきつゞき)ましてお聴(きゝ)に入れますが、世の中に腹を立ちます程誠に人の身の害になりますものはございません。殊(こと)に此の赫(か)ッと怒(いか)りますと、毛孔(けあな)が開いて風をひくとお医者が申しますが、何(ど)う云う訳か又極(ご)く笑うのも毒だと申します。また泣入(なきい)って倒れてしまう様に愁傷(しゅうしょう)致すのも養生に害があると申しますが、入湯(にゅうとう)致しましても鳩尾(みぞおち)まで這入って肩は濡(ぬら)してならぬ、物を喰ってから入湯してはならぬ、年中水を浴びて居るが宜(よ)いと申しますが、嫌な事を忍ぶのも、馴れるとさのみ辛いものではござりませぬ。何事も堪忍致すのは極く身の養生(くすり)、なれども堪忍の致しがたい事は女房が密夫(まおとこ)を拵(こしら)えまして、亭主を欺(だま)し遂(おお)せて、他(ほか)で逢引する事が知れた時は、腹を立たぬ者は千人に一人もございません。武田重二郎は中根の家へ養子に来てからお照が同衾(ひとつね)を為(し)ないのは、何か訳があろうと考えを起して居ります処へ、家来傳助がこれ/\と証拠の文を見せたから、常と違って不埓至極な奴、さア案内しろと云う。傳助も飛んだ事を云ったと思っても今更仕方がありません。重二郎は団子屋のお金の家へ裏口から這入った時はおきんは驚きまして、
きん「何うか私(わたくし)が悪いからお嬢様をお助けなすって下さい」
 と袖に縋(すが)るを振切って、どん/\と引提(ひっさ)げ刀で二階へ上(あが)りました時に、白島山平もお照も唯(た)だ恟(びっく)り致して、よもや重二郎が来ようとは思わぬから、膝に凭(もた)れ掛って心配して、何う致そう、寧(いっ)その事二人共に死んで仕舞おうかと云って居る処へ、夫が来たので左右へ離れて、ぴったり畳へ頭(かしら)を摺付(すりつ)けて山平お照も顔を挙(あ)げ得ません。おきんは是れは最(も)う屹度(きっと)斬ると思い、怖々(こわ/″\)ながら上(あが)って来て、
きん「何卒(どうぞ)御勘弁なすって下さい、お願いでございます」
重「まア/\静かに致せ、そう騒いではいかん、世間で何事かと思われる、えゝ何も騒ぐ事はない……これさお照お前何故(なぜ)そんなに驚きなさる、私(わし)が来たので畳へ頭(かしら)を摺付け、頭を挙げ得ぬが、何(なん)と心得て左様に恐れて居(い)るのか、何うも何ともとんと私には分りません……山平殿それでは誠に御挨拶も出来ぬから頭を挙げて下さい…きん、静かに致して下の締りを宜(よ)くして置くが宜いぞ、よう、賊でも這入るといかぬ」
きん「はい誠に何うも何ともお詫(わび)の致方(いたしかた)もございません、お嬢様が何も私(わたくし)が旧来奉公を致し、他に行(ゆ)く処もないからきんや家(うち)を貸せと仰しゃった訳でもございません、世間見ずで入(いら)っしゃいますから人の目褄(めつま)に掛ってはなりませんと私がお招(よ)び申したのが初めで、何卒(どうぞ)/\御勘弁なすって」
重「これさ静かにしろよう、何だか分りませんが、それじゃア何か差向(さしむかい)で居(い)る処へ私(わし)が上って来たから、山平殿と不義濫行(いたずら)でもして居ると心得て、私が立腹して此(こ)れへ上って来た故、差向で居た上からは申訳(もうしわけ)は迚(とて)も立たぬ、さア済まぬ事をしたと云うので左様に驚きましたか、左様か、然(そ)うだろう、然うでなければ然う驚く訳はない、誠にきん貴様は迷惑だ…のう山平殿、役こそ卑(ひく)いが威儀正しき其の許(もと)が、中々常の心掛けと申し、品行も宜しく、柔和温順な人で、他人(ひと)の女房と不義などをうん…なア…為(す)る様な非義非道の事を致す人でないなア……が差向で居(お)ったが過(あやま)りであった、男女(なんにょ)七歳にして席を同じゅうせずで、申訳が立たぬと心得て、山平殿も恐れ入って居(お)らるゝ様子、照も亦済まぬ、何う言訳しても身のあかりは立つまい、不義と云われても仕方がない、身に覚えはないけれども是れに二人で居たのが過り、残念な事と心得て其の様に泣入って居(お)ることか、何とも誠に気の毒な、飛んだ処へ私が上って来たのう、そう云う訳は決してないのう、きん」
きん「はい/\決して夫(そ)れはそう云う、あの、其様(そん)などうも訳ではございませんから」

        十

重「だからノウ、私(わし)が養子に来ぬ前から照の心掛は実に感心、云わず語らず自然と知れますな、と申すは昨年霜月三日にお兄様(あにさま)は何者とも知れず殺害(せつがい)され、如何(いか)にも残念と心得、御両親は老体なり、武士の家に生れ、女ながらも仇(あた)を討たぬと云う事はないと心掛けても、何(ど)うも相手は立派な士(さむらい)であり、女の細腕では討つ事ならず、誰(たれ)を助太刀に頼もう、親切な人はないかと思う処へ、親(ちか)しく出入(でいり)を致す山平殿、殊(こと)に心底も正しく信実な人と見込んだから、兄の仇討(あだうち)に出立したいと助太刀を頼んだので有ろうが、山平殿は私には然(そ)うはいかん、御養子前の大切の娘御を私が若い身そらで女を連れて行(ゆ)く訳には往(い)かん、両親の頼みがなければいかんなどと申されて、迚(とて)もお用いがないのを、止むを得ず助太刀をして下さいと照が再度貴公に頼んだは実に奇特(きどく)な事で、頼まれてもまさか女を連れて行(ゆ)く訳にもいかず、此方(こちら)は只管(ひたすら)頼むと云う、是は何うも山平殿も実に困った訳だが、私が改めてお頼み申す訳ではないが、山平殿、中根善之進殿を討ったは水司又市と私は考える、彼(あ)の日逐電して行方知れず、落書(らくがき)だらけの扇子(おうぎ)が善之進殿の死骸の側に落ちて有ったが、その扇子は部屋で又市が持っていた事を私は承知して居(い)るから、敵(かたき)は私の考えでは又市に相違なし、お国表へ立廻る彼(あ)アいう悪い心な奴、殊に腕前が宜しいから何(ど)んな事を仕出(しで)かすかも知れん、故に私が改めて貴公に頼むは、何うか隠密(おんみつ)になってお国表へ参って、貴公が何うか又市を取押えて呉れんか……照お前は何処迄(どこまで)も又市を探(たず)ねて討たんければならぬが、私から山平殿に一緒に行って下さいとは、何うも養子に来て間もなし、頼む訳には表向(おもてむき)いかんから、お前はお父様(とっさま)やお母様(っかさま)への申訳に、私(わたくし)も武士の家へ生れ女ながらも敵討を致したい故、池の端の弁天様へ、兄の仇(あだ)を討たぬ中(うち)は決して良人(おっと)を持ちませんと命に懸けての心願である処へ、強(た)って養子をしろと仰しゃるから養子をしたが、重二郎とは未(いま)だ同衾(ひとつね)を致しませんのは、是まで私が思い立った事を果(はた)さずば、何うも私が心に済みません、神に誓った事もあり、仇討(あだうち)に出立致す不孝の段はどの様にもお詫致す、無沙汰で家出致す重々不埓はお宥(ゆる)し下さいと、文面は私(わし)が教えるから私の云う通りに書きなさい、また山平殿は……貴公に倶(とも)に行って下さいとは云われないが、山平殿は国表へ参って彼(かれ)を取調べ、助太刀をしてお照が仇討をして帰る時、貴公も共に其の所へ行合(ゆきあ)わし、幸い助太刀をして本意を遂げさせしと云ってお帰りになれば、貴公の家は何うか潰(つぶ)さぬ様に致そう、重二郎刀に掛けても致すから、二人へ改めて頼む訳にはいかんが、然うして仇(あだ)を討たせて望(のぞみ)を叶(かな)えてやって下さい…お前は奉公した事がないからお父様お母様に我儘を云うが、山平殿は親切なれども長旅の事、我儘な事を云って山平殿に見捨てられぬ様に中好(なかよ)う、なにさ若(も)し捨てられては仇は討てず、亦これから先は長い旅、水も異(かわ)り気候も違うから、詰らん物を食して腹を傷(いた)めぬ様にしなさい、左様(そう)じゃアないか、何でも身を大切にして帰って来てくれんければ困りますぞ、縦(たと)えあゝは仰しゃるが、二人で居たから密通と思召(おぼしめ)すに違いない、密通もせぬに然う思われては残念と刃物三昧でもすると、お父様お母様に猶更(なおさら)済みませんぞよ、必ずとも道中にて悪い物を食して、腹に中(あた)らぬ様にしなさるが宜(よ)いのう、お照」
 と五月(いつゝき)になるお照の身重の腹を、重二郎に持って居ります扇でそっと突かれた時は、はッとお照は有難涙(ありがたなみだ)に思わず声が出て泣伏しました。

        十一

 山平も面目なく、
山「何共(なにとも)申訳はござらぬ、重々不埓至極な事拙者…」
重「いゝや少しも不埓な事はござらん、国表に於(おい)て又市が何(ど)んな事を為(す)るか知れん、万一重役を欺(あざむ)き、大事は小事より起る譬喩(たとえ)の通りで捨置かれん……お父様お母様へも書置を認(したゝ)めるが宜(よ)い……硯箱(すゞりばこ)を持って来な」
きん「はい」
重「硯箱を早く」
きん「はい」
重「何(な)んだ是は、松魚節箱(かつおぶしばこ)だわ」
きん「はい」
 と漸(ようや)く硯箱を取寄せて、紙(かみ)筆(ふで)を把(と)らせましても、お照は紙の上に涙をぽろ/\こぼしますから、墨がにじみ幾度も書損(かきそこ)ない、よう/\重二郎の云う儘に書終り、封を固く致しました。
重「これは私がお母様の何時(いつ)も大切に遊ばす彼(あ)の手箱の中へ入れて置く……きん、何(ど)うも長い間度々(たび/\)照が来てお前の家(うち)でも迷惑だろう、主人の娘が貸してくれと云うものを出来ぬとは義理ずくで往(い)かんし、親切に世話をしてくれ忝(かたじけ)ない、多分に礼をしたいが、帰り掛(がけ)であるからのう、是は誠に心ばかりだが世話になった恩を謝するから」
きん「何う致しまして私(わたくし)がそれを戴いては済みません、何うかそれだけは」
重「いゝや、其の替り頼みがあるが、今日私(わし)が来て照と山平殿に頼んで旅立をさせた事は、是程も口外して呉れては困る、少しも云ってはならぬよ、口外して他(ほか)から知れゝば、お前より外(ほか)に知る者はないから拠(よんどころ)なくお前を手に掛けて殺さなければならんよ」
きん「はい/\/\どう致しまして申しません」
重「じゃア宜しい、さア山平殿、照早く表へ出なさい、宜しいから先に立って出なさい」
 二人は何事も只(た)だ有難いと面目ないで前後不覚の様(よう)になって、重二郎の云う儘に表へ出に掛る。台所口の腰障子を開(あ)け、
重「大きに厄介になった…さア心配しなくも宜(よ)い、出なさい」
照「はい…金や長々お世話になりました」
きん「それじゃア直ぐに遠い田舎へいらっしゃいますか、親切にあゝ仰しゃって下さるから、本当に敵(かたき)を討ってお出でなさいよ」
照「誠に面目次第もございません」
重「口をきいてはいかん、さア/\」
 と二人を連れて出ると、傳助は提灯を持って路地に待って居りまして、
傳「誠に何うも宜く御勘弁なすって」
重「これ静かに致せ、両人(ふたり)を手討に致し他(た)を騒がしては宜しくないから」
傳「へい…」
重「人知れぬ処へ行って両人(りょうにん)とも討果すから袂(たもと)を押えて遁(にが)さぬように」
傳「へえ……へ宜しゅう」
重「これ提灯を腰へさせ」
傳「へい」
 と両人の袂を押えて重二郎に従って、池の端弁天通りから穴の稲荷の前へ参りますと、
重「これ/\、もう往来も途切れたな」
傳「へえー何うぞ御勘弁の出来ます事なれば願いとう、私(わたくし)は斯(こ)う云う事とは心得ませんで」
重「静(しずか)に致せ、照、山平、不埓至極な奴、予(かね)て覚悟があろう、それへ直れ」
 と云いながらすらりと長いのを抜きましたから、二人は彼(あ)アは云って出たが、是で手討にされることかと覚悟をして、両手を合わせ頸(くび)を伸ばして居る。
重「女から先(ま)ず先へ斬らなければならん、傳助広小路の方から人が来やアしないか」
傳「いゝえ」
 と覗(うかゞ)う傳助の素頭(すこうべ)を、すぽんと抜打(ぬきうち)にしましたが、傳助は好(い)い面の皮。
重「あゝいや驚かんでも宜しい、主人の事を有る事無い事告口(つげぐち)を致す傳助、家に害をなす奴、此処(こゝ)で切殺(きりころ)せば誰(たれ)も知る者はない、試切(ためしぎり)か何かに遭(あ)ったのだろうで済んでしまう」
 と小菊の紙を出して血を拭(ぬぐ)い、鞘(さや)に納め、有合せの金子を出して、
重「多分に持参すれば宜かったが、今まで心得なかった故、ほんの持合せで二十金ある、路銀の足しにも成るまいが、是でお前が仇(あだ)を討って帰ってくれんでは、私(わし)が一生不孝者で終らんければならん、お前の家も絶えてはならん、照も実に道に背いた女と云われるもお前の心一つであるぞよ……我儘者だが何卒(どうぞ)面倒を見て下さるようにお頼み申すぞ」
山「あゝ忝(かたじけ)のうござる」
 と重二郎の心底何(なに)とも申し様もございませんから、貰いました路銀を戴きます。
重「達者で行って参れよ」
 とちゃら/\雪駄穿(せったばき)で行(ゆ)くのを、二人は両手を合せて泣きながら見送ります。重二郎は深い了簡がある事で、其の儘屋敷へ帰りましたが、二人は何うしても仇を討たんでは帰られません。これから仇討出立に相成りますが、一寸(ちょっと)一息つきまして。

        十二

 偖(さて)お話は二(ふたつ)に分れまして、水司又市は恋の遺恨で中根善之進を討って立退(たちの)きました。本(もと)はと云えば増田屋の小増と云う別嬪からで、婦人に逢っては何(ど)んな堅い人でも騒動が出来ますもので、だがこの小増は余程勤めに掛っては能(よ)く取った女と見えて、その事を後(あと)で聞いて、
小増「彼(あ)の時私があゝ云う事をした故斯(こ)う云う事になったのだろう、中根はんは可愛相な事をした、気の毒な」
 とくよ/\欝(ふさ)ぎまして見世を引いて居りますから、朋輩は
「くよ/\しないでお線香でも上げて、お前(ま)はんお題目の一遍もあげてお遣(や)んなはい」
 と勧められ、くよ/\して客を取る気もなく情(じょう)のある様な振(ふり)をするも外見(みえ)かは知れませんが、皆来ては悔(くや)みを云う。処が翌年になって風(ふ)と来た客は湯島(ゆしま)六丁目藤屋七兵衞(ふじやしちべえ)と云う商人(あきゅうど)、糸紙(いとかみ)を卸(おろ)す好(よ)い身代で、その頃此の人は女房が亡(なくな)って、子供二人ありまして欝いで居るから、仲間の者が参会の崩れ
「根津へ行って遊んで御覧なさらんか、ちょうど桜時で惣門内を花魁(おいらん)の姿で八文字(はちもんじ)を踏むのはなか/\品が好く、吉原も跣足(はだし)で、美くしいから行って御覧なさい」
 と誘われて行(ゆ)くと、悪縁と云うものは妙なもので、増田屋の小増は藤屋七兵衞の敵娼(あいかた)に出る、藤屋七兵衞の年は二十九だが、品が好い男で、中根善之進に似ている処から一寸(ちょっと)初会に宜(よ)く取ったから足を近く通う気になり、女房はなし、遠慮なしに二会馴染(うらなじみ)をつけ、是から近(ちか)しく来るうち互に深くなり、もう年季は後(あと)二年と云うから、そんなら身請(みうけ)しようと云い、大金を出して其の翌年の二月藤屋の家(うち)へ入る。手に採(と)るな矢張野に置け蓮華草(れんげそう)、家(いえ)へ入ると矢張並の内儀(おかみ)さんなれども、女郎に似合わぬ親切に七兵衞の用をするが、二つになるお繼(つぎ)という女の子に九つになる正太郎(しょうたろう)という男の子で悪戯盛(いたずらざか)り、可愛がっては居りますけれども、何(ど)うも悪態をつき、男の子はいかんもので、
正「己(おら)ん処(とこ)のお母(かあ)はお女郎だ、本当の好(よ)い花魁ではない、すべた女郎だ」
 なんどと申しますから、
増「小憎らしい、此の子供(がき)は悪態をつく」
 と頬片(ほゝぺた)を捻(つね)る、股たぶらを捻る、女郎は捻るのが得手で、禿(かむろ)などに、
「此の子供(がき)アようじれってえよ」
 などゝ捻るものでございます。正太郎を其の如くに捻ったり打擲(ちょうちゃく)を致しますから痣(あざ)だらけになります。さア奉公人は贔屓(ひいき)をする者もあり、又先(せん)の内儀(おかみさん)が居(お)れば斯(こ)んな事はないなどと云い、中には今度の内儀は惣菜の中に松魚節(かつおぶし)に味淋(みりん)を入れるから宜(い)いなどと小遣(こづかい)を貰うを悦ぶ者もあり、小僧も彼方此方(あちらこちら)へ付きまして内がもめまする。先妻は葛西(かさい)の小岩井村(こいわいむら)の百姓文左衞門(ぶんざえもん)の娘で、大根畠(だいこんばたけ)という処に淺井(あさい)様と云うお旗下(はたもと)がございまして其の処へ十一歳から奉公をして居りましたから、江戸言葉になりまして、それに極(ごく)堅い人で、家を治めて居りました処が、夭死(わかじに)を致しましたけれども、田舎は堅いから娘を嫁付(かしづ)けますと盆暮には屹(きっ)と参りますが、此方(こちら)では女房が死んでからは少しも音信(おとづれ)をしない、けれども、向うには二人の孫があるので、柿時には柿を脊負(しょ)って婆様(ばあさま)が出掛けて来ます。
婆「はア御免なせえ」
男「へいお出でなさい、久しくお出でなさいませんね」
婆「誠に無沙汰アしました、皆(みんな)は変りねえか」
男「へい皆(みな)変る事もござりません…あの坊ちゃん田舎のお婆さんがお出でなすったよ」
 と云うと嬉しいから、ちょこ/\と駈出して来て、
正「お婆さんおいで」
婆「何うした、毎度来てえ/\と思っても忙しくて来(き)られねえで、汝(われ)が顔を見てえと思って来たが、なにかお繼は達者か、なにか店へも出ねえが疱瘡(ほうそう)したか、然(そ)うだってえ話い聞いた、それ汝(われ)がに柿を持って来た、はア喰え」
正「柿、有難う、田舎のお婆さんが柿を持って来てくれると宜(い)いって然ういって居たが、お父(とっ)さんが、あのまだ青いから最(も)う少したって、お月見時分には赤くなるからってそう云ったよ」
婆「何だか知らねえがお母(っかア)が異(ちが)って何うせ旨くは治(おさま)るめえ、汝(われ)が憎まれ口でも叩いて、何うせな家(うち)もうなや[#欄外に校注:おだやか○平穏○]にゃア往(い)くめえと文吉(ぶんきち)も心配して居るが、何うも仕方がねえ、早く女親に別れる汝だから、何うせ運は好(よ)くねえと思って居るが、何でも逆らわずにはい/\と云って居ろよ」

        十三

正「はい/\て云って居るの、あのねえお手習に往(い)くのも六つの六月から往くと宜(い)いて云ったけれども早いからてね、七つの七月から往く様になったから、先(せん)にはお弁当なんぞも届けて呉れるのだが、今度のお母(っか)さんが来てからは然(そ)う往かないの、お父さんが何処(どこ)かへ行ってもお土産に絵だの玩具(おもちゃ)だの買って来たが、此の頃は買って来ないでお母さんの物計(ばか)り簪(かんざし)だの櫛(くし)だのを買って来て、坊には何にも買って来てくれないよ」
婆「汝(われ)のような可愛い子があっても子に構わず後妻(のちぞい)を持ちてえて、おすみの三回忌も経たねえうち、女房を持ったあから、汝よりは女郎(じょうろ)の方が可愛いわ……虐(いじ)めるか」
正「怖ろしく虐めるの、縁側から突飛(つきとば)したり…こんなに疵(きず)が有るよ、あのね裁縫(しごと)が出来ないに出来る振をして、お父さんが帰ると広げて出来る振をして居るの、お父さんが出て行(ゆ)くと、突然(いきなり)片付けて豌豆(えんどうまめ)が好きで、湯呑へ入れて店の若衆(わかいし)に隠して食べて居るから、お母さんお呉れって云ったら、遣(や)らないと云ってね、広がって居るから縫物(しごと)を踏んだら突飛して此処(こゝ)を打って、顋(あご)へ疵が出来たの」
婆「呆れた、大(でか)い疵があるに気が注(つ)かねえで居た、それで汝(われ)黙って居たか、父(ちゃん)に云わねえか」
正「云った、云ったけれどもお母さんが旨く云って、おのお前の着物を縫っていると踏んだから、いけないと云ったら、態(わざ)と踏んだから縫物(しごと)を引張(ひっぱ)ったら滑って転んだって然(そ)ういって嘘をつくの、先(せん)のお母さんが生きていると宜(い)いんだけれども、お婆さんの処へ逃げて行(い)こうと思った、連れてって呉れねえか」
婆「おゝ連れて行かねえで、見殺しにする様なもんだから、可愛そうに、汝(われ)に食わせべえと思って柿を持って来たゞ」
正「あのね麦焦(むぎこがし)が来ても、自分で砂糖を入れて塩を入れて掻廻してね、隠して食べて、私には食べさせないの、柿もね、皆(みん)な心安い人に遣(や)って坊には一つしか呉れないの、渋くッていけないのを呉れたの」
婆「それは父(ちゃん)に汝(われ)いうが宜(よ)い」
正「云ったっていけない、いろんな嘘をついて云つけるからお父さんは本当と思って、あのお母さんは義理が有るのだから大事にしなければならない[#「ならない」は底本では「なならい」]、優しくすれば増長する、今からそれじゃアいけねえってねえ、一緒になってお父さんが拳骨で打(ぶ)って痛いやア」
婆「あれえ一緒になって、呆れたなア本当にまア、好(え)え、七兵衞どんに己(おれ)逢って、汝(われ)だけはお婆さんが連れて行(い)く、田舎だアから食物(くいもの)アねえが不自由はさせねえ、十四五になれば立派な処(とけ)へ奉公に遣って、藤屋の別家を出させるか、然(そ)うでなければ己が方の別家(べっけ)えさせるから一緒に行くか」
正「行きたいやア、だから田舎で食物が無くってもお母さんに抓(つね)られるより宜(い)いから行くよ」
七「何方(どなた)かお出でなすった……おやお出でなさい、榮二郎(えいじろう)お茶を持って来てお婆さんに上げな、田舎の人だから餅菓子の方が宜(い)いから……宜(よ)くお出でなすったね、お噂ばかり致して居りまして、此方(こちら)から一寸(ちょっと)上(あが)らなければ成らんですが、何分忙がしいので店を空けられないで、御無沙汰ばかり、まア此方へ」
婆「はい御免なせえ、御無沙汰アして何時(いつ)も御繁昌と聞きましたが、文吉も上(あが)らんではならねえてえ云いますが、秋口は用が多いで参(めえ)り損(そく)なって済まねえてえ噂ばかりで、お前(めえ)さんも達者で」
七「まことに宜くお出でなすった、帝釈様(たいしゃくさま)へお詣(まい)りに行こうと思って、帰りがけにお寄り申そうとお梅(うめ)とも話をして居たが……お梅」
梅「おや宜く入(いら)っしゃいました、宜く田舎の人は重い物を脊負(しょ)ってねえ」
婆「はい御無沙汰、はい己(おら)が屋敷内に実(な)りました柿で、重くもあるが何(ど)うかまア渋が抜けたら孫に呉れべえと、孫に食わしてえばっかりで、重(おめ)えも厭(いと)わず引提(ひっさ)げて来ましたよ……はア最う構わず、飯も食って来ましたから、途中で足い労(つか)れるから蕎麦ア食うべえと思って、両国まで来て蕎麦ア食ったから腹がくちい、構って下さるな…七兵衞さん、私(わし)参(めえ)って相談致しますが、惣領の正太郎は私が方へ引取(ひきと)るから」
七「何(なん)で、何(ど)ういう訳で」

        十四

婆「何ういう訳もねえ、おらが方へ来てえだ云うが、おらが方へ置きたくはねえが、お前様(めえさま)ア留守勝で家(うち)の事は御存じござんねえが、悪戯(いたずら)は果(はた)すかは知らねえが、頑是(がんぜ)がねえ十(とお)にもなんねえ正太郎だから、少しぐれえの事は勘弁して下さえ」
七「あれさお婆さん極りを云って居るぜ、来ると愚痴を云うが、私(わし)の子だもの、奉公人も付いて居るわね……正太は又田舎のお婆さんに何か云ッつけたな」
正「何も云ッつけやアしない、お婆さんが彼方(あっち)へ連れて行くてえから行きてえや」
七「行きたいと」
婆「何ういう訳で大事の親父(おやじ)をまず捨てゝ、己(おら)が方の田舎へ来てえ、不自由してもと児心(こゞころ)にも思うは能(よ)く/\だんべえと思うからお呉んなさえ、縁切(えんきり)でお呉んなさえ」
七「そんな馬鹿な事を云ってはいけません」
婆「何故(なぜ)そんならぞんぜえに育てるよ」
七「ぞんざいに育てはしませんよ」
梅「旦那……正太郎が云ッつけたのでお婆さんは然(そ)うと思って居るのでしょう、私だっても頑是がないから、それは彼(あ)れも我儘を致しますが、邪慳(じゃけん)に育てることは出来ません、仏様の前も有りますから、私も来たての身の上で私が邪慳に育てるようなことは有りませんよ」
婆「邪慳にしないてえ、これが顋(あご)の疵(きず)は何うした、なぜ縁側から突落(つきおと)した、お女郎(じょうろ)だアから子を持ったことが無(ね)えから、子の可愛い事は知りますめえが、あんたに子が出来て御覧なさえ、一つでも打(はた)くことは出来ねえよ、辛いから児心にも己(おら)ア方へ行きてえと云うのだ、おらは正太を此処(こゝ)へは置かれましねえよ」
七「お婆さん何処(どこ)までも正太は連れて行くと云うが、家督させようと云うので何う有っても遣(や)らぬてえば何うする」
婆「遣らぬと云えば命に掛けても連れて往(い)きやすべえ、打(ぶ)ったり擲(たて)えたりして疵を付けるような内へは置かれやしねえじゃアござんねえか、何処へ出てもお代官様へ出ても連れて行(い)くだア、はア」
七「そんな事を云って……正太手前(てめえ)お婆さんの方へ行きたいか」
正「行きたいや」
婆「それ見なさえよ、善(よ)く云った、何うあっても縁切で」
七「そんなら上げましょう、其の代り何(なん)ですぜ、お前(まえ)さんの処とは絶交ですぜ」
婆「絶交でも何でも連帰りやすべえ」
七「行通(ゆきかよ)いしませんよ」
婆「当りまえ、おらア方で誰が来(こ)べえ、お前(めえ)さんのような女房が死んで一周忌も経たねえ中(うち)、女郎(じょうろ)を買って子供に泣きを掛けるような人では、何(ど)んな事が有ってもお前さんの側へは参(めえ)りませんよ、碌(ろく)な物も喰わせねえではア」
梅「あゝ云うことを云って、正太が云ッつけるからですよ」
婆「何云ったって是が皆(みん)な知って居らア、何だ、さア正太来い」
 と中々田舎のお婆さんで何と云っても聴きません。到頭強情で、正太郎を負(おぶ)って連れて帰った。さア一つ災(わざわい)が出来ますと、それからとん/\拍子に悪くなります。

        十五

 翌年湯島六丁目の藤屋火事と申して、自宅から出火で、土蔵二戸前(ふたとまえ)焼け落ち、自火(じか)だから元の通り建てる事も出来ませんで、麻布(あざぶ)へ越しましたが、それから九ヶ年過ぎますると寛政四壬子年(みずのえねどし)麻布大火でござります。市兵衛町(いちべえちょう)の火事に全焼(まるやけ)と成りまして、忽(たちま)ちの間に土蔵を落す、災難がある、引続き商法上では損ばかり致して忽ち微禄して、只今の商人方(あきんどがた)と異(ちが)って其の頃は落るも早く、借財も嵩(かさ)み、仕方が無いから分散して、夫婦の中に十歳になりますお繼という娘を連れて、行(ゆ)く処(ところ)もなく、越中(えっちゅう)の国射水郡高岡(いみずごおりたかおか)と云う処に、萬助(まんすけ)という以前の奉公人が達者で居ると云うから、これを頼って行(ゆ)き、大工町(だいくちょう)という片側町(かたかわまち)で、片側はお寺ばかりある処へ荒物店(あらものみせ)を出し、詰らぬ物を売って商い致す中(うち)に、お梅もだん/\慣れまして、外(ほか)に致方(いたしかた)も無いから人仕事(ひとしごと)を致しますし、碌には出来ませんが、前町(まえまち)は寺が多いからお寺の仕事をします。和尚さんの着物を縫ったり、納所部屋(なっしょべや)の洗濯をしたり、よう/\と細い煙りを立てまして居ります中(うち)、お話は早いもので、もう此の高岡へ来ましてから三年になりますが、大工町に宗慈寺(そうじじ)という真言宗の和尚さんは、永禪(えいぜん)と申して年三十七でございます。此の人は誠に調子の宜(い)い和尚さんで、檀家の者の扱いが宜しいから信じまして、畳を替える本堂の障子を張替(はりかえ)る、諸処を修繕するなど皆檀家の者が各番(かくばん)に致す、田舎寺で大黒の一人ぐらいは置くが、この和尚は謹慎(つゝしみ)のよい人故仕事はお梅を頼み、七兵衞が来ると調子宜くして、
永「お前は以前(もと)大家(たいけ)と云うが、災(わざわい)に遭(あ)って微禄して困るだろう、資本(もとで)は沢山は出来ぬが十両か廿両も貸そう」
 と云って金を貸す。苦し紛れに借ると返せないから言訳に行くと、
永「もう十両も持って行(い)け」
 と三四十両も借財が出来ましたから、お梅は大事にしてはお寺へ手伝(てづた)いに行(ゆ)き宜く勤めます。ちょうど九月節句前、鼠木綿の着物を縫上げて持って行(ゆ)くと、人が居ないから台所から上(あが)り、
梅「あの眞達(しんたつ)さん、庄吉(しょうきち)さん……居ないの、何方(どなた)も入(いら)っしゃいませんか」
永「誰(たれ)じゃ」
梅「はい」
永「おゝお梅さんか、此方(こっち)へ来なさい」
梅「はい、まことに御無沙汰致しました」
永「いゝや最(も)う何(ど)うも、もう出来(でけ)たかえ、早いのう、今ねえ皆使(つかい)に遣(や)ったゞ、眞達も庄吉も居ないで退屈じゃア有るし、それに雨が降って来た故」
梅「いゝえ大した雨でもございません、どうと来るようで又あがりそうでございますよ」
永「そうかえ、檀家の者も来ぬから一人で一杯遣って居たのよ、おゝ着物がもう出来(でけ)たか、好(よ)う出来た」
梅「お着悪(きにく)うございましょうが……お着悪ければ又縫直しますから召して御覧なさいまし」
永「好う出来(でけ)た、一盃酌(つ)いで呉れんかえ、何(なん)ぼう坊主でも酒の酌(しゃく)は女子(おなご)が宜(え)え、妙なものだ、出家になっても女子は断念出来ぬが、何うも自然に有るもので、出家しても諦められぬと云うが、女子は何うも妙に感じが違う」
梅「旨いことを仰しゃること、あなた此の間の松魚節味噌(かつおぶしみそ)ね、あれは知れませんから又※(「赭のつくり/火」、第3水準1-87-52)(に)て来ましょう」
永「あれか、旨かった、あれ宜(え)えのう……一盃遣りなさい」
 と一盃飲んでお梅に献(さ)す、お梅が飲んで和尚に献す。その中(うち)酒の酔(えい)が廻って来まして、
永「眞達は帰りませんわ、大門(だいもん)まで遣ったが、お梅はんお前もまア一昨年から前町へ来て、彼(あ)のようにまア夫婦暮しで宜(よ)く稼ぎなさるが、七兵衞さんは以前(もと)大家の人ですが、運悪く田舎へ来てなア気の毒じゃ、なれど此の高岡は家数(やかず)も八千軒もある処で、良い船着(ふなつき)の処(とこ)じゃが、けれども江戸御府内にいた者は何処(どこ)へ行っても自由の足りぬものじゃ、さぞ不自由は察しますぞよ……お梅はん私(わし)をお前忘れたかえ、覚えて居まいのう」

        十六

梅「はい覚えてと仰しゃるは」
永「私(わし)の顔を忘れたかえ、十三年も逢わぬからなア」
梅「そうでございますか、じゃア旦那江戸にいらっしゃいましたことが有るの」
永「お前は以前(もと)根津の増田屋の小増という女郎(じょうろ)だね」
梅「あれ不思議な、旦那何(ど)うして知れますの」
永「何うしたって、それは知れる、忘れもしない十三年前(あと)、九月の月末(つきずえ)からお前の処へ私(わし)も足を近く通った、私は水司又市だが忘れたかえ」
梅「おやまア何うも、旦那然(そ)う仰しゃれば覚えて居ますよ、だけれどもお髪(ぐし)が変ったから些(ちっ)とも分りませんよ……何うもねえ」
永「何うもたって私(わし)は忘れはせんぜ、お前此処(こゝ)へ来ると直(す)ぐ知れた、若いうち惚れたから知れるも道理、私は頭ア剃(そり)こかして此の宗慈寺へ直って、住職して最(も)う九年じゃアが、斯(こ)うなってから今まで女子(おなご)は勿論腥(なまぐさ)い物も食わぬも皆お前故じゃア」
梅「私ゆえとは」
永「忘れやアしまい、お前が斯様(かよう)じゃア、榊原藩の中根善之進は間夫(ふかま)じゃアからと云うて、金を私(わし)の膝へ叩き付けてな忘れやアしまい」
梅「あれ昔の事を云っては困りますね、年の往(い)かない中(うち)は下(くだ)らないもので、女郎(じょろう)子供とは宜(よ)く云ったもので、冥利(みょうり)が悪いことで、その冥利で今は斯うやって斯う云う処へ来て、貧乏の世帯(しょたい)にわく/\するも昔の罰(ばち)と思って居りますよ」
永「丁度あのそれ忘れやアせんで、あの時叩付けられたばかりでない、大勢で悪口(あっこう)云われ、田舎武士と云って、手前などが女子(おなご)を買っても惚れられようと思うは押(おし)が強いなどと云って、重役の権(けん)を振(ふる)って中根が打擲(ちょうちゃく)して、扇子の要(かなめ)でな面部を打割られたを残念と思って、私(わし)は七軒町の曲角(まがりかど)で待伏(まちぶせ)して、あの朝善之進を一刀に切ったのは私じゃアぜ」
梅「あれまアどうも」
永「宜(よ)えか、斯(こ)う打明けた話じゃが切ってしまって眼が醒(さ)めて、あゝ飛んだ事をしたと思ったがもう為(し)てしまい是非がない、とても屋敷には居(い)られない、外(ほか)に知己(しるべ)がないから風(ふ)っと思い付き、此処(こゝ)に伯父が住職して居るから金まで盗んで高飛(たかとび)し、頭を剃(そっ)こかして改心するから弟子にしてと云うて、成らぬと云うを強(たっ)て頼み、斯う遣(や)って今では住職になって、十三年も衣を着て居るもお前故じゃないか、人を殺したのもお前故じゃ」
梅「何うもねえ、然(そ)うで、何うもねえまア、何うもねえ、元は私が悪いばかりで中根さんも然ういう事になり、罪作りを仕ましたねえ」
永「七兵衞さんは知るまいが、金を貸すもお前故だ、是まで出家を遂(と)げても、お前を見て私(わし)は煩悩が発(おこ)って出家は遂げられませんぜ」
梅「お前さん……あれ、何をなさる、いけませんよ、眞達さんが帰るといけません、あれ」
永「私(わし)ももう隠居しても宜(え)えじゃア、どの様な事が有っても此処(こゝ)は離れやアせんじゃ、後住(ごじゅう)を直して、裏路(うらみち)の寂しい処へ隠居家(いんきょや)ア建てゝ、大黒の一人ぐらいあっても宜えじゃア、七兵衞さんが得心なれば何うでもなる、此方(こっち)へ来て金も沢山貯めて居るが、嫌かえ、私はお前故斯う遣って人を殺して出家になり、お前が又来て迷わせる、罪じゃアないか」
 とぐっと手を引き、お梅の脊中へ手を掛けて膝を突寄(つきよ)せた時は、お梅はあゝ嫌と云うたら人を殺すくらいの悪僧、どんな事をするか知れぬ、何うかして此処を切抜け様と心配致すが、此の挨拶は何うなりますか、一寸(ちょっと)一息(ひといき)つきまして。


 

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