您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 鈴木 行三 >> 正文

敵討札所の霊験(かたきうちふだしょのれいげん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-12 9:22:13  点击:  切换到繁體中文


        二十一

梅「誰だえ」
眞「ちょっと開けてくださませ」
梅「誰だえ」
眞「眞達で、旦那に逢いたいので、一寸(ちょっと)なア」
永「居ないてえ云え」
梅「あの旦那は此方(こちら)においでなさいませんが」
眞「その様なことを云うてもいかぬ、そこに並んで居るじゃ」
永「あゝ覗(のぞ)いて居やアがる」
梅「おや覗いたり何かして人が悪いよ」
永「障子閉(た)てゝ置けば宜(よ)いに」
梅「さア此方(こち)へお這入んなさい」
永「いや今近江屋(おうみや)へ往ってのう、本堂の修繕(しゅぜん)かた/″\相談に往って、帰り掛に一寸寄ったら、詰らぬ物だが一杯と云うて馳走になって居(い)るじゃ、今帰るよ」
眞「帰らぬでも宜(え)えので、檀家の者が来ればお師匠さんが程の宜え事云うて畳替えも出来(でけ)、飛石(とびいし)が斯(こ)うなったとか何(なん)とか云えば檀家の者が寄進に付く、じゃけれど此方(こっちゃ)も骨が折れる、檀家の機嫌気づまとるは容易(ようえ)なものじゃアないじゃて、だから折々は気晴しも無ければ成らん、気を晴さんでは毒じゃ、泊っても宜(え)えがじゃ、眞達が檀家の者は宜え様にするから泊っても宜えがにして置くじゃ」
永「いや直(じき)に帰ります」
眞「もしお梅はん、大事に気晴しのなるようにして呉れんなさませ…あゝ私(わしゃ)なア済まぬが金(かね)十両借りたいが、袈裟文庫を抵当(かた)に置くから十両貸してくんなさませ」
永「此奴(こいつ)此間(こないだ)三両貸せてえから貸したが返さぬで、袈裟文庫、何(なん)じゃえ、出家の身の上で十両などと、汝(われ)が身に何で金が入(い)る」
眞「此間(こないだ)瞽女町へ往て芸者を買(こ)うたが、面白くって抱いて寝るのではないが遊んだので、借金が有るから袈裟文庫を預けようと思うたが、明日(あした)法事が有っても困りますから、是を貴方(あんた)へ預けて置いて、明日法事が有れば勤めてお布施で差引く」
永「黙れ、何だ二三百のお布施で埓(らち)が明くかえ、貸されぬ、うーん悪い処(ところ)へ往(ゆ)き居(お)って、瞽女町で芸者買うなんて不埓千万な奴じゃア」
眞「然(そ)う云いやすなね、人は楽(たのし)みが無ければ成らぬ、葬式(ともらい)が有れば通夜に往(い)て眠い眼で直(すぐ)に迎い僧を勤め、又本堂へ坐って経を読むは随分辛いが、偶(たま)には芸者の顔も見たい、人間に生れて何も出家じゃアって人間じゃア、釈迦も私(わし)も同じ事じゃ、済まぬが一寸(ちょっと)、貴方(あんた)だって種々(いろ/\)此方(こっちゃ)へ来てお梅はんとねえ、何事もないじゃアねえ、お梅はんと気晴しに一杯やれば甘(うま)いから、お互に一寸は楽しみをして気を晴らさんでは辛い勤めは出来(でけ)ん、お梅はんの処へ泊っても庄吉にも云わぬじゃ、私が心一つで」
永「うーん種々な事を云うな……貸すが跡で返せ、それ持って往(ゆ)け」
眞「有難い、これども……お梅はん余(あんま)り大切(だいじ)に仕過ぎて、旦那の身体悪うしては成らぬから、こりゃはやおやかましゅう」
 とさあッ/\と帰って来て、
眞「傳次さん貸したぜ」
傳「え」
眞「貸した」
傳「何うだい貸したろう」
眞「えらいもんじゃア十両貸した」
傳「なんだ十両か、たったそればかり」
眞「いや初めてだから十両、又追々(おい/\)と云うて貸りるのじゃ」
 などと是から納所部屋にて勝負事をする。予(かね)て二番町(まち)の会所小川様から探索が行届(ゆきとゞ)き、十分手が廻って居(い)るから突然(だしぬけ)に手が入りました。
「御用/\」
 と云う声に驚きましたが、旅魚屋の傳次は斯う云う事には度々(たび/\)出会って馴れて居るから、場銭(ばせん)を引攫(ひっさら)って逃出す、庄吉も逃出し、眞達も往(ゆ)く処がないから庫裏(くり)から庭へ飛下り、物置へ這入って隠れますと、旅魚屋の傳次は本堂へ出ましたが、勝手を知らんから木魚に躓(つまづ)き、前へのめる機(はず)みに鉄灯籠(かなどうろう)を突飛し、円柱(まるばしら)で頭を打ちまして経机(きょうづくえ)の上へ尻餅をつく。須弥壇(しゅみだん)へ駈け上ると大日如来が転覆(ひっくり)かえる。お位牌はばた/\落ちて参る。がら/\どんと云う騒ぎ。庄吉は無闇に本堂の縁の下へ這込みます。傳次は馴れて居るから逃げましたが、庄吉は怖々(こわ/″\)縁の下へ段々這入りますと、先に誰か逃込んで居るから其の人の帯へ掴(つか)まると、捕物(とりもの)の上手な源藏(げんぞう)と申す者が潜(もぐ)って入(い)り、庄吉の帯を捕(とら)えて、
源「さア出ろ/\」
 と引出(ひきいだ)す。
庄「こりゃはい迚(とて)も/\、どもはや私(わし)は見て居(お)ったので」
 自分の掴まえて居(い)る帯を放せば宜(よ)いに、先の人の帯を確(しっ)かりと捉(とら)えて居たからずるずると共に引摺(ひきず)られて出るのを見ると、顔色(がんしょく)変じて血に染(そ)みた七兵衞の死骸が出ますと云う、これから永禪和尚悪事露顕のお話、一寸一息つきまして。

        二十二

 お話は両(ふたつ)に分れまして、大工町の藤屋七兵衞の宅へ毎夜参りまして、永禪和尚がお梅と楽しんで居ります。すると丁度真夜中の頃に表の方から来ましたのは眞達と申す納所坊主…とん/\、
眞「お梅はん/\ちょと明けてお呉(く)んなさい」
梅「はい…旦那、眞達はんが来ましたよ」
永「あゝ来やアがったか、居ないてえ云え、なに、いゝえ来ぬてえ云えよ」
梅「あの眞達さん、何の御用でございますか」
眞「旦那にお目に懸りたいのでげすが、何(ど)うぞ一寸(ちと)和尚さんに逢わしてお呉んなさい」
梅「旦那はあの今夜は此方(こちら)にお出でなさいませんよ」
眞「そんな事を云うても来てえるのは知っているからえけません、宵にお目に懸って此方(こっちゃ)に泊っても宜(え)いと云うたのだから」
永「じゃア仕方がない、明けて遣(や)れ」
 と云うので、仕様がないからお梅が立って裏口の雨戸を明けますると、眞達はすっとこ冠(かぶ)りにじんじん端折(ばしょり)をして、跣足(はだし)で飛込んで来ました。
永「何(なん)じゃ、どうした」
眞「お梅はん、後(あと)をぴったり締めてお呉んなさい、足が泥になってるから此の雑巾で拭きますからな」
永「何う為(し)よったじゃア、深更(しんこう)になってまア其の跣足で、そないな姿(なり)で此処(こゝ)へ来ると云う事が有るかな、困った者(もん)じゃア、此処へ来い、何うした」
眞「和尚さん最前なア、私(わし)ア瞽女町で芸者買って金が足りないから貴方(あなた)に十両貸してお呉んなさいましと、まアお願い申しましたが、あの金と云うものは実はその芸者や女郎(じょうろ)を買ったのではないので、実はその庄吉の部屋でな賭博(ばくち)が始まって居ります所へ浮(うっ)かり手を出して負けた穴塞(あなふさ)ぎの金でございます」
永「此奴(こいつ)悪い奴じゃアぞ、己(おの)れ出家の身の上で賭博を為(す)るとは怪(け)しからん、えゝ何じゃア其様(そん)な穴塞ぎの金を私(わし)にを借(かり)るとは何ういう心得じゃア」
眞「それは重々(じゅう/\)悪いがな、あれから帰って庄吉の部屋で賭博して居りますと、其処(そこ)へ二番町の町会所から手が這入ったので」
永「それ見ろ、えらい事になった、寺へ手の這入るというは此の上もない恥な事じゃアないか、どゞゞ何うした」
眞「私(わし)も慌(あわ)てゝな庭の物置の中へ隠れまして、薪の間に身を潜めて居りますると、庄吉め本堂の縁(いん)の下へ逃げて這込んで見ると、先に一人隠れて居(え)る奴が、ちま/\と其処に身を潜めて寝(ねま)って居ります所へ、庄吉が其奴(そやつ)の帯へ一心に噛(かじ)り付いて居(え)る所へ、どか/\と御用聞(ごようきゝ)が這入(はえ)って来て、庄吉の帯を取ってずる/\と引出すと、庄吉が手を放せば宜(え)いに、手を放さぬで居(え)たから、先に這入(はえ)った奴と一緒に引ずり出されて来る、庄吉は直(すぐ)に縛られてしまい、又是は何者か顔を揚げいと髻(たぶさ)を取って引起すと若(も)し……此処(こゝ)な家(うち)の夫(とゝま)の七兵衞さんの死骸が出たのじゃが」
永「えゝ何……死骸それは……どゞどうして出た」
眞「何うして出たもないもんじゃ、あんたは此所(こゝ)なお梅はんと深い中になって、七兵衞さんが在(あ)っては邪魔になるからと云うので、あんた七兵衞さんを殺して縁(いん)の下へ隠したじゃろう、隠さいでも宜(え)いじゃアないか、えゝ左様(そう)じゃないか、直ぐに庄吉は縛られて二番町の町会所へ送られ、私(わし)は物置の中に隠れて居(え)て見付からなかったから、漸(ようよ)う這出して、皆出た後(あと)でそうっと抜出して此処まで来たのでげすがな、私がぐずぐずしてると直(すぐ)に捕(つか)まります、捕まって打叩(ぶちはた)きされて見れば、庄吉は知らぬでも私は貴方(あんた)が楽しんで居(え)る事は知って居(え)るから、義理は済まぬと思いながらも打(ぶ)たれては痛いから、実は師匠の永禪和尚はお梅はんと悪い事をして居ります、それ故七兵衞さんを殺して縁(いん)の下へ隠したのでございましょうと私が云うたら、あんたも直に縛られて行って、お処刑(しおき)を受けんではなるまいが、そうじゃないか」
永「ふうーん」
眞「ふうーんじゃない、斯うしてお呉んなさい、私(わし)は遠い処へ身を隠しますから旅銀(ろぎん)をお呉んなさい、三十両お呉んなさい」
永「そりゃまア宜く知らしてくれた、眞達悪い事は出来(でけ)ぬものじゃな」
眞「出来(でけ)ぬたって殺さいでも宜(え)いじゃないか、仮令(たとい)殺しても墓場へでも埋(うめ)れば知れやアせんのじゃ」
永「庄吉にも汝(てまえ)にも隠し、汝(てまい)たちの居ぬ折に埋めようと思って少しの間凌(しの)ぎに縁の下へ入れると、絶えず人が来るし、汝(てまい)や庄吉が絶えず側に居(い)るから、見られては成らぬと思って、拠(よんどこ)ろなく床下へ入れた儘(まゝ)にして置いたが私(わし)の過(あやま)りじゃな」
眞「過りでも宜(え)いが、路銀をお呉んなさいよ」
永「路銀だって今此処に無いからな、その路銀を隠して有る所から持って来るが、死人が出たので其処へ張番でも付きやアしないか」
眞「張番所(どころ)でない、手先の者も怖い怖いと思って、庄吉を縛って皆附いて行ってしもうて、誰(たれ)も居ませんわ」
永「お梅、何をぶる/\慄(ふる)える事はない、其様(そんな)にめそ/\泣いたって仕様が無い、是れ七兵衞さんの褞袍(どてら)を貸しな、左様(そう)して何か帯でも三尺でも宜(え)いから貸しな、己はちょっと往って金を持って来るから、少し待ってろ、其の間にどうせ山越しで逃げなければ成らぬから、草鞋(わらじ)に紐を付けて、竹皮包(かわづゝみ)でも宜いから握飯(むすび)を拵(こしら)えて、松魚節(かつぶし)も入(い)るからな、食物(くいもの)の支度して梅干なども詰めて置け、己は一寸往って来るから」

        二十三

 永禪和尚も最(も)う是までと諦らめ、逐電致すより外(ほか)はないと心得ましたから、覗(のぞ)きの手拭で頬冠(ほゝかぶ)りを致し、七兵衞の褞袍(どてら)を着て三尺を締め、だく/″\した股引(ぱっち)を穿(は)きまして、どうだ気が利いてるだろうと裾(すそ)をからげて、大工町の裏道へ出まして、寺の門へこわ/″\這入って見ると、一向人がいる様子もござりませんから、勝手を知った庭伝いに卵塔場(らんとうば)へ廻って自分の居間へ参り、隠して有りました所の金包(かねづゝみ)を取出して、丁度百六拾金ばかり有りますのを、是を懐中へ入れて、そっと抜け出して来ました。又災(わざわい)も三年置けばと申す譬(たと)えの通りで、二十五歳(にじゅうご)の折に逃げて来ました其の時に、大の方は長くっていかぬから幾許(いくら)かに売払ったが、小が一本残って居りましたから、まさかの時の用心にと思って短かいのを一本差して、恐々(こわ/″\)藤屋七兵衞の宅へ帰って来まして、
永「さア早く急げ/\」
 と云うので、お梅は男の様な姿に致しまして、自分も頭にはぐるりと米屋冠(こめやかぶ)りに手拭を巻き付けて皆形(なり)を変えましたが、眞達も其の後(あと)からすっとこ冠りを致し、予(かね)て袈裟文庫を預けて有ったが、これはまた何処(どこ)へ行っても役に立つと思って、その文庫をひっ脊負(しょ)って、せっせと逃出しました。これから富山(とやま)へ掛って行(ゆ)けば道順なれども、富山へ行くまでには追分(おいわけ)から堺(さかい)に関所がございますから、あれから道を斜(はす)に切れて立山(たてやま)を北に見て、だん/″\といすの宮から大沓川(おおくつがわ)へ掛って、飛騨(ひだ)の高山越(たかやまごえ)をいたす心でございますから、神通川(じんつうがわ)の川上の渡しを越える、その頃の渡し銭は僅(わず)か八文で、今から考えると誠に廉(やす)いものでござります。無暗(むやみ)に駈通しに駈けまして、五里足らずの道でございますが、恐いが一生懸命、疵(きず)持つ足に笹原走ると、草臥(くたびれ)を忘れて夜通し無暗に逃げて、丁度大沓へ掛って来ますると、神通川の水音がどうーどっと聞える。山から雲が吹出しますと、ぱら/\/\と霙(みぞれ)が額へ当ります。
永「あゝー寒い、大分(だいぶ)遅れた様子じゃな、眞達はまだ来ぬかな……眞達ようー/\」
眞「おおい」
永「早う来んかなア」
眞「来(こ)うと云うたてもなア、お梅はんが歩けんと云うから、手を引張(ひっぱ)ったり腰を押したりするので、共に草臥れるがな、とても/\足も腰も痛んで、どうも歩けぬので」
永「確(しっ)かりして歩かんではいかぬじゃアないか」
梅「歩かぬじゃいかぬと云ったってお前さん、休みもしないで延続(のべつゞ)けに歩くのだもの、何(ど)うして歩けやアしませんよ」
永「しらりと夜が明け掛って来て、もうぼんやり人顔(ひとがお)が見える様に成って来るが、この霙の吹掛(ふっか)けでぱったりと往来は止まって居(い)るが、今にも渡しが開(あ)いて、渡しを渡って此処(こゝ)へ来る者が有れば、何でも三人だと、何う姿を隠しても坊主頭は後(うしろ)から見れば毛の無いのは分るから、眞達手前はなア三拾両金(かね)遣(や)るがなア、此処から別れて一人で行(い)んでくれ、己はお梅を連れて高山越えをする積りだから」
眞「私(わし)も其の方が宜(え)いのでげす、斯(こ)うやって三人で歩くと、私はお梅はんを労(いたわ)り、あんたは無暗に駈けるから歩けやアしない、どうも私は草臥れていかぬ、それじゃア三十両お呉んなさい、その方が私は仕合せじゃ」
永「うん然(そ)うか、今金を遣るから、若(も)し渡し口の方から此方(こっちゃ)へ人でも来ると何うも成らぬから、模様を見て居てくれ、金の勘定をするからよう、封を切って算(かぞ)える間向うを見て居ろよ」
眞「まだ渡しは開きやアしません、この霙の吹ッかけでは向うから渡って来やアしますまい」
 と眞達が浮(うっ)かり渡し口に眼を着けて居りますると、腰に差して居りましたる重ね厚(あつ)の一刀を抜くより早く、ぷすりっと肩先深く浴(あび)せますと、ごろり横に倒れましたが、眞達は一生懸命、
眞「やアお師匠さん、私(わし)を殺す気じゃな」
 とどん/″\/″\/″\と死物狂(しにものぐる)い、縋(すが)り付いて来る奴を、
永「えゝ知れたこっちゃ、静かにしろ」
 と鳩尾(みぞおち)の辺(あたり)をどんと突きまする。突かれて仰向(あおむき)に倒れる処を乗掛(のッかゝ)って止(とゞ)めを刺しました処が、側に居りましたお梅は驚いて、ぺた/\と腰の抜けたように草原(くさはら)へ坐りまして、
梅「旦那」
永「えゝ確(しっ)かりせえ」
梅「確かりせえと云ったって、お前さん酷(ひど)い事をするじゃないか、眞達さんを殺すなら殺すと云ってお呉れなら宜(い)いに、突然(だしぬけ)で私は腰が抜けたよ」
永「えゝもう宜(よ)いや、そんな意気地(いくじ)のない事で成るか」
 と眞達の着物で血(のり)を拭って鞘に納め、
永「さア来い」
 と無暗に手を引いて渡場(わたしば)へ参り、少しの手当を遣って渡しを越え、此処から笹沢(さゝざわ)、のり原(ばら)、いぼり谷(たに)、片掛(かたかけ)、湯(ゆ)の谷(たに)と六里半余の道でござりますが、これから先は極(ごく)難所(なんじょ)で、小さい関所がござりますから、湯の谷の利助(りすけ)と云う家(うち)へ泊りました。是れは本当の宿屋ではない、その頃は百姓家(や)で人を留めました。此処で、
永「お梅、厭(いや)でも有ろうけれども頭を剃って呉れえ、どうも女を連れて行(ゆ)けば足が付くから」
 と厭がるお梅を無理無体に勧めて頭を剃らせましたが、年はまだ三十で、滅相美しいお比丘様(びくさま)が出来ました。当人も厭ではあろうが、矢張身が怖いから致し方がない。
永「さ、幸い下に着て居る己の無地の着物が有るから、是を内揚(うちあげ)をして着るが宜(よ)い」
 と云うので、是から永禪和尚の着物を直してお梅が着て、その上に眞達の持って居りました文庫の中より衣を出して着、端折(はしょり)を高く取って袈裟を掛けさせ、又袈裟文庫を頭陀袋(ずだぶくろ)の様にして頸(くび)に掛けさせ、先(まず)これで宜いと云うので、俄(にわか)にお比丘尼様が一人出来ました。

        二十四

 永禪は縞(しま)の着物に坊主頭へ米屋被(こめやかぶ)りを致し、小長いのを一本差して、これから湯の谷を出ましたが、その頃百疋(ぴき)も出しますと何(ど)うやら斯(こ)うやら書付を拵(こしら)えて呉れますから、かに寺まで往(ゆ)く処(ところ)の関所は金さえ遣(や)れば越えられたものでござります。漸(ようや)く金で関所を越えて、かゞぞへ出て小豆沢(あずきざわ)、杉原(すぎはら)、靱(うつぼ)、三河原(みかわばら)と五里少々余の道を来て、足も疲れて居ります。殊(こと)に飛騨は難処(なんじょ)が多くて歩けませんから、三河原の又九郎(またくろう)という家に宿を取りました。
永「まア此処(こゝ)は静かで宜(よ)い、殊に夫婦とも誠に親切な者であるから、暫(しばら)く此処に足を留めようじゃアないか、おれも頭の毛の長く生えるまでは居なければならぬ、此処なれば決して知れる気遣いは有るまい、汝(てまえ)も剃(そり)たて頭では青過ぎて目に立つから、少し毛の生えるまでは此処にいよう、只少し足溜(あしだま)りの手当さえすれば宜い、併(しか)し此処には食い物が無いが、これから古河町(ふるかわまち)へ往(ゆ)けば米も有るから米を買って、又酒や味噌醤油などの手当をして」
梅「それじゃア然(そ)うしてお呉んなさい」
 と云うので多分に手当を遣(や)って、米や酒醤油を買いに遣るから、是は大したお客様と又九郎爺(おやじ)が悦びまして、米を買ったり何かして、来年まで居ても差支えないように成りました。その中(うち)に彼(あ)の辺は雪がます/\降って来ますると、旅人の往来が止りまする事で、丁度足溜りには都合が好(よ)いと云って、九月の二十日からいたして十一月の三日の日まで泊って居りましたが、段々と頭の毛も生えるが、けれども急には生えは致しません。宿屋の亭主は気が利いていて、年はとって居るが。多分に手当をして呉れるから[#「呉れるから」は底本では「呉るれから」]有難いお客だと云って、何か御馳走をしたいと山へ往って、小鹿を一匹撃って来まして、
又「おい婆さん/\」
婆「あい何だえ」
又「小鹿を一匹撃って来たよ」
婆「何処(どこ)で」
又「あの雪崩口(なだれぐち)でな、何もお客様に愛想がねえから、温(あった)まる様に是れを上げたいものだ、己がこしらえるからお前味噌で溜りを拵(こしら)えて、燗鍋(かんなべ)の支度をして呉んな」
 とこれから亭主が料理をしてちゃんと膳立ても出来ましたから、六畳の部屋へ来て破れ障子を明けて、
又「はい御免」
永「いや御亭主か」
又「まことに続いてお寒いことでございます、なれども沢山も降りませんでまア宜うございますが、是からもう月末(つきずえ)になって、度々(たび/\)雪が降りますると道も止りますが、まア/\今年は雪が少ないので仕合せでござります、さぞ日々御退屈でございましょう」
永「いゝやもう種々(いろ/\)お世話に成りまして、それに此の尼様が坂道で足を痛めて歩けぬと云うこと、殊に寒さは寒しするから、気の毒ながら来年の三月迄は御厄介じゃア」
又「へい有難いことでございます、毎日婆アともはア然(そ)う申して居ります、あなた方がお泊りでございますから、斯(こ)うやって米のお飯(めし)のお余りや上酒(じょうしゅ)が戴いて居(お)られる、こんな有難い事はございませんと云って、婆アも悦んで居ります、何(ど)うかなんなら二三年もおいでなすって下されば猶宜いと存じます、なんで此の山家(やまが)では何もございませんが、鹿を一匹撃って参りまして調(こし)らえましたが、何うか鹿で一杯召上って、あの何ですかお比丘尼様は鹿は召上りませんか」
永「いや、何(なん)じゃ、それは何とも、まア一体は食われぬのじゃけれどもなア、旅をする中(うち)は仕方がない、却(かえ)って寒気を凌(しの)ぐ為に勧めて食わせるくらいだから、薬喰(くすりぐい)には宜(え)いわな」
又「左様でげすか、鹿は木実(きのみ)や清らかな草を好んで喰うと申すことで、鹿の肉は魚よりも潔(きよ)いから召上れ、御婦人には尚お薬でございます……おい婆さん何を持って来て、ソレこれへ打込(ぶっこ)みねえ、それその麁朶(そだ)を燻(く)べてな、ぱッ/\と燃(もや)しな……さア召上りまし、此方(こっち)の肉(み)が柔かなのでございますから、さア御比丘様」
梅「有難う存じます、まア本当に斯(こ)う長くお世話に成りますとも思いませんでしたが、余(あんま)り御夫婦のお手当が宜(よ)いから、つい泊る気になりました」
婆「何う致しまして、もうこんな爺(じゞい)婆(ばゞ)アで何もお役には立ちませんから、どうか御退屈でない様にと申しましても、家もない山の中でございますから、外(ほか)に仕方もございません、どうか何時(いつ)までもいらしって下されば仕合せでと、爺も一層蔭でお噂致して居りますよ……爺さんお相手をなさいよ」
又「さアこの御酒を召上りませ、それから鍋は一つしかございませんから取分けて上げましょう」
永「いや皆此処(こゝ)で一緒の方が宜(え)いから」
又「左様でげすか、いろ/\又爺(じゞい)婆(ばゞあ)の昔話もございますから、少しはお慰みにもなりましょうと思いまして……婆さん、どうも美(い)い酒だのう、宜かろう何うだえ、えゝこの御酒はあの古河町へ往(い)かなければないので、又醤油(したじ)が好(よ)いから甘(うま)いねえ、これでね旦那様、江戸の様な旨い味噌で造ったたれを打込(ぶちこ)んで、獣肉屋(もゝんじいや)の様にぐつ/\遣(や)れば旨いが、それだけの事はいきません、どうも是では旨くはないが、これへ蕨(わらび)を入れるもおかしいから止しましょう……へえお盃を戴きます、私(わたくし)も若い時分には随分大酒(たいしゅ)もいたしましたが、もう年を取っては直(すぐ)に酔いますなア、それでも毎晩酣鍋(かんなべ)に一杯位ずつは遣(や)らかします」
 と差(さ)えつ押(おさ)えつ話をしながら酒宴(さかもり)をして居りましたが、其の内にだん/\と爺さん婆さんも微酔(ほろよい)になりました。
永「何うだい、お前方は何うも山の中にいる人とは違い、また言葉遣(づか)いも分るから屹度(きっと)苦労人の果(はて)じゃろう、万事に宜く届くと云うて噂をして居ることだが、生れは何処(どこ)だね」
又「えゝ旦那様お馴染に成りましたから斯(こ)んな事を伺いますが、あなたは元は御出家様でございますかえ」
永「私(わし)は出家じゃア無い」
又「へえー左様でげすかえ、貴方(あなた)は其の頭髪(おぐし)がだん/\延びますけれども、元御出家様で是からだん/\お生(はや)しなさるのではないかと存じまして」
永「なに私(わし)は百姓だが、旅をする時にはむしゃくしゃして欝陶(うっとう)しいから剃るのじゃ、それに寺へ奉公をして居るから、頭を剃る事なぞは頓と構わぬじゃア」
又「へえー左様で、お比丘尼様はこの頃御剃髪(ごていはつ)なすったのでげすな」
永「えゝいゝえ……なに然(そ)う云う訳じゃアないのじゃ」
又「へえ左様でげすかえ」
永「尤(もっと)も幼少の時分からと云う訳じゃアないが、七八年前(あと)から少々因縁有って御出家にならっしゃッたじゃ」
又「へえー左様で、私共(わたくしども)の家(うち)には御出家様が時々お泊りになりますが、御膳の時はお経を誦(よ)んで御膳をお盖(きせ)に取分けて召上りますな、あなたも此の間(あいだ)お遣りなすったしお経もお読みなさいますが、お比丘尼様の方はそう云う事をなさる所を見ませんから、それで貴方は御出家お比丘尼様は此の頃御剃髪と思いまして」
永「それは門前の小僧習わぬ経を誦(よ)むで、寺にいると自然と覚えて読んで見たいのだが、また此方(こなた)は御出家じゃアが、もう旅へ出ると経を読まぬてえ、是が紺屋(こうや)の白袴(しらばかま)という譬(たと)えじゃアのう」
又「そうでございますかえ、私(わたくし)はまた御苦労の果じゃア無いかと思って、のう婆さん」
婆「お止しよ、ひちくどくお聞きで無いよ、欝陶しく思召(おぼしめ)すよう」
又「でもお互に昔は……旦那私(わたくし)はねえ、ちょっと気がさすので、然(そ)ういう事を云いますが、この婆(ばゞあ)を連れて私が逃げまする時にゃア、この婆が若い時分だのにくり/\坊主に致しましてねえ、私も頭を剃(す)っこかして逃げたことが有るね、えゝ是は昔話でございますがねえ」
婆「爺さんお止しよ、詰らない事を言い出すね、よしなよ」
又「なに、いゝや、旦那の御退屈凌(しの)ぎだ、爺(じゞい)婆(ばゞあ)の昔話だから忌(いや)らしい事も何もねえじゃねえか」

        二十五

又「旦那此の婆(ばゞあ)はもと根津の増田屋で小澤(こさわ)と云った女郎(じょうろ)でございます」
婆「およしよ爺さん」
又[#「又」は底本では「婆」]「いゝやな、昔は鶯(うぐいす)を啼かして止まらした事もある……今はこんな梅干婆で見る影も有りませんがね、これでも二十三四の時分には中々薄手のあまっちょで、一寸(ちょっと)その気象が宜うがしたね、時々、今日は帰さねえよと部屋着や笄(こうがい)などを質に入れて、そうして遊んで呉れろと云うから、ついとぼけて遊ぶ気になり、爪弾(つめびき)位は静かに遣(や)ると云う、中々粋(いき)な女でございます」
婆「およしよう、詰らない事を言って間が悪いやね、恥かしいよ」
又「恥かしいも無いものだ、もう恥かしいのは通り過ぎて居るわ」
永「おや左様かえ、何でも然(そ)うじゃろうと思った、中々お前苦労人の果でなければ、あの取廻しは出来ぬと思った、あゝ左様かえ、一旦泥水に這入った事がなければなア」
梅「おや然うかね、長く御厄介になって見ると私はどうも御当地の方じゃないと実は思って居ましたが、然うでございますか、不思議なものだねえ増田屋に、どうも妙だね、然うかね」
永「どうも妙だのう、それじゃアお前何かえ、江戸の者かえ」
又「いゝえ私(わたくし)はねえ旦那様富山稲荷町(いなりまち)の加賀屋平六(かがやへいろく)と云う荒物御用で、江戸のお前さん下谷茅町(したやかやちょう)の富山様のお屋敷がございますから、出雲(いずも)様へ御機嫌伺いに参りまして、下谷に宿を取って居る時に、見物かた/″\根津へ往って引張(ひっぱ)られて登(あが)ったのが縁さねえ、処が此奴(こいつ)中々手管(てくだ)が有って帰さないから、とうとうそれがお前さん道楽の初(はじま)りで酷(ひど)いめに遭いましたけれども、此奴の気象が宜(い)いものだから借金だらけで、漸々(だん/″\)年季が増して長いが、私の様な者でも女房(にょうぼ)にして呉れないかと云いますから、本当かと云うと本当だと申しますから、借金があっては迚(とて)もいかぬから、連れて逃げようと無分別にも相談をしたのが丁度三十七の時ですよ、それからお前さん連れて逃げたんだ、国には女房子(にょうぼこ)が有るのに無茶苦茶に此奴を引張(ひっぱ)って逃げましたが、年季は長いし、借金が有るから追手(おって)の掛るのを恐れて、逃げて/\信州路へ掛っても間に合わぬから、此奴をくり/\坊主にして私も坊主になってとうとう飛騨口へ逃込んだのよ」
永「ふうん然うかえ」
又「それがお前さん面白い話でどうも高山にもうっかり居(い)られないで、だん/\廻って落合の渡しを越えて、此の三河原と云う此処(ここ)の家(いえ)へ泊ったが不思議の縁でございます、先(せん)に又九郎(またくろう)と云う夫婦が有ってそれが私が泊って翌日立とうかと思うと、寒さの時分では有るが、誠に天の罰(ばち)で、人が高い給金を出して抱えて居る女郎(じょうろ)を引浚(ひきさら)って逃げた盗賊の罪と、国に女房子を置放(おきぱな)しにした罰が一緒に報って来て私は女房(これ)のかの字を受けたと見えて痳病(りんびょう)に痔(じ)と来ました、これがまた二度めの半病床(はんどや)と来て発(た)つことが出来ませんで、此処の爺(じゝい)婆(ばゝあ)に厄介になって居りますると、先の又九郎夫婦が誠に親切に二人の看病をして呉れ、その親切が有難いと思って稍(やゝ)半年も此処に居りまして、漸(ようや)く二人の病気が癒(なお)ると、此処の爺婆が煩(わずら)い付いて、迚(とて)も助からねえ様になると、その時私共を枕辺(まくらもと)へ喚(よ)んで、誠に不思議な縁でお前方は長く泊って下すったが、私はもう迚(とて)も助からねえ、どうもお前方は駈落者の様だが、段々月日も経って跡から追手も掛らぬ様子、何処(どこ)か是から指して行(ゆ)く所がありますかと云うから、私共(わたくしども)は何処も行く所はないが、まア越後の方へでも行こうと実は思うと云うと、そんなら沢山も有りません、金は僅(わず)かだが、この後(うしろ)の山の焚木(たきゞ)は家(うち)の物だから、山の蕨(わらび)を取っても夫婦が食って行くには沢山ある、また此所(ここ)を斯(こ)うすれば此所で獣物(けだもの)が獲れる、冬の凌(しの)ぎは斯う/\とすっぱり教えて、さて私の家(いえ)には身寄もなし婆(ばゝあ)も弱(よぼ)くれて居るから、私が命のない後(のち)はお前さん私を親と思って香花(こうはな)を手向(たむ)け、此処(ここ)な家の絶えぬようにしてお呉んなさらんか、と云う頼みの遺言をして死んだので、すると婆様(ばあさま)が又続いて看病疲れかして病気になり、その死ぬ前に何分頼むと言って死んだから、前に披露(ひろめ)もしてあったので、近辺の者も皆得心して爺さん婆さんを見送ったから、つい其の儘ずる/\べったりに二代目又九郎夫婦に成ったのでございます、あなた恰(ちょう)ど今年で二十三年になるが、住めば都と云う譬(たとえ)の通りで、蕨を食って此処に斯う遣(や)って潜んで居ますがねえ、随分苦労をしましたよ」
永「そうかねえ、苦労の果じゃがら万事に届く訳じゃのう、でも内儀(かみ)さんと真実思合(おもいお)うての中じゃから、斯うして此の山の中に住んで居るとは、情合(じょうあい)だね」
又「情合だって婆さんも私も厭(いや)だったが、外(ほか)に行(ゆ)く所がなし詮方(しかた)がないから居たので」
永「じゃア富山の稲荷町で良い商人(あきんど)で有ったろうが、女房子はお前の此処に居る事を知らぬかえ、此の飛騨へは富山の方の者が滅多に来ないから知らぬのじゃなア」
又「えゝそれは私が家を出てから行方が知れぬと云って、家内が心配して亡(なく)なり、それから続いて家(うち)は潰れる様な訳で、忰(せがれ)が一人ありましたが、その忰平太郎と云う者は、仕様がなくって到頭お寺様か何かへ貰われて仕まったと云う事を、ぼんやり聞いて居りましたが、妙な事で、去年富山の薬屋、それお前さん反魂丹(はんごんたん)を売る清兵衞(せいべえ)さんと云う人が家へ来て、一晩泊って段々話を聞きました所が、私共の忰は妙な訳でねえ、良い出家に成られそうでございまして、越中の国高岡の大工町にある宗慈寺と云う寺の納所になって、立派な衣を着て居る[#「着て居る」は底本では「来て居る」]そうで」
永「はアそれは妙な事だなア、大工町(だいくまち)の宗慈寺と云うは真言寺じゃアないか」
又「はい真言寺で」
永「そこにお前の忰が出家を遂(と)げて居るのかえ」
又「はい名は何とか云ったなア、婆さんお前(めえ)知って居るか、あゝそうよ……いゝや、眞達と云う名の納所でございます」
永「左様か」
 とじろりっと横眼でお梅と顔を見合わした計(ばか)り、ぎっくり胸にこたえて、流石(さすが)の悪党永禪和尚も、これは飛んだ所へ泊ったと思いました。

        二十六

又「それで婆さんの云うのには、前の事をあやまって尋ねて行ったら宜かろうと云いますが、何だか今更親子とも云い難(にく)いと云うのは、女房子を打遣(うっちゃ)って女郎(じょろう)を連れて駈落する身の越度(おちど)、本人が和尚さんとか納所とか云われる身の上になったからと云って、今私(わし)が親父(おやじ)だと云っても、顔を知りますまいし、殊(こと)に向うは出家で堅固な処へ、何だか気が詰って往(い)けませんなれども、その話を聞いて一度尋ねて行(い)きたいとは思って心掛けては居りますが、たとえ是れで死にました処が、旦那様何でございます、まア其の本人(むこう)が坊主でございますから、死んだと云う事を風の便りに聞いて、本当の親と思えば、死んだ後(のち)でも悪(にく)いとは思いますまいから、お経の一遍位は上げてくれるかと思って、それを楽しみに致して居(い)る訳で」
永「なるほど然(そ)うかえ」
又「へえ……まことに長(なが)っ話(ぱなし)を致しまして」
婆「本当にお退屈様で嘸(さぞ)お眠うございましょう、此の通り酔うとしつこう御座いまして、繰返し一つことを申しまして……さア、此方(こっち)へお出でよう」
又「宜(いゝ)やな」
婆「誠にお邪魔さまで……さア…此方へお出でよ、また飲みたければお飲(あが)りな」
 と手を引いてお澤(さわ)と云う婆さんが又九郎を連れて部屋へ参りました跡で、
梅「旦那々々」
永「えゝ」
梅「もう、此処(ここ)には居られないからお立ちよ、早くお立ちよ」
永「立つと云っても直(すぐ)に立つ訳にはゆかん」
梅「いかぬたってお前さん怖いじゃア無いか、此処は剣(つるぎ)の中に這入って居るような心持がして、眞達の親父と云う事が知れては」
永「これ/\黙ってろ、明日(あした)直に立つと、おかしいと勘付かれやアしないかと脛(すね)に疵(きず)じゃ、此の間も頼んで置いたが、広瀬(ひろせ)の追分(おいわけ)を越える手形を拵(こしら)えて貰って、急には立たぬ振(ふり)をして、二三日の中(うち)にそうっと立つとしようじゃア無いか」
梅「何うかしてお呉んなさい、私は怖いから」
 とその晩は寝ましたが、翌朝(よくあさ)になりますと金を遣(や)って瞞(ごま)かして、何うか斯(こ)うか広瀬の追分を越える手形を拵えて貰い、明日立とうか明後日(あさって)に為(し)ようかと、こそ/\支度をして居りますると、翌日申(なゝつ)の刻下(さが)りになりまして峠を下って参ったのは、越中富山の反魂丹を売る薬屋さん、富山の薬屋さんは風呂敷包を脊負(しょ)うのに結目(むすびめ)を堅く縛りませんで、両肩の脇へ一寸(ちょっと)挟みまして、先をぱらりと下げて居ります。懐には合口(あいくち)をのんで居る位に心掛けて、怪しい者が来ると脊負(しょっ)て居る包を放(は)ねて置いて、懐中の合口を引抜くと云う事で始終山国(やまぐに)を歩くから油断はしません。よく旅慣れて居るもので御座ります。一体飛騨は医者と薬屋が少ないので薬が能(よ)く売れますから、寒いのも厭(いと)わずになだれ下りに来まして。
薬屋清「やア御免なさいませ」
又「おやこれはお珍らしい……去年お泊りの清兵衞さんがお出(いで)なすった、さア奥へお通りなさい、いやどうも能く」
清「誠に、是れははや、去年は来(け)まして、えゝ長(なが)えこと御厄介ねなり居(お)りみした、いやもう二度(ねど)と再び山坂を越えて斯(こ)う云う所へは来(け)ますまいと思うて居りみすが、又慾と二人連れで来(け)ました……おや婆様この前は御厄介になりみした、もうとても/\この山は下りは楽だが、登りと云うたら足も腰もめきり/\と致して、やアどうも草臥(くたぶ)れました、とても/\」
又「今夜はお泊りでげしょう」
清「いや然(そ)うでない、今日は切(せ)みて落合まで行(よ)く積(つもり)で」
又「婆さん今日は落合までいらっしゃるてえが仕方が無いのう、まア今夜はお泊りなさいな、この頃は米が有ります、それに良い酒もありますからお泊りなさい、お裙分(すそわけ)をしますから」
清「いや然うは往(よ)きませぬ、何(ど)うでも彼(こ)うでも落合まで未(ま)だ日も高いから行(よ)こ積りで」
又「それは仕方が無いなア、然うでしょうがまア一杯飲んで」
清「いゝや……」
又「そんな事を云わずに、これ婆さん早く一杯…」
婆「能くお出でなさいました、去年は誠にお草々(そう/\)をしたって昨宵(ゆうべ)もお噂をして居りました」
又「清兵衞さん、去年お泊(とまり)の時に、私の忰は高岡の大工町の宗慈寺と云う寺に這入って、弟子に成って居ると云う貴方(あなた)のお話が有ったが、眞達と云う忰は達者で居りますかな」
清「いや何うも是(こり)ゃはや、それを云おう/\と思って来(け)たが、お前(ま)さん余(あんま)り草臥(くたぶ)れたので忘れてしまったが、いや眞達さんの事に就(つ)いてはえらい事になりみした」
又「へいどうか成りましたか」
清「いやもうらちくちのつかない事に成りみしたと云う訳は、お前(ま)さん宗慈寺の永禪和尚と云う者はえらい悪党でありみすと、前町の藤屋七兵衞と云う荒物屋が有って、その女房(じゃアまア)のお梅というのと悪(われ)え事をしたと思いなさませ、永禪和尚とお梅と間男をして居りみして、七兵衞が在(あ)っては邪魔になるというて、夫(とゝま)の七兵衞を薪割で打殺(ぶちころ)し、本堂の縁(いん)の下へ隠(かこ)したところが、悪(われ)え事は出来(でけ)ぬものじゃなア、心棒が狂い曲(まご)うたから、まア寺男からお前(ま)さんの子じゃア有るけれども眞達さんまでも悪(われ)え事に染(そま)りまして、それからお前(ま)さん此の頃寺で賭博(ばくち)を為(し)ますと」
又「賭博を、ふうん/\成程」
清「ところがお前(ま)さん二番町の小川様から探索が届いて居(い)るもんじゃから直(すぐ)に手が這入って、手が這入ると寺男の庄吉という者がお前(ま)さん本堂の床下(よかした)へ逃(の)げたところが、先に藤屋七兵衞の死骸(しげえ)が隠(かこ)して在(あ)るのを死骸(しげえ)とは知らいで、寺男の庄吉が先へ誰か逃込(のげこ)んで床下(よかした)に此の通りちま/\と寝(ねな)って居(お)りみすと思って、帯(おべ)の処へ後生大事にお前(ま)さん取付(とッつ)いて居りみすと、さ、するとお前(ま)さん出ろ/\と云うので役人(やこねん)が来(け)て庄吉の帯(おべ)を取って引(ひき)ずり出すと、藤屋の夫(とゝま)の死骸(しげえ)が出たと思いなさませ、さアこれはうさんな寺である、賭博どころではない、床下(よかした)から死骸(しげえ)が出る所を見ると、屹度(けっと)調べを為(し)なければ成らぬと、お役所(やこしょ)まで参(まえ)れと忽(たちま)ちきり/\っと縛(いまし)められて、庄吉が引かれみしたと、もう事が破れたと思って永禪和尚が藤屋の女房(じゃアまア)の手を取って逃(の)げた時に、お前(ま)さんの御子息の眞達どんも一緒に逃(の)げたに相違ないのじゃが、それが此の世の生涯で、大沓の渡しを越える渡口の所に、いや最(も)うはや見る影もない姿で誠に情(なさけ)ない、それは/\迚(とて)も/\何とも云い様のない姿に斬殺(けれころ)されて居りみしたが」
又「えー忰が斬殺(きりころ)されて」
清「いやもう何とも」
又「誰が殺しました」


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告