您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 鈴木 行三 >> 正文

敵討札所の霊験(かたきうちふだしょのれいげん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-12 9:22:13  点击:  切换到繁體中文


        二十一

梅「誰だえ」
眞「ちょっと開けてくださませ」
梅「誰だえ」
眞「眞達で、旦那に逢いたいので、一寸ちょっとなア」
永「居ないてえ云え」
梅「あの旦那は此方こちらにおいでなさいませんが」
眞「その様なことを云うてもいかぬ、そこに並んで居るじゃ」
永「あゝのぞいて居やアがる」
梅「おや覗いたり何かして人が悪いよ」
永「障子てゝ置けばいに」
梅「さア此方こちへお這入んなさい」
永「いや今近江屋おうみやへ往ってのう、本堂の修繕しゅぜんかた/″\相談に往って、帰り掛に一寸寄ったら、詰らぬ物だが一杯と云うて馳走になってるじゃ、今帰るよ」
眞「帰らぬでもえので、檀家の者が来ればお師匠さんが程の宜え事云うて畳替えも出来でけ飛石とびいしうなったとかなんとか云えば檀家の者が寄進に付く、じゃけれど此方こっちゃも骨が折れる、檀家の機嫌気づまとるは容易ようえなものじゃアないじゃて、だから折々は気晴しも無ければ成らん、気を晴さんでは毒じゃ、泊ってもえがじゃ、眞達が檀家の者は宜え様にするから泊っても宜えがにして置くじゃ」
永「いやじきに帰ります」
眞「もしお梅はん、大事に気晴しのなるようにして呉れんなさませ…あゝわしゃなア済まぬがかね十両借りたいが、袈裟文庫を抵当かたに置くから十両貸してくんなさませ」
永「此奴こいつ此間こないだ三両貸せてえから貸したが返さぬで、袈裟文庫、なんじゃえ、出家の身の上で十両などと、われが身に何で金がる」
眞「此間こないだ瞽女町へ往て芸者をうたが、面白くって抱いて寝るのではないが遊んだので、借金が有るから袈裟文庫を預けようと思うたが、明日あした法事が有っても困りますから、是を貴方あんたへ預けて置いて、明日法事が有れば勤めてお布施で差引く」
永「黙れ、何だ二三百のお布施でらちが明くかえ、貸されぬ、うーん悪いところって、瞽女町で芸者買うなんて不埓千万な奴じゃア」
眞「う云いやすなね、人はたのしみが無ければ成らぬ、葬式ともらいが有れば通夜にて眠い眼ですぐに迎い僧を勤め、又本堂へ坐って経を読むは随分辛いが、たまには芸者の顔も見たい、人間に生れて何も出家じゃアって人間じゃア、釈迦もわしも同じ事じゃ、済まぬが一寸ちょっと貴方あんただって種々いろ/\此方こっちゃへ来てお梅はんとねえ、何事もないじゃアねえ、お梅はんと気晴しに一杯やればうまいから、お互に一寸は楽しみをして気を晴らさんでは辛い勤めは出来でけん、お梅はんの処へ泊っても庄吉にも云わぬじゃ、私が心一つで」
永「うーん種々な事を云うな……貸すが跡で返せ、それ持ってけ」
眞「有難い、これども……お梅はんあんま大切だいじに仕過ぎて、旦那の身体悪うしては成らぬから、こりゃはやおやかましゅう」
 とさあッ/\と帰って来て、
眞「傳次さん貸したぜ」
傳「え」
眞「貸した」
傳「何うだい貸したろう」
眞「えらいもんじゃア十両貸した」
傳「なんだ十両か、たったそればかり」
眞「いや初めてだから十両、又追々おい/\と云うて貸りるのじゃ」
 などと是から納所部屋にて勝負事をする。かねて二番まちの会所小川様から探索が行届ゆきとゞき、十分手が廻ってるから突然だしぬけに手が入りました。
「御用/\」
 と云う声に驚きましたが、旅魚屋の傳次は斯う云う事には度々たび/\出会って馴れて居るから、場銭ばせん引攫ひっさらって逃出す、庄吉も逃出し、眞達もく処がないから庫裏くりから庭へ飛下り、物置へ這入って隠れますと、旅魚屋の傳次は本堂へ出ましたが、勝手を知らんから木魚につまづき、前へのめるはずみに鉄灯籠かなどうろうを突飛し、円柱まるばしらで頭を打ちまして経机きょうづくえの上へ尻餅をつく。須弥壇しゅみだんへ駈け上ると大日如来が転覆ひっくりかえる。お位牌はばた/\落ちて参る。がら/\どんと云う騒ぎ。庄吉は無闇に本堂の縁の下へ這込みます。傳次は馴れて居るから逃げましたが、庄吉は怖々こわ/″\縁の下へ段々這入りますと、先に誰か逃込んで居るから其の人の帯へつかまると、捕物とりものの上手な源藏げんぞうと申す者がもぐってり、庄吉の帯をとらえて、
源「さア出ろ/\」
 と引出ひきいだす。
庄「こりゃはいとても/\、どもはやわしは見てったので」
 自分の掴まえてる帯を放せばいに、先の人の帯をしっかりととらえて居たからずるずると共に引摺ひきずられて出るのを見ると、顔色がんしょく変じて血にみた七兵衞の死骸が出ますと云う、これから永禪和尚悪事露顕のお話、一寸一息つきまして。

        二十二

 お話はふたつに分れまして、大工町の藤屋七兵衞の宅へ毎夜参りまして、永禪和尚がお梅と楽しんで居ります。すると丁度真夜中の頃に表の方から来ましたのは眞達と申す納所坊主…とん/\、
眞「お梅はん/\ちょと明けておんなさい」
梅「はい…旦那、眞達はんが来ましたよ」
永「あゝ来やアがったか、居ないてえ云え、なに、いゝえ来ぬてえ云えよ」
梅「あの眞達さん、何の御用でございますか」
眞「旦那にお目に懸りたいのでげすが、うぞ一寸ちと和尚さんに逢わしてお呉んなさい」
梅「旦那はあの今夜は此方こちらにお出でなさいませんよ」
眞「そんな事を云うても来てえるのは知っているからえけません、宵にお目に懸って此方こっちゃに泊ってもいと云うたのだから」
永「じゃア仕方がない、明けてれ」
 と云うので、仕様がないからお梅が立って裏口の雨戸を明けますると、眞達はすっとこかぶりにじんじん端折ばしょりをして、跣足はだしで飛込んで来ました。
永「なんじゃ、どうした」
眞「お梅はん、あとをぴったり締めてお呉んなさい、足が泥になってるから此の雑巾で拭きますからな」
永「何うよったじゃア、深更しんこうになってまア其の跣足で、そないな姿なり此処こゝへ来ると云う事が有るかな、困ったもんじゃア、此処へ来い、何うした」
眞「和尚さん最前なア、わしア瞽女町で芸者買って金が足りないから貴方あなたに十両貸してお呉んなさいましと、まアお願い申しましたが、あの金と云うものは実はその芸者や女郎じょうろを買ったのではないので、実はその庄吉の部屋でな賭博ばくちが始まって居ります所へうっかり手を出して負けた穴塞あなふさぎの金でございます」
永「此奴こいつ悪い奴じゃアぞ、おのれ出家の身の上で賭博をるとはしからん、えゝ何じゃア其様そんな穴塞ぎの金をわしにをかりるとは何ういう心得じゃア」
眞「それは重々じゅう/\悪いがな、あれから帰って庄吉の部屋で賭博して居りますと、其処そこへ二番町の町会所から手が這入ったので」
永「それ見ろ、えらい事になった、寺へ手の這入るというは此の上もない恥な事じゃアないか、どゞゞ何うした」
眞「わしあわてゝな庭の物置の中へ隠れまして、薪の間に身を潜めて居りますると、庄吉め本堂のいんの下へ逃げて這込んで見ると、先に一人隠れてる奴が、ちま/\と其処に身を潜めてねまって居ります所へ、庄吉が其奴そやつの帯へ一心にかじり付いてる所へ、どか/\と御用聞ごようきゝ這入はえって来て、庄吉の帯を取ってずる/\と引出すと、庄吉が手を放せばいに、手を放さぬでたから、先に這入はえった奴と一緒に引ずり出されて来る、庄吉はすぐに縛られてしまい、又是は何者か顔を揚げいとたぶさを取って引起すとし……此処こゝうちとゝまの七兵衞さんの死骸が出たのじゃが」
永「えゝ何……死骸それは……どゞどうして出た」
眞「何うして出たもないもんじゃ、あんたは此所こゝなお梅はんと深い中になって、七兵衞さんがっては邪魔になるからと云うので、あんた七兵衞さんを殺していんの下へ隠したじゃろう、隠さいでもいじゃアないか、えゝ左様そうじゃないか、直ぐに庄吉は縛られて二番町の町会所へ送られ、わしは物置の中に隠れてて見付からなかったから、ようよう這出して、皆出たあとでそうっと抜出して此処まで来たのでげすがな、私がぐずぐずしてるとすぐつかまります、捕まって打叩ぶちはたきされて見れば、庄吉は知らぬでも私は貴方あんたが楽しんでる事は知ってるから、義理は済まぬと思いながらもたれては痛いから、実は師匠の永禪和尚はお梅はんと悪い事をして居ります、それ故七兵衞さんを殺していんの下へ隠したのでございましょうと私が云うたら、あんたも直に縛られて行って、お処刑しおきを受けんではなるまいが、そうじゃないか」
永「ふうーん」
眞「ふうーんじゃない、斯うしてお呉んなさい、わしは遠い処へ身を隠しますから旅銀ろぎんをお呉んなさい、三十両お呉んなさい」
永「そりゃまア宜く知らしてくれた、眞達悪い事は出来でけぬものじゃな」
眞「出来でけぬたって殺さいでもいじゃないか、仮令たとい殺しても墓場へでもうめれば知れやアせんのじゃ」
永「庄吉にもてまえにも隠し、てまいたちの居ぬ折に埋めようと思って少しの間しのぎに縁の下へ入れると、絶えず人が来るし、てまいや庄吉が絶えず側にるから、見られては成らぬと思って、よんどころなく床下へ入れたまゝにして置いたがわしあやまりじゃな」
眞「過りでもいが、路銀をお呉んなさいよ」
永「路銀だって今此処に無いからな、その路銀を隠して有る所から持って来るが、死人が出たので其処へ張番でも付きやアしないか」
眞「張番どころでない、手先の者も怖い怖いと思って、庄吉を縛って皆附いて行ってしもうて、たれも居ませんわ」
永「お梅、何をぶる/\ふるえる事はない、其様そんなにめそ/\泣いたって仕様が無い、是れ七兵衞さんの褞袍どてらを貸しな、左様そうして何か帯でも三尺でもいから貸しな、己はちょっと往って金を持って来るから、少し待ってろ、其の間にどうせ山越しで逃げなければ成らぬから、草鞋わらじに紐を付けて、竹皮包かわづゝみでも宜いから握飯むすびこしらえて、松魚節かつぶしるからな、食物くいものの支度して梅干なども詰めて置け、己は一寸往って来るから」

        二十三

 永禪和尚もう是までと諦らめ、逐電致すよりほかはないと心得ましたから、のぞきの手拭で頬冠ほゝかぶりを致し、七兵衞の褞袍どてらを着て三尺を締め、だく/″\した股引ぱっち穿きまして、どうだ気が利いてるだろうとすそをからげて、大工町の裏道へ出まして、寺の門へこわ/″\這入って見ると、一向人がいる様子もござりませんから、勝手を知った庭伝いに卵塔場らんとうばへ廻って自分の居間へ参り、隠して有りました所の金包かねづゝみを取出して、丁度百六拾金ばかり有りますのを、是を懐中へ入れて、そっと抜け出して来ました。又わざわいも三年置けばと申すたとえの通りで、二十五歳にじゅうごの折に逃げて来ました其の時に、大の方は長くっていかぬから幾許いくらかに売払ったが、小が一本残って居りましたから、まさかの時の用心にと思って短かいのを一本差して、恐々こわ/″\藤屋七兵衞の宅へ帰って来まして、
永「さア早く急げ/\」
 と云うので、お梅は男の様な姿に致しまして、自分も頭にはぐるりと米屋冠こめやかぶりに手拭を巻き付けて皆なりを変えましたが、眞達も其のあとからすっとこ冠りを致し、かねて袈裟文庫を預けて有ったが、これはまた何処どこへ行っても役に立つと思って、その文庫をひっ脊負しょって、せっせと逃出しました。これから富山とやまへ掛ってけば道順なれども、富山へ行くまでには追分おいわけからさかいに関所がございますから、あれから道をはすに切れて立山たてやまを北に見て、だん/″\といすの宮から大沓川おおくつがわへ掛って、飛騨ひだ高山越たかやまごえをいたす心でございますから、神通川じんつうがわの川上の渡しを越える、その頃の渡し銭はわずか八文で、今から考えると誠にやすいものでござります。無暗むやみに駈通しに駈けまして、五里足らずの道でございますが、恐いが一生懸命、きず持つ足に笹原走ると、草臥くたびれを忘れて夜通し無暗に逃げて、丁度大沓へ掛って来ますると、神通川の水音がどうーどっと聞える。山から雲が吹出しますと、ぱら/\/\とみぞれが額へ当ります。
永「あゝー寒い、大分だいぶ遅れた様子じゃな、眞達はまだ来ぬかな……眞達ようー/\」
眞「おおい」
永「早う来んかなア」
眞「うと云うたてもなア、お梅はんが歩けんと云うから、手を引張ひっぱったり腰を押したりするので、共に草臥れるがな、とても/\足も腰も痛んで、どうも歩けぬので」
永「しっかりして歩かんではいかぬじゃアないか」
梅「歩かぬじゃいかぬと云ったってお前さん、休みもしないで延続のべつゞけに歩くのだもの、うして歩けやアしませんよ」
永「しらりと夜が明け掛って来て、もうぼんやり人顔ひとがおが見える様に成って来るが、この霙の吹掛ふっかけでぱったりと往来は止まってるが、今にも渡しがいて、渡しを渡って此処こゝへ来る者が有れば、何でも三人だと、何う姿を隠しても坊主頭はうしろから見れば毛の無いのは分るから、眞達手前はなア三拾両かねるがなア、此処から別れて一人でんでくれ、己はお梅を連れて高山越えをする積りだから」
眞「わしも其の方がいのでげす、うやって三人で歩くと、私はお梅はんをいたわり、あんたは無暗に駈けるから歩けやアしない、どうも私は草臥れていかぬ、それじゃア三十両お呉んなさい、その方が私は仕合せじゃ」
永「うんうか、今金を遣るから、し渡し口の方から此方こっちゃへ人でも来ると何うも成らぬから、模様を見て居てくれ、金の勘定をするからよう、封を切ってかぞえる間向うを見て居ろよ」
眞「まだ渡しは開きやアしません、この霙の吹ッかけでは向うから渡って来やアしますまい」
 と眞達がうっかり渡し口に眼を着けて居りますると、腰に差して居りましたる重ねあつの一刀を抜くより早く、ぷすりっと肩先深くあびせますと、ごろり横に倒れましたが、眞達は一生懸命、
眞「やアお師匠さん、わしを殺す気じゃな」
 とどん/″\/″\/″\と死物狂しにものぐるい、すがり付いて来る奴を、
永「えゝ知れたこっちゃ、静かにしろ」
 と鳩尾みぞおちあたりをどんと突きまする。突かれて仰向あおむきに倒れる処を乗掛のッかゝってとゞめを刺しました処が、側に居りましたお梅は驚いて、ぺた/\と腰の抜けたように草原くさはらへ坐りまして、
梅「旦那」
永「えゝしっかりせえ」
梅「確かりせえと云ったって、お前さんひどい事をするじゃないか、眞達さんを殺すなら殺すと云ってお呉れならいに、突然だしぬけで私は腰が抜けたよ」
永「えゝもういや、そんな意気地いくじのない事で成るか」
 と眞達の着物でのりを拭って鞘に納め、
永「さア来い」
 と無暗に手を引いて渡場わたしばへ参り、少しの手当を遣って渡しを越え、此処から笹沢さゝざわ、のりばら、いぼりたに片掛かたかけたにと六里半余の道でござりますが、これから先はごく難所なんじょで、小さい関所がござりますから、湯の谷の利助りすけと云ううちへ泊りました。是れは本当の宿屋ではない、その頃は百姓で人を留めました。此処で、
永「お梅、いやでも有ろうけれども頭を剃って呉れえ、どうも女を連れてけば足が付くから」
 と厭がるお梅を無理無体に勧めて頭を剃らせましたが、年はまだ三十で、滅相美しいお比丘様びくさまが出来ました。当人も厭ではあろうが、矢張身が怖いから致し方がない。
永「さ、幸い下に着て居る己の無地の着物が有るから、是を内揚うちあげをして着るがい」
 と云うので、是から永禪和尚の着物を直してお梅が着て、その上に眞達の持って居りました文庫の中より衣を出して着、端折はしょりを高く取って袈裟を掛けさせ、又袈裟文庫を頭陀袋ずだぶくろの様にしてくびに掛けさせ、まずこれで宜いと云うので、にわかにお比丘尼様が一人出来ました。

        二十四

 永禪はしまの着物に坊主頭へ米屋被こめやかぶりを致し、小長いのを一本差して、これから湯の谷を出ましたが、その頃百ぴきも出しますとうやらうやら書付をこしらえて呉れますから、かに寺までところの関所は金さえれば越えられたものでござります。ようやく金で関所を越えて、かゞぞへ出て小豆沢あずきざわ杉原すぎはらうつぼ三河原みかわばらと五里少々余の道を来て、足も疲れて居ります。ことに飛騨は難処なんじょが多くて歩けませんから、三河原の又九郎またくろうという家に宿を取りました。
永「まア此処こゝは静かでい、殊に夫婦とも誠に親切な者であるから、しばらく此処に足を留めようじゃアないか、おれも頭の毛の長く生えるまでは居なければならぬ、此処なれば決して知れる気遣いは有るまい、てまえそりたて頭では青過ぎて目に立つから、少し毛の生えるまでは此処にいよう、只少し足溜あしだまりの手当さえすれば宜い、しかし此処には食い物が無いが、これから古河町ふるかわまちけば米も有るから米を買って、又酒や味噌醤油などの手当をして」
梅「それじゃアうしてお呉んなさい」
 と云うので多分に手当をって、米や酒醤油を買いに遣るから、是は大したお客様と又九郎おやじが悦びまして、米を買ったり何かして、来年まで居ても差支えないように成りました。そのうちの辺は雪がます/\降って来ますると、旅人の往来が止りまする事で、丁度足溜りには都合がいと云って、九月の二十日からいたして十一月の三日の日まで泊って居りましたが、段々と頭の毛も生えるが、けれども急には生えは致しません。宿屋の亭主は気が利いていて、年はとって居るが。多分に手当をして呉れるから[#「呉れるから」は底本では「呉るれから」]有難いお客だと云って、何か御馳走をしたいと山へ往って、小鹿を一匹撃って来まして、
又「おい婆さん/\」
婆「あい何だえ」
又「小鹿を一匹撃って来たよ」
婆「何処どこで」
又「あの雪崩口なだれぐちでな、何もお客様に愛想がねえから、あったまる様に是れを上げたいものだ、己がこしらえるからお前味噌で溜りをこしらえて、燗鍋かんなべの支度をして呉んな」
 とこれから亭主が料理をしてちゃんと膳立ても出来ましたから、六畳の部屋へ来て破れ障子を明けて、
又「はい御免」
永「いや御亭主か」
又「まことに続いてお寒いことでございます、なれども沢山も降りませんでまア宜うございますが、是からもう月末つきずえになって、度々たび/\雪が降りますると道も止りますが、まア/\今年は雪が少ないので仕合せでござります、さぞ日々御退屈でございましょう」
永「いゝやもう種々いろ/\お世話に成りまして、それに此の尼様が坂道で足を痛めて歩けぬと云うこと、殊に寒さは寒しするから、気の毒ながら来年の三月迄は御厄介じゃア」
又「へい有難いことでございます、毎日婆アともはアう申して居ります、あなた方がお泊りでございますから、うやって米のおめしのお余りや上酒じょうしゅが戴いてられる、こんな有難い事はございませんと云って、婆アも悦んで居ります、うかなんなら二三年もおいでなすって下されば猶宜いと存じます、なんで此の山家やまがでは何もございませんが、鹿を一匹撃って参りまして調こしらえましたが、何うか鹿で一杯召上って、あの何ですかお比丘尼様は鹿は召上りませんか」
永「いや、なんじゃ、それは何とも、まア一体は食われぬのじゃけれどもなア、旅をするうちは仕方がない、かえって寒気をしのぐ為に勧めて食わせるくらいだから、薬喰くすりぐいにはいわな」
又「左様でげすか、鹿は木実きのみや清らかな草を好んで喰うと申すことで、鹿の肉は魚よりもきよいから召上れ、御婦人には尚お薬でございます……おい婆さん何を持って来て、ソレこれへ打込ぶっこみねえ、それその麁朶そだべてな、ぱッ/\ともやしな……さア召上りまし、此方こっちが柔かなのでございますから、さア御比丘様」
梅「有難う存じます、まア本当にう長くお世話に成りますとも思いませんでしたが、あんまり御夫婦のお手当がいから、つい泊る気になりました」
婆「何う致しまして、もうこんなじゞいばゞアで何もお役には立ちませんから、どうか御退屈でない様にと申しましても、家もない山の中でございますから、ほかに仕方もございません、どうか何時いつまでもいらしって下されば仕合せでと、爺も一層蔭でお噂致して居りますよ……爺さんお相手をなさいよ」
又「さアこの御酒を召上りませ、それから鍋は一つしかございませんから取分けて上げましょう」
永「いや皆此処こゝで一緒の方がいから」
又「左様でげすか、いろ/\又じゞいばゞあの昔話もございますから、少しはお慰みにもなりましょうと思いまして……婆さん、どうもい酒だのう、宜かろう何うだえ、えゝこの御酒はあの古河町へかなければないので、又醤油したじいからうまいねえ、これでね旦那様、江戸の様な旨い味噌で造ったたれを打込ぶちこんで、獣肉屋もゝんじいやの様にぐつ/\れば旨いが、それだけの事はいきません、どうも是では旨くはないが、これへわらびを入れるもおかしいから止しましょう……へえお盃を戴きます、わたくしも若い時分には随分大酒たいしゅもいたしましたが、もう年を取ってはすぐに酔いますなア、それでも毎晩酣鍋かんなべに一杯位ずつはらかします」
 とえつおさえつ話をしながら酒宴さかもりをして居りましたが、其の内にだん/\と爺さん婆さんも微酔ほろよいになりました。
永「何うだい、お前方は何うも山の中にいる人とは違い、また言葉づかいも分るから屹度きっと苦労人のはてじゃろう、万事に宜く届くと云うて噂をして居ることだが、生れは何処どこだね」
又「えゝ旦那様お馴染に成りましたからんな事を伺いますが、あなたは元は御出家様でございますかえ」
永「わしは出家じゃア無い」
又「へえー左様でげすかえ、貴方あなたは其の頭髪おぐしがだん/\延びますけれども、元御出家様で是からだん/\おはやしなさるのではないかと存じまして」
永「なにわしは百姓だが、旅をする時にはむしゃくしゃして欝陶うっとうしいから剃るのじゃ、それに寺へ奉公をして居るから、頭を剃る事なぞは頓と構わぬじゃア」
又「へえー左様で、お比丘尼様はこの頃御剃髪ごていはつなすったのでげすな」
永「えゝいゝえ……なにう云う訳じゃアないのじゃ」
又「へえ左様でげすかえ」
永「もっとも幼少の時分からと云う訳じゃアないが、七八年あとから少々因縁有って御出家にならっしゃッたじゃ」
又「へえー左様で、私共わたくしどもうちには御出家様が時々お泊りになりますが、御膳の時はお経をんで御膳をおきせに取分けて召上りますな、あなたも此のあいだお遣りなすったしお経もお読みなさいますが、お比丘尼様の方はそう云う事をなさる所を見ませんから、それで貴方は御出家お比丘尼様は此の頃御剃髪と思いまして」
永「それは門前の小僧習わぬ経をむで、寺にいると自然と覚えて読んで見たいのだが、また此方こなたは御出家じゃアが、もう旅へ出ると経を読まぬてえ、是が紺屋こうや白袴しらばかまというたとえじゃアのう」
又「そうでございますかえ、わたくしはまた御苦労の果じゃア無いかと思って、のう婆さん」
婆「お止しよ、ひちくどくお聞きで無いよ、欝陶しく思召おぼしめすよう」
又「でもお互に昔は……旦那わたくしはねえ、ちょっと気がさすので、ういう事を云いますが、このばゞあを連れて私が逃げまする時にゃア、この婆が若い時分だのにくり/\坊主に致しましてねえ、私も頭をっこかして逃げたことが有るね、えゝ是は昔話でございますがねえ」
婆「爺さんお止しよ、詰らない事を言い出すね、よしなよ」
又「なに、いゝや、旦那の御退屈しのぎだ、じゞいばゞあの昔話だからいやらしい事も何もねえじゃねえか」

        二十五

又「旦那此のばゞあはもと根津の増田屋で小澤こさわと云った女郎じょうろでございます」
婆「およしよ爺さん」
[#「又」は底本では「婆」]「いゝやな、昔はうぐいすを啼かして止まらした事もある……今はこんな梅干婆で見る影も有りませんがね、これでも二十三四の時分には中々薄手のあまっちょで、一寸ちょっとその気象が宜うがしたね、時々、今日は帰さねえよと部屋着やこうがいなどを質に入れて、そうして遊んで呉れろと云うから、ついとぼけて遊ぶ気になり、爪弾つめびき位は静かにると云う、中々いきな女でございます」
婆「およしよう、詰らない事を言って間が悪いやね、恥かしいよ」
又「恥かしいも無いものだ、もう恥かしいのは通り過ぎて居るわ」
永「おや左様かえ、何でもうじゃろうと思った、中々お前苦労人の果でなければ、あの取廻しは出来ぬと思った、あゝ左様かえ、一旦泥水に這入った事がなければなア」
梅「おや然うかね、長く御厄介になって見ると私はどうも御当地の方じゃないと実は思って居ましたが、然うでございますか、不思議なものだねえ増田屋に、どうも妙だね、然うかね」
永「どうも妙だのう、それじゃアお前何かえ、江戸の者かえ」
又「いゝえわたくしはねえ旦那様富山稲荷町いなりまち加賀屋平六かがやへいろくと云う荒物御用で、江戸のお前さん下谷茅町したやかやちょうの富山様のお屋敷がございますから、出雲いずも様へ御機嫌伺いに参りまして、下谷に宿を取って居る時に、見物かた/″\根津へ往って引張ひっぱられてあがったのが縁さねえ、処が此奴こいつ中々手管てくだが有って帰さないから、とうとうそれがお前さん道楽のはじまりでひどいめに遭いましたけれども、此奴の気象がいものだから借金だらけで、漸々だん/″\年季が増して長いが、私の様な者でも女房にょうぼにして呉れないかと云いますから、本当かと云うと本当だと申しますから、借金があってはとてもいかぬから、連れて逃げようと無分別にも相談をしたのが丁度三十七の時ですよ、それからお前さん連れて逃げたんだ、国には女房子にょうぼこが有るのに無茶苦茶に此奴を引張ひっぱって逃げましたが、年季は長いし、借金が有るから追手おっての掛るのを恐れて、逃げて/\信州路へ掛っても間に合わぬから、此奴をくり/\坊主にして私も坊主になってとうとう飛騨口へ逃込んだのよ」
永「ふうん然うかえ」
又「それがお前さん面白い話でどうも高山にもうっかりられないで、だん/\廻って落合の渡しを越えて、此の三河原と云う此処ここいえへ泊ったが不思議の縁でございます、せん又九郎またくろうと云う夫婦が有ってそれが私が泊って翌日立とうかと思うと、寒さの時分では有るが、誠に天のばちで、人が高い給金を出して抱えて居る女郎じょうろ引浚ひきさらって逃げた盗賊の罪と、国に女房子を置放おきぱなしにした罰が一緒に報って来て私は女房これの字を受けたと見えて痳病りんびょうと来ました、これがまた二度めの半病床はんどやと来てつことが出来ませんで、此処のじゝいばゝあに厄介になって居りますると、先の又九郎夫婦が誠に親切に二人の看病をして呉れ、その親切が有難いと思ってやゝ半年も此処に居りまして、ようやく二人の病気がなおると、此処の爺婆がわずらい付いて、とても助からねえ様になると、その時私共を枕辺まくらもとんで、誠に不思議な縁でお前方は長く泊って下すったが、私はもうとても助からねえ、どうもお前方は駈落者の様だが、段々月日も経って跡から追手も掛らぬ様子、何処どこか是から指してく所がありますかと云うから、私共わたくしどもは何処も行く所はないが、まア越後の方へでも行こうと実は思うと云うと、そんなら沢山も有りません、金はわずかだが、このうしろの山の焚木たきゞうちの物だから、山のわらびを取っても夫婦が食って行くには沢山ある、また此所ここうすれば此所で獣物けだものが獲れる、冬のしのぎは斯う/\とすっぱり教えて、さて私のいえには身寄もなしばゝあよぼくれて居るから、私が命のないのちはお前さん私を親と思って香花こうはな手向たむけ、此処ここな家の絶えぬようにしてお呉んなさらんか、と云う頼みの遺言をして死んだので、すると婆様ばあさまが又続いて看病疲れかして病気になり、その死ぬ前に何分頼むと言って死んだから、前に披露ひろめもしてあったので、近辺の者も皆得心して爺さん婆さんを見送ったから、つい其の儘ずる/\べったりに二代目又九郎夫婦に成ったのでございます、あなたちょうど今年で二十三年になるが、住めば都と云うたとえの通りで、蕨を食って此処に斯うって潜んで居ますがねえ、随分苦労をしましたよ」
永「そうかねえ、苦労の果じゃがら万事に届く訳じゃのう、でも内儀かみさんと真実思合おもいおうての中じゃから、斯うして此の山の中に住んで居るとは、情合じょうあいだね」
又「情合だって婆さんも私もいやだったが、ほかく所がなし詮方しかたがないから居たので」
永「じゃア富山の稲荷町で良い商人あきんどで有ったろうが、女房子はお前の此処に居る事を知らぬかえ、此の飛騨へは富山の方の者が滅多に来ないから知らぬのじゃなア」
又「えゝそれは私が家を出てから行方が知れぬと云って、家内が心配してなくなり、それから続いてうちは潰れる様な訳で、せがれが一人ありましたが、その忰平太郎と云う者は、仕様がなくって到頭お寺様か何かへ貰われて仕まったと云う事を、ぼんやり聞いて居りましたが、妙な事で、去年富山の薬屋、それお前さん反魂丹はんごんたんを売る清兵衞せいべえさんと云う人が家へ来て、一晩泊って段々話を聞きました所が、私共の忰は妙な訳でねえ、良い出家に成られそうでございまして、越中の国高岡の大工町にある宗慈寺と云う寺の納所になって、立派な衣を着て居る[#「着て居る」は底本では「来て居る」]そうで」
永「はアそれは妙な事だなア、大工町だいくまちの宗慈寺と云うは真言寺じゃアないか」
又「はい真言寺で」
永「そこにお前の忰が出家をげて居るのかえ」
又「はい名は何とか云ったなア、婆さんおめえ知って居るか、あゝそうよ……いゝや、眞達と云う名の納所でございます」
永「左様か」
 とじろりっと横眼でお梅と顔を見合わしたばかり、ぎっくり胸にこたえて、流石さすがの悪党永禪和尚も、これは飛んだ所へ泊ったと思いました。

        二十六

又「それで婆さんの云うのには、前の事をあやまって尋ねて行ったら宜かろうと云いますが、何だか今更親子とも云いにくいと云うのは、女房子を打遣うっちゃって女郎じょろうを連れて駈落する身の越度おちど、本人が和尚さんとか納所とか云われる身の上になったからと云って、今わし親父おやじだと云っても、顔を知りますまいし、ことに向うは出家で堅固な処へ、何だか気が詰ってけませんなれども、その話を聞いて一度尋ねてきたいとは思って心掛けては居りますが、たとえ是れで死にました処が、旦那様何でございます、まア其の本人むこうが坊主でございますから、死んだと云う事を風の便りに聞いて、本当の親と思えば、死んだのちでもにくいとは思いますまいから、お経の一遍位は上げてくれるかと思って、それを楽しみに致してる訳で」
永「なるほどうかえ」
又「へえ……まことにながぱなしを致しまして」
婆「本当にお退屈様でさぞお眠うございましょう、此の通り酔うとしつこう御座いまして、繰返し一つことを申しまして……さア、此方こっちへお出でよう」
又「いゝやな」
婆「誠にお邪魔さまで……さア…此方へお出でよ、また飲みたければおあがりな」
 と手を引いておさわと云う婆さんが又九郎を連れて部屋へ参りました跡で、
梅「旦那々々」
永「えゝ」
梅「もう、此処ここには居られないからお立ちよ、早くお立ちよ」
永「立つと云ってもすぐに立つ訳にはゆかん」
梅「いかぬたってお前さん怖いじゃア無いか、此処はつるぎの中に這入って居るような心持がして、眞達の親父と云う事が知れては」
永「これ/\黙ってろ、明日あした直に立つと、おかしいと勘付かれやアしないかとすねきずじゃ、此の間も頼んで置いたが、広瀬ひろせ追分おいわけを越える手形をこしらえて貰って、急には立たぬふりをして、二三日のうちにそうっと立つとしようじゃア無いか」
梅「何うかしてお呉んなさい、私は怖いから」
 とその晩は寝ましたが、翌朝よくあさになりますと金をってごまかして、何うかうか広瀬の追分を越える手形を拵えて貰い、明日立とうか明後日あさってようかと、こそ/\支度をして居りますると、翌日なゝつ刻下さがりになりまして峠を下って参ったのは、越中富山の反魂丹を売る薬屋さん、富山の薬屋さんは風呂敷包を脊負しょうのに結目むすびめを堅く縛りませんで、両肩の脇へ一寸ちょっと挟みまして、先をぱらりと下げて居ります。懐には合口あいくちをのんで居る位に心掛けて、怪しい者が来ると脊負しょって居る包をねて置いて、懐中の合口を引抜くと云う事で始終山国やまぐにを歩くから油断はしません。よく旅慣れて居るもので御座ります。一体飛騨は医者と薬屋が少ないので薬がく売れますから、寒いのもいとわずになだれ下りに来まして。
薬屋清「やア御免なさいませ」
又「おやこれはお珍らしい……去年お泊りの清兵衞さんがおいでなすった、さア奥へお通りなさい、いやどうも能く」
清「誠に、是れははや、去年はまして、えゝながえこと御厄介ねなりりみした、いやもう二度ねどと再び山坂を越えてう云う所へはますまいと思うて居りみすが、又慾と二人連れでました……おや婆様この前は御厄介になりみした、もうとても/\この山は下りは楽だが、登りと云うたら足も腰もめきり/\と致して、やアどうも草臥くたぶれました、とても/\」
又「今夜はお泊りでげしょう」
清「いやうでない、今日はみて落合までつもりで」
又「婆さん今日は落合までいらっしゃるてえが仕方が無いのう、まア今夜はお泊りなさいな、この頃は米が有ります、それに良い酒もありますからお泊りなさい、お裙分すそわけをしますから」
清「いや然うはきませぬ、うでもうでも落合までだ日も高いからこ積りで」
又「それは仕方が無いなア、然うでしょうがまア一杯飲んで」
清「いゝや……」
又「そんな事を云わずに、これ婆さん早く一杯…」
婆「能くお出でなさいました、去年は誠にお草々そう/\をしたって昨宵ゆうべもお噂をして居りました」
又「清兵衞さん、去年おとまりの時に、私の忰は高岡の大工町の宗慈寺と云う寺に這入って、弟子に成って居ると云う貴方あなたのお話が有ったが、眞達と云う忰は達者で居りますかな」
清「いや何うもこりゃはや、それを云おう/\と思ってたが、おさんあんま草臥くたぶれたので忘れてしまったが、いや眞達さんの事にいてはえらい事になりみした」
又「へいどうか成りましたか」
清「いやもうらちくちのつかない事に成りみしたと云う訳は、おさん宗慈寺の永禪和尚と云う者はえらい悪党でありみすと、前町の藤屋七兵衞と云う荒物屋が有って、その女房じゃアまアのお梅というのとわれえ事をしたと思いなさませ、永禪和尚とお梅と間男をして居りみして、七兵衞がっては邪魔になるというて、とゝまの七兵衞を薪割で打殺ぶちころし、本堂のいんの下へかこしたところが、われえ事は出来でけぬものじゃなア、心棒が狂いまごうたから、まア寺男からおさんの子じゃア有るけれども眞達さんまでもわれえ事にそまりまして、それからおさん此の頃寺で賭博ばくちますと」
又「賭博を、ふうん/\成程」
清「ところがおさん二番町の小川様から探索が届いてるもんじゃからすぐに手が這入って、手が這入ると寺男の庄吉という者がおさん本堂の床下よかしたげたところが、先に藤屋七兵衞の死骸しげえかこしてるのを死骸しげえとは知らいで、寺男の庄吉が先へ誰か逃込のげこんで床下よかしたに此の通りちま/\とねなってりみすと思って、おべの処へ後生大事におさん取付とッついて居りみすと、さ、するとおさん出ろ/\と云うので役人やこねんて庄吉のおべを取ってひきずり出すと、藤屋のとゝま死骸しげえが出たと思いなさませ、さアこれはうさんな寺である、賭博どころではない、床下よかしたから死骸しげえが出る所を見ると、屹度けっと調べをなければ成らぬと、お役所やこしょまでまえれとたちまちきり/\っといましめられて、庄吉が引かれみしたと、もう事が破れたと思って永禪和尚が藤屋の女房じゃアまアの手を取ってげた時に、おさんの御子息の眞達どんも一緒にげたに相違ないのじゃが、それが此の世の生涯で、大沓の渡しを越える渡口の所に、いやうはや見る影もない姿で誠になさけない、それは/\とても/\何とも云い様のない姿に斬殺けれころされて居りみしたが」
又「えー忰が斬殺きりころされて」
清「いやもう何とも」
又「誰が殺しました」


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告