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坑夫(こうふ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 8:38:57  点击:  切换到繁體中文

さっきから松原を通ってるんだが、松原と云うものは絵で見たよりもよっぽど長いもんだ。いつまで行っても松ばかりえていていっこう要領を得ない。こっちがいくら歩行あるいたって松の方で発展してくれなければ駄目な事だ。いっそ始めから突っ立ったまま松とにらめっをしている方が増しだ。
 東京を立ったのは昨夕ゆうべの九時頃で、夜通しむちゃくちゃに北の方へ歩いて来たら草臥くたびれて眠くなった。泊る宿もなし金もないから暗闇くらやみ神楽堂かぐらどうあがってちょっと寝た。何でも八幡様らしい。寒くて目がめたら、まだ夜は明け離れていなかった。それからのべつ平押ひらおしにここまでやって来たようなものの、こうやたらに松ばかり並んでいては歩くせいがない。
 足はだいぶ重くなっている。ふくはぎに小さい鉄の才槌さいづちしばり附けたように足掻あがきに骨が折れる。あわせの尻は無論端折はしおってある。その上洋袴下ズボンしたさえ穿いていないのだから不断なら競走でもできる。が、こう松ばかりじゃ所詮しょせんかなわない。
 掛茶屋がある。葭簀よしずの影から見ると粘土ねばつちへっついに、さび茶釜ちゃがまが掛かっている。床几しょうぎが二尺ばかり往来へみ出した上から、二三足草鞋わらじがぶら下がって、袢天はんてんだか、どてらだか分らない着物を着た男が背中をこちらへ向けて腰を掛けている。
 休もうかな、そうかなと、通り掛りに横目でのぞき込んで見たら、例の袢天とどてらちゅうを行く男が突然こっちを向いた。煙草たばこやにで黒くなった歯を、厚いくちびるの間から出して笑っている。これはと少し気味が悪くなり掛ける途端とたんに、向うの顔は急に真面目まじめになった。今まで茶店の婆さんとさる面白い話をしていて、何の気もつかずに、ついそのままの顔を往来へ向けた時に、ふと自分の面相にくわしたものと見える。ともかく向うが真面目になったのでようやく安心した。安心したと思うもなくまた気味が悪くなった。男は真面目になった顔を真面目な場所にえたまま、白眼しろめの運動が気に掛かるほどの勢いで自分の口から鼻、鼻からひたいとじりじり頭の上へ登って行く。鳥打帽のひさしまたいで、脳天まで届いたと思う頃また白眼がじりじり下へさがって来た。今度は顔を素通りにして胸からへそのあたりまで来るとちょっと留まった。臍の所には蟇口がまぐちがある。三十二銭這入はいっている。白い眼は久留米絣くるめがすりの上からこの蟇口をねらったまま、木綿もめん兵児帯へこおびを乗り越してやっと股倉またぐらへ出た。股倉から下にあるものは空脛からすねばかりだ。いくら見たって、見られるようなものはいちゃいない。ただ不断より少々重たくなっている。白い眼はその重たくなっている所を、わざっと、じりじり見て、とうとう親指のあとが黒くついた俎下駄まないたげたの台までくだって行った。
 こう書くと、何だか、長く一所ひとところに立っていて、さあ御覧下さいと云わないばかりに振舞ったように思われるがそうじゃない。実は白い眼の運動が始まるやいなや急に茶店へ休むのがいやになったから、すたすた歩き出したつもりである。にもかかわらず、このつもりが少々覚束おぼつかなかったと見えて、自分が親指にまむしをこしらえて、俎下駄をねじ間際まぎわには、もう白い眼の運動は済んでいた。残念ながら向うは早いものである。じりじり見るんだから定めし手間が掛かるだろうと思ったら大間違い。じりじりには相違ない、どこまでも落ちついている。がそれで滅法めっぽう早い。茶屋の前を通り越しながら、世の中には、妙な作用を持ってる眼があるものだと思ったくらいである。それにしても、ああゆっくり見られないうちに、早く向き直る工夫はなかったもんだろうか。さんざっぱらひやかされて、さあ御帰り、用はないからと云う段になって、もう御免蒙ごめんこうぶりますと立ち上ったようなものだ。こっちは馬鹿気ばかげている。あっちは得意である。
 歩き出してから五六間の間は変に腹が立った。しかし不愉快は五六間ですぐ消えてしまった。と思うとまた足が重くなった。――この足だもの。何しろ鉄の才槌さいづちを双方の足へしばり附けて歩いてるんだから、敏活の行動は出来ないはずだ。あの白い眼にじりじりやられたのも、満更まんざら持前の半間はんまからばかり来たとも云えまい。こう思い直して見ると下らない。
 その上こんな事を気にしていられる身分じゃない。いったん飛び出したからは、もうどうあってもうちへ戻る了簡りょうけんはない。東京にさえり切れない身体からだだ。たとい田舎いなかでも落ちつく気はない。休むとうしろから追っ掛けられる。昨日きのうまでのいさくさが頭の中を切って廻った日にはどんな田舎だってやり切れない。だからただ歩くのである。けれども別段に目的めあてもない歩き方だから、顔の先一間四方がぼうとして何だか焼きそくなった写真のように曇っている。しかもこの曇ったものが、いつ晴れると云うあてもなく、ただ漠然ばくぜんと際限もなく行手に広がっている。いやしくも自分が生きている間は五十年でも六十年でも、いくら歩いてもかけても依然として広がっているに違いない。ああ、つまらない。歩くのはいたたまれないから歩くので、このぼんやりした前途を抜出すために歩くのではない。抜け出そうとしたって抜け出せないのは知れ切っている。
 東京を立った昨夜ゆうべの九時から、こうあきらめはつけてはいるが、さて歩き出して見ると、歩きながら気が気でない。足も重い、松がきるほど行列している。しかし足よりも松よりも腹の中が一番苦しい。何のために歩いているんだか分らなくって、しかも歩かなくっては一刻も生きていられないほどの苦痛は滅多めったにない。
 のみならず歩けば歩くほどとうてい抜ける事のできない曇った世界の中へだんだん深くもぐり込んで行くような気がする。振り返ると日の照っている東京はもうが違っている。手を出しても足を伸ばしても、この世では届かない。まるで娑婆しゃばが違う。そのくせ暖かなほがらかな東京は、依然として眼先にありありと写っている。おういと日蔭ひかげから呼びたくなるくらい明かに見える。と同時に足の向いてる先は漠々ばくばくたるものだ。この漠々のうちへ――命のあらん限り広がっているこの漠々のうちへ――自分はふらふら迷い込むのだから心細い。
 この曇った世界が曇ったなりはびこって、定業じょうごうの尽きるまで行く手をふさいでいてはたまらない。留まった片足を不安の念にられて一歩前へ出すと、一歩不安の中へ踏み込んだわけになる。不安に追い懸けられ、不安に引っ張られて、やむを得ず動いては、いくら歩いてもいくら歩いてもらちが明くはずがない。生涯しょうがい片づかない不安の中を歩いて行くんだ。とてもの事に曇ったものが、いっそだんだん暗くなってくれればいい。暗くなった所をまた暗い方へと踏み出して行ったら、遠からず世界がやみになって、自分の眼で自分の身体が見えなくなるだろう。そうなれば気楽なものだ。
 意地の悪い事に自分の行く路は明るくもなってくれず、と云って暗くもなってくれない。どこまでも半陰半晴の姿で、どこまでも片づかぬ不安が立てめている。これでは生甲斐いきがいがない、さればと云って死に切れない。何でも人のいない所へ行って、たった一人で住んでいたい。それが出来なければいっその事……
 不思議な事にいっその事と観念して見たが別にどきんともしなかった。今まで東京にいた時分いっその事と無分別を起しかけた事もたびたびあるが、そのたびたびにどきんとしない事はなかった。あとからぞっとして、まあ善かったと思わない事もなかった。ところが今度は天からどきんともぞっともしない。どきんとでもぞっとでも勝手にするがいと云うくらいに、不安の念が胸一杯に広がっていたんだろう。その上いっその事を断行するのが今が今ではないと云う安心がどこかにあるらしい。明日あしたになるか明後日あさってになるか、ことにったら一週間も掛るか、まかり間違えば無期限に延ばしても差支さしつかえないとたかくくっていたせいかも知れない。華厳けごんたきにしても浅間あさま噴火口ふんかこうにしても道程みちのりはまだだいぶあるくらいは知らぬに感じていたんだろう。行き着いていよいよとならなければ誰がどきんとするものじゃない。したがっていっその事を断行して見ようと云う気にもなる。この一面に曇った世界が苦痛であって、この苦痛をどきんとしない程度においてまぬかれる望があると思えば重い足も前に出し甲斐がある。まずこのくらいの決心であったらしい。しかしこれはあとから考えた心理状態の解剖である。その当時はただ暗い所へ出ればいい。何でも暗い所へ行かなければならないと、ひたすら暗い所を目的めあてに歩き出したばかりである。今考えると馬鹿馬鹿しいが、ある場合になると吾々は死を目的にして進むのをせめてもの慰藉いしゃと心得るようになって来る。ただし目指す死は必ず遠方になければならないと云う事も事実だろうと思う。少くとも自分はそう考える。あまり近過ぎると慰藉になりかねるのは死と云う因果である。
 ただ暗い所へ行きたい、行かなくっちゃならないと思いながら、雲をつかむような料簡りょうけんで歩いて来ると、うしろからおいおい呼ぶものがある。どんなに魂がうろついてる時でも呼ばれて見ると性根しょうねがあるのは不思議なものだ。自分は何の気もなく振り向いた。応ずるためと云う意識さえ持たなかったのは事実である。しかし振り向いて見て始めて気がついた。自分はさっきの茶店からまだ二十間とは離れていない。その茶店の前の往来へ、例の袢天はんてんどてらあいが出て、やにだらけの歯をあらわにさらしながらしきりに自分を呼んでいる。
 昨夕ゆうべ東京を立ってから、まだ人間に口をいた事がない。人から言葉を掛けられようなどとは夢にも予期していなかった。言葉を掛けられる資格などはまるで無いものと自信し切っていた。ところへ突然呼びけられたのだから――粗末な歯並はならびだが向き出しに笑顔を見せてしきりに手招きをしているのだから、ぼんやり振り返った時の心持が、自然と判然はっきりすると共に、自分の足はいつの間にか、その男の方へ動き出した。
 実を云うとこの男の顔も服装なりも動作もあんまり気に入っちゃいない。ことにさっき白い眼でじろじろやられた時なぞは、何となく嫌悪けんおの念が胸のうちきざし掛けたくらいである。それがものの二十間とも歩かないうちに以前の感情はどこかへ消えてしまって、打って変った一種の温味あたたかみを帯びた心持で後帰あとがえりをしたのはなぜだか分らない。自分は暗い所へ行かなければならないと思っていた。だから茶店の方へ逆戻りをし始めると自分の目的とは反対の見当けんとうに取って返す事になる。暗い所から一歩ひとあし立ち退いた意味になる。ところがこの立退たちのきが何となくうれしかった。そののちいろいろ経験をして見たが、こんな矛盾はいたる所にころがっている。けっして自分ばかりじゃあるまいと思う。近頃ではてんで性格なんてものはないものだと考えている。よく小説家がこんな性格を書くの、あんな性格をこしらえるのと云って得意がっている。読者もあの性格がこうだの、ああだのと分ったような事を云ってるが、ありゃ、みんなうそをかいて楽しんだり、嘘を読んで嬉しがってるんだろう。本当の事を云うと性格なんてまとまったものはありゃしない。本当の事が小説家などにかけるものじゃなし、書いたって、小説になる気づかいはあるまい。本当の人間は妙に纏めにくいものだ。神さまでも手古てこずるくらい纏まらない物体だ。しかし自分だけがどうあっても纏まらなく出来上ってるから、他人ひとも自分同様しまりのない人間に違ないと早合点はやがてんをしているのかも知れない。それでは失礼に当る。
 とにかく引き返して目倉縞めくらじまそばまで行くと、どてらはさもれ馴れしい声で
「若いしゅさん」
と云いながら、大きなあごを心持えりの中へ引きながら自分の額のあたりを見詰めている。自分は好加減いいかげんなところで、茶色の足を二本立てたまま、
「何か用ですか」
叮嚀ていねいに聞いた。これが平生へいぜいならこんなどてらから若い衆さんなんて云われて快よく返辞をする自分じゃない。返辞をするにしてもうんとか何だとかで済したろうと思う。ところがこの時に限って、人相のよくないどてらと自分とは全く同等の人間のような気持がした。別に利害の関係からしてわざと腰を低く出たんじゃ、けっしてない。するとどてらの方でも自分を同程度の人間と見做みなしたような語気で、
御前おまえさん、働く了簡りょうけんはないかね」
と云った。自分は今が今まで暗い所へ行くよりほかに用のない身と覚悟していたんだから、やぶからぼうに働く了簡はないかねと聞かれた時には、何と答えていか、さっぱりわけが分らずに、空脛からすねを突っ張ったまま、馬鹿見たような口を開けて、ぼんやり相手をながめていた。
「御前さん、働く了簡はないかね。どうせ働かなくっちゃならないんだろう」
どてらがまた問い返した。問い返された時分にはこっちの腹も、どうか、こうか、受け答の出来るくらいに眼前の事況じきょう会得えとくするようになった。
「働いてもいですが」
 これは自分の答である。しかしこの答がいやしくも口に出て来るほどに、自分の頭が間に合せの工面にせよ、やっと片づいたと云うものは、単純ながら一順の過程を通っておる。
 自分はどこへ行くんだか分らないが、なにしろ人のいないところへ行く気でいた。のに振り向いてどてらの方へあるき出したのだから、歩き出しながら何となく自分に対して憫然びんぜんな感がある。と云うものはいくらどてらでも人間である。人間のいない方へ行くべきものが、人間の方へ引き戻されたんだから、ことほどさように人間の引力が強いと云う事を証拠立てると同時に、自分の所志にもうそむかねばならぬほどに自分は薄弱なものであったと云う事をも証拠立てている。手短てみじかに云うと、自分は暗い所へ行く気でいるんだが、実のところはやむを得ず行くんで、何か引っかかりが出来れば、たりかしこしと普通の娑婆しゃばに留まる了簡なんだろうと思われる。幸いに、どてらが向うから引っかかってくれたんで、何の気なしに足が後向うしろむきに歩き出してしまったのだ。云わば自分の大目的に申し訳のない裏切りをちょっとして見た訳になる。だからどてらが働く気はないかねと出てくれずに、御前さん野にするかね、それとも山にするかねとでも切り出したら、しばらく安心して忘れかけた目的を、ぎょっと思い出させられて、急に暗い所や、人のいない所がこわくなってぞっとしたに違ない。それほどの娑婆気しゃばけが、戻り掛ける途端とたんにもうきざしていたのである。そうしてどてらに呼ばれれば呼ばれるほど、どてらの方へ近寄れば近寄るほど、この娑婆気は一歩ごとに増長したものと見える。最後に空脛からすねを二本、棒のようにどてらの真向うに突っ立てた時は、この娑婆気が最高潮に達した瞬間である。その瞬間に働く気はないかねと来た。御粗末などてらだが非常にうまく自分の心理状態を利用した勧誘である。だし抜けの質問に一時はぼんやりしたようなものの、ぼんやりからめて見れば、自分はいつか娑婆の人間になっている。娑婆の人間である以上は食わなければならない。食うには働かなくっちゃ駄目だ。
「働いても、いいですが」
 答は何の苦もなく自分の口からすべり出してしまった。するとどてらはそうだろうそのはずさと云うような顔つきをした。自分は不思議にもこの顔つきをもっともだと首肯しゅこうした。
「働いても、いいですが、全体どんな事をするんですか」
と自分はここで再び聞き直して見た。
「大変もうかるんだが、やって見る気はあるかい。儲かる事は受合うけあいなんだ」
 どてらは上機嫌のていで、にこにこ笑いながら、自分の返事を待っている。どうせどてらの笑うんだから、愛嬌あいきょうにもなんにもなっちゃいない。元来がんらい笑うだけ損になるようにでき上がってる顔だ。ところがその笑い方が妙になつかしく思われて
「ええやって見ましょう」
と受けてしまった。
「やって見る? そいつあ結構だ。君もうかるよ」
「そんなに儲けなくっても、いいですが……」
「え?」
 どてらはこの時妙な声を出した。
「全体どんな仕事なんですか」
「やるなら話すが、やるだろうね、お前さん。話した後でいやだなんて云われちゃ困るが。きっとやるだろうね」
 どてらはむやみに念を押す。自分はそこで、
「やる気です」
と答えた。しかしこの答は前のように自然天然には出なかった。云わばいきみ出した答である。大抵の事ならやって退けるが、万一の場合には逃げを張る気と見えた。だからやりますと云わずにやる気ですと云ったんだろう。――こう自分の事を人の事のように書くのは何となく変だが、元来人間は締りのないものだから、はっきりした事はいくら自分の身の上だって、こうだとは云い切れない。まして過去の事になると自分も人も区別はありゃしない。すべてがだろうに変化してしまう。無責任だと云われるかも知れないが本当だから仕方がない。これからさきもあやしいところはいつでもこの式で行くつもりだ。
 そこでどてらほぼ話がまとまったものとみ込んで
「じゃ、まあ御這入おはいり。ゆっくり御茶でもんで話すから」
と云う。別に異存もないから、茶店に這入ってどてらの隣りに腰をおろしたら、口のゆがんだ四十ばかりのかみさんが妙なにおいのする茶を汲んで出した。茶を飲んだら、急に思い出したように腹が減って来た。減って来たのか、減っていたのに気がついたのか分らない。蟇口がまぐちには三十二銭這入っている、何か食おうかしらと考えていると
「君、煙草たばこを呑むかい」
と、どてらが「朝日」の袋を横から差し出した。なかなか御世辞がいい。袋のかどが裂けてるのは仕方がないが、何だか薄穢うすぎたなくあかづいた上に、びしゃりと押しつぶされて、中にある煙草がかたまって、一本になってるように思われる。そでのないどてらだから、入れ所に窮して腹掛はらがけの隠しへでもじ込んで置くものと見える。
「ありがとう、たくさんです」
と断ると、どてらは別に失望のていもなく、自分でかたまったうちの一本を、爪垢つめあかのたまった指先で引っ張り出した。はたせるかな煙草はしわだらけになって、太刀たちのようにっている。それでも破けた所もないと見えて、すぱすぱ吸うと鼻からけむが出る。きわどいところで煙草の用を足しているから不思議だ。
「御前さん、幾年いくつになんなさる」
 どてらは自分の事を御前さんと云ったり君と云ったりするようだが、何で区別するんだか要領を得ない。今までのところで察して見ると、もうかるときには君になって、不断の時には御前さんに復するようにも見える。何でも儲かる事がだいぶん気になっているらしい。
「十九です」
と答えた。実際その時は十九に違なかったのである。
「まだ若いんだね」
と口のゆがんだ神さんが、後向うしろむきになって盆をきながら云った。後向きだから、どんな顔つきをしているか見えない。ひとごとだかどてらに話しかけてるんだか、それとも自分を相手にする気なんだか分らなかった。するとどてらは、さも調子づいた様子で、
「そうさ、十九じゃ若いもんだ。働き盛りだ」
と、どうしても働かなくっちゃならないような語気である。自分はだまって床几しょうぎを離れた。
 正面に駄菓子だがしせる台があって、ふちれた菓子箱のそばに、大きな皿がある。上に青い布巾ふきんがかかっている下から、丸い揚饅頭あげまんじゅうみ出している。自分はこの饅頭が喰いたくなったから、腰を浮かして菓子台の前まで来たのだが、そばへ来て、つらつら饅頭まんじゅうの皿をのぞき込んで見ると、恐ろしい蠅だ。しかもそれが皿の前で自分が留まるやいなや足音にパッと四方に散ったんで、おやと思いながら、気を落ちつけて少しく揚饅頭を物色していると、散らばった蠅は、もう大風が通り越したから大丈夫だよと申し合せたように、再びぱっと饅頭の上へ飛び着いて来た。黄色きいろい油切った皮の上に、黒いぽちぽちが出鱈目でたらめにできる。手を出そうかなと思う矢先へもって来て、急に黒い斑点はんてんが、晴夜せいや星宿せいしゅくのごとく、縦横に行列するんだから、少し辟易へきえきしてしまって、ぼんやり皿を見下みおろしていた。
「御饅頭を上がんなさるかね。まだ新しい。一昨日おととい揚げたばかりだから」
 かみさんは、いつのにか盆を拭いてしまって、菓子台の向側むこうがわに立っている。自分は不意と眼を上げて神さんを見た。すると神さんは何と思ったか、いきなり、節太ふしぶとの手を皿の上にかざして、
「まあ、大変な蠅だ事」
と云いながら、翳した手をたてに切って、二三度左右へ振った。
「上がるんなら取って上げよう」
 神さんはたちまち棚の上から木皿を一枚おろして、長い竹のはしで、饅頭をぽんぽんぽんと七つほどはさみ込んで、
「こっちがいいでしょう」
と木皿を、自分の腰を掛けていた床几しょうぎの上へ持って行った。自分は仕方がないからまたもとの席へ帰って、木皿の隣へ腰を掛けた。見ると、もう蠅が飛んで来ている。自分は蠅と饅頭と木皿をながめながら、どてらに向って
「一つどうです」
と云って見た。これはあながち「朝日」の御礼のためばかりではない。幾分かはどてらが一昨日揚げた蠅だらけの饅頭を食うだろうか食わないだろうか試して見る腹もあったらしい。するとどてら
「や、すまない」
と云いながら、何の苦もなく一番上のやつを取って頬張ほおばっちまった。くちびるの厚い口をもごつかせているところを観察すると、満更まんざらでもなさそうに見えた。そこで自分も思い切って、こちら側の下から、比較的奇麗きれいなのをつまみ出して、あんぐりやった。油の味が舌の上へ流れ出したと思う間もなく、その中からにがあんが卒然として味覚をおかして来た。しかしこの際だから別にしまったとも思わなかった。難なく餡も皮も油もぐいと胃のくだしてしまったら、自然と手がまた木皿の方へ出たから不思議なものだ。どてらはこの時もう第二の饅頭を平らげて、第三に移っている。自分に比較すると大変速力が早い。そうして食ってる間は口をかない。働く事ももうかる事もまるで忘れているらしい。したがって七つの饅頭は呼吸いきを二三度するうちに無くなってしまった。しかも自分はたった二つしか食わない。残る五つはまたたどてらのためにしてやられたのである。
 いかに逡巡しりごみをするほどのきたならしいものでも、一度皮切りをやると、あとはそれほど神経にさわらずに食えるものだ。これはあとで山へ行ってしみじみ経験した事で、今では何でもない陳腐ちんぷの真理になってしまったが、その時は饅頭まんじゅうを食いながら少々あきれたくらいあとが食いたくなった。それに腹は減っている。その上相手がどてらである。このどてらが事もなげに、砂のついた饅頭をぱくつくところを見ると、多少は競争の気味にもなって、神経などは有っても役に立たない、起すだけが損だと云う心持になる。そこで自分はとうとう神さんにたのんで饅頭の御代おかわりをもらった。
 今度は「一つ、どうです」とも何とも云わずに、木皿が床几しょうぎの上に乗るや否や、自分の方でまず一つ頬張ほおばった。するとどてらも、「や、すまない」とも何とも云わずに、だまって一つ頬張った。次に自分がまた一つ頬張る。次にどてらがまた一つ頬張る。互違たがいちがいに頬張りっ子をして六つ目まで来た時、たった一つ残った。これが幸い自分の番に当っているので、どてらが手を出さないうちに、自分が頬張ってしまった。それからまた御代りを貰った。
「君だいぶやるね」
どてらが云った。自分はだいぶやる気も何もなかったが、云われて見るとだいぶやるに違ない。しかしこれは初手しょてどてらの方で自分の食いたくないものを、むしゃむしゃ食って見せて、自分の食慾を誘致した結果があずかって力あるようだ。ところがどてらの方では全然こっちの責任でだいぶやってるような口気こうきであった。だから自分は何だかどてらに対して弁解して見たい気がしたが、弁解する言葉がちょっと出て来なかった。ただ雲をつかむようにどてらにも責任があるんだろうと思うだけで、どこが責任なんだか分らなかったから黙っていた。すると
「君、揚饅頭がよっぽど好きと見えるね」
と今度は云った。饅頭にも寄り切りで、一昨日おととい揚げた砂だらけの蠅だらけの饅頭が好きな訳はない。と云って現に三皿まで代えて食うものをきらいだとは無論云われない。だから今度も黙っていた。そこへ茶店の神さんが突然口を出した。――
「うちの御饅おまんは名代の御饅だから、みんながうまがって食べるだよ」
 神さんの言葉を聞いた時自分は何だか馬鹿にされてるような気がした。そこでますます黙ってしまった。黙って聞いてると、
「旨い事この上なしだ」
どてらが云ってる。本当なんだか御世辞なんだかちょっと見当けんとうがつかなかった。とにかく饅頭はどうでも構わないから、肝心かんじんの労働問題を聞糾ききただして見ようと思って、
先刻さっきの御話ですがね。実は僕もいろいろの事情があって、働いて飯を食わなくっちゃならない身分なんですが、いったいどんな事をやるんですか」
とこっちから口を切って見た。どてらは正面の菓子台をながめていたが、この時急に顔だけ自分の方へ向けて
「君、もうかるんだぜ。うそじゃない、本当に儲かる話なんだから是非やりたまえ」
と、またぞろ自分を君よばわりにして、しきりに儲けさせたがっている。こっちへ向き直って、自分を誘い出そうとつとめる顔つきを見ると、頬骨の下が自然じねんと落ち込んで、落ち込んだ肉が再びあごわく角張かくばっている。そこへ表から射し込む日の加減で、小鼻の下から弓形ゆみなりにでき上ったしわが深く映っている。この様子を見た自分は何となくもうけるのが恐ろしくなった。
「僕はそんなに儲けなくっても、いいです。しかし働く事は働くです。神聖な労働なら何でもやるです」
 どてらの頬のあたりには、はてなと云う景色けしきがちょっと見えたが、やがて、かの弓形ゆみなりの皺を左右に開いて、やにだらけの歯を遠慮なくき出して、そうして一種特別な笑い方をした。あとから考えるとどてらには神聖な労働と云う意味が通じなかったらしい。いやしくも人間たるものが金儲かねもうけの意味さえ知らないで、こむずかしい口巧者くちこうしゃな事を云うから、気の毒だと云うのでどてらは笑ったのである。自分は今が今まで死ぬ気でいた。死なないまでも人間のいない所へ行く気でいた。それができそこなったから、生きるために働く気になったまでである。もうかるとか儲からないとか云う問題は、てんで頭の中にはない。今ないばかりじゃない、東京にいて親の厄介やっかいになってる時分からなかった。どころじゃない儲主義もうけしゅぎは大いに軽蔑けいべつしていた。日本中どこへ行ってもそのくらいな考えは誰にもあるだろうくらいに信じていた。だからどてらがさっきから儲かる儲かると云うのを聞くたんびに何のためだろうと不思議に思っていた。無論しゃくにはさわらない。癪に障るような身分でもなし、境遇でもないから、いっこう平気ではいたが、これが人間に対する至大の甘言で、勧誘の方法として、もっとも利目ききめのあるものだとは夢にもおもい至らなかった。そこで、どてらから笑われちまった。笑われてさえいっこう通じなかった。今考えると馬鹿馬鹿しい。
 一種特別な笑い方をしたどてらは、その笑いの収まりかけに、
「お前さん、全体今まで働いた事があんなさるのかね」
と少し真面目な調子で聞いた。働くにも働かないにも、昨日きのう自宅うちを逃げ出したばかりである。自分の経験で働いた試しは撃剣げっけん稽古けいこと野球の練習ぐらいなもので、かせいで食った事はまだ一日もない。
「働いた事はないです。しかしこれから働かなくっちゃあならない身分です」
「そうだろう。働いた事がなくっちゃ……じゃ、君、まだ儲けた事もないんだね」
と当り前の事を聞いた。自分は返事をする必要がないから、黙ってると、茶店のかみさんが、菓子台のうしろから、
「働くからにゃ、儲けなくっちゃあね」
と云いながら、立ち上がった。どてらが、
「全くだ。儲けようったって、今時そう儲け口が転がってるもんじゃない」
と幾分か自分に対して恩にせるように答えるのを、
「そうさ」
と幾分かさげすむように聞き流して、裏へ出て行った。このそうさが妙に気になって、ことによると、まだそのあとがあるかも知れないと思ったせいか、何気なく後姿うしろかげを見送っていると、大きな黒松の根方ねがたのところへ行って、立小便たちしょうべんをし始めたから、急に顔をそむけて、どてらの方を向いた。どてらはすぐ、
わたしだから、お前さん、見ず知らずの他人にこんなうまい話をするんだ。これがほかのものだったら、受合ってただじゃ話しっこない旨い口なんだからね」
とまた恩にせる。自分は、面倒くさいからおとなしく、
「ありがたいです」
と四角張って答えて置いた。
「実はこう云う口なんだがね」
と、どてらが、すぐに云う。自分は黙って聞いていた。
「実はこう云う口なんだがね。銅山やまへ行って仕事をするんだが、私が周旋さえすれば、すぐ坑夫になれる。すぐ坑夫になれりゃ大したもんじゃないか」
 自分は何か返事をうながされるような気がしたけれども、どうもどてらの調子にせられて、そうですとは答える訳に行かなかった。坑夫と云えば鉱山の穴の中で働く労働者に違ない。世の中に労働者の種類はだいぶんあるだろうが、そのうちでもっとも苦しくって、もっとも下等なものが坑夫だとばかり考えていた矢先へ、すぐ坑夫になれりゃ大したものだと云われたのだから、調子を合すどころの騒ぎじゃない、おやと思うくらい内心では少からず驚いた。坑夫の下にはまだまだ坑夫より下等な種属があると云うのは、大晦日おおみそかあとにまだたくさん日が余ってると云うのと同じ事で、自分にはほとんど想像がつかなかった。実を云うとどてらがこんな事を饒舌しゃべるのは、自分を若年じゃくねんあなどって、好い加減に人をだますのではないかと考えた。ところが相手は存外真面目である。
「何しろ、取附とっつけからすぐに坑夫なんだからね。坑夫なら楽なもんさ。たちまちのうちに金がうんとたまっちまって、好な事が出来らあね。なに銀行もあるんだから、預けようと思やあ、いつでも預けられるしさ。ねえ、御かみさん、初めっから坑夫になれりゃ、結構なもんだね」
とかみさんの方へ話のむきを持って行くとかみさんは、さっき裏で、立ちながら用を足したままの顔をして、
「そうとも、今からすぐ坑夫になって置きゃあ四五年立つうちにゃ、うなるほど溜るばかりだ。――何しろ十九だ。――働き盛りだ。――今のうち儲けなくっちゃ損だ」
と一句、一句あいだを置いてひとごとのように述べている。
 要するにこのかみさんも是非坑夫になれと云わぬばかりの口占くちうらで、全然どてらと同意見を持っているように思われた。無論それでよろしい。またそれでなくってもいっこう構わない。妙な事にこの時ほどおとなしい気分になれた事は自分が生れて以来始めてであった。相手がどんな間違を主張しても自分はただはいはいと云って聞いていたろうと思う。実を云うと過去一年間において仕出しでかした不都合やら義理やら人情やら煩悶はんもんやらが破裂して大衝突を引き起した結果、あてどもなくここまで落ちて来たのだから、昨日きのうまでの自分の事を考えると、どうしたって、こんなに温和おとなしくなれる訳がないのだが、実際この時は人にさからうような気分は薬にしたくっても出て来なかった。そうしてまたそれを矛盾とも不思議とも考えなかった。おそらく考える余裕がなかったんだろう。人間のうちでまとまったものは身体からだだけである。身体が纏ってるもんだから、心も同様に片づいたものだと思って、昨日と今日きょうとまるで反対の事をしながらも、やはりもとの通りの自分だと平気で済ましているものがだいぶある。のみならずいったん責任問題が持ち上がって、自分の反覆はんぷくなじられた時ですら、いや私の心は記憶があるばかりで、実はばらばらなんですからと答えるものがないのはなぜだろう。こう云う矛盾をしばしば経験した自分ですら、無理と思いながらも、いささか責任を感ずるようだ。して見ると人間はなかなか重宝ちょうほうに社会の犠牲になるように出来上ったものだ。
 同時に自分のばらばらな魂がふらふら不規則に活動する現状を目撃して、自分を他人扱いに観察した贔屓目ひいきめなしの真相から割り出して考えると、人間ほどあてにならないものはない。約束とかちかいとか云うものは自分の魂を自覚した人にはとても出来ない話だ。またその約束をたてにとって相手をぎゅぎゅ押しつけるなんて蛮行は野暮やぼの至りである。大抵の約束を実行する場合を、よく注意して調べて見ると、どこかに無理があるにもかかわらず、その無理をしいしかくして、知らぬ顔でやって退けるまでである。決して魂の自由行動じゃない。はやくから、ここに気がついたなら、むやみに人をうらんだり、もだえたり、苦しまぎれに自宅うちを飛び出したりしなくっても済んだかも知れない。たとい飛び出してもこの茶店まで来て、どてらと神さんに対する自分の態度が、昨日までの自分とは打って変ったところを、他人扱いに落ち着き払って比較するだけの余裕があったら、少しは悟れたろう。
 惜しい事に当時の自分には自分に対する研究心と云うものがまるでなかった。ただ口惜くやしくって、苦しくって、悲しくって、腹立たしくって、そうして気の毒で、まなくって、世の中がいやになって、人間がて切れないで、いても立っても、いたたまれないで、むちゃくちゃに歩いて、どてらに引っ掛って、揚饅頭あげまんじゅうを喰ったばかりである。昨日は昨日、今日は今日、一時間前は一時間前、三十分後は三十分後、ただ眼前の心よりほかに心と云うものがまるでなくなっちまって、平生から繋続つなぎの取れない魂がいとどふわつき出して、実際あるんだか、ないんだかすこぶる明暸めいりょうでない上に、過去一年間の大きな記憶が、悲劇の夢のように、朦朧もうろうと一団の妖氛ようふんとなって、虚空こくうはるかに際限もなく立てめてるような心持ちであった。
 そこで平生の自分なら、なぜ坑夫になれば結構なんだとか、どうして坑夫より下等なものがあるんだとか、自分はもうける事ばかりを目的に働く人間じゃないとか、儲けさえすりゃどこがいいんだとか、何とかかとか理窟りくつねて、出来るだけ自己を主張しなければ勘弁かんべんしないところを、ただおとなしく控えていた。口だけおとなしいのではない、腹の中からまるで抵抗する気が出なかったのである。
 何でもこの時の自分は、単に働けばいいと云う事だけを考えていたらしい。いやしくも働きさえすれば、――いやしくもこのふわふわの魂が五体のうちに、うろつきながらもいられさえすれば、――要するに死に切れないものを、しいて殺してしまうほどの無理をおかさない以上は、坑夫以上だろうが、坑夫以下だろうが、儲かろうが、儲かるまいが、とんと問題にならなかったものと見える。ただ働く口さえ出来ればそれで結構であるから、働き方の等級や、性質や、結果について、いかに自分の意見と相容あいいれぬ法螺ほらを吹かれても、またその法螺が、単に自分を誘致するためにする打算的の法螺であっても、またその法螺に乗る以上は理知の人間として自分の人格にすくなからぬ汚点をのこす恐れがあっても、まるで気にならなかったんだろう。こんな時には複雑な人間が非情に単純になるもんだ。
 その上坑夫と聞いた時、何となくうれしい心持がした。自分は第一に死ぬかも知れないと云う決心で自宅うちを飛出したのである。それが第二には死ななくっても好いから人のいない所へ行きたいと移って来た。それがまたいつの間にか移って、第三にはともかくも働こうと変化しちまった。ところで、さて働くとなると、なみの働き方よりも第二に近い方がいい、一歩進めて云えば第一に縁故のある方が望ましい。第一、第二、第三と知らぬあいだに心変りがしたようなものの、変りつつ進んで来た、心の状態は、うやむやの間に縁を引いて、れ落ちながらも、振り返って、もとの所を慕いつつ押されて行くのである。単に働くと云う決心が、第二を振り切るほど突飛とっぴでもなかったし、第一と交渉を絶つほど遠くにもいなかったと見える。働きながら、人のいない所にいて、もっとも死に近い状態で作業が出来れば、最後の決心は意のごとくに運びながら、幾分か当初の目的にもかなう訳になる。坑夫と云えば名前の示すごとく、あなの中で、日の目を見ない家業かぎょうである。娑婆しゃばにいながら、娑婆から下へもぐり込んで、暗い所で、鉱塊あらがね土塊つちくれを相手に、浮世の声を聞かないで済む。定めて陰気だろう。そこが今の自分には何よりだ。世の中に人間はごてごているが、自分ほど坑夫に適したものはけっしてないに違ない。坑夫は自分に取って天職である。――とここまで明暸めいりょうには無論考えなかったが、ただ坑夫と聞いた時、何となく陰気な心持ちがして、その陰気がまた何となく嬉しかった。今思い出して見ると、やっぱりどうあっても他人ひとの事としか受け取れない。
 そこで自分はどてらに向ってこう云った。
「僕は一生懸命に働くつもりですが、坑夫にしてくれるでしょうか」
 するとどてらはなかなか鷹揚おうような態度で、
「すぐ坑夫になるのはなかなかむずかしいんだが、わたしが周旋さえすりゃきっとできる」
と云うから自分もそんなものかなと考えて、しばらく黙っていると、茶店のかみさんがまた口を出した。
長蔵ちょうぞうさんが口をきさえすりゃ、坑夫は受合うけあいだ」
 自分はこの時始めてどてらの名前が長蔵だと云う事を知った。それからいっしょに汽車に乗ったり、下りたりする時に、自分もこの男をつらまえて二三度長蔵さんと呼んだ事がある。しかし長蔵とはどう書くのか今もって知らない。ここに書いたのはもちろん当字あてじである。始めて家庭を飛出した鼻をいきなり引っ張って、思いも寄らない見当けんとうに向けた、云わば自分の生活状態に一転化を与えた人の名前を口で覚えていながら、筆に書けないのはな事だ。
 さてこの長蔵さんと、茶店のかみさんがきっと坑夫になれると受合うから、自分もなれるんだろうと思って、
「じゃ、どうか何分願います」
と頼んだ。しかしこの茶店に腰を掛けているものが、どうして、どこへ行って、どんな手続で坑夫になるんだかそのへんはさっぱり分らなかった。
 何しろ先方でこのくらい勧めるものだから、何分願いますと云ったら、長蔵さんがどうかするに違ないと思って、あとは聞かずに黙っていた。すると長蔵さんは、勢いよくどてらの尻を床几しょうぎから立てて、
「それじゃこれから、すぐに出掛けよう。御前さん、支度したくはいいかい。忘れもののないようによく気をつけて」
と云った。自分はうちを出る時、着のみ着のままで出たのだから、身体からだよりほかに忘れ物のあるはずがない。そこで、
「何にも無いです」
と立ち上がったが、神さんと顔を見合せて気がついた。肝心かんじん揚饅頭あげまんじゅうの代を忘れている。長蔵さんは平気なつらをして、もう半分ほど葭簀よしずの外に出て往来をながめていた。自分は懐中から三十二銭入りの蟇口がまぐちを出して饅頭三皿の代を払って、ついでだから茶代として五銭やった。饅頭の代はとうとう忘れちまって思い出せない。ただその時かみさんが、
「坑夫になって、うんと溜めて帰りにまた御寄おより
と云ったのを記憶している。そののち坑夫はやめたが、ついにこの茶店へは寄る機会がなかった。それから長蔵さんにいて、例の飽き飽きした松原へ出て、一本筋を足の甲までほこりを上げて、やって来ると、さっきの長たらしいのに引きえて今度は存外早く片づいちまった。いつのにやら松がなくなったら、板橋街道のような希知けち宿しゅくの入口に出て来た。やッぱり板橋街道のように我多馬車がたばしゃが通る。一足先へ出た長蔵さんが、振り返って、
「御前さん馬車へ乗るかい」
と聞くから、
「乗っても好いです」
と答えた。そうしたら今度は
「乗らなくってもいいかい」
と反対の事を尋ねた。自分は
「乗らなくってもいいです」
と答えた。長蔵さんは三度目に
「どうするね」
と云ったから、
「どうでもいいです」
と答えた。その内に馬車は遠くへ行ってしまった。
「じゃ、歩く事にしよう」
と長蔵さんは歩き出した。自分も歩き出した。向うを見ると、今通った馬車のほこりが日光にまぶれて、往来が濁ったように黄色く見える。そのうちに人通りがだんだん多くなる。町並がしだいに立派になる。しまいには牛込の神楽坂かぐらざかくらいな繁昌はんじょうする所へ出た。ここいらの店付みせつきや人の様子や、衣服は全く東京と同じ事であった。長蔵さんのようなのはほとんど見当らない。自分は長蔵さんに、
「ここは何と云う所です」
と聞いたら、長蔵さんは、
「ここ? ここを知らないのかい」
と驚いた様子であったが、笑いもせずすぐ教えてくれた。それで所の名は分ったがここにはわざと云わない。自分がこの繁華な町の名を知らなかったのをよほど不思議に感じたと見えて、長蔵さんは、
「お前さん、いったい生れはどこだい」
と聞き出した。考えると、今まで長蔵さんが自分の過去や経歴について、ついぞくちも自分に聞いた事がなかったのは、人を周旋する男の所為しょいとしては、少しく無頓着むとんじゃく過ぎるようにも思われたが、この男は全くそんな事に冷淡なたちであった事があとで分った。この時の質問は全く自分の無知に驚いた結果から出た好奇心に過ぎなかった。その証拠には自分が、
「東京です」
と答えたら、
「そうかい」
と云ったなり、あとは何にも聞かずに、自分を引っ張るようにして、ある横町を曲った。
 実を云うと自分は相当の地位をったものの子である。込み入った事情があって、こらえ切れずに生家うちを飛び出したようなものの、あながち親に対する不平や面当つらあてばかりの無分別むふんべつじゃない。何となく世間がいやになった結果として、わが生家まで面白くなくなったと思ったら、もう親の顔も親類の顔も我慢にも見ていられなくなっていた。これは大変だと気がついて、根気に心を取り直そうとしたが、遅かった。踏み答えて見ようと百方に焦慮あせれば焦慮るほど厭になる。揚句あげくはて踏張ふんばりせんが一度にどっと抜けて、堪忍かんにんの陣立が総崩そうくずれとなった。その晩にとうとう生家を飛び出してしまったのである。
 事の起りを調べて見ると、中心には一人の少女がいる。そうしてその少女のそばにまた一人の少女がいる。この二人の少女の周囲まわりに親がある。親類がある。世間が万遍なく取りいている。ところが第一の少女が自分に対して丸くなったり、四角になったりする。すると何かの因縁いんねんで自分も丸くなったり四角になったりしなくっちゃならなくなる。しかし自分はそう丸くなったり四角になったりしては、第二の少女に対して済まない約束をもって生れて来た人間である。自分は年の若い割には自分の立場をよく弁別わきまえていた。が済まないと思えば思うほど丸くなったり四角になったりする。しまいには形態ばかりじゃない組織まで変るようになって来た。それを第二の少女がうらめしそうに見ている。親も親類も見ている。世間も見ている。自分は自分の心が伸びたり縮んだり、曲ったりくねったりするところを、どうかして隠そうとつとめたが、何しろ第一の少女の方で少しもやめてくれないで、むやみに伸びて見せたり、縮んで見せたりするもんだから、隠しおおせる段じゃない。親にも親類にもつかってしまった。しからんと云う事になった。怪しかるとは自分でも思っていなかったが、だんだん聞きただして見ると、怪しからん意味がだいぶ違ってる。そこでいろいろ弁解して見たがなかなか聞いてくれない。親の癖に自分の云う事をちっとも信用しないのが第一不都合だと思うと同時に、第一の少女のそばにいたら、この先どうなるか分らない、ことにると実際弁解の出来ないような怪しからん事が出来しゅったいするかも知れないと考え出した。がどうしても離れる事が出来ない。しかも第二の少女に対しては気の毒である、済まん事になったと云う念が日々にちにちはげしくなる。――こんな具合で三方四方から、両立しない感情が攻め寄せて来て、五色の糸のこんがらかったように、こっちを引くと、あっちの筋が詰る、あっちをゆるめるとこっちが釣れると云う按排あんばいで、乱れた頭はどうあってもほどけない。いろいろに工夫を積んで自分に愛想あいその尽きるほどひねくって見たが、とうてい思うようにまとまらないと云う一点張いってんばりに落ちて来た時に――やっと気がついた。つまり自分が苦しんでるんだから、自分で苦みを留めるよりほかに道はない訳だ。今までは自分で苦しみながら、自分以外の人を動かして、どうにか自分に都合のいいような解決があるだろうと、ひたすらに外のみをあてにしていた。つまり往来で人と行き合った時、こっちは突ッ立ったまま、向うが泥濘ぬかるみけてくれる工面くめんばかりしていたのだ。こっちが動かない今のままのこっちで、それで相手の方だけを思う通りに動かそうと云う出来ない相談を持ちけていたのだ。自分が鏡の前に立ちながら、鏡に写る自分の影を気にしたって、どうなるもんじゃない。世間のおきてという鏡が容易に動かせないとすると、自分の方で鏡の前を立ち去るのが何よりの上分別である。
 そこで自分はこの入り組んだ関係の中から、自分だけをふいとけむにしてしまおうと決心した。しかし本当に煙にするには自殺するよりほかに致し方がない。そこでたびたび自殺をしかけて見た。ところが仕掛けるたんびにどきんとしてやめてしまった。自殺はいくら稽古けいこをしても上手にならないものだと云う事をようやく悟った。自殺が急に出来なければ自滅するのが好かろうとなった。しかし自分は前に云う通り相当の身分のある親を持って朝夕に事を欠かぬ身分であるから生家うちにいては自滅しようがない。どうしても逃亡かけおちが必要である。
 逃亡かけおちをしてもこの関係を忘れる事は出来まいとも考えた。また忘れる事が出来るだろうとも考えた。要するに、して見なければ分らないと考えた。たとい煩悶はんもんが逃亡につきまとって来るにしてもそれは自分の事である。あとに残った人は自分の逃亡のために助かるに違いないと考えた。のみならず逃亡をしたって、いつまでも逃亡かけおちている訳じゃない。急に自滅がしにくいから、まずその一着として逃亡ちて見るんである。だから逃亡ちて見てもやっぱり過去に追われて苦しいようなら、その時おもむろに自滅のはかりごとめぐらしても遅くはない。それでも駄目ときまればその時こそきっと自殺して見せる。――こう書くと自分はいかにも下らない人間になってしまうが、事実を露骨に云うとこれだけの事に過ぎないんだから仕方がない。またこう書けばこそ下らなくなるが、その当時のぼんやりした意気込いきごみを、ぼんやりした意気込のままに叙したなら、これでも小説の主人公になる資格は十分あるんだろうと考える。
 それでなくっても実際その当時の、二人の少女の有様やら、ごとに変る局面の転換やら、自分の心配やら、煩悶やら、親の意見や親類の忠告やら、何やらかやらを、そっくりそのまま書き立てたら、だいぶん面白い続きものができるんだが、そんな筆もなし時もないから、まあやめにして、せっかくの坑夫事件だけを話す事にする。
 とにかくこう云う訳で自分はいよいよとなって出奔しゅっぽんしたんだから、もとより生きながらほうぶられる覚悟でもあり、またみずから葬ってしまう了簡りょうけんでもあったが、さすがに親の名前や過去の歴史はいくら棄鉢すてばちになっても長蔵さんには話したくなかった。長蔵さんばかりじゃない、すべての人間に話したくなかった。すべての人間は愚か、自分にさえできる事なら語りたくないほどなさけない心持でひょろひょろしていた。だから長蔵さんが人を周旋する男にも似合わず、自分の身元について一言いちごんも聞きたださなかったのは、変と思いながらも、内々嬉しかった。本当を云うと、当時の自分はまだうそをつく事をよく練習していなかったし、ごまかすと云う事は大変な悪事のように考えていたんだから、聞かれたら定めし困ったろうと思う。
 そこで長蔵さんにいて、横町を曲って行くと、一二丁行ったか行かないうちに町並が急にまばらになって、所々は田圃たんぼの片割れが細く透いて見える。表はあんなに繁昌しても、繁昌は横幅だけであるなと気がついたら、また急に横町を曲らせられて、またにぎやかな所へ出された。その突当りが停車場ステーションであった。汽車に乗らなくっては坑夫になる手続きが済まないんだと云う事をこの時ようやく知った。実は鉱山の出張所でもこの町にあって、まずそこへ連れて行かれて、そこからまた役人が山へでも護送してくれるんだろうと思っていた。
 そこで停車場へ這入はいる五六間手間になってから、
「長蔵さん、汽車に乗るんですか」
うしろから、呼び掛けながら聞いて見た。自分がこの男を長蔵さんと云ったのはこの時が始めてである。長蔵さんはちょっと振り返ったが、あかの他人から名前を呼ばれたのを不審がる様子もなく、すぐ、
「ああ、乗るんだよ」
と答えたなり、停車場に這入った。
 自分は停車場ステーションの入口に立って考え出した。あの男はいったい自分といっしょに汽車へ乗って先方さきまで行く気なんだろうか、それにしては余り親切過ぎる。なんぼなんでも見ず知らずの自分にこう叮嚀ていねいな世話を焼くのはおかしい。ことによると彼奴あいつ詐欺師かたりかも知れない。自分は下らん事に今更のごとくはっと気がついて急に汽車へ乗るのがいやになって来た。いっその事また停車場を飛び出そうかしらと思って、今までプラットフォームの方を向いていた足を、入口の見当けんとうに向け易えた。しかしまだ歩き出すほどの決心もつかなかったと見えて、茫然ぼうぜんとして、停車場前の茶屋の赤い暖簾のれんながめていると、いきなり大きな声を出して遠くから呼びとめられた。自分はこの声を聞くと共に、その所有者は長蔵さんであって、松原以来の声であると云う事を悟った。振り返ると、長蔵さんは遠方から顔だけはすに出して、しきりにこちらを見て、首をたてに振っている。何でも身体からだは便所のへいにかくれているらしい。せっかく呼ぶものだからと思って、自分は長蔵さんの顔を目的めあてに歩いて行くと、
「御前さん、汽車へ乗る前にちょっと用を足したら善かろう」
と云う。自分はそれには及ばんから、一応辞退して見たが、なかなか承知しそうもないから、そこで長蔵さんと相並んで、きたない話だが、小便を垂れた。その時自分の考えはまた変った。自分は身体よりほかに何にも持っていない。取られようにもかたられようにも、名誉も財産もないんだから初手しょてから見込の立たない代物しろものである。昨日きのうの自分と今日の自分とを混同して、長蔵さんを恐ろしがったのは、免職になりながら俸給のおさえを苦にするようなものであった。長蔵さんは教育のある男ではあるまいが、自分の風体ふうていを見て一目いちもくかたるべからずと看破するには教育も何もったものではない。だからことによると、自分を坑夫に周旋して、あとから周旋料でも取るんだろうと思い出した。それならそれで構わない。給料のうちを幾分かやれば済む事だなどと考えながら用を足した。――実は自分がこれだけの結論に到着するためには、わずかの時間内だがこれほどの手数てすうと推論とを要したのである。このくらい骨を折ってすら、まだ長蔵さんのポン引きなる事をいわゆるポン引きなる純粋の意味において会得えとくする事が出来なかったのは、年が十九だったからである。
 年の若いのは実に損なもので、こんなにポン引きの近所までどうか、こうか、ぎつけながら、それでも、もしや好意ずくの世話ずきから起った親切じゃあるまいかと思って、飛んだ気兼をしたのはおかしかった。
 実は二人して、用を足して、のそのそ三等待合所の入口まで来た時、自分は比較的威儀を正して長蔵さんに、こんな事を云ったんである。
「あなたに、わざわざ先方さきまで連れて行っていただいては恐縮ですから、もうこれでたくさんです」
 すると長蔵さんは返事もせずに変な顔をして、黙って自分の方を見ているから、これは礼の云いようがわるいのかとも思って、
「いろいろ御世話になってありがたいです。これから先はもう僕一人でやりますから、どうか御構いなく」
と云って、しきりに頭を下げた。すると、
「一人でやれるものかね」
と長蔵さんが云った。この時だけは御前さんをはぶいたようである。
「なにやれます」
と答えたら、
「どうして」
と聞き返されたんで、少し面喰めんくらったが、
「今貴方あなたに伺って置けば、先へ行って貴方の名前を云って、どうかしますから」
ともじもじ述べ立てると、
「御前さん、わたしの名前くらいで、すぐ坑夫になれると思ってるのは大間違いだよ。坑夫なんて、そんなに容易になれるもんじゃないよ」
はねつけられちまった。仕方がないから
「でも御気の毒ですから」
と言訳かたがた挨拶あいさつをすると、
「なに遠慮しないでもいい、先方さきまで送ってあげるから心配しないがいい。――袖摩そですり合うも何とかの因縁いんねんだ。ハハハハハ」
と笑った。そこで自分は最後に、
「どうも済みません」
と礼を述べて置いた。
 それから二人でベンチへ隣り合せに腰を掛けていると、だんだん停車場ステーションへ人が寄ってくる。大抵は田舎者いなかものである。中には長蔵さんのような袢天はんてんけんどてらを着た上に、天秤棒てんびんぼうさえかついだのがある。そうかと思うと光沢つやのある前掛を締めて、中折帽を妙にへこました江戸ッ子流の商人あきゅうどもある。その他の何やらかやらでベンチの四方が足音と人声でざわついて来た時に、切符口の戸がかたりといた。待ち兼ねた連中は急いで立ち上がって、みんな鉄網かなあみの前へ集ってくる。この時長蔵さんの態度は落ちつき払ったものであった。例の太刀たちのごとくそっくりかえった「朝日」を厚いくちびるの間にくわえながら、あの角張かどばった顔をさんほど自分の方へ向けて、
「御前さん、汽車賃を持っていなさるかい」
と聞いた。また自分の未熟なところを発表するようだが、実を云うと汽車賃の事は今が今まで自分の考えにはごうのぼらなかったのである。汽車に乗るんだなと思いながら、いくら金を払うものか、また金を払う必要があるものか、とんと思い至らなかったのはいたりである。愚はどこまでも承認するがこの質問に出逢であうまでは無賃ただで乗れるかのごとき心持で平気でいたのは事実である。よく分らないけれども、何でも自分の腹の底には、長蔵さんにさえ食っついてさえおれば、どうかしてくれるんだろうと云う依頼心が妙にひそんでいたんだろう。ただし自分じゃけっしてそう思っていなかった。今でもそうだとは自分の事ながら申しにくい。けれども、こう云う安心がないとすれば、いくら馬鹿だって、十九だって、停車場ステーションへ来て汽車賃のの字も考えずにいられるもんじゃない。その癖こんなに依頼している長蔵さんに対して、もう御世話にならなくっても、好うございますの、これから一人で行きますのとひらに同行を断ったのは、どう云う了簡りょうけんだろう。自分はこう云う場合にたびたび出逢であってから、しまいには自分で一つの理論を立てた。――病気に潜伏期があるごとく、吾々われわれの思想や、感情にも潜伏期がある。この潜伏期の間には自分でその思想をちながら、その感情に制せられながら、ちっとも自覚しない。またこの思想や感情が外界の因縁いんねんで意識の表面へ出て来る機会がないと、生涯しょうがいその思想や感情の支配を受けながら、自分はけっしてそんな影響をこうぶったおぼえがないと主張する。その証拠はこの通りと、どしどし反対の行為言動をして見せる。がその行為言動が、はたから見ると矛盾になっている。自分でもはてなと思う事がある。はてなと気がつかないでもとんだ苦しみを受ける場合が起ってくる。自分が前に云った少女に苦しめられたのも、元はと云えば、やっぱりこの潜伏者を自覚し得なかったからである。この正体の知れないものが、少しも自分の心をおかさない先に、劇薬でも注射して、ことごとく殺し尽す事が出来たなら、人間幾多の矛盾や、世上幾多の不幸は起らずに済んだろうに。ところがそう思うように行かんのは、人にも自分にも気の毒の至りである。
 それで、自分が長蔵さんから「御前さん汽車賃を持っていなさるか」と問われた時に、自分ははっと思って、少からず狼狽うろたえた。三十二銭のうちで饅頭まんじゅうの代と茶代を引くと何にもありゃしない。汽車賃もない癖に、坑夫になろうなんて呑込顔のみこみがおに受合ったんだから、自分は少し図迂図迂ずうずうしい人間であったんだと気がついたら、急に頬辺ほっぺたが熱くなった。その時分の事を考えると自分ながら可愛らしい。これが今だったら、たとい電車の中で借金の催促をされようとも、ただ困るだけで、けっして赤面はしない。ましてぽん引きの長蔵さんなどに対して、神聖なる羞恥しゅうちの血色を見せるなんてもったいない事は、夢にもやる気遣きづかいはありゃしない。
 自分はどう云うものか、長蔵さんに対して汽車賃はありますと答えたかった。しかし実際がないんだからうそく訳には行かない。嘘を吐きっぱなしにして済ませられるなら、思い切って、嘘を吐く事にしたろうが、とにかく今切符を買うと云う間際まぎわで、吐けばすぐ露現ろけんしてしまうんだから始末がわるい。と云って汽車賃はありませんと答えるのがいかにも苦痛である。どうも子供だから、しかも満更まんざらの子供でなくって、少し大きくなりかけた、色気のついた、煩悶はんもんをしている、つまらん常識があるような、ないような子供だから、なおなお不都合だった。そこで汽車賃はありますとも、ありませんとも云いにくかったもんだから、
「少しあります」
と答えた。それも響の物に応ずるごとく、停滞なく出ればよかったが、何しろもったいなくも頬辺を赤くしたあとで、はなはだ恐縮の態度で出したんだから、馬鹿である。
「少しって、御前さん、いくら持ってるい」
と長蔵さんが聞き返した。長蔵さんは自分が頬辺を赤くしても、恐縮しても、まるで頓着とんじゃくしない。ただいくら持ってるか聞きたい様子であった。ところがあいにく肝心かんじんの自分にはいくらあるか判然しない。何しろしめて三十二銭のうち、饅頭まんじゅうを三皿食って、茶代を五銭やったんだから、残るところはたくさんじゃない。あっても無くっても同じくらいなものだ。

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