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坑夫(こうふ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 8:38:57  点击:  切换到繁體中文


「大丈夫ですか」
「大丈夫でねえかも知れねえが、シキ這入はいった以上、仕方がねえ。ダイナマイトが恐ろしくっちゃ一日だって、シキへは這入れねえんだから」
 自分は黙っていた。初さんは煙の中を押し分けるようにずんずんくぐって行く。満更まんざら苦しくない事もないんだろうが、一つは新参の自分に対して、景気を見せるためじゃないかと思った。それとも煙はあなから坑へ抜け切って、おかの上なら、大抵晴れ渡った時分なのに、路が暗いんでいつまでも煙がってるように感じたりせっぽく思ったのかも知れない。そうすると自分の方が悪くなる。
 いずれにしても苦いところを我慢していて行った。また胎内潜たいないくぐりのような穴を抜けて、三四間ずつの段々を、右へ左へ折れ尽すと、路が二股ふたまたになっている。その条路えだみちの突き当りで、カラカラランと云う音がした。深い井戸へ石片いしころげ込んだ時と調子は似ているが、普通の井戸よりも、はるかに深いように思われた。と云うものは、落ちて行くに、がわへ当って鳴る音が、えている。ばかりか、よほど長くつづく。最後のカラランは底の底から出て、出るにはよほど手間てまがかかる。けれども一本道を、真直まっすぐに上へ抜けるだけで、ほかに逃道がないから、どんなに暇取っても、きっと出てくる。途中で消えそうになると、壁の反響が手伝って、底で出ただけの響は、いかにかすかな遠くであっても、らすところなく上まで送り出す。――ざっとこんな音である。カラララン。カカラアン。……
 初さんがとまった。
「聞えるか」
「聞えます」
スノコへ鉱を落してる」
「はああ……」
「ついでだからスノコを見せてやろう」
と、急に思いついたような調子で、勢いよく初さんが、一足後へ引いて草鞋わらじかかとを向け直した。自分が耳の方へ気を取られて、返事もしないうちに、初さんは右へ切れた。自分も続いて暗いなかへ這入る。
 折れた路はわずか四尺ほどで行き当る。ところをまた右へ廻り込むと、一間ばかり先が急に薄明るく、縦にも横にも広がっている。その中に黒い影が二つあった。自分達がそのそばまで近づいた時、黒い影の一つが、左の足と共に、精一杯前へ出した力をうしろへ抜く拍子ひょうしに、大きなを、はすげ返した。箕は足掛りの板の上に落ちた。カカン、カラカランと云う音が遠くへ落ちて行く。一尺前は大きな穴である。広さは畳二畳敷にじょうじきぐらいはあるだろう。箕に入れたばらあらがねを、掘子ほりこが抛げ込んだばかりである。突き当りの壁は突立つッたっている。かすかカンテラに照らされて、色さえしっかり分らない上が、一面にれて、濡れた所だけがきらきら光っている。
のぞいて見ろ」
 初さんが云った。穴の手前が三尺ばかり板で張り詰めてある。自分は板の三分の一ほどまで踏み出した。
「もっと、出ろ」
と初さんが後から催促する。自分は躊躇ちゅうちょした。これでさえ踏板がはずれれば、どこまで落ちて行くか分らない。ましてもう一尺前へ出れば、いざと云う時、土の上へ退手間てまが一尺だけ遅くなる。一尺は何でもないようだが、ここでは平地ひらちの十間にも当る。自分は何分なにぶんにも躊躇ちゅうちょした。
「出ろやい。けちな野郎だな。そんな事で掘子が勤まるかい」
と云われた。これは初さんの声ではなかった。黒い影の一人が云ったんだろう。自分は振り返って見なかった。しかし依然として足は前へ出なかった。ただ眼だけが、露で光った薄暗い向うの壁を伝わって、下の方へ、しだいに落ちて行くと、約一間ばかりは、どうにか見えるが、それから先は真暗だ。真暗だからどこまで視線に這入はいるんだか分らない。ただ深いと思えば際限もなく深い。落ちちゃ大変だと神経を起すと、後から背中を突かれるような気がする。足は依然としてもとの位地を持ちこたえていた。すると、
「おい邪魔だ。ちょっと退きな」
と声を掛けられたんで、振り向くと、一人の掘子が重そうに俵を抱えて立っている。俵の大きさは米俵の半分ぐらいしかない。しかし両手で底を受けて、幾分か腰でささえながら、うんと気合を入れているところは、全く重そうだ。自分はこのていを見て、すぐわきけた。そうして比較的安全な、板が折れても差支さしつかえなく地面へ飛び退けるほどの距離まで退しりぞいた。掘子は、俵で眼先がつかえてるから定めし剣呑けんのんがるだろうと思いのほか、容赦なく重い足を運ばして前へ出る。ふちから二尺ばかり手前まで出て、足をそろえたから、もう留まるだろうと見ていると、また出した。余る所は一尺しきゃあない。その一尺へまた五寸ほど切り込んだ。そうして行儀よく右左を揃えた。そうして、うんと云った。胸と腰が同時に前へ出た。危ない。のめったと思う途端とたんに、重い俵は、とんぼ返りを打って、掘子の手を離れた。掘子はもとの所へ突っ立っている。落ちた俵はしばらく音沙汰おとさたもない。と思うと遠くでどさっと云った。俵は底まで落切ったと見える。
「どうだ、あの芸が出来るか」
と初さんが聞いた。自分は、
「そうですねえ」
と首を曲げて、恐れ入ってた。すると初さんも掘子ほりこもみんな笑い出した。自分は笑われても全く致し方がないと思って、依然として恐れ入ってた。その時初さんがこんな事を云って聞かした。
「何になっても修業はるもんだ。やって見ねえうちは、馬鹿にゃ出来ねえ。おめえが掘子になるにしたって、おっかながって、手先ばかりでげ込んで見ねえ。みんな板の上へ落ちちまって、肝心かんじんの穴へは這入はいりゃしねえ。そうして、あらがねの重みで引っ張り込まれるから、かえって剣呑けんのんだ。ああ思い切って胸から突き出してかからにゃ……」
と云い掛けると、ほかの男が、
「二三度スノコへ落ちて見なくっちゃ駄目だ。ハハハハ」
と笑った。
 後戻あともどりをして元のみちへ出て、半町ほど行くと、掘子は右へ折れた。初さんと自分は真直に坂を下りる。下り切ると、四五間平らな路を縫うように突き当った所で、初さんが留まった。
「おい。まだ下りられるか」
と聞く。実はよほど前から下りられない。しかし中途で降参こうさんしたら、落第するにきまってるから、我慢に我慢を重ねて、ここまで来たようなものの、内心ではその内もうどん底へ行き着くだろうくらいの目算はあった。そこへ持って来て、相手がぴたりと留まって、一段落いちだんらくつけた上、さて改めて、まだ下りる気かと正式に尋ねられると、まだ下りるべき道程みちのりはけっして一丁や二丁でないと云う意味になる。――自分は暗いながら初さんの顔を見て考えた。御免蒙ごめんこうぶろうかしらと考えた。こう云う時の出処進退は、全く相手の思わく一つできまる。いかな馬鹿でも、いかな利口でも同じ事である。だから自分の胸に相談するよりも、初さんの顔色で判断する方が早く片がつく。つまり自分の性格よりも周囲の事情が運命を決する場合である。性格が水準以下に下落する場合である。平生へいぜい築き上げたと自信している性格が、めちゃくちゃにくずれる場合のうちでもっとも顕著けんちょなる例である。――自分の無性格論はここからも出ている。
 ぜん申す通り自分は初さんの顔を見た。すると、りようじゃないかと云う親密な情合じょうあいも見えない。下りなくっちゃ御前のためにならないと云う忠告の意も見えない。是非下ろして見せると云う威嚇おどしもあらわれていない。下りたかろうとらす気色けしきは無論ない。ただ下りられまいと云う侮辱ぶべつの色で持ち切っている。それは何ともなかった。しかしその色の裏面には落第と云う切実な問題がひそんでいる。この場合における落第は、名誉より、品性より、何よりも大事件である。自分は窒息しても下りなければならない。
「下りましょう」
と思い切って、云った。初さんは案に相違の様子であったが、
「じゃ、下りよう。その代り少し危ないよ」
と穏かに同意の意をひょうした。なるほど危ないはずだ。九十度の角度で切っ立った、屏風びょうぶのような穴を真直に下りるんだから、猿の仕事である。梯子はしごかかってる。勾配こうばいも何にもない。こちらの壁にぴったり食っついて、棒をくうにぶら下げたように、のぞくとさきが見えかねる。どこまで続いてるんだか、どこでしばりつけてあるんだか、まるで分らない。
「じゃ、おれが先へ下りるからね。気をつけて来たまえ」
と初さんが云った。初さんがこれほど叮嚀ていねいな言葉を使おうとは思いも寄らなかった。おおかた神妙しんびょうに下りましょうと出たんで、幾分いくぶん憐愍れんみんの念を起したんだろう。やがて初さんは、ぐるりと引っ繰り返って、正式に穴の方へ尻を向けた。そうしてしゃがんだ。と思うと、足からだんだん這入はいって行く。しまいには顔だけが残った。やがてその顔も消えた。顔が出ている間は、多少の安心もあったが、黒い頭の先までが、ずぼりと穴へはまった時は、さすがに心配なのと心細いのとで、じっとしていられなくって、足をつま立てるようにして、上から見下みおろした。初さんは下りて行く。黒い頭とカンテラだけが見える。その時自分は気味の悪いうちにも、こう考えた。初さんの姿が見えるうちに下りてしまわないと、下りそこなうかも知れない。面目ない事が出来しゅったいする。早くするに越した分別はないと決心して、いきなりうしむきになって初さんのように、ひざにつけて、手でさがりながら、草鞋わらじの底で段々を探った。
 両手で第一段目を握って、足を好加減いいかげんな所へ掛けると、背中が海老えびのように曲った。それから、そろそろ足を伸ばし出した。真直まっすぐに立つと、カンテラが胸の所へ来る。じっとしているとえぶされてしまう。仕方がないから、片足下げる。手もこれに応じて握りえなくっちゃならない。おろそうとすると、指でげてるカンテラが、とんだところで、始末の悪いように動く。滅多めったに振ると、着物が焼けそうになる。大事を取ると壁へぶつかって灯がつぶされそうになる。親指へカップを差し込んで、振子のように動かした時は、はなはだ軽便な器械だと思ったが、こうなると非常に邪魔になる。その上梯子はしごの幅は狭い。段と段の間がすこぶる長い。一段さがるに、普通の倍は骨が折れる。そこへもって来て恐怖が手伝う。そうして握り直すたんびに、段木だんぎがぬらぬらする。鼻を押しつけるようにして、乏しい灯でかして見ると、へな土が一面にいている。のぼさがりの草鞋で踏つけたものと思われる。自分は梯子の途中で、首を横へ出して、下をのぞいた。よせば善かったが、つい覗いた。すると急にぐらぐらと頭が廻って、かたく握った手がゆるんで来た。これは死ぬかも知れない。死んじゃ大変だと、かじりついたなり、いきなり眼をねむった。石鹸球シャボンだまの大きなのが、ぐるぐる散らついてるうちに、初さんが降りて行く。本当を云うと、下を覗いた時にこそ、初さんの姿が見えれば見えるんで、ねぶった眼の前にいて出る石鹸球の中に、初さんがいる訳がない。しかし現にいる。そうして降りて行く。いかにも不思議であった。今考えると、目舞めまいのする前に、ちらりと初さんを見たに違ないんだが、ぐらぐらと咄癡とっちて、死ぬ方がこわくなったもんだから、初さんの影は網膜に映じたなり忘れちまったのが、段木に噛りついて眼を閉るや否や生き返ったんだろう。ただしそう云う事が学理上あり得るものか、どうか知らない。その当時は夢中である。あなは暗い、命は惜しい、頭は乱れている。生きてるか死んでるか判然しない。そこへ初さんが降りて行く。眼の中で降りて行くんだか、足の下で降りて行くんだかめちゃくちゃであった。が不思議な事に、眼を開けるや否やまた下を見た。するとやはり初さんが降りている。しかも切っ立った壁の向う側を降りているようだ。今度は二度目のせいか、落ちるほど眩暈めまいもしなかったんで、よくよくひとみえて見ると、まさに向う側を降りて行く。はてなと思った。ところへカンテラがまたじいと鳴った。保証つきの灯火あかりだが、こうなるとまた心細い。初さんはずんずん行くようだ。自分もここに至れば、全速力で降りるのが得策だと考えついた。そこでぬるぬるする段木だんぎを握りえ、握り更えてようやく三間ばかり下がると、足が土の上へ落ちた。踏んで見たがやッぱり土だ。念のため、手を離さずに足元の様子を見ると、梯子はしごは全く尽きている。踏んでいる土も幅一尺で切れている。あとは筒抜つつぬけの穴だ。その代り今度は向側むこうがわに別の梯子がついている。手を延ばすと届くようにけてある。仕方がないから、自分はまたこの梯子へ移った。そうして出来るだけ早く降りた。長さは前のと同様である。するとまた逆の方向に、依然として梯子が懸けてある。どうも是非に及ばない。また移った。やっとの思いでこれも片づけると、新しい梯子はもとのごとく向側に懸っている。ほとんど際限がない。自分が六つめの梯子まで来た時は、手がだるくなって、足がふるえ出して、妙な息が出て来た。下を見ると初さんの姿はとくの昔に消えている。見れば見るほど真闇まっくらだ。自分のカンテラへはじいじいと点滴しずくが垂れる。草鞋わらじの中へは清水しみずがしみ込んで来る。
 しばらく休んでいたら、手が抜けそうになった。下り出すと足を踏みはずしかねぬ。けれども下りるだけ下りなければ、のめってさかさに頭を割るばかりだと思うと、どうか、こうか、段々を下り切る力が、どっかから出て来る。あの力の出所でどころはとうてい分らない。しかしこの時は一度に出ないで、少しずつ、腕と腹と足へ煮染にじみ出すように来たから、自分でも、ちゃんと自覚していた。ちょうど試験の前の晩徹夜をして、疲労の結果、うっとりして急に眼がめると、また五六ページは読めると同じ具合だと思う。こう云う勉強に限って、何を読んだか分らない癖に、とにかく読む事は読み通すものだが、それと同じく自分もたしかに降りたとは断言しにくいが、何しろ降りた事はたしかである。下読したよみをする書物の内容は忘れても、頁の数は覚えているごとく、梯子段の数だけは明かに記憶していた。ちょうど十五あった。十五下り尽しても、まだ初さんが見えないには驚いた。しかしさいわい一本道だったから、どぎまぎしながらも、細い穴を這い出すと、ようやく初さんがいた。しかも、例のように無敵な文句は並べずに、
「どうだ苦しかったか」
と聞いてくれた。自分は全く苦しいんだから、
「苦しいです」
と答えた。次に初さんが、
「もう少しだ我慢しちゃ、どうだ」
奨励しょうれいした。次に自分は、
「また梯子があるんですか」
と聞いた。すると初さんが、
「ハハハハもう梯子はないよ。大丈夫だ」
と好意的のえみらした。そこで自分も我慢のしついでだと観念して、また初さんの尻について行くと、また下りる。そうして下りるに従って路へ水が溜って来た。ぴちゃぴちゃと云う音がする。カンテラで照らして見ると、下谷したや辺の溝渠どぶあふれたように、薄鼠うすねずみになってだぶだぶしている。その泥水がまた馬鹿に冷たい。指の股が切られるようである。けれども一面の水だから、せっかく水を抜いた足を、また無惨むざんにも水の中へ落さなくっちゃならない。片足を揚げると、五位鷺ごいさぎのようにそのままで立っていたくなる。それでも仕方なしに草鞋わらじの裏を着けるとぴちゃりと云うが早いか、水際から、魚のひれのような波が立つ。その片側がカンテラの灯できらきらと光るかと思うと、すぐ落ちついてもとに帰る。せっかくたいらになった上をまたぴちゃりと踏み荒らす。魚の鰭がまた光る。こう云う風にして、奥へ奥へと這入はいって行くと、水はだんだん深くなる。ここをくぐり抜けたら、乾いた所へ出られる事かと、受け合われない行先をあてにして、ぐるりと廻ると、足の甲でとまってた水が急にすねまで来た。この次にはと、辛抱して、右に折れると、がっくり落ちがしてひざまでかっちまう。こうなると、動くたんびにざぶざぶ云う。膝で切る波がうずいて流れる。その渦がだんだんももの方へ押し寄せてくる。全く危険だと思った。ことによれば、何かの原因で水が出たんだから、今にあなのなかが、いっぱいになりゃしないかと思うと急に腰から腹の中までが冷たくなって来た。しかるに初さんは辟易へきえきしたていもなく、さっさと泥水を分けて行く。
「大丈夫なんですか」
うしろから聞いて見たが、初さんは別に返事もしずに、依然として、ざぶりざぶりと水を押し分けて行く。自分の考えるところによると、いくら銅山でも水にかっていては、仕事ができるはずがない。こうどぶつく以上は、何か変事でもあるか、または廃坑へでも連れ込まれたに違いない。いずれにしても災難だと、不安の念におかされながら、もう一遍初さんに聞こうかしらと思ってるうち、水はとうとう腰まで来てしまった。
「まだ這入るんですか」
と、自分はたまらなくなったから、うしろから初さんを呼び留めた。この声は普通の質問の声ではない。吾身わがみを思うの余り、命が口から飛び出したようなものである。だから、いざと云う間際まぎわには単音たんいんの叫声となってあらわれるところを、まだ初さんの手前をはばかるだけの余裕があるから、しばらく恐怖の質問と姿を変じたまでである。この声を聞きつけた時は、さすがの初さんも水の中で留まったなり、振り返った。カンテラを高く差し上げる。ひとみえると初さんのまゆの間に八の字が寄って来た。しかも口元は笑っている。
「どうした。降参したか」
「いえ、この水が……」
と自分は、腰のあたりを、物凄ものすごそうにながめた。初さんはごうも感心しない。やっぱりにこにこしている。出水でみずの往来を、通行人が尻をまくって面白そうにわたる時のように見えた。自分もこれで疑いは晴れたが、根が臆病だから、念のため、もう一度、
「大丈夫でしょうか」
を繰返した。この時初さんはますます愉快そうな顔つきだったが、やがて真面目まじめになって、
「八番坑だ。これがどん底だ。水ぐらいあるなあ当前あたりめえだ。そんなに、おっかながるにゃ当らねえ。まあ好いからこっちへ来ねえ」
となかなか承知しないから、仕方なしに、またまでらしてついて行った。たださえ暗いあなの中だから、思い切ったたとえを云えば、頭から暗闇くらやみに濡れてると形容しても差支さしつかえない。その上本当の水、しかも坑と同じ色の水に濡れるんだから、心持の悪い所が、倍悪くなる。その上水はくろぶしからだんだんり上がって来る。今では腰までかっている。しかも動くたんびに、波が立つから、実際の水際以上までが濡れてくる。そうして、濡れた所は乾かないのに、波はことによると、濡れた所よりも高く上がるから、つまりは一寸二寸と身体からだが腹まで冷えてくる。坑で頭から冷えて、水で腹まで冷えて、二重に冷え切って、不知案内ふちあんないの所を海鼠なまこのようについて行った。すると、右の方に穴があって、ほらのように深くひらいてる中から、水が流れて来る。そうしてその中でかあんかあんと云う音がする。作事場さくじばに違いない。初さんは、穴の前に立ったまま、
「そうら。こんな底でも働いてるものがあるぜ。真似ができるか」
と聞いた。自分は、胸が水にひたるまで、こごんで洞の中をのぞき込んだ。すると奥の方が一面に薄明るく――明るくと云うが、締りのない、取り留めのつかない、かすかを無理に広いへ使って、引っ張り足りないから、せっかくの光が暗闇くらやみに圧倒されて、茫然ぼうぜんと濁っているていであった。その中に一段と黒いものが、斜めに岩へ吸いついているあたりから、かあんかあんと云う音が出た。洞の四面へ響いて、行き所のない苦しまぎれに、水にね返ったものが、まとまって穴の口から出て来る。水も出てくる。天井の暗い割には水の方に光がある。
這入へえって見るか」
と云う。自分はぞっと寒気がした。
「這入らないでも好いです」
と答えた。すると初さんが、
「じゃめにして置こう。しかし止めるなあ今日だけだよ」
ただがきをつけて、一応自分の顔をとくと見た。自分はあんじょう釣り出された。
明日あしたっから、ここで働くんでしょうか。働くとすれば、何時間水に漬かってる――漬かってれば義務が済むんですか」
「そうさなあ」
と考えていた初さんは、
「一昼夜に三回の交替だからな」
と説明してくれた。一昼夜に三回の交替ならひとくぎり八時間になる。自分は黒い水の上へ眼を落した。
「大丈夫だ。心配しなくってもいい」
 初さんは突然慰めてくれた。気の毒になったんだろう。
「だって八時間は働かなくっちゃならないんでしょう」
「そりゃきまりの時間だけは働かせられるのは知れ切ってらあ。だが心配しなくってもいい」
「どうしてですか」
いてえ事よ」
と初さんは歩き出した。自分も黙って歩き出した。二三歩水をざぶざぶ云わせた時、初さんは急に振り返った。
新前しんめえは大抵二番坑か三番坑で働くんだ。よっぽど様子が分らなくっちゃ、ここまで下りちゃ来られねえ」
と云いながら、にやにやと笑った。自分もにやにやと笑った。
「安心したか」
と初さんがまた聞いた。仕方がないから、
「ええ」
と返事をして置いた。初さんは大得意であった。時にどぶどぶ動く水が、急に膝まで減った。爪先で探ると段々がある。一つ、二つと勘定すると三つ目で、水はくろぶしまで落ちた。それで平らに続いている。意外に早く高い所へ出たんで、非常にうれしかった。それから先は、とんとん拍子びょうしに嬉しくなって、曲れば曲るほど地面が乾いて来る。しまいにはぴちゃりとも音のしない所へ出た。時に初さんが器械を見る気があるかと尋ねたが、これは諸方のスノコから落ちて来たあらがねあつめて、第一坑へ揚げて、それから電車でシキの外へ運び出す仕掛を云うんだと聞いて、頭から御免蒙ごめんこうぶった。いくら面白く運転する器械でも、明日あすの自分に用のない所は見る気にならなかった。器械を見ないとするとこれで、まあ坑内の模様を一応見物した訳になる。そこで案内の初さんが帰るんだと云う通知を与えてくれた。腰きり水にかるのは、いかな初さんも一度でたくさんだと見えて、帰りには比較的れないで済む路を通ってくれた。それでも十間ほどはふくはぎまで水が押し寄せた。この十間を通るときに、様子を知らない自分はまた例の所へ来たなと感づいて、往きにへその近所が氷りつきそうであった事を思い出しつつ、今か今かと冷たい足を運んで行ったが、※(「易+鳥」、第4水準2-94-27)いすかはしい方へばかり、食い違って、行けば行くほど、水が浅くなる。足が軽くなる。ついにはまた乾いた路へ出てしまった。初さんに、
「もう済んだでしょうか」
と聞いて見ると、初さんはただ笑っていた。その時は自分も愉快だったが、しばらくすると、例の梯子はしごの下へ出た。水は胸までくらい我慢するがこの梯子には、――せめて帰り路だけでも好いから、のがれたかったが、やっぱりちょうどその下へ出て来た。自分はしょく桟道さんどうと云う事を人から聞いて覚えていた。この梯子は、桟道をさかさに釣るして、未練なく傾斜の角度を抜きにしたものである。自分はそこへ来ると急に足が出なくなった。突然脚気かっけかかったような心持になると、思わず、腰をうしろへ引っ張られた。引っ張られたのは初さんに引っ張られたのかと思う読者もあるかもしれないが、そうじゃない。そう云う気分が起ったんで、強いて形容すれば、疝気せんきに引っ張られたとでもじょしたら善かろう。何しろ腰がせない。もっともこれは逆桟道さかさんどうたたりだと一概に断言する気でもない、さっきから案内の初さんの方で、だいぶ御機嫌ごきげんが好いので、相手の寛大な御情おなさけにつけ上って、奮発のたががしだいしだいにゆるんだのもたしかな事実である。何しろ歩けなくなった。この腰附を見ていた初さんは、
「どうだ歩けそうもねえな。まるでっぴり腰だ。ちっと休むが好い。おれは遊びに行って来るから」
と云ったぎり、暗い所をくぐって、どこへか出て行った。
 あとは云うまでもなく一人になる。自分はべっとりと、尻を地びたへ着けた。アテシコはこう云うときに非常に便利になる。御蔭おかげで、岩で骨が痛んだり、泥で着物がよごれたりする憂いがないだけ、惨憺みじめなうちにも、まだ嬉しいところがあった。そうして、硬く曲った背中を壁へたせた。これより以上は横のものをたてにする気もなかった。ただそのままの姿勢で向うの壁を見詰めていた。身体からだが動かないから、心も働かないのか、心が居坐りだから、身体が怠けるのか、とにかく、双方あいび合って、生死せいしの間に彷徨ほうこうしていたと見えて、しばらくは万事が不明瞭ふめいりょうであった。始めは、どうか一尺立方でもいいから、明かるい空気が吸って見たいような気がしたが、だんだん心がくらくなる。とあなのなかの暗いのも忘れてしまう。どっちがどっちだか分らなくなって朦朧もうろうのうちに合体稠和がったいちゅうわして来た。しかしけっして寝たんじゃない。しんとして、意識が稀薄になったまでである。しかしその稀薄な意識は、十倍の水に溶いた娑婆気しゃばッきであるから、いくら不透明でも正気は失わない。ちょうど差し向いの代りに、電話で話しをするくらいの程度――もしくはこれよりも少しく不明瞭な程度である。かように水平以下に意識が沈んでくるのは、浮世の日がはげし過ぎて困る自分には――東京にも田舎いなかにもおりおおせない自分には――煩悶はんもん解熱剤げねつざい頓服とんぷくしなければならない自分には――神経繊維のはじの端まで寄って来た過度の刺激を散らさなければならない自分には――必要であり、願望であり、理想である。長蔵さんに引張られながら、道々空想に描いた坑夫生活よりも、たしかに上等の天国である。もし駆落かけおちが自滅の第一着なら、この境界きょうがいは自滅の――第何着か知らないが、とにかく終局地を去る事遠からざる停車場ステーションである。自分は初さんに置いて行かれた少時しばしの休憩時間内に、はからずもこの自滅の手前まで、突然釣り込まれて、――まあ、どんな心持がしたと思う。正直に云えば嬉しかった。しかし嬉しいと云う自覚は十倍の水に溶き交ぜられた正気の中に遊離しているんだから、ほかの娑婆気と同じく、劇烈には来ない。やっぱり稀薄である。けれど自覚はたしかにあった。正気を失わないものが、嬉しいと云う自覚だけを取り落す訳がない。自分の精神状態は活動の区域をせばめられた片輪の心的現象とは違う。一般の活動をほしいままにする自由の天地はもとのごとくに存在して、活動その物の強度が滅却して来たのみだから、平常の我とこの時の我との差はただ濃淡の差である。その最もうす生涯しょうがいうちに、淡い喜びがあった。
 もしこの状態が一時間続いたら、自分は一時間の間満足していたろう。一日続いたら一日の間満足したに違ない。もし百年続いたにしても、やっぱり嬉しかったろう。ところが――ここでまた新しい心の活作用に現参げんざんした。
 というのはあいにく、この状態が自分の希望通同じ所に留っていてくれなかった。動いて来た。油の尽きかかったランプのように動いて来た。意識を数字であらわすと、平生へいぜい十のものが、今は五になって留まっていた。それがしばらくすると四になる。三になる。推して行けばいつか一度はれいにならなければならない。自分はこの経過に連れて淡くなりつつ変化するうれしさを自覚していた。この経過に連れて淡く変化する自覚の度において自覚していた。嬉しさはどこまで行っても嬉しいに違ない。だから理窟りくつから云うと、意識がどこまでさがって行こうとも、自分は嬉しいとのみ思って、満足するよりほかに道はないはずである。ところがだんだんとりおろして来て、いよいよ零に近くなった時、突然として暗中あんちゅうからおどり出した。こいつは死ぬぞと云う考えが躍り出した。すぐに続いて、死んじゃ大変だと云う考えが躍り出した。自分は同時に、かっと眼をいた。
 足の先が切れそうである。膝から腰までが血がかよって氷りついている。腹は水でも詰めたようである。胸から上は人間らしい。眼を開けた時に、眼を開けない前の事を思うと、「死ぬぞ、死んじゃ大変だ」までが順々につながって来て、そこで、ぷつりと切れている。切れた次ぎは、すぐ眼を開いた所作しょさになる。つまり「死ぬぞ」で命の方向転換をやって、やってからの第一所作が眼を開いた訳になるから、二つのものは全く離れている。それで全く続いている。続いている証拠しょうこには、眼を開いて、身の周囲まわりを見た時に、「死ぬぞ……」と云う声が、まだ耳に残っていた。たしかに残っていた。自分は声だの耳だのと云う字を使うが、ほかには形容しようがないからである。形容どころではない、実際に「死ぬぞ……」と注意してくれた人間があったとしきゃ受け取れなかった。けれども、人間は無論いるはずはなし。と云って、神――神は大嫌だいきらいだ。やっぱり自分が自分の心に、あわてて思い浮べたまでであろうが、それほど人間が死ぬのを苦に病んでいようとは夢にも思い浮べなかった。これだから自殺などはできないはずである。こう云う時は、魂の段取だんどりが平生と違うから、自分で自分の本能に支配されながら、まるで自覚しないものだ。気をつけべき事と思う。この例なども、解釈のしようでは、神が助けてくれたともなる。自分の影身かげみにつき添っている――まあ恋人が多いようだが――そう云う人々の魂が救ったんだともなる。年の若い割に、自分がこの声を艶子さんとも澄江さんとも解釈しなかったのは、己惚うぬぼれの強い割には感心である。自分は生れつきそれほど詩的でなかったんだろう。
 そこへ初さんがひょっくり帰って来た。初さんを見るが早いか、自分の意識はいよいよ明瞭めいりょうになった。これから例の逆桟道さかさんどうを登らなくっちゃならない事も、明日あしたから、のみつちでかあんかあんやらなくっちゃならない事も、南京米ナンキンまいも、南京虫ナンキンむしも、ジャンボー達磨だるまも一時に残らず分ってしまい、そうして最後に自分の堕落がもっとも明かに分った。
「ちったあ気分は好いか」
「ええ少しは好いようです」
「じゃ、そろそろ登ってやろう」
と云うから、礼を云って立っていると、初さんは景気よく段木だんぎつかまえて片足けながら、
「登りは少し骨が折れるよ。そのつもりでいて来ねえ」
と振り返って、注意しながら登り出した。自分は何となく寒々しい心持になって、下から見上げると、初さんは登って行く。猿のように登って行く。そろそろ登ってくれる様子も何もありゃしない。早くしないとまた置いてきぼりを食う恐れがある。自分も思い切って登り出した。すると二三段足を運ぶか運ばないうちになるほどと感心した。初さんの云う通り非常に骨が折れる。全く疲れているばかりじゃない。下りる時には、胸から上が比較的前へ出るんで、幾分か背の重みを梯子はしごに託する事ができる。しかし上りになると、全く反対で、ややともすると、身体がうしろれる。反れた重みは、両手で持ちこたえなければならないから、二の腕から肩へかけて一段ごとに余分の税がかかる。のみならず、手のひらと五本の指で、この〆高しめだかを握らなければならない。それが前に云った通りぬるぬるする。梯子を一つ片づけるのは容易の事ではない。しかもそれが十五ある。初さんは、とっくの昔に消えてなくなった。手を離しさえすれば真暗闇まっくらやみ逆落さかおとしになる。離すまいとすれば肩が抜けるばかりだ。自分は七番目の梯子の途中で火焔かえんのような息を吹きながら、つくづく労働の困難を感じた。そうして熱い涙で眼がいっぱいになった。
 二三度上瞼うわまぶたと下瞼を打ち合して見たが、依然として、視覚はぼうっとしている。五寸と離れない壁さえたしかには分らない。手の甲でこすろうと思うが、あやにく両方ともふさがっている。自分は口惜くやしくなった。なぜこんな猿の真似をするように零落おちぶれたのかと思った。倒れそうになる身体からだを、できるだけ前の方にのめらして、梯子にもたれるだけ倚れて考えた。休んだと註釈する方が適当かも知れない。ただ中途で留まったと云い切ってもよろしい。何しろ動かなくなった。また動けなくなった。じっとして立っていた。カンテラのじいと鳴るのも、足の底へ清水しみずが沁み込むのも、全く気がつかなかった。したがって何分なんぷんったのかとんと感じに乗らない。するとまた熱い涙が出て来た。心が存外たしかであるのに、眼だけがかすんでくる。いくらまばたきをしても駄目だ。湯の中にひとみけてるようだ。くしゃくしゃする。焦心じれったくなる。かんが起る。奮興ふんこうの度がはげしくなる。そうして、身体は思うようにかない。自分は歯を食いしばって、両手で握った段木を二三度揺り動かした。無論動きゃしない。いっその事、手を離しちまおうかしらん。逆さに落ちて頭から先へ砕ける方が、早く片がついていい。とむらむらと死ぬ気が起った。――梯子の下では、死んじゃ大変だと飛び起きたものが、梯子の途中へ来ると、急に太い短い無分別を起して、全く死ぬ気になったのは、自分の生涯しょうがいにおける心理推移の現象のうちで、もっとも記憶すべき事実である。自分は心理学者でないから、こう云う変化を、どう説明したら適切であるか知らないけれども、心理学者はかえって、実際の経験に乏しいようにも思うから、杜撰ずさんながら、一応自分の愚見だけを述べて、参考にしたい。
 アテシコを尻に敷いて、休息した時は、始めから休息する覚悟であった。から心に落ちつきが有る。刺激が少い。そう云う状態で壁へりかかっていると、その状態がなだらかに進行するから、自然の勢いとしてだんだん気が遠くなる。魂が沈んで行く。こう云う場合における精神運動の方向は、いつもきまったもので、必ず積極から出立してしだいに消極に近づく径路けいろを取るのが普通である。ところがその普通の径路を行き尽くして、もうこれがどんづまりだと云う間際まぎわになると、魂が割れて二様の所作しょさをする。第一は順風に帆を上げる勢いで、このどん底まで流れ込んでしまう。するとそれぎり死ぬ。でなければ、大切おおぎりの手前まで行って、急に反対の方角に飛び出してくる。消極へ向いて進んだものが、突如として、逆さまに、積極の頭へ戻る。すると、命がたちまち確実になる。自分が梯子はしごの下で経験したのはこの第二に当る。だから死に近づきながら好い心持に、三途さんずのこちら側まで行ったものが、順路をてくてく引き返す手数てすうはぶいて、急に、娑婆しゃばの真中に出現したんである。自分はこれを死を転じて活に帰す経験と名づけている。
 ところが梯子の中途では、全くこれと反対の現象にった。自分は初さんのあとを追っ懸けて登らなければならない。その初さんは、とっくに見えなくなってしまった。心はあせる、気はめる、手は離せない。自分は猿よりも下等である。情ない。苦しい。――万事が痛切である。自覚の強度がしだいしだいにはげしくなるばかりである。だからこの場合における精神運動の方向は、消極より積極に向って登り詰める状態である。さてその状態がいつまでも進行して、奮興ふんこうの極度に達すると、やはり二様の作用が出る訳だが、とくに面白いと思うのはその一つ、――すなわち積極の頂点からとんぼ返りを打って、魂が消極の末端にひょっくり現われる奇特きどくである。平たく云うと、生きてる事実が明瞭になり切った途端とたんに、命を棄てようと決心する現象を云うんである。自分はこれを活上かつじょうより死に入る作用となづけている。この作用は矛盾のごとく思われるが実際から云うと、矛盾でも何でも、魂の持前だから存外自然に行われるものである。論より証拠しょうこ発奮して死ぬものは奇麗きれいに死ぬが、いじけて殺されるものは、どうもうまく死に切れないようだ。人の身の上はとにかく、こう云う自分が好い証拠である。梯子の途中で、ええ忌々いまいましい、死んじまえと思った時は、手を離すのがこわくも何ともなかった。無論例のごとくどきんなどとはけっしてしなかった。ところがいざ死のうとして、手を離しかけた時に、また妙な精神作用を承当しょうとうした。
 自分は元来が小説的の人間じゃないんだが、まだ年が若かったから、今まで浮気に自殺を計画した時は、いつでも花々しくやって見せたいと云う念があった。短銃ピストルでも九寸五分くすんごぶでも立派に――つまり人がめてくれるように死んでみたいと考えていた。できるならば、華厳けごんたきまででも出向きたいなどと思った事もある。しかしどうしても便所や物置で首をくくるのは下等だと断念していた。その虚栄心が、この際突然首を出した。どこから出したか分らないが、出した。つまり出すだけの余地があったから出したに相違あるまいから、自分の決心はいかに真面目まじめであったにしても、さほど差しせまってはいなかったんだろう。しかしこのくらい断乎だんことして、現に梯子段はしごだんから手を離しかけた、最中に首を出すくらいだから、相手もなかなか深い勢力を張っていたに違ない。もっともこれは死んで銅像になりたがる精神と大した懸隔けんかくもあるまいから、普通の人間としては別に怪しむべき願望とも思わないが、何しろこの際の自分には、ちと贅沢ぜいたく過ぎたようだ。しかしこの贅沢心のために、自分は発作性ほっさせいの急往生を思いとまって、不束ふつつかながら今日まで生きている。全く今はのきわにも弱点を引張っていた御蔭である。
 話すとこうなる。――いよいよ死んじまえと思って、体を心持あとへ引いて、手のにぎりをゆるめかけた時に、どうせ死ぬなら、ここで死んだってえない。待て待て、出てから華厳けごんたきへ行けと云う号令――号令は変だが、全く号令のようなものが頭の中に響き渡った。ゆるめかけた手が自然としまった。曇った眼が、急に明かるくなった。カンテラが燃えている。仰向あおむくと、泥でれた梯子段が、暗い中まで続いている。是非共登らなければならない。もし途中で挫折ざせつすれば犬死になる。暗いあなで、誰も人のいない所で、日の目も見ないで、あらがねと同じようにころげ落ちて、それっきり忘れられるのは――案内の初さんにさえ忘れられるのは――よし見つかっても半獣半人の坑夫共に軽蔑けいべつされるのは無念である。是非共登り切っちまわなければならない。カンテラは燃えている。梯子は続いている。梯子の先には坑が続いている。坑の先には太陽が照り渡っている。広い野がある、高い山がある。野と山を越して行けば華厳の瀑がある。――どうあっても登らなければならない。
 左の手を頭の上まで伸ばした。ぬらつく段木を指のあとのつくほど強く握った。濡れた腰をうんと立てた。同時に右の足を一尺上げた。カンテラは暗い中をたてに動いて行く。坑は層一層そういっそうと明かるくなる。踏みてて去る段々はしだいしだいに暗い中に落ちて行く。吐く息が黒い壁へ当る。熱い息である。そうして時々は白く見えた。次には口を結んだ。すると鼻の奥が鳴った。梯子はまだ尽きない。懸崖けんがいからは水が垂れる。ひらりとカンテラひるがえすと、がけおもてかすめて弓形にじいと、消えかかって、手の運動の止まる所へ落ちついた時に、また真直に油煙を立てる。またひるがえす。は斜めに動く。梯子の通る一尺幅をはずれて、がんがらがんの壁が眼にうつる。ぞっとする。眼がくらむ。眼をねむって、登る。灯も見えない、壁も見えない。ただ暗い。手と足が動いている。動く手も動く足も見えない。手障足障てざわりあしざわりだけで生きて行く。生きて登って行く。生きると云うのは登る事で、登ると云うのは生きる事であった。それでも――梯子はまだある。
 それから先はほとんど夢中だ。自分で登ったのか、天佑てんゆうで登ったのかほとんど判然しない。ただ登り切って、もう一段も握る梯子がないと云う事をさとった時に、坑の中へぴたりと坐った。
「どうした。上がって来たか。途中で死にゃしねえかと思って、――あんまり長えから。見に行こうかと思ったが、一人じゃ気味がわるいからな。だけども、好く上がって来たな。えらいや」
と待ちかねて、もじもじしていた初さんが大いに喜んでくれた。何でも梯子はしごの上でよっぽど心配していたらしい。自分はただ、
「少し気分がるかったから途中で休んでいました」
と答えた。
「気分が悪い? そいつあ困ったろう。途中って、梯子の途中か」
「ええ、まあそうです」
「ふうん。じゃ明日あすは作業もできめえ」
 この一言いちごんを聞いた時、自分はくそでもくらえと思った。誰が土竜もぐらもちの真似なんかするものかと思った。これでも美しい女にれられたんだと思った。あなを出れば、すぐ華厳けごんたきまで行くんだと思った。そうして立派に死ぬんだと思った。最後に半時もこんなけだものを相手にしていられるものかと思った。そこで、自分は初さんに向って、簡単に、
「よければ上がりましょう」
と云った。初さんは怪訝けげんな顔をした。
「上がる? 元気だなあ」
 自分は「馬鹿にするねえ、この明盲目あきめくらめ。人を見損みそくなやがって」と云いたかった。しかし口だけは叮嚀ていねいに、一言ひとこと
「ええ」
と返事をして置いた。初さんはまだぐずぐずしている。驚いたと云うよりも、やっぱり馬鹿にしたぐずつきかたである。
「おい大丈夫かい。冗談じょうだんじゃねえ。顔色が悪いぜ」
「じゃ僕が先へ行きましょう」
と自分はむっとして歩き出した。
「いけねえ、いけねえ。先へ行っちゃいけねえ、あとからいて来ねえ」
「そうですか」
当前あたりめえだあな。人つけ。誰が案内をざりにして、先へ行く奴があるかい、何でい」
と初さんは、自分を払い退けないばかりにして、先へ出た。出たと思うと急に速力を増した。腰を折ったり、四つにったり、背中をよこちょにしたり、頭だけ曲げたり、あな恰好かっこうしだいでいろいろに変化する。そうして非常に急ぐ。まるで土の中で生れて、銅脈の奥で教育を受けた人間のようである。畜生ちゅうぱらで急ぎやがるなと、こっちも負けない気で歩き出したが、そこへ行くと、いくら気ばかり張っていても駄目だ。五つ六つ角を曲って、下りたりあがったり、がたつかせているうちに、初さんは見えなくなった。と思うと、何とかして、何とか、てててててと云う歌をうたう。初さんの姿が見えないのに、初さんの声だけは、坑の四方へ反響して、こもったように打ち返してくる。意地の悪い野郎だと思った。始めのうちこそ、追っついてやるから今に見ていろと云ういきおいで、根限こんかぎり這ったりかがんだりしたが、残念な事には初さんの歌がだんだん遠くへ行ってしまう。そこで自分は追いつく事はひとまず断念して、初さんのてててててを道案内にして進む事にした。当分はそれで大概の見当けんとうがついたが、しまいにはそのててててても怪しくなって、とうとうまるで聞えなくなった時には、さすがに茫然ぼうぜんとした。一本道なら初さんなんどを頼りにしなくっても、自力じりきで日の当る所まで歩いて出て見せるが、何しろ、長年ながねん掘荒したあなだから、まるで土蜘蛛つちぐもの根拠地みたようにいろいろな穴が、とんでもない所にいている。滅多めったな穴へ這入はいるとまた腰きり水につかる所か、でなければ、例のさかさの桟道さんどうへ出そうで容易に踏み込めない。
 そこで自分は暗い中に立ち留って、カンテラを見詰めながら考えた。往きには八番坑まで下りて行ったんだから帰りには是非共電車の通る所まで登らなければならない。どんな穴でものぼりならば好いとする。その代り下りなら引返して、また出直す事にする。そうして迂路うろついていたら、どこかの作事場さくじばへ出るだろう。出たら坑夫に聞くとしよう。こう決心をして、東西南北の判然しない所を好い加減にまごついていた。非常に気がいて息が切れたが、めちゃめちゃに歩いたために足の冷たいのだけはなおった。しかしなかなか出られない。何だか同じ路を往ったり来たりするような案排あんばいで、あんまり、もどかしものだから、壁へ頭をぶつけて割っちまいたくなった。どっちを割るんだと云えば無論頭を割るんだが、幾分か壁の方も割れるだろうくらいの疳癪かんしゃくが起った。どうも歩けば歩くほど天井てんじょうが邪魔になる、左右の壁が邪魔になる。草鞋わらじの底で踏む段々が邪魔になる。坑総体が自分を閉じ込めて、いつまで立っても出してくれないのがもっとも邪魔になる。この邪魔ものの一局部へ頭をたたきつけて、せめてひびでも入らしてやろうと――やらないまでも時々思うのは、早く華厳けごんたきへ行きたいからであった。そうこうしているうちに、向うから一人の掘子ほりこが来た。ばらのあかがねスノコへ運ぶ途中と見えて例のいてよちよちカンテラりながら近づいた。この灯を見つけた時は、嬉しくって胸がどきりと飛び上がった。もう大丈夫と勇んで近寄って行くと、近寄るがものはない、向うでもこっちへ歩いて来る。二つのカンテラが一間ばかりの距離に近寄った時、待ち受けたように、自分は掘子の顔を見た。するとその顔が非常なあおぞうであった。この坑のなかですら、只事ただごととは受取れない蒼ん蔵である。あかるみへ出して、青い空の下で見たら、大変な蒼ん蔵にちがいない。それで口をくのがいやになった。こんな奴の癖に人に調戯からかったり、なぶったり、はずかしめたりするのかと思ったら、なおなお道を聞くのがいやになった。死んだって一人で出て見せると云う気になった。手前共に口を聞くような安っぽい男じゃないと、腹の中でたしかに申し渡してれ違った。向うは何にも知らないから、これは無論だまって擦れ違った。行く先は暗くなった。カンテラは一つになった。気はますます焦慮いらって来た。けれどもなかなか出ない。ただ道はどこまでもある。右にも左にもある。自分は右にも這入った、また左にも這入った、また真直にも歩いて見た。しかし出られない。いよいよ出られないのかと、少しく途方に暮れている鼻の先で、かあんかあんと鳴り出した。五六歩で突き当って、折れ込むと、小さな作事場があって、一人の坑夫がしきりにつちを振り上げてのみたたいている。敲くたんびにあらがねが壁から落ちて来る。そのそばに俵がある。これはさっきスノコへ投げ込んだ俵と同じ大きさで、もういっぱい詰っている。掘子ほりこが来てかついで行くばかりだ。自分は今度こそこいつに聞いてやろうと思った。が肝心かんじんの本人が一生懸命にかあんかあん鳴らしている。おまけに顔もよく見えない。ちょうどいいから少し休んで行こうと云う気が起った。幸い俵がある。この上へ尻をおろせば、持って来いの腰掛になる。自分はどさっとアテシコを俵の上に落した。すると突然かあんかあんがやんだ。坑夫の影が急に長く高くなった。のみを持ったままである。
「何をしやがるんでい」
 鋭い声が穴いっぱいに響いた。自分の耳にはたたき込まれるように響いた。高い影は大股に歩いて来る。
 見ると、足の長い、胸の張った、体格のたくましい男であった。顔は背の割に小さい。その輪廓りんかくがやや判然する所まで来て、男は留まった。そうして自分を見下みおろした。口を結んでいる。二重瞼ふたえまぶたの大きな眼を見張っている。鼻筋が真直まっすぐに通っている。色が赭黒あかぐろい。ただの坑夫ではない。突然として云った。
「貴様は新前しんめえだな」
「そうです」
 自分の腰はこの時すでに俵を離れていた。何となく、向うから近づいてくる坑夫が恐ろしかった。今まで一万余人の坑夫を畜生のように軽蔑けいべつしていたのに、――誓って死んでしまおうと覚悟をしていたのに、――大股に歩いて来た坑夫がたちまち恐ろしくなった。しかし、
「何でこんな所を迷子まごついてるんだ」
と聞き返された時には、やや安心した。自分の様子を見て、故意に俵の上へ腰をおろしたんでないと見極みきわめた語調である。
「実は昨夕ゆうべ飯場はんばへ着いて、様子を見にあな這入はいったばかりです」
「一人でか」
「いいえ、飯場頭はんばがしらから人をつけてくれたんですが……」
「そうだろう、一人で這入れる所じゃねえ。どうしたその案内は」
「先へ出ちまいました」
「先へ出た? 手前てめえを置き去りにしてか」
「まあ、そうです」
ふてえ野郎だ。よしよし今におれが送り出してやるから待ってろ」
と云ったなり、またのみつちをかあんかあん鳴らし始めた。自分は命令の通り待っていた。この男にったら、もう一人で出る気がなくなった。死んでも一人で出て見せると威張った決心が、急にどこへか行ってしまった。自分はこの変化に気がついていた。それでも別に恥かしいとも思わなかった。人に公言した事でないから構わないと思った。その人に公言したために、やらないでも済む事、やってはならない事を毎度やった。人に公言すると、しないのとは大変な違があるもんだ。その内かあんかあんがやんだ。坑夫はまた自分の前まで来て、胡坐あぐらをかきながら、
「ちょっと待ちねえ。一服やるから」
と、煙草入たばこいれを取り出した。茶色の、皮か紙か判然しないもので、股引ももひきに差し込んである上から筒袖つつっぽうかぶさっていた。坑夫はうまそうに腹の底まで吸ったけむを、鼻から吹き出しているに、短い羅宇らおの中途を、煙草入の筒でぽんとはたいた。小さい火球ひだま雁首がんくびから勢いよく飛び出したと思ったら、坑夫の草鞋わらじ爪先つまさきへ落ちてじゅうと消えた。坑夫はからになった煙管きせるをぷっと吹く。羅宇の中にこもった煙が、一度に雁首から出た。坑夫はその時始めて口をいた。
御前おめえはどこだ。こんな所へ全体何しに来た。身体からだつきは、すらりとしているようだが。今まで働いた事はねえんだろう。どうして来た」
「実は働いた事はないんです。が少し事情があって、来たんです。……」
とまでは云ったが、坑夫には愛想が尽きたから、もう、帰るんだとは云わなかった。死ぬんだとはなおさら云わなかった。しかし今までのように、腹のなかで畜生あつかいにして、口先ばかり叮嚀ていねいにしていたのとはだいぶんおもむきが違う。自分はただ洗いざらい自分の思わくを話してしまわないだけで、話しただけは真面目に話したんである。すこしも裏表はない。腹から叮嚀ていねいに答えた。坑夫はしばらくの間黙って雁首をながめていた。それからまた煙草を詰めた。煙が鼻から出だした真最中に口をひらいた。
 自分がその時この坑夫の言葉を聞いて、第一に驚いたのは、彼の教育である。教育から生ずる、上品な感情である。見識である。熱誠である。最後に彼の使った漢語である。――れは坑夫などの夢にも知りようはずがない漢語を安々と、あたかも家庭の間で昨日きのうまで常住坐臥じょうじゅうざが使っていたかのごとく、使った。自分はその時の有様をいまだに眼の前に浮べる事がある。彼れは大きな眼を見張ったなり、自分の顔を熟視したまま、心持くびを前の方に出して、胡坐のひざへ片手をぎゃくに突いて、左の肩を少しそびやかして、右の指で煙管を握って、薄いくちびるの間から奇麗きれいな歯を時々あらわして、――こんな事を云った。句の順序や、単語の使い方は、たしかな記憶をそのまま写したものである。ただ語声だけはどうしようもない。――
「亀の甲より年の功と云うことがあるだろう。こんないやしい商売はしているが、まあ年長者の云う事だから、参考に聞くがいい。青年はじょうの時代だ。おれもおぼえがある。情の時代には失敗するもんだ。君もそうだろう。おれもそうだ。誰でもそうにきまってる。だから、察している。君の事情とおれの事情とは、どのくらい違うか知らないが、何しろ察している。とがめやしない。同情する。深い事故わけもあるだろう。聞いて相談になれる身体からだなら聞きもするが、シキから出られない人間じゃ聞いたって、仕方なし、君も話してくれない方がいい。おれも……」
と云い掛けた時、自分はこの男の眼つきが多少異様にかがやいていたと云う事に気がついた。何だか大変感じている。これが当人の云うごとくシキを出られないためか、または今云い掛けたおれもの後へ出て来る話のためか、ちょっと分りにくいが、何しろ妙な眼だった。しかもこの眼が鋭く自分をも見詰めている。そうしてその鋭いうちに、懐旧かいきゅうと云うのか、沈吟ちんぎんと云うのか、何だか、人を引きつけるなつかしみがあった。この黒いあなの中で、人気ひとけはこの坑夫だけで、この坑夫は今や眼だけである。自分の精神の全部はたちまちこの眼球めだまに吸いつけられた。そうして彼の云う事を、とっくり聞いた。彼はおれもを二遍繰り返した。
「おれも、元は学校へ行った。中等以上の教育を受けた事もある。ところが二十三の時に、ある女と親しくなって――詳しい話はしないが、それがもとで容易ならん罪を犯した。罪を犯して気がついて見ると、もう社会にれられない身体からだになっていた。もとより酔興すいきょうでした事じゃない、やむを得ない事情から、やむを得ない罪を犯したんだが、社会は冷刻なものだ。内部の罪はいくらでも許すが、表面の罪はけっして見逃みのがさない。おれは正しい人間だ、曲った事がきらいだから、つまりは罪を犯すようにもなったんだが、さて犯した以上は、どうする事もできない。学問もてなければならない。功名もなげうたなければならない。万事が駄目だ。口惜くやしいけれども仕方がない。その上制裁の手にとらえられなければならない。(故意か偶然か、彼はとくに制裁の手と云う言語を使用した。)しかし自分が悪いおぼえがないのに、むやみに罪を着るなあ、どうしてもおれの性質としてできない。そこで突っ走った。逃げられるだけ逃げて、ここまで来て、とうとうシキの中へもぐり込んだ。それから六年というもの、ついに日光ひのめを見た事がない。毎日毎日坑の中でかんかんたたいているばかりだ。丸六年敲いた。来年になればもうシキを出たって構わない、七年目だからな。しかし出ない、また出られない。制裁の手にはつらまらないが、出ない。こうなりゃ出たって仕方がない。娑婆しゃばへ帰れたって、娑婆でした所業は消えやしない。昔は今でも腹ん中にある。なあ君昔は今でも腹ん中にあるだろう。君はどうだ……」
と途中で、いきなり自分に質問を掛けた。
 自分はやぶからぼうの質問に、用意の返事を持ち合せなかったから、はっと思った。自分の腹ん中にあるのは、むかしどころではない。一二年前から一昨日おとといまで持ち越した現在に等しい過去である。自分はいっその事自分の心事をこの男の前に打ち明けてしまおうかと思った。すると相手は、さも打ち明けさせまいと自分をさえぎるごとくに、話の続きを始めた。
「六年ここに住んでいるうちに人間の汚ないところは大抵見悉みつくした。でも出る気にならない。いくら腹が立っても、いくら嘔吐おうともよおしそうでも、出る気にならない。しかし社会には、――日の当る社会には――ここよりまだ苦しい所がある。それを思うと、辛抱も出来る。ただ暗くってせばい所だと思えばそれで済む。身体も今じゃ銅臭あかがねくさくなって、一日もカンテラの油をがなくっちゃいられなくなった。しかし――しかしそりゃおれの事だ。君の事じゃない。君がそうなっちゃ大変だ。生きてる人間が銅臭くなっちゃ大変だ。いや、どんな決心でどんな目的を持って来ても駄目だ。決心も目的もたった二三日にさんちで突ッつき殺されてしまう。それが気の毒だ。いかにも可哀想かわいそうだ。理想も何にもないのみつちよりほかに使うすべを知らない野郎なら、それで結構だが。しかし君のような――君は学校へ行ったろう。――どこへ行った。――ええ? まあどこでもいい。それに若いよ。シキほうり込まれるには若過ぎるよ。ここは人間のくずが抛り込まれる所だ。全く人間の墓所はかしょだ。生きてほうぶられる所だ。一度んだが最後、どんな立派な人間でも、出られっこのない陥穽おとしあなだ。そんな事とは知らずに、大方ポンびきの言いなりしだいになって、引張られて来たんだろう。それを君のために悲しむんだ。人一人を堕落させるのは大事件だ。殺しちまう方がまだ罪が浅い。堕落した奴はそれだけ害をする。他人に迷惑を掛ける。――実はおれもその一人いちにんだ。が、こうなっちゃ堕落しているよりほかに道はない。いくら泣いたって、くやんだって堕落しているよりほかに道はない。だから君は今のうち早く帰るがいい。君が堕落すれば、君のためにならないばかりじゃない。――君は親があるか……」
 自分はただ一言ひとことあると答えた。
「あればなおさらだ。それから君は日本人だろう……」
 自分は黙っていた。
「日本人なら、日本のためになるような職業についたらよかろう。学問のあるものが坑夫になるのは日本の損だ。だから早く帰るがよかろう。東京なら東京へ帰るさ。そうして正当な――君に適当な――日本の損にならないような事をやるさ。何と云ってもここはいけない。旅費がなければ、おれが出してやる。だから帰れ。分ったろう。おれは山中組にいる。山中組へ来てやすさんと聞きゃあすぐ分る。尋ねて来るが好い。旅費はどうでも都合してやる」
 安さんの言葉はこれで終った。坑夫の数は一万人と聞いていた。その一万人はことごとく理非人情りひにんじょうを解しない畜類の発達した化物とのみ思い詰めたこの時、この人にったのは全くの小説である。夏の土用に雪が降ったよりも、あなの中で安さんに説諭された方が、よほどの奇蹟きせきのように思われた。大晦日おおみそかを越すとお正月が来るくらいは承知していたが、地獄で仏と云うことわざも記憶していたが、きわまれば通ずという熟語も習った事があるが、困った時は誰か来て助けてくれそうなものだくらいに思って、芝居気を起しては困っていた事もたびたびあるが、――この時はまるで違う。真から一万人を畜生と思い込んで、その畜生がまたことごとく自分の敵だと考え詰めた最強度の断案を、忘るべからざる痛忿つうふんほのおで、胸に焼きつけた折柄だから、なおさらこの安さんに驚かされた。同時に安さんの訓戒が、自分の初志を一度にひるがえし得るほどの力をもって、自分の耳にこたえた。

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