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坑夫(こうふ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 8:38:57  点击:  切换到繁體中文


 そこで元気のいい今の気焔(きえん)をやめて、再びもとの神妙(しんびょう)な態度に復して、山の中の話をする。長蔵さんが敷居の上に立って、往来を向きながら、ここへ泊って行こうと云い出した時、こんな破屋(あばらや)でも泊る事が出来るんだったと、始めて意識したよりも、すべての家と云うものが元来(がんらい)泊るために建ててあるんだなと、ようやく気がついたくらい、泊る事は予期していなかった。それでいて身体(からだ)は蒟蒻(こんにゃく)のように疲れ切ってる。平生(いつも)なら泊りたい、泊りたいですべての内臓が張切(はちき)れそうになるはずだのに、没自我(ぼつじが)の坑夫行(こうふゆき)、すなわち自滅の前座としての堕落と諦(あきら)めをつけた上の疲労だから、いくら身体に泊る必要があっても、身体の方から魂へ宛てて宿泊の件を請求していなかった。ところへ泊ると命令が天から逆に魂が下ったんで、魂はちょっとまごついたかたちで、とりあえず手足に報告すると、手足の方では非常に嬉しがったから、魂もなるほどありがたいと、始めて長蔵さんの好意を感謝した。と云う訳になる。何となく落語じみてふざけているが、実際この時の心の状態は、こう譬(たとえ)を借りて来ないと説明ができない。
 自分は長蔵さんの言葉を聞くや否や、急に神経が弛(ゆる)んで、立ち切れない足を引(ひ)き摺(ず)って、第一番に戸口の方に近寄った。赤毛布(あかげっと)はのそのそ這入(はい)ってくる。小僧は飛んで来た。飛んだんじゃあるまいが、草履(ぞうり)の尻が勢よく踵(かかと)へあたるんで、ぴしゃぴしゃ云う音が飛ぶように思われた。
 這入って見るとぷんと臭(にお)った。何の臭だかさらに分らない。小僧が鼻をぴくつかせたので、小僧もこの臭に感じたなと気がついた。長蔵さんと赤毛布はまるで無頓着(むとんじゃく)であった。土間から上へあがる段になって、雑巾(ぞうきん)でもと思ったが、小僧は委細構わず、草履を脱いで上がっちまった。小僧の草履は尻が無いんだから、半分裸足(はだし)である。ひどい奴だと眺(なが)めていると、長蔵さんが、
「御前さんも下駄だから、御上り」
と注意した。それで気味がわるいが、ほこりも払わず上がった。畳の上へ一足掛けて見るとぶくっとした。小僧はその上へころりと転がっている。自分は尻だけおろして、障子(しょうじ)――障子は二枚あった――その障子の影へ胡坐(あぐら)をかいた。この障子は入口に立ててあるから、振り向くと、長蔵さんと赤毛布(あかげっと)が草鞋(わらじ)を脱いでいる。二人共腰から手拭(てぬぐい)を出して、ばたばた足をはたいている。そうして、すぐ上がって来た。足を洗うのが面倒だと見える。ところへ主人が次の間(ま)から茶と煙草盆(たばこぼん)を持って来た。
 主人だの、次の間だの、茶だの、煙草盆だの、と云うとすこぶる尋常に聞えるが、その実名ばかりで、一々説明すると、大変な誤解をしていたんだねと呆(あき)れ返(かえ)るものばかりである。がとにかく主人が次の間から、茶と煙草盆を持って来たには違いない。そうして長蔵さんと談話(はなし)をし始めた。談話の筋は忘れたが、その様子から察すると、二人はもとからの知合で、御互の間には貸や借があるらしい。何でも馬の事をしきりに云ってた。自分だの、赤毛布だの、小僧などの事はまるで聞きもしない。まるで眼中にない訳でもあるまいが、さっき長蔵さんが一人で談判に這入(はい)った時に、残らず聞いてしまったんだろう。それとも長蔵さんはたびたびこんな呑気屋(のんきや)を銅山(やま)へ連れて行くんで、自然その往き還りにはこの主人の厄介(やっかい)になりつけてるから、別段気にも留めないのかも知れない。
 自分は、長蔵さんと主人との話を聞きながら、居眠(いねむり)を始めた。いつから始めたか知らない。馬を売損(うりそこな)って、どうとかしたと云うところから、だんだん判然(はっきり)しなくなって、自然(じねん)と長蔵さんが消える。赤毛布が消える。小僧が消える。主人と茶と煙草盆が消えて、破屋(あばらや)までも消えた時、こくりと眠(ねむり)が覚(さ)めた。気がつくと頭が胸の上へ落ちている。はっと思って、擡(もちや)げるとはなはだ重い。主人はやっぱり馬の話をしている。まだ馬かと思ってるうちに、また気が遠くなった。気が遠くなったのを、遠いままにして打遣(うっちゃ)って置くと、忽然(こつぜん)ぱっと眼があいた。薄暗い部屋の中(うち)に、影のような長蔵さんと亭主が膝(ひざ)を突き合せている。ちょうど、借(かり)がどうとかしてハハハハと亭主が笑ったところだった。この亭主は額(ひたい)が長くって、斜(はす)に頭の天辺(てっぺん)まで引込(ひっこ)んでるから、横から見ると切通(きりどお)しの坂くらいな勾配(こうばい)がある。そうして上になればなるほど毛が生(は)えている。その毛は五分(ごぶ)くらいなのと一寸(いっすん)くらいなのとが交(まじ)って、不規則にしかも疎(まばら)にもじゃもじゃしている。自分が居眠(いねぶ)りからはっと驚いて、急に眼を開けると、第一にこの頭が眸(ひとみ)の底に映った。ランプが煤(すす)だらけで暗いものだから、この頭も煤だらけになって映って来た。その癖距離は近い。だから映った影は明瞭(めいりょう)である。自分はこの明瞭でかつ朦朧(もうろう)なる亭主の頭を居眠りの不知覚から我に返る咄嗟(とっさ)にふと見たんである。この時はあまり好い心持ではなかった。それがため、居眠りもしばらく見合せるような気になって、部屋中を見廻すと、向うの隅に小僧が倒れている。こちらの横に茨城県が長く伸びている。毛布(けっと)の下から大きな足が見える。突当りが壁で、壁の隅に穴が開(あ)いて、穴の奥が真黒である。上は一面の屋根裏で、寒いほど黒くなってる所へ、油煙とともにランプの灯(ひ)があたるから、よく見ていると、藁葺(わらぶき)の裏側が震(ふる)えるように思われた。
 それからまた眠くなった。また頭が落ちる。重いから上げるとまた落ちる。始めのうちは、上げた頭が落ちながらだんだんうっとりして、うっとりの極、胸の上へがくりと落ちるや否や、一足飛(いっそくとび)に正気へ立ち戻ったが、三回四回と重なるにつけて、眼だけ開(あ)けても気は判然(はっきり)しない。ぼんやりと世界に帰って、またぞろすぐと不覚に陥(おちい)っちまう。それから例のごとく首が落ちる。微(かすか)に生きてるような気になる。かと思うとまた一切空(いっさいくう)に這入る。しまいには、とうとう、いくら首がのめって来ても、動じなくなった。あるいはのめったなり、頭の重みで横にぶっ倒れちまったのかも知れない。とにかく安々と夜明まで寝て、眼が覚(さ)めた時は、もう居眠(いねぶ)りはしていなかった。通例のごとく身体全体を畳の上につけて長くなっていた。そうして涎(よだれ)を垂れている。――自分は馬の話を聞いて居眠りを始めて、眼をあけて借金の話を聞いて、また居眠りの続を復習しているうちに、とうとう居眠りを本式に崩して長くなったぎり、魂の音沙汰(おとさた)を聞かなかったんだから、眼が覚めて、夜が明けて、世の中が土台から陰と陽に引ッ繰り返ってるのを見るや否(いな)や、眼をあいて涎(よだれ)を垂れて、横になったまま、じっとしていた。自覚があって死んでたらこんなだろう。生きてるけれども動く気にならなかった。昨夜(ゆうべ)の事は一から十までよく覚えている。しかし昨夜の一から十までが自然と延びて今日まで持ち越したとは受け取れない。自分の経験はすべてが新しくって、かつ痛切であるが、その新しい痛切の事々物々が何だか遠方にある。遠方にあると云うよりも、昨夜と今日の間に厚い仕切りが出来て、截然(せつぜん)と区別がついたようだ。太陽が出ると引き込むだけの差で、こう心に連続がなくなっては不思議なくらい自分で自分が当(あて)にならなくなる。要するに人世は夢のようなもんだ。とちょっと考えたもんだから、涎も拭かずに沈んでいると、長蔵さんが、ううんと伸(のび)をして、寝たまま握(にぎ)り拳(こぶし)を耳の上まで持ち上げた。握り拳がぬっと真直に畳の上を擦(こす)って、腕のありたけ出たところで、勢(せい)がゆるんで、ぐにゃりとした。また寝るかと思ったら、今度は右の手を下へさげて、凹(くぼ)んだ頬っぺたをぼりぼり掻(か)き出した。起きてるのかも知れない。そのうち、むにゃむにゃ何か云うんで、やっぱり眼が覚めていないなと気がついた時、小僧がむくりと飛び起きた。これは真正の意味において飛起きたんだから、どしんと音がして、根太(ねだ)が抜けそうに響いた。すると、さすが長蔵さんだけあって、むにゃむにゃをやめて、すぐ畳についた方の肩を、肘(ひじ)の高さまで上げた。眼をぱちつかせている。
 こうなると、自分もいつまで沈んでいたって際限がないから、起き上った。長蔵さんも全く起きた。小僧は立ち上がった。寝ているものは赤毛布(あかげっと)ばかりである。これはまた呑気(のんき)なもんで、依然として毛布(けっと)から大きな足を出してぐうぐう鼾声(いびき)をかいて寝ている。それを長蔵さんが起す。――
「御前(おまえ)さん。おい御前さん。もう起きないと御午(おひる)までに銅山(やま)へ行きつけないよ」
 御前さんが三四返繰返されたが、毛布はよく寝ている。仕方がないから長蔵さんは毛布の肩へ手を懸けて、
「おい、おい」
と揺(ゆす)り始めたんで、やむを得ず、毛布(けっと)の方でも「おい」と同じような返事をして、中途半端(はんぱ)に立ち上った。これでみんな起きたようなものの、自分は顔も洗わず、飯も食わず、どうして好いか迷ってると、長蔵さんが、
「じゃ、そろそろ出掛けよう」
と云って、真先に土間へ降りかけたには驚いた。小僧がつづいて降りる。毛布も不得要領に土間へ大きな足をぶら下げた。こうなると自分も何とか片をつけなくっちゃならないから、一番あとから下駄を突掛(つッか)けて、長蔵さんと赤毛布(あかげっと)が草鞋(わらじ)の紐(ひも)を結ぶのを、不景気な懐手(ふところで)をして待っていた。
 土間へ下りた以上は、顔を洗わないのかの、朝飯(あさめし)を食わないのかのと、当然の事を聞くのが、さも贅沢(ぜいたく)の沙汰(さた)のように思われて、とんと質問して見る気にならない。習慣の結果、必要とまで見做(みな)されているものが、急に余計な事になっちまうのはおかしいようだが、その後(のち)この顛倒(てんとう)事件を布衍(ふえん)して考えて見たら、こんな、例はたくさんある。つまり世の中では大勢のやってる事が当然になって、一人だけでやる事が余計のように思われるんだから、当然になろうと思ったら味方を大勢拵(こしら)えて、さも当然であるかの容子(ようす)で不当な事をやるに限る。やっては見ないがきっと成功するだろう。相手が長蔵さんと赤毛布でさえ自分にはこれほどの変化を来たしたんでも分る。
 すると長蔵さんは草鞋の紐を結んで、足元に用がなくなったもんだから、ふいと顔を上げた。そうして自分を見た。そうして、こんな事を云う。
「御前さん、飯は食わなくっても好いだろうね」
 飯を食わなくって好い法はないが、わるいと云ったって、始まりようがないから、自分はただ、
「好いです」
と答えて置いた。すると長蔵さんは、
「食いたいかね」
と云って、にやにやと笑った。これは自分の顔に飯が食いたいような根性(こんじょう)が幾分かあらわれたためか、または十九年来の予期に反した起きたなり飯抜きの出立(しゅったつ)に、自然不平の色が出ていたためだろう。それでなければ草鞋の紐を結んでしまってから、こんな事を聞く訳がない。現に長蔵さんは、赤毛布にも小僧にもこの質問を呈出しなかったんでも分る。今考えると、ちょっと両人(ふたり)にも同じ事を聞いて見れば善かったような気もする。朝飯を食わないで五里十里と歩き出すものは宿無(やどな)しか、または準宿無しでなくっちゃならない。目が醒(さ)めて、夜が明けてるのに、汁の煙(けむ)も、漬物の香(におい)も、いっこう連想に乗って来ないからは、行きなり放題に、今日は今日の命を取り留めて、その日その日の魂の供養(くよう)をする呑気屋(のんきや)で、世の中にあしたと云うものがないのを当り前と考えるほどに不幸なまた幸(さいわい)な人間である。自分は十九年来始めて、こう云う人間と一つ所(とこ)に泊って、これからまたいっしょに歩き出すんだなと思った。赤毛布と小僧の顔色を伺って見ると少しも朝飯を予期している様子がないんで、双方共朝飯を食い慣(つ)けていない一種の人類だと勘づいて見ると、自分の運命は坑夫にならない先から、もう、坑夫以下に摺(ず)り落ちていたと云う事が分った。しかし分ったと云うばかりで別に悲しくもなかった。涙は無論出なかった。ただ長蔵さんが、この朝飯の経験に乏(とぼ)しい人間に向って、「御前さん達も飯が食いたいかね」と尋ねてくれなかったのを、今では残念に思ってる。食った事が少いから、今までの習慣性で、「食わないでも好い」と答えるか、それとも、たまさかに有りつけるかも知れないと云う意外の望に奨励(しょうれい)されて「食いたい」と答えるか。――つまらん事だがどっちか聞いて見たい。
 長蔵さんは土間へ立って、ちょっと後(うし)ろを振り返ったが、
「熊(くま)さん、じゃ行ってくる。いろいろ御世話様」
と軽く力足(ちからあし)を二三度踏んだ。熊さんは無論亭主の名であるが、まだ奥で寝ている。覗(のぞ)いて見ると、昨夕(ゆうべ)うつつに気味をわるくした、もじゃもじゃの頭が布団(ふとん)の下から出ている。この亭主は敷蒲団(しきぶとん)を上へ掛けて寝る流儀と見える。長蔵さんが、このもじゃもじゃの頭に話しかけると、頭は、むくりと畳を離れた。そうして熊さんの顔が出た。この顔は昨夜(ゆうべ)見たほど妙でもなかった。しかし額がさかに瘠(こ)けて、脳天まで長くなってる事は、今朝でも争われない。熊さんは床の中から、
「いや、何にも御構(おかまい)申さなかった」
と云った。なるほど何にも構わない。自分だけ布団をかけている。
「寒かなかったかね」
とも云った。気楽なもんだ。長蔵さんは
「いいえ。なあに」
と受けて、土間から片足踏み出した時、後(うしろ)から、熊さんが欠伸交(あくびまじ)りに、
「じゃ、また帰りに御寄り」
と云った。
 それから長蔵さんが往来へ出る。自分も一足後(おく)れて、小僧と赤毛布(あかげっと)の尻を追っ懸(か)けて出た。みんな大急ぎに急ぐ。こう云う道中には慣(な)れ切ったものばかりと見える。何でも長蔵さんの云うところによると、これから山越をするんだが、午(ひる)までには銅山(やま)へ着かなくっちゃならないから急ぐんだそうだ。なぜ午までに着かなくっちゃならないんだか、訳が分らないが、聞いて見る勇気がなかったから、黙って食っついて行った。するとなるほど登(のぼり)になって来た。昨夕あれほど登ったつもりだのに、まだ登るんだから嘘(うそ)のようでもあるが実際見渡して見ると四方(しほう)は山ばかりだ。山の中に山があって、その山の中にまた山があるんだから馬鹿馬鹿しいほど奥へ這入(はい)る訳になる。この模様では銅山(どうざん)のある所は、定めし淋しいだろう。呼息(いき)を急(せ)いて登りながらも心細かった。ここまで来る以上は、都へ帰るのは大変だと思うと、何の酔興(すいきょう)で来たんだか浅間(あさま)しくなる。と云って都におりたくないから出奔(しゅっぽん)したんだから、おいそれと帰りにくい所へ這入って、親親類(おやしんるい)の目に懸(か)からないように、朽果(くちは)ててしまうのはむしろ本望である。自分は高い坂へ来ると、呼息を継(つ)ぎながら、ちょっと留っては四方の山を見廻した。するとその山がどれもこれも、黒ずんで、凄(すご)いほど木を被(かぶ)っている上に、雲がかかって見る間(ま)に、遠くなってしまう。遠くなると云うより、薄くなると云う方が適当かも知れない。薄くなった揚句(あげく)は、しだいしだいに、深い奥へ引き込んで、今までは影のように映ってたものが、影さえ見せなくなる。そうかと思うと、雲の方で山の鼻面(はなづら)を通り越して動いて行く。しきりに白いものが、捲(ま)き返しているうちに、薄く山の影が出てくる。その影の端がだんだん濃くなって、木の色が明かになる頃は先刻(さっき)の雲がもう隣りの峰へ流れている。するとまた後(あと)からすぐに別の雲が来て、せっかく見え出した山の色をぼうとさせる。しまいには、どこにどんな山があるかいっこう見当(けんとう)がつかなくなる。立ちながら眺(なが)めると、木も山も谷もめちゃめちゃになって浮き出して来る。頭の上の空さえ、際限もない高い所から手の届く辺(あたり)まで落ちかかった。長蔵さんは、
「こりゃ、雨だね」
と、歩きながら独言(ひとりごと)を云った。誰も答えたものはない。四人(よつたり)とも雲の中を、雲に吹かれるような、取り捲(ま)かれるような、また埋(うず)められるような有様で登って行った。自分にはこの雲が非常に嬉しかった。この雲のお蔭(かげ)で自分は世の中から隠したい身体(からだ)を十分に隠すことが出来た。そうして、さのみ苦しい思いもしずにその中を歩いて行ける。手足は自由に働いて、閉(と)じ籠(こ)められたような窮屈も覚えない上に、人目にかからん徳は十分ある。生きながら葬(ほうぶ)られると云うのは全くこの事である。それが、その時の自分には唯一の理想であった。だからこの雲は全くありがたい。ありがたいという感謝の念よりも、雲に埋められ出してから、まあ安心だと、ほっと一息した。今考えると何が安心だか分りゃしない。全くの気違だと云われても仕方がない。仕方がないが、こう云う自分が、時と場合によれば、翌(あす)が日にも、また雲が恋しくならんとも限らない。それを思うと何だか変だ。吾(わ)が身(み)で吾が身が保証出来ないような、また吾が身が吾が身でないような気持がする。
 しかしこの時の雲は全く嬉しかった。四人が離れたり、かたまったり、隔(へだ)てられたり、包まれたりして雲の中を歩いて行った時の景色はいまだに忘れられない。小僧が雲から出たり這入ったりする。茨城の毛布(けっと)が赤くなったり白くなったりする。長蔵さんの、どてらが、わずか五六間の距離で濃くなったり薄くなったりする。そうして誰も口を利(き)かない。そうして、むやみに急ぐ。世界から切り離された四つの影が、後(あと)になり先になり、殖(ふえ)もせず減(へり)もせず、四つのまま、引かれて合うように、弾(はじ)かれて離れるように、またどうしても四つでなくてはならないように、雲の中をひたすら歩いた時の景色はいまだに忘れられない。
 自分は雲に埋まっている。残る三人も埋まっている。天下が雲になったんだから、世の中は自分共にたった四人である。そうしてその三人が三人ながら、宿無(やどなし)である。顔も洗わず朝飯も食わずに、雲の中を迷って歩く連中である。この連中と道伴(みちづれ)になって登り一里、降(くだ)り二里を足の続く限り雲に吹かれて来たら、雨になった。時計がないんで何時(なんじ)だか分らない。空模様で判断すると、朝とも云われるし、午過(ひるすぎ)とも云われるし、また夕方と云っても差支(さしつかえ)ない。自分の精神と同じように世界もぼんやりしているが、ただちょっと眼についたのは、雨の間から微(かす)かに見える山の色であった。その色が今までのとは打って変っている。いつの間にか木が抜けて、空坊主(からぼうず)になったり、ところ斑(まだら)の禿頭(はげあたま)と化けちまったんで、丹砂(たんしゃ)のように赤く見える。今までの雲で自分と世間を一筆(ひとふで)に抹殺(まっさつ)して、ここまでふらつきながら、手足だけを急がして来たばかりだから、この赤い山がふと眼に入るや否や、自分ははっと雲から醒(さ)めた気分になった。色彩の刺激が、自分にこう強く応(こた)えようとは思いがけなかった。――実を云うと自分は色盲じゃないかと思うくらい、色には無頓着(むとんじゃく)な性質(たち)である。――そこでこの赤い山が、比較的烈しく自分の視神経を冒(おか)すと同時に、自分はいよいよ銅山に近づいたなと思った。虫が知らせたと云えば、虫が知らせたとも云えるが、実はこの山の色を見て、すぐ銅(あかがね)を連想したんだろう。とにかく、自分がいよいよ到着したなと直覚的に――世の中で直覚的と云うのは大概このくらいなものだと思うが――いわゆる直覚的に事実を感得した時に、長蔵さんが、
「やっと、着いた」
と自分が言いたいような事を云った。それから十五分ほどしたら町へ出た。山の中の山を越えて、雲の中の雲を通り抜けて、突然新しい町へ出たんだから、眼を擦(こす)って視覚をたしかめたいくらい驚いた。それも昔の宿(しゅく)とか里とか云う旧幕時代に縁のあるような町なら、まだしもだが、新しい銀行があったり、新しい郵便局があったり、新しい料理屋があったり、すべてが苔(こけ)の生えない、新しずくめの上に、白粉(おしろい)をつけた新しい女までいるんだから、全く夢のような気持で、不審が顔に出る暇(いとま)もないうちに通り越しちまった。すると橋へ出た。長蔵さんは橋の上へ立って、ちょっと水の色を見たが、
「これが入口だよ。いよいよ着いたんだから、そのつもりでいなくっちゃ、いけない」
と注意を与えた。しかし自分には、どんなつもりでいなくっちゃいけないんだか、ちっとも分らなかったから、黙って橋の上へ立って、入口から奥の方を見ていた。左が山である。右も山である。そうして、所々に家(うち)が見える。やっぱり木造の色が新しい。中には白壁だか、ペンキ塗だか分らないのがある。これも新しい。古ぼけて禿(は)げてるのは山ばかりだった。何だかまた現実世界に引(ひ)き摺(ず)り込まれるような気がして、少しく失望した。長蔵さんは自分が黙って橋の向(むこう)を覗(のぞ)き込んでるのを見て、
「好いかね、御前さん、大丈夫かい」
とまた聞き直したから、自分は、
「好いです」
と明瞭(めいりょう)に答えたが、内心あまり好くはなかった。なぜだかしらないが、長蔵さんはただ自分にだけ懸念(けねん)がある様子であった。赤毛布(あかげっと)と小僧には「好いかね」とも「大丈夫かい」とも聞かなかった。頭からこの両人(ふたり)は過去の因果(いんが)で、坑夫になって、銅山のうちに天命を終るべきものと認定しているような気色(けしき)がありありと見えた。して見ると不信用なのは自分だけで、だいぶ長蔵さんからこいつは危(あぶ)ないなと睨(にら)まれていたのかも知れない。好い面(つら)の皮だ。
 それから四人揃(そろ)って、橋を渡って行くと、右手に見える家にはなかなか立派なのがある。その中(うち)で一番いかめしい奴(やつ)を指(さ)して、あれが所長の家(うち)だと長蔵さんが教えてくれた。ついでに左の方を見ながら
「こっちがシキだよ、御前さん、好いかね」
と云う。自分はシキと云う言葉をこの時始めて聞いた。
 よっぽど聞き返そうかと思ったが、大方これがシキなんだろうと思って黙っていた。あとから自分もこのシキと云う言葉を明瞭(めいりょう)に理解しなければならない身分になったが、やっぱり始めにぼんやり考えついた定義とさした違もなかった。そのうち左へ折れていよいよシキの方へ這入(はい)る事になった。鉄軌(レール)についてだんだん上(のぼ)って行くと、そこここに粗末な小さい家がたくさんある。これは坑夫の住んでる所だと聞いて、自分も今日から、こんな所で暮すのかと思ったが、それは間違であった。この小屋はどれも六畳と三畳二間(ふたま)で、みんな坑夫の住んでる所には違ないが、家族のあるものに限って貸してくれる規定であるから、自分のような一人ものは這入りたくたって這入れないんだった。こう云う小屋の間を縫って、飽(あ)きずに上(のぼ)って行くと、今度は石崖(いしがけ)の下に細長い横幅ばかりの長屋が見える。そうして、その長屋がたくさんある。始めはわずか二三軒かと思ったら、登るに従って続々あらわれて来た。大きさも長さも似たもんで、みんな崖下(がけした)にあるんだから位地にも変りはないが、向(むき)だけは各々(めいめい)違ってる。山坂を利用して、なけなしの地面へ建てることだから、東だとか西だとか贅沢(ぜいたく)は言っていられない。やっとの思いで、ならした地面へ否応(いやおう)なしに、方角のお構(かまい)なく建ててしまったんだから不規則なものだ。それに、第一、登って行く道がくねってる。あの長屋の右を歩いてるなと思うと、いつの間(ま)にかその長屋の前へ出て来る。あれは、すぐ頭の上だがと心待ちに待っていると、急に路が外(そ)れて遠くへ持ってかれてしまう。まるで見当(けんとう)がつかない。その上この細長い家から顔が出ている。家から顔が出ているのが珍らしい事もないんだが、その顔がただの顔じゃない。どれも、これも、出来ていない上に、色が悪い。その悪さ加減がまた、尋常でない。青くって、黒くって、しかも茶色で、とうてい都会にいては想像のつかない色だから困る。病院の患者などとはまるで比較にならない。自分が山路を登りながら、始めてこの顔を見た時は、シキと云う意味をよく了解しない癖に、なるほどシキだなと感じた。しかしいくらシキでも、こう云う顔はたくさんあるまいと思って、登って行くと、長屋を通るたんびに顔が出ていて、その顔がみんな同じである。しまいにはシキとは恐ろしい所だと思うまで、いやな顔をたくさん見せられて、また自分の顔をたくさん見られて――長屋から出ている顔はきっと自分らを見ていた。一種獰悪(どうあく)な眼つきで見ていた。――とうとう午後の一時に飯場(はんば)へ着いた。
 なぜ飯場と云うんだか分らない。焚(た)き出しをするから、そう云う名をつけたものかも知れない。自分はその後(ご)飯場の意味をある坑夫に尋ねて、箆棒(べらぼう)め、飯場たあ飯場でえ、何を云ってるんでえ、とひどく剣突(けんつく)を食(くら)った事がある。すべてこの社会に通用する術語は、シキでも飯場でもジャンボーでも、みんな偶然に成立して、偶然に通用しているんだから、滅多(めった)に意味なんか聞くと、すぐ怒られる。意味なんか聞く閑(ひま)もなし、答える閑もなし、調べるのは大馬鹿となってるんだから至極(しごく)簡単でかつ全く実際的なものである。
 そう云う訳で飯場(はんば)の意味は今もって分らないが、とにかく崖(がけ)の下に散在している長屋を指(さ)すものと思えばいい。その長屋へようやく到着した。多くある長屋のうちで、なぜこの飯場を選んだかは、長蔵さんの一人(ひとり)ぎめだから、自分には説明しにくい。が、この飯場は長蔵さんの専門御得意の取引先と云う訳でもなかったらしい。長蔵さんは自分をこの飯場へ押しつけるや否や、いつの間(ま)にか、赤毛布(あかげっと)と小僧を連れてほかの飯場へ出て行ってしまった。それで二人はほかの飯場の飯(めし)を食うようになったんだなと後(あと)から気がついた。二人の消息はその後(のち)いっこう聞かなかった。銅山(やま)のなかでもついぞ顔を合せた事がない。考えると、妙なものだ。一膳めし屋から突然飛び出した赤い毛布(けっと)と、夕方の山から降(くだ)って来た小僧と落ち合って、夏の夜(よ)を後になり先になって、崩(くず)れそうな藁屋根(わらやね)の下でいっしょに寝た明日(あくるひ)は、雲の中を半日かかって、目指す飯場へようやく着いたと思うと、赤毛布も小僧もふいと消えてなくなっちまう。これでは小説にならない。しかし世の中には纏(まと)まりそうで、纏らない、云わばでき損(そこな)いの小説めいた事がだいぶある。長い年月を隔(へだ)てて振り返って見ると、かえってこのだらしなく尾を蒼穹(そうきゅう)の奥に隠してしまった経歴の方が興味の多いように思われる。振り返って思い出すほどの過去は、みんな夢で、その夢らしいところに追懐の趣(おもむき)があるんだから、過去の事実それ自身にどこかぼんやりした、曖昧(あいまい)な点がないとこの夢幻の趣を助ける事が出来ない。したがって十分に発展して来て因果(いんが)の予期を満足させる事柄よりも、この赤毛布流に、頭も尻も秘密の中(うち)に流れ込んでただ途中だけが眼の前に浮んでくる一夜半日(いちやはんにち)の画(え)の方が面白い。小説になりそうで、まるで小説にならないところが、世間臭くなくって好い心持だ。ただに赤毛布ばかりじゃない。小僧もそうである。長蔵さんもそうである。松原の茶店の神(かみ)さんもそうである。もっと大きく云えばこの一篇の「坑夫」そのものがやはりそうである。纏まりのつかない事実を事実のままに記(しる)すだけである。小説のように拵(こしら)えたものじゃないから、小説のように面白くはない。その代り小説よりも神秘的である。すべて運命が脚色した自然の事実は、人間の構想で作り上げた小説よりも無法則である。だから神秘である。と自分は常に思っている。
 赤毛布と小僧が連れて行かれたのは後の事だが、自分らが飯場に到着した時は無論二人ともいっしょであった。ここで長蔵さんがいよいよ坑夫志願の談判を始めた。談判と云うと面倒なようだが、その実極(きわ)めて簡単なものであった。ただ、この男は坑夫になりたいと云うから、どうか使ってくれと云ったばかりである。自分の姓名も出生地(しゅっしょうち)も身元も閲歴も何にも話さなかった。もちろん話したくったって、知らないんだから、話せようもないんだが、こうまで手っ取り早く片づける了簡(りょうけん)とは思わなかった。自分は中学校へ入学した時の経験から、いくら坑夫だって、それ相応の手続がなくっちゃ採用されないもんだとばかり思っていた。大方身元引受人とか保証人とか云うものが証文へ判でも捺(お)すんだろう、その時は長蔵さんにでも頼んで見ようくらいにまで、先廻りをして考えていた。ところが案に相違して、談判を持ち込まれた飯場頭(はんばがしら)は――飯場頭だか何だかその時は無論知らなかった。眉毛(まゆげ)の太くって蒼髯(あおひげ)の痕(あと)の濃い逞(たくま)しい四十恰好(がっこう)の男だった。――その男が長蔵さんの話を一通り聞くや否や、
「そうかい、それじゃ置いておいで」
とさも無雑作(むぞうさ)に云っちまった。ちょうど炭屋が土釜(どがま)を台所へ担(かつ)ぎ込んだ時のように思われた。人間が遥々(はるばる)山越(やまごえ)をして坑夫になりに来たんだとは認めていない。そこで自分は少々腹の中(うち)でこの飯場頭を恨(うら)んだが、これは自分の間違であった。その訳は今直(すぐ)に分る。
 飯場頭と云うのは一(ひとつ)の飯場を預かる坑夫の隊長で、この長屋の組合に這入る坑夫は、万事この人の了簡(りょうけん)しだいでどうでもなる。だからはなはだ勢力がある。この飯場頭と一分時間(いっぷんじかん)に談判を結了した長蔵さんは、
「じゃ、よろしくお頼みもうします」
と云ったなり、赤毛布(あかげっと)と小僧を連れて出て行った。また帰ってくる事と思ったが、その後(ご)いっこう影も形も見せないんで、全く、置去(おきざり)にされたと云う事が分った。考えるとひどい男だ。ここまで引っ張って来るときには、何のかのと、世話らしい言葉を掛けたのに、いざとなると通り一片の挨拶(あいさつ)もしない。それにしてもぽん引の手数料はいつ何時(なんどき)どこで取ったものか、これは今もって分らない。
 こう云うしだいで飯場頭からは、土釜の炭俵のごとく認定される、長蔵さんからは小包のように抛(な)げ込まれる。少しも人間らしい心持がしないんで、大いに悄然(しょうぜん)としていると、出て行く三人の後姿を見送った飯場頭は突然自分の方を向いた。その顔つきが変っている。人を炭俵のように取扱う男とは、どうしても受取れない。全く東京辺で朝晩出逢(であ)う、万事を心得た苦労人の顔である。
「あなたは生れ落ちてからの労働者とも見えないようだが……」
 飯場掛(はんばがかり)の言葉をここまで聞いた時、自分は急に泣きたくなった。さんざっぱらお前さんで、厭(いや)になるほどやられた揚句(あげく)の果(はて)、もうとうてい御前さん以上には浮ばれないものと覚悟をしていた矢先に、突然あなたの昔に帰ったから、思いがけない所で自己を認められた嬉しさと、なつかしさと、それから過去の記憶――自分はつい一昨日(おととい)までは立派にあなたで通って来た――それやこれやが寄って、たかって胸の中へ込み上げて来た上に、相手の調子がいかにも鄭寧(ていねい)で親切だから――つい泣きたくなった。自分はその後(ご)いろいろな目に逢(あ)って、幾度となく泣きたくなった事はあるが、擦(す)れ枯(から)しの今日(こんにち)から見れば、大抵は泣くに当らない事が多い。しかしこの時頭の中にたまった涙は、今が今でも、同じ羽目になれば、出かねまいと思う。苦しい、つらい、口惜(くちお)しい、心細い涙は経験で消す事が出来る。ありがた涙もこぼさずに済む。ただ堕落した自己が、依然として昔の自己であると他(ひと)から認識された時の嬉し涙は死ぬまでついて廻るものに違ない。人間はかように手前勘(てまえかん)の強いものである。この涙を感謝の涙と誤解して、得意がるのは、自分のために書生を置いて、書生のために置いてやったような心持になってると同じ事じゃないかしら。
 こう云う訳で、飯場掛(はんばがか)りの言葉を一行ばかり聞くと、急に泣きたくなったが、実は泣かなかった。悄然(しょうぜん)とはしていたが、気は張っている。どこからか知らないが、抵抗心が出て来た。ただ思うように口が利(き)けないから、黙って向うの云う事を聞いていた。すると飯場掛りは嬉しいほど親切な口調で、こう云った。――
「……まあどうして、こんな所へ御出(おいで)なすったんだか、今の男が連れて来るくらいだから大概私(わたし)にも様子は知れてはいるが――どうです、もう一遍考えて見ちゃあ。きっと取(と)ッ附(つけ)坑夫になれて、金がうんと儲(もう)かるてえような旨(うま)い話でもしたんでしょう。それがさ、実際やって見るととうてい話の十が一にも行かないんだからつまらないです。第一坑夫と一口に云いますがね。なかなかただの人に出来る仕事じゃない、ことにあなたのように学校へ行って教育なんか受けたものは、どうしたって勤まりっこありませんよ。……」
 飯場頭(はんばがしら)はここまで来て、じっと自分の顔を見た。何とか云わなくっちゃならない。幸(さいわ)いこの時はもう泣きたいところを通り越して、口が利(き)けるようになっていた。そこで自分はこう云った。――
「僕は――僕は――そんなに金なんか欲しかないです。何も儲(もう)けるためにやって来た訳じゃないんですから、――そりゃ知ってるです、僕だって知ってるです……」
と、この時知ってるですを二遍繰り返した事を今だに記憶している。はなはだ穏かならぬ生意気な、ものの云いようだった。若いうちは、たった今まで悄気(しょげ)ていても、相手しだいですぐつけ上っちまう。まことに赤面の至りである。しかもその知ってるですが、何を知ってるのかと思うと、今自分を連れて来た男、すなわち長蔵さんは、一種の周旋屋であって、すべての周旋屋に共通な法螺吹(ほらふ)きであると云う真相をよく自覚していると云う意味なんだから、いくら知ってたって自慢にならないのは無論である。それを念入に、瞞着(だまさ)れて来たんじゃない、万事承知の上の坑夫志願だなどと説明して見たって今更(いまさら)どうなるものじゃない。ところが年が若いと虚栄心の強いもので――今でも弱いとは云わないが――しきりに弁解に取り掛ったのは実に冷汗の出るほどの愚(ぐ)であった。幸い相手が、こう云う家業(かぎょう)に似合わぬ篤実(とくじつ)な男で、かつ自分の不経験を気の毒に思うのあまり、この生意気を生意気と知りながら大目に見てくれたもんだから、どやされずに済んだ。まことにありがたい。この飯場に住み込んだあとで、頭(かしら)の勢力の広大なるに驚くにつれて、僕は知ってるですを思い出しては独(ひと)り赧(あか)い顔をしていた。ついでに云うがこの頭の名は原駒吉(はらこまきち)である。今もって自分は好い名だと思ってる。
 原さんは別に厭(いや)な顔つきもせずに、黙って自分の言訳を聞いていたが、やがて頭(あたま)を振り出した。その頭は大きな五分刈(ごぶがり)で額の所が面摺(めんずれ)のように抜き上がっている。
「そりゃ物数奇(ものずき)と云うもんでさあ。せっかく来たから是非やるったって、何も家(うち)を出る時から坑夫になると思いつめた訳でもないんでしょう。云わば一時(いちじ)の出来心なんだからね。やって見りゃ、すぐ厭になっちまうな眼に見えてるんだから、廃(よ)すが好(よ)うがしょう。現に書生さんでここへ来て十日と辛抱したものあ、有りゃしませんぜ。え? そりゃ来る。幾人(いくたり)も来る。来る事は来るが、みんな驚いて逃げ出しちまいまさあ。全く普通(なみ)のものの出来る業(わざ)じゃありませんよ。悪い事は云わないから御帰んなさい。なに坑夫をしなくったって、口過(くちすぎ)だけなら骨は折れませんやあ」
 原さんはここに至って、胡坐(あぐら)を崩(くず)して尻を宙に上げかけた。自分はどうしても落第しそうな按排(あんばい)である。大いに困った。困った結果、坑夫と云う事から気を離して、自分だけを検査して見ると、――何だか急に寒くなった。袷(あわせ)はさっきの雨で濡(ぬ)れている。洋袴下(ズボンした)は穿(は)いていない。東京の五月もこの山の奥へ来るとまるで二月か三月の気候である。坂を登っている間こそ体温でさほどにも思わなかった。原さんに拒絶されるまでは気が張っていたから、好かった。しかし飯場(はんば)へ来て休息した上に、坑夫になる見込がほとんど切れたとなると、情(なさけ)ないのが寒いのと合併して急に顫(ふる)え出した。その時の自分の顔色は定めし見るに堪(た)えんほど醜いもんだったろう。この時自分はまた何となく、今しがた自分を置去(おきざり)にして、挨拶(あいさつ)もしずに出て行った長蔵さんが恋しくなった。長蔵さんがいたら、何とか尽力して坑夫にしてくれるだろう。よし坑夫にしてくれないまでも、どうにか片をつけてくれるだろう。汽車賃を出してくれたくらいだから、方角のわかる所までくらいは送り出してくれそうなものだ。蟇口(がまぐち)を長蔵さんに取られてから、懐中(ふところ)には一文もない。帰るにしても、帰る途中で腹が減って山の中で行倒(ゆきだおれ)になるまでだ。いっその事今から長蔵さんを追掛けて見ようか。飯場飯場を探して歩いたら逢(あ)えない事もないだろう。逢ってこれこれだと泣きついたら、今までの交際(つきあい)もある事だから、好い智慧(ちえ)を貸してくれまいものでもない。しかし別れ際に挨拶さえしない男だから、ひょっとすると……自分は原さんの前で実はこんな閑(ひま)な事を、非常に忙しく、ぐるぐる考えていた。好(すき)な原さんが前にいるのに、あんまり下さらない、しかも消えてなくなった長蔵さんばかりを相談相手のように思い込んだのは、どう云う理由(わけ)だろう。こんな事はよくあるもんだから、いざと云う場合に、敵は敵、味方は味方と板行(はんこう)で押したように考えないで、敵のうちで味方を探したり、味方のうちで敵を見露(みあら)わしたり、片方(かたっぽ)づかないように心を自由に活動させなくってはいけない。
 弱輩(じゃくはい)な自分にはこの機合(きあい)がまだ呑(の)み込めなかったもんだから、原さんの前に立って顫えながら、へどもどしていると、原さんも気の毒になったと見えて、
「あなたさえ帰る気なら、及ばずながら相談になろうじゃありませんか」
と向うから口を掛けてくれた。こう切って出られた時に、自分ははっとありがたく感じた。ばかりなら当り前だがはっと気がついた。――自分の相談相手は自分の志望を拒絶するこの原さんを除いて、ほかにないんだと気がついた。気がつくと同時にまた口が利(き)けなくなった。是非坑夫にしてくれとも、帰るから旅費を貸してくれとも言いかねて、やっぱり立ちすくんでいた。気がついても何にもならない、ただ右の手で拳骨(げんこつ)を拵(こしら)えて寒い鼻の下を擦(こす)ったように記憶している。自分はその前寄席(よせ)へ行って、よく噺家(はなしか)がこんな手真似(てつき)をするのを見た事があるが、自分でその通りを実行したのは、これが始めてである。この手真似を見ていた原さんが、今度はこう云った。
「失礼ながら旅費のことなら、心配しなくっても好ござんす。どうかして上げますから」
 旅費は無論ない。一厘たりとも金気(かなけ)は肌に着いていない。のたれ死(じに)を覚悟の前でも、金は持ってる方が心丈夫だ。まして慢性の自滅で満足する今の自分には、たとい白銅一箇の草鞋銭(わらじせん)でも大切である。帰ると事がきまりさえすれば、頭を地に摺(す)りつけても、原さんから旅費を恵んで貰ったろう。実際こうなると廉恥(れんち)も品格もあったもんじゃない。どんな不体裁(ふていさい)な貰い方でもする。――大抵の人がそうなるだろう。またそうなってしかるべきである。――しかしけっして褒(ほ)められた始末じゃない。自分がこんな事を露骨にかくのは、ただ人間の正体を、事実なりに書くんで、書いて得意がるのとは訳が違う。人間の生地(きじ)はこれだから、これで差支(さしつかえ)ないなどと主張するのは、練羊羹(ねりようかん)の生地は小豆(あずき)だから、羊羹の代りに生(なま)小豆を噛(か)んでれば差支ないと結論するのと同じ事だ。自分はこの時の有様を思い出すたびに、なんで、あんな、さもしい料簡(りょうけん)になったものかと、吾(われ)ながら愛想(あいそ)が尽きる。こう云う下卑(げび)た料簡を起さずに、一生を暮す事のできる人は、経験の足りない人かも知れないが、幸な人である。また自分らよりも遥(はるか)に高尚な人である。生小豆のまずさ加減を知らないで、生涯(しょうがい)練羊羹ばかり味わってる結構な人である。
 自分は、も少しの事で、手を合せて、見ず知らずの飯場頭(はんばがしら)からわずかの合力(ごうりき)を仰ぐところであった。それをやっとの事で喰い止めたのは、せっかくの好意で調(ととの)えてくれる金も、二三日(にさんち)木賃宿(きちんやど)で夜露を凌(しの)げば、すぐ無くなって、無くなった暁には、また当途(あてど)もなく流れ出さなければならないと、冥々(めいめい)のうちに自覚したからである。自分は屑(いさぎ)よく涙金(なみだきん)を断った。断った表向は律義(りちぎ)にも見える。自分もそう考えるが、よくよく詮索(せんさく)すると、慾の天秤(てんびん)に懸(か)けた、利害の判断から出ている事はたしかである。その証拠には補助を断(ことわ)ると同時に、自分は、こんな事を言い出した。
「その代り坑夫に使って下さい。せっかく来たんだから、僕はどうしてもやって見る気なんですから」
「随分酔興(すいきょう)ですね」
と原さんは首を傾(かし)げて、自分を見つめていたが、やがて溜息のような声を出して、
「じゃ、どうしても帰る気はないんですね」
と云った。
「帰るったって、帰る所がないんです」
「だって……」
「家(うち)なんかないんです。坑夫になれなければ乞食(こじき)でもするより仕方がないです」
 こんな押問答を二三度重ねている中に、口を利(き)くのが大変楽になって来た。これは思い切って、無理な言葉を、出(で)にくいと知りながら、我慢して使った結果、おのずと拍子(ひょうし)に乗って来た勢いに違ないんだから、まあ器械的の変化と見傚(みな)しても差支(さしつかえ)なかろうが、妙なもので、その器械的の変化が、逆戻りに自分の精神に影響を及ぼして来た。自分の言いたい事が何の苦もなく口を出るに連れて――ある人はある場合に、自分の言いたくない事までも調子づいてべらべら饒舌(しゃべ)る。舌はかほどに器械的なものである。――この器械が使用の結果加速度の効力を得るに連れて、自分はだんだん大胆になって来た。
 いや、大胆になったから饒舌れたんだろう、君の云う事は顛倒(あべこべ)じゃないかとやり込める気なら、そうして置いてもいい。いいが、それはあまり陳腐(ちんぷ)でかつ時々嘘(うそ)になる。嘘と陳腐で満足しないものは自分の言分をもっともと首肯(うなず)くだろう。
 自分は大胆になった。大胆になるに連れて、どうしても坑夫に住み込んでやろうと決心した。また饒舌っておれば必ず坑夫になれるに違ないと自覚して来た。一昨日(おととい)家(うち)を飛び出す間際(まぎわ)までは、夢にも坑夫になろうと云う分別は出なかった。ばかりではない、坑夫になるための駆落(かけおち)と事がきまっていたならば、何となく恥ずかしくなって、まあ一週間よく考えた上にと、出奔(しゅっぽん)の時期を曖昧(あいまい)に延ばしたかもしれない。逃亡はする。逃亡はするが、紳士の逃亡で、人だか土塊(つちくれ)だか分らない坑掘(あなほり)になり下(さが)る目的の逃亡とは、何不足なく生育(そだ)った自分の頭には影さえ射さなかったろう。ところが原さんの前で寒い奥歯を噛(か)みしめながら、しょう事なしの押問答をしているうちに、自分はどうあっても坑夫になるべき運命、否(いな)天職を帯びてるような気がし出した。この山とこの雲とこの雨を凌(しの)いで来たからには、是非共坑夫にならなければ済まない。万一採用されない暁には自分に対して面目がない。――読者は笑うだろう。しかし自分は当時の心情を真面目(まじめ)に書いてるんだから、人が見ておかしければおかしいほど、その時の自分に対して気の毒になる。
 妙な意地だか、負惜(まけおし)みだか、それとも行倒れになるのが怖(こわ)くって、帰り切れなかったためだか、――その辺は自分にも曖昧だが、とにかく自分は、もっとも熱心な語調で原さんを口説(くど)いた。
「……そう云わずに使って下さい。実際僕が不適当なら仕方がないが、まだやって見ない事なんだから――せっかく山を越して遠方をわざわざ来た甲斐(かい)に、一日(いちんち)でも二日(ふつか)でも、いいですから、まあ試しだと思って使って下さい。その上で、とうてい役に立たないと事がきまれば帰ります。きっと帰ります。僕だって、それだけの仕事が出来ないのに、押(おし)を強く御厄介(ごやっかい)になってる気はないんですから。僕は十九です。まだ若いです。働き盛りです……」
と昨日(きのう)茶店の神(かみ)さんが云った通りをそのまま図に乗って述べ立てた。後から考えると、これはむしろ人が自分を評する言葉で、自分が自分を吹聴(ふいちょう)する文句ではなかった。そこで原さんは少し笑い出した。
「それほどお望みなら仕方がない。何も御縁だ。まあやって御覧なさるが好い。その代り苦しいですよ」
と原さんは何気なく裏の赤い山を覗(のぞ)くように見上げた。おおかた天気模様でも見たんだろう。自分も原さんといっしょに山の方へ眼を移した。雨は上がったが、暗く曇っている。薄気味の悪いほど怪しい山の中の空合(そらあい)だ。この一瞬時に、自分の願が叶(かな)って、自分はまず山の中の人となった。この時「その代り苦しいですよ」と云った原さんの言葉が、妙に気に掛り出した。人は、ようやくの思いで刻下(こっか)の志を遂(と)げると、すぐ反動が来て、かえって志を遂げた事が急に恨(うら)めしくなる場合がある。自分が望み通りここへ落ちつける口頭の辞令を受け取った時の感じはいささかこれに類している。
「じゃね」――原さんは語調を改めて話し出した。――「じゃね。何しろ明日(あした)の朝シキへ這入(はい)って御覧なさい。案内を一人つけて上げるから。――それからと――そうだ、その前に話して置かなくっちゃなりませんがね。一口に坑夫と云うと、訳もない仕事のように思われましょうが、なかなか外で聞いてるような生容易(なまやさし)い業(わざ)じゃないんで。まあ取っつけから坑夫になるなあ」と云って自分の顔を眺(なが)めていたが、やがて、
「その体格じゃ、ちっとむずかしいかも知れませんね。坑夫でなくっても、好(よ)うがすかい」
と気の毒そうに聞いた。坑夫になるまでには相当の階級と練習を積まなくっちゃならないと云う事がここで始めて分った。なるほど長蔵さんが坑夫坑夫と、さも名誉らしく坑夫を振り廻したはずだ。
「坑夫のほかに何かあるんですか。ここにいるものは、みんな坑夫じゃないんですか」
と念のために聞いて見た。すると原さんは、自分を馬鹿にした様子もなく、すぐそのわけを説明してくれた。
「銅山(やま)にはね、一万人も這入っててね。それが掘子(ほりこ)に、シチュウに、山市(やまいち)に、坑夫と、こう四つに分れてるんでさあ。掘子(ほりこ)ってえな、一人前の坑夫に使えねえ奴がなるんで、まあ坑夫の下働(したばたらき)ですね。シチュウは早く云うとシキの内(なか)の大工見たようなものかね。それから山市(やまいち)だが、こいつは、ただ石塊(いしっころ)をこつこつ欠いてるだけで、おもに子供――さっきも一人来たでしょう。ああ云うのが当分坑夫の見習にやる仕事さね。まあざっと、こんなものですよ。それで坑夫となると請負(うけおい)仕事だから、間(ま)が好いと日に一円にも二円にも当る事もあるが、掘子は日当で年(ねん)が年中(ねんじゅう)三十五銭で辛抱しなければならない。しかもそのうち五分(ごぶ)は親方が取っちまって、病気でもしようもんなら手当が半分だから十七銭五厘ですね。それで蒲団(ふとん)の損料が一枚三銭――寒いときは是非二枚要(い)るから、都合で六銭と、それに飯代が一日十四銭五厘、御菜(おさい)は別ですよ。――どうです。もし坑夫にいけなかったら、掘子にでもなる気はありますかね」
 実のところはなりますと勢いよく出る元気はなかったが、ここまで来れば、今更(いまさら)どうしたって否(いや)だと断られた義理のもんじゃない。そこで、出来るだけ景気よく、
「なります」
と答えてしまった。原さんにはこの答が断然たる決心のように受けとれたか、それとも、瘠我慢(やせがまん)のつけ景気(げいき)のごとく響いたか、その辺(へん)は確(しか)と分らないが、何しろこの一言(いちごん)を聞いた原さんは、機嫌よく、
「じゃまあ、御上(おあ)がんなさい。そうして、あした人をつけて上げるから、まあシキへ這入って御覧なさるがいい。何しろ一万人もいて、こんなに組々に分れているんだから、飯場(はんば)を一つでも預かってると、毎日毎日何だかだって、うるさい事ばかりでね。せっかく頼むから置いてやる、すぐ逃げる。――一日(いちんち)に二三人はきっと逃げますよ。そうかと云って、おとなしくしているかと思うと、病気になって、死んじまう奴が出て来て――どうも始末に行かねえもんでさあ。葬(ともら)いばかりでも日に五六組無い事あ、滅多(めった)にないからね。まあやる気なら本気にやって御覧なさい。腰を掛けてちゃ、足が草臥(くたび)れるだろう。こっちへ御上り」
 この逐一(ちくいち)を聞いていた自分はたとい、掘子(ほりこ)だろうが、山市(やまいち)だろうが一生懸命に働かなくっちゃあ、原さんに対して済まない仕儀になって来た。そこで心のうちに、原さんの迷惑になるような不都合はけっしてしまいときめた。何しろ年が十九だから正直なものだった。
 そこで原さんの云う通り、足を拭いて尻をおろしているうちに、奥の方から婆さんが出て来て、――この婆さんの出ようがはなはだ突然で、ちょっと驚いたが、
「こっちへ御出(おいで)なさい」
と云うから、好加減(いいかげん)に御辞儀をして、後(あと)から尾(つ)いて行った。小作(こづくり)な婆さんで、後姿の華奢(きゃしゃ)な割合には、ぴんぴん跳(は)ねるように活溌(かっぱつ)な歩き方をする。幅の狭い茶色の帯をちょっきり結(むすび)にむすんで、なけなしの髪を頸窩(ぼんのくぼ)へ片づけてその心棒(しんぼう)に鉛色の簪(かんざし)を刺している。そうして襷掛(たすきがけ)であった。何でも台所か――台所がなければ、――奥の方で、用事の真っ最中に、案内のため呼び出されたから、こう急がしそうに尻を振るんだろう。それとも山育(やまそだち)だからかしら。いや、飯場(はんば)だから優長(ゆうちょう)にしちゃいられないせいだろう。して見ると、今日から飯場の飯を食い出す以上は自分だって安閑としちゃいられない。万事この婆さんの型で行かなくっちゃなるまい。――なるまい。――と力を入れて、うんと思ったら、さすがに草臥れた手足が急になるまいで充満して、頭と胸の組織がちょっと変ったような気分になった。その勢いで広い階子段(はしごだん)を、案内に応じて、すとんすとんと景気よく登って行った。が自分の頭が階子段から、ぬっと一尺ばかり出るや否や、この決心が、ぐうと退避(たじろ)いだ。
 胸から上を階子段の上へ出して、二階を見渡すと驚いた。畳数(たたみかず)は何十枚だか知らないが遥(はるか)の突き当りまで敷き詰めてあって、その間には一重(ひとえ)の仕切りさえ見えない。ちょうど柔道の道場か、浪花節(なにわぶし)の席亭のような恰好(かっこう)で、しかも広さは倍も三倍もある。だから、ただ駄々(だだ)ッ広(ぴろ)い感じばかりで、畳の上でもまるで野原へ出たとしきゃあ思えない。それだけでも驚く価値(ねうち)は十分あるが、その広い原の中に大きな囲炉裏(いろり)が二つ切ってある、そこへ人間が約十四五人ずつかたまっている。自分の決心が退避いだと云うのは、卑怯(ひきょう)な話だが、全くこの人間にあったらしい。平生から強がっていたにはいたが、若輩(じゃくはい)の事だから、見ず知らずの多勢の席へ滅多(めった)に首を出した事はない。晴の場所となると、ただでさえもじもじする。ところへもって来て、突然坑夫の団体に生擒(いけど)られたんだから、この黒い塊(かたまり)を見るが早いか、いささか辟易(ひるん)じまった。それも、ただの人間ならいい。と云っちゃ意味がよく通じない。――ただの人間が、坑夫になってるなら差支(さしつかえ)ない。ところが自分の胸から上が、階子段を出ると、等しく、この塊の各部分が、申し合せたように、こっちを向いた。その顔が――実はその顔で全く畏縮(いしゅく)してしまった。と云うのはその顔がただの顔じゃない。ただの人間の顔じゃない。純然たる坑夫の顔であった。そう云うより別に形容しようがない。坑夫の顔はどんなだろうと云う好奇心のあるものは、行って見るより外に致し方がない。それでも是非説明して見ろと云うなら、ざっと話すが、――頬骨(ほおぼね)がだんだん高く聳(そび)えてくる。顎(あご)が競(せ)り出す。同時に左右に突っ張る。眼が壺(つぼ)のように引ッ込んで、眼球(めだま)を遠慮なく、奥の方へ吸いつけちまう。小鼻が落ちる。――要するに肉と云う肉がみんな退却して、骨と云う骨がことごとく吶喊(とっかん)展開するとでも評したら好かろう。顔の骨だか、骨の顔だか分らないくらいに、稜々(りょうりょう)たるものである。劇(はげ)しい労役の結果早く年を取るんだとも解釈は出来るが、ただ天然自然に年を取ったって、ああなるもんじゃない。丸味とか、温味(あたたかみ)とか、優味(やさしみ)とか云うものは薬にしたくっても、探し出せない。まあ一口に云うと獰猛(どうもう)だ。不思議にもこの獰猛な相(そう)が一列一体の共有性になっていると見えて、囲炉裏(いろり)の傍(はた)の黒いものが等しく自分の方を向くと、またたく間(ま)に獰猛な顔が十四五揃(そろ)った。向うの囲炉裏を取捲(とりま)いてる連中も同じ顔に違いない。さっき坂を上がってくるとき、長屋の窓から自分を見下(みおろ)していた顔も全くこれである。して見ると組々の長屋に住んでいる総勢一万人の顔はことごとく獰猛なんだろう。自分は全く退避(ひる)んだ。
 この時婆さんが後(うしろ)を振り返って、
「こっちへおいでなさい」
と、もどかしそうに云うから、度胸を据(す)えて、獰猛の方へ近づいて行った。ようやく囲炉裏の傍(はた)まで来ると、婆さんが、今度は、
「まあここへ御坐(おすわ)んなさい」
と差(さ)しずをしたが、ただ好加減(いいかげん)な所へ坐れと云うだけで、別に設けの席も何もないんだから、自分は黒い塊(かたま)りを避(さ)けて、たった一人畳の上へ坐った。この間獰猛な眼は、始終(しじゅう)自分に喰っついている。遠慮も何もありゃしない。そうして誰も口を利(き)くものがない。取附端(とりつきは)を見出(みいだ)すまでは、団体の中へ交り込む訳にも行かず、ぽつねんと独(ひと)りぼッちで離れているのは、獰猛の目標(めじるし)となるばかりだし、大いに困った。婆さんは、自分を紹介する段じゃない、器械的に「ここへ坐れ」と云ったなり、ちょっ切り結びの尻を振り立てて階子段(はしごだん)を降りて行ってしまった。広い寄席(よせ)の真中にたった一人取り残されて、楽屋の出方(でかた)一同から、冷かされてるようなものだ、手持無沙汰(てもちぶさた)は無論である。ことさら今の自分に取っては心細い。のみならず袷(あわせ)一枚ではなはだ寒い。寒いのは、この五月の空に、かんかん炭を焼(た)いて獰猛共が囲炉裏(いろり)へあたってるんでも分る。自分は仕方がないからてれ隠(かく)しに襯衣(シャツ)の釦(ボタン)をはずして腋(わき)の下へ手を入れたり、膝(ひざ)を立てて、足の親指を抓(つね)って見たり、あるいは腿(もも)の所を両手で揉(も)んで見たり、いろいろやっていた。こう云う時に、落ついた顔をして――顔ばかりじゃいけない、心(しん)から落ちついて、平気で坐ってる修業をして置かないと、大きな損だ。しかし、十九や、そこいらではとうてい覚束(おぼつか)ない芸だから、自分はやむを得ず。前記の通りいろいろ馬鹿な真似(まね)をしていると、突然、
「おい」
と呼んだものがある。自分はこの時ちょうど下を向いて鳴海絞(なるみしぼり)の兵児帯(へこおび)を締め直していたが、この声を聞くや否や、電気仕掛の顔のように、首筋が急に釣った。見るとさっきの顔揃(かおぞろい)で、眼がみんなこっちを向いて、光ってる。「おい」と云う声は、どの顔から出たものか分らないが、どの顔から出たにしても大した変りはない。どの顔も獰猛(どうもう)で、よく見るとその獰猛のうちに、軽侮(あなどり)と、嘲弄(あざけり)と、好奇の念が判然と彫りつけてあったのは、首を上げる途端(とたん)に発明した事実で、発明するや否や、非常に不愉快に感じた事実である。自分は仕方がないから、首を上げたまま、「おい」の声がもう一遍出るのを待っていた。この間が約何秒かかったか知らないが、とにかく予期の状態で一定の姿勢におったものらしい。すると、いきなり、
「やに澄(す)ますねえ」
と云ったものがある。この声はさっきの「おい」よりも少し皺枯(しゃが)れていたから、大方別人だろうと鑑定した。しかし返答をするべき性質(たち)の言葉でないから――字で書くと普通のねえのように見えるが、実はなよの命令を倶利加羅流(くりからりゅう)に崩(くず)したんだから、はなはだ下等である。――それでやっぱり黙ってた。ただ内心では大いに驚いた。自分がここへ来て言葉を交したものは原さんと婆さんだけであるが、婆さんは女だから別として、原さんは思ったよりも叮嚀(ていねい)であった。ところが原さんは飯場頭(はんばがしら)である。頭(かしら)ですらこれだから、平(ひら)の坑夫は無論そう野卑(ぞんざい)じゃあるまいと思い込んでいた。だから、この悪口(あくたい)が藪(やぶ)から棒(ぼう)に飛んで来た時には、こいつはと退避(ひる)む前に、まずおやっと毒気を抜かれた。ここでいっその事毒突返(どくづきかえ)したなら、袋叩(ふくろだた)きに逢(あ)うか、または平等の交際が出来るか、どっちか早く片がついたかも知れないが、自分は何にも口答えをしなかった。もともと東京生れだから、この際何とか受けるくらいは心得ていたんだろう。それにもかかわらず、兄(あにい)に類似した言語は無論、尋常の竹箆返(しっぺいがえ)しさえ控えたのは、――相手にならないと先方(さき)を軽蔑(けいべつ)したためだろうか――あるいは怖(こわ)くって何とも云う度胸がなかったんだろうか。自分は前の方だと云いたい。しかし事実はどうも後(あと)の方らしい。とにかくも両方交(まじ)ってたと云うのが一番穏(おだやか)のように思われる。世の中には軽蔑しながらも怖(こわ)いものが沢山(いくら)もある。矛盾にゃならない。
 それはどっちにしたって構わないが、自分がこの悪口(あくたい)を聞いたなり、おとなしく聞き流す料簡(りょうけん)と見て取った坑夫共は、面白そうにどっと笑った。こっちがおとなしければおとなしいほど、この笑は高く響いたに違ない。銅山(やま)を出れば、世間が相手にしてくれない返報に、たまたま普通の人間が銅山の中へ迷い込んで来たのを、これ幸(さいわ)いと嘲弄(ちょうろう)するのである。自分から云えば、この坑夫共が社会に対する恨(うら)みを、吾身(わがみ)一人で引き受けた訳になる。銅山へ這入(はい)るまでは、自分こそ社会に立てない身体(からだ)だと思い詰めていた。そこで飯場(はんば)へ上(あが)って見ると、自分のような人間は仲間にしてやらないと云わんばかりの取扱いである。自分は普通の社会と坑夫の社会の間に立って、立派に板挟(いたばさ)みとなった。だからこの十四五人の笑い声が、ほてるほど自分の顔の正面に起った時は、悲しいと云うよりは、恥ずかしいと云うよりは、手持無沙汰(てもちぶさた)と云うよりは、情(なさけ)ないほど不人情な奴が揃(そろ)ってると思った。無教育は始めから知れている。教育がなければ予期出来ないほどの無理な注文はしないつもりだが、なんぼ坑夫だって、親の胎内から持って生れたままの、人間らしいところはあるだろうくらいに心得ていたんだから、この寸法に合わない笑声を聞くや否や、畜生奴(ちくしょうめ)と思った。俗語に云う怒(おこ)った時の畜生奴じゃない。人間と受取れない意味の畜生奴である。今では経験の結果、人間と畜生の距離がだいぶん詰ってるから、このくらいの事をと、鈍い神経の方で相手にしないかも知れないが、何しろ十九年しか、使っていない新しい柔かい頭へこのわる笑がじんと来たんだから、切(せつ)なかった。自分ながら思い出すたびに、まことに痛わしいような、いじらしいような、その時の神経系統をそのまま真綿に包(くる)んで大事にしまって置いてやりたいような気がする。
 この悪意に充(み)ちた笑がようやく下火になると、
「御前(おめえ)はどこだ」
と云う質問が出た。この質問を掛けたものは、自分から一番近い所に坐っていたから、声の出所(でどころ)は判然(はっきり)分った。浅黄色(あさぎいろ)の手拭染(てぬぐいじ)みた三尺帯を腰骨の上へ引き廻して、後向(うしろむ)きの胡坐(あぐら)のまま、斜(はす)に顔だけこっちへ見せている。その片眼は生れつきの赤んべんで、おまけに結膜(けつまく)が一面に充血している。
「僕は東京です」
と答えたら、赤んべんが、肉のない頬を凹(へこ)まして、愚弄(ぐろう)の笑いを洩(も)らしながら、三軒置いて隣りの坑夫をちょいと顎(あご)でしゃくった。するとこの相図を受けた、願人坊主(がんにんぼうず)が、入れ替ってこんな事を云った、
「僕だなんて――書生(しょせ)ッ坊(ぼ)だな。大方(おおかた)女郎買でもしてしくじったんだろう。太え奴だ。全体(ぜんてえ)この頃の書生ッ坊の風儀が悪くっていけねえ。そんな奴に辛抱が出来るもんか、早く帰(けえ)れ。そんな瘠(やせ)っこけた腕でできる稼業(かぎょう)じゃねえ」
 自分はだまっていた。あんまり黙っていたので張合(はりあい)が抜けたせいか、わいわい冷かすのが少し静まった。その時一人の坑夫――これは尋常な顔である。世間へ出しても普通に通用するくらいに眼鼻立が調(ととの)っていた。自分は、冷かされながら、眼を上げて、黒い塊(かたまり)を見るたびに、人数(にんず)やら、着物やら、獰猛(どうもう)の度合やらをだんだん腹に畳み込んでいたが、最初は総体の顔が総体に骨と眼でできた上に獣慾の脂(あぶら)が浮いているところばかり眼に着いて、どれも、これも差別がないように思われた。それが三度四度と重なるにつけて、四人五人と人相の区別ができるに連れて、この坑夫だけが一際(ひときわ)目立って見えるようになった。年はまだ三十にはなるまい。体格は倔強(くっきょう)である。眉毛(まみえ)と鼻の根と落ち合う所が、一段奥へ引っ込んで、始終(しじゅう)鼻眼鏡で圧(お)しつけてるように見える。そこに疳癪(かんしゃく)が拘泥(こうでい)していそうだが、これがために獰猛の度はかえって減ずると云っても好いような特徴であった。――この坑夫が始めてこの時口を利(き)いた。――
「なぜこんな所へ来た。来たって仕方がないぜ。儲(もう)かる所じゃない。ここにいる奴あ、みんな食詰(くいつめ)ものばかりだ。早く帰るが好かろう。帰って新聞配達でもするがいい。おれも元はこれで学校へも通(かよ)ったもんだが、放蕩(ほうとう)の結果とうとう、シキの飯を食うようになっちまった。おれのようになったが最後もう駄目だ。帰ろうたって、帰れなくなる。だから今のうちに東京へ帰って新聞配達をしろ。書生はとても一月(ひとつき)と辛抱は出来ないよ。悪い事は云わねえから帰れ。分ったろう」
 これは比較的真面目(まじめ)な忠告であった。この忠告の最中は、さすがの獰悪派(どうあくは)もおとなしく交(まぜ)っ返しもせずに聞いていた。その惰性で忠告が済んだあとも、一時は静であった。もっともこれはこの坑夫に多少の勢力があるんで、その勢力に対しての遠慮かも知れないと勘づいた。その時自分は何となく心の底で愉快だった。この坑夫だって、ほかの坑夫だって、人相にこそ少しの変化はあれ、やっぱり一つ穴でこつこつ鉱塊(あらがね)を欠いている分の事だろう。そう芸に巧拙(こうせつ)のあるはずはない。して見ると、この男の勢力は全く字が読めて、物が解って、分別があって――一口に云うと教育を受けたせいに違ない。自分は今こんなに馬鹿にされている。ほとんど最下等の労働者にさえ歯(よわい)されない人非人(にんぴにん)として、多勢(たぜい)の侮辱を受けている。しかし一度この社会に首を突込(つっこ)んで、獰猛組(どうもうぐみ)の一人となりすましたら、一月二月と暮して行くうちには、この男くらいの勢力を得る事はできるかも知れない。できるだろう。できるにきまってるとまで感じた。だから、いくら誰が何と云っても帰るまい、きっとこの社会で一人前以上になって成功して見せる。――随分思い切ってつまらない考えを起したもんだが、今から見ても、多少論理には叶(かな)っているようだ。そこでこの坑夫の忠告には謹(つつし)んで耳を傾(かたぶ)けていたが、別段先方の注文通りに、では帰りましょうと云う返事もしなかった。そのうちいったん静まりかけた愚弄(ぐろう)の舌(した)がまた動き出した。
「いる気なら置いてやるが、ここにゃ、それぞれ掟(おきて)があるから呑(の)み込んで置かなくっちゃ迷惑だぜ」
と一人が云うから、
「どんな掟ですか」
と聞くと、
「馬鹿だなあ。親分もあり兄弟分(きょうでえぶん)もあるじゃねえか」
と、大変な大きな声を出した。
「親分たどんなもんですか」
と質問して見た。実はあまりがみがみ云うから、黙っていようかしらんとも思ったけれども、万一掟を破って、あとで苛(ひど)い目に逢(あ)うのが怖(こわ)いから、まあ聞いて見た。すると他(ほか)の坑夫が、すぐ、返事をした。
「しようのねえ奴だな。親分を知らねえのか。親分も兄弟分も知らねえで、坑夫になろうなんて料簡違(りょうけんちげ)えだ。早く帰(けえ)れ」
「親分も兄弟分もいるから、だから、儲(もう)けようたって、そう旨(うま)かあ行かねえ。帰れ」
「儲かるもんか帰(けえ)るが好い」
「帰れ」
「帰れ」
 しきりに帰れと云う。しかも実際自分のためを思って帰れと云うんじゃない。仲間入をさせてやらないから出て行けと云うんである。さぞ儲(もう)けたいだろうが、そうは問屋で卸(おろ)さない、こちとらだけで儲ける仕事なんだから、諦(あきら)めて早く帰れと云うんである。したがってどこへ帰れとも云わない。川の底でも、穴の中でも構わない勝手な所へ帰れと云うんである。自分は黙っていた。
 この形勢がこのままで続いたら、どんな事にたち至ったか思いやられる。敵はこの囲炉裏(いろり)の周囲(まわり)ばかりにゃいない。さっきちょっと話した通り、向うの方にも大きな輪になって、黒く塊(かたま)っている。こっちの団体だけですら持ち扱っているところへ、あっちの群勢(ぐんぜい)が加勢したら大事(だいじ)である。自分は愚弄(ぐろう)されながらも、時々横目を使って、未来の敵――こうなると、どれもこれも人間でさえあれば、敵と認定してしまう。――遠方にはおるが、そろそろ押し寄せて来そうな未来の敵を、見ていた。かように自分の心が、左右前後と離(はな)れ離れになって、しかも独立ができないものだから、物の後(あと)を追掛(おっか)け、追ん廻わしているほど辛(つら)い事はない。なんでも敵に逢(あ)ったら敵を呑(の)むに限る。呑む事ができなければ呑まれてしまうが好い。もし両方共困難ならぷつりと縁を截(き)って、独立自尊の態度で敵を見ているがいい。敵と融合する事もできず、敵の勢力範囲外に心を持ってく事も出来ず、しかも敵の尻を嗅(か)がなければならないとなると、はなはだしき損となる。したがってもっとも下等である。自分はこう云う場合にたびたび遭遇して、いろいろな活路を研究して見たが、研究したほどに、心が云う事を聞かない。だからここに申す三策は、みんな釈迦(しゃか)の空説法(からぜっぽう)である。もし講釈をしないでも知れ切ってる陳説(ちんせつ)なら、なおさら言うだけが野暮(やぼ)になる。どうも正式の学問をしないと、こう云う所へ来て、取捨の区別がつかなくって困る。
 自分が四方八方に気を配って、自分の存在を最高度に縮小して恐れ入っていると、
「御膳(ごぜん)を御上がんなさい」
と云う婆さんの声が聞えた。いつの間(ま)に婆さんが上がって来たんだか、自分の魂が鳩の卵のように小さくなって、萎縮(いしゅく)した真最中だったから、御膳の声が耳に入るまではまるで気がつかなかった。見ると剥(は)げた御膳(おぜん)の上に縁(ふち)の欠けた茶碗が伏せてある。小(ち)さい飯櫃(めしびつ)も乗っている。箸(はし)は赤と黄に塗り分けてあるが、黄色い方の漆(うるし)が半分ほど落ちて木地(きじ)が全く出ている。御菜には糸蒟蒻(いとごんにゃく)が一皿ついていた。自分は伏目になってこの御膳の光景を見渡した時、大いに食いたくなった。実は今朝(けさ)から水一滴も口へ入れていない。胃は全く空(から)である。もし空でなければ、昨日(きのう)食った揚饅頭(あげまんじゅう)と薩摩芋(さつまいも)があるばかりである。飯の気(け)を離れる事約二昼夜になるんだから、いかに魂が萎縮しているこの際でも、御櫃(おはち)の影を見るや否や食慾は猛然として咽喉元(のどもと)まで詰め寄せて来た。そこで、冷かしも、交(ま)ぜっ返しも気に掛ける暇(いとま)なく、見栄(みえ)も糸瓜(へちま)も棒に振って、いきなり、お櫃(はち)からしゃくって茶碗へ一杯盛り上げた。その手数(てかず)さえ面倒なくらい待ち遠しいほどであったが、例の剥箸(はげばし)を取り上げて、茶碗から飯をすくい出そうとする段になって――おやと驚いた。ちっともすくえない。指の股(また)に力を入れて箸をうんと底まで突っ込んで、今度こそはと、持上げて見たが、やっぱり駄目だ。飯はつるつると箸の先から落ちて、けっして茶碗の縁(ふち)を離れようとしない。十九年来いまだかつてない経験だから、あまりの不思議に、この仕損(しくじり)を二三度繰り返して見た上で、はてなと箸(はし)を休めて考えた。おそらく狐に撮(つま)まれたような風であったんだろう。見ていた坑夫共はまたぞろ、どっと笑い出した。自分はこの声を聞くや否や、いきなり茶碗を口へつけた。そうして光沢(つや)のない飯を一口掻(か)き込んだ。すると笑い声よりも、坑夫よりも、空腹よりも、舌三寸の上だけへ魂が宿ったと思うくらいに変な味がした。飯とは無論受取れない。全く壁土である。この壁土が唾液(つばき)に和(と)けて、口いっぱいに広がった時の心持は云うに云われなかった。
「面(つら)あ見ろ。いい様(ざま)だ」
と一人が云うと、
「御祭日(おさいじつ)でもねえのに、銀米(ぎんまい)の気でいやがらあ。だから帰(けえ)れって教(おせ)えてやるのに」
と他(ほか)のものが云う。
「南京米(ナンキンめえ)の味も知らねえで、坑夫になろうなんて、頭っから料簡違(りょうけんちげえ)だ」
とまた一人が云った。
 自分は嘲弄(ちょうろう)のうちに、術(じゅつ)なくこの南京米(ナンキンまい)を呑み下した。一口でやめようと思ったが、せっかく盛り込んだものを、食ってしまわないと、また冷かされるから、熊の胆(い)を呑む気になって、茶碗に盛っただけは奇麗(きれい)に腹の中へ入れた。全く食慾のためではない。昨日(きのう)食った揚饅頭(あげまんじゅう)や、ふかし芋(いも)の方が、どのくらい御馳走(ごちそう)であったか知れない。自分が南京米の味を知ったのは、生れてこれが始てである。
 茶碗に盛っただけは、こう云う訳で、どうにか、こうにか片づけたが、二杯目は我慢にも盛(よそ)う気にならなかったから、糸蒟蒻(いとごんにゃく)だけを食って箸を置く事にした。このくらい辛抱して無理に厭(いや)なものを口に入れてさえ、箸を置くや否や散々に嘲弄された。その時は随分つらい事と思ったが、その後(ご)日に三度ずつは、必ずこの南京米に対(むか)わなくっちゃならない身分となったんで、さすがの壁土も慣(な)れるに連(つ)れて、いわゆる銀米と同じく、人類の食い得べきもの、否食ってしかるべき滋味と心得るようになってからは、剥膳(はげぜん)に向って逡巡(しりごみ)した当時がかえって恥ずかしい気持になった。坑夫共の冷かしたのも万更(まんざら)無理ではない。今となると、こんな無経験な貴族的の坑夫が一杯の南京米を苦に病(や)むところに廻(めぐ)り合わせて、現状を目撃したら、ことに因(よ)ると、自分でさえ、笑うかも知れない。冷かさないまでも、善意に笑うだけの価値(ねうち)は十分あると思う。人はいろいろに変化するもんだ。
 南京米の事ばかり書いて済まないから、もうやめにするが、この時自分の失敗(しくじり)に対する冷評は、自然のままにして抛(ほう)って置いたなら、どこまで続いたか分らない。ところへ急に金盥(かなだらい)を叩(たた)き合せるような音がした。一度ではない。二度三度と聞いているうちに、じゃじゃん、じゃららんと時を句切(くぎ)って、拍子(ひょうし)を取りながら叩き立てて来る。すると今度は木唄(きやり)の声が聞え出した。純粋の木唄では無論ないが、自分の知ってる限りでは、まあ木唄と云うのが一番近いように思われる。この時冷評は一時にやんだ。ひっそりと静まり返る山の空気に、じゃじゃん、じゃららんが鳴り渡る間を、一種異様に唄(うた)い囃(はや)して何物か近づいて来た。
「ジャンボーだ」
と一人が膝頭(ひざがしら)を打たないばかりに、大きな声を出すと、
「ジャンボーだ。ジャンボーだ」
と大勢口々に云いながら、黒い塊(かたまり)がばらばらになって、窓の方へ立って行った。自分は何がジャンボーなんだか分らないが、みんなの注意が、自分を離れると同時に、気分が急に暢達(のんびり)したせいか、自分もジャンボーを見たいと云う余裕ができて、余裕につれて元気も出来た。つくづく考えるに、人間の心は水のようなもので、押されると引き、引くと押して行く。始終手を出さない相撲(すもう)をとって暮らしていると云っても差支(さしつかえ)なかろう。それで、みんなが立ち尽したあとから、自分も立った。そうしてやっぱり窓の方へ歩いて行った。黒い頭で下は塞(ふさ)がっている上から背伸(せえのび)をして見下(みおろ)すと、斜(はす)に曲ってる向(むこう)の石垣の角から、紺(こん)の筒袖(つつそで)を着た男が二人(ふたあり)出た。あとからまた二人出た。これはいずれも金盥を圧(お)しつぶして薄(うす)っ片(ぺら)にしたようなものを両手に一枚ずつ持っている。ははあ、あれを叩くんだと思う拍子に、二人は両手をじゃじゃんと打ち合わした。その不調和な音が切っ立った石垣に突き当って、後(うしろ)の禿山(はげやま)に響いて、まだやまないうちに、じゃららんとまた一組が後(あと)から鳴らし立てて現れた。たと思うとまた現れる。今度は金盥を持っていない。その代り木唄――さっきは木唄と云った。しかしこの時、彼らの揚げた声は、木唄と云わんよりはむしろ浪花節(なにわぶし)で咄喊(とっかん)するような稀代(きたい)な調子であった。
「おい金公(きんこう)はいねえか」
と、黒い頭の一つが怒鳴(どな)った。後向(うしろむき)だから顔は見えない。すると、
「うん金公に見せてやれ」
とすぐ応じた者がある。この言葉が終るか、終らない間(ま)に、五つ六つの黒い頭がずらりとこっちを向いた。自分はまた何か云われる事と覚悟して仕方なしに、今までの態度で立っていると、不思議にも振り返った眼は自分の方に着いていない。広い部屋の片隅に遠く走った様子だから、何物がいる事かと、自分も後を追っ懸(か)けて、首を捻(ね)じ向けると、――寝ている。薄い布団(ふとん)をかけて一人寝ている。
「おい金州(きんしゅう)」
と一人が大きな声を出したが、寝ているものは返事をしない。
「おい金しゅう起きろやい」
と怒鳴(どなり)つけるように呼んだが、まだ何とも返事がないので、三人ばかり窓を離れてとうとう迎(むかえ)に出掛けた。被(かぶ)ってる布団(ふとん)を手荒にめくると、細帯をした人間が見えた。同時に、
「起きろってば、起きろやい。好いものを見せてやるから」
と云う声も聞えた。やがて横になってた男が、二人の肩に支えられて立ち上った。そうしてこっちを向いた。その時、その刹那(せつな)、その顔を一目見たばかりで自分は思わず慄(ぞっ)とした。これはただ保養に寝ていた人ではない。全くの病人である。しかも自分だけで起居(たちい)のできないような重体の病人である。年は五十に近い。髯(ひげ)は幾日も剃(そ)らないと見えてぼうぼうと延びたままである。いかな獰猛(どうもう)も、こう憔悴(やつれ)ると憐(あわ)れになる。憐れになり過ぎて、逆にまた怖(こわ)くなる。自分がこの顔を一目見た時の感じは憐れの極(きょく)全く怖(こわ)かった。
 病人は二人に支えられながら、釣られるように、利(き)かない足を運ばして、窓の方へ近寄ってくる。この有様を見ていた、窓際の多人数(たにんず)は、さも面白そうに囃(はや)し立てる。
「よう、金(きん)しゅう早く来いよ。今ジャンボーが通るところだ。早く来て見ろよ」
「己(おら)あジャンボーなんか見たかねえよ」
と病人は、無体(むたい)に引き摺(ず)られながら、気のない声で返事をするうちに、見たいも、見たくないもありゃしない。たちまち窓の障子(しょうじ)の角(かど)まで圧(お)しつけられてしまった。
 じゃじゃん、じゃららんとジャンボーは知らん顔で石垣の所へ現れてくる。行列はまだ尽きないのかと、また背延(せいの)びをして見下(みおろ)した時、自分は再び慄とした。金盥(かなだらい)と金盥の間に、四角な早桶(はやおけ)が挟(はさ)まって、山道を宙に釣られて行く。上は白金巾(しろかなきん)で包んで、細い杉丸太を通した両端(りょうたん)を、水でも一荷(いっか)頼まれたように、容赦なく担(かつ)いでいる。その担いでいるものまでも、こっちから見ると、例の唄(うた)を陽気にうたってるように思われる。――自分はこの時始めてジャンボーの意味を理解した。生涯(しょうがい)いかなる事があっても、けっして忘れられないほど痛切に理解した。ジャンボーは葬式である。坑夫、シチュウ、掘子(ほりこ)、山市(やまいち)に限って執行される、また執行されなければならない一種の葬式である。御経の文句を浪花節(なにわぶし)に唄(うた)って、金盥の潰(つぶ)れるほどに音楽を入れて、一荷(いっか)の水と同じように棺桶(かんおけ)をぶらつかせて――最後に、半死半生の病人を、無理矢理に引き摺り起して、否(いや)と云うのを抑えつけるばかりにしてまで見せてやる葬式である。まことに無邪気の極(きょく)で、また冷刻の極である。

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