您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 正岡 子規 >> 正文

墨汁一滴(ぼくじゅういってき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-26 9:23:27  点击:  切换到繁體中文


 すじの痛をこらへて臥し居れば昼静かなる根岸の日の永さ

パン売の太鼓も鳴らず日の永き
 上野は花盛はなざかり学校の運動会は日ごと絶えざるこの頃のいおながめ
松杉や花の上野の後側
 把栗はりつ鼠骨そこつが一昨年我病を慰めたる牡丹ぼたん去年こぞは咲かずて
三年目につぼみたのもし牡丹の芽
 窓前の大鳥籠には中に木をゑて枝々にわらの巣を掛く
追込の鳥早く寐る日永かな
 毎日の発熱毎日の蜜柑みかんこの頃の蜜柑はやや腐りたるがうま
春深く腐りし蜜柑好みけり
 隣医ひさご花活はないけに造り椿つばきを活けて贈り来る滑稽の人なり
ひねくり者ありふくべ屋椿とぞ呼べる
 かねば邪魔になる煖炉だんろ取除とりのけさせたる次の朝の寒さ
煖炉取りて六畳の間の広さかな
 歯の痛三処に起りて柔かき物さへ噛みがてにする昨今
たけのこに虫歯痛みて暮の春
 或人こけを封じ来るこは奈良春日神社かすがじんじゃ石燈籠いしどうろうの苔なりと
苔を包む紙のしめりや春の雨
(四月十六日)

 鼠骨が使をよこしてブリキのカンをくれといふからやつたら、そのカンの中へくじを入れて来た。先づ一本引いて見たらば、第九十七凶といふので、その文句は
霧罟重楼屋むころうおくをかさぬ  佳人水上行かじんすいじょうにゆく  白雲帰去路はくうんかえりさるのみち  不見月波澄げっぱすむをみず
といふのであつた。この文句の解釈が出来んので、それから後毎日考へてもう三十日も考へ続けて居るが今に少しも解釈の手掛が出来ぬ。
(四月十七日)

 今日は朝よりの春雨やや寒さを覚えて蒲団引被ひきかぶり臥し居り。垣根の山吹やうやうにほころび、盆栽の桃の花は西洋葵せいようあおいと並びて高き台の上に置かれたるなどガラス越に見ゆ。午後は体もぬくもり殊に今日はいたみもうすらぎたれば静かに俳句の選抜など余念なき折から、本所ほんじょの茶博士より一封の郵書来りぬ。ひらき見れば他のことばはなくて
擬墨汁一滴ぼくじゅういってきにぎす              左
総じて物にはたらきなきは面白からず。されどもはたらき目だちて表にあらわれたるはかへつていやしき処あり。内にはたらきありて表ははたらきなきやうなるが殊にめでたきなり。
道入どうにゅうらくの茶碗や落椿
春雨のつれづれなるままのたわぶれにこそ、と書きたり。時に取りていとをかし。
(四月十八日)

 をかしければ笑ふ。悲しければ泣く。しかし痛の烈しい時には仕様がないから、うめくか、叫ぶか、泣くか、または黙つてこらへて居るかする。その中で黙つてこらへて居るのが一番苦しい。盛んにうめき、盛んに叫び、盛んに泣くと少しく痛が減ずる。
(四月十九日)

 諸方より手紙被下くだされ候諸氏へ一度に御返事申上候。小生の病気につきいろいろ御注意被下、あるいは深山にある何やらの草の根をせんじて飲めば病たちどころに直るといはるるもあり、あるいは人胆丸は万病に利く故チヤンチヤンのきももて煉りたる人胆丸をやらうかといはるるもあり、あるいは何がしの神を信ずれば病気平癒へいゆ疑なしといはるるもあり、あるいはこの病に利く奇体の灸点あり幸にその灸師只今田舎より上京中なれば来てもらふては如何などいはるるもあり、あるいは某医師は尋常の医師に非ず、従つてその療法もまた尋常療法に非ず、某将軍深くこれを信ず、君この人に診察させては如何などいはるるもあり、あるいは某医師の養生法は山師流の養生法に非ず、我家族の一人は現にこの法を用ゐて十年の痼疾こしつとみにえたる例あり、君も試みては如何などいはるるもあり、中には見ず識らずの人も多きにわざわざ書を寄せられてとかくの御配慮にあずかる事誠に難有ありがたき次第とそぞろ感涙に沈み申候。しかしながら遠地の諸氏は勿論、在京の諸氏すら小生の容態を御存じなき方多き故かへつて種々の御心配をけ候事と存候。小生の病気は単に病気が不治の病なるのみならず病気の時期が既に末期に属し最早如何なる名法も如何なる妙薬も施すの余地無之これなく神様の御力もあるいは難及およびがたきかと存居ぞんじおり候。小生今日の容態は非常に複雑にして小生自身すら往々誤解致居いたしおる次第故とても傍人には説明難致いたしがたく候へども、先づ病気の種類が三種か四種か有之、発熱は毎日、立つ事も坐る事も出来ぬは勿論、この頃では頭を少しもたぐる事も困難に相成あいなり、また疼痛とうつうのため寐返り自由ならず蒲団の上に釘付にせられたる有様に有之候。疼痛はげしき時は右に向きても痛く左に向きても痛く仰向になりても痛く、まるで阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄もかくやと思はるるばかりの事に候。かつ容態には変化極めて多く、今日明日を計らず今朝今夕を計らずといふ有様にて、この頃は引続いてよろしいと申すやうな事は無之、それ故人に容態を尋ねられたる時答辞に窮し申候。「この頃は善い方です」とは普通に人に答ふる挨拶なれども何の意味もなき語に有之候。一時的容態はかく変化多けれども一年の容態をいへば昨年は一昨年よりも悪く、今年は昨年よりも悪き事歴々として事実に現れ居候。かくの如き次第故薬も灸もその他の療養法も折角御教被下くだされ候事ながら小生には難施ほどこしがたき事と御承知可被下くださるべく候。ただ小生唯一の療養法は「うまい物を喰ふ」に有之候。この「うまい物」といふは小生多年の経験と一時の情況とにりて定まる者にて他人の容喙ようかいを許さず候。珍しき者は何にてもうまけれど刺身は毎日くふてもうまく候。くだもの、菓子、茶など不消化にてもうまく候。朝飯は喰はず昼飯はうまく候。夕飯は熱が低ければうまく、熱が高くても大概たいがい喰ひ申候。容態荒増あらまし如此かくのごとくに候。
(四月二十日)

 前日記したる御籤みくじの文句につき或人より『三世相』の中にある「元三大師がんざんだいし御鬮みくじしょう」の解なりとて全文を写して送られたり。その中に佳人水上行かじんすいじょうにゆくを解して
かじんすいじやうにゆくとはうつくしき女の水の上をあゆむがごとくわがなすほどのことはあやふく心もとなしとのたとへなり
とあり。不見月波澄げっぱすむをみずを解して
きりふかく月を見ざればせめてみづにうつるかげなりとも見んとすれどなみあればみづのうへの月をも見る事なしとなり
とあり。その次に
○病人はなはだあやふし ○悦事よろこびごとなし ○失物うせもの出がたし
○待人きたらず…………… ○生死あやふし……………
などあり。適中したる事多し。前年神戸病院を退きて故郷に保養しつつありし際衰弱甚だしかりしがある日勇をして郊外半里ばかりの石手寺いしでじを見まひぬ。その時本堂の縁に腰かけて休みつつその傍に落ちありし紙片を拾ひ拡げ見たるにこの寺の御籤の札なり。凶の籤にして中に大病あり命にはさはりなし、などいへる文句あり、善く当時の事情に適中し居たり。かかる事もあるによりて卜筮ぼくぜいなどに対する迷信も起るならん。
(四月二十一日)

 自分の俳句が月並調に落ちては居ぬかと自分で疑はるるが何としてよきものかと問ふ人あり。答へていふ、月並調に落ちんとするならば月並調に落つるがよし、月並調を恐るるといふは善く月並調を知らぬ故なり、月並調は監獄の如く恐るべきものに非ず、一度その中に這入はいつて善くその内部を研究し而して後に娑婆しゃばに出でなばふたたび陥るうれいなかるべし、月並調を知らずしていたずらに月並調を恐るるものはいつの間にか月並調に陥り居る者少からず、試みに※(虫+礼のつくり、第3水準1-91-50)そうきゅう梅室ばいしつの句を読め。
(四月二十二日)

 何人の忘れ置きけん枕元に尾形光琳おがたこうりん伝と書ける一葉摺いちようずりの者あり。三、四十行の短文にして末に、明治三十四年四月文学博士重野安繹しげのやすつぐ撰、と書けり。思ふにこの頃光琳ら四家の展覧会とかありといへばその辺の引札の類ならんか。それにしても
ソノ画ク所花卉かき※(「令+挧のつくり」、第3水準1-90-30)れいもう山水人物ことごと金銀泥きんぎんでいヲ用ヒテ設色スルニ※(「禾+農」、第4水準2-83-8)じょうえん妍媚けんびナラザルハナク而モ用筆ようひつ簡淡かんたんニシテ一種ノ神韻しんいんアリ
とあるが如き余り杜撰ずさんなるべし。用筆簡淡の四字は光琳の画を形容し得ざるのみならずむしろ光琳風の如き画の感じを少しも含まざるなり。何はともあれ光琳の画の第一の特色は他諸家の輪郭的なるに反して没骨もっこつ的なる処にあり、而してこの用筆簡淡の四字が果して没骨画に対する批評と見るを得べき語なるか、何人も恐らくはか思はざるべし。撰者もまたそんな事を考へたるにはあらで筆の先にてゴマカシたるや必せり。あるいは
マタ茶道ヲ千宗佐せんそうさニ受ケテ漆器ノ描金びょうきんニ妙ヲ得硯箱すずりばこ茶器ノ製作ニ巧ミナリ
とあるが如き少しも意を解せず。この文にて見ると光琳は茶を習ひしため蒔絵まきえが上手になりたる事と聞ゆ。『論語』を習ひに往たら数学が上手になつたといふ如き類にて、きつねを馬に載せたる奇論法なり。もし二句何の関係もなき者ならば何故に続けて書けるか分らず。そのほか怪しげなる事多し。撰者夢中の作とおぼし。何にもせよ今の世に光琳の名を世にひろめんとする者、画を知らぬ漢文書きに頼みてその伝を書かしむるなど馬鹿な事なり。
(四月二十三日)

 昨夜の夢に動物ばかり沢山遊んで居る処に来た。その動物の中にもう死期が近づいたかころげまはつて煩悶はんもんして居る奴がある。すると一匹の親切なうさぎがあつてその煩悶して居る動物の辺に往て自分の手を出した。かの動物はただちに兎の手を自分の両手で持つて自分の口にあて嬉しさうにそれを吸ふかと思ふと今までの煩悶はやんで甚だ愉快げに眠るやうに死んでしまふた。またほかの動物が死に狂ひに狂ふて居ると例の兎は前と同じ事をする、その動物もまた愉快さうに眠るやうに死んでしまふ。余は夢がさめて後いつまでもこの兎の事が忘られない。
(四月二十四日)

 碧梧桐へきごとういふ、
山吹やいくら折つても同じ枝     子規
山吹や何がさはつて散りはじめ    同
の二句は月並調にあらずやと。かういふ主観的の句を月並調とするならば
鶴の巣や場所もあらうに穢多の家   子規
なども無論月並調の部に入れらるるならん。抱琴ほうきんいふ、
鶯や婿むこに来にける子の一間ひとま      太祇たいぎ
は月並調に非ずやと。挿雲そううんいふ、
初午はつうまはおのれが遊ぶ子守かな     挿雲
の句は月並調に陥り居らずやと。以上の句人のも自分のも余は月並調に非ずと思ふ。余が月並調と思へる句は左の如き句なり。
二日灸ふつかきゅう和尚もとより灸の得手      碧梧桐
草餅や子を世話になる人のもと    挿雲
手料理の大きなる皿や洗ひ鯉     失名
など月並調に近きやう覚ゆ。古人の句にても
七草や余所よその聞えも余り下手     太祇
七草や腕のきたる博奕打ばくちうち      同
帰り来る夫のむせぶ蚊遣かやりかな     同
など月並調なり。芭蕉ばしょう
春もやゝけしきとゝのふ月と梅    芭蕪
なども時代の上よりいへば月並調の一語を以て評し去ること気の毒なれど今日より見れば無論月並的の句なり。もと月並調といふ語は一時便宜のため用ゐし語にて、理窟の上より割り出だしたる語にあらねばその意義甚だ複雑にしてかつ曖昧なり。されど今一、二の例につきていはんか、前の「山吹や何がさはつて」の句をその山吹を改めて
夕桜何がさはつて散りはじめ
となさば月並調となるべし。こはしも七五の主観的形容が桜に適切ならぬためことさらめきて厭味を生ずるなり。また「二日灸和尚固より」の句を
二日灸和尚は灸の上手なり
となさば月並臭気なかるべし。こは言葉遣ひの如何によりて月並調になりもしまたならずにも済むなり。二日灸といふ題もと月並的臭気を含めるに、その上に「和尚固より灸の得手」といふ如く俗調を乗気になつて用ゐし故俗に陥りしなり。極めて俗なる事を詠むに雅語がごを用ゐて俗に陥らぬやうにする事天明てんめい諸家の慣手段かんしゅだんなり。また「帰り来る夫のむせぶ」といふは趣向のきはどき処に厭味ある者なれば全く趣向を変へねば月並調を脱する能はざるべし。「帰り来る」も「夫」も「むせぶ」も皆厭味を含めり。よくよくの月並的趣向なり。
附記、少し変な句を月並調かと思ふ人多けれどそは誤なり。月並にはかへつて変な語、変な句法などは排斥するなり。月並は表面甚だもつともらしくして底に厭味ある者多し。変な句は月並調に非ずと知るべし。
(四月二十五日)

 ある人に向ひて短歌の趣向材料などにつきて話すついでにいふ、「松葉の露」といふ趣向と「桜花の露」といふ趣向とを同じやうに見られたるは口惜し。余が去夏きょか松葉の露の歌十首をものしたるは古人の見つけざりし場所、あるいは見つけても歌化せざりし場所を見つけ得たる者として誇りしなり。もし花の露ならば古歌にも多くあり、また旧派の歌人も自称新派の歌人も皆喜んで取る所の趣向にして陳腐中の陳腐、厭味中の厭味なる者なり。試みに思へ「松葉の露」といへばたちどころに松葉に露のたまる光景を目に見れども「花の露」とばかりにては花は目に見えて露は目に見えずただ心の中にて露を思ひやるなり。ここにおいてか松葉の露は全く客観的となり、花の露は半ば主観的となり、両者その趣を異にす。しかるに花の露を形容するに、松葉の露を形容するが如き客観的形容を用ゐたりとて実際の感は起らぬ事論をたず。例すれば「花に置く露の玉」といひても花の露は見えぬ故玉といふ感は起らず。「花の白露」といひても色の白は実際見えぬ故やはり主観的に思ひやらざるべからず。風が花をうごかして露の散る時、そのほか露の散る時は始めて露の見ゆる心地すれど、それも露の見ゆるにはあらでむしろ露が物の上に落つる音を聞きて知る位の事ならん。音なればこれも普通の客観的の者ならざるはいふまでもなし。いにしえの歌よみはもとより咎むるにもあたらず。今の歌よみにしてこれほどに客観と主観との区別ある両種の露を同じやうに見られたる事かへすがへすも口惜し。
(四月二十六日)

 不折ふせつ鳥羽僧正とばそうじょうの画につきて言へりしに対して茅堂ぼうどうは不折の説をばくする一文を投ぜり。茅堂不折両氏ともに親しく交際する仲なれば交際上どちらに贔屓ひいきもなけれども画の事につきては茅堂は不折の向ふを張つてこれが反対説を主張するほどの資格を持たずと思ふ。このさいにおける論の当否はしばらく、平生茅堂が画におけるを観るに観察の粗なる嗜好しこうの単純なる到底とうてい一般素人の域を脱する能はざるが如し。つまびらかに言へば茅堂は写生の何たるをもく解せざるべく、鳥羽僧正の写生の伎倆ぎりょうがどれだけに妙を極めたるかも解せざるべく、ただその好きな茶道より得たる幽玄簡単の一趣味を標準として、写生何かあらん、鳥羽僧正の画ごうも幽玄の処なし、余り珍重すべき者に非ず、など容易に判断し去りたる事ならん。茅堂もし画の事を論ぜんとならば今少し画の事を研究して而して後に論ぜられたき者なり。楽焼らくやき主義ノンコ趣味を以て鳥羽僧正の画を律せんとするは瓢箪ひょうたんを以てなまずを押ふるの類か。
(四月二十七日)

 夕餉したため了りて仰向に寝ながら左の方を見れば机の上に藤を活けたるいとよく水をあげて花は今を盛りの有様なり。えんにもうつくしきかなとひとりごちつつそぞろに物語の昔などしぬばるるにつけてあやしくも歌心なん催されける。この道には日頃うとくなりまさりたればおぼつかなくも筆を取りて
かめにさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり
瓶にさす藤の花ぶさ一ふさはかさねし書の上に垂れたり
藤なみの花をし見れば奈良のみかど京のみかどの昔こひしも
藤なみの花をし見れば紫の絵の具取り出で写さんと思ふ
藤なみの花の紫絵にかゝばこき紫にかくべかりけり
瓶にさす藤の花ぶさ花れて病の牀に春暮れんとす
去年こぞの春亀戸に藤を見しことを今藤を見て思ひいでつも
くれなゐの牡丹ぼたんの花にさきだちて藤の紫咲きいでにけり
この藤は早く咲きたり亀井戸かめいどの藤咲かまくは十日まり後
八入折やしおおりの酒にひたせばしをれたる藤なみの花よみがへり咲く
 おだやかならぬふしもありがちながら病のひまの筆のすさみは日頃まれなる心やりなりけり。をかしき春の一夜や。
(四月二十八日)

 春雨霏々ひひ。病牀徒然とぜん。天井を見れば風車かざぐるま五色に輝き、枕辺を見れば瓶中へいちゅうの藤紫にして一尺垂れたり。ガラス戸の外を見れば満庭の新緑雨に濡れて、山吹は黄ようやく少く、牡丹は薄紅うすくれないの一輪先づ開きたり。やがて絵の具箱を出させて、五色、紫、緑、黄、薄紅、さていづれの色をかくべき。
(四月二十九日)

 病室のガラス障子より見ゆる処に裏口の木戸あり。木戸のかたわら、竹垣の内に一むらの山吹あり。この山吹もとは隣なるわらわの四、五年前に一寸ばかりの苗を持ち来て戯れに植ゑ置きしものなるが今ははや縄もてつがぬるほどになりぬ。今年も咲き咲きて既になかば散りたるけしきをながめてうたた歌心起りければ原稿紙を手に持ちて
裏口の木戸のかたへの竹垣にたばねられたる山吹の花
小縄もてたばねあげられ諸枝もろえだの垂れがてにする山吹の花
水汲みに往来ゆききそでの打ち触れて散りはじめたる山吹の花
まをとめのなおわらはにて植ゑしよりいくとせ経たる山吹の花
歌の会開かんと思ふ日も過ぎて散りがたになる山吹の花
いおをめぐらす垣根くまもおちず咲かせ見まくの山吹の花
あき人も文くばり人も往きちがふ裏戸のわきの山吹の花
春の日の雨しき降ればガラス戸の曇りて見えぬ山吹の花
ガラス戸のくもり拭へばあきらかに寐ながら見ゆる山吹の花
春雨のけならべ降れば葉がくれに黄色乏しき山吹の花
 粗笨そほん鹵莽ろもう、出たらめ、むちやくちや、いかなる評もつつしんで受けん。われはただ歌のやすやすと口に乗りくるがうれしくて。
(四月三十日)

 病牀で絵の写生の稽古けいこするには、モデルにする者はそこらにある小い器か、さうでなければいけ花か盆栽の花か位で外に仕方がない。その範囲内で花や草を画いて喜んで居ると、ある時不折ふせつの話に、一つの草や二つ三つの花などを画いて絵にするには実物より大きい位に画かなくては引き立たぬ、といふ事を聞いて嬉しくてたまらなかつた。俳句を作る者は殊に味ふべき教である。
(五月一日)

『宝船』第一巻第二号の召波しょうは句集小解しょうかいを読みて心づきし事一つ二つ
紙子かみこきて嫁が手利てききをほゝゑみぬ
「老情がよく現はれてゐる」との評なれど余はこの句は月並調に近き者と思ふ。
反椀そりわんは家にふりたり納豆汁
「古くなつて木が乾くに従ひつて来る」とあれども反椀は初より形の反つた椀にて、古くなつて反つた訳にはあらざるべし。
あたゝめよ瓶子へいしながらの酒の君
 この句に季ありや。もし酒をあたたむるが季ならばそれは秋季なるべし。あるいは連句中のぞうの句などに非ずや。
河豚ふぐしらず四十九年のひが事よ
 四十九年の非を知るとは『論語』にあるべし。「ひが事」の「ひ」の字は「非」にかかりたるなり。
佐殿すけどの文覚もんがくふぐをすゝめけり
比喩ひゆに堕ちてゐるから善くない」とあれどもこの句の表面には比喩なし。裏面には比喩の面影あるべし。
無縁寺の夜は明けにけりかんねぶつ
 寒念仏といふのは無縁の聖霊しょうりょうを弔ふために寒中に出歩行であるく者なればこの句も無論むろん寺の内で僧の念仏し居る様には非るべし。
此村に長生多き岡見かな
「老人が沢山来て岡見をしてゐる」のではなく老人の多い目出たい村を岡見してゐる事ならん。
 附けていふ、碧梧桐へきごとう近時召波しょうはの句を読んで三歎す。余もいまだ十分の研究を得ざれども召波の句の趣向と言葉と共にはたらき居る事太祇たいぎ蕪村ぶそん几董きとうにも勝るかと思ふ。太祇蕪村一派の諸家その造詣ぞうけいの深さ測るべからざる者あり。暁台きょうたい闌更らんこう白雄しらおらの句つい児戯じぎのみ。
(五月二日)

 ある人いふ勲位くんい官名の肩書をふりまはして何々養生法などいふ杜撰ずさんの説をなし世人を毒するは医界の罪人といはざるべからず、世には山師やまし流の医者も多けれどただ金まうけのためとばかりにてその方法の無効無害なるはなほじょすべし、日本人は牛肉を食ふに及ばずなど言ふ牽強附会けんきょうふかいの説をつくりちよつと旧弊家丁髷ちょんまげ連を籠絡ろうらくし、蜜柑みかんは袋共に食へとか、芋の養分は中よりも外皮に多しとか、途方とほうもなき養生法をとなへて人の腸胃を害すること驚き入つたる次第なり、故幽谷ゆうこく翁なども一時この説に惑ひて死期を早められたりと聞けり、とにかく勲位官名あるために惑はさるる人も多きにやあらん。世人は薬剤官を医者の如く思ふ人あれど薬剤官は医者に非ず、かつその薬剤官の名さへ十分の資格もなくて恩恵的にもらひたるもありといへばあてにはならぬ事なり云々。
 先頃手紙してこの養生法を余に勧めたる人あり。その時引札やうのものをも共に贈られたり。養生法の引札すら既に変てこなるに、その上に引札の末半分は三十一文字に並べられたる養生法の訓示を以て埋められたるを見ていよいよ山師流のやり方なる事を看破かんぱせり。世の中に道徳の歌、教育の歌、あるいはこの養生法の歌の如き者多くあれどかかる歌など作る者に真の道徳家、真の教育家、真の医師ありし例なき事なり。今ある人の説を聞いて余の推測の違はざるを知れり。
(五月三日)

 しひて筆を取りて
佐保神さほがみの別れかなしも来ん春にふたゝび逢はんわれならなくに
いちはつの花咲きいでゝ我目には今年ばかりの春行かんとす
病む我をなぐさめがほに開きたる牡丹の花を見れば悲しも
世の中は常なきものと我づる山吹の花散りにけるかも
別れ行く春のかたみと藤波の花の長ふさ絵にかけるかも
夕顔の棚つくらんと思へども秋待ちがてぬ我いのちかも
くれなゐの薔薇ふゝみぬ我病いやまさるべき時のしるしに
薩摩下駄さつまげた足にとりはき杖つきて萩の芽摘みし昔おもほゆ
若松の芽だちの緑長き日を夕かたまけて熱いでにけり
いたつきの癒ゆる日知らにさ庭べに秋草花の種をかしむ
 心弱くとこそ人の見るらめ。
(五月四日)

 岩手の孝子こうし何がし母を車に載せ自ら引きて二百里の道を東京まで上り東京見物を母にさせけるとなん。事新聞に出でて今の美談となす。
たらちねの母の車をとりひかひ千里も行かん岩手の子あはれ
草枕くさまくら旅行くきはみさへの神のいそひ守らさん孝子の車
みちのくの岩手の孝子名もなけど名のある人にあに劣らめや
下り行く末の世にしてみちのくに孝の子ありと聞けばともしも
世の中のきたなき道はみちのくの岩手の関を越えずありきや
春雨はいたくなふりそみちのくの孝子の車引きがてぬかも
みちのくの岩手の孝子ふみに書き歌にもよみてよろづまでに
世の中は悔いてかへらずたらちねのいのちの内に花も見るべく
うちひさすみやこの花をたらちねと二人し見ればたぬしきろかも
われひとり見てもたぬしき都べの桜の花を親と二人見つ
(五月五日)

 新華族新博士の出来るごとに人は、またか、といひて眉をひそむるが多し。こは他人の出世をねたむ心より生ずる言葉にていとあさまし。余はむしろ新華族新博士の益※(二の字点、1-2-22)多く愈※(二の字点、1-2-22)ふえん事を望むなり。されどこれも裏側より見たる嫉妬心といはばいふべし。
 博士もおさかずきの巡り来るが如く来るものとすれば俗世間にて自分より頭の上にある先輩の数を数へて順番の来るを待つべきなり。雪嶺せつれい先生なども今頃お盃を廻されては「辞するほどの価値もない」とでも言はねばなるまじ。しかし新博士には博士号を余り有難がらぬ人もたまにあるべけれど新華族になるほどの人華族を有難がらぬはなかるべし。宮内省と文部省との違ふためか、実利と虚名とのためか、学識なきと学識あるとのためか。
(五月六日)

 五月五日にはかしは餅とて※(「木+解」、第3水準1-86-22)かしわの葉に餅を包みて祝ふ事いづこも同じさまなるべし。昔は膳夫ぜんぷをかしはでと言ひ歌にも「旅にしあればしいの葉に盛る」ともあれば食物を木の葉に盛りし事もありけんを、今の世に至りてなほ五日のかしは餅ばかりその名残なごりをとどめたるぞゆかしき。かしは餅の歌をつくる。
椎の葉にもりにし昔おもほえてかしはのもちひ見ればなつかし
白妙しろたえのもちひを包むかしは葉の香をなつかしみくへど飽かぬかも
いにしへゆ今につたへてあやめふく今日のもちひをかしは葉に巻く
うま人もけふのもちひを白がねのうつはに盛らずかしは葉に巻く
ことほぎて贈る五日のかしはもち食ふもくはずも君がまに/\
かしは葉の若葉の色をなつかしみこゝだくひけり腹ふくるゝに
九重ここのえ大宮人おおみやびともかしはもち今日はをすかもしずさびて
常にくふかくのたちばなそれもあれどかしはのもちひ今日はゆかしも
みどりのおいすゑいはふかしは餅われもくひけり病ゆがに
色深き葉広はびろがしはの葉を広みもちひぞつゝむいにしへゆ今に
(五月七日)

 碧梧桐へきごとういふ、
手料理の大きなる皿や洗ひごい
の句には理窟めきたる言ひ廻しもなきに何故に月並調なるか。余いふ、月並調といふは理窟めきたる言ひ廻しをのみいふに非ず、この句手料理も大きなる皿も共に俗なり、全体俗にして一点の雅趣なき者もまた月並調とはいふ、もし洗ひ鯉に代ふるに初松魚はつがつおを以てせんか、いよいよ以て純粋の月並調となるべし。碧梧桐いふ、手料理といひ料理屋といふは常に我々の用ゐる所、何が故にこの語あれば月並調といふか。余いふ、そは月並派の仲間入でも為さば直に分る事なり、先づ月並の題に初松魚といふ題出でたりとせよ、この題を得たる八公はちこう熊公くまこうの徒はなかなか以て「朝比奈あさひな曾我そがふ日や初松魚」などいふ句の味を知る者に非ず、大概は著物きものを質に置くとか手料理で一杯やるとかいふやうなきまり文句を並べて出すなり、さういふ句に飽きたる我らは最早手料理といふ語を聞いたばかりにて月並臭気を感ずるやうになれり。しかし手料理といふ語あればいつでも月並調なりといふにはあらず。
 附けていふ。手料理といふ語は非常なる月並臭気を感ずれども料理屋といふ語には臭気なし。こは月並派にて手料理の語を多く用ゐれども料理屋といふ語を用ゐぬ故なり。かかる事は実際について知るべく、理を以て推すべからず。
(五月八日)

 今になりて思ひ得たる事あり、これまで余が横臥おうがせるにかかはらず割合に多くの食物を消化し得たるは咀嚼そしゃくの力あずかつて多きに居りし事を。噛みたるが上にも噛み、和らげたるが上にも和らげ、かゆの米さへ噛み得らるるだけは噛みしが如き、あながち偶然の癖にはあらざりき。かく噛み噛みたるためにや咀嚼にもっとも必要なる第一の臼歯きゅうし左右共にやうやうにそこなはれてこの頃は痛み強く少しにても上下の歯をあはす事出来難くなりぬ。かくなりては極めて柔かなるものも噛まずに呑み込まざるべからず。噛まずに呑み込めば美味を感ぜざるのみならず、腸胃ただちに痛みて痙攣けいれんを起す。ここにおいて衛生上の営養と快心的の娯楽と一時に奪ひ去られ、衰弱とみに加はり昼夜悶々もんもんたちまち例の問題は起る「人間は何が故に生きて居らざるべからざるか」
さへづるやからうすなす、奥の歯は虫ばみけらし、はたつ物魚をもくはえず、木の実をば噛みても痛む、武蔵野の甘菜あまな辛菜からなを、粥汁にまぜても煮ねば、いや日けに我つく息の、ほそり行くかも
下総しもうさ結城ゆうきの里ゆ送り来し春のうずらをくはん歯もがも
すがの根の永き一日ひとひいいもくはず知る人も来ずくらしかねつも
(五月九日)

 ある人いふ、『宝船』第二号に
やはらかに風が引手ひくての柳かな     鬼史きし
銭金ぜにかねを湯水につかふ桜かな      月兎げっと
の二句あり、月並調にあらずや。答、二句共に月並調に非ず、柳の句俚語りごを用ゐたる故月並調らしく見ゆれど実際月並派にてはかくたくみに、思ひきつて、得いはぬなり、桜の句も
銭金を湯水につかふ松の内
とでもなさば月並調となるべし、「桜かな」といふ五文字は月並派にては置かぬなり。
(五月十日)

 根岸に移りてこのかた、ことに病の牀にうち臥してこのかた、年々春の暮より夏にかけてほととぎすといふ者の声しばしば聞きたり。しかるに今年はいかにしけん、夏も立ちけるにまだおとづれず。剥製はくせいのほととぎすに向ひて我思ふところを述ぶ。この剥製の鳥といふは何がしの君がみずから鷹狩に行きて鷹に取らせたるを我ためにかく製して贈られたる者ぞ。
竜岡たつおかに家居る人はほとゝぎす聞きつといふに我は聞かぬに
ほとゝぎす今年は聞かずけだしくも窓のガラスの隔てつるかも
逆剥さかはぎに剥ぎてつくれるほとゝぎす生けるが如し一声もがも
うつ抜きに抜きてつくれるほとゝぎす見ればいつくし声は鳴かねど
ほとゝぎすつくれる鳥は目に飽けどまことの声は耳に飽かぬかも
置物とつくれる鳥は此里に昔鳴きけんほとゝぎすかも
ほとゝぎす声も聞かぬは来馴れたる上野の松につかずなりけん
我病みていの寝らえぬにほとゝぎす鳴きて過ぎぬか声遠くとも
ガラス戸におし照る月の清き夜は待たずしもあらず山ほとゝぎす
ほとゝぎす鳴くべき月はいたつきのまさるともへば苦しかりけり
 歌は得るに従ひて書く、順序なし。
(五月十一日)

 試に我枕もとに若干の毒薬を置け。而して余が之を飲むか飲まぬかを見よ。
(五月十一日記)

 五月十日、昨夜睡眠不定、例の如し。朝五時家人を呼び起して雨戸を明けしむ。大雨。病室寒暖計六十二度、昨日は朝来ちょうらい引き続きて来客あり夜寝時に至りしため墨汁一滴をしたたむる能はず、因つて今朝つくらんと思ひしも疲れて出来ず。新聞も多くは読まず。やがてわずかに睡気を催す。けだし昨夜は背の痛強く、終宵しゅうしょう体温の下りきらざりしやうなりしが今朝めきりしにやあらん。熱さむれば痛も減ずるなり。
 ねむる。目さませば九時半頃なりき。やや心地よし。ほととぎすの歌十首に詠み足し、明日の俳句欄にのるべき俳句と共に封じて、使つかいして神田に持ちやらしむ。
 十一時半頃午餐ごさんを喰ふ。松魚かつおのさしみうまからず、半人前をくふ。牛肉のタタキの生肉少しくふ、これもうまからず。歯痛は常にも起らねど物を噛めば痛み出すなり。かゆ二杯。牛乳一合、紅茶同量、菓子パン五、六箇、蜜柑みかん五箇。
 神田より使帰る。命じ置きたるさけのカン詰を持ち帰る。こはなるべく歯にさわらぬ者をとて択びたるなり。
『週報』応募の牡丹ぼたんの句の残りを検す。
 寐床の側の畳に麻もて箪笥たんすかんの如き者を二つ三つ処々にこしらへしむ。畳堅うして畳針とおらずとて女ども苦情たらだらなり。こはこの麻の環を余の手のつかまへどころとして寐返りをたすけんとのくわだてなり。この頃体の痛み強く寐返りにいつも人手を借るやうになりたれば傍に人の居らぬ時などのためにかかる窮策を発明したる訳なるが、出来て見れば存外ぞんがい便利さうなり。
 繃帯ほうたい取替にかかる。昨日は来客のため取替せざりしかばうみしたたかに流れ出て衣を汚せり。背より腰にかけての痛今日は強く、軽くぬぐはるるすら堪へがたくして絶えず「アイタ」を叫ぶ。はては泣く事例の如し。
 浣腸かんちょうすれども通ぜず。これも昨日の分を怠りしため秘結ひけつせしと見えたり。進退きわまりなさけなくなる。再び浣腸す。通じあり。痛けれどうれし。この二仕事にて一時間以上を費す。終る時三時。
 著物きもの二枚ともかふ、下著したぎはモンパ、上著は綿入。シヤツは代へず。
 三島神社祭礼の費用取りに来る。一ぴきやる。
 繃帯かへ終りて後体も手も冷えて堪へがたし。にわか燈炉とうろをたき火鉢をよせ懐炉かいろを入れなどす。
 繃帯取替の間始終しじゅう右に向き居りし故背のある処痛み出し最早右向を許さず。よつて仰臥ぎょうがのままにて牛乳一合、紅茶ほぼ同量、菓子パン数箇をくふ。家人マルメロのカン詰をあけたりとて一片ひときれ持ち来る。
 豆腐屋蓑笠みのかさにて庭の木戸より入り来る。
 午後四時半体温をけんす、卅八度六分。しかも両手なほひややか、この頃は卅八度の低熱にも苦しむに六分とありては後刻のくるしみさこそと思はれ、今の内にと急ぎてこの稿をしたたむ。さしあたり書くべき事もなく今日の日記をでたらめに書く。仰臥のまま書き終る時六時、先刻より熱発してはや苦しき息なり。今夜の地獄思ふだに苦し。
 雨は今朝よりふりしきりてやまず。庭の牡丹ぼたんは皆散りて、西洋葵せいようあおいの赤き、をだまきの紫など。
(五月十二日)

 今日は闕。但草稿卅二字余が手もとにあり。
(五月十三日)

 松の若緑は一尺もあらうと思ふのがズンズンと上へ真直に伸びて行く。杉の新芽は小いのがいくつ出ても皆下へぶら下つてしまふ。それでも丈くらべしては到底松は杉に及びはせぬ。
(五月十四日)

 五月はいやな月なり。この二、三日ようやく五月心地になりて不快に堪へず。頭もやもやかんがえ少しもまとまらず。
 夢の中では今でも平気に歩行あるいて居る。しかし物を飛びこえねばならぬとなるといつでも首を傾ける。
 この頃の天気予報の当らぬにも驚く。
 体の押されて痛い時は外に仕方がないから、物に触れぬやうに空中にフハリと浮きたいと思ふ、空気の比重と人間の比重とを同じにして。
 去年の今頃はゐざるやうにして次の間位へは往かれたものが今年の今は寐返りがむつかしくなつた。来年の今頃は動かれぬやうになつて居るであらう。
 先日余の引いた凶のくじ穴守様あなもりさまで流してもらふたとわざわざ鼠骨そこつの注進。
 たけのこが掘つて見たい。
 日光新緑を射て驟雨しゅうう一過、快。緑のぬれぬれしたる中をからす一羽葉に触れさうに飛んで行く。
 附記、後で見れば文体一致せず。頭のわるいしるしなり。
(五月十五日)

 今日は朝から太鼓がドンドンと鳴つて居る。根岸のお祭なんである。お祭といふとすぐに子供の時を思ひ出すが、余がまだ十か十一位の事であつたらう、田舎に郷居さといして居た伯父の内へお祭で招かれて行く時に余は懐剣かいけんをさして往た。これは余の内には頑固な風が残つて居て、男は刀をさすべきであるが今となつてはそれもはばかりであるから、せめて懐剣でもさして往くが善いといふので母の懐剣を貸されたのである。余はそれが嬉しいので、伯父の内へ往て後独り野道へ出て何かこの懐剣で切つて見たいと思ふてついにとめひもを解いてしまふた。そこでその足元にあつた細い草を一本つかんでフツと切るともとより切るほどの草でもなかつたので力は余つて懐剣の切先きっさきは余が左足の足首の処を少し突き破つた。子供心に当惑して泣く泣く伯父の内まで帰ると果して母にさんざん叱られた事があつた。その時の小さいきずは長く残つて居てそれを見るたびに昔をしのぶ種となつて居たが、今はその左の足の足首を見る事が出来ぬやうになつてしまふた。
(五月十六日)

 痛くて痛くてたまらぬ時、十四、五年前に見た吾妻村あずまむらあたりの植木屋の石竹畠せきちくばたけを思ひ出して見た。
(五月十七日)

『春夏秋冬』序
『春夏秋冬』は明治の俳句を集めて四季にわかち更に四季の各題目によりてみたる一小冊子なり。
『春夏秋冬』は俳句の時代において『新俳句』に次ぐ者なり。『新俳句』は明治三十年三川さんせん依托いたくにより余の選抜したる者なるが明治三十一年一月余は同書に序して
(略)元禄にもあらず天明にもあらず文化にもあらず固より天保てんぽうの俗調にもあらざる明治の特色は次第に現れ来るを見る(略)しかもこの特色は或る一部に起りて漸次ぜんじに各地方に伝播でんぱせんとする者この種の句を『新俳句』に求むるも多く得がたかるべし。『新俳句』は主として模倣時代の句を集めたるにはあらずやと思はる。(略)ただし特色は日をふて多きを加ふ。昨集むる所の『新俳句』は刊行に際する今已にそのいくばくか幼稚なるを感ず。刊行し了へたる明日は果して如何に感ぜらるべき。云々
といへり。果して『新俳句』刊行後『新俳句』を開いて見るごとに一年は一年より多くの幼稚と平凡と陳腐とを感ずるに至り今は『新俳句』中の佳什かじゅうを求むるに十の一だも得る能はず。是において新たに俳句集を編むの必要起る。しかれども『新俳句』中の俳句は今日の俳句の基礎をなせる者よろしく相参照すべきなり。
『新俳句』編纂へんさんより今日に至る僅かに三、四年に過ぎざれどもその間における我一個または一団体が俳句上の経歴は必ずしも一変再変に止まらず。しかも一般の俳句界を概括してこれを言へば「蕪村ぶそん調成功の時期」とも言ふべきか。
 蕪村崇拝の声は早くも已に明治二十八、九年の頃に盛なりしかど実際蕪村調とおぼしき句の多く出でたるは明治三十年以後の事なるべし。而して今日蕪村調成功の時期といふも他日より見れば如何なるべきか固よりあらかじめ知る能はず。
 太祇たいぎ蕪村召波しょうは几董きとうらを学びし結果はただに新趣味を加へたるのみならず言ひ廻しに自在を得て複雑なる事物を能く料理するに至り、従ひてこれまで捨てて取らざりし人事を好んで材料と為すの異観を呈せり。これ余がかつて唱道したる「俳句は天然を詠ずるに適して人事を詠ずるに適せず」といふ議論を事実的に打破したるが如し。
『春夏秋冬』は最近三、四年の俳句界を代表したる俳句集となさんと思へり。しかも俳句切抜帳に対して択ばんとすれば俳句多くして紙数に限りあり、遂に茫然として為す所を知らず。辛うじて択び得たる者また到底俳句界を代表し得る者に非ず。されどもし『新俳句』を取つてこれと対照せばその差ただに五十歩百歩のみならざるべし。
明治三十四年五月十六日               獺祭書屋だっさいしょおく主人
(五月十八日)

『春夏秋冬』凡例
一 『春夏秋冬』は明治三十年以後の俳句を集め四季四冊となす。
一 各季の題目は時候、人事、天文、地理、動物、植物の順序に従ふ。時候は立春、暮春ぼしゅん余寒よかんあたたかうらら長閑のどか日永ひながの類をいふ。人事は初午はつうま二日灸ふつかきゅう涅槃会ねはんえ畑打はたうち雛祭ひなまつり汐干狩しおひがりの類をいふ。天文は春雪、雪解、春月、春雨、霞、陽炎かげろうの類をいふ。地理は氷解、水ぬるむ、春水、春山の類をいふ。動物は大略けもの、鳥、両棲りょうせい爬虫はちゅう類、魚、百虫の順序を用ゐる。植物は木を先にし草を後にす、木は花木を先にし草は花草を先にす。
一 新年はこれを四季の外とし冬の部の附録とす。その他は従来の定規に従ふ。
一 撰択の標準は第一佳句、第二流行したる句、第三多くの選に入りし句等の条項にる。
(五月十九日)

 痛むにもあらず痛まぬにもあらず。雨しとしとと降りて枕頭ちんとうに客なし。古き雑誌を出して星野博士の「守護地頭じとう考」を読む。十年の疑一時にくるうれしさ、冥土めいどへの土産一つふえたり。
(五月二十日)

 

上一页  [1] [2] [3] [4] [5] [6] 下一页  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告