四 父と子と
大正七年十月のある夜、
二十年余りの
室の壁にはどこを見ても、西洋の
「おはいり。」
その声と同時に室の中へは、大学の制服を着た青年が一人、背の高い姿を現した。青年は少将の前に立つと、そこにあった椅子に手をやりながら、ぶっきらぼうにこう云った。
「何か御用ですか? お父さん。」
「うん。まあ、そこにおかけ。」
青年は
「何です?」
少将は返事をするために、青年の胸の
「
「今日は
少将はちょいと
「この壁にある
「ええ、まだ申し上げませんでしたが、
「いけなくはない。いけなくはないがね、N閣下の額だけは懸けて置きたい、と思う。」
「この中へですか?」
青年は思わず微笑した。
「この中へ懸けてはいけないかね?」
「いけないと云う事もありませんが、――しかしそれは
「
少将は
「あれは別です。N将軍と一しょにはなりません。」
「そうか? じゃ仕方がない。」
少将は容易に断念した。が、また葉巻の煙を吐きながら、静かにこう話を続けた。
「お前は、――と云うよりもお前の年輩のものは、閣下をどう思っているね?」
「別にどうも思ってはいません。まあ、偉い軍人でしょう。」
青年は老いた父の眼に、
「それは偉い軍人だがね、閣下はまた実に
少将はほとんど、感傷的に、将軍の
少将は眼を細くしたまま、嬉しそうに独り微笑した。――そこへ色づいた林の中から、勢の
「それは罪のない話ですね。だが西洋人には聞かされないな。」
青年も笑わずにはいられなかった。
「まあそんな調子でね、十二三の中学生でも、N閣下と云いさえすれば、
少将は楽しそうに話し終ると、また炉の上のレムブラントを眺めた。
「あれもやはり人格者かい?」
「ええ、偉い
「N閣下などとはどうだろう?」
青年の顔には当惑の色が浮んだ。
「どうと云っても困りますが、――まあN将軍などよりも、僕等に近い気もちのある人です。」
「閣下のお前がたに遠いと云うのは?」
「何と云えば
青年は
「写真をとる
今度は機嫌の
「写真をとっても
「誰のためにですか?」
「誰と云う事もないが、――我々始めN閣下の最後の顔は見たいじゃないか?」
「それは少くともN将軍は、考うべき事ではないと思うのです。僕は将軍の自殺した気もちは、幾分かわかるような気がします。しかし写真をとったのはわかりません。まさか死後その写真が、どこの店頭にも
少将はほとんど、
「それは
しかし青年は
「無論俗人じゃなかったでしょう。至誠の人だった事も想像出来ます。ただその至誠が僕等には、どうもはっきりのみこめないのです。僕等より
父と子とはしばらくの
「時代の違いだね。」
少将はやっとつけ加えた。
「ええ、まあ、――」
青年はこう云いかけたなり、ちょいと窓の外のけはいに、耳を傾けるような眼つきになった。
「雨ですね。お父さん。」
「雨?」
少将は足を伸ばしたまま、嬉しそうに話頭を転換した。
「また
底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年1月27日第1刷発行
1996(平成8)年7月15日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月12日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。